鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2012年10月

料金の話になるとトンと分からない。ごく大雑把に言って老健・特養なら十万以下、有料老人ホームなら安くても15万円以上、というところだろうか。さらに入居費がとられる場合が多く5百万円くらいは用意しないとならないようだ。

つまり、月収20万円以下の人は、どんなに無理をしても有料老人ホームには入れないということだ。15万以下だとグループホームも厳しい。特養か老健しかないということになる。


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(これ以上小さくすると、さすがに読めない)

これは、高齢者の収入状況を見たグラフだが、月収20万円以上の人がどのくらいいるかを見てみよう。
青・茶・モスグリーンの左側三色が20万以下、右側が20万以上ということになる。
一般世帯では7割が20万円を越える。しかし一人暮らし世帯では50%以下だ。
いまなら頭金くらいは子供たちが面倒見てくれるかもしれない。
しかし一人暮らしでは、逆立ちしても支払いは出来ない。

高齢者の半数は、在宅が不可能になったときは、特養か老健に入る以外の選択肢はないのである。


老健は医療機関から在宅への橋渡しの役割を果たす中間施設としてデザインされている。しかしそれはますます困難となっている。
なぜなら、在宅という言葉がもはや幻想となっているからである。

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25年前、単身世帯は20%だったが現在は30%を越え、20年後には40%になる。要するに日本国民の2人に1人は単身者だ。
男性の30%、女性の23%が生涯未婚で終わるとされる。これに離婚者・死別者をくわえると40%という数字がはじき出される。
まことに寒々とした光景が広がることになる。
ことに高齢者の単身世帯がすごい勢いで増えている。現在すでに、25年前の3倍に達しており、20年後の予測では15%に達する。

ここに在宅介護の成立する基盤はない。
公的にせよ私的にせよ、施設体系の中で介護を支えるしかないのである。

現在も特別養護老人ホームはまったく不足している。介護付き居住施設も、重介護には対応できず、しかもきわめて高額である。実体としてあふれた人たちは“中間”施設に滞留するしかない。


いろいろ楽しかった「佐藤さんを囲む会」の最後、佐藤さんはこういいました。

私はサンパウロ大学に入って、まず「解放の神学」の信奉者として活動をスタートさせました。軍事政権ができて、それが抑圧的な態度をとるようになり、学生が抗議運動を強めたとき、私はそれを支持して、みずからも活動に関わるようになりました。
当局の弾圧が私の身におよんだとき、私はチリに脱出して国連のラテンアメリカ経済委員会で仕事をするようになりました。まもなく私は人民連合の活動に飛び込みました。
私は「解放の神学」の信奉者から科学的社会主義の信奉者となり、チリ社会党に入党しました。
私はブラジルに戻った後、秘密活動にも関わり、ブラジル労働党(PT)の創立メンバーのひとりとなりました。
しかし、労働党の活動家の、あまりにも労働者的な活動スタイルと感覚的に“ずれ”を感じるようになり、運動野から離れたのです。そのときの私にとって、仏教は逃避するための口実だったかもしれません。
しかし、1年前にブラジルで開かれた世界社会フォーラムで殿平さんと出会い、日本に来ることができて、いろいろ学びました。その中で、もう一度社会実践に取り組まなくてはならないと教えられました。
仏教は、社会実践から逃れる場ではなく、社会実践と取り組む場なのだと感じるようになりました。
ブラジルに帰ってからもう一度考えを整理して、実践的仏教徒として再出発したいと考えています。


私は思います。それは佐藤さんにとっての“業”、カルマでしょう。おそらくそこから逃れることはできないと思います。
チリで三回も死ぬ目にあいながら、ここまで生きながらえてきたのは、いわば「天命」でしょう。ピノチェトから逃れることはできても、「縁」から逃れることはできません。苦しいが、正面から向き合うしかありません。
「連帯」とは業を紡ぐもの同士が因と縁をつなぐことなのかもしれません。
お互い、生きていたらまたお会いしましょう。

忘れないうちに書いておきたい。
佐藤さんの話で、ブラジルの政治状況について話があった。

まず特徴的なのは、ジルマ・ルセウ大統領の人気が抜群、ということだ。
いまやルーラをしのぐ支持率で、このまま行けば再選間違いなしという。
その理由を佐藤さんはこう説明している。
ルーラの支持層はそのままルセウの支持層となっている。それに加えて中間層の支持も集中している。メディアもルセウを持ち上げている。
メディアがルセウを持ち上げる理由は二つある。一つはインテリのルセウを持ち上げることで、ルーラとの離間を図ること。もう一つは、それによりルセウを再選に持ち込み、ルーラの再登場を阻止することである。
しかしこの戦術は、結果として労働党(PT)の著しい躍進をもたらしている。各自治体でも労働党の進出が目立っている。

もうひとつの特徴は、新中間層の出現だ。彼らは貧困層から抜け出したばかりで購買意欲はきわめて旺盛だ。彼らが景気を底支えしているから、リーマンショックの影響も軽くてすんだ。
新中間層は組織への帰属意識が希薄で、政治にも無関心だ。ただ彼らを持ち上げてくれたルーラへの恩義は強く感じている。つまり正義というのはもはや社会を動かす主要な動機ではなく、現世の利益が政治の駆動力となりつつある。

もうじきオリンピックがあるが、そういう意味では東京オリンピックの前の日本に似ているのかもしれない。

私の感想を付け足しておくと、国内の庶民の小状況を見れば確かにそうも言えるが、国際的な意味づけは相当異なっていると思う。
①ブラジルの現在は失われた十年と絶望の十年を経たうえでの現在であり、それらをもたらしたものとの対決を経て達成した成果であること。
②現在の方向は世界の進歩の方向と一致した発展であり、21世紀型の発展であること。
私は、このような世界的視野と歴史的観点を抜きにした近視眼的評価は、政治を見誤ることになると思う。
フィデルもそう見ている。
注意してみていかなければならないのは、アメリカとの関係である。ここが“ゆるふん”になると、一気に持っていかれる危険性がある。これはメキシコ革命の歴史を見れば分かるように、決定的なポイントである。
逆に、ラテンアメリカ諸国の団結強化の立場に立つ限り、ブラジルは心配ないと思う。
「独立ほど尊いものはない」というホーチミンの言葉を我々は今一度噛み締めるべきであろう。

ブラジリア西本願寺の佐藤さんが再び来札されたことは、前にも書いた。その後2週間ほど各地を訪問されて、最後の週末を札幌で過ごされることになった。

やはり、我々の興味はチリ・クーデターのときの体験談。「その後どうやって脱出したのですか?」とか、あのときの証言で、分からなかったことを根掘り葉掘り聞いていると、佐藤さんは突然、「あの話には続きがあるんだ」と言い出した。 「死にかけたのはあれ1回ではない」と佐藤さんは語る。

私が死を覚悟したのは、実は3回ありました。 このあいだお話したのは、その1回目のことです。

あれは11日の夜から、12日の未明にかけてのことでした。その後私は家に戻り、脱出の支度に取り掛かりました。ラジオでは、活動家の多くがサッカー・スタジアムに連行されていると放送していました。

その最中に、警察の家宅捜索があったのです。ドアを開けると、制服の警官がずかずかと入って来ました。11日の連中と違い、警察の手入れですから、家中を捜して、怪しいものがないかどうか探すわけです。

警官の一人が二階に上がっていきました。それを見ていた私は、ハッと気がつきました。二階の書斎の本棚の裏には、チェ・ゲバラの写真が隠してあったのです。 もちろん見つかれば、即スタジアム送りで、その先には死が待ち構えています。

体中から汗が噴き出したのを憶えています。「これで終わりだな」と覚悟を決めました。

やがて、警官が二階から降りてきました。彼は上官に向ってこう報告したのです。「とくに異常ありません」
警官は無表情でしたが、緊張しているのがありありと分かります。「あぁ、この人は人民連合の支持者なんだ」と感じ取りました。

 これが2回目に死を覚悟した瞬間です。

その後私は警察署に連行されました。私は11日にやったのと同じように、国連職員であると申告して釈放を訴えました。結局私は署長の直接尋問を受けることになりました。

この人物は、国連職員というのを信用しているようには見えませんでしたが、面倒も好まない様子でした。 「お前は相当厄介なやつみたいだ。いつまで国内に留まるつもりだ。とっとと出て行け」、と言い捨てると、私を釈放しました。

私には妻と二人の子供がいました。クーデターの前から情勢が不穏になっていたので、ブラジルの母親が来て子供たちをアルゼンチンに連れて行きました。残るのは妻と二人だけです。

それに1960年に買ったおんぼろのフォルクスワーゲン。これはブラジルから脱出するときにも乗っていた車です。

翌日、私は出国カードを発行してもらうために役所に出頭しました。身分証を提示して待っていると、係官に呼ばれました。係官はわたしの顔を見ると、手元の書類と照合しました。そして、「出国カードは発行できない」といいました。

私は、「署長に出て行けといわれたんだ。早く発行してくれ」とせっつきました。係官はわたしの顔を見て、「だめだ。お前の名はリストに上がっている」と首を振ると、その書類を見せました。

そのリストは「要注意外国人」の一覧表でした。その上から二番目の欄に私の名がしっかり書き込まれていました。

 やがて兵士がやってきて、私を拘束しました。そして留置場に連れて行こうとしました。

鉄格子の前まで来たとき、なんと目の前をあの署長が歩いてくるではありませんか。私は思わず叫びました。「署長さん、私に出て行けと言ったのを憶えていますね」

署長は私の顔をしばらく眺めていました。そのあと、部下に向って「出国カードを渡せ」と命じました。そして再び私のほうを向いて「とっとと出て行け」と言いました。

 これが3回目に死を覚悟した瞬間です。

 私と妻は、フォルクスワーゲンに積めるだけの物を積んで、サンチアゴを出発しました。あとは車がアンデスを越えられるかどうかです。(ウスパヤタ峠の標高は3千メートル以上です。9月は初春、吹雪けば交通止めになる難所です。至る所に残雪があったでしょう)

14年走り続けたフォルクスワーゲンは健気に峠を越えました。トンネルを抜け、検問所を通過してチリの方向を振り返ったとき、突然ひざが震え始めました。その震えはどんどんひどくなり、立っていられないほどでした。体中が震え始めました。その瞬間のことは今も、切り取ったように鮮やかに憶えています。(殿平さんにいわれて思い出したところ)

峠を越えた私たちは、アルゼンチン領のメンドサという町に着きました。

 当時、アルゼンチンはペロン大統領の時代で、ここに腰を落ち着けることも考えたのですが、アルゼンチンでも情勢は徐々にきな臭くなっていました。一方、ブラジルではガイゼルが大統領になってかなり弾圧が緩和され、おとなしくしている限りは安全らしいという情報が入ってきました。

そこで思い切ってサンパウロに戻ることにしたのです。

 サンパウロで1年余り息を潜めて生活していましたが、それでは暮らしていけません。バイアのサルバドルで役所の非常勤職員の口があるといわれ、そちらに移ることにしました。それが1976年のことです。

それからの話はまた別にあるのですが、一つだけ。

 実はサルバドルでもつかまっているのです。78年に労働者を組織していて摘発されたのです。

このときは本格的に拷問を受けました。まず床の上に跪かされました。つぎに角材を膝の裏におかれ、正座を強要されるのです。

拷問する側にとっては手間もかからず、外傷の後も残らないという近代的な拷問です。これでメンバーの名を吐けということになります。

 今でも膝は痛くて、正座はできません。お坊さんが正座できないんじゃ話しになりませんが、仕方ありません。


例によって、テープもとらず、メモさえしないで、後からの記憶を頼りに書いた文章なので、誤りがあると思います。
おまけに、多少アルコールが入っています。
なお、佐藤さんの話で3回目は警察ではなく軍隊だったといっていますが、やはり警察ではないかと思います。チリの警察は警察軍(カラビネーロス)といって軍の一つなので、上級者は軍服です。
警察軍は4軍の中で唯一、最後までアジェンデに忠誠を誓いました。その後は最も反動的な機構に変わっていきますが、この時点では、末端はかなり親アジェンデ派が残っていた可能性があります。


イッセルシュテット・WPOのベートーベン交響曲全集がyoutubeで聞ける。
下世話だが、まず音質がよい。youtube、いろいろ厳しいが、故人の場合は比較的スル-されるようだ。
これが絶品だ。とにかく木管の音がいい。ファゴットがこれほど堪能できる音源もないだろう。ビオラも「こうやって鳴るんだ」と驚くほど聞こえてくる。110年前に生まれた人が45年前に演奏した音が、どうしてこんな風に聞けるのだろう。恐ろしい。

そのすべてが良いとはいえないが、カイルベルトとヴァントは好きな指揮者だ。イッセルシュテットも、それ以上に好きな指揮者になった。

イッセルシュテットという名を聞いたのは、親父からだった。オケ伴専門の指揮者で、冴えない印象だったが、戦前のSP時代にはブイブイ言わせたものだったそうだ。当然ナチの協力者だったわけで、戦後は干されたものだと思っていた。
金のない高校生時代に、グラモフォンの廉価盤へリオドールというレーベルがあって、ドヴォルザークの管楽器のセレナーデと、チャイコフスキーの弦楽のセレナーデがカップリングされていたのを聞いていた。結構何十回と聞いたよな。
レコードなんか買えずにもっぱらソノテープだったから、それに毛が生えたくらいの演奏家だろうと思っていた。
大学に入って聖公会の寮でヌヴーとのブラームス協奏曲を聴いたときも、ヌヴーしか印象にない。そのうちロンドン・レーベルでWPOとの交響曲全集が出たわけだ。
実は当時まったく聴いた記憶がない。「レコード芸術」で毎回推薦盤になっていたことは知っていたが、金出して聴けるわけもないから、「レコ芸なんて」とやせ我慢していた。
FMを丹念にエアチェックしていれば聞けたろうが、その頃からかなり学生運動が忙しくなっていた。夜中に下宿に帰れば、誰かが寝ている、下宿のおばさんには一言、二言言われたなぁ。それをいま45年遅れで聞いているわけだ。

それにしてもいい音だ。近いのか遠いのか良く分からない。人工的といわれればそれまでだが、それが何が悪い、と叫びたくなる。ウィ-ンフィルもどっぷりと浸っているぞ。

Wikipedia でみると、この男、相当変だ。
1900年生まれだから相当昔の人。ビール会社の御曹司で、モーツァルトに狂って音楽界に入り、ナチが政権とるころにはいっぱしの指揮者になった。ナチには入党しなかったが、テレフンケンの売れっ子指揮者になる。奥さんがユダヤ人で、骨折ってイギリスに亡命させることに成功。しかしその隙に座付きの歌手とできてしまい離婚。
ナチのおかげで成功したにもかかわらず、戦後は「非党員」を売りにして早速英占領軍に取り入り、できたばかりの北ドイツ放送交響楽団の正指揮者に就任。30年近くその職に留まる。

こんなやつ前にもいたぞ、と思ったら西条八十だった。

この人、意外にレコードがないのだそうだ。モーツァルトもシューベルトもないようだ。だからこの全集は一世一代の、乾坤一擲の録音だそうだ。しかも息子が録音技師。幸せだよね。

今7番の終楽章。ええぞ!

