鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2012年08月

100例をとりあえずまとめた。
といってもまだ埋まっていない情報もたくさんあり、まだ全体像を描き出すところまで行っていない。
それでもいくつかの特徴は浮かび上がって来た。
これから相関関係を見ていかなければならない。そのためにはまず対照群を作らなければならない。きれいに出すためにはイェス群とノー群で比較しなければならないが、かなりの作業量になるのでとりあえずはイェス群とイエス+ノー群の比較でお茶を濁すことになるかもしれない。
コピ-&ペーストの作業に慣れてしまうとなかなかしんどい仕事だが、オリジナリティーがある文章を作るのはやりがいがある。やっとけば必ずどこかで引用される。私の軍隊被爆者の調査は今でも引用される。そこにファクトがあるからだ。
大事なことはシンプルであること、言い過ぎないこと、この二つだ。それができない人間(私のこと)にとっては座右の銘だ。

高齢者の疾病悪化の実態: 老健入所者の医療機関への転出理由の分析

検討の目的

老人保健施設(以下、老健と略す)は、医療機関と在宅をつなぐ中間施設としての役割を担っている。しかし高齢者は加齢とともに心身機能が低下してくるので、在宅でのケアーが困難となり入所されるケースも多い。この場合、さらに体調が悪化し医療機関への転出を余儀なくされることも少なくない。

今回、老健から医療機関へ異動したケースを分析し、「いわば半病人を全病人にしない」ようにするために、どのような点に留意すればよいのかを検討した。

 

調査対象

当施設は100床の介護型老人保健施設である。2010年7月より2012年6月までのあいだに、110名の利用者が当施設より退所した.

 

表1 転出先の内訳

退所先

 

 医療機関

100

 自宅

5

 その他施設

 院内死

1(心臓突然死)

病状悪化等により医療機関への異動となったのは100ケース(男性32、女性68)であり、これを今回の検討の対象とした。なお複数回にわたり転出・転入を繰り返したケースもあり、実人数としては72人である。


表2 転出者の年齢・性別内訳 ()内は実人数

転出時年齢

79歳以下

 10

 14

24

80~84歳

 4

 10

14

85~89歳

 11

 15

25

90~94歳

 6

 23

29

95歳以上

 1

 8

各年齢層に分散しているが、79歳以下の比較的若年者で退所者が多い傾向がある。入所時より特定の疾患を有しているケースが多いことが要因と考えられる。


表3 転出までの入所期間


1年未満

51

(再掲 3ヶ月未満)

24

2年未満

17

3年未満

3年以上

14


半分以上が入所1年未満の転出である。3ケ月未満の入所期間の多くは、複数回退所者である。

 

表4 入所時の主病名

脳卒中後遺症

23

骨折など整形疾患

認知症(アルツハイマー)

心疾患

イレウス後状態

統合失調

イレウス後状態の4ケースはいずれも同一の入所者である。


表5 転出の理由となった主病名

急性腹症(イレウス、胆石など)

 18

肺炎(感染性、誤嚥性など)

 11

摂食障害(嚥下障害、PEG管理など)

 15

骨折

 8

心筋梗塞・心不全

 7

上記が老健における五大疾患といえる。

そのほか、脳血管障害、腎・泌尿器疾患、不明熱発、貧血などが複数例あった。 急性腹症は同一者の複数回転出があり、実人数は12人である。


小括

1、入所時病名と比べると、脳血管障害の再発は抑えられている。

2、一方、食事・排泄にかかわる不調が転出理由となることが多い。

3、頻度は多くないが誤嚥、骨折、心疾患は緊急事態になることが多く、注意が必要である。

4、今後、老健の機能にかかわって、胃瘻造設と経管栄養の管理が問題となるであろう。

 

定数削減は衆議院で採決されても、参院での成立のメドはないそうだ。
それを承知で、「身を切る努力」をしたということで選挙の際に、目立たせようということのようだ。なんとも浅ましい考えだ。
ラジオで解説をしていたが、この政局通の解説者、比例区削減でどうなるかについては一言も言わない。

大変なことなんだよ、日本の民主主義制度が根底から崩れる危険をはらんでいるんだよ。

どうも最近の若い連中は、民主主義の有難みが分かっていない。自由にものが言えるのは民主主義のおかげなんだよ。
むかし、学生時代にも民主主義の問題で全共闘やトロツキストとやりあった。
「戦後民主主義の虚妄」だとか、「口を開けば民主、民主で念仏だ」、などと好きなことを言っては角材を振り回し、火炎瓶を投げ、殴りかかってきたものだ。「それがなかったら、お前らそんなことやれるわけない。もっともそうなったら、知らぬ顔の半兵衛を決め込むんだろう」と批判したが、おおかたその通りになった。


西本願寺(真宗本願寺派)の大谷門主が、非公式な発言としたうえで、以下のように述べている。(29日付「朝の風」)

原発は人間の処理能力を超えたものである。
使用済み核燃料の処理方法がないものをどうして許したのか。
廃棄物だけ残していくのは、倫理的・宗教的に問題がある。

これだけで発言の真意を窺うのはいささか軽率かもしれないが、安全性でも、エネルギー論でもなく、使用済み核燃料というこの一点に「原発と人の道」の関係の本質をとらえる眼は確かだ。
大谷門主は、原発の核となる概念として廃棄物を取り出し、人間としての業も見据えながら、未来への視座を打ち出した。
きわめて説得力の高い主張だ。

経済、経済というが、要するにお金のことである。しかしそうやって手に入れるお金は、結局子孫にツケを回して得るお金である。お金回りが苦しいからといって、子孫のお金に手をつけていいのだろうか。娘を身売りする親と選ぶところはないのではないか。

この一点において、原発は没義道そのものであり、仏の道、人の道に反するのである。

「どうして許したのか」という問いかけは、自らへの責めもふくんで、厳しい。
それはいまなお「許そう」としてる人々にとっては、さらに厳しい。

エネルギー問題、冷静さが必要だ。
吉井質問、いいところを衝いているが、オマーンLNGは主要な輸入先ではない。主要な輸入先はブルネイ、マレーシア、オーストラリア、サハリン、そしてアブダビだ。

