鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2012年07月

消費税のときと同じだ。東京新聞が唯一、しかもすばらしい論評を寄せている。正直のところ、赤旗より上を行く。

以下は要点の紹介。

福島原発の事故調査委は政府、民間、東電と合わせて四つに上ったが、国会事故調は特別な存在である。国政調査権という強い権限をもち、必要に応じて国会で の証人喚問を求めることができた。国会議員でなく民間有識者による調査機関が国会に設置されたのは、憲政史上で初のことだった。

報告書が最も強く訴えているのは、事故は人災であり、適切に対応していれば防げたという点である。

東電は、事故の直接的原因について早々と「津波」であるとしてきたが、国会事故調はこれに大きく異を唱えた。実証なしに原因を「想定外の津波」に限定しようとする東電の責任回避の姿勢は明らかだ。そこに、安全対策より経営コストを優先させようとする経営姿勢が透けて見える。

地震による損傷が起きていれば、他の原発でも危険性があることを意味し、東電だけでなく全国の原発で耐震強化といった問題がでてくる。

もう一つ、報告書が強調しているのは、官邸をはじめとする政府や東電の危機管理体制がまったく機能しなかった点だ。痛恨の極みである。

報告書が重く見ているのは、個人の過ちよりも組織的、あるいは法的、制度的な欠陥だ。原発事故は必然だったと思えてくる。

ただ、報告書も万全ではない。事故原因の詳細な究明が未解明だったことに加え、廃炉の道筋や使用済み核燃料問題などは手が付いていない。過去、原子力政策を推進してきた自民党時代の責任には触れなかったのは、踏み込みが足りなかったと言わざるを得ない。

報告書は真っ先に訴えている。「福島原子力発電所事故は終わっていない」と。いまだ、報告書の取り扱いや政策への反映について議論もないのは、怠慢としかいいようがない。


ただ、これでは尻切れトンボだ。事故調の提起した7項目についての見解がない。

事故調にしてみれば、「そこまで褒めてくれたんなら、我々の提案も支持してくれ」と言いたいところではないか。

早速、読売新聞は独立監視委員会の国会による承認にケチをつけている。政争の具にしてはならないから政府に任せろと主張している。

ただこの辺は力関係である。まず何よりも、すべての国会議員が事故調の報告と認識を共有することが大事だろう。この社説はそのための土台を提供しているともいえる。


赤旗の「いま言いたい」シリーズに熊本県水俣の宮本市長さんが談話を寄せている。

社会が経済優先を求めたツケを住民が負わされるという意味で、水俣病は原発事故に通じるものがあります。
「環境で飯が食えるのか」という声が、市民の中にありました。しかしこれからは環境に配慮しなければ、企業も成り立ちません。市民もそういう観点から生活のあり方を見つめなおさないと、生活できなくなる時代が来ます。

発言で感じたのは、あれほどの悲劇を経た今も、ことあるごとに、市民の中に「命よりカネ」という人々が登場すること、つねにそういう人たちと闘っていかなければ、環境は守れないということである。

そのほかの記事が少し滞っている。
フランスのエロー首相が議会演説。累進課税の強化を改めて表明した。これにより61億ユーロの税収増、さらに歳出抑制をあわせ財政赤字の対GDP比を5.2%から3%に減らすとしている。

記事で気になったのが以下の部分。

フランスは財政支出が世界で最も大きい国の一つ。その負債は総額1兆8千億ユーロとなっている。

財政支出の大きさはその国の経済システムの反映でもある。中央集権型の経済システムをとれば歳出も増えるが歳入も増える。負債の増加と連動するわけではない。

フランスはルイ14世以来の中央集権国家であり、ドイツのような小国分立国家ではないしユナイテッド・ステーツでもユナイテッド・キングダムでもない。

もうひとつ、もし財政支出が大きいとしても、それは労働者が怠け者だからではない。財政支出が急増しているのは、保守政党が支配したこの10年のあいだであり、ミッテランの時代でも、人民戦線の時代でもない。

まずは赤旗の6日一面トップ
見出しは
原発事故「明らかに人災」--規制当局、東電の「虜」に
となっている。
記事の中身は要約の要約。
脇には志位委員長の発言紹介があり、
再稼動の根拠崩れる
との見出し
事故調報告の意義を以下の3点にまとめている。
①人災と断言したこと
②逆転関係の指摘
③津波唯一論の否定
そのうえで、津波唯一論にもとづく大飯再稼動の非道理を強調する。

2面に行くと「主張」欄、見出しは
指摘を重く受け止めるべきだ
小見出しは
事故原因の検証続けよ、と原発再稼動は撤回を、のふたつ
とくに志位委員長発言に加わっているのは、福島原発事故は終わっていない、事故は現在も進行中であること、についての認識の共有化を求めた報告の重さである。

同じ面には、林記者の署名入り解説記事、見出しは
報告書生かす道は「原発ゼロ」
脇見出しが
国会事故調 野田政権への痛烈な批判に
で「原発ゼロ」に直に結びつけるのは? という感じ
小見出しは
「安全神話」を断罪、多くの提言生かせ、となっている
私の個人的感想としては、「安全神話」を断罪、こそがもっとも主見出しにふさわしい表現ではないかと思うが…
そして、事故調報告への積極的な評価をもっと前面に押し出すべきだと思う。
さらに現下の情勢との関連では、野田首相の再稼動宣言との矛盾を鮮明に打ち出すべきだろう。
原発反対派のなかでも、「原発廃止に踏み込んでいない」など事故調報告に批判的、あるいは懐疑的な意見があるようだ。ここは腹をすえるべきではないか。
(報告は)多くの有用な提言も行っています
とか
国会と政府は、この提言を受け止め、積極的に実現を図っていくべき
などの表現は、“国会を真に国権の最高機関としていく課題”との関連で、主体的に受け止める姿勢が弱いと思う。
国会事故調は、大企業と官庁の癒着による“不作為の政治”を変える力を、国会に求めているのである。

