鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2012年11月

オバマ再選で、一番頭を抱えているのは米倉会長ではないだろうか。
日米同盟路線はいわば日本独占資本の錦の御旗であった。
90年代の半導体での譲歩は、してはならない譲歩だった。ここで操を売った日本財界はひたすらアメリカに寄り添おうとする。しかしアメリカは日本にいささかアキが来ている。日本の日米同盟路線を「悪女の深情け」とうとましく感じている。
日本のヒモであるアメリカは「稼ぎが足りない、もっと出せ」とせっつくが、もう日本には売り物はない。
TPPは日本の最後の売り物であると同時に、反中国路線の証しでもある。しかしアメリカは中国と事を構えるつもりはない。「事を構える」ふりをして、日本からさらにたかろうとするだけである。
「遊女」路線はアメリカからも、中国からも、そしてお膝元の日本からも総すかんを食らいつつある。しかし遊女にはなぜ自分が責められるのかが分からない。女の操は切ないほどに尽くしている。引き続き稼ぎはせっせと貢いでいる。反中国という操は守っている。
たとえ輸出額が半減しようとも、それは主への忠誠の証し。

彼らはここで思考停止している。オバマは間違いなく、頭越しに中国との関係を改善するであろう。もう金を吸い尽くした日本に未練はこれっぽっちもない。彼らはどんなに落ちぶれてもアメリカへの操を守り続けるであろう。

要するになめているのである。それが分からぬのか経団連よ!

どうやら「ゲバラ最後の戦い」の年表の改訂作業が一段落しました。
なんだかんだと2週間くらいかかりました。やはり、滅茶苦茶に面白い(読む人には面白くないかもしれませんが)
とくに、最後のシーンがいい。ポンボら4人がアンデスを越えて砂漠を越えてアリカという街にたどり着いたとき、彼らを迎えたのがアジェンデだった。そして用意した船に乗ってタヒチへと脱出する。
まるでハリウッド映画のラストシーンだ。アジェンデと肩を並べ船から望むアタカマの砂漠、そのはるか奥に雪をいただいたアンデスの山並み、その向こうがゲバラたち40名を失ったボリビアの高原…
もう絵ですね。

むかし笛吹童子も紅孔雀も全5巻だった。それに倣って全五巻の映画を作るとする。

第一巻はゲバラのラパス入りまでだ。コンゴの戦いの中で作られた友情、タニアが東ドイツから来て、やがてスパイの訓練を受けた末にラパスに潜入するエピソード、12人の戦士が選抜されて、ピナルデルリオの山中で2ヶ月にわたり猛特訓を受けるエピソード、そして勇躍ボリビアへと飛び立つところで終わる。

第二巻は、冒頭にフィデルがチェの最後の手紙を読み上げるシーンから始まる。そしてビジネスマンに変装したゲバラが、ラパスの空港に降り立ち、おもむろに葉巻に火をつけるシーンがある。そのあとボリビア共産党との悶着、フレディ前村らボリビア人ゲリラの到着、モイセス・ゲバラの組織した現地兵士の到着、部隊の厳しい訓練、そしてタニアとドブレらの到着が次々と積み重ねられる。ゲリラ兵士の超人的能力、タニアの上流社会での活躍が彩りを添えると同時に、裏切り者となる兵士たちの動揺がフィーチャーされる。

第三巻は、裏切り兵士が走る場面からだ。ゲリラの存在を知った政府軍が部隊を送り、戦闘となるが、ここで迎え撃つゲリラ兵士の超人的能力が徹底的に押し出される。場面は一転してCIAのあわただしい動き、南米のなかでも僻地とみなされていたボリビアだが、相手がゲバラとあっては手は抜かないぞと、全面介入の動きを見せる。ナパームによる攻撃やレンジャー部隊の投入など、ベトナム戦争並みの構えで望んだ。
これはゲバラの最大の誤算だった。ゲリラは日に日に追い詰められ、8月31日ついに後衛隊が全滅する。その最後はまちがいなく絵になる。

