鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2012年09月

民主党の提言「2030年代に原発稼動ゼロ」に米倉会長が噛み付いている。
10日の記者会見のポイントは二つ、
①原発比率ゼロは現実的でなく、実現困難
②日米同盟関係の維持も重要である
さらに13日には“緊急”記者会見を開き、
③野田首相に電話で直接「承服しかねる」と伝えた
ということだ。
①については、現にゼロでやっているわけで、どちらが非現実的かは火を見るより明らかだ。
ということになると、脅しの種は「日米関係」に尽きる。
こういう事態はTPPでも見られた。
国会での最終盤、米倉会長の論拠はひたすら「日米同盟」だった。

こうしてみてくると、米倉会長が横暴なまでに強硬なのはアメリカの意向を汲んでいるからだ、ということが良く分かる。
ようするに米倉会長はアメリカ軍産複合体のメガフォンなのだ。
だから比較的小規模企業からの選出であるにもかかわらず、絶大な発言力を維持しているのだ、という構図も透けてくる。

今回はアメリカもよほど危機感を持っていると見えて、米倉まかせではなく直接発言してきている。
①米エネルギー省のポネマン副長官は、前原政調会長に「このような措置を実際に取れば、意図せざる影響もありうる」と恫喝した。
②米戦略問題研究所のジョン・ハムレ所長は、日経新聞に「原子力は日本の担うべき責務」と題する論文を寄稿した。

これはオバマ・野田の日米共同声明路線そのものである。逆に言うと、鉄壁のはずの日米同盟路線がここまで追い込まれた理由は、いうまでもなく毎週金曜日の連続デモである。まさに民衆の声が集まって70年の日米従属政治体制を揺るがせつつあるという実感がする。

週刊ダイヤモンドで“激論 日本経済をどうするか”という特集をやっていたので、読み始めたが、怒りが止まらない。
金子勝さん以外の論者はすべて、消費税賛成・法人税減税賛成・労働規制緩和賛成・金融緩和賛成・TPP賛成のオンパレードで、激論どころか馴れ合いもいいところだ。

一つ説教を垂れたいのだが、問題意識をまずしっかり持てと言いたい。日本経済が苦境にあることは誰にでも分かる。
その状況の下で「日本経済をどうするか」ということは、「国民の生活をどう守るか」ということだ
あなた方の言っていることは企業をどう守り、国家財政の帳尻をどう合わせ、市場経済をどう維持するか、ということだけだ。
そこで止まってしまったのでは、「日本経済をどうするか」について答えたことにはならない。百歩譲って君らの主張がすべて正しかったとしても、それだけでは質問の半分しか答えていないことになる。

宇沢弘文さんが言っていたが、経済というのは「経世済民」という国家の根本目的の僕なのだ。国民生活の改善という大目的があって、そのためのプランを提供するのが経済の役割なのだ。そういう“使命感”みたいなものがてんで、根っこに座っていない。
「それで国民の生活は良くなるんですか?」「それで国民所得の減少には歯止めがかかるんですか?」
「さあ、そこから先は僕らの仕事ではないから…」というんじゃ話しにならないでしょう。

国家戦略会議という仰々しい名前の政府機構がある。
そこのプロジェクトとして
「革新的エネルギー・環境戦略」策定に向けた中間的な整理
というのが発表されていて、その参考資料として
下記のグラフが提示されている。

https://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/e/a/ea8c8ff6.jpg

もう一つは、比較的最近の資料
https://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/1/3/13591706.jpg
いずれのグラフを見ても、天然ガス発電のコストがきわめて安いことに注目する必要がある。石油とは2~3倍の開きがある。しかも石油価格はきわめて不安定だ。
原子力とは比べるのがばかばかしい話で、ここには交付金も、処理費用も保険金もふくまれていない。しかも、それらを無視したとしても、LNGと原子力はコスト的に大差ないのだ。

これまで、原子力は石油火発と比べられてコストを論じられてきた。実際には火発の多くはすでにLNGに移行しており、これは偽りの比較だった。
いままでの「原子力は安い」という大宣伝は一体なんだったのか、と思う。

GEもシーメンスもすでに原発からの撤退を表明している。これからは風力とLNGだといっている。このミックスでコストは十分に引き合う。
「原発を維持しないと国際競争力が失われる」と経団連は言っているが、それはぎゃくだ。むしろ原発にこだわることが、国際競争力の足かせとなる可能性さえある。

もし廃炉コストを気にしているのなら、それはあまりに身勝手だ。次の社長におっかぶせようなどというのは、長たるものにあるまじき卑劣な行為である。


「アゴラ 言論プラットフォーム」というサイトに、シャープの本当の問題は、結局どこにあったのか?
という記事がある。キャッシュフローという難しい用語で、シャープの失敗を分析している。
筆者の中嶋さんの解説によると、

キャッシュフローというのは資金繰りに関する情報で、財務諸表の一つとして公開が義務付けられている。
キャッシュフロー計算書は営業CF・投資CF・財務CFの3つで構成される。3つの数字の関係は、「営業」で得た現金が、設備投資・債務の返済・配当などに回っていく流れを明らかにしたもの。
(私も常任理事の頃は聞かされた記憶があるが別世界だった)

要するに証券とか権利書とかでなく、金庫にゲンナマがいくら残っているのかという話だ。

これが問題になるのは、大規模な設備投資をした場合で、フリーなキャッシュフローは営業CFから投資CFを引いた額になる。
(投資CFはマイナスで計算されるので、会計上は合計額となるのだそうだ)

中嶋さんは、シャープの場合二つの問題があったとしている。

一つは設備投資額が常に過大だったということだ。2002年3月期から2012年3月期までの11期で、FCFが6回もマイナスとなっている。営業利益が過去最高を更新した2007年3月期ですらマイナスだった。
(逆に言うと、借金に“悪慣れ”していた可能性がある)

もう一つは、このマイナス分を手当てするのに借入金に頼ったということだ。
中嶋さんはこういっている。
物作り企業は売り上げが発生する前に大規模な設備投資を行うのは当然だが、投じた金額を回収するまでは10年単位の時間がかかる。このような投資資金は基本的には株式の発行と自己資本の増強で賄うべきだ。

その理由として、中嶋さんは家電商品は水物であることを強調する。したがって投資のリスクは高い。したがってそれを銀行借り入れ、社債やCPでまかなうのは邪道と見ている。

中嶋さんの結論は
不適切かつ過大な投資が最大の問題であるが、その調達方法も安易であり、セオリーを踏み外していた。
というもので、我々ごとき素人にも大変分かりやすい文章だった。

東京商工リサーチがかなり詳しい情報を提供している。

「シャープグループ国内取引状況」調査 ~ 仕入先は直接・間接取引を含め国内8,495社 総従業員は約420万人 ~

シャープグループの直接仕入先(1次仕入先)は2,031社、さらに直接仕入先との取引を行う間接仕入先(2次仕入先)は6,464社。1次、2次仕入先の総従業員数は約420万人に及ぶ。

シャープグループの2012年3月期の連結売上高は2兆4,558億円で、2008年同期から約1兆円減少している。
最終赤字は3,760億円、13年3月までの見通しも2,500億円の赤字を計上しているが、それですまないだろう。有利子負債は1兆円を超える。

以下はウィキペディアから
2012年6月末で3,600億円のCP残高を持ち、今月から償還が始まった。来年9月には2,000億円の転換社債が償還を迎える。格付が「Not_Prime」まで悪化したため市場からの資金調達はできない。
株価は暴落し、市場では発行株式の7%が空売りにかけられている。転換社債の利回りは倒産期待で50%に達しようとしている。
台湾企業は足元を見てさらにふっかけてきている。
どこをどう見ても、すでに破産状態である。

ほかの家電メーカーとの違いは、戦略の間違いが失敗を生んだことであり、しかもその失敗が決定的な失敗であるということだ。

とりあえずは再建に向かうことになるが、組合の動きが見られないのが気がかりだ。
労働者の取り分は絶対に保全しておかなければならない。さもなければ、内外のハゲタカファンドにみんな持っていかれてしまう。監督省庁の厳しい監視が必要だ。

いろいろ、したり顔の解説がにぎやかだが、これまで天まで持ち上げていた連中の言うことだ、あまりあてになるものではない。

そのなかでは、ビジネス・ジャーナルに掲載された野口恒という人の文章が端的で良い。

厳しい見方をすれば、堺工場への大型投資が、すでにピ-クを過ぎた液晶パネル事業への、時機遅れの過分な事業投資であった。結果論ではあるが、やはり経営の判断ミスであろう。

