鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2012年12月

話は税金の問題に移っていく。
まず志位さんが労働条件の改善、社会保障の充実などを訴えたあと、司会者がこう質問する。

「財源があれば全部やりたい。どこを財源にするんですか」

志位さんは「応能負担」の原則に即した税制改革を行うこと、富裕層や大企業からの増税を説く。増税という意味では取れるところかとるということであって、これには誰も異論はない。

ただ私としては、もう少し大所高所に立って、租税の民主主義的なあり方という観点から出発してもらいたいと思う。それでないと、「金持ちからばかりふんだくるつもりか。それではプロレタリア独裁ではないか」、という“被害者意識”も出てくる。

金持ちからボッタクったって別にかまわないのだが、困るのはそれで動揺する小金持ちも居るということだ。

司会者も多少そんな雰囲気でコメントしている。

「累進性の強化ですよね」

これに対し、志位さんは「そうです」と答えたが、正確には「違います」と答えなければならなかった。事実そのあとの説明では「世界でも日本だけの、行過ぎたもの(金持ち優遇税制)をただそうということです」と述べている。累進税率のアップなどとは一言も言っていないのである。

わたしは戦後税制の基本に立ち返り、という一言を入れるべきだと思う。戦前の税制がいかにひどかったか、そのもとで貧富の差がどれほど広がっていたかは、もっと強調されてしかるべきだと思う。それが戦後の税制改革のなかで、直接税、とりわけ所得税中心主義になり、税制民主主義というものが確立して行ったのである。そしてそれがいま、ないがしろにされようとしているのである。

税金の問題を論じる場合に、いわゆる「財源論」から出発するのは議論をゆがませる。納税と国土の防衛は民主主義政治の根幹を成す問題である。きちっとしたルールを作り、それにもとづいてすべての国民が税を払い社会を支えていくというのが、民主主義政治の財政的土台なのである。

問題は財源ではない。富裕層が法の抜け穴を利用し、あるいは法を捻じ曲げて民主主義国家としてのルールに違反していることが最大の問題なのである。そのゆえに、租税システムのゆがみをただすことが不可欠の課題となっているのである。

そのことによって、財政欠陥がいささかでも改善できれば、なお良いということだ。

最後に、法人税について志位さんの注目すべきコメントがある。

法人税も上げろという要求ではない。これ以上下げるなということです

大企業にはいろいろ優遇税制があって、実質19%に過ぎない。これに対し中小企業は26%も払っているということで、30%への税率引き下げを事実上是認していることになる。

不勉強で知らなかった。消費税を上げて法人税の減税分に当てるのは間違いと主張してきただけに、この発言は意外だった。ただ震災後の状況とか、財政の危機が叫ばれるなかでの話と、長期に見た法人税のあり方については、当然ながら別個に論じなければならない。

法人税というのもかなりとりっぱぐれのない財源で、税務当局から見ればおいしい財源だ。戦後の一時期には60%まで上げたこともある。しかしこれは所得税中心主義という観点から見れば、王道ではない。

英国スターバックスの脱税事件を見ても分かるように、各国が法人税率引き下げ競争やトリガー税率の導入をやっている中で、35%を維持するのが現実的ではないことも明らかである。

とりあえず、これで論評を終える。疲れた。


次が国際競争力劣化の原因


このあたりか ら、志位さんの議論がちょっと荒っぽくなってくる。問題は、政府と大企業が国際競争力の強化を錦の御旗にして、国民に犠牲を強いる構造改革を断行してきたにも かかわらず、国際競争力が逆に劣化したというアイロニーである。まさに我々が徹底して追及すべきポイントだ。

電機産業はいま競争力がなくなってるでしょう。…財界は真剣に考えてほしい。ノートパソコンなんてほとんど日本のシェアがなくなっています。…完全に競争力を失ったわけですね。
これは率直にいって働く人を粗末にしてきた結果です。短期の利益を上げるために働く人をどんどん切っていく。そういうやり方が日本の産業を壊してきた。


この後も延々と続き、NECのリストラの話までつながっていく。ちょっと論理が上滑りして、質問の趣旨とも食い違ってきている。かなり疲れていたのでしょう。

話はそう単純ではない。ノートパソコンの市場はすでに一定の成熟を遂げている。CPUと高集積メモリーを除けば、アセンブリー産業化している。
結局、日米経済摩擦の際にCPUとDOSを核心とするコンピュータ技術の心臓部をアメリカに売り渡したのが大元だ。周辺的技術で勝負するといっても、そこには限界がある。その場逃れのなし崩しで、核心的分野を放棄してしまった以上、いつか必ず来る道ではあったのである。
いわば技術競争での“非技術的・政治的”敗北が、電機産業衰退の原因である。労働者の首切りは原因ではなく結果である。

それを前提とすれば、志位さんの話はきわめてまっとうだ。技術の衰退が市場の収縮をもたらす悪循環の問題は、あれこれの振興策を考える以前に議論すべき課題だ。

円高が主犯なのか?


ここで司会者が「あと、やっぱり円高が大きいですよ」と話を挟む。これは志位さんの「技術者切り主犯説」に対する鋭いコメントである。鋭いが、それはそれとして間違っている。円高も労働者の首切りと同じく結果であって、技術競争における苦境をもたらした主犯ではない。

ただこの話は、「デフレ論」として別個に論じるべき一大イシューである。そこでは司会者をはじめ一般に信じられている円高→デフレ→不況という因果関係では なく、不況→デフレ→円高という因果関係があり、その大本には需要減退→相対的な過剰生産という問題が横たわっている。

「苦しい大企業もリストラすべきではない」か?


志位さんはこの突込みをスルーしてしまうが、このあと司会者は共感を失ってしまう。志位さんが企業経営のあり方をただしたのに対して、司会者はこうコメントする。「苦しい大企業もリストラすべきではないと」(主張するのですか?)

これに対して志位さんは、「苦しくても内部留保を持っているんだから、雇用は守ることが必要」と答えている。この答えを聞いて、司会者は「なるほど」と述べ、この問題の議論を打ち切っている。

結局、「首切り主犯説」と「円高主犯説」のぶつかり合いで、不毛の議論になってしまったようだ。

この問題は、もし正面から向き合うとすれば、企業のリストラクチャー(再建的改革)のありようを問う議論となる。少なくとも司会者がリストラはある程度必要 だと考えている以上、最後の問答はもう少し丁寧に行うべきであろう。リストライコール首切りと決め付けては、相手を納得させることは出来ない。

電機産業のリストラを議論するに当たっては、二つの前提がある。ひとつは戦後の電気産業の発展のなかで、かなり浮き沈みがあったこと、そのつど人員整理も大規模に行われてきた歴史があることである。
電機業界というのはある意味、水商売みたいなところがあって、けっこう消えて行った企業も少なくない。私の学生時代、空前のオーディオ・ブームがあり、トリオとかアカイなどが花形だった。いまは聞いたこともない。
企業倫理という観点から評価するとき、ことの良し悪しは別にして、この業界にはそういう風土があることも念頭におくべきかもしれない。

もう一つはシャープとそれ以外のパナソニック、ソニー、NECなどとは問題のレベルも性格も違っているということである。シャープはまさに存亡の危機にあるわけで、ここで多少の人員整理があったとしても認めざるを得ないだろう(もちろん解雇原則にのっとっての話だが)。
ルネサスやエルピーダは、川上の企業として、家電業界とは違った性質の問題を抱えている。(これについては10月25日の記事「産業革新機構とエルピーダ・ルネサス」を参照されたい)

パナソニック、ソニー、NECが哀れな敗残者だと見るのはまったくの間違いである。これまでのこの業界の浮き沈みのレベルを超えるようなものではない。考えても見よ、日本中の家庭が、この1,2年で平均2台はデジタルテレビを買ったんだぞ。その99%が国産品だ。