どうも話がこんがらかっている。日刊工業新聞の短報だけで話を進めようとしたのが間違いだった。

水素の液化プロジェクトの話は「夢物語」としていろいろなところで語られており、事業担当者が壮大に風呂敷を広げている。その割にはコストの話が分からない。そこはかとなく、「ごまかそう」という態度が見てとれる。

そういうヨタ話ではなく、今度昭和基地に取り付けられるという装置がどんなものなのか、その実態を明らかにしないと話が進まない。

といっても難しい話は苦手、とりあえず下記の記事を紹介する。

電力を液体に変えて備蓄、南極昭和基地でも再生可能エネルギー

畑陽一郎


南極の昭和基地はディーゼル発電機を利用している。その燃料は「しらせ」の輸送量の約5割に達している。

南極の風力資源は豊かだ。問題点は風の強さではなく、強さが極端に変化するところにある。そこで、日立製作所の『風力発電機利用水素発電システム』が注目された。

このシステムは、風力で作られた電力で水素を製造し、さらにメチルシクロヘキサン(MCH)にして蓄える。MCHは常温で液体であり、ガソリンと同じインフラで安全に扱うことができる。

基本となる化学反応: 高温条件下でトルエン(右)1分子当たり、水素を3分子加えると、発熱し、MCH(左)に変化する。これはさほど難しい作業ではないようだ。

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システムの概要

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絵の通りだ。5つの装置と軽油を入れて四つのタンクが必要だ。大変なもんだ。

私は勘違いしていたが、MCHを燃やすわけではないようだ。Wikipedia にはジェット機の燃料などと書いてあるから、てっきり燃やすのかと思ったが、そんなことしたら、たちまち破産してしまう。

MCHは水素をくっつけたトルエンであって、水を吸ったスポンジであって、それ以上のものではない。ただの容器である。

それでこの過程のどこが律速段階かというと、MCHから水素を分離をするところがけっこう苦労するようだ。鵜飼漁で言えば、鵜に鮎を食わせるのはさほど難しくないが、それを吐き出させるのが技術ということになる。

日立製作所は技術の詳細を公開していないものの、MCMから水素を取り出す際の反応速度を高めるため、Pt(白金)微粒子などの触媒を利用していると考えられる。

試験運転では、出力3kWの発電機に連結して試験運転を行う。昭和基地への設置に関しては、別途受注契約を結ぶという。

7千万円は「おためしセット」の価格だった。本格的にやろうとすれば、湯水のごとく金を使える軍事目的か国策的研究目的しかない。


経産省が、いまや財界の虜となっているとの指摘は、「原発事故に関する国会調査委員会の報告」で指弾されている内容とも符節をあわせています。産業革新機構はその象徴としての意味を持っているようです。

東郷和彦氏が唱えた「権力四すくみ説」は、いまや遠い過去のものとなったようです。それでは、国家の大事を考えなくなった経産省は、「歌を忘れたカナリヤ」として、「背戸のお山に捨てる」しかないのでしょうか。「いえいえ、それはなりませぬ!」

「象牙の舟に銀の櫂、月夜の海に浮かべれば、忘れた歌を思い出す」

「月夜の海」とは生産現場のことだ。「銀の櫂」とは予算執行と行政指導の権限だ。では「象牙の舟」とはなんだろうか。それは財界から独立した革新的な政権 のことではないでしょうか。(すみません、歌詞はうろ覚えです)

正確に言うと、
カルロス・クライバー指揮ウィーン・フィルハーモニーの演奏によるブラームスの交響曲第4番で、79年にウィーン・ムジークフェライン・ザールで行われた演奏の実況録音だ。
youtubeにたしかにある。

すげぇクライバー節で、WPOの鼻面引き回している。
80年に同じ演奏者でCDが録音されている。これよりはるかにおとなしい。クライバーは後に手兵バイエルン国立管弦楽団との演奏も録音しているが、こっちは屁みたいなものだ。

前にも書いたことあるかもしれないが、
ネットでこの録音のことがまったく話題にならないものだから、
とても気になる。

Carlos Kleiber
Wiener Philharmoniker
Musikverein, Vienna, 16 12/1979
http://www.youtube.com/watch?v=e8Kl-fLlS_M

ただし、最良の演奏はクライバーではなくジョージ・セル指揮クリーブランド管弦楽団だ。アメリカのオケの最後の輝きだ。もうこれをしのぐ演奏は未来永劫ないんじゃないかという感じすらする。

泉 幸男のブログ

 というページに日刊工業新聞の記事が転載されていた。

日刊工業新聞 平成23年11月8日

≪日立、極地研から水素発電システムを受注

日立製作所は11月7日、風力発電を利用した水素発電システムを国立極地研究所から受注したと発表した。受注額は7,050万円。
風力で発電した電気を水素に変換して備蓄し、必要時に発電に使う仕組み。2011年11月から2012年3月まで、極地研が秋田県にかほ市で実験中の風力発電機に接続する。

将来は南極の昭和基地での利用を想定しているという。

日立が担当するシステムは水の電気分解で水素を発生し、これをトルエンに固着してメチルシクロヘキサン (MCH) の形で貯蔵する。
必要時には水素を分離し、軽油に混合してディーゼル発電機で発電する。
水素発生量は毎時480リットルで、変動の大きい風力発電でも対応できる。またMCHは通常の燃料タンクで貯蔵可能という。

南極観測船の運搬物資のうち半分は燃料が占めるという。輸送量に限りがあるため自然エネルギーへの転換が求められており、風力発電を貯蔵できる日立のシステムが採用された。≫

この記事のミソは

①とにかく安いこと 7,050万円とは涙が出るほどの低価格。大量生産すれば2千万くらいまで下がりそう。

②通常の燃料タンクで貯蔵可能、ディーゼル発電機で使えるというユーティリティの高さ。

一体どうなっているんだろう。どうして爆発的に普及しないのだろう。何か裏があるだろう。


探してみたらあった。沖縄の久米島というところで導入を想定してコスト計算していた。
なにやら難しい計算式が並んでいるが、結論としては、とてもコスト的には引き合わないということ。7千万円の機械一式買い揃えば終わりということではない。
風力発電のコスト、電気分解して水素を発生させる装置、トルエンを買って貯蔵して水素を固着させる設備。さらにMCHを燃やして発電する火力発電のコストすべてをトータルするととんでもない金額になる。何百年かかっても元は取れない。
ということでこれが実用化されるのはだいぶ先の話のようだ。

代替発電についていずれも不安定性、高コスト、低効率が壁となっている。
最大の可能性を秘めているのが風力だが、これがまさに「風まかせ」で一番厄介だ。
GEの社長が「これからの基礎電源は風力とLNGのミックスだ」といっているから、多分この方向で考えなくてはならないのだろう。
どこかの商社が動いているようだが、南米パタゴニア台地は年中強風が吹いていて、風車を2,3百本立てると日本の電力需要が賄えてしまうという話がある。問題はその電機をどうやって運ぶかだ。たしか重水か何かにして運ぶみたいな話だったが、たぶん重量・容積あたりのエネルギーは計算に乗らないのではないか。

すみません。ぜんぜん話が違いました。

2012.5.30 パタゴニアの風力発電

という記事でちゃんと書いていました。 液体水素でした。

現在、蓄電の方法として最もポピュラーなのが揚水発電だ。要するに電気のエネルギーを位置エネルギーに変換して貯蔵するということだが、聞いただけでも無駄が多くて、転換効率が悪くて、コストが高い。同じ位置エネルギーなら鉛の塊を持ち上げるほうがはるかに良さそうにも思えるが、(劣化ウランという悪い冗談もある)

小規模な蓄電設備なら鉛電池ということになるが、鉛電池をしのぐといわれたNAS電池がどうも具合悪いようだ。

Wikipedia などで、現状をチェックしてみた。


去年1年だけで二度も火災事故を起こした。
この火災の厄介なのはナトリウム金属が爆発的に燃焼する火災だということで、もんじゅと同じだ。砂をかけるしかないし、鎮火した後の処理も厄介だ。おまけに大量の硫化水素を発生する。
二度の事故で製造元の日本ガイシの株価は暴落したそうだ。
今年の4月から販売を再開したが、いまだに事故の原因は不明で、新たな根本的予防策が講じられた形跡はない。そもそも、こんなものは各消費者ではなく、変電所あたりに置くべきものだろう。
経産省はこういうものこそきちっと指導すべきではないだろうか。


産業革新機構などというものは、今まで知らなかった。しかしちょっと調べてみると、かなり怪しい機構で、こんなものがどうして出来てしまったのかがわからない。

要は税金使って自己勘定取引しようというのだから、かなり恐ろしい発想だ。ボルカーが聞いたら腰を抜かすのではないか。より機動的に資金注入するのが狙いのようだが、機動的に売り逃げもやるのか、ここが最大の問題だ。それが出来なければ、確実にババをつかまされることになる。

信用供与も含めて1兆円、これでレバレッジをかけて、かなりのリスクテークするとなると、大穴あいたらどうするんだろう。赤字国債垂れ流すよりはるかにたちが悪いのではないか。

それで少しネットをあたってみたが、原則的なレベルからの批判はほとんど聞かれない。

とりあえず下記の記事を紹介する。

ダイヤモンド・オンライン

2012年4月20日

革新機構のシステムLSI再建策はナンセンス
これが民の意欲と力を輝かせる産業政策だ

1.システムLSI再編に関する産業革新機構案は疑問だらけ

報道によると、産業革新機構はルネサスとエルピーダの工場を、グローバルファウンドリーズ(GF)社と共同で買収・統合しようとしているらしい。 革新機構案が、今やいかにナンセンスになっているかを指摘したい。

2.GF社自体が抱えるこれだけの問題

GF社は2009年に米AMD社が、ファブをアブダビATIC社に売却して、ロジック系の専業ファンドリーに仕立てた会社である。 (なんやこりゃ?)

28nm微細ラインの量産稼働が主力だが、2012年3月、最大顧客だった米AMD社が契約を破棄・改訂する有り様。そのATIC=GF社と組んで3つの工場を買収しようというのが、産業革新機構の構図になる。

しかし本気で再建するのなら3工場で済むわけがない。GF社の全体をも丸呑みで買収して、全体経営権を握りながら立て直しを考えるしかない。それには5000億円を超えるような資金が必要になるだろう。

3.富士通三重とルネサス山形に収益反転の兆し

実は、300mmファブの富士通三重とルネサス山形は、どちらも業績反転・収益化の芽が出ている。必ずしも「救済」の対象ではない。それでもなお革新機構が買収しようとするならば、高値づかみになる。

ルネサス山形も、ルネサスから切り出してスキームを整えれば、自力で利益を出せる事業体にすることは可能だ。

組み込みDRAM技術を強く支持する大口顧客をうまく組み合わせ、「シェアド・エンジニアリング・ファンドリー」に仕立てることが可能である。

既存の垂直系列からスピンオフ事業体に移行すれば、それが可能になってくる。顧客と利益をシェアする共同体を結成すれば、それぞれの専業的収益化が成り立ち得る。

その総体が、日本半導体の新たなかたちの「産業生態系」を形作るべきだし、それは可能なはずである。

4.現場の士気を鼓舞する力強い産業政策を打ち出せ

経済産業省や、産業革新機構は、上記のような産業生態系に向かって一つ一つ布石を打っていくべきではなかろうか。

半導体産業政策は、1940年代末のトランジスタ発明の頃から続いてきた。転換点をもたらしたのは日米半導体摩擦にともなう日米半導体協定だ。

米国は日本の民生用半導体市場などに食い込むことができた。逆に日本のアナログ半導体は強みをかなり失った。

5.半導体をめぐる産業政策に天王山が迫る

今や日本半導体産業の危機はエルピーダだけではない。あちこちで火が吹いている。

経済産業省は、山形工場などをルネサスからスピンオフし、収益化するモデルなどにテコ入れすべきだろう。

同省が、「既存の大企業の合従連携」というウンザリさせられるありきたりの案から離れて、現場レベルの深い情報を賢く活用し、現場の士気を鼓舞するような、力強い産業政策を打ち出すならば、日本国内にも、まだまだ収益化できる半導体の工場と設計部隊がある。

同省がそうした政策に乗り出すかどうかが、わが国の力を世界にアピールし、収益化し、士気を高めるか否かを決することになろう。

半導体をめぐる産業政策にとってのいわば、天王山が迫っている。


難しいけど、とてもよい記事だと思います。経産省が90年代半導体戦争以降、かつての矜持を失い、アメリカの成すがままになったことに今日の半導体危機の基本があることが分かります。

しかも、この危機に臨んでも、産業革新機構という財界の再編策にそのまま乗っていることに記者は最大の危機感を抱いています。

「行政指導」という国家にとっての伝家の宝刀を手離し、株屋に譲り渡すことの意味はかなり深刻なものがあります。それが今回のエルピーダ・ルネサス問題に象徴的に示されているのではないでしょうか。


ハイドンの交響曲を聞き流している。
玉石混交だ。しかしえらいものだ。手書きで総譜を書いたというだけでもえらい。たしかに書かなきゃ演奏できないんだから書くしかないのだが、筆不精の私が毎日カルテに記載するのと同じなんだろう。
できれば、どうでも良いのは消えるインクで書いてもらって、消えてもらえばよかったのだが。
というわけで104曲が残されたのだが、困るのは若いときのがつまらなくて、だんだん良くなる法華の太鼓、というわけには行かないということだ。20番台に良いのが結構あって、50番から70番くらいは駄作ばっかりという感じもする。
世の中には好きな人がいるもので、104曲プラスアルファの全曲を聴きとおした人がいる。ハイドン交響曲全曲完聴記の弁というページ主だ。
その人の五つ星をつけた曲は「最高、何がなんでも聴くべし。モーツアルトを蹴飛ばしてでも聴くべし」という曲だ。(ほれた欲目であばたもえくぼ、ちょっと五つ星が多すぎるが)
ハイドン交響曲全曲感想記
http://www.orcaland.gr.jp/~maro/movie/haydn~sym.html
というのもある。こちらの評価はもう少しシビアだ。