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カタール以外は当面輸入量の増加はありそうにない。新たな輸入先の確保が急務だ。これが第一の問題。
第二に、本当にLNGでよいのかという問題。現実にはいまだLNGではなく石油が電力源の主流だ。石炭も少なくはない。これは原発依存でやってきた結果、火力発電での技術開発が進んでいなかった結果だが、脱原発で腹をくくるのならこの問題は明確にしなければならない。
スポット買いから長期契約への移行はそう簡単なものではない。高い金で井戸を掘らせて、風力でやれるようになったから要りませんではすまない。最低でも10年は買い続けなければならない。

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三番目には、それでその間、金が持つのかという問題がある。3.11以降、日本の貿易は赤字が続いている。赤字の原因は電力需要のためにエネルギーを買い続けているからである。
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図表は東電ホームページより


いつまでスポット買いを続けるのか。もう原発頼みのエネルギー政策は破綻したのだ。もう風は吹かないのだ。

いつまでも日本が腹を括れないでいるのは、脱原発の方向に抵抗する財界の保守性にある。この頑迷さは度し難い。いまだに財界は経団連、同友会、日商ふくめて一枚岩である。脱原発を言い出す企業はひとつもない。

60年、70年で安保反対や大学民主化を闘った経験を持つ人もたくさんいるはずなのに、米倉や長谷川に一言も言えずに、「国際競争力」という地べたを這いずり回っているのは不思議というほかない。願わくは、鷹となって飛翔せよ!


やっと吉井質問の続報が赤旗に載った。
今度の記事で分かったこと。
9倍の価格格差があることはこれまでに分かっている。
問題は、アメリカに2ドルで売って採算があっているとすれば、残りの16ドルはどこへ行ったのかということだ。理屈で考えるとセルト社に入るはずだ。それでは実際に入っているのか、その金がどう流れているのかというのが問題だ。
もし東電に流れていたとすると、これはほとんど犯罪行為になる。なぜなら東電はその金を電気料金に転嫁しているからだ。さらに言うと、震災後の日本の貿易赤字の最大の原因になっているからだ。

会社関係の構図をもう一度見ておこう。
①まず東電は100%出資の子会社TEPCOを立ち上げた。これは持ち株会社で、いわばトンネル会社である。
②TEPCOは三菱商事と折半でセルト社を設立した。この会社はオマーン産LNGの輸入・販売権を持つ。
③セルト社は現地企業「カルハットLNG」社から購入したLNGを東電(日本)かアメリカ(三菱)に販売することを事業内容とする。
ということで、実体としては三菱商事の関与はあまりなく、ほとんど東電の自作自演と考えられる。

それ以外には、さほど目新しい事実や具体的な数字は見られない。ちょっと攻めあぐねているようだ。
TEPCO、セルト社の決算報告や財務諸表が入手できれば、どこに資金が積みあがっているのかは分かると思うが。

民主党が単独で議員定数削減を強行採決した。
数々の悪行を行ってきた野田内閣だが、これは日本の歴史を変える暴挙だ。
国会から野党の存在が抹消される事態が招来される。すなわち独裁国家の誕生だ。

来るべき選挙で、おそらくは民主党は解体消滅するだろう。世論は公約を裏切った民主党を許さないだろう。
だからこそ、政権幹部はその後の保身を狙って、財界・右翼労組の言うがままに唯唯諾諾と従っている。
浅ましい限りだ。

もちろん国民の闘い如何ではあるが、総選挙が行われれば自民党の圧勝となる可能性がある。しかも比例区を基盤とする少数政党は消滅する。たとえば自民党が400議席近くを獲得したらどうなるのだろうか。共産党や社民党、みんなの党などがいなくなったらどうなるのだろうか。
憲法改悪、再軍備と海外派兵、TPPの受け入れ、消費税の15~20%への引き上げ、社会保障の切り捨て、労働者の非正規化、原発の全面再開、国民の政治活動への規制…
野党が不在となれば、議会での歯止めが利かなくなれば、これらが一気に進行することは間違いない。

野党7党は、緊急の共同声明を発するべきだ。そして国民的抗議の大運動を起こさなければならない。地方でもただちに共同の闘いを始めるべきだ。

赤旗経済面で、フコク生命のマンスリー・レポートが紹介されている。

見出しは「賃金下落、非正規増が要因」とされている。中身が相当突っ込んでいるようなので、本文に当たってみた。

 http://www.fukoku-life.co.jp/economic-information/report/download/report_VOL229.pdf

本文の題名は「明暗が分かれる男女の賃金動向」というもの。私から見ると、「アラフォー男性の落ち込みが、経済をだめにしている」みたいな見出しをつけたくなる感じ。


最初にポイントがあげられている。

①賃金は全体に低下しているが、実際に下がっているのは男性労働者であり、とくに30歳代で低下が目立っている。

②その要因は、主として非正規社員の増加と、年功賃金カーブのフラット化である。したがって低下をストップさせるには、非正規社員の正社員化が不可欠だ。

次にイントロ

この調査を施行するきっかけとなった数字が挙げられている。それは国民年金保険料の納付率が58.6%にまで低下したということだ。

調査担当者は、これを“国民の所得環境が一段と厳しさを増している”ことの象徴と受け止めている。そして以下の文章で、所得環境の変化を跡付けている。

1.90年代以降の賃金動向

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ここでも、1997年がピークで、かつ変曲点であることが分かる。97年と現在を比較すると、現金給与総額は12.4%の減少を示している。消費者物価が3%低下しているので、実質9%の下落となる。

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二つのことが言える。

①35~45歳の男性が賃金低下のすべてを引っかぶっている。それが起きたのはわずか5年前からのことである。

②50歳以上の世代はじわじわと下がっている。

つまり、青色の2011年ラインはそのまま右側にシフトし、賃金の低下は今後ますます進行するということである。

2.非正規社員の増加が平均賃金を抑制

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男性非正規労働者の割合は25~34歳で4倍に増えている。しかしそれより若年でははるかに高くなっており、今後この傾向は右側にシフトしていくと考えられる。

2011 年の賃金構造基本統計調査によれば、「正社員・正職員」の男性の賃金34.0万円に対し、非正規は22.2 万円で、正社員の65%の水準。

3. 正社員の賃金水準も低下

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標準労働者というのは、“学校卒業後直ちに企業に就職し、同一企業に継続勤務しているとみなされる労働者”、つまり正社員のことである。

ここでも35~39歳男性の落ち込みが激しい。10%を超え、年収にして50万円以上の落ち込みだ。

4. 低賃金労働者の著増

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ちょっと複雑な図表だが、男性に限って、年齢を30歳から44歳に限って、10年前と比べて、賃金分布の変化を見たものである。