好意的に考えれば、液晶事業に代わる技術の必要性を感じていたとしても、成功があまりにも大きかったため、新たな事業方針を打ち出すことはとてもできなかっただろう。


まぁ我々ごとき素人が考えても、地デジ化が完了すれば、国内でテレビが売れなくなるのは火を見るより明らかで、そんなものに社運をかけるなんてぇことは気が狂っている。
第一、液晶なんてぇものは素材に過ぎない。川下の家電メーカーのやることじゃない。やりたいんなら別会社化すべきだ。
ということで常識以前の話だ。こんな方針が通ってしまうというのも、社内に自由に物言う雰囲気がなかったってことだろうな。

①日本の独占資本の対米従属は自発的なものである。
②日本の独占資本は、朝鮮戦争、ベトナム戦争の特需を成長のバネとして来た。このために対米従属は構造化している。
③日本の独占資本が従属しているのは、米支配層一般ではなく、米軍・産複合体である。非軍事産業とは部分的には競合関係にある。
④この関係を調停するのは軍・産複合体と非軍事産業とを統括する米政府以外にはない。したがって対米従属は、軍・産複合体への従属と米政府への従属というかたちで二重化している。

この従属関係は、二つの伝説によって支えられている。
①戦前、ダンピング輸出で各国市場から締め出された日本は、アジアに強引に市場を開拓せざるを得ず、それが12年戦争へとつながっていった。ふたたび悲劇を繰り返さないためには、アメリカとの同盟関係を死守しなければならない。
②アメリカへの従属は、日本のアジア経済支配を支えている。アメリカへの従属関係がなくなることは、アジアへの支配関係がなくなることを意味する。これは日本の権益擁護を不安定にするばかりでなく、日本国憲法の平和立国の理念を危うくする。

おおかたの日本の保守派はアホだから、こういう言い方が出来ないが、こういう切り口は説得力を持って成立しうるのである。

しかし、伝説①はすでに過去のものとなった。戦後日本がGATTに加盟し、OECDの一員となり、貿易収支の恒常的黒字化を達成した時点で、経済的自立は、数字の上からは可能になっている。
伝説②も、過去のものとなりつつある。80年代から90年代にかけて、日本は圧倒的な経済的・技術的優位性を背景に東アジアを席巻した。それは同時にアメリカへの迂回輸出でもあったがゆえに、対米従属とアジア経済支配という相補関係はきわめて良好に進展した。
しかしいまや東アジアは日本・中国・韓国が併走する状況に入りつつある。その利害が競合する場面も増えつつある。
すなわち、従来型の「従属→支配」の構造は有効性を失いつつあると考えられる。そして、それに代わるものとしての Good Neighbour Policy の確立が求められているのである。
日本の独占資本は依然として旧来の構造にしがみついている。中国の経済排除とアメリカのアジア経済進出を隠された目的とするTPPはその典型である。
戦後70年になろうとするいま、歴史的に形成されてきた対米従属構造を変えるためには、“革命的努力”が必要とされるであろう。しかし手をこまねいていてはシャープに続いて大企業が軒並み崩壊していくだけだ。

企業も、官僚も、政治家もみな惰性で動いている。首相の首を挿げ替えるだけで、根本的な問題に手を着けようとはしない。まさに“全般的危機”が迫っているといわざるを得ない。

ウォールストリート・ジャーナルが日本の家電業界みんなダメで、シャープはその典型だというニュースを流して、だいぶ話題になった。
大筋としては間違っていないし、内需の振興と技術開発しか苦境脱出の道はない、ということもコンセンサスだと思う。
しかしそれらを全部認めた上で、なおかつシャープの特殊事情にも触れておかなくてはならないだろう。
それは液晶テレビに全生産額の4割をあてるという、ばかげた戦略である。
たとえば液晶テレビの技術が世界を圧倒的に上回っていて、少なくともこの数年間は他社の追随を許さないというほどの格差があれば、この戦略は正しい。
しかし最初から、それほどの格差はなかった。韓国・中国からすれば十分キャッチアップできるだけの、あるいは技術以外の分野で十分埋め合わせできるだけの格差でしかなかったのである。トップの技術者集団を十人くらい引き抜いてしまえば、それで格差は解消してしまう。
昔は核心的技術のみならず、それを支える周辺技術の差があった。しかし裾野技術のほとんどをアウトソーシングしてしまった今は、こういう技術の差は見掛け倒しになってしまった。
そこがシャープは見抜けなかった。傲慢だったのである。

かわいそうだが、たぶんシャープは持たないだろう。問題はそこからソニー、松下が何を学ぶかである。
何も学ばなければ、彼らも同じ道をたどるであろう。いずれにせよ、過去10年間、経団連は出すぎたまねをした。しかもそれは自分の首を絞めるような行いであった。
大阪城がみずから外堀を埋めることで死期を早めたように、大企業は海外アウトソーシングによってみずからの首を締めている。海外進出で逃げ出せば、日本がつぶれても自分の会社は生き残れると思ったら大間違いである。
今回のシャープ破産はそのことを明確に示している。

別の訳文がありました。失礼ながら、こちらのほうがこなれていて意味が通じます。これは別なサイトからの引用のようですが、引用元が良く分かりません。
辿っていくとyoutubeにアップロードされた さんの動画の訳文がオリジンかも知れません。

私の訳文も存外悪くはないようです。ただ「うら悲しい」はチョイやりすぎの感じ。

「ポプラ並木の通り」は大事なところで、キューバの国民歌手パブロ・ミラネスが「明日その街の通りを歩くだろう」と歌い、プロテストソングの代表曲となっています。またビオレータ・パラの息子アンヘルの「ポプラ並木」も熱唱でした。
聞きたいでしょう
いまyoutubeを漁ってみます。

パブロ・ミラネスの曲は、Yo Pisare Las Calles Nuevamente といいます。

youtubeにはたくさんあって、本人・他人歌唱あわせ115件がヒットします。どれでもいいと思いますが、音はCDからのアップ版、雰囲気なら実況版ということになるでしょうか。

私は民主化が実現した直後の90年、サンチアゴのスタジアムでの実況録音が一番良かったのですが、ありますか?


今日は9月11日。クーデターから39年だ。
私の年表は、アジェンデと人民連合政府の活動を詳しく跡付けているが、基礎資料は玉石混交。作成当時の制約から、一次資料に当たっているわけではないので、小さなミスもかなりあると思う。

アジェンデの演説については、各種資料からの引用を継ぎ合わせて作ったものだが、その後、原文がインターネットでも紹介されている。
最後といっても何種類かあるようで、ちょっと整理しておきたい。

まずは私の年表から、クーデターの開始~アジェンデの死までの経過を再掲する。

9月11日

午前6時 チリ海軍が反乱を起こし,バルパライソの町を制圧.市長を逮捕.モンテーロ司令官を監禁し,メリノが反乱を指揮.

午前7時 空軍部隊がサンチアゴの工業地帯を制圧。活動家の一斉逮捕を開始する。

11日 3軍と警察軍によるクーデタ決行.その後の3ヶ月で1,213人が当局の手により死亡,あるいは行方不明となる.国際アムネスティの調べでは,4万人が虐殺,10万人が逮捕,拷問.100万人が国外へ逃れる.

11日 クーデター当日,米国空軍将校の操縦する米国のWB-575飛行機-空挺通信管理システムの中核が,チリ上空を巡航.さらにチリ国境に近いメンドサ(アルゼンチン)の米国空軍基地には,アメリカの偵察機と戦闘機が緊急出動態勢に入る.

午前7時30分 アジェンデと政府幹部,バルパライソの不穏な動きに対処するため,大統領官邸を出て宮殿に集結.

午前7時35分 セプルベダ国家警察隊長官が大統領執務室で状況を報告。

午前7時55分 アジェンデ、執務室からラジオ・コルポラシオンを通じて第一回目の放送。

「海軍の一部が反乱を起こした。サンチアゴにおいて軍の異常な動きはない。とくに労働者の皆さん、職場に就き、工場に行き、平静を保ち、注意深く行動してください。そして共和国大統領の呼びかけと指示に従ってください」

午前8時 国防省が陸軍により占拠される。国防次官のバレンズエラ陸軍大佐は入庁を拒否される。

8時20分 国家警察隊サンチャゴ部隊のパラダ司令官が、セプルベダに背きクーデター側に就く。

8時30分 地主層の放送局ラジオ・アグリクルトゥラ、「4軍軍事評議会」による声明を流す。「共和国大統領はその官邸を軍ならびに国家警察隊に即刻引き渡さなければならない。これに従わない場合、陸と空から攻撃される」と述べる。

8時55分 大統領宮殿の防護にあたっていた戦車をふくむ国家警察軍部隊が撤退を開始する。セプルベダをふくむ本部付将校50名は孤立する。

9時 反乱部隊の少佐二人がモネダ宮殿に入り,アジェンデに辞任と国外退去を求める.アジェンデは要求を拒否し,大統領宮殿の防衛体制を編成.非戦闘員の退去を指示.