第四巻は、ゲバラの最後だ。モロコス村で歯医者を演じたゲバラが最初のシーンだ。それから長躯サンタクルスとコチャバンバを結ぶ国道まで進出し、鮮やかな奇襲で街を一時占拠する。ここが戦いの絶頂だ。この後徐々に退却を迫られ、仲間たちが次々に失われていく。最後はウィリーとともに壮絶な戦いとなり、捕らえられ射殺される。キリストのような死に顔が幾度となく強調される。

第五巻はハリー・ビジェガスらの逃亡劇だ。この巻は一つのストーリーを作るのには資料が少なすぎる。しかしどうしてもこの巻が必要だ。ほしいのはコチャバンバに到達した連中がどうやって仲間と連絡をとったのか、それがハバナにどうやってつながり、アジェンデの登場と相成ったかだ。
私はボリビアに行くまではチュキサカ県スクレがもっとも魅力的な町だと思っていた。今もある意味ではそう思っているが、いま一番旬の街はスクレではなくコチャバンバである。
高地で仕事にあぶれた人たちが、山を下ってコチャバンバに流れ込んでいる。そしてボリビア革命の原動力となっている。政府の活動家たちの多くがコチャバンバの出身である。それにしてもあのムチャーチャ、可愛かった。

もう一つ印象的なのがインティ・ペレードとの別れの場面だ。生き残った5人のうち3人がキューバ人、彼らは国に帰る。インティは間違いなく死が待つこの国に残る。(69年9月に殺害された)
インティの別れの言葉「我々はふたたび山に登る」は、翌年キューバで発表された。それは深い感銘を残す。それは全5巻の映画のエンディング・テーマになるだろう。

もう立派な映画じゃないですか。これ以上感想を述べる必要はなさそう。


不思議なことに、赤旗ではほとんど触れられていないが、11月3日から日米合同軍事演習“Keen sword(鋭敏な剣)がスタートした。

軍事演習だから当たり前かもしれないが、それにしても「鋭敏な剣」とは挑発的である。

この演習で驚くのは、その規模である。

日本側からは3万7000人の自衛隊員が参加し、米側からは1万人が参加している。演習海域には空母まで出動している。これだけの規模の軍事演習は昨今行なわれていないという。

これだけの規模を持って対抗すべき仮想敵国は、誰が見ても中国である。

中国をぴりぴりさせているのは、その規模だけではなく演習の内容にある。

「ロシアの声」はこう解説している。

当初、軍事演習のシナリオは仮想の敵に襲われた無人島の解放作戦を練ることを想定したものだった。ところがこれが煽動して、懸案の島へ中国が、たとえばパラシュート部隊を降下させるなどの決定的行動をとりかねないことを危惧した日米は、この項目を演習計画からはずした。

まさに瀬戸際の挑発である。

このところ、米日支配層はオスプレーを地元の一致した反対を押し切って普天間配置したりするなど、強硬姿勢が目立っている。あいつぐ米兵暴行事件も、兵士のぴりぴりした緊張感の現われなのかもしれない。