率直にいえば、サイエンスというよりテクノロジーの世界だ。
ヒントはクローン羊ドリーにすでにふくまれている。体細胞である乳腺細胞プラス卵細胞の何か液性の因子で細胞が先祖帰りすることは分かった。
その何か液性のインデューサー因子を見つければ、何とかなりそうな予感はする。
そのための遺伝子データベースはすでに用意されている。遺伝子工学の基礎知識さえあれば、後はしらみつぶしにするだけだ。
それが日本人の手に転がり込んできたのは、「24マイナス1」の着想が一つだ。(最初は10種絞り込み段階で発表しようとしたらしい)
さらに最初の推進者がアメリカではなくイギリス人だったということ、連中が少々息切れしていたことがひとつ。
もう一つはアメリカがES細胞にのめりこんで、そこで倫理の壁、異種反応の壁にぶち当たってしまったこと、そして何より大きいのは、ブッシュになって研究予算がばっさりと削られことだろう。
2002年から06年にかけて、いわば時間的・空間的に研究にぽかっと大穴が開いた瞬間があった。そのエアポケットに、山中氏らの研究がすっぽりはまった、というのが成功の理由ではないだろうか。
オリンピックで1位と2位がドーピングで失格になって金メダルが転がり込んだような感がないでもない。
むしろ山中氏の大きな功績は、知財権をがんばって獲得し、それを世界に公開したことだろう。これこそノーベル賞に値する。爪のアカを煎じて米倉や長谷川の口に押し込んでやったらよい。


そろそろ、医者の端くれとしては一応、知った振りしなくてはならない時代になったようだ。
とりあえず、いつもの年表方式で整理してみた。

「iPS細胞物語」その他を参考にして作成。また山中らの実験自体については研究課題別事後評価結果を参照した。Wikipedia は未消化で、少しフォーカスがずれていて、やや古い。

81.7 英国ケンブリッジ大学のマーティン・エバンス、マウスの胚盤胞の内部細胞塊を取り出し、多能性を維持したまま分裂を繰り返させることに成功。これをES(Embryonic Stem)細胞として発表。

84年 ブラッドレイらが、ES細胞を受精卵(胚盤胞)に注入。ES細胞に由来する細胞をもつマウスが生まれることが示される。これによりES細胞の多能性と分化能が証明される。

87年 トーマスとカペッチら、ES細胞を利用し、最初のノックアウトマウスを作成。「ES細胞+相同組み代え」により多くのノックアウトマウスが作成されるようになる。

ノックアウト・マウス: 塩基配列は解明されているが機能が不明な遺伝子について、その働きを知るために用いられるマウス。まずES細胞の特定の遺伝子を、類似の塩基を組み込むことにより不活化させる(ノックアウト)。この後成長したマウスと正常のマウスとの行動や状態を比較することで、その遺伝子の機能が分かる。(「相同組み代え」については、とりあえず遺伝子操作の代表的な方法と憶えておけばよいでしょう)

88年 ES細胞の培養に用いられるフィーダー細胞に、分化抑制因子が存在することが分かる。この因子は白血病抑制因子(LIF)と同じものであった。(これにより細胞の分化に細胞内の遺伝子が関与することが分かる)

96年 イギリス・ロスリン研究所のイアン・ウィルマットがクローン羊ドリーを誕生させる。

ドリー誕生の経過: ある羊の乳腺細胞を採取し、別の羊から採った核抜き卵子に入れる。電気刺激で融合させると細胞分裂が始まる。これを別の羊の子宮に植えると、最初の羊とまったく同じ遺伝情報を持つクローン羊の出来上がり。
つまり乳腺細胞が全能細胞に先祖帰りしたことになる。それをinduceしたのは、核抜き卵細胞の細胞質内の“何かである。

98.11 米・ウィスコンシン大のジェームス・トムソン、ヒトの受精卵からES細胞を作成。

この報告はマスコミに大きく取り上げられ、再生医療への期待が大いに高まった。第一次再生医療ブームといえる。同時に人間になりうる細胞を実験に供することに対し批判も強まる。この倫理問題と、拒絶反応の問題からES細胞の研究は行き詰まる。

05.6 京大の山中伸弥、iPS細胞づくりの実験を開始。初期化に関係する可能性のある遺伝子を選び出す。

第一段階: 独立行政法人理化学研究所が公開しているマウスの遺伝子公共データベースを活用し、データベース上でマウスのES細胞で働き、分化した細胞で働いていない遺伝子を抽出。これで100種類ほどに絞り込む。
第二段階: ノックアウトマウスを使ってこの100個の候補遺伝子の働きを調べ、候補遺伝子をさらに24個までに絞り込む。

05.8 山中のグループ、24種類の遺伝子すべてを、レトロウイルスをベクターに用い、マウスの皮膚細胞(皮膚といっても真皮層の線維芽細胞)に送りこむ。これによりES細胞に類似する多能性細胞が形成されることを観察。インダクションに必要な遺伝子の選別作業に入る。

第一段階: 24の遺伝子を個別に導入したが、すべて失敗。単独の遺伝子による作用ではないことが確認される。
第二段階: 「24マイナス1」方式で絞込みを行ない、関係ないものを排除する方式に切り替える。

06.1 韓国ソウル大で、ヒト・クローン胚からES細胞を作成したとの捏造論文。

06.8 山中ら、4種の遺伝子の導入によりマウスの皮膚から人工多能性幹細胞を作成することに成功したと発表。iPS細胞と名づける。4種の遺伝子とはOct3/4、Sox2、Klf4、c-Myc で、山中ファクターと呼ばれる。

07.7 山中ら、よりES細胞に近い遺伝子発現パターンを示す改良iPS細胞(Nanog-iPS細胞)を作成。

Nanog-iPSの作成法: Nanog遺伝子にGFPおよびピューロマイシン耐性遺伝子を挿入したノックイン・マウスを作製。このマウスの線維芽細胞に4遺伝子を導入しiPS細胞を作成。
どうもあやふやだが、Nanog遺伝子というのは遺伝子というよりは遺伝子座であり、標的であるようだ。これまでの標的だったFbx15より、多能性により深く関与するとされているようだ。(御指摘お待ちします)

07.11 山中伸弥とウィスコンシン大学のジェームス・トムソンが独立してヒトiPS細胞を作成。

白人女性の顔の皮膚からマウスと同様の方法によりヒトES細胞に類似した細胞の増殖に成功。多分化能を獲得していることが証明される。
トムソンは山中ファクターのうちOct3/4、Sox2の2因子とNanog、Lin28で作製した。

07.12 山中ら、c-Mycを除くOct3/4・Sox2・Klf4の3因子だけでも、マウス・ヒトともにiPS細胞の樹立が可能であると報告。ただしc-MycなしではiPS細胞の樹立効率が極端に低下。

その後の追試で、山中ファクターについては修正が加えられている。ハーバード大学のデイリーらは、Act3/4遺伝子とSox2が必須であり、c-Myc遺伝子とKlf4遺伝子はどちらか一方があればよいとの成績を出している。

07.12 アメリカのルドルフ・ジェニッシュら、鎌状赤血球症のマウスの治療に成功したと報告。

実験の概要: 鎌状赤血球症のマウスからiPS細胞をつくり造血幹細胞へと分化させる。この造血幹細胞に遺伝子組み換えを行ない、正常造血幹細胞に入れ替える。この造血幹細胞を増殖させ、移植したところ、鎌状赤血球症は治癒した。

08.4 Bリンパ球からのiPS細胞の作成に成功。このあと、皮膚線維芽細胞の変わりに膵臓β細胞、神経幹細胞、毛髪などさまざまな細胞からiPS細胞が作成されるようになる。

08.9 ハーバード大学のHochedlingerら、レトロウィルスの代わりアデノウイルスを用いて、ヒトiPS細胞作製。ウィルスとしての毒性が低く、安全性が向上する。さらにウィルス・ベクターを使わないインダクション法の探求が始まる。

09.1 米ネバダがん研究所のデビッド・ウォードら、ジェニッシュと同様の原理で、マウスを使った実験で血友病を治すことに成功。

09.2 東京大学の中内啓光ら、iPS細胞から血小板を作ることに成功。ウィスコンシン大学のカンプらはヒトiPS細胞から心筋を分化誘導。(このあたり書き切れないほどの発表)

09.4 ウィルスの代わりに、ゲノムへの組み込みのないエピソームをベクターに用い、ヒトiPS細胞の作成に成功。

09.8 がん抑制遺伝子"p53"の働きを抑えることでiPS細胞の作製効率が飛躍的に向上。

09.11 筋ジストロフィー患者から異常遺伝子を修復したiPS細胞を作製。

10.7 Geron社、ES細胞をつかったヒト脊髄損傷治療に対する臨床試験を始めると発表。

10.9 山中ら、c-Mycと同じ遺伝子ファミリーに属するL-Mycを用いれば、効率が5~10倍化し、がん化リスクがほぼゼロとなると発表。

c-Myc遺伝子: iPS細胞が癌化する原因はc-Myc遺伝子の突然変異にあるとされる。c-Myc遺伝子は、本来は細胞増殖期にだけ働くが、突然変異で働き続けるようになってしまうことがある。
Mycファミリー: c-Myc、L-Myc、N-Mycというファミリー遺伝子が知られている。L-Myc はN末端のアミノ酸配列が短く、培養細胞での形質転換活性が低い。

11.6 山中ら、c-Mycの代替転写因子を検討。Glis1遺伝子が有効であることを確認。細胞の初期化を促進するとともに、初期化が不完全な細胞の増殖を抑制できると発表。

10.10 ハーバード大学のD. J. Rossら、iPS細胞への誘導因子をDNAではなく、mRNAの状態にして導入する方法を発表。mRNAは不要になったら分解されるため安全とされる。

RNAにより誘導されたiPS細胞はRiPS細胞と呼ばれる。従来のウイルスベクターに よって樹立されたiPS細胞よりもES細胞に近く、2桁も効率が高く、誘導にかかる時間が半分程度ですむ。さらにmRNAに化学修飾を施すことにより、タ ンパク質合成効率や細胞の生存率を高める可能性も指摘される。

1.3 東京大学の宮島篤、iPS細胞をランゲルハンス島に分化させ、マウスに移植し血糖をコントロールすることに成功。



RiPS細胞の記述は良く分からない。これまでのベクターはレトロウイルスであるが、これ自体RNA型のウイルスで、ウイルス粒子中に逆転写酵素を持っている。

「DNAではなく、mRNA」と書いてあるが「RNAではなくmRNA」の間違いではないか?

レトロウィルスは、宿主のDNAとくっついて情報を転写する。取り付かれたDNAはやがて二本鎖となり、いったん染色体の中に組み込まれる。組み込まれた「プロウィルス」がmRNA(ヘアピンRNA)を合成する。このmRNAがミトコンドリアでウィルス粒子を生産する…というのが大まかな流れだ。

ここから先は良く分からないが、最初からこのヘアピンRNAを細胞に突っ込んだらどうなるだろうか、ということなのかもしれない。誰かが原著を邦訳してくれているが、ちんぷんかんぷんだ。


我々のような素人が混乱するのは、生物の階層性がなかなか把握できないからだ。細胞のレベルなのか、核のレベルなのか、染色体のレベルなのか、遺伝子のレベルなのか、DNAのレベルなのか、塩基配列のレベルなのか、これらが分かっていないと話がゴタマゼになってしまう。

これらは遺伝子工学の世界の話だが、iPS細胞の話はそういうことを知らなくてもなんとなく分かってしまう。だから、ちょっと突っ込んでいくとしどろもどろになってしまう。

さりとて、あまりそちらの方面を詳しく説明しすぎると、話がわき道にそれてしまい、肝心のiPS細胞の話がどこかに飛んでしまう。(Wikipediaの解説はそのきらいがある)

その辺のバランスのとり方が、案外難しい。


9月の貿易収支が出た。
非常に悪い。過去最大だ。赤字幅の増大が深刻だ。
3.11以降、LNGと原油の輸入増が赤字の主因となってきたが、最近ではこれに加えて中国経済の減速、さらにEUが緊縮政策を採ったことによる輸出の減少が加わっている。
そこへ持ってきて尖閣騒ぎだ。

どうも気になるが、この問題に関して政財界の動きがきわめて鈍い。深刻感が感じられない。目下の関心事は家電業界のリストラばかりだ。
はっきりしているのは、縮小再均衡を実現したとしても、労働者や国民の所得を減らし、収奪を強化し、内部留保を積み増したとしても、本当の国際競争力の強化にはまったく結びつかないということだ。

彼らは、この10年間、構造改革でやってきて、こういう事態になった、ということについて自問自答してみる必要があるのではないだろうか。「そもそも我々のやってきたことは正しかったのだろうか」と。

事態の深刻さは赤字幅にあるのではない。この状況を打破する展望を打ち出せないことにある。今日の電機は明日の自動車だし、工作機械だ。

経団連が安倍自民党執行部と会談を行った。
重要なポイントは三つある
①これが民主党の新執行部や野田新内閣との会談に先駆けて行われた点。赤旗は「今度の総選挙の結果、自民党が第一党になり自公政権に移行する」との経団連幹部の見通しを報道している。
②安倍総裁が経団連の意向を受け、「ともに行動し、日本経済を強くする」と述べたこと。つまり、これまで以上に経団連の意向が強く反映される政権が登場する可能性があること。
③経団連の意向の背景として、原発政策に関する危機感があること。これを受け、安倍総裁は、「原子力の推進は自民党の守るべき一線」と応えたという。
記事では次のように評価している。

対米従属の下、多国籍企業化した大企業のための政治を、さらに推し進めるならば、これまで以上に国民生活に破壊的影響を与えることになるだろう。

「対米従属の下、多国籍企業化した大企業」という規定は目新しいものがある。民主的統制下におくというよりは、有害無益、打倒の対象というニュアンスが強くなる。もう少し慎重な検討が必要だろう。

本日の赤旗、一面トップの記事。
親法人1300社、子法人9500社で連結決算に変更した。その効果が6千億の節税となった。
これができるのは、当然ながら大企業のみ。
連結会社数は10年前の3倍に増えているというから、かなり無理な「連結」を行っているには違いない。これだけで消費税0.4%くらいになるはずだ。法人税減税で食った上にさらにここまでやれば、消費税引き上げ分はパーになる。
どうしてここまで無茶苦茶するのだろう。