9時05分 アジェンデ,ラジオ・コルポラシオンを通じて4回目の演説。このあとこの放送局は爆撃され、ラジオ・ポルタレスの放送塔は吹き飛ばされる。

この瞬間、私達の上を飛行機が飛んでいる。彼らは私達を攻撃することもできる。あ なた方に私達がここにいることを知ってほしいと思う。私は人民の委任に基づき、この任務を遂行するであろう。人民は挑発に乗せられたり、大量虐殺を許したりしてはならない、自らの成果を防衛し権利を防衛しなければならない。

9時20分 アジェンデ,共産党系のマガジャネス(マゼラン)放送を通じて最後の演説。国民にたいする最後のよびかけとなる.

最後の演説の骨子(原文が「ビクトル・ハラ」というサイトに載っています。以下の文章は様々な文献から継ぎ接ぎしたもので、順序やニュアンスが少し違っているようです。4回目の演説と混ざっているかもしれません):
  これが,あなたがたに語りかけられる最後の機会だと思います.…ただわたしが労働者諸君に言えることは,わたしは辞任しないということだ.歴史的危機状況 に際して,わたしはわたしの生命をもって人民の忠誠に報いよう.わたしは告げたい.多くのチリの人々の誇り高い良心に,われわれが差し出した種は決して芽 をつみ取られることはない,とわたしは確信していると.
彼らは武力でもってわれわれを屈伏させるだろう.だが,武力をもっても,犯罪的行為をもっても,社会的進歩をおしとどめることはできない.歴史はわれわれのものであり,歴史は人民が作るものである.
…祖国の労働者たちに感謝します.法を重んじ,ことばを守り,正義を願う心の伝達者に過ぎない一人の人間に,あなたがたが与えてくれた忠誠に対して.
… マガジャネス放送はわたしの声をあなたがたに伝えていないかもしれない.が,あなたがたはわたしに耳を傾けてくれているだろう.これがわたしの最後のこと ばです.わたしが犠牲となることは決して無駄ではないと信じている.すくなくともそれは卑劣,不実,背信を告発するひとつの道徳的教訓となるであろう.わ れわれは,あなたがたとともにいる.
…労働者たちよ.わたしはチリを,チリの運命を信じている.背信がのさばる苦くうらがなしいこの「時」を,他 の人々は乗り越えてくれるだろう.よりよい社会の建設のために,解放された人間が生きる場所に,ふたたび大きなポプラ並木が開かれるのは,そう遅いことで はない.そのことを理解し,我々に続いてほしい.…チリ万歳!人民万歳!労働者たち万歳!

09:35 CUT,すべての職場を占拠するようよびかける.軍は家にとどまり静粛にするよう放送.

10:00 モネダ宮前に反乱軍の戦車出現.戦闘配置につく.

10:30 軍部,11時より爆撃を開始すると通告。アジェンデに対し降服をもとめる.アジェンデの指令にもとづき,大統領府護衛の兵士の動員を解除する。

11:15 軍事評議会,布令第一号を発表.「重大極まる社会的道徳的危機」「政府が混乱を抑制できないでいること」「ますます多くの准軍事 集団が訓練され,これによりチリ国民が内戦に巻き込まれる恐れのあること」をクーデターの理由として上げる.同時に労働者の権利と既得権の尊重をうたう.

11:30 軍事評議会,軍令第一号=布令第三号=戒厳令を宣言.

11時半 セプルベダ国家警察軍司令官、将兵の離脱を確認した後、モネダ宮殿を離れる。あとに50人の民間人が残留。大統領のボディーガード約15人、警察官6人が武器を持ち抵抗。

11時半 サンチャゴ作戦を指揮するパエサ将軍、「モネダにいるもの、とくにアジェンデについてどのような痕跡も残すな。虫けらの世に絶滅しろ。目標を空と陸から破壊しろ」と命令。

11時半 人民連合の政治委員会、「抵抗を行うな。労働者は職場を出て帰宅せよ」との決議を流す。

11:52 空軍ホウカー戦闘機,モネダ宮に対する爆撃を開始.20分間に20発のロケット弾が打ち込まれる.宮殿前に陣取る戦車も砲撃を開始.アジェンデは降服命令を拒否.

12:15 マガジャネス放送,「あらゆる抵抗の企ては粉砕されるだろう」と声明.

12:30 大統領私邸も爆撃を受ける.

12:45 モネダ宮殿は炎に包まれる。パラシオス将軍の指揮する突撃部隊が突入体勢に入る.

14:00 共産党本部に強制捜査.銃撃戦となる.数十名の勤務員が連行される.

14:10 アジェンデ,「降服の用意がある」とし,5分間の停戦を要求するが,軍はこれを拒否.(最近の再調査によりアジェンデは銃弾を頭に打ち込み自殺したことが確認された。時刻はこの直後であろう)


ということで、アジェンデはラジオ・コルポラシオンを通じて4回、さらにラジオ・マガリャンエスを通じて最後の演説を行っていることになる。


ビクトル・ハラ」というサイトにアジェンデの演説が翻訳されて掲載されている。


午前9時3分 ラジオ・マガジャネス
こちらは短い。

 この瞬間飛行機が通り過ぎていく。我々を攻撃する可能性がある。
 …私は祖国にとって尊い原理を守るため私の命を贖う。…

午前9時10分 
こちらが最後の演説とされるもの

確実にこれが貴方たちに話しかけることができる最後の機会であろう。
再び大きな並木路が開かれ、そこをより良い社会を建設するために自由な人が歩くことを…。

サイト主のコメントによると、この演説は情報源によって若干の差異があるそうだ。
サイト主はhttp://www.carbonell.com.ar/salvador_allende.htm
となっているが、このページは残念ながらリンク切れになっている。

なお、9時3分の演説は私の年表では、若干時刻は違うが、ラジオ・コルポラシオンからの4回目の放送となっている。前後の状況から見て、私の年表のほうが正しいと思う。しかしこちらのサイトのほうが文章は完全かもしれない。採否は少し保留しておく。



これは40年前、本当にあった話です。
余市の診療所で一人の老人が、喘ぎ々々、血を吐きながら、入党願いを書きました。
書きました、といってもほとんど職員が口述筆記をしたのですが…

硅肺の患者さんで菊池さんといいました。
外来ではおとなしい患者さんで(大体、労災の患者はやかましい)、でも会議には必ず参加して、決まったことはしっかりとやってくれました。

どうして民医連の診療所に通うことになったのか、知りませんでした。後から聞くと、鉱山では会社派だったようです。

余市の奥には、むかし銀山があって、銀はまもなく採れなくなれましたがマンガンが見つかり、戦後の一時期はだいぶ大掛かりに採掘していたようです。職員・工夫合わせて数千人が働いていたそうです。

鉱山の労働運動は大変荒っぽく、昨日までやくざだった連中が突然赤旗を振って、会社に押しかけて団交を強要するという具合でしたから、どっちがどっちとは言い切れないところもありました。

こういう連中は景気が悪くなると風を巻いたように飛び出して行きますから、最後まで残ったのが「会社派」ということになります。

菊池さんは町役場の裏に建てられた町営住宅に住んでいました。そこから診療所まで自転車で通っては、吸入をかけたり注射をしたりしていました。

見たところ普通のおじいさんですが、レントゲンを撮ると肺一面に大小の硅肺病変が花盛り、「どうしてこれで生きていられるの?」というくらい、ひどいものでした。

良いときは2,3坪の家庭菜園でなす、かぼちゃなど作っていましたが、冬の初めに風邪をひいて以来、一気に病状が悪化しました。咳がいつまでたってもとれず、そのうち痰の量が増えて、黄色い汚い痰が口から溢れるように出てきます。

痰の検査で結核でないことが確認されたので、入院してもらい、当時無敵の抗生物質とされたケフリンの点滴を毎日続けました。病状はいったん持ち直したのですが、今度は喀血が始まりました。