ぴりぴりしているのは中国も同様である。

「ロシアの声」は、「中国青年报」に掲載された記事に注目している。

「沖縄以南の諸島の解放作戦」が演習項目からはずされたのは、中国が軍事行為に出る姿勢を示したからである。

つまり、「無人島解放作戦」が外されたのは、米日軍当局の「熟慮」の結果ではなく、何らかの軍事行動のシグナルを中国側が発したためと推測される。

私は良く知らないが、中国共産党の機関紙「人民日報」と違い、一般新聞にはそれぞれ強みがあって、なかには軍関係の情報が強く反映されるものもあるのであろう。

いずれにせよ、我々の知らない背後できわめて危険な動きが進行していることを忘れてはならないだろう。


すみません。知りませんでした。Keen Sward は1986年以来、毎年続けられている日米合同演習でした。

「演習は米統合参謀本部議長が発起する、米軍においても位置づけの高い演習」だそうです。


今回の演習については、さすが産経がしっかりフォローしています。しっかりフォローしていますが、中身はとんでもない。

10月21日の記事では「米政府もビビる奪還訓練」と題され、米政府からの外圧で訓練が変更になったとしている。

防衛省にとって想定外だったのは米政府からの外圧で、ある情報が伝わってきた。「国務省は訓練自体を中止にしろと主張している」

訓練による刺激を嫌う国務省のスタンスは容易に想像できるが、「訓練中止」まで求めてきたことに防衛省内では衝撃が走った。

それが、11月3日の記事ではまったく様相が異なる。

岡田氏、中国に配慮「決定は駄目だ」というのが主見出しで、脇見出しには「首相も追認、米は強い不快感」となる。

産経の愛読者もあっけに取られただろう。どちらかが正しければ、もう一方はウソというくらいにおかしい。

それでどちらがウソっぽいかといえば、後の記事である。そんなこと副首相の一存で決められますか。かりそめにも「米統合参謀本部議長が発起」する作戦ですよ。田舎大学の許認可じゃあるまいし…。

読売のiPS治療は騙されたんだが、こちらは騙そうと思って書いている。その分たちが悪い。書いた記者は相当後味悪かっただろう。本来なら辞表を叩きつけるべきところだ。

ちなみに「無人島解放作戦」中止の第一報はニューヨークタイムズである。

大統領選の投票が始まった。
おおかたの報道では、まれに見る接戦で、勝負の行方は混沌としているという。
しかし記事の中身を見れば、オバマ優位は明白である。
「大接戦」にして面白おかしく報道して、視聴率を稼ごうというのがマスコミの手口ではないか。
もう一つは両陣営の中傷合戦で、選挙民はうんざりしているという報道。これも選挙戦終盤にはよくある切り口だ。
本質的には中傷合戦ではなく、ロムニーが一方的にオバマを中傷しているに過ぎない。
我々もかつて威勢のいいときは経験したものだ。都庁に赤旗が立つ、とかソ連が攻め込んでくるとか、中国から金をもらっているとか、自由が失われるとか、半端でないアカ攻撃である。
これに対して必要な反論をすれば、マスコミは「みにくい中傷合戦」といって革新勢力を叩くのである。

今回の選挙の特徴は、ティーパーティーなど超保守白人勢力と、大富豪層が連合を組んだことにある。世界を牛耳るアメリカの金融独占は、自らの権利を守るためには悪魔とさえ手を組むことを示した。“Anyone but Obama”である。

彼らのオバマ攻撃は狂信的な右翼の主張と機を一にしている。そして前代未聞の選挙資金をもって、非常識なデマを大量に垂れ流していることにある。それが、本来であればゴールドウォーター並みの泡沫候補であるロムニーを押し上げている。

それはある意味で、彼らが追い詰められていることの裏返しでもある。世界的に投機資本の妄動に対する批判が高まり、規制の動きが強まっている。これは歴史の流れである。

選挙の結果如何にかかわらず、この大企業=狂信右翼連合がどういう方向に動いていくのか、これがアメリカの政治動向を決めるだろう。といってもこの連合が持続するとは思えないが。

京都教育大学で発達障害学を教えている丸山啓史さんというかたが、赤旗に寄稿されている。
話は現代教育の批判から始まる。おおかたは正しいのだが、納得できないことが二つある。
ひとつは、「成長・発展ばかりを評価しようとする発想を根本的に問い直す必要があるのではないか」という点。

丸山氏は自らの教育実践を以下のように位置づける。
障害のある子供の発達保障をめざすなかで、私たちは、気持ちの育ちや主体性の広がりに目を向け、子供の内面を見つめようとすることを大切にしてきた

これは「子供を全面的に見て行こう」という働きかける側の視点だ。
しかし、それでも究極は「気持ちの育ちや主体性の広がり」、すなわち成長と発展に収斂しているのではないか。

絶え間なき「向上心」は、日本人の悪い癖なのかもしれない。それが障害児を追い詰めているのなら反省しなければならないのかもしれない。
ただ外国人を見ていると、「少しくらい向上心持てよ」といいたくなる場面も少なからずある。