続く3面は特集記事で
国会事故調が明らかにしたこと
ということで
福島第一原発は3.11前から地震と津波に耐えられなかった

地震損傷否定できず、原因を津波に限定すべきでない
の二つが取り上げられている。

ここでは脆弱性の問題、非常用復水器など技術的要因にかかわる問題が取り上げられており、おそらく別の取材チームないし記者による記事と思われる。引用も「要旨」には取り上げられていない文章が目立つ。

そして社会面には、事故調が行った東電・関連の従業員2415人へのアンケート結果が紹介されている。
見出しはショッキングだ
津波くる情報、全電源の喪失 作業員に知らせず(3.11事故直後)

この時点では官邸の介入はなかったから、東電本社は「撤退」どころか「見殺し」にするつもりだったということになる

しかも本社従業員と、元請従業員、さらに一次、二次下請け従業員のあいだには明らかな情報格差があった。

①東電の従業員は残った人の47%が説明を受けていた。
②元請の従業員は、全交流電源喪失の情報は流れず、「20キロ圏内に緊急的な避難指示が出ていることすらテレビの情報から得た」という。
③一次下請けの従業員は、敷地内待機中に津波があったが、「津波があったという放送などはなく、いま思えばとても怖い話です」と語る。
④一次下請け以下の従業員の90%は、事故発生時に作業に従事することを説明されていなかった。

ある社員は「被曝は明らかだった。何の援助も外から得られず、完全に孤立し、見捨てられたと思った」と語っている。

アンケートについては、別途特集が欲しいと思う。

土、日と事故調のじの字もない。課題があまりに多すぎるので仕方ないと思うが、とくに国権の最高機関である国会事故調という点に焦点を当てて、もう少し切り込んでもらいたい。
また、これだけの規模のアンケートはきわめて貴重な資料なので、独自の抽出作業を進めてもらいたい。


まず最初に、感じたのは予想以上のものだったということである。
これほどまでに鋭く論難した文書になるとは思っていなかった。

最初にも書いた通り、
全体として、怒りの感情に満ちた激しい告発文となっている。読んでいて思わず襟を正される感がある。
とくに政府・規制当局には住民の健康と安全を守る意思が欠如している、とのくだりはド迫力だ。たとえば大飯原発の再稼動に関する野田首相の声明を聞いて、これを読むとぴったりだ。

ある意味で、国民に対して奮起を促す文書として、歴史的なものとなる可能性がある文書である。


全体として感じ取れるのは、“東電主犯論”である。東電は一種の象徴であり、東電を中心とする“原発ムラ”と財界が主犯として意識されている。それはいわば日本を支配する独占資本主義である。

これが政府と官僚集団を牛耳り、政策を決定し日本の支配構造を規定している。しかもそれが日本を破滅させる方向へと導いている。いわば日本全土の「フクシマ化」が進んでいるという認識である。

もちろん政策立案に責任のある経産省が、原発推進をしゃにむに貫いてきたことへの批判もある。しかし、こと安全性の問題については、情報の圧倒的優位を背景に東電と電事連が事実上仕切っていた。
それを経産省主導のように見せかけるという、東電の狡猾な官僚主義が覆い隠してきたと見る。

ここまで徹底した「東電主犯論」には異論も出るだろう。東電ひとつ潰しても問題は解決しないよ、といわれるかもしれない。しかし逆に言えば、東電ひとつくらい潰せなくて何の対策だともなる。

国会事故調の画期性
もう一つ、これは報告の内容とは外れるが、国会事故調そのものが画期的な組織ではないかということだ。
政府でも民間でもなく、国権の最高機関たる国会が、最高の権力たる国政調査権を発動し、豊富な資金を手当てし、独立の立場から調査した。
委員の構成は決して革新的な布陣ではない。国連大使や高検検事長などむしろ「保守反動」の代表みたいな顔ぶれだ。それだけにこの報告は軽々に扱えるようなものではない。
戦後民主主義の一つの到達点を示すものとしても、この報告を受け止めていかなければならないと思う。

疲れた。

F 七つの提言と国会への「期待」

「要旨」には「七つの教訓」(提言)については項目のみが箇条書きで示されているだけで、説明はない。
いずれネットに載せられると思われる本文に当たるしかないので、ここでは省略する。

なお、本文作成に当たっては赤旗記事のほか、産経新聞の要旨、毎日新聞の解説を参照した。

E 責任の所在 「問題解決に向けて」
 3.規制当局

規制当局は監視・監督機能を果たせなかった。
その理由
①当局には専門性が欠如していた。
②事業者の「虜」となってしまっていた。
③責任回避の体質: 規制の先送り、事業者の「自主対応」の黙認

規制当局は組織の形態あるいは位置づけを変えるだけではなく、その実態の抜本的な転換を行わなければならない

 4.法規制
原子力法には重大な欠陥があり見直しが必要である。
第一の欠陥: 原子力利用の促進が第一義的な目的とされ、国民の生命・身体の安全が第一とはされなかった。
第二の欠陥: 上記により、世界の最新の技術的知見を反映させるための法的担保が欠如していた。







E 責任の所在 「問題解決に向けて」
 2.事業者 東電

ここで初めて本格的に東電の評価に入る。

①経営優先: 東電は、過酷事故によって周辺住民の健康等に被害を与えること自体をリスクとして捉えてはいなかった。
東電の過酷事故対策はもっぱら経営上のリスクとして捉えられていた。

②安全軽視: 東電は規制された以上の安全対策を目指す姿勢がなかった。
東電の経営陣は現場を軽視してきた。緊急時に事故対応の支援ができなかったのはその結果である。

と述べた上で、
東電経営陣のこうした姿勢は、「原子力を扱う事業者としての資格があるのか」という疑問を投げかける。
とし、
原発そのものの安全性以前の問題として、「事業者としての適格性」への疑問から、東電の原発廃止を迫っている。

「事業者としての適格性」への疑問は、たんに安全性対策をめぐる問題から出されているのではない。長期にわたる経営体質に規定された骨がらみの問題としても批判されている。
 
①狡猾な経営: 東電は、エネルギー政策や原子力規制に強い影響力を行使しながらも、自らは矢面に立たず、役所に責任を転嫁する経営を続けてきた。
②規制骨抜き策動: 東電は、電事連等を通じて政・官に働きかけ、原発に関する規制をさらに緩和させ、骨抜きにする試みを続けてきた。