息切れは日に日に強まり、当時としては手のつけられない状況に陥りました。

その頃のことです。

職員があることに気づきました。菊池さんが診療所に備えつけの「赤旗」を一生懸命読んでいるというのです。

呼吸器の病気の苦しいのは夜です。一晩中苦しみます。しかし朝起きてから昼頃までは、どういうわけか症状が軽くなるのです。

その貴重な時間を使って赤旗を読むというのはすごいことです。その職員は「入党資格は十分にある」と主張しました。
ほかの職員は、ずいぶんためらいましたが、「とにかく肝心なのは本人だ」ということで、思い切って入党を勧めたのです。

返答は、すばらしいものでした。
「党員として死にたい。党員として死ねるなら、悔いはない」

それからまもなくの朝、菊池さんは突然大量の喀血を起こしました。私が駆けつけたときにはすでに意識はなく、それから30分後に死亡を宣告しました。

党員証は間に合いませんでしたが、私たち職員一同は党員として棺を送り出しました。

梅津和郎さんの「中近東現代史」から抜書き。これにネットからのネタをいくつか追加しました。
2019年9月すこし書き込みました。


1839年 イギリスがアデンを占領。さらに隣接する地方の首長国を保護領とした。北イエメンはオスマン・トルコ領として残される。

1918年 トルコからザイド派が分離。イエメン王国として独立。これは北イエメンに相当。アデンを中心とする南部は英領のまま。
 
1958年3月8日 イエメン王国、アラブ連合共和国(エジプト、 シリア)とアラブ連合を結成
。アハマド王はイギリスから南イエメンを取り戻すことをナセルに支援してもらおうと、アラブ連合に加わった。しかしエジプトの影響で北イエメン国内でも民主改革の要求が高まると、61年にアラブ連合を脱退した。

1962年9月26日 軍事クーデターにより王制が打倒され、イエメン・ アラブ共和国が成立する。王政派はサウジアラビアに亡命し内戦を継続する。


1963年5月 ナセル主義を掲げる「アラブ民族主義者運動」(ANM)の南イエーメン支部、ほかの8団体と連合し「占領下南イエーメン民族解放戦線」(NLF)を結成。NLF書記長にはカタン・アル・シャビが就任。エジプトとのパイプ役を務める。
人民社会党(アル・アスナージェ書記長)など社会主義者はこの運動に加わらず。平和的手段による独立の道を追求する。

10月 民族解放戦線、「革命宣言」を発表し武装闘争に入る。エジプトがこれを支援。奥地の首長勢力はイギリスと同盟し、傭兵部隊をもって解放戦線と対決する。

63年 首都アデンでは、共産主義者の都市ゲリラ「人民民主同盟」(PDU)が反英闘争を展開。NLFとは一線を画す。

1965年6月 民族解放戦線、北イエーメンのタイズで第1回全国大会を開催。エジプトをアラブ民族主義の指導者として賞賛する。また土着ブルジョアジーの進歩的役割を否定し、民族革命を社会主義革命に転換する戦略を打ち出す。「民族憲章」では、職業的軍隊に代え、人民革命軍の創設をうたう。

1966年1月 NLFの一部指導者と人民社会党が連合。「占領下南イエーメン解放戦線」(FLLOSY)を結成する。

10月 エジプト政府、カイロ駐在のNLF書記長カタン・アル・シャビを拘留。現地のNLFはこれに代わる執行部を選出。エジプトおよびANMとの絶縁を宣言する。

1967年11月 NLF、首長勢力との闘争に勝利。イギリス軍は南イエーメンから撤退。NLFは「南イエメン人民共和国」の成立を宣言。カタン・アル・シャビが大統領に就任。

1970年 憲法で「マルクス・レーニン主義に基づく社会主義国家」と規定して、国名をイエメ ン人民民主共和国と改称。南イエメンはソ連の衛星国となり、、アデン港はソ連海軍の拠点と なった。

1970年 北イエメン内戦が終結。スンニ派主導の軍事政権が成立する。

1978年 NLFが他の政党を吸収してイエメン社会党を結成。イスマイルが書記長に就任し一党独裁体制を強化する。

1986年 イスマイル書記長、病気療養のため辞任し、ソ連に渡る。これに代わったナシル書記長は、北イエメンやサウジアラビアとの関係改善を図る。これを不満とするイスマイル書記長が帰国し、内戦となる。1万人の死者と6万人の難民を出す激戦の後、ナシルは北イエメンへ逃亡。イスマイルも「失踪」して、新たに書記長となったベイドが権力を握った。

1990年 南北イエメンは統一し、北のサレハ大統領が統一イエメンの大統領になり、南のイエメン社会党のビード書記長が副大統領になった。

1994年5月 ビード副大統領が南イエメンの再独立を宣言し、南北イエメン内戦となる。まもなく南は敗北し追い込まれる。

なお、ネットでは The Struggle for South Yemen という本が Google Books で抜粋で読めます。

ただし、あまりの大部で手が出ません。興味のある方はどうぞ。



しかし、それだけか? アメリカのビジネス界とは拮抗関係が主体で、そこには従属関係はないのか?

むかし、学生時代に共産党の綱領を学習すると、「わが国は軍事的、外交的、経済的…にアメリカに支配された、事実上の従属国である」という規定があって、けっこうこの点は叩き込まれたものだ。

経済的従属というのは、
①日本石油のような直接の資本支配。
②さまざまな技術ライセンスにおける支配
③基幹食料における支配
などさまざまあって、「なるほど」と納得させられたものだった.
しかし、現在ではこのような従属関係はほぼ消失していると見てよい。第一、経済規模そのものが桁違いだ。むしろ多額の連邦債購入でアメリカ経済を支えているとさえ言えるほどだ。

それにもかかわらず、産軍複合体を構成する超巨大産業への劣位と従属が続いていることも間違いない。原発の原子炉はすべてライセンス生産だ。飛行機一つ飛ばせない。

これは結局、日米構造協議の評価に結びついてくるのであるが、こうも言えるかも知れない。
日本は70年代の後半あたりで、ほぼ完全な経済自立を果たしたが、さらなる対米輸出と経済成長のために、自発的に従属経済の深化の方向を選択した。
同じ論理によって平和の道を捨て、例え戦争に巻き込まれようと、米軍の共犯者となろうと、米産軍複合体との癒着を進める道を選択した。

これはある意味で能動的な選択である。経済原理に迫られての必然的な選択ではなかった、ということになる。

綱領論争のときにも、こういう意見はあった。しかしそれは「非弁証法的である」として退けられた。

しかし弁証法的であろうとすれば、逆に東京タワーが建った頃の従属論を絶対視するのもおかしな話だ。
戦後の経団連の対米従属の歩みを回顧するのも大事な作業ではあるが、もう少し原論的なレベルでの検討が必要なのではないだろうか。

多分、山崎は知ってか知らずか虎の尾を踏んでしまったのだが、軍事関係となるとアメリカは容赦ない。

しかし、それが経団連がアメリカのメガフォンとなることのあいだに、必然的な結びつきはない。経団連はアメリカの「影の力」が怖くて付き従っているのではなく、もっと自発的にアメリカの「産軍複合体」の支えに回っている。

アメリカ国内でもウォール街を中心とするビジネス界と、産軍複合体は一体ではない。ここが一つのミソではないだろうか。

日米経済摩擦は80年代以降、両国関係の基調低音となっている。産軍複合体に従属することで、ビジネス界の排日攻撃をやり過ごすのが、経団連の戦略ではないだろうか。

だから、産軍複合体の政治代表である共和党とはうまくいくが、ビジネス界の意向を反映する民主党政権の時代はギクシャクするという経過を繰り返してきた。
そのときこそ余計に対米従属の表面的ポーズを強める傾向がある…
とすれば、オバマ政権下でのTPPへの異常なばかりの忠誠も、ある程度理解可能になる。


オバマ政権が富裕税とボルカー・ルールを持ち出して以来、ビジネス界と民主党のあいだには隙間風が吹いている。まさかこのまま民主党が“階級政党”に変身するとは思えないが、富裕層が共和党のサイドになだれ込む可能性はある。
その際に、共和党と産軍複合体は、よりビジネスプロパーの政策を打ち出してくる可能性はある。その際に、経団連にとって従属のメリットは失われる。
その際に、経団連はこれまでのやり方を続けることができるのだろうか。


イラク問題と山崎拓

あらためて、イラク開戦時の状況を確認してみた。私の年表では、山崎拓は自民党幹事長として4回登場する。

2002年

8.04 自民党の山崎拓幹事長,「国連決議があるかどうか,国際テロと深く関係があるのかどうかがギリギリの条件だ」と述べる.