面白いのは、当のシャープが先代社長以来、「社員は一人も首にしない」をモットーにやってきた会社だということである。上でも述べたように浮き沈みの激しい業界だからこそ、社員を最大の企業資産とみなし、社屋や向上を売り払ってでも、特許を手放してでも雇用を守っててきたということだ。(まぁ実態はそれほど美しくはないが…)
これはかつて、松下でもソニーでも同じだった。武田信玄以来の日本の伝統である。

話が脇にそれたが、大企業でもリストラが必要かと問われれば、広い意味では答えはイエスとなる。ただ「それがほんどうにリストラになっているんですか。角を矯めて牛を殺すことになりませんか」、ということだ。とくにリストラは財務畑の主導で行われることが多いだけに、担当者が現場にどれだけ通じているかが鍵にな る。

そのうえで、先ほどの志位さんの話につながることになる。「現場はこうなっているんですよ。これがリストラ(再建的改革)といえますか?」ということだ。そうすると話の道筋はずいぶん見えやすくなるのではないだろうか。


BSフジでの志位さんのインタビューが面白かった。
とくに産業政策では、聞き手の反町さんという人がいわゆる“エコノミスト”らしくそれらしい合いの手を入れてくる。

一つは「リストラを縛ると、企業がやっていけなくなる」という提起。
これに対して志位さんはこう答える。
企業が競ってリストラすれば、「合成の誤謬」が生まれる。その企業だけ見ればよいように見えても、それが合成されれば、社会全体の需要が落ち込み、ますます景気が冷え込むという悪循環だ。
しかしこれだけでは、切り返しただけで、質問に全面的に答えたことにはならない。
質問した側の思いとしては、リストラは企業の生き残りと再建なのだから、悪としても必要悪なのだ。
ここでは企業の論理に即して、現場優先・利益の社会還元・社員こそ最大の資産という三つの原則を押し出す必要があるだろう。それによって現在のリストラが会社の再建につながらないことを明らかにする必要があるだろう。
そして、企業再建の方向として、現場主義か市場主義かの二つの道の対決を打ち出す必要があるだろう。それは日本の再建をめぐる二つの道にもつながる。

二つめは、中小企業を元気にする方法である。
企業の99%を占める中小企業を元気にしなければならないということでは一致するが、司会の側は「もっと研究開発をやらせるとか、海外に出られるならそこをバックアップしてあげるとか」と考えている。
これに対しては志位さんはかなり厳しく反論する。
「4次、5次、6次と末端まで行きますと下請け単価は4割から5割まで減ってしまう。ぎりぎりまで絞り上げるというやり方を続けていくと、一番技術を持っている町工場を壊してしまう」
つまり、しゃれたこと言う前に単価を上げろ、下請けいぢめをやめろと主張する。これは極めて正しい。現場主義の視点だ。

これで、司会者の側もちょっとキッとなった。一言コメントが入る。

これが三つ目、「中小企業にはいい企業も悪い企業もある。それをいっしょくたにして守ることは、産業構造の変革と強化につながらない」


言ってみれば選択育成論である。これは議論の内容が政策論に踏み込んでおり、本来違う議論だ。しかし司会者の側はそもそも政策論を出発点にしているから、ここで完全にすれ違ってしまう。

本来からすれば、「良い企業」と「悪い企業」の判別基準を明らかにしてから議論しなければならないし、その前に、業績の良し悪しを問わず企業の“営業権”を保障する議論をしなければならない。

志位さんは「ここから先は支援しますよ。ここから先はつぶしますよ」というやり方では、全体が崩れていくと強調した、と記事は書いている。さらにこの段落に以下の小見出しをつけている。

中小企業ー一部の企業だけを「線引き」して「支援」するやり方は、全体をダメにする

これは売り言葉に買い言葉で、冷静さを欠いている。

企業の権利を守ることと、さまざまな育成策を講じることはまったく違う次元の話である

私は、中小企業の保護育成には三つの段階があると考えている。ひとつは大企業の不当な下請けいじめをやめさせ、最低限の経営を保全すること。第二には信用金庫など下町金融の経営を保障し、これを無担保・無保証の公的資金供給でバックアップすることだ。不良経営の大半は下町金融のレベルでふるい落とされる。この辺は大門議員のお得意の場面だ。

そしてその上で、優良経営にはそれなりのインセンティブが与えられるという三階構造になっていれば、伸びるべき企業は伸びる。

ここを分けて議論すれば、志位さんの話も説得力が出ただろうと思う。


言うまでもなく、自民党改憲案の最大の柱は九条改正と再軍備である。
しかしもう一つの柱、民主主義の根本的否定も重大である。

①憲法前文の全文削除
②憲法97条の全文削除

がその中身である。憲法から次の文章がなくなることに、曲りなりに新憲法世代であるわれら は思いを致すべきであろう。

日本国民は、…われらとわれらの子孫のために、①諸国民との協和…と、…②自由のもたらす恵沢を確保し、…③再び戦争の惨禍(を起こさない)ことを決意し、…④主権が国民に存することを宣言…する。

そもそも国政…の権威は国民に由来し、…国民の代表者が…行使し、その福利は国民が…享受する。これは人類普遍の原理であ…る。われらは、これに反する一切の憲法、法令…を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、…(その)崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

①国際社会は、平和を維持し、専制…と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる。われらは、(そのような)国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。

②全世界の国民は、…恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する。われらは、(その)ことを確認する。

③…政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、…各国の責務である。われらは、(そのことを)信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、…この崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

以上が前文。次は97条。

(この憲法は日本国民に基本的人権を保障している。それは)、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果である。
これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ(た、試され済みの権利である)。(それらは)現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。


この二つは、語句の問題ではなく憲法の精神を具現したものである。それを抹消するものは、いかなる理由をつけようと、「改正案」とは呼び得ない。

私のブログへのアクセスが10万回を突破した。
アクセス解析というところを見ると、ホームのページへのアクセスの回数で、たとえばグーグルから特定の記事へ直接アクセスしたのは別会計のようだ。実際にはその数倍のアクセスがあったことになる。
まぁそれはそれでよいのだが、とにかく10万という数字はきりが良い。
ブログを開設して1年半になるが、最初は二ケタ前半で、だんだん増えて100台に乗り、最近はほぼ300前後で推移している。
このまま行けば年間10万アクセスが続くので、10年で100万ということになる。余生いくばくかという歳になると、まぁその辺を目標にやっていくことになるだろう。その間にホームページのほうに記事を整理して積み上げていかなければならないだろうが、なかなかそこまでは手が回らない。
ホームページのほうは12万くらいでのんびりと進んでいる。15年でこんなものだから、もう数ヶ月で追い抜かれるだろう。やはりブログという形態はすごいのである。
音楽の記事、わずらわしいでしょう。すみません。

ビラ撒き弾圧事件で最高裁判決が出た。
社会保険庁職員の堀越さんには無罪判決が出たが、厚労省の宇治橋さんは国家公務員法違反で有罪となった。
両者の判断が分かれたのは、片や平職員なのに対し、宇治橋さんが課長補佐だったためである。
宇治橋


赤旗によれば、判決は下記のごとくなっている。

①公務員の行った政治活動が国交法に違反する(と判断される)のは、政治的中立を損なう恐れが実質的に認められる行為に限られる。

②(したがって)職員の地位、、職務内容や権限、行った内容などを総合して判断するのが相当である。

③(宇治橋さんの厚労省課長補佐という職責は)管理職的地位と認められ、国公法違反と判断される。

ということで、もっぱらその地位から判断している。①に述べられた、違法性の内容についての判断を避けたものといえる。

二つの判決の矛盾は、政治活動制限の合憲性を土台としたための矛盾である。

厚労省課長補佐はけっこうえらい

と、ここまでが前段だが、私が注目したのは宇治橋さんの厚労省課長補佐という地位である。
医療関係で働いていると、いやおうなしに厚労省の出方をうかがわざるを得ない。学会とか研究会で講演を拝聴することになるのだが、講演するのはたいてい課長補佐である。