だから、「許せねぇ!」のである。「こんな会社、潰すしかねぇ」のである。

E 責任の所在 「問題解決に向けて」
 1.「人災」としての認識

根源的原因の分析のところでも「人災」という言葉を用いたが、報告はふたたび「人災」とという言葉で関係者を激しく指弾する。

関係者に共通していたのは、原子力を扱うものに許されない無知と慢心であり、世界の潮流を無視し、国民の安全を最優先とせず、組織の利益を最優先とする思い込みであった。

「関係者」たちから事情聴取しながら、よほど腹が立ったのだろう。たぶん「少量の放射能は体によい」指揮の発想だったのではないか。彼らの顔を思い浮かべながらの、まさに激越な非難である。

無知と慢心、国民軽視、利益最優先の三点セットこそは、日本の財・官・政、要するに支配層の本質的特徴である。事故調は原発事故の調査を契機にして、まさにその本質をえぐったのだ。

報告は、さらにこう書き進む。

規制される側とする側の「逆転関係」を形成した真の原因である「組織的、制度的問題」がこのような「人災」を引き起こしたと考える。
この根本原因の解決無くしては、…再発防止は不可能である。

「組織的・制度的問題」というのは強欲資本主義のことである、と思う。


D 被害規模の評価 「住民の被害状況」

この部分も、報告をそのまま書き写したほうが良さそうだ。

本事故により合計約15万人が避難区域から避難した。

1万人を超す住民アンケートには、いまだに進まない政府の対応に厳しい声が多数寄せられている。

被害を受けた広範囲の多くの住民は、不必要な被曝を経験した。また、避難のための移動が原因と思われる死亡者も発生した

本地この収束作業に従事した中で、100ミリシーベルトを超える線量を被曝した作業員は167人とされている。
福島県内の1800平方キロもの広大な土地が年間5ミリシーベルト以上の積算線量をもたらす土地となってしまった。

被災地の住民にとって事故の状況は続いている。放射線被曝による健康問題、家族・生活基盤の崩壊、そして広大な土地の環境汚染問題は深刻である。
先の見えない避難所生活など現在も多くの人が心身ともに苦難の生活を強いられている。

と住民被害の深刻さを書き連ねた後、その理由として

政府・規制当局には住民の健康と安全を守る意思が欠如している。

と結論づけた。

意思の欠如」というのは、おそらく最大級の非難である。


C 事故重大化の個別的要因
 2.緊急時対応の問題

初動の遅れに関しては、これまでも民間事故調などで明らかにされてきた事実があり、重複する部分も多い。

国会事故調の結論は

官邸、規制当局、東電経営陣に、事故に備える準備も心構えもなかったゆえに、
①官邸および規制当局(保安院)を含めた危機管理体制が機能しなかった。
②緊急時対応において事業者の責任、政府の責任の境界が曖昧だった

という2点が突出し、これが初動遅れの原因となったとしている。

ただ文脈の上からは、個別の原発事故というよりも
①保安院の準備不足を基礎とし
②官邸の緊急事態宣言の出し遅れへとつながり、
③官邸自らが指揮系統を混乱させた
という危機管理計画の破綻という側面で捉えているようだ。

つまり諸悪の根源は保安院にあり、その保安院をそこまで堕落させたのが東電と経産省、という構図が、そこからは見えてくるのである。
三悪人の一人・東電は、初動のこの時点では論及されていないが、そのためであろう。
こうやって読み解いていくと、この報告の骨太い骨格が見えてくる。

なお官邸自らが指揮系統を混乱させた
との記述だが、
根源には、両者の相互不信が広がる中で、東電社長が官邸の意向を探るかのような曖昧な連絡に終始した点があったと考えられる。
と、東電免罪につながるような菅バッシングには釘を刺している。

さらに、情報の出元が東電と見た事故調は、清水社長の名指し批判に踏み込む。
誤解を生んだ最大の責任は「民間企業の経営者でありながら、自律性と責任感に乏しい清水社長が、あいまいな連絡に終始した点に求められる」と指摘。

さらに事業者の項では、まだ足りないかと見たか、さらに追撃している。
東電は官邸の過剰介入 や全面撤退との誤解を責めることが許される立場になく、混乱を招いた張本人だった。

 3.被害拡大の要因

この部分はもはや弾劾文だ。

政府から自治体に対する連絡が遅れたばかりでなく、その深刻さも伝えられなかった。
着の身着のままの避難、多数回の避難移動、あるいは線量の高い地域への移動が続出した。


この混乱の根底には規制当局(保安院)の防災対策への怠慢がある。さらに当時の官邸、規制当局の危機管理意識の低さが根底にある。


C 事故重大化の個別的要因
 1.運転上の問題の評価

ここでは、事故の原因を運転員・作業員個人の問題に帰することを厳しく批判している。事故調の言う「人災」が決してそのようなものではないことが、再三にわたり強調される。

それらはすべて東電という組織の「組織的問題」なのだ。現象的に起きた個々人の過失は、

①過酷事故に対する十分な準備の欠如

②高水準の知識と訓練の欠如

③機材の必要な点検の欠如

④緊急時における時間的要件を踏まえた具体的指示のための準備の欠如

という重大な欠如がもたらしたとしている。(もう少し柔らかい言い方だが)

なお、ここでは職員等からの広範な聞き取り調査が反映され、恐怖の事例がいくつか報告されている。

産経新聞から拾うと、

…1号機の非常用復水器は事故後の早期に蒸気管に水素ガスが充満し、循環が阻害され、機能喪失していたと推測される。

…非常用復水器の操作に関してはマニュアルもなく、運転員は十分訓練されていなかった。

…多重防護は一気に破られ、同時に4基の原子炉の電源が喪失した。

…2号機の原子炉隔離時冷却系が長時間稼働したことなど、偶然というべき状況がなければ、2、3号機はさらに厳しい状況に陥っただろう。

B 事故の原因の分析
 2.事故の直接的原因

①事故の直接的原因は地震および津波である。
②未解明の部分が残っており、引き続き検証が必要である。
という二つを枕詞にしているが、中身は津波主因説に対する反論である。