荒っぽく言えば、青は生保ライン層、赤の斜線はワーキングプアー層ということになる。

30万円が貧困層と「中間層」を分ける協会とすれば、とくに35~39歳で10年前の27%から50%へと倍増したのが目に付く。つまりワーキングプアーが10年前には4人に一人だったのが、2人に1人ということになったわけだ。

対照的に、40万~60万のプチ・リッチは半減している。

著者は結論として、もっとも旺盛な需要を持つ筈の、この年代における賃金の低下が、国民生活に及ぼす影響を憂慮している。

そして国民年金納付率の低下もその一環だとしている。そして最も典型となるのが所得税額の減少だとしている。

…所得税額は、この5年間で約10兆円から7兆円に減少した。これは低賃金層の増加によるものである。

…給与所得が500 万円以下の層は全体の72.9%であるが、所得税額に占める割合は20.0%にすぎない。つまり、低所得者層の増加が所得税額全体を押し下げる要因となっているといえる。


図表はすべてフコク生命調査部が自ら作成したものである。著者、森実氏のご苦労に感謝したい。

この調査は、このような労働者階級の貧困化がなぜ起きたのかについては触れていない。私が補足するならば、それは構造改革=労働力流動化路線の直接の結果である。低下の程度から見ると50歳以上の世代も同じくらい低下はしているが、それは10年かけて徐々に下がっているので、低下の機序は異なるものと考えられる。

ともかく、労働組合のパンフレットかと見まごうような資料が、大企業のシンクタンクからも出されている。そこまで問題は深刻化しているということだ。これが今の状況である。

現時点での感想的評価
①トゥアレグ人のマリ政府に対する感情には複雑なものがある。
彼らはベルベル人の一支族であり、地中海のセム系人からはさげすまれる一方、黒人をさげすんでいた。彼らは黒人を奴隷として扱い、奴隷売買を積極的にになってきた。彼らの階級社会は白人の貴族階級、有色の下僕階級、黒人の奴隷階級からなっており、現在奴隷階級は廃止されたが、意識の中にそれは残っていると思われる。
②トゥアレグは貧困化し、辺境の民と化しつつある。
マリという国家の中で、かつて奴隷とさげすんだ黒人に支配されている。頻回に起こる旱魃のために彼らは家畜を失い困窮化し、国外に職を求める流浪の民と化している。しかしかつてのトゥアレグは貿易で栄え、高い文化を持ち、財宝に満ち溢れていた。望郷の念と懐旧の念は彼らの民族感情をゆがんだ形で燃え立たせている。
③独立路線の先に未来はない。
たとえ有り余る武力で独立を達成したとしても、経済的には自立は不可能である。弾丸は撃ち尽くせばそれで終わり。補充する金もない。可能性としてはふたつ。一つは"領土"内に金かウランの大鉱脈が見つかること、もう一つはマリやその他の隣国を侵略し支配することである。これは墓穴を掘るようなものだ。昔なら「社会主義」かなんかの看板を掲げてソ連・中国の援助を当てにすることもできたかもしれないが、今日ではせいぜいがアルカイダだ。(ロシアは昔の癖で鼻を突っ込みたがっているようだが)
④高度な自治の実現が落しどころだ。
落し所は、従来以上に高度な自治権の獲得だろう。たしかに黒人が支配するマリ政権とは水と油だし、同化せよとの要求は過酷だ。国境は欧州列強が勝手に引いたもので、そもそも不自然であることはまちがいない。しかしそれは目下のところ甘受するほかないのである。
マリ政府は民主主義の名の下に、民族政党や宗教政党を否定してきたが、これは改めなければならない。トゥアレグ人は一人一票を厳密に適用すれば、少数民族としてのアイデンティティーを失ってしまう。国境が人為的なものである以上、それを甘受するしかない以上、少数民族の自治を最大限に保障することで、それを補償するしかないのである。
⑤アルカイダとの絶縁が先決問題だ。
そのような方向を目指すなら、まずアルカイダへの態度を明確にすべきだ。トゥアレグは「敵の敵は味方」と思っているようだが、アルカイダはトァアレグにとっても敵だ。まずトゥアレグの社会・生活様式はイスラム原理主義にとって許されない。第二に彼らの目標は北部の独立ではなくマリという国家の乗っ取りであり、国際テロ活動の拠点化なのだ。第三に、アルカイダは"トゥアレグ政権"の指揮の下に入る気など毛頭ないことだ。それどころか組織そのものを乗っ取ろうと狙っている。
アルジェリアのアルカイダは敵に対する容赦のなさで名を知られている。市民に対する無差別大量虐殺も辞さないとびっきりのワルだ。その冷酷さについては、20年ほど前に北海道AALAで報告したことがある。とりあえず、ウィキペディアを参照していただきたい。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E8%A3%85%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A0%E9%9B%86%E5%9B%A3
もっともカダフィ傭兵としてのトゥアレグも相当ひどかったが…

トゥアレグ分離闘争の歴史

もともと黒人が大ガーナ王国を立てていたが、11世紀頃になると、交易を目的としてアラブ人が入り込み、やがてベルベル人が支配するようになった。トゥアレグ族はベルベル人の支族である。トゥアレグ族は「砂漠の支配者」と呼ばれるほどの権勢を誇っていた。

13世紀になるとマリ帝国が興隆。その後ソンガイ帝国へと続き、約300年にわたって栄えた。

16世紀にはいると西洋諸国の海上貿易がさかんとなり、内陸部のサハラ交易ルートは衰退した。帝国は崩壊し、小国が乱立するようになった。

1892年にフランスの植民地となり、フランス領スーダンと呼ばれた。

1958年、フランス領内の自治国スーダンとなる。1960年6月にはフランスから独立し、隣国のセネガルと共にマリ連邦を結成した。しかしまもなくセネガルが連邦から離脱し9月にマリ共和国と国名を改めた。モディボ・ケイタ大統領のもとで社会主義政策が推進された。

1962年には第1次トゥアレグ抵抗運動が始まり、2年間にわたり続いた。

1968年、社会主義政策は行きづまり、ムーサ・トラオレのクーデタが発生。その後長い軍事独裁体制に入る。

1973-4年 サハラ砂漠南縁のサヘル地方を大飢饉が襲う。家畜は死に絶え、若者たちはアルジェリアやリビアの大都市に移住。カダフィ政権の下で「イスラム軍」(Islamic Legion)と呼ばれる傭兵部隊に加わる。