グーグルで厚労省課長補佐と入れてみた。ぞろぞろと出てくる。
厚生労働省 森光敬子 保険局 医療課 課長補佐が
文書の不正流用をしたとして、保団連につるし上げられている。
労働行政専門で、ハウツー本を書きまくっている中野雅至氏も課長補佐上がりである。
「厚生労働省老健局高齢者支援課で2月まで課長補佐を務めていた豊田真由子氏は、次期衆院選に自民党公認候補として埼玉4区から出馬する」そうだ。
厚生労働省医政局経済課の長谷川浩一課長補佐は、IGPAの年次総会前のワークショップで講演している。
診療所への指導・監査を巡る汚職事件で、大阪府警に収賄容疑で逮捕された厚生労働省課長補佐の住友克敏容疑者(50)…。府警は、佃容疑者が特別医療指導監査官だった住友容疑者の「功績」と認識し、謝礼に多額の現金を渡したとみて追及している。
厚生労働省老健局振興課の室橋和浩課長補佐が「制度改正の重点事項」「介護報 酬」「政省令」などの解釈等について考え方を説明しました。

などなど、あたかも厚労省は課長補佐で動いているかのような様相を呈している。

「宇治橋さんの厚労省課長補佐という職責は管理職的地位と認められる」というのは、あながち外れているとはいえないのだ。

宇治橋さんの事件のあらまし

実は宇治橋さんの事件は、赤旗でも、堀越さんの事件ほど大々的には取り上げられてこなかった。(世田谷国公法弾圧事件)

宇治橋さん(当時56歳)は、休日を利用し、土地勘のない世田谷区内で共産党のビラ配りに参加。知らずに警察官舎に入りビラを配っていたところ、住居侵入で逮捕された。結局住居侵入では起訴されず、国公法違反で起訴された。

「土地勘がない」などとは赤旗記者もちょっと筆が滑ったようだが、要するに居住する地元では公然活動が出来ず、不案内な地区での活動に参加したというものである。

警察官舎に入りビラを配ったというのも不正確である。毎日新聞でさえ「警視庁職員官舎の郵便受け32カ所に「しんぶん赤旗」の号外を投函した」と書いてある。

もう少し毎日新聞を紹介する
宇治橋被告は住居侵入容疑で現行犯逮捕されたが、拘置が認められずに釈放されて起訴猶予処分となり、国家公務員法違反で在宅起訴された。

この「事件」の意味を考える


国民救援会HPより

つまり、宇治橋さん実に偉いのである。本省の課長補佐という立場にありながらも、おごることなく、黙々と人民解放運動の一戦士として、武士の本分を貫いているのである。

私など宇治橋さんの爪のアカをせんじて飲まなければならない。

この話を知って真っ先に思い浮かべたのが小林多喜二である。苦学して小樽高商を卒業し、拓殖銀行の行員様になって、それでも労働者・農民への思いやまず、休暇をとりひそかに東倶知安へ選挙の応援活動に出向くのである。

その姿と宇治橋さんの姿が二重写しになる。今や日本は多喜二の時代とは違う、民主主義国家である。しかし権力に逆らい真理を追究しようとすれば、イバラの道が待ち構えていることに違いはない。

ある意味、職を賭して一兵卒として、ビラ撒きに参加した宇治橋さんに頭が下がります。長きにわたる法廷闘争、ご苦労様でした。

裁判所の判事には、「思想は違ったとしても、その真摯な立場と行動に敬意を払うべきではないか」と訴えたい。

山家悠紀夫さんのインタビューで面白いことを言っている。

短期的利益を求めるのはアメリカ経済の欠陥で、日本経済の強みは、経営者が長期の見通しを持った経営ができることだといわれました。
ところが今では、日本も目先の利益を追い求めるようになりました。
市場の力が強くなり、短期的利益や企業淘汰を求めるようになってきました。新自由主義的構造改革のゆがみの一つです。


これは大企業幹部を突き動かす「資本の論理」の今日的あり方を示唆したもので、興味深い指摘だ。

武田製薬もトヨタ自動車もみな、社是にはものづくりを大事にしよう、利益は社会に還元しよう、社員は宝だ、と書いてある。
しかし今やっていることは、すべてその逆だ。

たしかに企業がそのように変質したのだが、そしてアメリカ発の構造改革路線がそうさせたのだが、それは幹部の世代交代とオーバーラップしていることも見ておく必要がある。

戦後発展した企業の多くは三代目から4代目に差し掛かっている。このジェネレーション・ギャップがかなり問題を生み出しているのではないだろうか。

現在の幹部はものづくりにも、生産現場にも関わっていない。しかもそのほとんどがアメリカのどこかの大学のビジネス・スクール出身だ。そして海外支店での営業活動がキャリアの大半を占めている。

「世界標準」という名のアメリカ風経営手法が体に染み付いている。しかも経団連で要職を占めるためにはアメリカでの活躍の経歴、アメリカ財界とのパイプの太さが決定的な条件だ。

こういう条件の下で、日本型経営の風土が生き残れるはずがない。

端的に言えば、経団連という機構そのものがもはや賞味期限が切れているということだろう。とくに分からないのが日本商工会議所という組織で、中小企業の意向がまったく反映されないのは、不思議というほかない。

通産省は、経団連とだけ付き合うのをやめて、もう少し大所高所に立った経営者団体の育成を心がけるべきではないのだろうか。もちろん今の骨がらみ隷属状況では無理だろうが、政治の革新を断行する過程で、このことは重要な視点になると思う。

「かくすれば、かくなるものか」ということか、青森県のJAグループで作る県農協農政対策委員会が共産党推薦を決めた。

11.28の記事「青森県農協の衆院選推薦基準」に対する回答を自ら示したことになる

この決定のすごいのは、比例区で共産党のみの推薦ということだ。

比例区では共産党の高橋候補が唯一の推薦候補となった。民主党の4候補の推薦は見送られたという。地方区では11人が推薦されているが、共産党の4候補はいずれも推薦されている。

小作農運動以来の農民運動の伝統を持つ津軽の革新運動は、まだ底力を失っていないようだ。大沢久明、淡谷悠蔵、そして津川武一という巨星、浪岡の農村細胞、車力の反基地闘争などが思い浮かぶ。


あえて日本経済のカテゴリーに入れておく。
TPPの毒素条項に密接に関連するからだ。

南米のアルゼンチンが2001年に債務不履行に陥った問題で、米連邦地裁はこのほど、債務再編を拒否したヘッジファンドなど一部の債権者への債務支払いをアルゼンチン政府に命じました。

ちょっと長たらしくてわかりにくいが、こういうことだ。

2001年12月、アルゼンチンは事実上の破産に陥った。とうぜん、危機狙いのヘッジファンドは大儲けした。しかしアルゼンチンが払ってくれなければ、その儲けは水の泡となる。しかしその前にしっかり稼いでいるから、基本的にはチャラとなっている。

その後、かなりタフな交渉を通じて和解が成立した。債権者の93%は債券の7割を放棄した。残りの3割は新国債で支払われた。ところが一番稼いだはずのヘッジファンドが債権放棄を拒否し続けているのである。

そして債務の返還を求めて米連邦地裁に提訴したのである。

国際機関への提訴ならまだ分かるが、米連邦地裁への提訴というのが良く分からない。ところが、連邦地裁はこの訴えを受理したばかりか、支払い命令まで出してしまったのである。