これは東電中間報告が、地震対策は作動したが、津波という想定外の事象により事故に至った。したがって東電に責任はないという論理を展開しているのに照応したものと見ることができる。政府のIAEAあて事故報告書も東電報告に追随している。

そして状況証拠を積み上げた結論として

①安全上重要な機器の地震による損傷はないとは確定的には言えない
②とくに1号機においては小規模の冷却装置の破断(LOCA)が起きた可能性を否定できない
と断定した。

きわめて持って回った言い方だが、東電の逃げ道をほぼ完全に封鎖したものといえる。

さらに地震リスクだけではなく、津波リスクも東電と規制当局関係者によって事前に認識されていたことが検証された。

B 事故の原因の分析
 1.事故の根源的原因

①根源的な原因は、規制当局と東電が、意図的な先送り、不作為、自分に都合の良い判断により安全対策を怠ったことにある。
その結果、福島第1原発は、地震にも津波にも耐えられる保証がない脆弱な状態に陥っていた。
今回の事故は「自然災害」ではなく「人災」である。なぜなら何度も事前に対策を立てるチャンスがあったからである。

(先送り、不作為が意図的なものであったとすれば、これは刑法上の犯罪を構成することになる。事故調はそう示唆しているのである)

その不作為の構造を事故調は次のように分析する。

①規制する立場の保安院と、規制される立場の東電とが「逆転関係」になっていた。(ここで「逆転関係」というのは、規制されるべき東電側が保安院を支配・規制していたという意味である)
②この「逆転関係」は、規制緩和を求める東電の圧力、電事連と経産省の癒着の中で形成され、経産省の一部である保安院に押し付けられた。
③その結果として、「規制の虜」となった保安院では原子力安全についての監視・監督機能が崩壊していた。それは3.11前にすでに崩壊していたのである。



結論はきわめて単純明快だが、そこに至る論理構成と、レトリックはやや晦渋な感がある。

たとえば、昔の東映のヤクザ映画を思い出して欲しい(といっても若い人には無理だろうが)。
悪質な土木業者が、工事を手抜きし、労働者を酷使し、ピンはねを行っている。警察はこれを取り締まらなければならない。ところが土木業者は警察の幹部にマイナイを贈って、お目こぼしを依頼する。警察の幹部は現場の刑事や警官に見て見ぬ振りをするよう命じる。

そこで鶴田浩二が「許せねぇ」ともろ肌脱ぐのだが、これがまず基本パターンだ。

事故調は、原発事故にも同じ基本構造があったと指摘していることになる。手抜きと目こぼしが構造化されていたことが事故の根源的原因ということだ。だから「人災」なのだ。

航空機事故などで人災というと、ヒューマン・エラーということになるが、この場合の「人災」は人為的災害=インテンショナル・エラーということで、まったく違う意味だ。

それでは、いかにしてこのような構造が出来上がったのかといういわば根源の根源であるが、事故調報告はそこには直接触れていない。しかし示唆はしている。

電力事業の監督官庁でもある経産省は原子力政策を推進し…て来た。そして東電など電事連(電力事業連合会)と密接な関係を形成して来た。

ということで、根本的には原発推進をしゃにむに貫いてきた経産省の姿勢こそが原発事故を招いたのだと示唆している。もちろん経産省の背後には巨悪が控えているのだが、それは事故調の言及範囲からは外れるであろう。

しかしここまでよく言ったものだと敬服する。やはり「正義の怒り」が背景にあるのだろう。


A 序論 「認識の共有化」

以下の3つの認識が柱で、ここを全国民が共有しなければならない。
①福島原発事故は世界の歴史に残る大事故である。
②依然として事故は収束していない。
③事故によりもたらされた被害も継続している。

さらに、ここから派生する以下の3つの認識も共有しなければならない。
①原発施設の建物と設備への対応が現在の急務である。
②被害住民への対応も現在の急務である。
③今後も独立した第三者によって継続して厳しく監視、検証されるべきである。

事故調はあえてこう書いている。
事故報告が提出されることで、事故が過去のものとされてしまうことに強い危惧を覚える。
これは、国会事故調の報告の内容をあらかじめ知った政府が、その発表を前に駆け込みで、原発を再稼動したことを指していることは明らかだ。
政府が、原発事故の体験を風化させようとしていることに警鐘を鳴らしたものと捉えるべきだろう。

題名には少し偽りがある。なにせ本日の赤旗は情報てんこ盛りだ。
赤旗で作ってくれた要約を読んで済ませることにする。一面から社会面まで事故調関連の記事が満載で、そこからも適宜拾ってみる。要するにダイジェストのダイジェストだ。

全体としての構成は以下のようになっている。

A 序論 「認識の共有化」
B 事故の原因の分析
 1.事故の根源的原因
 2.事故の直接的原因
C 事故重大化の個別的要因
 1.運転上の問題の評価
 2.緊急時対応の問題
 3.被害拡大の要因
D 被害規模の評価 「住民の被害状況」
E 責任の所在 「問題解決に向けて」
 1.「人災」としての認識
 2.事業者 東電
 3.規制当局
 4.法規制
F 七つの提言と国会への「期待」

全体として、怒りの感情に満ちた激しい告発文となっている。読んでいて思わず襟を正される感がある。

これには調査作業の進行中に、原発再稼動に踏み切った政府への、「泥を塗られた」思いが反映しているかもしれない。

以下、上記の目次に沿って、具体的な内容に踏み込みたい。

またもNHK_BSの朝のニュースが意図的報道だ。
オランドの税制改革を取り上げ、フランスのニュースを流した後、こういった。

これでは企業の投資意欲を削ぐことになりはしないかとの懸念が出されている。財政上も巨額の歳出にまったく手が着けられていない。
また、資金の海外逃避も心配される。
イギリスの首相はフランスの資金を「レッドカーペットを敷いてお待ちしている」と発言した…

イギリスの首相がどういったか知らないが、ロンドンの市場がどんな有様になっているかはこれまで述べた通りだ。投資の場ではなく投機と詐欺まがいの修羅場と化している。
このままでは内部崩壊は時間の問題だ。