カダフィはアフリカ合衆国を唱え、アフリカ諸国の貧しい労働者を迎え入れ、軍事訓練を施すなどしていた。また70年代にはトゥアレグの武装闘争を支持していた。ただし、カダフィはマリ政府そのものにも多額の援助を行っており、カダフィの死後も政府系の建物にはカダフィの肖像が飾られているという。

1979年に民主化運動が成功し、単一政党マリ人民民主同盟が結成された。選挙によって大統領が選出されたが、クーデターが起こりふたたび軍事独裁の時期を迎えた。

1984-5年 サヘル地方を再び旱魃が襲う。トゥアレグ族は度重なる干ばつにより貧困にあえぐようになった。

1990年6月 北部ではトゥアレグ人が分離を目指す武装闘争を開始。リビアがこれを支援。刀剣や古いライフル銃はカラシニコフ銃に、らくだは四輪駆動車へと交換。

91年3月 トゥーレら青年将校がクーデターによりトラオレ独裁政権を打倒。

1991年に暫定政府が発足。複数政党制が導入される。

1992年 憲法を制定。大統領選挙が行われた。トゥーレが大統領に就任。

92年 ニジェールのトゥアレグ人が武装闘争を開始。

1995年 リビアが原油価格の下落で経済破たん。トゥアレグへの援助も杜絶する。トゥアレグ人たちは故郷への帰還を余儀なくされる。

1996年 トゥアレグ人は政府との和解、武装解除に応じる。戦闘員の多くは政府軍などに組み込まれ、トゥアレグの自治権は拡大される。5年間の闘争で死者は数百人、避難民は数千人にのぼる。

2006年5月 トゥアレグ族武装組織、アルジェリア・ニジェール国境付近でマリ政府軍を攻撃。政府軍10人が死亡する。指導者イブラヒム・アグ・バハンガは「5月23日同盟」の結成を宣言し、武装闘争を再開。

2007年2月 ニジェール領内に暮らすトゥアレグ人が「正義のためのニジェール運動」(MNJ)を結成し反政府武装闘争を開始する。背景にトゥアレグ人居住地域のウランの権益。

09年3月 マリのトゥアレグ人武装組織、政府軍兵士20人を拉致する。身柄をMNJの管理下においたと述べるが、MNJ側は報道を否定。

2009年 トゥアレグ族の武装抵抗が終結。

2011年 リビア内戦。トゥアレグ人はカダフィの最も強力な部隊として市民と対決。敗れた後は大量の武器を持ってリビアから脱出。「リビアから千人以上を超えるトゥアレグ人傭兵が、数百台の4輪駆動車に多くの武器を積んで帰ってきた」との報道がある。

10月 アザワド解放国民運動(MNLA)が結成される。蜂起に向けた準備を開始。

2012年

1月17日、MNLAはマリ共和国政府に対する反乱の開始を宣言、「バマコ(マリ共和国の首都)がこの地域を別個の存在と認めない限り継続する」とした。

1月 MNLA、アルカイダと組んで三度目となる武装闘争を開始。アザワド地方と呼ばれる北部三州(gao,toumbouktou,kidal )で作戦を開始する。最大で3000人程度の兵士を有していると推測され、貧弱な武装の政府軍を圧倒。

マリ北部のトゥアレグ族 休戦を宣言

2月 マリ北部キダルで激戦が展開される。北部住民約26万8000人が、マリ国内の他地域や隣国へ避難。

2月22日 キダル郊外のトゥアレグ族キャンプが政府軍の空爆を受ける。女児1人が死亡、11人が負傷。

3.11 MNLA、アルジェリア国境の要衝テッサリトを掌握し砂漠地帯から政府軍を駆逐。

3月 政府軍内部から不満が噴出。軍事クーデターを招く。

3月21日 一部の国軍下士官・兵士らが騒乱を起こし,国営TVラジ オ局を占拠,大統領宮殿を襲撃。

3.22午前4時45分 反乱軍、テレビで声明を発表。「国を守るた めの武器の不足」および政府がテロと戦う上で「無能」だとの理由で行動を起こしたと説明。軍事政権は「国内の統一と領土の保全が再建でき次第ただちに、民主的に選ばれた大統領に権力を回復することを厳粛に約束する」とのべる。

3.22 反乱軍兵士が国家の指揮権の掌握と憲法停止を発表。「民主主義再建・国家復興のための国家委員会(CNRDRE)」を結成する。CNRDREのリーダー、サノゴ大尉は「軍はまともな武器も訓練も受けていない。リビア帰 りで重装備の反政府勢力と戦うのは自殺行為だ」と語る。(朝日新聞=ベリタ)

3月31日 反乱軍を率いるサノゴ大尉、市民の犠牲を避けるためガオでの戦闘停止を決めたと表明。ガオからの撤退を開始。。

4月1日、MNLA、北部ガオ州の州都で政府軍の拠点であるガオを掌握。トンブクトゥへの攻撃を開始。

4.02 MNLA、伝説的な砂漠都市トンブクトゥを掌握したと発表。(同日、アンサル・ディーンもトンブクトゥ制圧を発表している。作戦がガオと同時並行で進められていることから、役割分担があったか、アンサル・ディーンが抜け駆けを行ったものと思われる)

Azawad Tuareg rebellion 2012.svg

4.03 ガオでは、アルジェリア領事らが武装勢力に誘拐された。MNLA報道官は関与を否定し、イスラム過激派勢力の犯行だと述べた。

4.04 al arabiya net は、トンブクトゥをイスラム主義の3人のアミール(いずれもアルジェリア人)が支配していると報じる。記事によると、1日にはトゥアレグ独立運動とイスラム主義者の共同だったが、2日にはイスラム主義者が掌握。町には黒い旗(一般的に イスラム復古主義の過激派が使用)が掲げられ、放送ではシャリーアの適用と女性のベールを着用を求める。

4.06 CNRDRE、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)の説得を受け、憲法秩序回復に向けた枠組み合意に署名。トラオレ国会議長が憲法の規定に従って暫定大統領に就任。(ECOWASは、西アフリカ地域15カ国から構成される経済共同体)

4.06 「アザワド解放民族運動」(MNLA)アザワド独立宣言を発表する。首都をガオとする。

宣言の骨子: 1960年のマリ共和国独立にアザワドの意向は反映されていない。…50年以上、マリの悪政によって北部の人々の存在が脅かされてきた。…独立以降幾度となく弾圧されてきた。…北部は完全に解放された。…国際連合憲章第1条と第55条(人民の同権及び自決の原則の尊重)を根拠に独立を宣言する。…隣接する国々の国境を侵さないことを確認する。…国連憲章に完全に従う。