もうひとつは、「畳に寝転んで窓の外をただ眺めること、コタツに足を突っ込んでたわいないおしゃべりをすること」も教育という範疇のなかに取り込もうとする点。

私が子供の立場だったら、障害児の場合特殊性はあるのだろうが、一人でボケッとしているあいだくらい、教師の眼からは逃れたい。その目線があったかろうが冷たかろうが、だ。「好きにさせてくれ」(Leave me alone)と言いたい。


学校の効能は二つある。知識や技術の伝授と、学問的刺激だ。学問的刺激は主に教師よりも仲間や、時によってはライバルから与えられる。

そして具体的には職業につくための力量を身につけることにある。それはたんなる「目先の目標」ではない。仕事こそが人間の本質的な力を生み出すのだからだ。

当たり前だが、どうも最近ここが曖昧になっている。
私人というのはよりよく生きることを目的とする人格である。
法人というのは利益を生み出すことを究極の目的とする人格である。多様性は認められない。

当然税法上の扱いは異なってくる。人権の保障は絶対的だが、法人の権利は人権の許容する範囲での相対的なものである。
政策的に優遇されることもありうるのである。したがって法人税が所得税より安くてもいいのだ。
逆に必要なら高くても良いのである。何か税法の原理に反するような言い方をするが、それはおかしい。

「シューマンの主題による変奏曲」という曲がyoutubeで聞ける。
ブラームスの作品9に当たる。三つのソナタを発表したあと、4つのバラード(作品10)の一つ前ということになる。
ジュリアス・カッチェンの演奏だ。ビニル盤をオーディオで再生して、MP4ファイルにしてアップしたものらしい。音はくぐもっていて、思いっきり地味だ。
たしかにシューマンの趣はうかがえるが、率直にいって駄作だ。ひらめきがない。シューマンというのは飛翔するロマンだが、ブラームスには飛翔が一番苦手だ。
飛べない人が跳ぼうとするからぶざまになる。逆上がりができない子のようだ。

変奏曲はヘンデル変奏曲、パガニーニ変奏曲があるが、いずれもこけおどしで面白くない。三つのソナタもリスト張りで、後年の間奏曲とはまったく趣が異なる。

ただ、初期ブラームスはツィメルマンで聴いて見ないと良悪の判断はできない。

ドイツで派遣労働者の賃金が引き上げられた。最賃は1時間8.19ユーロとなった。これは日本円で850円となる。
ここまでは、そんなものかねぇ、という感じ。
ここからが違う。9ヶ月以上働くと、12.29ユーロに跳ね上がる。正規労働者が時間当たり換算で13.39ユーロだから、ほぼ並ぶことになる。1300円と見て月収30万にはなるだろう。(記事が複雑なため、多少単純化しています)
もちろん、社会保障その他で大差があるのだろうが、これだけあれば共稼ぎで何とかやっていけるだろう。

ご多分にもれず、ドイツでも派遣労働者の数は増え続けている。その数100万人と見られている。原則的には同一労働同一賃金だが、企業は法の網をかいくぐって、低賃金を押し付けてきた。

それがEU諸国から「ドイツは国際競争力をつけるために労働者の賃金を抑制している」との非難を受けることになったのだ。

低賃金を押し付ければ、競争力の弱いほかの国は、さらに劣悪な労働条件を押し付けられるわけで、負の連鎖が進み、ドイツの富豪だけが肥え太る構造が強化されるだけだ。

日本でも、この状況は基本的には変わっていない。ただ日本は労働者を絞りすぎたために、自国の経済さえ悪くしてしまった。そしてマーケットをもとめ海外進出し、さらに空洞化を推し進めたわけだ。

議会と政治によるチェックが働いていないことが決定的な差だろう。

日本シリーズは異様な内容だった。勝負そのものははっきりしていて異論はない。吉川の連続KOがすべてだった。しかし日本シリーズまで連れてきてくれた吉川に文句を言う筋合いはない。こういう巡り会わせだったと観念するほかない。

内角攻めはOKだが、巨人のバッテリーは明らかに当てるつもりで投げた。少なくとも当てるくらいのつもりで内角を攻めた。中軸打者二人が怪我をした。骨折でなくてよかったが、折れても不思議ない当て方だった。楊、中田は力が出しきれずに終わった(最後に1本打ったけど)。