今わが抑えておかなければならない最大のポイントは、潮目がすでに変わったということ、ネオリベ経済を彩った「神々の黄昏」が、すでに開始されたということなのではないか。

英「エコノミスト」も、アメリカのWSJも、こういう認識はしっかり持っている。NHKの海外報道部が拠って立つ時代認識のレベルが非常に気になる。

本日はすこし気分が良い。
1週間ぶりのファイターズ勝利だ。
故障選手続出といっても、ホークスやライオンズに比べればましなほうだ。
それにしても栗山監督はいい監督だとおもう。日本プロ野球界に登場した初めてのプロの監督だとおもう。
サッカーでははるか昔から監督のプロを目指す道があるようだが、日本のプロ野球では、基本的に相撲部屋と同じだ。名選手でなければ監督になれない。
もちろん名選手であって名監督になった人はたくさんいる。しかし名選手と名監督は根本的に違うのだから、その百倍くらいは名監督の候補がいるはずだ。
それを採用した日本ハムという球団がすごいのだろう。この球団は、これまでにも札幌にフランチャイズを移し本格的な地域球団作りを目指した。高田繁をジェネラル・マネージャーにして、監督の機能と球団つくりの機能を分離させた。小林繁を監督にすえて二軍を充実させて、自前の選手作りに力を注いだ。
今日ラジオで聞いていたら、ファイターズは育成選手という枠がないのだそうだ。これはと思う選手をスカウトが確保したら、それを必ず育てるから育成選手枠など不要という考えのようだ。ことの是非でなく、それぞれの専門性を尊重する気風は見上げたものだ。
そんなこんなで、ファイターズはきわめて異色な球団であるが、世界標準で考えればもっともまともな球団であるともいえる。
だからヒルマンであり、梨田であり、そして栗山なのだろう。この選択が極めて好きだ。

それで栗山監督なのだが、このところ選手起用が水際立っている。結果がついて来ているとは必ずしもいいがたいが、納得させるものを持っている。

ショートを守っていた一軍半の今浪選手が、雑なプレーでエラーした。栗山監督は次の回には代打を送り、その選手をはずした。翌日には一軍登録をはずし二軍に送り返した。打撃には波がある、守備にはそういう言い訳は通用しない、ということだろう。

今度は正捕手大野の一軍登録をはずし二軍に送った。怪我でもなんでもない、「リードに迷いがある」というのが理由である。今日も金子誠に代わるショートの飯山がだらしないエラーをした。後半は飯山を落として新人・中島卓也に守らせた。こいつの守備はめっぽううまい。おそらくこのままでは飯山に未来はないだろう。

わたしは、これは小谷野に活を入れているのだろうと思う。今年の小谷野はひどい。去年もひどかったが、怪我があったから許された。一昨年の4番バッター、打点王という輝かしい経歴がある。守備だってうならせるようなプレーがいくつもあった。

正直、今は見る影もない。この1週間だけで致命的なエラーが2回ある。肩がいいから救われた危ないプレーもいくつかある。左中間に飛ばす鋭い打球は影を潜めた。ユーティリティ・プレーヤーから這い上がってきた頃の迫力はもはやない。

栗山監督は小谷野にずいぶん気を使っているようである。何とか立ち直ってくれないかと打順も配慮している。まんざら創価学会に配慮してのことばかりとはいえない。私とて、創価学会は嫌いだが小谷野は嫌いではないのである。

前置きが長くなった。

栗山監督の名言 その1
配慮はするが、遠慮はしない
いい言葉だ。現場からすると震え上がるような言葉だ。
でもこちらはどちらかというと語呂合わせで、やわらかく表現しているだけで
言いたいことは「遠慮はしない」ということで、あまり中身はない。

そこに行くと、もう一つの言葉は相当応用が利く名言だろう。

栗山監督の名言 その2
わたしの目標はいいゲームを見たい、見せたい、やらせたいということなんです。
監督というのは勝利を義務付けられている仕事である。目標は勝つことである。「勝てば官軍」という言葉もある。しかしそれではロマンがない。それにプラスして何があるのだろう。
監督連中は、たとえば野村にしても落合にしても、心の中ではどう思っていようと、「日本プロ野球界の発展です」とかなんとかいうだろう。
そうじゃないのだ!
目標は、勝負の勝ち負けではない感動を分かち合うことなのだ。栗山監督は就任以前にプロ・アマ問わずさまざまな野球に接触し、「いいゲーム」をたくさん見てきた、その集大成として「いいゲームをやらせたい」という言葉が出てくるのだろう。
本当にいい言葉だと思う。ナベツネに聞かせたい。

赤旗の連載コラム「データは語る」が困ったデータを出してくれた。

清水記者が財務省の法人企業統計調査から算出したもので、資本金10億以上の企業の役員報酬と、全労働者の平均賃金を比較したもの。
https://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/c/f/cf6dbb09.jpg


全労働者の平均賃金は15年で30万円下がっている。これは周知のこと。
問題は役員報酬で、とにかく増減がきわめて激しい。1400万円から2800万まで跳ね上がった後、リーマンショック後はふたたび1700万円まで低下している。

もうひとつは給与格差が驚くほど少ないということだ。95年にはわずか3.7倍だ、最高時8倍まで行ったものの、現在は5倍を切っている。選挙の一票格差並みだ。医者と看護婦の格差並みだ。

こんなに日本は均一な国なのか。キューバでさえ6倍までは認めている。いまはもっと幅広いはずだ。労働力の生産価格に見合っているとは思えない。
しかも役員報酬はその乱高下振りからも分かるように、リスクを背負った報酬なのだ。

もしこの数字をそのままに受け取るなら、日本の大企業幹部は模範的な共産主義者ということになる。
庶民の所得が多少下がったからといって、「もらいすぎではないか?」などと気にする必要はない。景気がいい時に2,3千万円もらったって、それはあなたの功績なのだから、遠慮なくもらいたまえ。