当然、アルゼンチンはかんかんである。
ある英国紙はアルゼンチンの声を反映した記事を掲載している。

ヘッジファンドへの返済にはいかなる倫理的な正当性も存在しない。彼らはアルゼンチン国民の困窮を無視して、同国の破綻を望んで投棄した

つまり破綻を望んで投棄して、その結果、望みどおりに破綻したのだから、破綻した国が債務を払えなくても文句言う筋合いはないだろう、という話だ。


ということだが、TPPが実現すると、これが日本においても現実化するという可能性がある。その際日本政府はどういう態度をとるのだろうか。

多分受け入れるだろうね。日本がどうなろうと、経団連にとっては痛くもかゆくもないのだから…

第二次経済対策が決まった。総事業費が1兆円あまり。このうち東日本大震災関連が2千億ほどになる。

そのうち、共産党がずっとキャンペーンを行ってきた、仮設住宅の風呂の追い炊き機能追加が総額781億円になる。たしかに大事なことだが、それにしてもえらく高いな。どういう原価計算になっているのだろう。一括発注なのだろうか。積水ハウスあたりが全取りするのだろうか。

医療再生支援が380億円だ。被災地中小企業の資金繰り支援はわずか243億円である。たしか地元信用金庫の赤字だけで1千億を越えていたのではなかったろうか。

以下は05月18日付の東海新報 の記事

仮設住宅は、県内13市町村で1万3984戸が建設された。4月27日現在の入居状況は、入居戸数1万3048戸、入居者3万444人。

追い焚き機能の工事内容は、給湯器の交換と浴槽への配管、台所リモコン交換、浴室リモコン追加、配管に伴う雑工事。

 
県復興局によると、全部の入居戸数に追い焚き機能と物置を設置した場合の推計費用は54億8000万円と見積もっている。費用は国庫負担金と、県の負担分が震災復興特例交付税として措置されるため、全額国庫で設置される。

今年2月には共産党の山下議員が風呂の改修を迫っている。

浴槽の交換をせずに追い炊き機能付きの湯沸かし器を業者に頼んで付けている人がいる▽風呂用の電気保温器は2万円程度で市販されている―などの例を突きつけ、「やる気さえあればすぐできる」と迫りました。

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これだと3万5千x1万3千=4億6千万円だ。さすがにこれでは難しいだろうが…

ちゃんと工事をするとどうなるか。


のQ&Aでは下記の通り。

うちで値段を聞いたのは、追い炊きと給湯・浴室乾燥・床暖房の3系統まで使えるもので20号機、定価26万が14万ちょっとでした。
ほかにリモコンや配管カバー、取り付け部材、換気用ふたセットが入ります。旧機械の処理代もかかります。

うちの場合は工事費も入れると25万ほどです。


ということで、まあクーラー並みだ。まとめ買いで一戸当たり20万として26億円。

これに対し県の計算だと、55億÷1万3千戸=42万円ということになる。工事の内容からするとえらく高い。
まして55億と780億ではあまりに違いすぎるが、なんなのだろう?(すみません。42万は物置こみの値段でした。写真で見るとかなりちゃちな物置で5万もしないでしょう。それを差し引けば37万ということになります。それでも相場の1.5倍です)


すみません。戸数間違えました。東海新聞の数字は岩手県の数のようです。
全国の仮設全体では約5万3千戸でした。1戸当たり37万で計算すれば、195億になります。

ところが国の予算では781億円÷5万3千戸=148万円ということになる。つまり、県の段階で2倍近くに吊り上げ、さらに国のレベルで4倍に吊り上げていることになる。

山下議員の2万円という見積りからすれば74倍に膨れ上がったわけだ。誰かが「共産党も反対は出来まい」と思って、悪乗りしているようだ。

と、かように思うのだが、如何でしょう。



三菱重工と日立製作所が火力発電事業を統合することで合意したという。
すでに水力発電事業は統合済み。

今後の電力の柱のうち従来型発電が一本化されることになる。
その先が問題だ。
原発では、三菱が加圧水型で、日立が軽水炉型だ。両者は競合関係にある。しかしそんなことは言っておれん。原発そのものがなくなってしまうことになれば困る。そこで統一戦線を張ろうというのが事業統合の意味だろう。
もう一つは、原発にこだわっていては新エネルギーに立ち遅れる、業界リーダーとしての地位を確保して、新規企業の参入に対抗して行こうということも考えられる。
さらに考えられるのは原発村全体の利益を守るための要請だ。今後の火発はLNGの輸入価格しだいで経営が左右される。買い取り制度が発足し、発送電分離が進んでいけば、安価なLNGを購入できれば、たとえば君津あたりの製鉄会社、精油施設など後発の発電会社でもあっという間にのし上がれる状況がある。
火発プラントそのものの建設費やノウハウはさほどのものではないから、異業種の参入も十分考えられる。

こうなってくると電力会社とプラントメーカーで作ってきた独占体制が根本から揺らぐことになる。まさにお家の一大事だ。

中国の人がyoutubeにベーム指揮ウィーンフィルの「未完成」をアップロードしてくれた。東京の、おそらくは上野の文化会館での演奏のテレビ放送のエアチェック盤だ。
HDでのアップロードで音質もきわめて良好だ。ただ多少音をいじっているようで、高音がかすかにちりちりする。
まず入りの拍手がすごい。食いかからんばかりの拍手だ。これが演奏を規定している。
楽団員のノリがすごい。これが本当のウィーンフィルだぞ!と舞い上がっている。ベームは最初こそいじるが、途中からはもう楽団員に任せている。とくに第二楽章に入ってからがすごい。何か乗り移ったような演奏だ。
いまでこそベームもウィーンフィルも忘れられたような存在になっているが、この未完成は神業的な演奏だ。

数年前に、ヴァントの未完成をテレビで見て以来、他の未完成が聞けなくなってしまった感じだが、これもすごい。ベームといい、ヴァントといい、眦決した日本の聴衆が作らせた一期一会の演奏といえるのではないか。

今や日本のコンサート会場は、世成り名遂げた演奏家にとって、最後の試練の場になっているのかもしれない。もうホロヴィッツのような真似は許されない。

ついでにワルター指揮ニューヨーク・フィルの未完成を聞いてみた。かっては定番中の定番で、ある意味では未完成の演奏の標準だったが、いま聞きなおしてみると、意外なことに、相当力技でオケを引きずり回している。決して楽譜に対して素直な演奏ではない。
リマスターでメチャメチャ音が良くなっているだけに、逆にそれが目立つ。
たしかに名演ではあるが、ベームの東京ライブ盤とヴァントの東京ライブ版を聴いてしまうと、細工ばかりが目立ってしまうのである。それはムーティ指揮ウィーンフィルのCDにも同じことがいえる。
フルトヴェングラーいのちの人を除けば、未完成はこの二つで決まりではないだろうか。

「消費税増税と自民党型政治」という経済面の連載に面白いものがあった。

ちょっと古いが、2009年10月の政府税調での、古谷主税局長の発言である。

これまでの税制改革で、直間比率を設定したうえで税制改革をやったということはありません。所得税や法人税を中心に減税をして、その代わりに消費税を入れたということであろうかと思います


そうだったんですか。
財政硬直化とか税収欠陥とか、大騒ぎしていたのはウソだったんですね。

小泉記者のカイロ電だ。外電頼りの一般紙と違い、赤旗の国際面はこれだけでもとる価値がある。

①27日、反政府武装勢力が北部で政府軍ヘリをミサイルで撃墜。
②28日、北西部のトルコ国境付近で、政府軍のミグ23戦闘機が、地対空ミサイルによって撃墜された。パイロット2人のうち1人が拘束された。

「シリア人権監視団」の発表とのことだが、これがどんな組織かは不明。ただミグをミサイルで落としたというのはきわめて重大だ。ヘリは比較的スピードが遅く、高度も低いので落とせる可能性はある。しかしミグを落とすのはそう簡単ではない。
乾燥地帯のゲリラにとって一番怖いのは飛行機だ。逆に言えば政府軍にとって頼みの綱は航空機しかない。だからSAMのあるなしでゲリラの戦闘力はまったく違ってくる。