それにもかかわらず、ファイターズは抗議もせず冷静にプレーした。報復もしなかった。かなり阿部には内角攻めしたが、武田勝のボールでは、当たっても蚊に刺されたようなものだ。
試合後のヒーローインタビューでも、沢村は「してやったり」という雰囲気で、済まないとか言うような気分はまったく感じられなかった。

加藤選手の危険球演技も、まったくいただけない。ベンチは「良くやった」と思っているのだろうか。

野球は、少なくとも日本のプロ野球はサッカーではない。サッカーでシミュレーションやればレッドカードだが、それはやる奴がいるからである。野球に罰則はない。誰もしないからである。

栗山監督の抗議は正当だったが、深追いはしなかった。何事もなかったように試合は続行された。結果は惨敗だった。

いまや巨人軍には、「勝つためには手段を選ばない」というナベツネイズムが、末端までしみこんでいる。殴ることなどなんとも思っていない。日本を代表するようなプロ野球選手であれば、ジェントルマンであるべきだ。

小久保選手の最後の試合で、胴上げに加わったファイターズとの違いは明らかだ。
「勝ちたい」気持ちは誰もが持っているが、それ以上に「いい試合をしたい」という意味ではみんな野球仲間だ。さらにファンともども、野球を愛し、発展させたいというのが最大公約数だろう。

野球を国民的スポーツとして発展させる意味で、日本プロ野球機構はフェアプレー賞を設けるべきだと思う。そしてファイターズにフェアプレー賞を授与すべきだろうと思う。誰かを罰するよりはるかにポジティブだ。

直後に長野に死球が当てられて、観客が拍手したといって非難するやつがいるようだが、はばかりながらファイターズ・ファンはそんなけちなことはしない。

加藤選手へのブーイングは、ファイターズ・ファンとしてではなく、野球選手の道を踏み外したことへのブーイングだ。巨人ファンもブーイングすべきものだ。

一言言うなら、「カニは自分の甲羅に似せて穴を掘る」ということだ。

みなさん、ベトナムに行ったら絶対クチのトンネルを走らなくてはいけない。
サイゴン北西部の丘陵地帯にある。ベトナム戦争のときは鉄の三角地帯と呼ばれた。穴は見つかればつぶされ、見つからなくてもじゅうたん爆撃でつぶされ、1万人以上が生き埋めになって死んだ。
贅肉の着いた体には入り口の穴はかなり窮屈だ。入ったら出られないのではないかと、恐怖心が襲う。ガイドに押し込められるようにして中にもぐりこむ、真っ暗で狭い。
体中からアドレナリンが噴き出す。
ガイドの声を頼りに進む。空気が薄い。心臓がバクバク音を立て始める。ガイドの足は速い。あっという間に遠ざかる。このまま置き去りにされてなるものかと、歩を速める。
ひざががくがくし始めて、もうだめかと思う頃に、行く先がほの明るくなる。やっと日のあたる場所に出たときは、目から涙、鼻から鼻水、口からヨダレと無残かつ無様な有様だ。小便ちびらないだけまだましか。
あのトンネル潜ったら、誰でも反戦主義者になる。しかし民族主義者にもなる。安倍晋三にはぜひ一度経験させたい。

連中は夏の関西キャンペーンに続き、明らかに北海道に狙いを定めたようだ。
「大変だ!」キャンペーンは、NHKだけではなかった。

10月23日付・読売社説 「冬の電力需給 北海道の停電は命にかかわる」
…酷使した火力発電所のトラブルが増え、60万キロ・ワット前後の出力喪失も、たびたび発生している
…泊原発を再稼働すれば電力不足を解消できる
…安全を確認できた原発を順次、再稼働していかないと、国富の流出に歯止めがかからない