8.29 自民党の山崎拓幹事長,「単独行動は世界中の対米不信を買うことになる.われわれ同盟国としては単独行動には反対すべきだ」と述べる

11.08 ダグラス・ファイス米国防次官が訪日.石破防衛長官や自民党の山崎幹事長らと会談.米軍のイラク攻撃について日本の理解を求める.同次官は,アル・カーイダとイラクの「深い関係」を繰り返し強調.山崎氏は「日本のイラク対応は,米同時テロとの関係がはっきりしないと,現行法制では米軍に協力できない」と応える.

2003年

2.15 自民党の山崎拓幹事長,「新しい国連決議を取り付けようという米英の努力について,日本も外交努力を展開すべきだ」とし,武力攻撃容認の新決議採択に同調する立場を示す.

とくに11月8日の発言はすごい。国防次官がわざわざ日本までやってきて、侵攻作戦の必要を“繰り返し強調”したにもかかわらず、「協力できない」との断固たる表現は、当時にあっても突出している。

しかもダグラス・ファイスというのは当時肩で風切るネオコン族(超保守主義者グループ)のトップランナーだった人物である。

少し時系列で見ておこう。

ブッシュがイラク開戦に動き始めたのは02年初めからである。5月にはアーミテージが訪日し防衛長官にイラク攻撃への賛成を迫った。このとき中谷長官は「米国が国連と違う行動をすれば,後押しするわけにはいかない」と述べたという.

8月にはアーミテージがふたたび訪日。今度はもろに小泉首相に迫った。このときの小泉の反応は不明だが、これに前後して山崎が党幹事長として「国連決議があるかどうか,国際テロと深く関係があるのかどうかがギリギリの条件だ」と述べており、おそらく日本政府の意見を代弁したものと考えられる。

いずれにせよ、小泉首相にまで直談判に及ぶということになれば、日本政府としても態度を明らかにしなければならない。おそらく鳩首協議した結果であろうが、8月末から9月はじめにかけて二つの談話が出た。

ひとつが、山崎幹事長の発言、「単独行動は世界中の対米不信を買うことになる.われわれ同盟国としては単独行動には反対すべきだ」というものであり、もうひとつが宮沢元首相のインタビューである。

宮沢は「フセイン政権を打倒しても問題は片付かない.民主的な平和政権を建設しなければ目的は達成できないが,それは米国一国ではできないほど時間も金もかかる」と述べている。

「忠実な番犬」と信じていた日本の政権幹部の発言は、アメリカに相当深刻な影響を与えた可能性がある。

その後、国際的に追い詰められたアメリカは「発狂」する。ネオコンが政策決定の中枢を握ってしまう。

9月20日にはあらたな「国家安全保障戦略」を発表した.これまでの「封じ込めと抑止」から、ネオコンの主張する「先制攻撃」への戦略転換が基軸となった.

それはイラク侵攻作戦の秒読みが始まったことも意味していた。

これにもとづいて、対日圧力が強まる。小泉首相が「米国が国際法を破るはずがない」との言語明瞭・意味不明な国会答弁を行ったのもこの頃のことである.

そのなかで飛び出したのが「協力できない」発言である。この発言が後に命取りとなったことはまず間違いないであろう。

前後して会見した石破防衛長官らがどういう反応を示したのか不明だが、事実は、山崎発言とは逆の方向に動き始める。

12月初めには、インド洋へのイージス艦派遣を正式決定した.「護衛艦のローテーションであり,艦艇内の居住性と調査能力を配慮した結果だ」と説明されたが、真実はアーミテージが語っている。

「小泉首相の傑出した指導力によるものであり,深く感謝する」

つまり、小泉はこの時点で、方針を変更しアメリカへの無条件・全面協力に転換し、その方向で慎重派を押し切ったのである。

12月16日には日米両政府が安全保障共同声明を発表し、イラク問題での日米の行動緊密化を確認した.いまや舵は定まったのである。

これを知ったイラクのラマダン副大統領は、「日本は米英に次いでイラクに敵対的な態度をとっている」と語った。それだけこの決断は当時の国際環境の中で突出していたそいえる。

明けて03年1月には「イラク攻撃が始まれば,難民支援策として資金提供する」との意向を表明した。つまりは資金面でイラク戦争を支えるという意思表示である。

これがのちにアーミテージの“Boots on the ground”発言に結びつくことになる。一度屈服した日本政府は、さらなる圧力への抵抗力を失っているはずだ。それは戦場の鉄則、「溺れた犬は叩け」作戦だ。

ここではしゃいだのが外務省だ。MOFAは米国務省=アーミテージの伝達機関となった。

まず加藤駐米大使が,「日米関係がイラク問題への対応を考える基盤だ。武力攻撃が発生した場合は,日本はまずその立場を表明すべきだ」と述べた.

同じ頃、毎日新聞が外務省幹部の小泉首相に対する“進言”を報道している.

「米国がイラク攻撃を始めたら,『支持する』と言ってください.それで日本の仕事の8割は終わりです」

犬の調教としてはふさわしい言葉だ。

これを受けて2月10日には、川口外相,国連新決議あれば米国の攻撃支持すると明言した.まさに「ワンッ!」だ。

久間はすでに防衛長官を外されていたが、こう語った。

「外務省は,“米国の外務省”みたいなものだ.日本は米国の何番目かの州みたいなものだから,米国を離れて,日本は何もできないわけだ」

公明党は機を見るに敏で、さらに跳ね上がった。「米英が安保理決議なしにイラク攻撃に踏み切っても,これに対する日本の支援を容認する」との方針を決定し、忠義を売り込んだ。

冬柴書記長の「戦争に反対するのは利敵行為」発言は、こうした“道化師”としての文脈からとらえられる。我々は冬柴発言のまさに当日、世界約60カ国の約600都市で1000万人を超える史上空前の反戦デモが行われていたことを忘れてはならないだろう.


最初の週刊文春の記事は02年3月に報道されている。29歳美人OLとの不倫だ。これが実は勝共連合のマタハリだったわけだ。(マタハリ分かりますか?昔の有名な女間諜です)

次いで4月には、福岡のホステスとの醜聞を報道した。この時点ではそれで終わっていた。

しかし攻撃が本格化するのは翌03年4月で、まずは福岡のホステスが実名で登場した。見出しも「変態行為」とのどぎついものだった。同時にホステスの「自著」も発行された。中身はそれこそアダルト雑誌の切抜きだった。

このホステスは日本外国特派員協会で記者会見までやった。相当の影響力のある人物がプッシュしたとしか考えられない。

8月の週刊文春には「女優の鈴木京香さんに似た30代前半の美人女医A子さん」へのレイプ未遂が報道された。

これらの攻撃は、その年に行われた総選挙を目掛けたもので、見事に作戦は成功。山崎は落選の憂き目を見た。

山崎拓のセックススキャンダルは、実は3種類ある。
1.勝共連合の女性
2.福岡のホステス
3.「美人女医」
これはすべて週刊文春の発信情報である。三つがごった煮になって報道され、変態人間のイメージが形作られた。

私は、このニュースが出たとたん、「やられたな」と思った記憶がある。
ちょうどイラク侵攻の直前だった。当時自民党幹事長だった山崎は、イラク侵攻に対してかなり批判的な意見を述べていた。
国連では議論が白熱していたが、日本大使は「侵攻は当然」みたいな発言をして、私たちを唖然とさせていた。公明党の竹柴幹事長はテレビ討論で「侵攻に反対するのは非国民」と発言し、大方の顰蹙を買っていた。このとき私は、「国家権力の真意を代弁するのは外務省と公明党だな」と感じた覚えがある。

それから暫くしてからだ。山崎がしばしば夜中に国会議員宿舎周辺をジョギングしていて、どこかに途中下車する。その先がある女性のマンションであり、そこには若い女性が住んでいた、というニュースがテレビで流れた。
「そんなことテレビで流すような話かよ」と思ったら、それが勝共連合の活動家で、どうも美人局らしいということになった。それでは日本版プロヒューモ事件かと思ったが、その話はそれでおしまい。
ついで週刊文春は第二弾として福岡のホステスさんの「告白」話、さらに「美人女医」の「友人」の談話として、セックス・スキャンダルをせっせと報道する。とくにホステスの「告白」は、SM、スカトロ、フェチ…とオンパレードで、下品極まりない。