8月以来の中田の打撃は本物だと思う。
ずいぶん苦労したものだ。大変だったろうと思う。
よってたかっていじられたが、そうやって自分のスタイルを身につけたのだろう。
そのスタイルとは一言で言って「つながない野球」だろう。
日本ハムはつなぐ野球を信条としてきた。これは「稲葉イズム」でもある。
「つなぐ野球」はワールド・ベースボールで稲葉が「つなぎの4番」とみずからを評したことで一躍有名になった。
日本ハムは個人の力で見ると決して強いチームではない。どちらかといえば非力な貧打のチームであった。しかし守備は良かった。毎試合平均、ヒット2本くらいはアウトにしている。
傑出した投手もいず、継投でしのいだ。負けるときはボロ負け、勝つときは一点差というのが試合のスタイルだ。
鍛え上げた高校野球のチームみたいだ。金もない田舎チームが勝つにはこれしかない。
ただダルビッシュが出てきて、糸井と陽が力をつけてくると、すこしスタイルが変わってきた。ヒルマンと梨田の違いもあって、すこし戦法が大味になった。
そして勝てなくなった。
今年、監督が変わりヒルマン由来のつなぐ野球が復活した。中田は打撃フォームの問題より、むしろこのスタイルにどう溶け込むかで苦労した。このとき稲葉の指導が良かったのだと思う。
「お前はつながない野球をやれ。それがつなぐ野球の中でのお前の役割だ」
とでも言ったのではないだろうか。
なぜなら二人の打撃スタイルはまったく異なるし、技術的に指導してもしようがないからだ。
結局はそれがつながりになる。すべての選手がそれを希望すれば、団結が壊れることはない。
なぜなら、中田はやはりそれだけのものを持っているからだ。

汽車に乗って窓の外をいくら眺めても、自分が乗っている列車が上りなのか、下りなのかは分からない。
一回、駅で降りて、案内板を見てみるしかない。本当に乗るべき列車はプラットフォームの反対側なのかもしれない。

老健は上りの本線の中間駅ということになっている。スタッフもそのように配置されているし、介護報酬もそのように割り当てられている。
しかし列車にはそう書いてあっても、実際に走っているのは下りの本線なのではないか。上り専用の列車を下り本線に代用しているのではないか。

そもそも下り用の列車が圧倒的に不足している。あっても、前の駅止まりだ。だから乗客がどんどん乗り込んでくる。
下り線仕様の老健機能をもう少し充実させるべきだ。
日本の年齢構成の特異性から見て、在宅主流というのは幻想に近いし、波及効果もふくめたトータルコストとして能率的とも思えない。適切な医療体系の創造的再編が必要だろう。

基本的に、老健というのは悪い施設ではないと思う。機能も豊富だし、一定のレベルも確保されている(?)し、コストもそこそこ抑えられているし、何よりも利用者負担が比較的低いというのがうれしい。
この特性を生かしつつ、もう少し状況に見合ったモディファイとメリハリの利いた報酬体系が必要であろう。

今日の赤旗経済面で、産業革新機構を大々的に取り上げている。
初耳だ。

まずは、見出しとリードから

主見出しが「国の資金でリストラ“支援”」
横見出しが2本。1本は「パナ工場買収企業に2千億円」、もう一本が「解雇労働者の処遇は考慮せず」だ。

となれば、構造不況業種を対象とした再生支援機構みたいなものかと思う。

しかしリードを見ると、少し違うようだ。

国内外で4万人の大規模なリストラを進めるパナソニック。その背後には、国と大企業が大部分を出資する「投資ファンド」の存在があります。産業革新機構です。

投資ファンドといわれると、「えっ」と驚く。なにやら思わせぶりな書き出しだ。投資ファンドというからには、何かリスクテークするのだろうか。

①産業活力再生特別措置法改正にもとづき、2009年に設立された。
②次世代産業の育成と、既存企業の革新のために投資・支援を行うことを目的とする。
③国が9割に当たる1420億円を出資、政府保証枠をふくめ、最大で総額2兆円の投資が可能とされる。

つまり、「産業活力再生特別措置法」というのが分からないと、結局分からない。

それで、見出しの下にコラムがあって、法律の説明が書いてある.ずいぶんややこしい記事だ。

1999年 元の産業活力再生特別措置法が制定。大企業のリストラや再編を減税で後押しすることを目的とする。財界の強い意向を受けて制定されたもの。(いわゆる「リストラ減税」のことか?)

2009年 産業活力再生特別措置法が改定される。減税だけでなく政府資金の注入や損失補てんが可能になる。そのための機構として「産業革新機構」が創設された。

ということだ。

これでもまだ良く分からない。だいたい「投資ファンド」などと書くから分からない。「村上ファンド」を想像してしまう。要するに投資会社の形をとった不況企業の救済機構ということなのだろうか?

とにかく次に進む

それでこの産業革新機構がどんな組織で、09年の設立以来どんなことをやってきたかというのが次の話。

まず機構だが、9割が国の出資と書いたが、残りの1割を大企業が出資している。これがけっこう噴飯もので、

パナソニック、ソニー、東芝、シャープなどの電機大手やトヨタ自動車、三菱商事、三井住友銀行、東京電力など27企業が並びます。

と書いてあるが、各社横並びの5億円だ。村の神社のお祭りの奉加帳じゃあるまいし、これでは社長のポケットマネーなみだ。それで権利だけは堂々と主張し、幹部役職は独占している。

それで、これまでの実績は格安運賃の「ピーチ」航空や、ベトナムへの原発輸出を担う国際原子力開発への支援が主なものだという。

まぁ、態の良いタカリと思えば良さそうだ。各社5億円を持ち寄り、140億円集めた。これで政府に掛け合って1420億円のゲンナマと、2兆円の政府保証枠をせしめたという話。

たしかに機構としてはリスクテークしているが、リスクを負担するのは90%が国で、各企業は1/10の、さらに1/27ということになる。


と、ここまでが話の前段。つかれる。

そしてここからが話の本筋。

今回、これが問題になったのは、支配下のジャパン・ディスプレイ社を介してパナソニックの茂原工場を買収した話がきっかけだ。

仕掛けとしては、
①産業革新機構がジャパン・ディスプレイに2千億円を出資し、全株の7割を保有した。なお、ほかの3割はソニー、東芝、日立の3社が10%づつ保有。
②ジャパン・ディスプレイ社が工場設備を買い取り。
という二段階になる。

こういう仕掛けにすると何が良いか。見掛けがよくなるのである。
一企業が一企業から買い取るという構図になるから、そこには政府も、その背後の財界も見えなくなる。見えなくなるということは責任をとらなくても良いということになる。
何の責任かといえば、労働者に対する雇用責任である。

同機構は「買収したのは工場のみで、労働者はパナソニックの責任だ」として、責任を果たそうとしていません。

気分としては、剥げ鷹ファンドだろう。

というのが、記事の骨組みのようだが、読み解くのに1時間かかった。
次からはもう少し整理して出してくれ。

いやな話だが書いておかなければならないことがある。

部落問題とおさらばするためにも、この問題は本人から明らかにしたほうが良いと思う。
同時に、在日や韓国の人々、生活保護受給者に対するあらぬ中傷を繰り返す人々とも、きっぱり手を切ったほうが良いと思う。

この記事の陰湿なのは、謝っても、言ったことは消えないということだ。おそらくメディア人気を頼りにする橋下市長にとっては相当のダメージになる。
草の根の意識では、差別意識はしっかりと生き残っているからだ。正義漢めかして、個人攻撃するのは、いかにも朝日らしい。

私も学生時代からずっと立場をはっきりさせてきたから、陰で「そうは言っても共産党だからな」と言われていることを知っている。
就職できなかったり、職場で昇進ができなかったり、家族までとばっちりを受けたりする情況も相変わらずだ。このあいだも原子力規制委員会に赤旗を入れないと突っ張ったが、結局、「押し売り、共産党お断り」の世界だったことが分かった。

ある意味、信念で選んだ道だから救われるが、出自に基づく差別はそうは行かない。差別は黙っていては消えない。逆上する必要はないが、平等・博愛の旗を掲げて毅然と生きるしかない。

そうだよね、橋下さん。


赤旗の「いま言いたい」シリーズで、奈良県医師会の塩見俊次会長が登場している。

今の野田政権はもう第二自民党、自民党野田派です。
自民党の安倍政権が誕生しても、なんら期待できないばかりか逆に不安です。
経済の自由競争がすべてという新自由主義をふたたび推し進めるのであれば、日本の将来は非常に暗い。
大阪の橋下市長も目指すところは小泉路線、新自由主義路線だと思います。
すべての医療を基本的に公的保険でカバーする国民皆保険制度はなんとしても守らなくてはならないし、さらなる改善が必要です。「社会保障のため」として消費税増税法が成立しました。医療は非課税とされていますが、医療機関はすべての仕入れにかかる消費税を被っています。消費税が上がったときに、閉院を余儀なくされる病院が出てくるのは必至です。
医療の自己負担がどれだけかかるか不安で、多くの人が消費を控えています。それでは景気も良くならないし、税収も伸びないー悪循環です。

言っていることは共産党と同じだ。ただどういう状況で言っているかは別だ。それが「塩見の意見」を見ると良く分かる。医師会の古い人たちから総スカンに近い扱いを受けながら、多数派の獲得に成功している。その過程では相当の軋轢があるようだ。

ツイッターには早速反応があったようだ

お久ぶりです。今朝の赤旗、じっくり読みましたが、まったく同感の限りです。反論すべき字句は一つも見当たりません。私はもともと医師会ぎらいなのです が、、、。今の政治にはっきりNOを言って医療を改革しようとする奈良医師会の姿勢は大いに応援させていただこうと思います。

これに対する塩見会長の返事
ありがとうございます。私は共産党支援者ではありませんが、医師会という組織を通じて世の中のおかしな点を正していきたいと思っています。そのためには、あらゆる機会を通して自分の考えを皆さんにお知らせしたいと考えています。いろいろ抵抗はありますが・・

意見がまったく同じでも支持せず、結局最後は意見の違うダメ政党支持にこだわる、やはり、「共産党と呼ばれることへの恐怖」なんでしょうかね。根深い風土ですな。


すみません。メモ代わりに使っています。

老人保健施設の医療

江澤和彦

(日老医誌2011;48:342―344)

介護老人保健施設(以下,老健施設)は,昭和63 年の老人保健施設の制度発足に始まり、全国に3,700 を超える施設が整備されてきた.この間,老健施設は在宅復帰支援,リハビリテーション,認知症ケア,看取り,ユニットケアなど多機能性を発揮し,医療は,日常的な医療対応や不測の急変時の対応等の役割を担ってきた.

この間の医学の進歩により,日常の標準的な医療の一部には,専門医により提供される医療や高額な薬剤を用いる治療などが含まれるようになり,施設内の医療ニーズが高まってきている.

全国老人保健施設協会にて行った「介護老人保健施設における適切な医療提供のあり方に関する研究事業」(平成20 年度老人保健事業推進費等補助金事業)

の要点を紹介する。

①入所者のうち「医療機関から」が55.9% を占めるが,「急性期(一般病床から)」が全体の39.3% であり,「家庭から」の34.5% より多くなっている.

②退所者のうち「医療機関へ入院」が51.2% を占める。ついで「家庭へ」が27.0% で続き,「老健内で死亡」は3.3% である.

③医師の時間外(休日・夜間を含む)体制は、オンコール体制が55.6%、併設医療機関の当直医が32.0%となっている。

④看護職員の体制は、看護職員の当直が78.0%。人数の平均は,1.1 人となっている.

⑤医療処置としては「褥瘡の処置」「点滴」「喀痰吸引」「尿道カテーテル」「インスリン注射」「経管栄養」「酸素療法」「間歇導尿」「ネブライザー」「人工肛門」が70%を超えている。一方,「人工呼吸器」,「透析」,「中心静脈栄養」,「気管切開」,「緩和医療」,「ドレーン」については、5割以上が「不可能」としている。

⑥急変事態は、肺炎(誤嚥性を含む)が70.5%で最多である。以下「褥瘡」,「認知症の行動障害」,「尿路感染症」,「骨折」,「貧血」,「意識障害」,「急性気管支炎」が上位にあげられている.

⑦急変事態のうち、「褥瘡」,「脱水」,「帯状疱疹」,「認知症の行動障害」,「感染性胃腸炎」,「インフルエンザ」,「急性気管支炎」,「尿路感染症」については、6割以上が自施設で対応。「肺炎」については,24.1%が自施設で対応。それ以外(すなわち骨折、貧血、意識障害、肺炎の3/4)は医療機関に依頼。

⑧終末期医療を行った施設は41.1% である.平均症例数は5.0 となっている.70.9%は「家族が延命治療を望まない」ためとされ、家族の意向による影響が最も強い。医療的処置としては,「末梢静脈からの点滴」(81.1%)が最も多い。医療行為としては,「喀痰吸引」(83.3%),「点滴」(82.6%),「酸素療法」(79.1%)があげられる。

⑨認知症は、92.1%が有している。ランク「III」が36.1% と最も多く,次いで「II」が27.9%,「IV」が13.2% となっている.