エルサルバドルの戦いはまさにその象徴だった。それまで押せ押せムードだったゲリラにとって、84年に大量に導入されたアメリカ製の高性能ヘリは脅威だった。戦線は一気に収縮し、分断され孤立したたたかいを迫られた。
それが88年に入ってゲリラがSAMを入手したことから、がらりと状況は変わる。ヘリや戦闘機がハエでも叩くようにばたばたと落とされ始めた。
そして89年には首都サンサルへの総攻撃にまでいたる。じつはこのSAMはニカラグアが横流ししたものであった。察するに、進まぬ和平に業を煮やしたニカラグアのサンディニスタ政権が、揺さぶりをかけたものと思われる。 これに恐れをなしたアメリカとエルサルバドル政府は停戦に応じるようになった。(拙著「エルサルバドル革命史」を参照されたい)

政府軍の陸上部隊は、航空機の援護がない限り絶対に動こうとはしない。無理強いすれば逃亡するか寝返るだろう。だからもう二、三機墜ちれば勝負は終わると思う。

問題は、トルコがどういう立場から、どういう形で軍事的プレゼンスを示していくかだが、イスラエルは相当ぴりぴりしているだろうと思う。

画期的な判決が出た。
これから定年後の継続雇用が問題になってくるが、企業は継続雇用者をかなり恣意的に選択してきた。これが違法だとの判断だ。
ちょっと難しいが、記事をそのまま引用する。

①継続雇用の基準を満たす労働者は、定年後も雇用継続を期待する合理的理由がある。
②したがって雇用関係は存続していると類推される。
③したがって解雇権乱用法理を類推適用することは相当である。

ようするに、定年後の継続雇用に関して、会社側は“誰を雇って誰を雇わないか”、自分勝手に判断することは出来なくなったということである。裁判は大阪の労働者が起こしたもので、三人の労働組合員だけが継続雇用を拒否されたことに対する訴えである。

これは最高裁第一小法廷の判決であり、確定された判例となる。会社側にとってはかなり辛い判決だろうが、そうなったからには仕方ない。受け入れてもらうほかない。

民主党政権の数少ない置き土産である。

市田書記局長は、論争が非常にうまい人だ。
「小理屈」の鮮やかさは水際立っている。立命館の学生時代、トロとの論争でもまれるなかで身につけたものか。
ラジオ番組に出演し、「大企業・富裕層に負担を求めると海外に行ってしまうのでは」という質問に対し、

海外に逃げようがない庶民に増税をかぶせて、税金を払うのがいやで外国に逃げていくような愛国心のひとかけらもないような人を守るというのは論外ですよ。こんな理不尽な政治を許してはならない。

司会者は「共産党の市田さんから愛国心といわれてびっくり」と応えている。


宇都宮さんが都知事選でがんばっている。しかしメディアは都知事選は黙殺だ。
どのチャンネル見ても都知事選のとの字も出てこない。見事なものだ。

都知事選の構図はこうなっている。
猪瀬候補が自民・公明に維新、宇都宮候補が共産党・社民党に「未来の党」だ。未来の党というのは小沢新党のことだ。官直人も支持している。民主党はなにやら分からない。
組織票では圧倒的に不利だが、政策を対比させて世論調査をやれば、おそらく圧勝だろう。だから権力側としては都知事選挙を話題にしたくないのだ。

日本変革の鍵は東京の知事選が握っている。日本のような議院内閣制度のもとでは、国政を変えるのは、一朝一夕には行かない。大統領選挙のある国とは違う。しかし首長選挙は一発で変えることができる。
日本を変えていくには、東京都知事をとって、東海道ベルト地帯を革新首長で埋めて、地方から国を変えて行くしかない。

むかし言ったではないか「東京が変われば日本が変わる 」と。

その受け皿がようやく東京で出来上がった。それが共産・社民・「未来の党」の「革新共同」 だ。当面は宇都宮さんを個別に支援するだけの関係だが、もしこれが勝利すれば、瞬時のうちに、メディアの攻撃を乗り越えて、国民の「革新共同」への支持は集まるだろう。

日本ハムの吉川投手は過去2年間、一勝も出来なかった。ノミの心臓なのだ。しかし一勝したと思ったら、あれよあれよと勝ち進み、最優秀投手までなってしまった。(日本シリーズではまた弱気の虫が頭をもたげたが)

今の日本、なにかきっかけがあれば一気に行く。原発が良い例だ。
有名人とか若者代表とかの支持声明をどんどん広げる必要があると思う。とにかく東京だけでなく、日本中に雰囲気を作らなくてはだめだ。

フェドセーエフ指揮モスクワ放送交響楽団のブルックナー交響曲第8番を聞いて腰を抜かした。
これはチャイコフスキーの第8番ではないだろうか。というより大序曲1812年だ。
このあいだはケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団の演奏がぶっ飛んでいると書いたが、フェドセーエフの演奏はそういうレベルではない。まったく異次元だ。

悪いといっているのではない。どちらかといえばすごくいい。ブルックナーはこう演奏してほしかったのではないかとさえ思う。
ブルックナーなんてこんなもんよ、と笑い飛ばす声が聞こえてきそうだ。

今朝のラジオで聞いたが、今年の流行語大賞は「ワイルドだぞぉ!」とか言うらしい。
ものすごく音質がいいから、思いっきりボリューム上げて聞いても耳が痛くならない。

それにしても弦の50人がかわいそうだ。

朝のラジオのコマーシャルで、こんなのやってる。
「あのぉ、この店はウィーフィー使えるかな?」
「はぁ?」
「ほら、あのウィーフィーだよ」
「あぁ、ワイファイのことですか?」
たしかリポビタンの宣伝だが、このギャグを聞いて笑えないお父さんも多いだろう。

空港なんかいくと、コーヒースタンドでビジネスマンがモバイル・パソコンをいじっているのを良く見かけるが、あれはネットにつながっているのだろうか。
いつも気になる。

ワイファイスポットというのがあって、そこだとつながるというのだが、どうやってつなぐのだろう。
ワイファイというのをWikipedia で引いてみた。これがとんでもない文章で、最初から最後までちんぷんかんぷんだ。

仕方なくいろいろ調べてみたが、結局分からない。

自宅では無線LANでネットにつながっているから、無線LANは分かる。
「ようするに無線LANのことですよ」といわれると、なお分からない。

以前にも手持ちのラップトップにホテルのLANケーブルを差し込んでみたが、つながらない。
だいたいが、つながるにはIDとかパスワードとか必要ですよね。

ホテルにその数字を聞かなくてはならないのだろうか。ホテルなら聞けば分かるが、駅のコンコースとかでつながるにはどうしたらよいのだろうか。

プロバイダーのページを見ると、何やら契約しなくてはならないみたいだが、どこのプロバイダーなら使えるのか分かるのだろうか。
最近は、周りに若い人がトンといなくなって聞きようもない。

まぁそのうち何とかなるだろう。(といいつつ数年が過ぎている)

製造業人口の落ち込みがひどい。
総務省の労働力調査による数字で、
リーマンショック前の08年7月の製造業の雇用者は1111万人だった。これが今年9月の統計では964万人に減少している。わずか4年間で(1111-964)÷1111=13%強の減少は半端な減り方ではない。職場で8人に一人がいなくなった計算だ。
非正規への切り替えが進んだためかと思ったが、非正規のほうも増えてはいない。だからほぼ純減だ。

大企業への至れり尽くせりの優遇にもかかわらず、空洞化の勢いは歯止めがかからず、むしろ拍車がかかっている。
アメリカの税制の崖が話題になっているが、製造の崖がもうそこまで迫っている。

GDPマイナス3.5%と、この製造業人口マイナス13%という数字は政治の場で大いに議論してもらいたいものだ。経団連の言うままの政治で本当に良いのか、今こそ本気で考えてもらいたい。

緒方副委員長がアジア政党会議で「東アジアの平和のための三原則」を提起している。
①軍事優先主義の放棄
②政経分離の原則の上に立った経済・文化交流の促進
③帝国主義に対する歴史的総括と、その共有