“60万キロの出力喪失”が“たびたび発生している”というのはウソだろう。これは一つの火発が完全停止するレベルだ。そのような「事故」は発生していない。

そして結局は金だ。連中は命と金を秤にかけることに対して何のためらいもない。

関西電力の戦術を見ると、最終的に再稼動申請を出してくるのは12月初めだろう。そこまでの勝負だ。


10月24日のNHKニュースで、突如下記の報道が行われた。

この冬の電力の需給状況を検証する政府の委員会の会合が開かれ、電力不足が懸念されている北海道電力管内では、過去5年間で最も出力が低下した際と同じ規模のトラブルが火力発電所で起きた場合、最悪で7.7%の電力不足に陥る可能性があるなどとした試算が示されました。

重大なニュースの割にはソースの曖昧な内容だ。「政府の委員会」とはなんだ。「試算を示した」のは誰だ。NHKがどういう基準で報道を決めたのかが問われる。

最悪で7.7%というのは、夏の関西電力のときの数字になぜか似ている。これは後でデマだったことが明らかになったが、夏季限定と思いきや、関西電力は稼動を中止する動きはまったくない。

この報道と関連して、共産党などが北電に問いただした記事が赤旗道内版に掲載されている。

北電は夏も「止まる止まる」と脅し続けたが、実は苫東厚真火発を大規模改修のため止めていた。これが70万キロワットだ。これがそっくり余力として冬には上乗せされる。

これがないとたしかに40万キロほど不足はするが、予想最大需要は560万キロワットとかなり過大に見積もられている。
企業・市民の節電で、この夏は消費電力500万キロワット前後に抑えられており、7.7%不足という数字には根拠がない。もしあるとすれば苫東厚真の全面停止ということなのだろうが。

それにしても、NHKの報道、その後の報道がないようだ。あまりに無責任と言わざるを得ない。

日経にはもう少し正確な記事が載っている。2012/10/24

冬の電力需給、全国で予備率3%以上確保 政府の検証委

 政府は、今冬の電力見通しについて、「需給検証委員会」を開いた。

報告書案は電力の予備率3%を全国で確保できる見通しとし、焦点の北海道電力管内でも、2月の最大需要時でプラス5.8%とした。一方で トラブルに備えた対策が必要と強調した。

 政府は需給検証委の報告を踏まえ、冬の節電対策を決める。北海道は5~10%程度の節電目標となっている。さらに「計画停電を含む非常事態が生じるリスクを最大限抑えることが必要」との見解を明らかにした。

これと同じニュースソースから、NHKは例のニュース原稿を書いたことになる。意図が感じられる。

志位さんの質問でもう一つ驚いたのが「ロックアウト解雇」という方式。
日本IBM社が生み出した方式という。かつては悪質な労働法規破りの常習犯としてインスタントコーヒーのネスレが有名だった。外資系はやることがきつい。
志位さんの質問によると、

ある日、終業時刻の15分前に、人事担当者からいきなり解雇通告が読み上げられ、「今日の終業時刻までに私物をまとめて帰れ。明日からは出社禁止だ」と告げられ、同僚がまだ仕事を続ける中、上司の監視を受けながら私物の整理をさせられ、それ以来、一歩も職場に入れない状態となりました。

これが事実とすれば、まさしく「悪夢」だ。
労働基本法、というより憲法に対するあからさまな違反だが、最近の労働紛争に関する裁判をみると、どうも裁判所はこれらの措置を容認しているようだ。アメリカあたりでは慣習化しているのだろうか。

たしかに上司としては、「てめぇなんかクビだ。とっとと荷物まとめて出て行け。もう二度と俺の前に顔出すな」と啖呵を切ってみたくもなること、一度ならずあるとは思うが、ことは個別の案件ではない。