ようするに、老健が医療費削減のための受け皿になっている。そのために医療の矛盾が老健に集中して現れている。
厚労省は在宅への橋渡しとしての建前を捨てず、その結果利用者・家族にしわ寄せが行っている。
老人の恐怖は死ぬことよりも生きることになり、家族の希望は老人の死ぬこととなりつつある。
言っておくが、下の始末が出来なくても、認知が進んでも、老人は粗大ごみじゃないぞ。立派な人間だぞ。少なくとも粗大ごみ以下ではないぞ。その辺に捨てたらあかんぞ。





このところステレオ初期の録音がとてもよい音質でアップロードされるので、つい懐古趣味になってしまう。
最初はライナー指揮シカゴ交響楽団の「田園」だ。63年の録音というから最晩年のものだ。
音は良い。とにかくシカゴ交響楽団の上手さには恐れ入る。第一楽章はなんということなく流れて、こんなものでしょうと思っていたが、第二楽章の細かいパッセージになると、ウヒャとたまげてしまう。嵐の場面になったらもうとんでもなくすごい。
こんな楽団、いまだにないんじゃないのかと思ってしまう。

もう一つはベイヌム指揮コンセルトヘボウのブラームス1番。すごく地味な演奏だが、聞き進んでいくうちに、「これしかない」と納得させる。
フルトヴェングラーのどろどろ演奏があって、たぶんベイヌムはそれを知っていてこういう風に演奏しているのだろうと思う。徹底して弦の合奏にこだわる。それに木管を絡めて、というスタンスを崩さない。
雷鳴のごときティンパニーも、轟音のごときコントラバスもそこにはない。なのにそこにはいずまいを正した緊張感が支配する。名演である。
口を開けばフルトヴェングラーという連中に、この演奏を聞かせたい。

日経ビジネス・デジタル版の10月15日号が大変話題になっている。
一つは当然のことながらその内容であるが、もう一つはただちに削除されたことだ。
しかも、何たる技術の進歩! それがグーグルのキャッシュ版で全部読めるということだ。
これがそのページ
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:http://business.nikkeibp.co.jp/article/NBD/20121012/237978/?ST=pc&hl=ja

編集者がそこまで読んで掲載したのなら、相当の策士である。

まぁ、読んでもらえばいい話だし、私がコメントしてもしょうがないのだが、感想を一つ二つ。

記事は ニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファクラー氏へのインタビューで、聞き手は大野和基さんというジャーナリスト。

…これは記者クラブだけの問題ではありません。もっと大きな問題です。日本の大メディアは、エリート階級の中に入っているということです。東大、慶応、早稲田出身で、同じバックグラウンドと価値観を持っている。みんな官僚に同情的で、彼らの側に立ってしまうのです。

3.11の時、この面をはっきり見たと思います。本当に監視役になっていたのなら、「フクシマは大丈夫だ」「メルトダウンはない」という記事は書かなかったのではないでしょうか。

大メディアは、政府と対峙することなく、国民に対峙する報道をした。私はこの点を痛烈に批判しました。…メディアを監視役ではなく、システムの一部としてみるなら、起こるべくして起こったことだと言えるでしょう。

…オリンパス事件のときに、フィナンシャル・タイムズがスクープし、ニューヨーク・タイムズとウォールストリート・ジャーナルがそれに続きました。その間、日本経済新聞は何も報道しませんでした。沈黙です。
まったくクレージーです。ビジネス・ジャーナリズムとして、3.11報道と同じくらいの大きな失敗でした。チャレンジする精神がまったくありませんでした。

…今、我々は非常に興味深い時期にいます。…国民と大メディアの間に溝が生じ始めたのです。…3.11が変化の始まりでした。これほど強い不信感をみたのは初めてです。

これだけの記事を載せた編集部の勇気と、ただちにボツにした本社との乖離は、何がしかの感慨を抱かせる。
とにかく支配体制にほころびが出始めているのは間違いない。それをもたらした地下のマグマが、噴出間近になっていることが予感される。


ニューロリハ医のメモリーノートというブログを見ていたら、
「日本の胃瘻患者の2年生存率は50%くらい」というページがあった。
World J Gastroenterol. 2010 Oct 28;16(40):5084-91.Survival of geriatric patients after percutaneous endoscopic gastrostomy in Japan.
という論文の紹介で、以下の内容。

日本における胃瘻患者の生命予後はどのくらいでしょうか。この研究は65歳以上のPEG患者931人を約468日フォローしたという報告です。

50%の患者は753日生きていた。28人の胃瘻は抜去されていた。
死因の59%は肺炎だった。8人の死は胃瘻に関係するものと思われ、低Alb血症と関連がみられた。
予後不良因子としては高齢、CRP高値、BUN高値があげられる。


この数字は家族のムンテラには役立つな。ニューロリハ医さんありがとう。

みさと健和病院の宮崎康先生が、「MRHEかSIADHかで鑑別に苦慮する例」という論文を発表されている。

結論とすると、あまり考えずにフロリネフを投与してみればよいということだ。検査しても診断がつく訳でもなさそうだ。
通常のステロイド投与と比べ特段の害はなさそうだ。適用外使用になるようだが、老健では関係ない。

老人の低張性脱水は結構多い。慢性の人もいる。

SIADHは「抗利尿ホルモン不適合分泌症候群」でMRHEは mineralcorticoid responsive hyponatremia of the elderly の略,日本語では「老人性鉱質コルチコイド反応性低ナトリウム血症」だが、どっちにしてもよう分からん。

ネットで調べたら、ニューロリハ医のメモリーノートというブログがあって、そこに

MRHE にはフロリネフを使おう

というページがあった。

Internal MedicineVol. 46 (2007) , No. 3 pp.139-140

の抄訳が載せられている。

フロリネフの薬品名はフルドロコルチゾン酢酸エステル。ブリストル・マイヤーズが扱っている。
初回量は半錠を一日一回服用ということらしい。1錠350円、1ヶ月で(350/2)x30=5250円。ちょっと厳しいが、良くなれば止めることも出来るそうだから、一応選択肢だろう。

共産党の第5回中央委員会総会で志位委員長が報告を行っている。その中から情勢のところを見ておく。
一言で言って、政局と政治の底流とを統一して把握した優れた分析だと思う。
民主党政権が始まったとき、共産党は「過渡期の始まり」と評価した。この言葉は、今回の報告の中では使われてはいないが、やはり「過渡期」の状況がさらに進展したと見るべきであろう。
表面上は反動派の巻き返しが強まっているように見える。しかし、その支配の土台は一段とやせ細ってきている。これは行きづまった支配層が、より謀略的で凶暴な手段に打って出る危険性をはらんでいるという点では危機であるが、それを許さず、真の新しい政治をもとめる国民の声が高まっているという点ではチャンスである。
志位報告は政局の動きから説き起こしているが、我々としては、もう少し大きな流れを把握するとことからはじめるほうが分かりやすい。すなわち「過渡期状況を生み出した深部の力はいまどこにいて、どこへ向かおうとしているのか」という把握である。

それが「国民運動の昂揚の中で、注目すべき三つの特徴」という節で展開されている。
第一の特徴: 国民の政治主体化が始まっていること。
これまで政治とは距離があった広範な人々が、閉塞状況を自らの力で打破しようと自覚的に立ち上がっている
しかもそれらの課題は、まさに現在の国政の中心課題であるとし、国民的決起の二重の重要性を強調している。
第二の特徴: 国民の運動が世論を動かしつつあること。
どの問題でも国民運動が掲げている旗が、国民多数の声に発展しつつある
運動野と一般市民の距離が縮まり、悪政強行勢力が国民の中で孤立を深めているところに情勢の特徴を見ている。
第三の特徴: 支配層の真の姿が暴露されつつあること。
敵はコロコロ変わる内閣でもなければ、既得権益にしがみつく官僚どもでもない。昔風に言えば「米日反動」であり、とくに財界であること。
それぞれのたたかいを通じて、「アメリカ言いなり」「財界中心」の政治が、最大の障害になっているという自覚が広がっています。

この説の最後は以下のように結ばれている。
保守をふくむ無党派の人々と日本共産党との共同をさらに広げることこそ、日本の未来を開く最大の力であります。この力が現実の政治を動かしていることに確信を持って、さらに奮闘しようではありませんか。


バッハの無伴奏パルティータの三番をBGMで流していた。
パソコンというのは便利なもので、シェリングからウェルナー・ヒンク、ギル・シャハムと連続演奏だ。とちゅうクレーメルが入るがこれは不愉快だから飛ばそう…
とやっているうちに、とんでもない演奏が聞こえてきた。なにか歌っているようだ。人の声のように聞こえてくる。「なんやねん、こりゃぁ」と思ってプレイリストを見たら前橋汀子の演奏だった。
たぶん、どこか演歌の節回しなのだろう。「勝手口から今晩は」という感じで入ってくる。しかし下品ではない。下品ではないがかなり色っぽい。
白絹の襦袢で三つ指ついてからお床入り。その後は身もだえしつつ、燃えに燃えてエクスタシーという具合。
いまから十数年前の録音だから、数えてみれば女ざかり、芸の盛り。
楽器のせいもあるのか、実にバイオリンらしからぬというか、バイオリンらしいというか、とにかくすごい演奏だ。
これ以上は下品になるのでやめておく(もう十分に下品かな)。

老健の医師は胃瘻に消極的なことが分かった。

これは全日本病院協会が施設・職員を対象に行った胃瘻に関するアンケート調査。
http://www.ajha.or.jp/voice/pdf/other/110416_1.pdf
調査が実施されたのは平成22年である。
いろいろな表があるが、これはその一つ。


http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/4/1/4143d601.jpg

これで見ると、老健の医者の半分は胃瘻などやらないほうが良いと考えているようだ。相当毛色の変わった人物が多いということが分かる。

これに対して介護や看護職の半数近くは、必要なら胃瘻も選択肢の一つにしている。老健の主力は介護職だから、実際に介護してみて、こういう感じかなという気がする。
食事の介助に30分とか1時間近くもかかる入所者もいる。そうやって介助している人たちの感想だから、この数字は尊重する必要があると思う。老人にとっては食べることも重労働なのだ。
けっして介護の仕事が大変だから胃瘻ということではない。なぜなら、大変だから介護という仕事が生まれ、介護スタッフはそれで飯を食っているからである。

介護型老健では胃瘻患者は全国平均で7%前後だから、実際に胃瘻患者を見ているわけではない。胃瘻が必要となれ関連病院にお願いすることになるし、胃瘻を造設すればしたで、療養型の施設に移っていただくことになる。


そういうことも含めて40%以上のスタッフが部分的にせよ胃瘻は必要と判断している。問題は医師がそう思っていないことだ。

医者が特別にヒューマニスティックとは、私には思えない。むしろ老健の医者があまり入所者を診ていないのではないかと思う。過激な言葉を使うが、胃瘻は坊主談義では語れないし、語るべきものでもない。個別の治療の経過の中でいやおうなしに、一つの選択として迫られるものだ。
自分としては、個別のケースを追究していけば、胃瘻という結論にしか達し得ない人がたくさんいると思う。そうやって胃瘻で生き返る人もたくさん見ている。

「そこまでしたくない」という世間一般の気持ちはわからないでもない。でも私は「胃瘻くらいで」と思う。胃瘻は“延命治療
ではない。そもそも違う範疇の話だ。(“延命治療というのもいやな言葉だが)

たとえば車椅子生活を送る人を見て、「車椅子に乗ってまで生きたくない」と思う人がどのくらいいるだろうか。

と言いつつも家族の圧力に負けることもあるが、「胃瘻をやるべきではない」と思ったことはない。だから医者の半分が「やるべきではない」と考えていることが不思議でならない。


「日本の原発・再処理・もんじゅ・MOX原発はすべて、プルトニウム原爆を作るための施設体系だ」という昨日のパネラーの発言を疑うわけではないが、より確からしい証言がほしい。

ということで、すこしネットをあたってみた。

まずは「核情報」というサイト。

http://kakujoho.net/npp/kang2s.html#d1

原発のプルトニウムで核兵器は出来ない?出来る?

という特集を組んで、双方の意見をまとめている。

最初はできないという主張。

これは文部科学省の原子力教育情報提供サイト「あとみん」というところで、ここでは「原子力発電所で生まれたプルトニウムは原子爆弾に利用されることはありません」と述べられている。

要旨は以下のとおり。

兵器級のプルトニウムの場合、プルトニウム239の含有量が93%以上だが、日本の原子力発電から出てくる原子炉級プルトニウムでは60%程度だから、核兵器への転用はできない。

なぜかというと、

プルトニウム239以外に、勝手に「自発核分裂」を起こして中性子を出すものが増えたり、ガンマ線や発熱の量が大きくなったりする。

「自発核分裂」で生じる中性子のために核分裂反応が早期に始まってしまい純度が下がる。

というのが理由。

もう一つは同じ「あとみん」の解説書「プルトニウムってなんだろう」の一節。

原子力発電所で生まれたプルトニウムは原子爆弾に利用されることはありません。

核兵器用と原子炉で生まれたプルトニウムには同位体の組成に違いがあります。原子力発電所で生まれたプルトニウムは原子爆弾に利用されることはありません。

テロリストが発電用原子炉でできたプルトニウムを核兵器に転用しようとしても不可能に近く、強い放射線により命を奪われる可能性の方が高い。

これが本当なら、我々としてはまったく心配する必要はないことになる。しかしそれがウソだというのは連中が自ら証明している。現職の防衛大臣も読売新聞の社説も原発が停止されたら核兵器生産能力が失われるので絶対にやめてはいけないと力説しているではないか。

これらの主張が正しいとすれば、連中はこれまで平気でウソをついていたことになる。どっちにしても浮かばれないが、これについてはぜひ国会で黒白はっきりさせてほしい。


次に、できるという主張

日本原子力学会の英文誌2000年8月号に発表した論文で、共著者の顔ぶれがすごい。鈴木篤之(現日本原子力研究開発機構理事長)と鈴木達治郎(現原子力委員会委員長代理)である。

要旨は以下のとおり

兵器級プルトニウムと比較した場合、原子炉級プルトニウムの方が重いプルトニウム同位体の含有率が高いことは、若干は核拡散抵抗性を高めるが、決定的ではない。

プルトニウムの同位体組成の劣化は核兵器の設計や製造を複雑化する。しかし、基本的にいかなる組成のプルトニウムも核兵器の製造に使うことが出来る。

粗野なつくりの原爆でも、TNT火薬にして数百トンの最低限出力が得られる。現在の兵器設計を使って圧縮時間を短縮すると、原子炉級プルトニウムも、兵器級プルトニウムに匹敵する爆発出力を持つことができる。

この論文がすでに2000年に発表されているのに、文科省はシラをきっていたということになるのだろうか。


なお、TNT火薬にして数百トン という数字はロスアラモス国立研究所の理論部の部長カーソン・マークの研究によるもので、この数字自体は常識となっていたようだ。

このサイトの著者は皮肉たっぷりにこう書いている。

元動燃理事の栗原弘善氏は、「原子炉級プルトニウムを使って核爆発装置を作ろうとすれば、それは、核の花火にしかならない。つまり、まぶしい光と大きな音を出すが、核爆弾の大きな壊滅的な効果をもたらしはしない」と表現した。

TNT火薬にして500トンの爆発を「まぶしい光と大きな音を出す」花火と呼ぶのは豪快である。


ただ、故栗原氏の名誉のために付言しておけば、この発言は92年のものであり、日本側の一般的理解であった可能性もある。

「冷戦後の軍備管理・核拡散防止に関する日米研究グループ」が95年に組織され、栗原弘善、鈴木篤之氏も参加している。

この報告書では

技術的問題として、幾分かの追加的労力があれば、いかなる種類のプルトニウムを使っても、よく知られた技術を使って核兵器を作ることができるとの合意に達した。

とされている。ただ日本側(今井隆吉氏)はこの合意にかなり抵抗した様子が伺える。

原子炉級プルトニウム問題が「良識のある結論に達していない」との今井氏の主張に対し、ガーウィン氏は、「あなたが個人的にそのような主張をすることによって混乱を引き起こしている」と述べた。…日本語版『プルトニウム』誌(98年夏)

原水禁国民会議のサイトより


ということで、
どうも佐藤さんの言う「業」はあまり本来の「業」とは関係なくて、我々が俗に使う「前世の業」とか、「どうしようもない人間の業」なんていうのに近いみたいだ。
宿命的な行動という意味だろう。

盗撮犯がつかまったり、有名人の淫行が発覚したりしたときに良く使う「業」は誤用に近く、「性」(さが)を使ったほうがよさそうだ。
それにしても、佐藤さん、日本人ですね。