4.06 アンサール・ディーン、MNLAによって出された独立宣言を、発表から数時間後に拒否すると発表。シャリーアに基づく法律をマリ共和国全土に確立させると誓う。

4.06 フランスのロンゲ国防相、「アフリカ諸国に承認されていない一方的な独立宣言は、何の意味も持たない」と述べた。

4.15 トンブクトゥでキリスト教宣教師のスイス人女性が武装集団に誘拐される。

5.06 MNLA、「国際社会の呼びかけに応じ、軍事活動を停止させる」と発表。また地域諸国および国際社会に対して「アザワド住民がマリからのいかなる侵略からも安全を保証されるよう」求める。

5月 「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ」(AQIM)がトンブクトゥの聖墓を破壊したと発表する。

5.26 MNLAとAQIMとが合同して、独立のイスラム国家を樹立することに合意。

「長年、日本の外交官として中東に深く関与」した人の「中東の窓」というブログに興味深い記事がありました。27日付のal qods al arabi net 紙からの引用だそうです。
アザワド国民解放運動の報道官が、「アルカイダ系のansar al din と合同し、イスラム国家を樹立する」と発表した。
つまり、
AQIM と ansar al din とは同一組織の別称だということになります。そしてガオ州をMNLAが、トンブクトゥ州をAQIM が実効支配しているらしいということです。

5.16 トゥアレグ族武装集団がリビア西南部の町ghadamis を襲撃。住民7名が死亡し、20名以上が負傷。(アルジャジーラによると、彼等はかってカッダーフィ軍に属し、町に居住していたトゥアレグ族で、革命後一時立ち去っていたものが再び戻ってきたもの)

7.05 国連安保理、第2056号決議を全会一致で採択。直ちに敵対行為をやめ,人権・人道状況の回復に努めるようもとめる。さらに、憲法秩序の回復に努力し,マリ領土の一体性を確保するようもとめる。

7月 チャド大統領、「アルカイダはアフリカ全体に対する脅威」とし、国際的介入を求める。

7.29 ECOWAS議長のコートジボアール大統領、マリ共和国への軍事介入を検討。これについてフランスアメリカなどの支持を求める。(仏紙とのインタビュー)


マリ北部の紛争について以前書いたが、その背景についてはかなり認識不足だった。

すこし調べてみたので訂正がてら、すこし事情説明をしておきたい。

まずは、マリという国。とりあえずウィキペディアでお茶を濁す。

フランス領スーダンが独立してマリ共和国を名乗った。かつてこの地にあったマリ帝国の繁栄にあやかって名づけられた。

マリは内陸国であり、地理的には北部のサハラ帯、中部のサヘル帯、南部のスーダン帯に分かれる。国の2/3は砂漠であり人口は希薄。トゥアレグ族遊牧を行っている。南西部は亜熱帯気候である。国土のほぼ中央部を流れるニジェール川流域に人口が集中している。

ニジェール川流域の農業と金とウランの輸出が中心。ウランは日本が独占契約を結んでいる。農業が主要産業だが、灌漑設備が弱く、また砂漠化の影響を受け、収量はきわめて不安定である。

トゥアレグ人の人口は、ニジェール、マリ、アルジェリア、リビア、ブルキナファソンにまたがる200万ヘクタールの土地に100-150万人おされる。多くはニジェール(推定70万人)とマリ(推定30万人)に住む。男性は頭をターバン(シュシュ)、身体をインディゴで染めた真っ青な民族衣装ダラアで覆う。「青い民」と呼ばれるゆえんだ。

階級によって、皮膚の色・生活様式・ラクダの乗り方等が異なる。

イマシュク(貴族)は一般的に白人の様な白い肌と顔立ちで、背が高く青い服を着ている。ターバンの色は氏族・家系、等により様々で、青とは限らない。イムカド(自由民・家来)は貴族とは主従関係にあるが、基本的に自由な身分。黒人の血が混じっており、白い服装である。

…ということで、イスラムの教えからは大夫逸脱ししています。歌舞・音曲もOKらしくて、その音楽は一部でもてはやされているようです。

http://www.youtube.com/watch?v=kB4ZSDUsi_k&feature=related

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 もう素粒子はやめようと思ったが、なんとなくグルーオンの記述をすっ飛ばしたのが気になってしまう。

ずらずらと種類を並べて見たが、圧倒的な主役はグルーオンだ。それに自発的対称性の問題からヒッグスへ話が発展していく上でも結節点の位置にある。

眼のくらむような方程式が並ぶが、分からないなりにもう少し齧っておいたほうが良さそうだ。

核力と中間子

まずは歴史的な流れから追う。http://www.gekkou.or.jp/g-8/sience-3.html

1935年(昭和10)、湯川秀樹博士は、原子核の中で核子(陽子と中性子)を結び付ける「核力(強い力)」を媒介する粒子を仮定した。

そしてその粒子は、電子の約200倍の質量を持つと予測し、電子と核子の中間の質量をもつところから「中間子(メソン)」と名づけた。

1947年、宇宙線から、最初の真正な中間子「π(パイ)中間子」が発見され、湯川の仮説は証明された。

陽子なり中性子なりを集めて、一つの原子核にまとめているのが核力であり、その本態は中間子である、ということのようだ。

クォークをハドロンに結びつける力

つぎは http://astr.phys.saga-u.ac.jp/~fun のページから引用する

1960年代の初め、核子やパイ中間子の仲間が次々と発見されました。また電子の仲間も発見され下の表のように分類されました。
ハドロン
バリオン

核子、デルタ粒子、ラムダ粒子、シグマ粒子、グザイ粒子、等々

メソン

パイ中間子、K中間子、イータ中間子、ロー中間子、オメガ中間子、等々

レプトン
荷電レプトン

電子、ミュー粒子、タウ粒子

ニュートリノ

電子型ニュートリノ、ミュー型ニュートリノ、タウ型ニュートリノ

ここでハドロンというのは核力を感じる粒子の総称です。

さらにハドロンはバリオン・グループとメソン・グループに分けられました。

粒子が持っているスピンという量が1/2の奇数倍のものがバリオンで、偶数倍のものがメソンです。

ハドロンを分類していくうちにある規則性があることが分かってきました。そしてハドロン族の粒子はすべて3種類の粒子の組み合わせで説明可能と考えられるようになりました。その粒子はクォークと名づけられました。