東アジアというなら、おおむねこれでよいと思う。
ただアジア全体ということになると、異なる文明の共存の原則を付け加える必要が出てくるだろう。

③については、たんなる歴史一般ではないという指摘であり、鋭い。
侵略した側とされた側の論理は峻別されなければならない。日本を除くすべての国は侵略された側であり、中国とタイを除けばすべて植民地支配を受けた国である。そして帝国主義への抵抗を通じて、Nation を形成してきた。侵略された痛みとそれを跳ね返した誇りとを共有することが、議論の出発点になるべきだ。
唯一の侵略国である日本にとっては、かなり厳しい総括を要求されることになろうが、避けて通れない課題である。

たにしのページ

貧困と格差の犠牲になっている青年に希望を

というブログに吉田さんの裁判の経過が非常に詳しく載せられている。

元管理職として、違った観点から眺めて見たい。
かたや18年勤め上げ、職場では役付き社員を除けば最古参、生え抜きの女性社員である。
片や本社から送り込まれたやる気満々の総務管理職が居る。おそらくガチンコになったのだろう。
ここまではよくあるパターンだ。
建設業界は構造的不況にある。活路を切り開けと本社でハッパをかけられてきたのだろう。新潟支店の営業状況がどうなのかは良く分からない。

しかし総務管理職が着任して以来、急に残業が増えたことは間違いない。しかも経過から見て、営業成績が上がったために残業が増えたという状況でもなさそうだ。おそらく基礎データの収集に時間をかけようとしたのだろうと思う。
これを当面する主たる業務と考える管理職と、これまでの日常業務に上乗せせざるを得ない現場とのあいだでは、摩擦が生じる可能性がある。

ここから管理職として派遣された社員が、おかしくなってくる。最初は小言程度だったのが、全面的対決になる。職場の最古参だった吉田さんがその標的にされたのであろう。

パワハラは次第にエスカレートし最後には解雇通告にいたる。

ここに至る過程を本社がフォローしていたかどうかがかなり怪しい。
裁判に至る過程を見ると、最初は本社も落ち度を認めるような態度をとった時期があったようである。しかし管理職本人が頑強にそれを否定すると、最終的には管理職者のまるごと擁護に変わっていく。その過程で別ルートからの情報もあったろうし、直接調査に乗り出せば真相は明らかになったはずだ。
そして全労連が介入し、裁判になっていくと、あっさりとは引き下がれなくなってしまう。

こういう経過が思い浮かぶ。ある意味で医事紛争と似たところがあるように思える。

基本的には本社の安易な発想と、無責任な対応が話をここまでこぢらせたといえるのではないか。

地方支店に単騎人材を送り込むときには、本社の側に相当の決意が必要だ。また情報の共有が不可欠だ。まず情報を収集し、その対応策を立てる際には
、「何をどこまでやるのか」という戦略目標をはっきりと示さなければならない。

その前に、口をすっぱくして言っておかなければならないのは、「現場に学べ」という姿勢だ。現場を学ぶことが最重要な情報収集だ。現場というのは指揮官が戦うための武器である。戦闘に出る前に鉄砲の操作を学ばなければならない。

単騎送り込んだ人材が、挫折したり、逆にやりすぎたりすることは、往々にしてある。むしろ当然だ。しかし現場での団結が決定的に壊れるようでは、その人事は失敗といわざるを得ない。

第二に、この管理職の精神状況が明らかにおかしくなっていることに関して、本社に情報が把握されていたとは思えないことである。

だから初期対応が泥縄になってしまい、傷口を大きくしてしまったのであろう。

北海道勤医協の場合、社員・友の会という組織があって、そこから地域の情報が上がってくる。指揮系統とは別に一人ひとりの声を経営に反映できる機構的保障がある。さらに労働組合も並列的に組織されているから、労組のパイプを通じて上がってくる情報もある。

このフィードバック機構は、たしかに往々にして詰まる。幹部が聞く耳持たなければシステムは働かない。しかし大和ハウスにはそもそもそういう機構があるのか、それが問題だろう。

大事なのは勝ち負けではない。今回の事件を通じて明らかになった組織上の欠陥をどう克服して行くのかである。地方支店での内紛は往々にして泥沼化するが、そのほとんどは本社の初期対応のまずさに起因する。

何度も繰り返すようだが、現場主義を貫くこと、これが企業の活力を維持するための鉄則である。むかしクレージー・キャッツの歌で「あんたの息子を信じなさい」というのがあった。私は「あんたの現場を信じなさい」と言い換えたい。
そこには「あんたの知らない明日がある」のだ。

大和ハウスというのはそんなに悪い会社じゃないはずだ。
ホームページを見ると、社是として「人権綱領」というのを掲げている。こんな社是を掲げる会社ってそうはないと思う。そこにはこう書かれている。

従業員の多様性、人格、個性、人権を尊重し、雇用および処遇における差別や個人の尊厳
を傷つける行為(セクシャルハラスメントやパワーハラスメント等)を禁止し、安全で働きやすい職場環境を確保します。

だから、今回の事件は相当衝撃なはずだ。しっかりと再発防止策を打ち出し、それを公開することでさらに信頼は高まると思う。それに期待したい。

赤旗家庭欄に吉田さんのパワハラ裁判における陳述が紹介されている。

何者かが悪評や風聞を一方的に流すことから始まりました。
私の別の人格が作り出されました。
同僚たちの目の前で嫌がらせが行われました。
それは職場の人間関係に楔を打ち込み、私を孤独へと追い詰めました。
上司の激しい嫌がらせのなかで、私自身は何も変わらなくても、周りの同僚がどんどん遠巻きになって行きました。
私は人間不信や自己否定へと追いやられました。
追い討ちをかけるように、上司からの“存在の否定”が続きました。
それは心身を疲労させ、思考は何もかも悪い方向へ向かって流れていきます。
これが“ハラスメントの被害の核”です。

裁判で会社は私を批判する45人の陳述書を出しました。
あるときその1人とばったり出会いました。
彼女は、度重なる強要に負けて、人の書いた文章に署名捺印したものだといいました。
そして「あなたが負けたら自分たちもどうなるか分からないから、がんばって」と言いました。

吉田さんが勤めていたのは大和ハウス新潟支店。22歳から勤めて18年目のことでした。


これほど明白な人権侵害ですが、第一審の東京地裁は請求を棄却しています。高裁で始めて和解に到達しましたが、若い判事たちの人権感覚の低下がかなり気になります。

総選挙に向けての政策が発表された。
総括的なもので経済政策はそれほど詳しくない。

(2)大企業の260兆円の内部留保を、雇用や中小企業に還元します

というあたりが中核となっている。
ここでは8つの項目が挙げられている。
そのうち6項目が雇用・賃金にかかわるもので、残りの二つが「公正・公平な取引のルール」と「中小企業の振興」である。

注文1 緊急策も必要
内部留保を雇用・賃金を通じて国民に還元するというのは、もっともまっとうな方法であることは間違いない。
ただ多少時間がかかる。その多くが立法化措置を必要とするものだからだ。
6項目のうち立法化の必要なものが解雇規制法の新設、労働者派遣法の改正。行政指導である程度いけるがかなりの力技を要するものがリストラの規制、リストラ・アセスメント制度の創設、全国一律最低賃金制の実現。

もう一つは大企業は相当厳しいリストラを行っており、賃上げの恩恵にあずかる労働者の数はけっして多くないことだ。多少の賃上げでは、内部留保の吐出しまでには至らないと思う。

注文2 海外流出の防止との組み合わせが必要
さらにここだけやっていても、企業の海外流出に歯止めはかからないと思う。海外投資への課税や海外資産への課税など海外流出へのペナルティーを強化しないと実効性が乏しくなる。円高防止と称して海外M&Aを奨励するなど、愚の骨頂だ。

注文3 社会保険料負担の正当な取り立てを強調すべき
もう一つが、年金・社会保険料の取り立てだ。非正規・派遣社員であっても実効的に労働実態があれば、それに比例して保険料の企業負担分を支払わせることが 必要だ。これは現行法規の枠内で十分やれることであり、厚労省の裁量一つで決まる話だ。払わなければ脱法行為とみなされ、課徴金の対象となるはずだ。
ただ中小企業にとってはかなり厳しい状況も予測されることから、配慮は必要だろう。