美人局はかなり厄介で、「火のないところに煙は立たない」とか言われるが、実は火のないところでもガソリンを撒いてバーナーで熱すれば煙は立つのである。

それが政治と絡む場合、一つはそれが性犯罪の要件を構成しているかどうか、もう一つはそれが金銭や権力乱用と結びついているかどうか、ここで判断しなければならない。

その意味からすると、山崎議員のセックス・スキャンダルで問題になるのは勝共連合問題だけである。これは美人局でると同時に、犯罪と結びつく可能性がある。それ以外は個人的性癖に関する問題だ。

週刊文春の巧妙なのは、一番目の問題を最初に出して相手の反撃を止めてから、口にするのもはばかられるような下品な攻撃を繰り返していることである。
これは典型的なやくざの手口であると同時に、ラテンアメリカでおなじみのCIAの政府攻撃の手口だ。敵の傷口を徹底的に痛めつけるネガティブ・キャンペーンの手口だ。ナイーブな倫理集団を相手にする場合、もっとも有効な心理作戦だ。下記記事もご参照ください


赤旗経済面に連載された経団連の対米従属の系譜は参考になった。
しかし、「それだけか?」という失望も少なからず感じる。
①アメリカの「闇の力」とはなんなのか、
②それは何を通じて貫徹されているのか、
③「闇の力」が貫徹する際に、経団連はどういう役目を果たしているのか、
④「自主派」が育つ可能性はあるのか、
これらのポイント、とくに②が、戦後史の分析を通じて明らかになるような研究が必要だろう。
「露頭」としての疑獄事件や政界スキャンダルを丹念に掘り進め、地下水脈を探り当てる必要がある。

しかし、それはそれとして、私はやはり80年代の日米経済摩擦以降、明らかに従属の形態に質的変化が出現していると思う。
それは主としてアメリカの対日戦略の変化に規定されたものだと思う。
1997年危機が日本の路線転換の重大なマイルストーンだと思う。
多分、経団連が「自主派」攻撃の先頭に立ち、陣頭攻撃をするようになったのは、奥田会長以来と思う。
97年危機の時代に、裏で大きな変化があったと思う。それはおそらく橋下龍太郎おろしにつながっているのではないか?
YKKのなかで最強とみなされた加藤も、なにやら訳のわからないスキャンダルで潰された。もう一人山崎拓は勝共連合の美人局にマスコミが群がりよる形で潰された。明らかに陰謀の臭いがする。そして、残された小泉がアメリカの番犬に変身し、「日米同盟」を呼号し、構造改革を推進した。

韓国でもノムヒョン大統領が徹底して潰された。そしてついに自殺にまで追い込まれた。そしてFTAを推進するイミョンバク保守政権が登場した。我々も、犯罪と権力によって仕組まれた罠との鑑別について、そろそろ考えなくてはいけないのかもしれない。

内需なき海外進出は失敗する。
シャープはじめ弱電メーカーの危機は、そのことを端的に示している。
国際競争力といっても技術勝負だ。内需の底支えあってこそ、初めて技術開発も成果をもたらす。
低賃金・低価格で競争力をつけるのは、一時の効果しかなく、長期的には害悪を及ぼす。
眠気覚ましにヒロポンを打つようなものだと考えなくてはいけない。
そんなことは、とうの昔から分かっていることで、わざわざ「資本論」をひも解くまでもなく、どこの会社のモットーにもそう書いてある。
田畑を豊かにするには何代もの努力を要する。そうやって耕してきた田畑で、焼き畑農業を始めるようなものだ。
1997年以来の15年で田畑は枯渇した。そして弱電産業が危機に墜ちいったわけだ。
フコク生命のレポートにもあったように、35歳から45歳の働き盛りの収入がガタ減りしている。彼らが弱電製品の最大の顧客だ。
国内需要が減ったから海外進出というような安易な考えでは、破滅するしかないということが、今度の事態の最大の教訓ではないか。

赤旗に載らなかった話。

日刊ゲンダイの去年11月の記事。写真はモンちゃんのブログから拝借した。

住友化学と住友化学100%子会社のベーラントUSAとモンサント社が遺伝子組み換え種子「ラウンドアップ_レディー_プラス」の共同開発で合意していたことが判明したというものです。

これでTPPで農業が自由化されれば、住友化学は「ぼろ儲け」ということになります。この記事はずいぶん反響を呼んだようで、国会質問で田中康夫議員も触れています。

さすがに住友化学もやばいと思ったか「見解」を発表しているが、ほとんど言い訳にもなっていない。(当社とモンサント社に関する誤認情報についての当社見解

まぁ、こういう話は本線ではないが、分かりやすくていい。


 読書ノート「エジプト資本主義論争の構図と背景」

パレスチナ共産党の研究と同じく、アジア経済研究所の「東アラブ社会変容の構図」からの抜書き年表である。

長沢栄治教授が執筆している。

20年 エジプト共産党が創立される。初期の指導部メンバーの多くをユダヤ人が占めた。

共産党員2千人のうち、8~9割は外国人、ユダヤ教徒、マロン派、アルメニア人、ギリシャ人だった。

22年2月 エジプト王国が成立。実体としてはイギリスの植民地統制が続く。

40年 ストライキ全面禁止令が発せられる。弾圧の中でエジプト共産党は解体。

42年 エジプト国内の共産主義グループが、「エジプト民族解放運動」(EMLN)と「イスクラ」に再編される。

EMLNの指導者はクリエル、イスクラはシュワルツ、いずれもエジプト人ユダヤ教徒だった。EMLNは党のエジプト化と大衆化を主張。イスクラ系はこれをショーヴィニズムだと批判したという。

43年 エジプトとソ連が国交を樹立。

46年 「労働者・学生民族主義委員会」が結成される。背景に小ブル・知識人層の急進化があったとされる。カイロ大学出身で、英国留学の経験もあるシャーフィイーが指導。

47年5月 EMLNとイスクラが合併。「民主民族解放運動」(ハディトゥー)を結成。

47年 もう一つの共産主義グループ「新しい夜明」が、エジプト人を中核に結成される。極端な秘密主義をとり、名称を次々に変更。繊維労働者を中心に労働運動に影響力を広げる。

48年5月 第一次中東戦争が始まる。戒厳令が施行され、左翼運動は徹底して弾圧される。これまでのユダヤ教徒指導者クリエルとシュワルツは国外に追放され、ハディトゥーは分裂に追い込まれる。

クリエルはソ連に追随してイスラエル承認に賛成する。これに対しシャーフィイーの率いる「革命ブロック」は、反シオニズムの立場を貫く。

49年 フランス留学生サブリ・アブドラ、ファード・モルシを中心にエジプト共産党(旗派)が結成される。国内指導部の壊滅を受け“国際共産主義運動の指示により”結成したとされる。

50年5月 戒厳令が解除される。ハディトゥ-各派、労働者前衛(新しい夜明の後身)が活動を展開。

50年 ハディトゥーは軍内の自由将校団との接触を図る。軍内共産党員はイスクラ派に属し、イスラエル承認路線を批判。

52年1月 カイロで焼き討ち暴動事件が起こる。全国で反英闘争が激化。

52年7月 自由将校団による軍事クーデター。ナギーブ将軍を大統領に担ぐ。

8月13日 カフル・ダッワール事件が発生。綿工業都市で労働組合のデモ隊と警官が衝突し、死者を出す。軍事政権はナギーブを冠する上からの労働運動を組織。既存の労働運動を弾圧。指導者2人を処刑する。

8月 ハディトゥ-は政権支持を堅持するが、共産党旗派はファシスト、労働者前衛は軍事独裁と規定し、自由将校団政権を公然と非難する。

52年末 軍事政権は米国との接近を図る。ハディトゥーも政権批判を開始。

53年1月 軍事政権、ムスリム同胞団を除いた旧政党を解体、指導部を一斉逮捕。軍内のハディトゥー支部も解散させられる。

11月 ハディトゥーの呼びかけにムスリム同胞団とワフド党左派が応え、民族民主戦線を結成。軍事政権との対決を試みるが失敗に終わる。

11月 分裂していたハディトゥー5組織が統一し統一共産党を結成。クーデター支持を自己批判し、クーデターの背部にアメリカ帝国主義が存在すると非難。

53年 農村部で共産党への弾圧が強化される。各地でナセルの土地改革に抵抗して流血の衝突。

54年2月 ナセル、ナギーブ打倒の動きを見せる。ムスリム同胞団がナギーブ支持の大デモを展開したため挫折。

2月 ナギーブ政権の主導権を握ったムスリム同胞団とナセルとの矛盾が拡大。ナセルは獄中のハディトゥー指導部との交渉を開始する。ハディトゥー幹部は交渉に応じる姿勢を見せる。