そうすると、このクォークがどういう状況の下で、どのように結合するのかということが問題になります。

陽子と陽子、陽子と中性子をくっつけるのが中間子ということだが、今度は陽子や中性子の中の三つのクォークを結びつける力が問題になってくる。

そこでクォークを結合させる「糊粒子」=グルーオンの存在が予想されることになりました。

ということでこれを図示したのが下記の絵

クォークの色

電磁気力は粒子の電荷を感じて、光子によって伝えられます。同じようなことがバリオンの世界でも起きています。その際、電荷に当たるのが「色」(色荷)であり、光子にあたるのがグルーオンという関係になります。

「色」には三種類の値があり、それぞれ「赤」「青」「緑」と名づけられています。主なハドロンの色構造は下の絵のようになっています。

陽子
中性子
正パイ中間子

こういう組み合わせだと、電荷やスピンの足し算がつじつまがあうのだそうです。その後さらに3種類のクォークが発見されたことは既述の通り。

グルーオンにも色荷があり三原色の組み合わせ計9個が存在しうる。ただし「赤」「青」「緑」の組み合わせは「白」になってしまうので、これを省いて8種の組み合わせとなる。

この色荷を互いに交換することにより強い結合力を生み出している。

糊といわれる所以

その相互作用の特徴は、「漸近的自由性」といわれる。

近い距離の内では自由度があるが、ある距離以上に離れようとすると急に力が働いてくるのである。

それは、まるで丈夫なゴムひもで結ばれているようにもたとえられる。


http://homepage2.nifty.com/einstein/contents/relativity/contents/relativity222.html

クォークとは20世紀を代表するイギリスの小説家ジェイムズ・ジョイスの最後の長編小説『フィネガンズ・ウェイク』からとった名前だ。作品中、カモメが「クォーク」と3度だけ鳴くシーンがあるが、それと3種類のクォークをかけたのだ。

と、ここまでは主要には名前の問題で、別に物理ではない。何々家の何代目という話だ。

ここからが俄然難しくなる。「標準模型」の右側の5つだ。敬遠したいところだが、なにせヒッグス粒子を知るために始めた学習だから、止めるわけにはいかない。多分挫折するだろうが、とにかく手を着けてみることにする。

教材は同じく「キッズ・サイエンティスト」

1 自然界には4つの力がある

それらの自然力の4つの力とは、
重力
電磁気力
弱い力
強い力
です。

A 重力

①重力とは重力子の交換のことです。

②重力は質量に比例しますが、質量は形を変えたエネルギーであり、エネルギーの塊です。それはE=mc2 で表されます。

③このエネルギーを担うのが重力子です。重力子は質量を持ちません。

B 電磁気力

①私たちが日常経験する重力以外のすべての力は、物理学的には、電磁気力です。

②電磁気力は、光子の交換によって伝わります。光子も質量を持ちません。

C 「弱い力」

①「弱い力」は、通常、電磁気力よりもはるかに弱いので、この名前がつけられました。

②「弱い力」はWボソン(ウィーク)、Zボソン(ゼロ)粒子の交換によって伝わります。この粒子には質量があります。質量のない重力子や光子に比べると、とても短い距離の間でのみ働きます。(なぜ質量があるのか、いろいろ説明があるが省略)

D 「強い力」

①電磁気力の 100 倍程の強さを持つ最も強力な力。しかし到達距離は短く、日常感じることはありません。

②クォークの世界の主役。クォークを結びつけ、陽子 (p) や中性子 (n) を作り、また陽子同士の間に働く電気的な斥力に打ち勝ち、中性子とともに原子核を作ります。

③「強い力」は、グルーオン粒子によって媒介されます。グルーオンも質量を持ちません。

④グルーオンには8種類の組み合わせが存在する。

2 四つの力の大統一理論

さすがにここまで来ると、さっぱりわかりません。

要は、「強い力」がクォークの中だけにとどまるのはなぜか? ということから出発しているようです。

より根本的には、電磁気力・「弱い力」と「強い力」の総和がゼロにならないと、「世の中バランスとれないんじゃないの?」 ということです。これが超対称性理論ということのようです。(自信ないが…)

そこで登場するのが、模型図で言うとZボソンの脇にくっついている、17番目の素粒子ヒッグス粒子ということになる。これが超対称性粒子の候補とされているようだ。

最初に見たウィキペディアでは、Zボソンの脇に所在なげに置かれていたが、このサイトの図は、堂々とヒッグス一家を成しています。

3 質量を与える粒子

標準模型が原理として用いているのはゲージ場理論といわれます。この理論が成り立つには、すべての素粒子の質量が厳密にゼロでなくてはなりません。

ところがクォークやレプトンは質量をもつことが明らかになっています。これは矛盾です。

この矛盾は、「現在の宇宙が“ヒッグズ場”の中に浸っていると仮定すると解くことができる」のだそうです。

すなわち、ビッグバンから、10-13秒過ぎたころに、「それまで真空だった宇宙はヒッグス粒子の場で満たされてしまった」のだそうです。

これはちょうど水蒸気が冷えて、液化して水になる状況に例えられます。宇宙の冷却とともに真空はヒッグス粒子の海になってしまったわけです。(分かりやすい例えです。ありがとう)

クォークやレプトンはヒッグス場によるブレーキを受けます。その結果、質量のある粒子と同じふるまいをするようになるのです。(m=E/c2 だからエネルギーが減速した分が質量になるわけだ)

4 なぜヒッグス粒子は発見できなかったのか

理論的には以前から予想されていたのに発見が遅れたのは、ヒッグス粒子が重いためです。

このために、ヒッグス粒子を発見するには、これまでの加速器では発生不可能な高いエネルギーが必要でした。

それがこのたびスイスに建設された次世代加速器LHCで可能になったのです。


何とか挫折せずに済んだ。それにしても、自分の頭がキッズ並みだということが良く分かった。疲れた。

次いで素粒子発見の歴史。これは

という子供向けのサイトで勉強させてもらいます。

素粒子発見の時代

1897年、JJトムソンは真空管を通る陰極線が電子であることを発見しました。この発見が素粒子発見の第一号です。(今日電子はフェルミオンの内のレプトンの一つと位置づけられている)