ということで、清水さん、この記事はフォローが必要ですよ。

日本の財界や財務省は「できないできない」と騒いでいるが、「やれば出来る!」ことをフランスのオランド新政権が示した。

①所得税の最高税率を41%から75%へ
②付加価値税の増税の凍結

さらにこのほか
③企業の社会保障負担の増額
④石油会社と銀行への課税強化
を盛り込んだ。

これで財政赤字の対GDP目標4.4%をクリアーできるというのだから、何か文句あるかということです、財務省さん。


パラグアイにおける国会の力は非常に強い。
これは13年前に起きた弾劾事件の影響がある。
これについては以前文章に起こしたので、興味のある方は参照されたい。

パラグアイの政変劇

パラグアイは89年まで独裁政権だった。ストロエスネルという軍人が54年にクーデターを起こして、そのまま権力の座に座り続けたのだった。
パラグアイは中南米で一番最後まで残った独裁政権であり、50年の長きにわたる中南米最長の独裁政権だった。ドイツ系移民の子孫だったストロエスネルは、元ナチ幹部ヨゼフ・メンゲレ医師をかくまったことでも有名だ。
政権末期にはアメリカにすら見放され、外国援助の75%が日本からのものだった。

あまりにも時代錯誤の独裁政権は、一族の身内の軍人のクーデターによって倒された。アメリカの差し金だったことは公然の秘密だ。
その後、軍事政権が数年にわたり暫定統治を勤めた後、形の上では一応「民主化」された。しかし独裁政権の担当者や軍は一切処罰されず、真相は一切問われず、権力機構はそのまま維持された。
なによりも、独裁政権の基盤となった大土地所有と、極端な貧富の差はそのまま温存された。

このパラグアイという国は、16世紀にスペイン人が侵入し、先住民グアラニ族を使役しながら農業・牧畜などを形成した歴史を持つ。金も銀も出ないただの平原だから、入植者は多くなく、9割のメスティソ・先住民の社会のうえに支配者の小さな社会が乗っかるという植民地時代の遺制がそのまま残っている。

92年の国勢調査では人口411万人の49%がグアラニ語を日常言語として生活していた。いっぽう土地を追われた先住民はカニリタと呼ばれ、およそ100万人が首都アスンシオンの川縁に掘っ立て小屋を建てて暮らしている。


独裁政権の復活を試みる動きは何度も繰り返された。その中で最も緊迫したのが96年6月のオビエド陸軍総司令官のクーデターだった。これは周辺諸国の強力な反対により失敗に終わったが、その後の大統領選挙で、オビエドの身代わり候補のクバスという人物が当選してしまった。

クバスは就任後ただちにオビエドに恩赦を与え、その後もオビエド復権を狙い着々と手を打った。パラグアイの「民主主義」は風前の灯火となった。

そのとき最高裁判所が、軍事法廷によるクバス無罪の判決を無効と裁断した。続いて議会が裁判所の判断を正当と認め、反クバスで行動をともにした。議会は軍の脅迫にもかかわらず節を貫き、最終的にはクバスを弾劾に追い込んだ。(正確には弾劾成立直前に辞任)

若干の混乱の後、議会多数派のコロラド党反クバス派のニカノル・ドゥアルテが大統領に選出された。彼は高らかに「民主主義」をうたい、軍事独裁の復活を狙う勢力はいったんは後景に退いたのである。

ドゥアルテの就任演説は素敵だった。
人間の尊厳を否定し抑制するネオリベラリズムは弱体化する。人間は市場よりも尊いことを踏まえ、市場をより公正なものにしなければならない.人道に適した開発の道を探す。

たしかにこれは民主主義の偉大な勝利であった。しかしその民主主義は少数の支配層内部の民主主義でしかなかった。先住民や・メスティソに開かれた民主主義ではなかったのである。一人あたり年収は940ドル、国民の2/3が貧困ライン以下だった。

さらにパラグアイが累積債務を片付けるためには、IMFとアメリカの主張を飲み込むほかなかった。ドゥアルテは当初米軍との合同演習に反対していたが、それを貫くことは出来なかった。結局、彼がしっかり実行したのは蓄財のみであった。

10数年前にはパラグアイの議会は軍事独裁に対する民主主義擁護の拠点であった。しかしいまやそれは、真の民主主義の実現を願う多くのパラグアイ国民にとって、反民主主義の拠点と化したのである。これが歴史の弁証法だ。

やっと背景説明が出てきた。
これはメキシコのホルナーダ紙記事の紹介で、メキシコ駐在の菅原記者の署名入り。

ホルナーダ紙の見出しは「ルゴ氏の罷免、米国の政治策動」というもの

弾劾騒ぎの最中の22日に、保守政党の下院議員らが米軍高官と会見し、国内に米軍基地を設置する交渉を行っていた、と報じている。

これにはさらに元ネタがあって、パラグアイのABCコロルという新聞。

これによると、その議員はホセ・ロペスといい、「倫理市民連合」(UNACE)の幹部で、下院防衛委員長の職にある人物。
ホセ・ロペスは会見の席で、ボリビア国境地帯に米軍基地を設置するよう「期待」したという。

ホセ・ロペスはさらに会談後のインタビューで、ボリビアが軍拡を進めており、その脅威に対抗するために米軍基地設置が必要だと述べ、みずから米軍との接触を明らかにしている。

アメリカは以前からパラグアイへの軍事進出を狙ってきた。前大統領の時代にはパラグアイ軍との合同演習も行ってきた。

しかし08年にルゴ大統領が就任すると、合同演習は打ち切られた。さらにルゴは基地建設への拒否の態度を明確にした。ウナスールやメルコスールはこのルゴの態度を歓迎し支持した。

ホルナーダ紙は、これらの事情が国会クーデターの背景にあると指摘している。


ここなんですよね。狙いはボリビアにある。現にボリビアでは「警官スト」が暴力化しつつあり、鉱山労働者を組織するCOBOLもこれに同調する動きを見せている。サンタクルスの大地主たちは、政府転覆を狙い着々と準備を進めている。