4月 ナセルが、同胞団の抵抗を推し切り首相に就任。

10月 ムスリム同胞団によるナセル暗殺未遂事件発生。

11.14 ナセルはナギーヴ大統領を解任。みずから革命指導評議会議長に就任、ムスリム同胞団に大弾圧を加える。

55年4月 ナセル、バンドン会議に出席。この後積極外交を展開。ハディトゥー獄中指導部はこれを全面支持。

5月 地下の統一共産党、獄中指導部を批判。「人民の支持を得ない孤立した軍事独裁政権は、帝国主義の圧力に屈した」と非難する。

8月 イスラエルがガザ駐在のエジプト軍を撃破。英米両国はナセルの軍事援助要請を拒否。

9月 ナセルは社会主義国チェコとの武器取引に踏み切る。ただし国内での共産主義者への弾圧は継続。

56年1月 新憲法が公布される。ナセルが大統領に就任。これに伴い共産主義者の釈放が始まる。

3月 統一共産党、ナセル政権との和解の方向を打ち出す。

4月 統一共産党幹部ムラード、「52年革命は人民民主革命であり、封建的搾取を廃絶した。現段階においては反帝国主義の課題が提起されており、ナセル政権を頂点とする民主民族戦線を形成しなければならない」とする。

7月 アメリカ、アスワン・ハイダム建設への融資を撤回。ナセルは報復措置としてスエズ運河国有化を宣言。

9月 スエズ戦争が始まる。共産党員はパルチザン闘争に積極的に参加。

57年5月 統一共産党、ナセル政権の5年間を総括。「52年7月から53年1月までは人民の運動と米帝国主義の抗争の時代であり、いったん反動が勝利し、ナセルは人民から離反した。しかしその後の情勢変化の中で、ナセルは民族自立の特徴を持つ新たな段階に進んだ」として、ナセルおよび自らを合理化。

7月 統一共産党にエジプト共産党旗派が合流。

57年 労働者前衛、「労働者・農民エジプト共産党」の名称で公然活動を開始。

58年1月 統一共産党に労農共産党も合流。合同会議ではユダヤ教徒が幹部会から排除され、クリエルを中心とするフランス亡命組織も廃止される。のちにクリエルは除名処分を受ける。

58年2月 アラブ統一をめざすアラブ連合か結成される。シリアとエジプトが合同。

アラブ民族主義と共産党: 共産党は当初、「西欧諸国のような資本主義的発展の基盤が欠如していること、そのイデオロギーが“狂信的な宗教的性格”を帯びていること」から警戒していた。のちにナセルべったりになってからは無条件に礼賛。

7月 イラクでカシムを中心とする民族急進派が政権を握る。イラクとシリアの共産党はこれを支持し、ナセルらのアラブ民族主義と対決。

7月 統一共産党から親イラク派が分裂。「党集団」派を結成。「ナセル革命は独占資本の一手段に過ぎない」とし対決姿勢を明らかにする。

12月 ナセル、ポートサイドでイラクと共産主義を激しく非難する演説。

59年1月 ナセル政権、共産党など左翼勢力に大弾圧を加える。多くの活動家が獄中で拷問死を遂げる。

59年3月 モスル事件。

59年9月 獄中の共産党幹部シャーフィイー、ナセルに対し「アラブ民族主義戦線の統一」を訴える書簡を送る。シャーフィイーは翌年6月に拷問により殺害される。

60年 ナセル、社会主義化を推進。銀行国有化。さらに翌年には主要企業が国有化される。

国有化企業の多くは民族的・宗教的マイノリティーの所有するものだったという。社会主義というより民族的、宗教的な過程であった。

61年 第二次農地改革が実施される。党主流派はふたたびナセルへのすりより姿勢。党集団派は国有化は社会主義を意味するものではないと批判。

61年 「国民憲章」にもとづく新たな単一政治組織「民族連合」が発足。

63年 党主流派、アラブ社会主義連合の政治機関である「社会主義者前衛」への参加を決定。ソ連の指示を受けた旧CPE、労農党系のメンバーも加わる。

64年4月 ナセル政権、フルシチョフの訪問をまえに共産党員600名を釈放。

65年3月 エジプト共産党、自主的解党宣言を発表し、ナセル政権与党に合流する。

4月 党集団派も解党声明。解党に反対する残党が、共産主義前衛の名の下に地下活動を継続。

66年6月 ナセル、「封建制の残滓」に対する攻撃を開始すると演説。農村の有力家族支配の復活阻止を訴える。

67年6月 第三次中東戦争。エジプトは惨敗し、軍内にナセルの社会主義路線への批判が強まる。

70年 ナセルが死亡。サダトが後継者となる。

71年5月 サダトによる「修正」革命。「社会主義者前衛」は反サダト派の牙城と目され解体される。このとき元共産党員500~800名が逮捕される。

73年 アラブ社会主義連合への捜索。左派メンバー90名が追放される。

76年11月 「アラブ社会主義連合」による単一政党体制が廃止され、「エジプト型複数主義」が導入される。革命前からの保守勢力「新ワフド党」、社会主義労働党、ムスリム同胞団の活動が容認される。「アラブ社会主義連合」は解体される。連合内主流派は「統一進歩国民連合」の結成に動く。

78年5月 クリエル、パリで暗殺される。

79年 キャンプ・デービッド合意に基づき、イスラエルとの国交が回復される。

81年10月 サダト大統領が暗殺される。ムバラクが後継者となる。非常事態を発令、この非常事態はムバラク追放まで続く。

85年 サミル・アミンが「アラブ社会の危機」を発表。ムバラク体制に取り込まれた国内左派を厳しく批判。内部的社会変革の優先を説く。

87年 総選挙。合法左派政党「統一進歩国民連合」は得票2.2%に激減し議席を失う。これに対しムスリム同胞団は35議席を獲得。政治的影響力を強める。

 

共和党大会というのがどういうものか、日本にいるとなかなか雰囲気が伝わってこない。幸いなことに、デモクラシー・ナウの日本語版が、(見出しだけだが)様子を伝えてくれる。

この1週間の見出しから、共和党大会関係のものを書き出してみた。


2012/8/27(月)

共和党全国大会からのけ者に リバタリアンのロン・ポール議員、共和党全国大会での存在感と党の長期的な方向性への影響力確保をめざす

共和党全国大会の周辺でデモ開催へ  熱帯低気圧「アイザック」と厳重警備の中

 「本当のロムニー」: 共和党の右傾化を受け入れるミット・ロムニーについて

労組に非難され共和党で人気、組合つぶしのウィスコンシン州知事スコット・ウォーカーにタンパで抗議

ニュート・ギングリッチ元下院議長、エイキンの「本当のレイプ」発言にコメント拒否

共和党有力者ら、宗教票獲得ねらい原理主義者の世界観を称える

* ロン・ポールは変わり者の議員で、徹底した自由主義と不干渉(リバタリアニズム)を説く。イラク戦争にも反対した。

*エイキン議員は「本当のレイプなら女性の体に防御機能が働き妊娠しない」と発言し、大問題になった。

*大会を機に、一気に共和党が右傾化・人種差別化・狂信化していることが分かる。


2012/8/28(火)

パーティータイム:  企業とロビイストが資金援助したイベントであふれるかえる共和党全国大会

投票時ID提示法で懸念される選挙権喪失とティーパーティーによる「投票監視人」で高まる圧力。

マルコ・ルビオの台頭: ティーパーティー期待のラティーノの星

熱帯低気圧「アイザック」ニューオリンズ接近 「カトリーナ」から7年、再建された堤防に与えられた最大の試練

投票抑圧とロムニー候補へのアフリカ系アメリカ人の支持ゼロについて 

台風で延期された共和党大会1日目 タンパの雨風にも負けず共和党の公約に抗議した数百人

ベインキャピタル社の工場作業員 共和党全国大会に対し、アウトソーシングによる失業回避闘争を展開

*投票時ID提示法は共和党が各州議会で推進する法律。非白人系の投票参加を妨げる目的。実際は、このような不正投票の件数は極めて少数である。

*一般に非白人系は民主党の地盤となっている。マイノリティーの増加により、すでにコロラド州、ネバダ州、およびアリゾナ州が拮抗州に代わった。


2012/8/29(水)