注文4 震災復興債をもう一度提起
一方で、一時力を入れていた「復興債」構想は姿を消してしまった。「復興税」が問題をふくみつつも成立した以上、復興債はもはや不要なのか。私にはまだ有効性は失われていないと思う。“国土強靭化”などはそちらで議論すればよいと思う。
大企業の内部留保からの拠出を前提とした復興債の構想は、復興税との棲み分けもふくめ、もう少し検討してもよいのではないか。


小企業の労働者というと、トラさんの映画の「労働者諸君」を思い出してしまう。サクラと前田吟の夫婦だ。

国税庁の調査で、この10年間に男性労働者の年収が50万円下がっているという。資本金2千万円以下の株式会社に働く男性の年収だ。つまり、そんじょそこらに普通に居る安サラリーマンの年収だ。それが給与所得者のなかの3割を占めているという。

個人企業労働者の下げ率は少し低いが、それはこれ以上きり下げられないからだ。年収315万、ボーナス3ヶ月として1ヶ月21万円だ。これでは食べて行くのがやっとだ。

どういうことかというと、非正規・派遣の労働者は生保基準並みになり、サクラの夫婦は食うのがやっとの生活になり、もう少しましな、ごく普通のサラリーマンは、子供を高校に上げるのさえ難しくなっているということだ。

鯉のぼりの歌

わがみににおや、あのこごと

というのがずっとわからなかった。

気になって調べたら以下の如し。

百瀬(ももせ)の滝を 登りなば
忽(たちま)ち竜に なりぬべき
わが身に似よや 男子(おのこご)と
空に躍るや 鯉のぼり

「き」というのが連体止めなのか、過去形なのかわからない。ネットで調べたら下記の説明があった。

「ぬ」は完了の助動詞で、「べき」は推量の助動詞「べし」の連体形であり、「ぬべし」で強調の意味です。

それはそれとして、「そういっていたんだ」というのがわかった

男子たるもの昇り竜とならんことを、と祈ったんだね

これは明治の精神だね。

田端典子の「春の唄」

老健の入所者に聞かせようと思って、昔の歌をダウンロードしている。

この人たちはだいたい昭和年号と一致した生活を送ってきたんだろうと思う。

子供のころは唱歌か流行歌、物心つくころは軍国歌謡、青春時代はNHK歌謡、30歳頃から民間放送が始まって、歌謡曲がはやり始めた。

総じて、あまり歌には恵まれない世代だったと思う。


ところで、youtubeを漁っているうちにいい歌に出会った。田端典子が歌う童謡「春の唄」である。童謡歌手のなかでは抜群に歌がうまい。女性の声は変声期がないというが、けっこう大人声だ。

ウィキペディアにも田端典子という項目はない。Youtubeのコメントに、1945年1月の生まれとあった。現在68歳だから多分まだ健在だろう。

最初はコロンビア所属だったようだが、伴久美子のB面だった。しかし伴久美子よりはるかに歌はうまい。

そのあとビクターに移ったが、こちらでも古賀さと子のB面だった。画像がいくつかアップされているが、やはりそのあたりが問題だったか、と納得させられる。

youtubeのコメントによると、その後海外留学を経てビクター・レコードに勤務とある。業界には残ったが、普通の人として暮らしたようだ。

やはり、春の唄がよい。曲も良い。おなじ「うらら、うらら」でも山本リンダとは大違いだ。高校時代の下級生の女の子に「うらら」という名前の子がいたが、レコードの出る前の生まれだ。

これは野口雨情の作詞で、本当に良い詩だ。最後が「どなたの顔さへ、みな うらら」となると、どことなしウルッとくる。

youtubeではほかに「雨降りお月」、「花かげ」が聞ける。いずれも良い演奏だ。「雨降りお月」の2番など超絶技巧だ。


この文章は、イラク戦争の謎を解く重要な手がかりを与えてくれた。すなわちイラク戦争はイスラエルのための戦争であったということである。

きわものではない。事実の積み重ねの上での説得力ある理論である。

しかし、その結論は恐ろしい。我々よりもむしろアメリカ人にとって恐ろしい結論であろう。イスラエルのいうままに政策が決まっていく過程も恐ろしいが、それ以上に、アメリカの議会制民主主義が、金銭や圧力の前にまったく無力化しているという事態が恐ろしい。

論述を逆にたどってみよう。論者の根本的な出発点は、「イラク戦争は“アメリカにとって”何だったのだろう」という疑問である。

そしてその結論は、政治学者らしく、「無益だった」ということである。さらに「有害」だった可能性もある。「意味」や「意義」については問わない。

それでは無益だった理由はなんだろうか。論者は「そもそも直接の利害関係がなかったからだ」という。少なくともアメリカという国にとって、兵士の生命と莫大な戦費、国際的な関係悪化と道徳的権威の失墜をかけてまで戦うほどの利害関係はなかった。一部にイラクの石油資源を持ち出す論議があったが、何よりもその後の事実が否定している。

これが第一命題。

それにもかかわらず、アメリカは無益な戦争を仕掛けた。次の疑問は、「アメリカはなぜ無益な戦争を行ったのか」という疑問である。

そして、これに対しても政治学者らしい結論をひきだす。「この戦争が有益だった勢力が存在したから」である。彼らはイラク戦争にたいして死活的な利害関係を持ち、アメリカ政府の政策に対して決定的な影響力を持ち、しかも本質的に非アメリカ的であり、アメリカの国益に対して価値中立である。

これが第二命題。

以下は犯人探しをめぐる多少実証的な検討になる。

一つはイラクをめぐる地政学的状況の分析。ここから21世紀の劈頭において中東で、イラクを叩くことに死活的な有益性を持つのはイスラエル以外にないことが明らかにされる。

ついで時系列的な分析。アメリカに先立ってテロリスト国家論や先制攻撃論などを主導し、実践していたのはイスラエル以外にない。イラクに対する攻撃は、イスラエル政府の主張をほぼ忠実になぞる形で実施されている。さらにシリアに対する攻撃や、イランに対する攻撃を煽っているのもイスラエル以外にない。

ここから、少なくとも「戦争が有益だった勢力」の重要な要素のひとつに、イスラエル政府があるということは確実である。

論者の主張はきわめて鮮明である。

イスラエルとイスラエル系圧力団体からの圧力は、イラク攻撃を決定した唯一の要因ではないが、決定的に重要であった。この戦争は石油のための戦争と 信じている米国人もいるが、その主張を支持する直接的な証拠はほとんどない。そうではなく、この戦争はおおかたのところ、イスラエルをより安全にしたいと いう欲望が動機であった。

そしてこれからが、いわば本題。

我々はこれまでアメリカの戦争政策を牽引したのはブッシュであり、チェイニーであり、ネオコンと呼ばれるグループだと判断してきた。その心理的背景には9.11でアメリカ国民が陥った一種の集団ヒステリー状態があると見てきた。

ネオコンと呼ばれる高級官僚の多くがユダヤ人であることは知っていたが、それがと結びつき、その強い影響を受けながら活動していたことは知らなかった。ユダヤ系社会がアメリカのなかで強い影響力を持っていることは聞いていたが、これほどまでの政治力を有しているという認識はなかった。

そこでもう一つの疑問、「イスラエルはアメリカの政策を決める力を持っているのか」ということだ。答えは「然り」だが、いくつかの条件がつく。

まず正確には、アメリカの政策を決める力を持っているのは、イスラエル政府そのものではない。全体としてのアメリカのユダヤ系社会でもない。それはイスラエル系圧力団体の力である。