佐藤清浄さんが提起した「業」についてすこし勉強した。

まずはWikipedia

(ごう)とは、仏教の基本的概念である (カルマ) を意訳したもの。

どうも仏教以前からの概念で、かなり変遷したらしい。それが釈迦の下でいったん体系化され、そのあと世界に広がるにつれ、とくに中国で変形が加えられた。さらに日本に来て民間に流布されるに及んで、日本人独特の心性にあわせて変形・俗化した。

ということで、4つの時系列的類型がある。ここではA)パラ・釈迦も含めたプレ・釈迦、B)釈迦、C)大乗アカデミー、D)俗説的解釈、としておく。


A) 釈迦以前の「業」論

①バラモン教

もともとの教えはこうである

「死後、霊魂は秤にかけられ、善悪の業をはかられる」ということで、実践の集大成が「業」ということになる。

それで実践=個別の業とは何かということになる。これは時代が下ると、こう語られるようになる。

「人は欲よりなる。欲にしたがって意志を形成し、意志の向かうところにしたがって業を実現する」— 『ブリハド・アーラヌヤカ・ウパニシャッド』

人と業のあいだに、欲望と意志という二つの概念を挿入することにより、論理が一気に精緻化する。同時に業が多義化する。

ヘーゲルっぽく言うと、

意志というのは目的と手段を持った欲望だから、欲望の達成の過程で、人は目標の形成力と実現手段の体系を獲得することになる。

業の実現とは、単純な欲望に基づく行動ではなく、①一段と進化した人間的能力=業(わざ)と言うことになる。さらには②到達した業(わざ)を用いての意識的実践ということも視野におかれる。

なんか、解説のほうが難しいですね。要するに、業(ごう)が業(わざ)と業(ぎょう)に分離するんですね。

②六師外道

「業」が何かはさておいて、「死後、霊魂は秤にかけられ、善悪の業をはかられる」というのがそもそも気に食わない、という人も当然いるわけで、

「ある人は、霊魂と肉体とを相即するものと考え、肉体の滅びる事実から、霊魂もまた滅びるとし、…業を否定した」

私から見ればきわめて健全な常識の持ち主だが、釈迦からは「外道」とののしられているようだ。

六師というのは釈迦とおよそ同時代マガダ地方あたりで活躍した6人の思想家たちのことだそうで、これはこれで面白そうだが、とりあえず後回しにする。

ただ、釈迦が敵なし状況の下で沈思黙考したのではなく、かなり多彩な論者と切り結びながら教義を形成したということは、憶えておいてよいことだろう。

B)釈迦の「業」論

バラモン教の「業」論、それをさまざまな形で批判するものとしての、六師外道の所論にたいして、釈迦はどういうスタンスを取り、どう論駁しようとするのか。

「比丘たちよ、意思(cetanā)が業(kamma)である、と私は説く」

釈迦はこう述べ、“何とかウパニシャッド”の欲望→意志→実践→業の実現という図式を変更する。平たく言えば業の主体化だ。目的意識や手段は主体の中に内在化される。逆に欲望は煩悩として外在化される。

本能のままに動く自分は、自分ではないということになる。欲望は煩悩というナマの形では否定され、業として、業を通じて止揚されるのである。よほど思い切った観念論的逆立ちである。

たしかにこれで形而下のわずらわしい論争を回避し、観念的表象の操作に集中できる。しかし何のためにこんなことをするのか、それで何が解決するのか… とりあえずもう少し、釈迦の所説を追ってみよう

釈迦は意志という場合、意志に基づく実践をも意志の概念に含める。意志はそれ自体が過程なのだ。

Wikipedia の筆者によれば、

「仏教では心を造作せしめる働きとして、思考する行為が先に来ると考え、これをまず思業と名づけ、後に起こる身口の所作を思已業名づける。…業は意志・形成作用(行、サンカーラ)とも同一視される」

実践といっても、きわめて観念的なものだ。なぜここまで抽象化するのか、実はこれが六師外道の因果応報否定論に対する反論の基礎となるからだ。
(と言い切るほどの自信はありませんが、ここから先の論理が、道徳論へ飛んでしまうので…)

Wikipedia の記載はここまでだ。

弟子たちが、業の構造を分析しているようだが、Wikipedia の記載は簡潔に過ぎて、理解しがたい。C)、D)はここでは触れられていない。小乗仏教の教義が若干触れられているが、本論からは外れるので省略する。


次は大谷大学の一郷正道さんの解説

http://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq0000000qmt.html

仏教の「業」は、

(一)行為をおこす前の意志作用、

(二)身体、言語による行為そのもの、

(三)その行為の残存効果、

という三を内容とし、その順序で展開する。

単に「行為」(梵語カルマン)という語だけでは表現しきれない。

心(意志作用)から業は生じ、その業の結果として私の世界が形成される。

ということで、私がうんうん唸りながらまとめた中身がさらさらとまとめられている。さすがである。

ただすぐそのあと、俗っぽい道徳論にいってしまう。

たしかに釈迦は因果応報論を擁護するために、「業」の概念をモディファイしたのだろうが、業の話を因果応報論にすり替えるのは、釈迦としても本意ではないのではないか.

どうも釈迦の理論はインテリ中間層の発想のような気がしてならない。意志の重視と、個ないし私へのこだわり、実存を過程としてとらえる弁証法的発想は社会的中間層に特有のものである。

これでは到底大衆宗教とはならない。日本で国民の多くを帰依させる過程では相当の卑俗化があったと見てよいだろう。


サロネンがウィ-ンフィルを振ったシベリウスの第2番がyoutubeで聞ける。
2010年のライブ録音だそうだ。
これがひどい。
上手い下手というより、とにかく不真面目だ。サロネンという人の指揮が悪いのかもしれないが、とにかく音があわない。練習したようには思えない。棒を見ないで音を出しているのか。指揮者をおちょくっているのか。
昔、ホロヴィッツのコンサートをテレビで見たときと同じ感想。ひび割れたクリスタルグラス。
口直しにと思って、カラヤンBPOを聞いたが、これも違う。シベリウスはブラームスではない。もっと透き通ってもらわないと困るのだ。
結局、コリンズ・ロンドン交響楽団で耳が出来上がっちゃってるのかね。

森口さん、まだ残っていた! もうじき消えるだろうから、無断コピーしておく。

東京大学先端科学技術研究センター 

Research Center for Advanced Science and Technology

特任助教授
森口 尚史
Associate Professor MORIGUCHI, Hisashi
次世代知的財産戦略研究ユニット
E-mail
hisashi@ip.rcast.u-tokyo.ac.jp

Office
56号館3階303号室

Tel
03-5452-5327

FAX
03-5452-5280

1995年3月
東京医科歯科大学 大学院医学系研究科修了

区切り線

1995~1999年
財団法人医療経済研究機構主任研究員・調査部長 ハーバード大学医学部マサチューセッツ総合病院客員研究員

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1999年8月
東京大学先端科学技術研究センター知的財産権大部門研究員

区切り線

2000年10月
東京大学先端科学技術研究センター客員助教授

区切り線

2002年4月
東京大学先端科学技術研究センター特任助教授

研究分野:
  1. 先端医療技術評価研究:
    主に、消化器病・肝臓病や循環器病、癌に関する先端医療技術の評価研究を学内外の医療・研究機関と共同して実施し、それらの疾患に関する現時点での「最適 治療戦略」を臨床現場に提示している。また同時に先端医療技術のみならず既存の医療技術についても戦略的な評価を行い、それらに対する新たな臨床価値を見 出す研究も実践している。
    当研究室は特に消化器病学・肝臓病学に関するClinical Practice研究(Clinical Management Strategies, Epidemiology,Technology Assessment)に関しては世界のトップクラスであると評価されている。研究成果についてはGastroenterology, Hepatology, Lancet, N Engl J Medといった世界のトップ医療誌や学会で逐次発表している。
    最近の主な成果としては、Clinical Genomics(臨床ゲノム科学)データ・患者QOL(生活の質)データ及び治療データを元に「難治性HCV患者に対するオーダーメイド医療戦略」を世界で初めて提示した。
    また更に、難治性HCVに対するClinical Genomicsを用いた画期的な治療薬の開発戦略をデザインしている。
  2. 次世代医療・知的財産政策研究:
    日本では、最近の「混合診療問題」や「抗がん剤承認問題」などの医療政策上の重要問題に関して相変わらず皮相的かつ定性的な議論がなされている。当研究室 では上記1の研究を基盤にし、臨床的に有用であり、科学的根拠に基づいた「患者本位」の医療政策を医学・情報科学・経済学・知的財産権学等の「知」を総動 員して探索している。
    また、最近では慢性疾患に関する「疾病管理システム特許」や「医薬発明特許」に関する諸問題について学融合的に考究している。

森口尚史氏の事件がめっぽう面白い。実に痛快だ。

騙しの成功過程も面白いし、騙された読売新聞もざまぁみろだ。結局、アメリカの外圧で事件が解決したというのも、マスコミの現状を見事に露呈していて面白い。私も将来どうでも良くなったら、やってみたいくらいだ。「犯罪だ犯罪だ!」と叫ぶが、どこが犯罪だ。実害は一つもない。ただの「ほら吹き男爵」だ。

「世間をお騒がせしました」というだけで、それから生じた犠牲はすべて自分がかぶります、というんなら見事なまでに潔癖だ。大体世間を騒がした罪は新聞社にあるのであって、無邪気なホラを吹いた本人ではない。

しばらくしたら「私はこうしてマスコミを騙した」という手記がどこかに発表されて、これまでに、それなりに築き上げた社会的地位と引き換えにいくばくかの金をいただく。

飲み屋に行けば、「読売新聞を手玉に取った男」としてもてはやされるかもしれない。案外、そこそこの就職先が見つかる可能性もある。とすれば、この男、あまり精神病理的な分析をする必要はないかもしれない。


恐るべき物好きがいるもので、もうWikipedia に「森口尚史」の項が立てられている。早速読ませていただく。

問題は経歴だ。読売がこの経歴を知っていれば、絶対に飛びつかなかっただろう。(…いや、飛びつくかもしれない。上司もふくめてとびっきりのアホだから)

ということで、医科歯科の看護学校に入学したときはすでに25歳、高校卒業からすでに7年が経過している。医者への執念が異常に強い人だ。この空白は、想像するに医学部を受験しては落ち続けていたのではないだろうか。「予備校の星」みたいな人がよくいる。

それから先は順調で4年で看護学校を卒業し、修士もとって、「医療経済研究機構」という会社に就職し、「調査部長」の肩書きまでいただいている。まあ、これで一生食っていけば、なんと言うことはない人生だった。専門は知的財産権だったらしい。

その後ろのハーバードが面白い。東大先端研の研究者リストには、99年8月の先端研就職以前の経歴としてしっかり書き込まれている。実際にMGHの記録に残っているのは99年11月からの1ヶ月間だけだから、すでにこの時点から経歴詐称が始まっていることになる。しかしそれよりも面白いのは、“どうやって”ということと“なぜ”ということである。31歳から35歳にかけてのこの4年間は、空白の4年間であるだけでなく、今回の事件のなぞを解く鍵が含まれている4年間であろう。

かくして、「MGH客員研究員」の肩書きを引っさげて、東大先端研へのもぐりこみに成功した。見事なものである。しかも知的財産権の専門家としてではなかった。これ以降は医療統計の専門家としての道を歩むようになる。

ちょっと蛇足だが、この頃の医学界の動向を紹介しておく。この頃から(今でもそうだが)、臨床研究の発表に統計的手法の徹底が強くもとめられるようになった。つまり医学研究のグローバリゼーションである。論文は英語で書け、発表は英語でしゃべれとやかましくなった。臨床医がそんなことできるわけないから、統計屋(コントローラー)が大規模臨床研究のすべてを仕切るようになった。その手の分野の人に働き口が一気に拡大し、人手不足が深刻になった。おそらくそういう状況だから、多少の胡散臭さには目をつぶってでも雇ったんではないだろうか。

それからの出世は早い。1年後には客員助教授となり、3年後には特任助教授となっている。何かよう分からんが世間的には助教授だ。そして43歳で博士号を取得した。立派なものだといえるだろう。相当がんばったんだろうと思う。

まあ、これで一生食っていけば、なかなかの人生だった。

ところがこの人、それでは終われなかった。それこそ“業”なのかも知れない。C型肝炎にかかわったのが、医者願望に火をつけたのかもしれない。

ファーマコゲノミクス”というのは薬学屋さんのお得意で、遺伝子を解析して最適の薬物治療プロトコールを作ろうという技術だ。

片や遺伝子、片や難病となるとなにやらそれらしくなる。治験のプログラムを立てて、医者や研究者をコントロールするのが仕事だから、気分の悪かろうはずがない。そこで舞い上がったというのが、そもそもの発端ではないだろうか。

この頃から新聞社にあることないこと言いふらし、それが不思議に取り上げられるものだから、誇大妄想のけがでてきた。

そして先端研に腰をすえているのに我慢できず、臨床現場に首を突っ込むようになったのが半年前のこと。しかし臨床現場では、予期に反し医者からぞんざいにあつかわれて、一気にフラストがたまるようになる。そしてついに狂って、「これが最後っ屁」とばかりに盛大にかました…

という筋書きが思い浮かぶのですが、いかがなものでしょう。むかし読んだ松本清張の小説みたいですが、何か陰があるんじゃないかと気になる人です。


本日のサッポロ反原発集会は1万数千人が集まったそうだ。70年安保以来だ。
あの時も1万人を超える集会は2,3回ではなかったかしら。
イラク戦争反対のデモも5千人で「すごいね」と行っていたが、やはり生活にもろにかかわるものだけに、根っこの深さが違う。
集会が大通8丁目で行われて、そこから出発したデモの先頭が大通で解散しているのに、まだデモ隊の最後列は会場を出ていないというくらいすごいものだ。
実は集会と並行して、宗平協の「反原発シンポ」が行われ、そちらに出席した。
話として印象に残ったのが三つ。

ひとつは、福島では餓死した犠牲者が相当いたということ。2日目に避難勧告が出て、みんな逃げ出したから、建物の中にいた人たちは見殺しにされた。
60キロの体重が39キロになって発見されたというから、間違いなく1週間やそこらは生きていたはずだ。検視した医者がそういっていたそうだ。。こういう人々は「原発事故による直接の死者」とは呼ばないのだろうか。
見殺しにされたのは牛ばかりではなかった。牛舎につながれたままやせ衰え死んだ牛の写真を見せられると、つい死者を想像してしまう。
これは間違いなく、修羅の世界だ。

ひとつは、核燃料サイクルの究極の目的が純度99%のプルトニウムを精製することにあるということ。だから再処理施設も、「もんじゅ」も、大間のMOX原発も決してあきらめないのだそうだ。
正直初耳である。ありそうな筋書きだが、すこし根拠をはっきりさせなければ、にわかには確信とはならない。