1930年代以降、宇宙線の研究が進み、電子の反粒子である陽電子、ミューオンなどが発見されました。

1950年以降は、粒子加速器を用いて、陽子の反粒子である反陽子など数百の粒子が生成され発見されました。そのほとんどは電気力より100倍の大きさの強い力を及ぼしあうハドロンの仲間で、バリオンと呼ばれます。

それらの粒子は素粒子という粒子で構成されている複合粒子であることがわかりました。現在では陽子、中性子、その他のハドロンを構成する素粒子をクォークと呼んでいます。

クォークの時代

1960年代に、陽子、中性子、その他のハドロンは小さな素粒子3個から構成されていると提唱されました。さらにその素粒子は3種類しかないとされました。“3の3乗”の組み合わせで数百のハドロンすべてが説明できることになります。

(同じように、湯川博士の研究で有名な中間子は、一対のクォークと反クォークからできていると考えられました)

3つのクォークはアップ、ダウン、ストレンジと名付けられました。クォークは『赤、青、緑』の3つのカラー荷を通じて強い力を感じます。(ここが、この解説では良く分からない)

1970年代になると、電子・陽電子コライダーによる高エネルギー実験が精力的に行われるようになりました。

電子・陽電子コライダーというのは、エネルギーをかけて電子と陽電子を衝突させ、相殺・消滅させる装置です。これによってクォークと反クォークが対生成されます。(さらっと書いたが、“対生成”というのはとても難しい理屈で、子供のためのページなのにさっぱり分からない)

比較的に低いエネルギーでは、アップ、ダウン、ストレンジの3種類のクォークが対生成されました。

電子・陽電子の衝突エネルギーを高くすると、さらにチャーム、ボトムの2種類のクォークが発見されました。

5つのクォークの内、アップとチャームは +2/3e の電荷を持ち、残りのダウン、ストレンジ、ボトムクォークは-1/3e の負電荷を持っていました。ちなみに電子は-e です。

こうなると+2/3e の電荷を持つ青のクォークの存在が示唆されます。それを指摘したのが小林と益川です。そして1995年にそれが発見され、トップクォークと名づけられました。

これらのクォーク系の素粒子とは別に電子が存在しています。電子は -e の電荷を持っていますが、電荷を持たないものも存在しています。これがニュートリノです。電子とニュートリノも、加えられたエネルギーの大きさに応じて三つの世代を持ち、全体としてレプトンと総称されています。

1.素粒子

素粒子は大きく2種類に分類される。

フェルミ粒子(フェルミオン): 物質を構成する粒子。クォークとレプトンに分類される。

ボース粒子(ボソン): 力を媒介する粒子。

 

2.フェルミ粒子(フェルミオン)

フェルミ粒子はクォークとレプトンに大きく分けられる。更にそれぞれが2系列に分けられ、3世代ずつの計6種類が発見されている。世代数が大きいほど質量が大きい。

A クォーク

クォーク : フェルミ粒子のうち、強い相互作用をもつもの。ハドロンの構成要素とされる。次の二つの系列がある。

上系列クォーク: 電荷+2/3を持ち、それぞれに反粒子が存在する。

アップクォーク (u)、チャームクォーク (c)、トップクォーク (t)の三つの世代からなる。

下系列クォーク: 電荷−1/3を持ち、それぞれに反粒子が存在する。

ダウンクォーク (d)、ストレンジクォーク (s)、ボトムクォーク (b)の三つの世代からなる。

B レプトン

レプトン: フェルミ粒子のうち、強い相互作用を持たないもの。次の二つの系列がある。

ニュートリノ系列: 電荷をもたない。反粒子の存在は必然ではない。

電子ニュートリノ (νe)、ミューニュートリノ (νμ)、タウニュートリノ (ντ)の三つの世代からなる。

荷電レプトン系列: 電荷−1を持ち、それぞれに反粒子が存在する。

電子 (e)、ミュー粒子 (μ)、タウ粒子 (τ)の三つの世代からなる。

* なお、電子は原子の構成要素として一般によく知られる。電子の反粒子は陽電子と呼ばれる。

 

3 ボース粒子(ボソン)

ゲージ粒子ともいう。素粒子間の相互作用(力)を伝搬する粒子であり、それぞれの相互作用に応じて以下の種類がある。

光子(フォトン): 電磁相互作用を媒介する。ガンマ線の正体であるためγで表されることが多い。

グルーオン: 強い相互作用を媒介する。カラーSU(3)の下で8種類存在する。

ウィークボソンWボソン: 弱い相互作用を媒介する。質量と電荷±1を持つ。W+, Wで表され、互いに反粒子の関係にある。

ゼロZボソン(Zボソン): 電荷をもたない。Z0と書かれることもある。

*このほかに重力を媒介する重力子がある。標準模型には含まれない(未発見)

白菜の浅漬けにO-157が付いていて、それを食べた人がたくさん感染症を起こしています。原因は次亜塩素酸による消毒が不十分だったためとされています。
皆様にはご心配おかけいたしましたが、幸いなことに私の勤務する老健「はるにれ」は大丈夫でした。江別市の老人施設というのは私のところではございません。
しかし明日はわが身であることには変わりありません。町内の店でもここの工場の製品を売っていました。売っていた割には、そっけない対応で「もし体調に異常を感じたらご連絡ください」程度のものでした。あまり加害者意識は感じていないようです。
今回のO-157騒ぎ、割と犯人探しが早かったのは不幸中の幸いでした。この工場は以前から目をつけられていたようで、こうなってしまっては一巻の終わりでしょう。しかし漬物を作っているほかの工場も巻き添えを食うことはまちがいありません。迷惑な話です。

ただこの話で変なのは、どこでどうやってO-157が混入したかが一向にはっきりしないことです。O157は率直にいってそんじょそこらにいる菌ではありません。感染症自体はともかく、菌がいたということが衝撃なのです。まず白菜を納入した農家を追及しなくてはなりません。
前にも書きましたが、堺のO-157は貝割れ大根(アルファルファ)でした。この場合、生産者には落ち度はなく、輸入した種子が感染していたことが原因でした。白菜の場合は、輸入種子の可能性は低いと思います。

しからばどこで白菜にO-157が付着したか。これが大問題です。いずれにしても工場の操業停止はもちろんですが、白菜を出荷した農家を突き止めて、出荷を停止させなければなりません。さらにその白菜の種子を販売した会社を突き止めなければならないでしょう。