共和党全国大会 ティーパーティのテッド・クルーズが演説。 カール・ローブが仕組んだ「We Built It」スキームを誇示

ロムニー夫妻 共和党極右へアピールするため 中絶や社会問題に関する過去の「穏健」業績には触れず

大統領候補ロッキー・アンダーソン:米国の第3党からの候補者への妨害で手を組む民主党と共和党

大会会議場に視線が集まる中 共和党の重要な決定は密室で裕福な資金提供者たちが決める

ハリケーン「アイザック」ルイジアナに上陸 ニューオリンズで大洪水の恐れ

共和党全国大会場内での混乱 座席規則を変更してまでロン・ポール代表団を妨害

共和党トップへ駆け上がったポール・ライアン議員 「金と迎合」で対キューバ通商禁止令反対を翻す

*ロッキー・アンダーソンは元ソルトレイクシティ市長。イラク反戦運動の支持、持続可能な環境・経済を訴えるなど、進歩的な市長として知られてきた。半年前に正義党を結成し、大統領選出馬を表明している。

*共和党は大企業と大金持ちが牛耳る政党であることも明らかになった。活動家の多くは金儲けの機会を狙うオポチュニストでもある。


2012/8/30(木)

共和党を支援する億万長者の娘 党全国大会でデモクラシー・ナウ!のスタッフのカメラ奪取

マット・タイビ 「ミット・ロムニーの蓄財の秘密は強欲、借金、責任転嫁」

リンカーンに扮したミズーリ州共和党代表:「暴力的なレイプ」と「酩酊した女性のレイプ」

ニューヨーク選出下院議員ピーター・キング「中絶手術を行う医師らは犯罪者」

共和党副大統領指名候補のポール・ライアン、親しみやすさ演出 自己の経歴や故郷の町については嘘

ウィスコンシン州知事、妊娠中絶問題の重要性を否定。会場周辺で数百人が性と生殖に関する権利を求めてデモ

ロサンゼルス市長のアントニオ・ビラライゴサと共和党ラティーノ・リーダーのマリオ・ロぺスが語る  2012選挙戦における移民法改革問題

*たしかにデモクラシー・ナウ!の取材は相当しつこい。

*経歴詐称はネガティブ・キャンペーンの最大の武器。オバマもコロンビア大学卒業の学歴を疑われている。

*キリスト教原理派にみんなが媚を売っている。

*アントニオ・ビラライゴサはマイノリティーの代表として、民主党からロス市長に当選した。マリオ・ロペスとは正反対の政策を実行している。


2012/8/31(金)

共和党全国大会 ロムニーが大統領選候補指名受諾演説。記録的な軍資金をバックに勝利を狙う。

共和党の筆頭軍師カール・ローブ 『ローブ親分』の著者クレイグ・アンガーの質問に冷静さを失う

クリント・イーストウッド 空席の「透明人間オバマ」を相手にとりとめのない一人芝居披露

「民主主義はビジネスじゃない」 コードピンクがロムニー演説の最中に届けた進歩的な声

共和党の最大の資金提供者デイビッド・コークに直撃:富の集中は民主主義を損なわないか?

ロムニーと大物寄付者 握手の瞬間:大統領候補と億万長者の興味深い瞬間を大手テレビ局は放送せず

フロリダ州の正当防衛法の大物支持者ビル・バンティングに トレイボン・マーティン殺害について質問

共和党全国大会参加者がCNN女性カメラマンへ嫌がらせ

テキサス州投票者ID提示法 を連邦裁判所が差し止め

*カール・ローブはブッシュ政権の高官時代に「影の大統領」、「カール国王」などと呼ばれていた。

*コードピンクはイラク侵攻に反対して結成されたおばさんグループ。ピンクの服を着てアピール活動を行なっている。抗議の歌がハモッていたり、賛美歌ぽかったりするのが評判らしい(労働相談・労働組合日記というブログより拝借)

*コーク兄弟は年収215億ドルの富豪。フォーブス番付では5位と6位を占める。ティーパーティー運動と他の何ダースもの右翼運動に資金を提供している。たこ足にひっかけてコクトパス(コークとオクトパス)と呼ばれる。(見つけた 犬としあわせより)

* トレイボン・マーティン殺害事件は今年2月にフロリダで起きた事件。黒人少年(17歳)が徒歩で帰宅途中、自警団のジョージ・ジマーマンに射殺された。オバマは「自分に息子がいたらトレイボンと似ていただろう」と哀悼の意を表した。当局は、正当防衛を主張するジマーマンを釈放した。


ということで、黒人女性侮辱は起こるべくして起きたということがわかる。

へんな言い方だが、これだけ偏った政党が、いまだに大統領選をたたかう大衆的基盤を保持しているということは、まさに白人政党に徹しているからではないか。キリスト教原理主義も、医療保険制度反対も、根っこはそこにあるのではないか。

共和党を支持する国民は、結局のところ、それが人種主義政党であるがゆえに共和党を支持しているのではないか。

そんな気もする今日この頃である。


black-voices

の31日の紙面ではA 'Wake-Up Call'という記事が載った。

この黒人女性カメラマンは Patricia Carrollという名前で、アラバマ生まれの芳紀34歳。本紙の質問に、「この行為は心痛めるものであると同時に、ブラック・ピープルに“目覚めよ”と呼びかけるものだ」と応えている。

事件は、まず二人の大会参加者が女性にピーナッツを投げつけ、係員に連れ出される際に、アニマル云々の捨て台詞をはいたようだ。大会事務局も、「許しがたく受け入れがたい行為」とするコメントを発している。

下記は、彼女の談話だが、公民権運動の時代を髣髴とさせる、土姓ッポネの座ったコメントだ。

かなりの意訳ですが…

私は起きてしまったことを憎む。しかし少しも驚かない。ここはフロリダだ。そして私はディープ・サウスの生まれだ。こんな場所に来たら、どうしなければならないかは分かっている。私は黒人がするべきでないことをした。連中は黒人がCNNのカメラマンなどするはずがないと思っていた。しかし連中は見てしまったのだ。

連中の心を変えることは、私には出来ない。気分は良いとはいえない。

しかし私は、私が誰かは分かっている。私は誇り高きブラック・ウーマン。たくさんのブラック・ピープルが立ち上がっている。これはブラック・ピープルにとって目覚めの呼びかけなのだ。人々はしばしの楽天にあるけど、「私たちはこれまでよりさらに進まなければならない」と考えるだろう。


記事の最後に訂正があった。シャスターはCNNではなくCurrent TVのアンカーで、たまたま事件を目撃したということのようだ。これでCNNの対応の異様なまでのちぐはぐさが理解できる。トゥイッターでばれなければ、ほおっ被りしていた可能性もある。

テークアクション・ニュースというリベラル系のサイトにさらに詳しい情報が載っている。
http://takeactionnews.com/2012/08/29/the-cnn-camera-woman-incident/
参照してください。

この手の話、写真があるないのでは大違い。探しました。
http://jeffwinbush.files.wordpress.com/2012/08/patricia-carroll.jpeg

CNN’s Patricia Carroll became the story instead of filming it.

と、気の利いたコメントが着けられています。
想像通り、たくましそうです。


David Shuster @DavidShuster

GOP attendee ejected for throwing nuts at African American CNN camera woman + saying "This is how we feed animals." 

とのトィッターが発端。シャスターという人はCNNの花形キャスターのようだ。このトゥイッターをKyle Leighton

この記事によると、
*この人物はその後、会場から連れ出された。
*CNN責任者は、取材に対してこの事件を確認したが、詳細については触れなかった。
*犯人が大会代議員なのか、一般参加者なのかは不明である。
*CNNはこの事件に関してコメントを発表したが、ほとんど詳細を明かしていない。
*共和党大会事務局はいまだ見解を明らかにしていない。

ということで、どうもうやむやにするつもりのようだ。
しかし、それではたして済むかな?

8月29日、内閣府が発表した巨大地震時の被害想定。
「南海トラフの連動型巨大地震」というのだそうだ。

https://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/4/9/49d52fb2.jpg

静岡はダントツだ。千人以下切り捨てという数字が恐ろしい。百人、二百人は数のうちに入らないということだ。
海岸から百メートル、家の2階から海が見える我が家の人々も、もろともだろう。
神奈川から宮崎にかけて、20メートルから30メートルの津波が押し寄せるという。この世の終わりだ。
この数字を知ってか知らずか、「中電の社員」と称する人物が浜岡原発の再開を主張した。
自分は助かると思っているのだろうが、自分さえ助かればいいと考える人が、原発の運転を担っているというのは、大地震に負けず劣らず、恐ろしいことだ。

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