ベネズエラやエクアドルでクーデターに失敗したアメリカは、もっとも弱い環としてボリビアを選び、揺さぶりをかけているというのが現下の情勢でしょう。

「ロンドンのクジラ」に続いて、またもロンドンの金融スキャンダルだ。
今度はバークレイズ銀行。長年にわたりLIBOR指標を操作していたことが発覚した。

LIBORとは、英銀行協会が大手行の申告に基づき決定する短期金利の指標で、銀行貸し出しなど世界中の金融取引の金利を設定する上で、基準として活用されている。

つまりバークレイズが申告した数字が世界の金利設定の根拠となるわけだ。いわばバークレイズを世界中が信用してたことになる。ところが規制当局の調査で、バークレイズが長年にわたり自行に有利な虚偽申告を繰り返していた、というのだから話は終わっている。

これはうわさのレベルではなく、すでにバークレイズは罪を認めている。6月末には会長が引責辞任し、360億円の罰金支払いに同意した。

もちろんバークレイズのみがLIBOR決定に預かっていたわけではなく、ほかの大手も関与しているのだが、どうもほかの連中も似たようなことをやっていたらしい。
当局はアメリカのシティ・グループ、イギリスのHSBC、RBSなどにも捜査の手を伸ばしている。ひょっとすると今年後半、最大のスキャンダルに発展するかも知れない。

ロンドンクジラも実はまだ片付いていない。JCモルガンが手仕舞いをかけているが、損金は当初の20億ドルから最大100億ドル近くまで膨らむとも言われている。「ヘッジのかけすぎ」などと済ましていられる事態ではない。

投機資本にとって、2012年は「神々のたそがれ」の始まりの年かも知れない。


6月末、G20に続いて開かれたEU首脳会議は、それまでの引き締め一辺倒から舵を切り替える重要な会議となった。
ニュースではメルケルの孤立振りが繰り返し映し出された。それは会議の性格を象徴する映像ではあったが、会議の中身では、二つの大きな決定がある。ひとつはECBによる各国国債の直接買い取りの確認であり、ひとつはそのための担保として打ち出された「銀行同盟」構想である。

前者は金融緩和の上乗せだから、基本方向が変わったわけではない。結局は誰かが保証するわけで、ドイツとその他の国との力関係で決まる話だ。
後者は昨年のスティグリッツ提案には含まれていない。
言葉だけ聞くと「銀行同盟」とはユーロっぽい魅力的なネーミングではあるが、どうも中身が不分明だ。大体こういう話は眉に唾つけて聞かなくてはならない。

赤旗では

銀行への監督権限を欧州中央銀行に一元化すること。これによりEUの金融行政を一元化すること。

とあり、その理由として

ユーロ圏内で金融市場は「自由化」されたが、規制は圏内で統一されていないため、金融危機・ソブリン危機をもたらした。

と書いている。とりあえずそれ以上の情報はない。スティグリッツ提案では、金融危機に臨んでBIS規制の一律かつ厳密な適用を主張するのは、ばかげた話だとしている。
少しネットで検索かけてみるしかなさそうだ。

桜井さんの文章の下に「レーダー」という10行ほどの記事。
松岡勲「1950年代の靖国神社維持参拝の実像を探る」という文章を紹介。

一少女が「遺児参拝文集」にこう書き残している。

犠牲の気持ち無くして死んでいった者に、結果から見て犠牲の名で呼ぶのはかえって侮辱になりはしないか

靖国参拝後の感想文に、これだけの意見を堂々と書き記す、少女の勇気に感服する。

松岡さんの文章は「季刊戦争責任研究」第76号(日本の戦争責任資料センター)という雑誌に掲載されているようです。

書評欄に「書架散策」という囲み記事があって、布川事件の元被告の桜井さんが文章を寄せている。重みを感じさせる文章だ。

私には成長しても読書という習慣がなかったから、きっと冤罪にならなければ本は読まないままの人生だったろう。
そして、もし本を読まなかったならば、いまの私にある動かぬ想いや流されない心は得られなかったのではないかと思うことがある。

…まだ土浦拘置所にいたときだったが、背中に見事な観音様を彫ったIさんと、同じ年ということもあって仲良くなった。そのIさんが「この本、いいよ!」と勧めてくれたのが「橋のない川」だった。…私は強い衝撃を受けた。
…私はこの後の29年に及んだ拘束期間に数千冊の本を読み、自分の体験と社会の矛盾を考察することになった。
真実と正義を大事にする社会になれば、差別を許さない社会も作れる。
…また、あの日の原点に戻るために「橋のない川」を読もうと思っている。

むかし共産党の選挙ポスターのキャッチコピーで「正義の味方、真実の友」というのがあった。
あまりに大時代で、引いた記憶がある。トロに「お前らいつから月光仮面になったんだよ」とからかわれたときは、うまく言い返せなかった。
しかし、年とともに「ここには普遍的な真実があるな」とは感じていた。

桜井さんが正義と真実ではなく、真実と正義と並べ替えて提示されたとき、「そうだ真実があって、正義があるのだ」と得心した。
真実の友であるために、正義の味方であらざるを得なくなるのだ。これは弁証法なのだ。

別に真実の友でなくても正義の味方になることは出来る。月光仮面だって、力道山だってけっこうご都合主義の正義だ。野田首相だって正義の味方と思っているかもしれない。

しかしそれは、真実の友であろうとして正義の味方になるのとは次元が違う。それは 動かぬ想いや流されない心 としての正義なのだ。

参考までに 布川事件とは

昭和42年8月、茨城県北相馬郡利根町布川に住む独り暮らしの
玉村象天(たまむら・しょうてん)さん(当時62才)が自宅で殺害されているのが発見されました。そして、この事件で無実の桜井昌司(さくらい・しょうじ)さん(当時20才)と杉山卓男(すぎやま・たかお)さん(当時21才)が犯人とされました。
ふたりは、それぞれ警察の取調で自白を強要され、その自白を根拠に、裁判で無期懲役の判決を受け、29年間も刑務所に囚われた末に、平成8年11月相次いで仮釈放となりました。  ざ布川事件 ホームページより

2009年12月15日、最高裁で再審が決定され、2011年6月7日、検察側は「控訴審での新たな立証は困難と判断した」として控訴を断念、無罪判決が確定した。


赤旗がすごい。現地アスンシオンに記者を特派して取材している。島田特派員はルーゴとの単独インタビューにも成功した。
当初、適法性に関して若干及び腰だった姿勢についても、かなりすっきりしたが、まだその背景に迫るところまでは至っていない。