2011年11月1日の記事「カイワレ大根とO157に関して」をご参照ください。

昨日・今日あたりのニュースを聞いていると、どうもそういう方向に動いているようには見えないのですが。
いずれにしても、漬物会社さんには悪いのですが、会社のいかんを問わず、浅漬けは食べないほうが無難のようです。

読売新聞記事2012年8月20日より

O157は動物や人間の腸、土壌、地下水などに生息する。食品の製造工程で菌が混入するルートは、〈1〉感染者の手指や、靴底についた土〈2〉地下水など汚染された水〈3〉野菜等の原材料、などが考えられている。

 市は当初、感染者を介した漬物の汚染を疑った。作業員2人の便から、O157が検出されたためだ。しかし、作業員はマスクや手袋をつけて作業しており、市は14日の記者会見で「2人は製品の包装を担当し、味見役だった」と公表、感染源ではなく浅漬けから感染したとの見方を示した。

…ということで調査は難航しているようです。

本日の赤旗お悔やみ欄

ここは毎日見ている。本当にえらい人が載っている。
福原さんは17日に亡くなったようだ。
53年入党。元党支部長。具象美術会運営委員長。

これだけだ。いずれ文化面に追悼記事が載るかもしれない。
以下は美術年鑑の記事だ。

大正14年;北海道に生まれる。
京絵修・日本美術会員・在外14年(渡欧米ソ)・賞3

じつは90年頃まで福原さんは小樽にいたのである。党支部長というのは小樽時代のことなのだろうか。

実は、96年に福原さんの絵を買った。小樽診療所勤務時代、救援美術展に連れ出された。見ていると、後ろから市会議員や国民救援会の責任者が寄ってくる。
絵を買うなどという“ブルジョア趣味”は持ち合わせていない私だったが、手ぶらでは帰れなくなってしまった。
福原さんの絵が三点ほどあって、いずれも「裸婦」で、悩んだが、結局一枚を買ってしまった。この絵が異常に迫力あったのである。
そのまま行きつけのバーに持っていって飾ってもらうことにした。それから4年ほど、週に一度はこの絵と御対面していたが、ある日マスターが言いにくそうに「この絵に文句言う人がいましてねぇ…」と切り出した。たしかに気にはなるだろう、それだけの迫力がある。
さすがに家では飾れない。どうしようかと思案していたら、単身赴任の話が舞い込んだ。今度は釧路。アパートの玄関に掲げて、4年間、毎日眺めていた。
という訳で、元は取らせてもらった。現在は押入のなかで眠っている。
福原さんからは一度はがきをいただいたが、とうとう一度もお目にかかることはなかった。


桜井昌司『獄外記』というブログがある。布川事件の桜井さんのブログである。
http://blog.goo.ne.jp/syouji0124/e/10bf68167e9f5efe347204a0e69dd11e
桜井さんについては以前も書いた。(7月3日 桜井昌司さんの重い言葉) 一言で言って、立派な人である。
そのブログで、福原さんが桜井さんをモデルにした作品が紹介されている。
その写真を転載しておく。


案の定マリ北部が地獄の様相を呈して来た。もともと、カダフィの傭兵だった黒人がリビアから逃げ込んできて、自分たちの縄張りを広げてきた。
もともとが殺し屋な上に、リビアでの血みどろの戦闘で人を殺し慣れている。何もないが武器だけは豊富だ。こんな連中にマリの軍隊は勝てっこない。
だから、国土の北半分は当分あきらめるほかないだろう、と今年4月11日の「マリの状況が見えてきた に書いた。

その後、いくつかの変化がある。国軍がクーデターを起こした。戦闘に行きたくないとの意思表示だ。
北部の主も代わっている。最初は一応、マリからの独立を求める現地のトゥアレグ族の「アザワド解放民族運動」ということになっていたが、今では没落して「西アフリカ統一聖戦運動」というイスラム過激派が支配している。さらに「イスラム・マグレブのアルカイダ」を名乗る組織も勢力を拡大しているという。
いわば北部のソマリア化だ。そうでなくても砂漠地帯で厳しいところだが、山賊どもとバッタの大群が束になって押し寄せてきている。バッタについては6月15日の「サハラのバッタ」を参照されたい。

マリ北部から国外へ26万、南部へ17万人が避難したが、さらに460万人が緊急食糧援助を要する状態にある。
いまはともかく、山賊退治よりも住民の避難を急がせ、一人でも多くの人を救うことに専念すべきではなかろうか。
戦略的には、砂の壁による封じ込めが有効だろう。砂漠地帯をジープやらくだで行き来するゲリラ相手には、機動線が通用しない砂の壁の要塞はきわめて手ごわい。それは西サハラの戦いが証明している。

いろいろ聞いているうちに、本田美奈子という歌手がいることを知った。「いた」というべきか。
「氷雨」を歌うのを聞いてすごいなと思ったが、残念ながらピアノ伴奏が歌を台無しにしている。
ほかも、60台半ばの爺さんには趣味が合わない。
まぁ、こんなものかと思っているうちにこの曲に当たった。「白鳥の歌」である。絶品だ。

本日の収穫は田川寿美の「千曲川」、石原じゅん子の「逢いたい今すぐあなたに」
それではおやすみなさい。

アジア経済研究所の研究叢書392号で「東アラブ社会変容の構図」という本がある。1990年の発行だからかなり古い。まだ消費税3%の時代である。まだアジ研の住所が市谷になっている。
おかげで、というのもなんだが、4400円の本がただで読める。

長沢栄治先生の編集で、何人かの共著者が執筆したものである。大変浩瀚なもので、読むのに一苦労だが、そのなかでとりわけ興味深いのが、

第一部 委任統治期パレスチナにおける民族問題の展開(臼杵陽)
および
第二部 エジプト資本主義論争の構図と背景(長沢栄治)
である。

第一部は副題が パレスチナ共産党に見る「民族」の位相
であり、パレスチナ共産党を1920年の党創立から43年の最終的分裂に至るまで時系列で追いながら、きわめて特異な状況下でのきわめて特異な路線と、その背景を明らかにしている。
読んでいると、彼らが担わされた課題のあまりの重さに、つい同情してしまう。
逆に言えば、さまざまな弱点はあるにせよ、よくぞここまで国際主義(昔風に言えばレーニン主義)を貫き通せたものだと感動する。

事実のあまりの重さに、いまはコメントすべき言葉が見当たらない。すこしほかの資料も追加した上で、何らかの紹介をして見たい。

とりあえずは、パレスチナ(イスラエル)年表に突っ込んだので、そちらを参照していただきたい。

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