もう一つは、国家の政策のすべてに決定力を持っているかといえば、もちろんそうではない。中東問題、それもイスラエルの利益が絡む問題についてのみである。

だから正確に言うと、「イスラエル系圧力団体は、イスラエルの利害が絡む問題について、アメリカの政策を決める力を持っている」ということになる。

多くのアメリカ人にとっては、イスラエルもパレスチナも、「直接の利害はない」、いわばどうでも良い問題である。だから平均的アメリカ人を代表する議員は、一生懸命圧力もかけ、金も出してくる団体に対しては寛容になる。札束を口に押し込まれて余儀なくされる沈黙は、心地よいものである。

ただ今回は、たまたま中東全体の問題に拡大しまい、若者が戦地に送られ、国家財政が破綻に追い込まれてしまっただけなのだ。

巷で言われるような、「ユダヤ人は金持ちだ」とか「ユダヤ人の投票率が高い」とか言うようなことは、アメリカのユダヤ系社会の影響力を説明するものであったとしても、イスラエル系圧力団体の力を説明するものではない。イラク戦争が始まったときユダヤ系のイラク戦争への支持は52%だった。これは国民全体の支持率62%より低いのである。

むしろ創価学会とか部落解放同盟のようなイメージを抱いた方がわかりやすい。農協のような利益代表的な圧力団体ではなく、思想性の強い圧力団体と考えるべきであろう。

 

イラク戦争後の動き

シリアを付け狙う

①イラク政府が崩壊すると、イスラエルは米国政府に対してシリアを標的にするよう催促し始めた。ウォルフウィッツは「シリアでの政権転換は必ず行われねばならない」と宣言した。

②米議会はこれに熱心に反応した。反シリア法案は圧倒的多数(下院では398対4、上院では89対4)で可決された。もしイスラエル系圧力団体が存在しなかったならば、シリア実施責任法は存在しなかったろう。

③CIAや国務省はこの考えに反対であった。ブッシュ大統領はその執行は慎重に行うと強調した。

④シリア政府はアメリカに協力した。アル・カイーダに関する重要な情報を提供し続け、国連決議第1441号に賛成さえした。シリア自体は米国にとって何ら脅威ではなかった。

 

イランに照準を合わせる

①イスラエル人はあらゆる脅威を最も硬直した言葉で表現するが、イランは彼らにとって最も危険な敵であると広く認識されている。それは、核兵器を持つ可能性が最も高いためである。彼らは「もしイランが核の道を進み続けるならば先制攻撃を行う可能性がある」と警告している。

②イランの核武装は米国への直接的脅威にはならない。米国が核武装したソ連や核武装した中国、更には核武装した北朝鮮とすら共存できたのであれば、米国は核武装したイランとも共存できる。

③イスラエル系圧力団体が存在しないならば、予防的戦争は重要な選択枝にはならないであろう。

 

まとめ

これらのイスラエル系圧力団体の努力が成功するならば、イスラエルの敵は弱体化するかあるいは転覆させられる。そして米国は戦闘と戦死者と再建と支出の大部分を引き受けることになる。

もし米国がますます先鋭化するアラブとイスラム世界との争いに巻き込まれたとしても、イスラエルは結局保護されることになる。それは、米国政府がイスラエルと距離を置く政策よりも好ましい事は明らかである。

 

結論 イスラエル系圧力団体の勢力を抑制することはできるのか?

「イ スラエルには、多くが主張するような米国にとっての戦略的価値はない。冷戦時代にはあったかもしれないが、冷戦後においては負債としての側面が大きくなり つつある」「イスラエルの厳しいパレスチナ政策を無条件に支持してきたことによって、世界中で反米主義が高まり、テロの懸念も増した。欧州、中東、アジア の重要な同盟国との関係にも亀裂をもたらした」 

イスラエル系圧力団体から距離を置き、より広汎な米国の国益により合致した中東政策を採用する。米国の力を用いてイスラエルとパレスチナの間に公平な平和を達成することは、この地域の民主主義の運動を増進させる助けになる。

その様なことは近い内には起きないだろう。AIPACとキリスト教シオニストは圧力団体の世界で重大な敵を持たない。米国の政治家は引き続き政治的圧力に非常に敏感であり、イスラエル系圧力団体を受け入れ続けるだろう。主要な報道機関はイスラエルに同情的であり続けるだろう。

 

それは何をもたらすだろうか

①イスラエル系圧力団体は、イスラエルとパレスチナの紛争を終結させることを不可能にしており、急進的イスラム主義に貢献しており、結果としてテロリストの危険性を増加させている。

②イスラエル系圧力団体がイランとシリアの政権転覆を求めれば、それは米国をもうひとつの戦争に導く可能性がある。それは悲惨な結果になりかねない。

③倫理的に見るならば、米国はイスラエルの占領地域への拡張政策の事実上の成功要因となっている。その結果、パレスチナ人に対して犯される犯罪の共謀者になっている。アメリカが人権を尊重するように要求するとき、それは偽善であり、米国が核兵器の拡散を制限しようとする努力も偽善とみなされる。

④イスラエル系圧力団体がイスラエルに関する論争を抑制することは民主主義にとって不健全である。彼らは、ブラックリストと不買運動で懐疑論者を沈黙させ、批判者は反セム主義であると糾弾することで議論を抑圧している。民主主義が頼みとする米国議会がその犠牲となっている。

⑤最後に、イスラエル系圧力団体の活動は、イスラエル自身の健全な民主主義や解決能力の発展を阻害している。イスラエルはオスロ合意を即座に完全に履行する機会を失ってしまった。イスラエルはパレスチナ人の正当な政治的権利を否定することで、より不安定になった。

 

しかし希望の光は存在する。イスラエル系圧力団体が強すぎることの弊害はますます隠せなくなっている。真実を永遠に無視することは出来ない。必要なことは、開かれた率直な議論である。

 

<終>

ブッシュ政権とイスラエル

悪霊として描かれるパレスチナ人

①9.11以前のブッシュ政権は、アラブ世界の反米感情を減少させるほうに比重を置いていた。占領地域での拡張主義者政策を停止させ、パレスチナ国家の創設を提唱した。

②しかし、米国政府は結局イスラエルを支援することになった。方向転換の主な理由は、イスラエル系圧力団体のロビー活動と、キリスト教福音主義者たちの同調だ。議会がブッシュを攻撃した。こうしてイスラエル軍は防衛障壁作戦に着手し、ブッシュはシャロンを「平和の人物」であると持ち上げた。イスラエルとの交渉に当たったパウエルはハシゴを外された。

③孤立したアッバス議長の力は弱体化し、これに代わりハマスが勢力を伸ばした。ハマスが権力の座に就くことで、イスラエルは交渉しないためのもう一つの言い訳ができた。シャロンはブッシュを「自分の小さな手のひらで包み込んだ」(スコウクロフト)

 

イスラエルとイラク戦争

イスラエルとイスラエル系圧力団体からの圧力は、イラク攻撃を決定した唯一の要因ではないが、決定的に重要であった。この戦争は石油のための戦争と信じている米国人もいるが、その主張を支持する直接的な証拠はほとんどない。そうではなく、この戦争はおおかたのところ、イスラエルをより安全にしたいという欲望が動機であった。

①フィリップ=ゼリコフ(政府高官)は、「イラクからの“真の脅威”は米国にとっては脅威ではなかった。この“公表されない脅威”は“イスラエルに対する脅威”であった」と語っている。

②米国のユダヤ系共同体全体はイラク侵略を望んでいなかった。全国規模の世論調査によれば、ユダヤ系のイラク戦争への支持は52%だった。これは国民全体の支持率62%に比べ、むしろ低い数字である。イラクでの戦争の責任を「ユダヤ人の影響」のせいにするのは明らかに間違いだ。

③いっぽう、新保守主義者たちはブッシュが大統領になる以前からサダムを打倒することを決意していた。9.11の直後、ウォルフウィッツはアフガニスタンの前にイラクを攻撃することを提唱した。ブッシュは彼の忠告を拒否した。しかしこの陰謀にチェイニーが乗ったことで戦争は不可避になった。

 

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