もう一つはブラジルからやってきた佐藤清浄さんの話である。彼が唯一宗教と関連付けて原発を語った。その際のキーワードが「業」であった。
彼は原発事故は人間の「業」だとした上で、「業」には災難という意味もあるが、「業」に基づく行いという意味もある。原発事故をもたらしたのも「業」だが、それを克服しようとするのも人間の「業」なのだと語った。(やや私の解釈が入るが…)

もう一人の人が、岩内原発のために乳癌が増えているとし、その証拠に帯広よりも札幌、札幌よりも小樽のほうが乳癌発生率が高いと述べている。
これは、いささか理解に苦しむ主張である。少なくとも年齢構成、授乳機会の数が補正されなければならない。さらに乳癌よりもっと相関が高いとされる甲状腺がん、白血病などの発生率が比較されなければならない。
こういうことを言っていると、運動そのものの信頼が失われかねない。


1980年代の日本はなぜバブル景気になったのですか?そしてなぜバブルは崩壊したのですか?

http://manabow.com/qa/bubble3_1.html

というサイトで、バブルの背景を分かりやすく説明してくれている。

分かったことは、80年代バブルの発生には、二筋の経路があるということだ。

ひとつはプラザ合意を引き金にした国際通貨の大変動であり、その負の影響をモロに被ったのが日本だということ。

もう一つは、1983年11月の「日米円ドル委員会」を起点とする金融自由化の動きだということ。

そしてその二つの合体したところに「前川レポート」があり、これを引き金にしてバブルが始まったという流れです。

その底流には実体経済の変化があり、対米輸出を牽引車とする日本の産業は、アメリカの景気が後退局面に入る中で、膨大な為替損と、行き先のない円を抱え途方にくれていたといえます。

つまり、バブルは空前の好況を示すのではなく、その終わりにあたって咲いたアダ花といえるでしょう。だからバブルがはじけたとき、そこには寒々とした世界が広がっていたのです。


わずか1年間のうちに240円から150円まで円高に振れたため、国内経済は強い不況に直面することになりました。

日本は1986年3月以降、為替介入を逆転させて「ドル買い・円売り」を実施しました。

しかし勢いのついた円高・ドル安の流れは止まず、1987年暮れにはついに122円台まで円高が進みました。

1986年に日銀は258億ドルを買いました。それは日銀の金庫に入るのですが、それに相当する円を発行することになります。

これは為替市場との一種の戦争です。市場はドル売り円買いを進めます。それで125円前後で相場が落ち着いたとき、日銀の金庫には大量のドルがたまり、市場には、それに相当する4兆円強の円が残ることになります。

その4兆円の持ち主は元のドルの持ち主だった日本の輸出産業です。アメリカは借金をチャラにして逃げました。

つまり、円高に対する日銀介入がバブルの原資を提供したのであって、プラザ合意が直接バブルを招いたのではありません。


とはいえ、高々4兆の金がバブルを招いたわけではありません。それはいわば“呼び水効果”とも言うべきものでしょう。

この間公定歩合もずいぶん引き下げられましたが、これは「円高不況」への対策として打ち出されたもので、ある意味では当然の措置です。

公定歩合引下げがバブルの原因といわれると、喧嘩の仲裁に入っただけなのに犯人扱いされたみたいなもので、不本意でしょう。

一度、この時点で時計を止めて、経済学の枠組みで考えてみる必要がありそうです。


どうでもよいようなことなのだが、
宮尾登美子の本の書評があって、「いかにも土佐の人らしい」とある。
「いごっそう」というのだろうか。
たまたま「坊ちゃん」に出てくる松山の気風を思い出したので、四国で県民気質がどうなっているのかが気になった。
ネットで調べると、基本的には徳島から愛媛の東部にかけては、関西~岡山の文化圏で、県民の気風も似たようなもののようだ。
そして松山と土佐が独特のようだ。宇和島はむしろ土佐に近い気風と見て良さそう。気風というより言葉がそうさせているのかもしれない。我々にはあまり経験がないが、松山弁というのは関西弁とはまるで違うようだ。
結局、愛媛という県が、言葉も文化もあまり一体性のない県で、我が静岡と似たような感じなんだな。

本日の書評欄で、佐貫浩さんの「聞きのなかの教育」という本が紹介されていた。評者(浅井春夫さん)がこう書いている。

私がとくに共感を覚えたのは、「国民の教育権」の発展の土台には、憲法第25条の生存権保障という国民生活を守る岩盤が存在していることが不可欠の課題という主張である。

我が意を得たりという感じである。
私が「療養権の考察」の中でもっとも力をおいたのも、この点であった。私はさらに、25,26,27条が生存権、教育権、勤労権という三点セットで捉えられるべきだとも書いた。
私は、それは25条を基礎として、展開された社会権の三つの柱だと考えている。
生きることは生活することであり、働くことであり、学び育むことである。
こういう論理立てになったのは、憲法の成立過程とも関係している。元々、このあたりの権利はSocial Welfare という米国の考えが移されたものであり、当初は雑然とした羅列的な条項であった。
これを日本側の草案制定参加者が、「厚生」概念を中だてにしながら、生存権思想のもとに整序し、いまの形に出来上がったものと考えられる。
佐貫さんもせっかく教育権を生存権と結びつけたのだから、国民の働く権利とも結び付けて発展させていただけるとよいと思うが(狭い意味の職業教育ではなく)。

むかし、このことを力説していたら、「働かない権利というのもあっていいんじゃないか」とまぜっかえされた。
一瞬、たじろいだが、後で考えてみると「それもありだな」と思うようになった。
おそらくそれは「私事権」(プライバシー)にもとづくものだと思う。それは、自由権に属するもので、「働かない自由」と言い換えることも出来る。「カラスの勝手でしょ」というやつだ。
親の遺産がたんまりあって、一生食いっぱぐれる恐れのない連中が、趣味や道楽にのめりこんで、それが「世紀の遺産」を作り上げるということも大いにありうる。
ただ「死ぬ自由」とか「自殺の権利」とかになると…
尊厳死協会の会員カードを、お守り札のように、肌身離さず持っている難病患者もいるし…


赤旗の潮流に、ちょっと良い話。

以下は抜粋

3日亡くなった女優、馬渕晴子さんは美貌と気品を備えていただけでなく、侵略戦争美化の映画には出演しないと公言して実行した人でもあります。
そのわけを約20年前、インタビューしたときに聞きました。
真淵さんは祖父が陸軍中将、父は陸軍中佐で、叔父は陸軍報道部長という軍人一家に育ちました。そのことと関係あるのだと、こう話しました。
「男性として誠実で、妻や子を思う良い父親だったけど、彼が職業軍人として歴史に果たした役割は別のもの。だから私は父親に批判を持つ以上、生き方で別の選択をしたいと思った」
…靖国問題で「赤旗」に寄せた批判談話も、歴史への責任を果たそうとする内容でした。

冨士真奈美の話(スポニチ) 「NHK三人娘」として小林千登勢と3人、楽しい青春時代でした。(馬渕さんは)品が良く毅然としていて、その勇気と大胆さに驚かされました。

前にも一度出しましたが、データがそろったので再掲します。

高齢者の疾病悪化の実態: 老健入所者の医療機関への異動理由の分析

検討の目的

老人保健施設(以下、老健と略す)は、医療機関と在宅をつなぐ中間施設としての役割を担っている。しかし高齢者は加齢と ともに心身機能が低下してくるので、在宅復帰が出来ないまま入所期間が長期化したり、在宅でのケアーが困難となり入所されるケースも多い。この場合、さら に体調が悪化し医療機関への移動を余儀なくされることも少なくない。

今回、老健から医療機関へ異動したケースを分析し、「いわば半病人を全病人にしない」ようにするために、どのような点に留意すればよいのかを検討した。

 

調査対象

当施設は100床の介護型老人保健施設である。2010年7月より2012年6月までのあいだに、110名の利用者が当施設より退所した。

 病状悪化等により医療機関への異動となったのは100ケース(男性32、女性68)であり、これを今回の検討の対象とした。なお複数回にわたり転出・転入を繰り返したケースもあり、実人数としては72人である。

 

表1 転出先の内訳

退所先

 

 医療機関

100

 自宅

5

 その他施設

 院内死

1(心臓突然死)

 

表2 転出者の年齢・性別内訳 ()内は実人数

転出時年齢

*在籍者

79歳以下

 10

 14

24

 

80~84歳

 4

 10

14

 

85~89歳

 11

 15

25

 

90~94歳

 6

 23

29

 

95歳以上

 1

 8

 

各年齢層に分散しているが、79歳以下の比較的若年者で退所者が多い傾向がある。入所時より特定の疾患を有しているケースが多いことが要因と考えられる。*は2012年7月現在の内訳である。

表3 転出者の介護度内訳

要介護度

転出者数

*在籍者数

 

21

 

17

 

26

 

27

 

介護度の高いケースで転院の割合が高くなるが、介護度が高くなくても転出する人は少なくない。*は2012年7月現在の内訳である。

表4 転出者の認知障害度別内訳

認知障害度

転出者数

*在籍者数

 

26

 

57

 

 

認知障害が高度なほど、転出者が多い。この傾向は年齢・要介護度に比べ強い。

 

表5 転出までの入所期間

1年未満

51

(再掲 3ヶ月未満)

24

2年未満

17

3年未満

3年以上

14

半分以上が入所1年未満の転出である。3ケ月未満の入所期間の多くは、複数回退所者である。

 

表6 入所時の主病名(入所の理由となった病名)

脳卒中後遺症

41

認知症

28

骨折など整形疾患

11

心筋梗塞・心不全

イレウス後状態

ガン術後

慢性閉塞性肺疾患

統合失調

認知症はアルツハイマー、レヴィ小体、脳動脈硬化性をふくむ。イレウス後状態の7ケースは二人の入所者が繰り返したものである。認知症が主病名でない場合も、認知障害の合併は多く見られる。

 

表5 転出の理由となった主病名

摂食障害(食思不振・拒食など)

 25

急性腹症(イレウス、胆石など)

 18

肺炎(感染性、誤嚥性など)

 11

骨折など整形疾患

 11

心筋梗塞・心不全

 9

腎・泌尿器系疾患

 6

脳血管疾患

 6

PEG管理

その他

11

急性腹症は同一者の複数回転出があり、実人数は12人である。“PEG管理”はPEG造設した後いったん施設に戻り、その後療養病床に転出したケースである。

 

小括

1.年間50%の頻度で入所者の転出が見られる。そのほとんどが病院への転出であり、自宅復帰の比率はきわめて低い。

2.病院転出者と年齢、要介護度とのあいだには強い関係は認められない。いっぽう、転出者と認知障害度とのあいだには一定の関係が推測される。

3.入所時病名の41%を脳血管障害が占めるが、入所中の脳血管障害の再発はきわめて低い。これに対し整形疾患、心疾患では転入・転出数がほぼ同数となっている。

4.食事・排泄にかかわる不調が転出理由となることが多い。これは認知症の臨床的終末像が摂食・排泄障害に収斂する可能性を示唆する。

5.今後、老健の機能にかかわって、胃ロウ造設と経管栄養の管理が問題となるであろう。特に認知障害度の高いケースで早急な判断が求められる。

 

 

ゲバラとともに散った日系人

恥ずかしながら、今回初めてエルネスト・フレディ・マイムラ(Ernesto Fredy Maimura)の存在を知った。

ゲバラが死んだ後に、日本でもドッとゲバラ物が出た。その当時はトロとけんかしていた頃で、トロ(といってもノンセク系)が持ち上げるゲバラにはさほど興味はなかった。

その後、ラテンアメリカに足を踏み入れてからは、ゲバラは横を走る存在になった。多少、皆さんと歩調を合わせるくらいにはなってきて、古本屋で当時の本をあさった。

ゲバラフリークから「さすがですね」といわれるくらいの本は集めた。しかしそれらの本の中に前村は登場しない。

しかし前村はすでに1968年から、一部の人には「知る人ぞ知る」存在だった。それが「橿原日記」というブログで分かった。

このブログがそもそも面白い。生まれは皇紀2600年だそうだ。本名が応請矩明(読めるかな?)と書いてあるが、読めない。

とにかくその平成20年12月27日号に「ボリビア国籍の日系ゲリラ隊員エルネスト・フレデイ・マイムラ」という記事がある。

ここでまず、昭和44年(1969)の「サンデー毎日2月2日号」が紹介されている。この雑誌で報道写真家の中川市郎氏の特別レポート「ゲバラとともに散った日系人」が掲載されていたことが分かった。

以下、「橿原日記」さんの記事から

Ernesto Fredy Maimura は日系二世、昭和14年(1939)10月18日、ボリビアのベニ州トリニダ市で、洋服生地店を営む日本人の父、アントニオ・マイムラと妻ローサとの間に二男として生まれた。

外科医を目指していた彼は、昭和37年(1962)にキューバにわたり、ハバナ大学の医学部に進んだ。そしてチェコスロバキアとソ連に2年間留学して医学の勉強をした。

彼はハバナに戻った後、ゲリラ隊員を志望し、66年11月27日、チェ・ゲバラのもとでゲリラ戦線を戦うためにボリビアに戻ってきた。

67年8月31日、ボリビア軍と遭遇して銃撃戦になった。ボリビア軍は10人いたゲリラ戦士のうち8人を射殺し、2人を逮捕した。その一人がフレディだった。

フレディは、尋問に黙秘権を行使して、一言もしゃべらないまま銃殺された。

ハバナ首都圏のマリアナオ地区の小学校は「フレディ・マイムラ小学校」と改名された。キューバの革命詩人ロサリオ・イサベルは「エルネスト・フレディ・マイムラに捧げる歌」という詩を書いている。

というお話

これをハバナで前村の母と出会った中川市郎さんが記事に仕上げたというのが、サンデー毎日掲載にいたる経過のようである。

ボリビア日系協会連合会」のサイトに上記の案内が掲載されている。
http://www.fenaboja.com/bo_che_guevara/vallegrande.html
に直接あたっていただければよいのだが、少し、年表との関連で紹介しておきたいと思います。

バジェグランデ(Vallegrande)の町は、サンタクルスの南西300kmに位置しています。途中、サマイパタを抜け、車で約6時間。海抜2,000mです。

と簡単に書いていますが、地図で探すと、コチャバンバとサンタクルスを結ぶ国道4号線上にSamaipataという町があります。そこから、南に伸びる支道に入り南下するとバジェグランデに到着します。イゲラ村はそこからさらに南東方向にあります。地図で見るとコチャバンバ県、スクレ県、サンタクルス県の交点に近いところです。

と書きましたが、サマイパタからバジェグランデに抜ける道は、地図の上からは存在しない。二山ほど越えたパロという町から南に国道22号線があってその先にバジェグランデがある。