まずはルーゴの言葉から

憲法は大統領に対する弾劾手続きを明記しています。しかし今回のように24時間足らずのあいだに、選挙で民主的に選ばれた大統領を罷免するというのは、前代未聞のことです。
国会のやり方は実際には憲法違反であり、「国会によるクーデター」と呼ぶ理由もここにあります。

ということで、手続き問題に焦点を合わせている。

しかしもっと大きい問題は、議会のいう弾劾の根拠が、そもそも弾劾に値しないということだ。たしかに警官6名が射殺されるというのは由々しき事態だが、まだ発生以来1週間も経たず、まだ司直の手にあって真相究明中の話である。

それに、大統領自らが警官殺害を指示したのでない限り、弾劾の対象となるような事例ではない。常識的に見れば、議会は発狂しているのである。

あまり言いたい話ではないが、もしやるとすれば、隠し子問題が相次いで発覚したときに、「大統領としての資質にふさわしくない」と辞職勧告するというなら分からないでもない。

エクアドルのコレア大統領らは、名指しこそしないものの、明らかに事件の背景を問題にしている。せっかく記者が現地に入ったのなら、もう少し背景に関する報道も行ってほしいものである。その上で、もしルーゴが手続き問題に固執しているなら、その弱腰の背景も出来れば調べて欲しい。

島田記者が現地で作成した弾劾のタイムテーブルは良く出来ているが、これを作っておしまいとはしてほしくない。

https://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/f/0/f02cd2d7.jpg



間違えました。メキシコ大統領選挙は決選投票なしの一発勝負でした。
本日の赤旗でそう報道されていました。
赤旗によると、最終盤でAMLOはすでにPANを抜いてPRIに肉薄しつつあるようです。
最近の世論調査では、ニェト(PRI)が40数%、アムロ(PRD)30%とのことです。
ずいぶん離れているようですが、世論調査の信憑性はあまり高くなく、一気に行く可能性も否定できないとのことです。
まぁいずれにしてもあと半日後には結果が出るでしょう。はっきりしていことはPANとPRIの対立構造の中で埋もれていたPRDがはっきりと復調気配に乗ったことです。それは国民全体が左展開しているということでもあります。この深部の流れを抑えておく必要があるでしょう。

知っている人には「いまさら」の常識なのだろうが、イランのアサド政権への武器輸出が赤旗で報道された。

これは国連安保理の専門家パネルが年次報告(28日発表)の中で明らかにしたもの。

①トルコ当局は昨年3月、イランからシリアに向かう貨物機からカラシニコフ60丁、機関銃14丁、砲弾箱19個を押収した。
②トルコ当局は昨年2月、シリア国境でイランから来たトラックを検問。中から火薬890キロと、高性能爆薬1700キロなどを発見した。

専門家パネルはイランの違法な武器転移を非難している。

というもの。政治・外交との文脈で読めば、いかにもありそうな話だ。

ちょっと腑に落ちないのは、1年半も前の話だということ。シリア軍が市民の大量虐殺に踏み切る以前の話である。しかもその量たるや、軍事援助というにはあまりにも微々たるものだ。

ここ数ヶ月を見れば、トルコ国境から続々と武器が運び入れられており、その指揮を執るのがCIAであることは半ば公然の秘密となっている。うがった見方をすれば、これを相殺するための情報操作ともとれる。

トルコ機撃墜事件もそうだ。忘れてならないのは、トルコはイスラムの一角という振りをしているが、本質的にはNATOの一員であり、アメリカの同盟国であるということだ。

①半世紀にわたるロシアの地中海進出の拠点
②イランのイスラエルへの軍事圧力の拠点
としてのシリアは、かつてのブッシュ政権にとってはイラクの次の攻撃目標だった。「民主」の大義の下にこれをつぶす事ができれば、アメリカにとって望外の得点だろう。

逆に、アサドに対して生殺与奪の力を握りながら、情報収集能力の絶望的な欠如から、なんら成すことなく、ことここに至ったロシア外交の権威は、完膚なきまでに地に墜ちた。

元はと言えばアサドの側に非があるにせよ、反アサド軍万歳ともならない。
もはや行き着くべきところに行くしかないという気もする。

30日の赤旗は、5月統計がいっせいに発表されている。
どれを見ても暗いニュースばかりだ。

生産の低下(鉱工業生産): 3.1%の減。2005年を100とすると92.4%まで下がっている。震災直後に83にまで下がったのが、一時95%くらいまで回復した。しかし、それは復興景気の影響で、それもすでに息切れしてきたということだ。とにかく海外移転がとまらない。国内に需要がないから行くしかない。

倒産の増加(零細企業): これは帝国データバンクの調査で、零細企業の倒産が5923件にのぼり、過去10年間で最高を記録したという報道。
正確に言うと、負債額5千万円未満の倒産を「零細倒産」と定義している。これが2002年には2899件だったのが、毎年増加して10年で倍加したということになる。
その8割以上が、販売不振などの「不況型」だと分析されている。

失業の増加(総務省・労働力調査): 5月の調査で、完全失業者は289万人、率は4.4%でわずかに下がったが、就業者数は10万人減っている。つまり就業者が増えて失業者が減ったのではなく、就職戦線からドロップアウトしただけの話だ。
有効求人倍率は0.02アップだが、非正規の求人が増えただけで、正社員の有効倍率は0.43倍と低下。

「朝まで生テレビ」で田原総一郎氏が共産党の出席者に対して、企業は海外に出て行っているのに、どうやって雇用を増やすのだ、と批判したそうだ。
もちろんそれはそれとして反論はあるが、答える前にまず「あなたはどう考えているのか。どれほど深刻に考えているのか」と問いたい。
「どのように雇用を確保し、それを拡大していくのか」という課題こそは、今日本のすべての人が真剣に考えなければならない最大のイシューなのだ。
そこに立ち位置をすえながら、財政・為替・貿易の諸問題を検討することが何よりももとめられているのだ。
「しょうがない」で済まされるような話ではないぞ。しっかりせぇ!


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