日本IBMはこれを方式化しているというから、日本の行政・司法もなめられたものである。

歴代パソコンはIBMと決めていて、我が家に4台が現役だが、いまは Lenovo だから関係ない。「とっとと荷物まとめて出て行け」というのはこちらのセリフだ。


恥ずかしいと思わないのか、
復興予算のなかから大企業が2356億円をネコババした。
志位委員長の代表質問で知ったのだが、復興予算というのは被災地復興のために、国民が負担しましょうということで建てられた予算だ。
国民は被災地のために、通常の税金のほかに25年間、所得税と住民税に上乗せして税を払うことになっている。このことについて異存はない。いわば「特別カンパ」であり、国民一人ひとりの善意の証しだ。
だから腹が立つのである。
先日は官庁のネコババについて怒りが殺到した。熊本の自衛隊の宿舎の風呂の修繕費が復興予算で賄われるというのには開いた口がふさがらなかった。しかし、考えてみれば、そんなことは細かいことだ。自衛隊さんご苦労さんでした、というなら眼をつぶらないでもない。
しかし、大企業が復興予算からネコババするのは許せない。
実名が上がっている。トヨタ、キヤノン、三菱電機、京セラ、東芝などだ。経団連や経済同友会の幹部企業ではないか。たしかトヨタは東北に工場を作り雇用を創出するといっていたので、理解できないでもないが、他の企業は何をしたというのだろうか。東芝など、原発事故の戦犯企業ではないか。

どうしてこのような仕儀に相成ったのか、志位委員長は「復興基本法」そのものに問題があると指摘している。流用を許すカラクリが埋め込まれているというのだ。

昨年6月に「復興基本法」が制定されたときに、民主・自民・公明三党の談合で法案が書き換えられ、「被災地域の復興」という当初案を「東日本大震災からの復興」と書き換えて、被災地域という限定を外した。
その上で、当初案になかった「活力ある日本の再生」という文言を目的に追加した、という問題があります。


これで「国内立地補助金」という項目が計上できるようになったということだ。

結局政界、官界、財界がつるんで、「みんなで渡れば怖くない」式に、いっせいにネコババ活動にいそしんだというわけだ。この集団心理が怖い。一人ひとりは、被災地のことを真剣に考えていただろうし、相応の義捐金も払ったと思う。それがこういう機構の中ではいつの間にか良心が麻痺して、こういう卑劣なことまで平然と行うようになる。

やはり大元は非国民、米倉会長だろう。「香典泥棒」まがいもいとわない卑劣なことを考えつくのは彼しかいない。


事実は余りあるほどあるが、理屈が分からない。

80年代後期のバブルの原因が、説明がつかないのだ。形態的分析はそれほど面倒ではない。金融政策や為替政策である程度説明はつく。

しかし、それは実体的な富の移動を説明しない。

犯人は複数で挙がっている。アメリカの強制による金融規制緩和、プラザ合意、日銀の一連の動き、前川レポート。しかし主犯が誰なのかがはっきりしない。
もう一つは金が結局どこに消えたのか、額面でなく、実体としての富が誰のフトコロに入ったのかが分からない。

これをめぐっての推理もたくさんある。しかし、抽象的な問題ではなくお金の問題なのに、コンセンサスの範囲がきわめて狭い。
おそらく現場のエコノミストには、近すぎて全体像が見えないのに、細部があまりにもクッキリと見えすぎるためなのではないか。そのために、結果として「群盲象をなでる」ような状況が生まれているのではないか。
あまり金融畑の人がでしゃばらずに、実体経済のマクロ指標でコンセンサスを積み上げなら議論を進めるべきではないだろうか。

もう一つの問題は、現在と向き合う上での問題意識が鮮明化されていないことだ。バブルの分析を通じて知りたいことは、貿易のあり方、対米関係のあり方、内需喚起のあり方、金融規制のあり方だ。そのなかで何が基軸にすえられるべきか、この入り口論での整理が必要だろう。

1997年問題についても同じだが、こちらはある意味で現在進行形でもあり、評価には一種の党派性を伴わざるを得ないだろう。


すみません。しばらくゲバラのボリビア戦記にはまっています。
第二次と言うか第三次というかゲバラブームがあって、そのたびに資料が膨れ上がってきます。
私のゲバラ年表のベースは71年に発行された「タニア」という本で、キューバ国立出版協会編・桃井健司訳/サイマル出版会というから、もう40年も前のものだ。ゲバラが死んで4年目ということになる。
いま読み返してみると誤りもかなり多い。
全面改定の必要に迫られているのだが、どうもそれほど力を入れる話かなという感じがぬぐえず今まで来た。
しかしゲバリスタからの希望も強く、腰を上げることにした。とりあえずいくつかの文献で年表を補充整理している。

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