山道の300キロを6時間というのはかなりきついでしょう。時速80キロ以上の高速で休憩なしで行かないと無理だと思います。私もサンタクルスから日系コロニーまでバスで往復しましたが、たしかに100キロ近く出していました。

別のブログの管理人は、サマイパタに前泊して翌日の昼の12時にバスに乗り、バジェグランデに4時に着いたとありますから、100キロちょっとでしょうか。どうも地図を見ていてもこの時間感覚がイマイチ分かりません。

閑話休題
バジェグランデについたゲバラの遺体が置かれたのは、「マルタの騎士病院」ということになっていたので、私は剖検室かと思っていました。剖検台というのはだいたいあんな形です。
しかしそこは剖検室ではなく、屋外の洗濯台でした。
…と書いたが訂正します。洗濯台といっても死体の洗濯台で、そこからちょっと先に剖検室があるそうです。

チェ・ゲバラの遺体が置かれ、バジェグランデの市民にも公開されました。

ということです。

"1967年10月9日、10日
世界の人々に知らせる為、村の軍隊と記者によって、チェ・ゲバラの遺体が展示されていた。"


とかっこつきで書かれているのは、おそらく説明板の文句を写したのでしょう。良く分からない説明ですが。Viva Tarija さんのブログによると、実際に村人に公開されて、筆者の知人で実際に見た経験を持つ人もいるそうです。

バジェグランデは小さな町で、中央広場を中心に同心円状に広がっています。病院は中央広場に近く2丁ほど西に行った所です。これに対し、遺体が埋葬された軍用飛行場は、街の南のはずれにあります。
埋葬場所は二ヶ所あって、一つがゲバラとともに戦死あるいは処刑された6人の遺体、そこから少しはなれた場所に、8月31日戦死組12人が集団埋葬されていました。あの女性兵士タニアもここに眠っていたそうです。

イゲーラ村について


イゲーラ村については「ボリビア日系協会連合会」のサイトでも良く分かりませんでした。
Fudaraku Voiceさんという地図マニアの方が検索してくれています。
このサイトの中の ゲバラ終焉の地を見る というページに、イゲラ村の「ここだろう」という地図が載っています。
これを見るとイゲラ村は山稜の上にあり、そこから西に下っていくと、リオグランデ川の流れるチューロ渓谷(La Quebrada del Churo)という位置関係にあることが分かります。
ゆめぽろさんによると、イゲラから歩いて30分ほどでゲバラが捕えられたスポットまでいけるそうです。
SlowFlowさんによると、バジェグランデから来てイゲラに入るちょっと手前から谷に降りるのだそうで、なかなかきつい道のりのようです。そこから少し上ったところにゲバラたちの隠れ家があったそうです。

ネットサーフィンしていたら

日系旅行会社 ヘネシ

ボリビア サンタクルスにある日系旅行会社です。

というサイトにぶつかって、ここではなんとバジェグランデ2泊三日のツァーを募集している。サンタクルス発でお一人様5万円というからバックパッカーの相場から見ればとんでもなく高いし、日本国内で旅行する感覚ならありがちな値段かも、と思う。


ゲバラの死は、イエス・キリストの受難と似たおもむきがある。
目を背けるような写真の連続だが、案外、向こうの人はそう思ってみるのではないだろうか。
8日の午後3時頃、ゲバラはジャングルで負傷し捕らえられ、ラ・イゲーラまで移送された。

http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/a/f/af1a57e7.jpg
これがラ・イゲーラに到着したときの写真であろう。顔だけではゲバラとは同定できない。まだ生きている。左上腕を抑えている。左下腿にはかなり経過した傷がうかがえる。靴は靴とはいえない有様になっている。写真に写りこんでいる日差しと影から見て、8日日暮れ時、イゲラ到着直後のものと思われる。

http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/3/a/3a76d2a0.jpg
生前の写真。一通りの止血措置は終わり、顔にも精気がある。おそらく9日朝、バジェグランデからのチームが撮った最初の写真だろう。

http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/c/2/c2869427.jpg
よい写真だ。数あるゲバラの写真の中でも1,2を争ういい写真だ。他の生前写真はすべてゲバラをいやしめている。


http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/a/2/a2018432.jpg
処刑直後の写真。教室内ではなく、中庭に連れ出して射殺したことが分かる。タバコをくわえているのが銃殺したテラン軍曹であろう。写真で見る限り射入孔は一つだけだ。みんなでよってたかって撃ったというのは間違い。


http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/e/9/e9f3023a.jpg
ゲバラは左胸に手を当て仰向けの姿勢で絶命している。至近距離で撃たれ、銃弾は心臓を貫通し、数秒のあいだは反応したことが分かる。死亡を確認しているのはベレー帽から見て、第二レンジャー中隊長のプラド大尉であろう。

http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/0/0/0065b58a.jpg
眉の上の隆起はゲバラの特徴である。この「参った」顔が数分かけて「キリスト顔」に変わっていく、これが見ものである。


http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/1/e/1e379f89.jpg
おそらくはイゲラ村からヘリに乗せる直前の写真。目もかっと見開かれている。胸が広げられているが衣装は元のままで、「靴」もそのままとなっている。


http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/f/8/f839f13d.jpg
たぶん、上記の写真と同じ状況で足元方向からの撮影。周りの兵士たちも、この顔はぞっとしなかったろう。


http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/4/7/473b7d7b.jpg

こうやってヘリの脚に結わえ付けて運んだという写真。こうしてラ・ゲーラからベジェグランデまで運ばれた。このヘリにはフェリックス・ロドリゲスも同乗していたはず。

http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/4/5/45545180.jpg
バジェグランデに着いて、病院に安置されて最初の写真。顔が良く見えるように、首の後ろに板が当てられている。こういう状態で市民が見物したのだろう。口元が緩み、かすかにほほえみを浮かべているよう、完全にキリスト顔。

http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/d/0/d066867c.jpg
軍のお偉いさんの検分。おそらく右がレンジャー大隊司令官の大佐であろう。「靴」は脱がされている。両手はまだ存在している。

http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/5/5/5587e8bf.jpg
これがゲバラの両手。市民への供覧が終わってから司法解剖に回されており、このときに切断したものであろう。手根骨と指骨のあいだがきれいに切離されており、解剖の知識あるものの仕業と思われる。

http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/8/7/87bae47c.jpg
これが現在の墓。下段の左端がゲバラのもの。

すみません。著作権を無視しての転載しまくり。現在はさすがに食欲がない。


ゲバラの死年表を増補しました。というより整理しました。不正確なところを整理し、長い記述は囲みにまとめました。少し読みやすくなったと思います。
遺体の発掘のエピソードも載せようかと思いましたが、それほどのゲバラ・フリークでもありません。
ネットで見ると、ずいぶん多くの日本人旅行者が現地に行っているようです。
ただ、せっかくボリビアに行ったのなら、「ゲバラの息子たち」がどうがんばっているか、現実にボリビアで起きている革命の様子をもう少し学んでくれたらよいのに、とも思います。
私のホームページにはボリビア革命の様子を載せたレビューもいくつか載せています。ボリビア年表は結構包括的です。

インターネットでいい写真を見つけるとコピーするのだが、たいていは、そのまま眠ってしまっている。
すこし掘り出して、すこし解説を入れて紹介する。
最初はこれ。

スペイン人民戦争の初期。フランコ軍がマドリードを攻めたとき、市の西部のマドリード大学が戦場となった。構内で闘う共和派民兵。
以下、私のスペイン人民戦争年表から抜粋します

11.07 バレラ軍約二万がマドリード総攻撃を開始.西側三方面から突入を図る.マナンサス河にかかるマドリード入口橋に突入した部隊は,民兵隊に迫撃戦を挑まれ,いったん撤退.

11.08 マドリードに最初の国際義勇軍が到着.ドイツ人のハンス・カーレ大隊,フランス人のコミューヌ・ド・パリ大隊,ベルギーのエド ガル・アンドレ大隊,ポーランド人のドンブロフスキー大隊.のちにはドイツのテールマン大隊,イタリアのガリバルディ大隊,フランスのアンドレ・マルティ 大隊が加わる.さらにアラゴンのアナキスト指導者ドゥルティも3千の兵力で防衛軍に参加.詩人ラファエル・アルベルティは「マドリードはあなた方の名に よって偉大になり,光り輝いている」とたたえる.

11.09 ファシスト軍の先陣が大学町付近に到達.カサ・デ・カンポ公園に侵入.第五連隊の三万と,青年同盟の三万が前線防衛にあたる.大学校舎から狙撃する民兵と反乱軍が,一つ一つの建物の中で白兵戦を演じる.夕方までに,国際旅団が大学の確保に成功.

11.09午後 第11国際旅団からなる第一縦隊と,カタロニア統一社会党により構成された第二縦隊が敵陣に向け前進.イバルリは「マドリードはファシストの墓場となるだろう.やつらを通すな!」(No Passaran!)を連呼する.

11.10 モロッコ軍,トレドとプリンス橋で二度にわたり民兵の防衛線を突破.その後,国際旅団の夜襲を受け,甚大な被害とともに押し戻される.マドリ-ド空襲団とドイツのコンドル兵団による強力な空襲攻撃.

11.15 ブエナベントゥーラ・ドゥルティの率いる,カタロニアのアナーキスト部隊3千が、共和派軍支援のためアラゴンからマドリードの前線に参加.その他,スペイン各地から9つの支援部隊が到着,直ちに前線に参加する.

11.16 フランコ軍,マンサナーレス川を越え,市内に突入.大学町で1週間にわたる市街戦.

11月末 ファシスト軍,マドリード占領をいったん断念.包囲・持久作戦に切り替える.


ベネズエラの大統領選挙がいよいよ間近に迫ってきた。赤旗読者の方は、選挙の勝敗よりも“チャベスが変質したのではないか”と心配しているかもしれない。そんな心配は必要ない。

もう一人の“改革派”候補が意外に強くて、ひょっとしたら負けるかも、と心配しているかもしれない。それも心配ない。国民の支持は分厚い。

心配なのは、選挙の後に野党が「不正選挙」を騒ぎ立て、「チャベス独裁を打倒せよ」と騒ぎ立て、国内外のマスコミがそれを煽り立て、「労働者のゼネスト」、「企業スト」などが決行されて、街頭での流血騒ぎや、野党が握る自治体での警官の不服従が広がることだ。

既存の学生運動、既存の労働運動は明確に反チャベスのスタンスを取っている。彼らは本当の民主主義に慣れていないのだ。「国民が主人公」であることが不満なのだ。

以下に、イギリス人オブザーバーのブログ記事を紹介する。「野党」のデモを皮肉たっぷりに批判しつつ、「選挙が終わってからがやばいぞ」と警鐘を鳴らしている。何かクーデター前のタイの黄色シャツの「反タクシン」デモを思い起こさせる光景だ。

 

October 1st 2012

A Strange Kind of "Dictatorship"

訳が難しいが、「ヘンテコな独裁」という感じか?

 

今日、7日の選挙を前に、何万もの野党支持者がカラカス市内を行進した。暴力的な雰囲気はなかった。大統領候補エンリケ・カプリレスが群衆にかつがれ、行進した。人々は喝采を送った。

私はいまベネズエラで告発されている「独裁」について考えている。

それは奇妙な「独裁」である。それは何千もの野党支持者が集まり、行進し、「反独裁」の旗を振るのを許している。

それは奇妙な「検閲」である。「反独裁」のデモンストレーションのすべての経過がライブ放映される「検閲」である。それを放映するのは民間メディアであり、それはとんでもなく富裕な企業主によって資金を供給されている。

私は行進を見物していたが、周りには武装警官も丸腰の警官も見なかった。なんという奇妙な「弾圧」の方式であろう。

あるところで、警察ヘリコプターが群衆の頭上でホバリングした。そのとき群集はみんなでホーンを吹いて、空に向って手を振った。

私のイメージでは、「独裁」とは恐怖のうちに生きることである。そのイメージとはどうも食い違っている。

にもかかわらず、何かがこの大規模なデモを突き動かしている。それはなんだろう。

これがイギリスだったら、これだけの人が街頭に飛び出すというのは歴史的な事態である。しかしここでは人々は誰か一人の政治家を支持するために街頭に出る。しかもその政治家は、近いうちに行われる大統領選挙で、大方の予想では負けることになっている人物である。

 

木曜日に、ウーゴ・チャベスもカラカスで選挙の打ち上げ集会を開くことになっている。二つを比較するのは面白い見ものになるだろう。動員者数の比較だけではない。参加者の意気込みとか意見とかがどう違うかだ。

今日の野党の行進では、どこでも大量のビールが売られていた。僕らは見てしまったのだが、それをカメラに撮ろうとしたら断られた。

両方の側の集会動員数が多いということは、一つの事実をくっきりと浮かび上がらせる。すなわちいまベネズエラでかなり危険なことが起きようとしていることだ。

人々はすでに「民主主義の平和協定」とは別れを告げている。それは似通った政策の二つの党派のいずれかに投票するというやり方だ。そういうやりかたは、イギリスではいまだ健全だ。しかしここ、ベネズエラでは、そんなものはとうの昔に葬り去られている。そして彼らにはそこに戻ろうという気持ちはない。

野党は言う、「この国は団結すべきだ」と。しかし貧しい人々は、そんな団結などないことを経験している。金持ちのいう「団結」とは、貧しい人々の存在を否定することだ。人々の尊厳ある人生を生きる権利を無視することだ。何度となくそのことを経験してきた。

今日、カラカスの町には多くの人々が繰り出している。彼らはそう信じているようである。「道は一つだけ!」(Hay un Camino)

しかし、もし彼らの推す候補が日曜日に落選するならば、彼らはその結果を受け入れるだろうか?

By Jody McIntyre


経団連の対中国政策が分からない。
暴動の際には米倉会長が野田首相に「うまくやれ」と持ちかけたそうだが、何をどううまくやれというのかが分からない。
そもそも今日の事態を招いた責任の一端が経団連自身にあるという自覚も反省もない。
いまの経団連の方針は明らかに日米同盟まっしぐらだ。これほどまでに露骨に対米従属を突き進むということは、高度成長を遂げた後はなかった。
日米同盟というのは基本的には中国敵視路線である。この路線をさらに推進すれば、対中関係がうまくいかなくなるのは当たり前だ。いくら政経分離といっても、限度がある。
つまり中国リスクは高まる一方だということだ。それにもかかわらず、日本の産業を構造的に破壊して中国やアジアに進出するというのは、まったく矛盾している。
この矛盾が激化したらどうなるか、日本が再軍備して自ら中国と対峙する他なくなる。日本の海外権益を守るためには、戦前のように軍隊を送り込む他なくなる。
本当にそういう気持ちなのだろうか。

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