鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2012年07月

「産経ビジネス」で「なぜ日本の天然ガス価格はアメリカの9倍も高いのか」という特集記事を出している。

一橋大学の橘川武郎という先生の書いたものだ。

読んでいくと、情報はそれなりにためになるが、結局LNG購入価格が高いことの言い訳を書き連ねている感じだ。(ただし最後にサプライズがある)

理由その①

全体として脱原子力依存の方向性が打ち出されることは間違いないが、代替エネルギーをいかに確保するかについてはコンセンサスが形成されていない。

これは9倍の値段で買う理由にはならない。ただ電力会社が価格引下げにまじめに取り組もうとしない理由にはなる。

理由その②

日本に輸入するには、現地で冷却して液化し、LNG専用船で運搬したうえで、わが国に着いたのち再び気化しなければならないため、コストがかかる。した がって、mmBTUあたり2ドルでシェールガスを購入しても、日本ではmmBTUあたり10ドル程度になるといわれている。

これはウソとは言わないが相当の過大評価だ。3.11の前、日本の購入価格は10ドル前後、この頃アメリカやヨーロッパの購入価格は5ドル前後だから、その差額がすべて輸送コストと見ても、mmBTUあたり5ドル前後だ。

なお、ヨーロッパの購入価格が3.11前後に大幅上昇しているのはロシアの値上げ攻勢によるものである。日本も今後の購入先選定の際に、近いからといってロシアものに手を出すのには慎重でなければならない。

理由その③

天然ガス・パイプライン網の整備という点でわが国は、国際水準に比べて、「2周遅れ」の状況にある。

韓国では国内の天然ガス・パイプライン網が整備されている。

長期的に見るとその通り、原発頼みのエネルギー政策を続けてきたツケである。

ただ海外のLNG生産基地と直接パイプラインをつなぐわけではないから、高い購入価格の説明にはならない。

理由その④

安定供給確保を第一義的に追求し長期契約方式をとったこともあって、LNG価格の原油価格リンク(油価リンク)を外せないことにある。

油価リンクを解除できない限り、わが国の天然ガス調達価格は高くならざるをえない。

これが一番もっともらしい理由だが、そのウソは簡単にばれる。まず基礎的なことだが、日本だけが油価連動方式をとっているように表現されているが、ヨーロッパとロシアの契約も油価連動方式だ。もちろんこれを変更しようという動きは出ているが。

第二に、LNG購入価格が上がったのは油価リンクとは関係のないスポット買いのためである。もともと日本のLNG購入価格は10ドル前後だった。たしかに原油価格は乱高下しているが、3.11以前にすでに原油価格は高騰しており、それ以降1.5倍には上がっていない。

第三に、日本の主要なLNG購入先は中東産油国ではない。マレーシア、インドネシア、オーストラリアが御三家であり、インドネシアを除いて非産油国である。ロシアからも輸入されているが、サハリン天然ガスでのロシアの強引な態度は嫌われている。

第四に、これは商売のイロハだが、いかに油価リンクしようと、同じものを売るのに、他国に販売する価格の9倍を吹っかけるなどありえない話である。

理由その⑤

日本の電力会社やガス会社が、韓国や中国のライバルたちに比べて、LNGを「まとめ買い」する点で立ち遅れており、それが調達価格の差となって表れている

http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/9/2/9202bdf4.jpg

ということで、韓国と中国の購入価格を比較している。このグラフはけっこう衝撃的である。率直に言って「まとめ買いでお得」のレベルではない。日本の購入価格が実勢レベル以上に吊り上げられているとしか取れない。

なお、「まとめ買い」云々は、スケール・メリットという観点からは事実に反する。財務省のホームページで見る限り、日本の購入規模は段違いである。

http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/d/2/d2fa9e7f.jpg

理由その⑥

わが国の総合商社は総じて、今世紀に入ってからビジネスモデルを改め、コミッション・マーチャントから資源の産地等に対する投資者へと姿を変えつつある。

産地(ガス田)に利権を持つようになった者にとって、天然ガスを安価で売買することは利害に反する側面があるだろう。

橘川先生、最後にそっと本当のことを書いた。これが9倍の真のカラクリだ。当然東電の子会社へのキックバックはあるのだろう。つまり三菱商事と東電がグルになって価格を引き上げて、濡れ手に粟のぼろもうけをしているということだ。

世間ではふつう、こういうのを「火事場泥棒」という。泥棒のなかでもとりわけ卑劣で許せない奴だ。しかもその泥棒が放火犯でもあるとすれば、八つ裂きにしても足りない。

一体どこが守秘義務だ!


吉井質問は、LNG高値買い入れのカラクリを明らかにしている。

現地会社とつるんだ三菱商事が高値の仕掛け人だ。

ここで、もう一度LNGの国際価格の動向を振り返ってみたい。国際価格の単位は立米で表されたり、BTU(英燃料単位)という単位で表されたりするが、ここではBTUで見ておく。

日本の輸入価格は全日本通関CIF価格(JLC)と呼ばれる。震災前は11ドル前後で安定していたが、震災後一気に17ドルに跳ね上がった。1.5倍になっているわけだ。

これに対し欧州では9ドル前後、これに対してアメリカでは5ドルから2.5ドルへと半減している。17/2.5で約7倍の開きとなっている。

これは言うまでもなく、アメリカでのシェールガスの採掘開始による値崩れである。オマーンのLNGもこのあおりを食らっているから、アメリカ向けはそのレベルまで下がっている。

しかし同じLNGなのだから、オマーンから買わないでアメリカの会社を経由して買えばいい話だろう。あるいはそれを材料にして、せめて5ドルくらいに値切ることは出来るはずだ。

結局独占企業だから、購入価格がいくらでも、全部利用者に転化してしまえばよいと思っているのかもしれない。

もっとうがった見方をすれば、LNG価格を高止まりさせることで、“コストの安い”原発の再稼動を狙っているのかもしれない。

もちろん、アメリカから直接買うという方法もある。ただ戦略資源であるシェールガスの輸出については、アメリカは慎重のようだ。資源戦略に利用しようとするもくろみもある。

以前(今年の6月13日記事)、天然ガスの需給事情について触れ、
①アメリカが自給体制に入ったことから、供給過剰が生じており、供給そのものには問題ない。中東への極度の依存関係にある原油と違い、輸入先を選択する幅があり、エネルギー安全保障の面からも有利である。
②問題は価格であり、緊急用のスポット価格で購入しているが、これは順次長期契約化され下がっていくだろう。むしろ値崩れを起こす可能性もある。
と書いた。

スポット価格は長期契約価格の3,4倍といわれている。数字は未検証だが、もし特殊状況における価格だとすれば、今年以降は半分程度に下がると予測される。

しかし輸入額は1年以上を経た今も下がってこない。これが日本の貿易を圧迫している。どうも変だと思っていた。

そこに、吉井議員の爆弾質問。

東京電力は、子会社からLNGを対米販売価格の8~9倍の高値で購入しているという。

問題の会社は、東電の子会社「TEPCOトレーディング」と、三菱商事が共同出資し、オマーン産LNGの購入・販売権を有するセルト社。
同社は米国向けに百万BTU(英式熱量単位)あたり2ドルで販売する一方、東電には9倍も高い18ドルで販売しています(今年の実績)

この質問のすごいのは、オマーンで採掘され液化されたLNGに話が絞られていることだ。
つまり、アメリカのシェールガスでも、ヨーロッパのパイプラインでもなく、まったく同じものの船出し価格が9倍の差があるということだ。
もうひとつは三菱商事の現地子会社が、この価格操作を行っており、東電自体もこの話に絡んでいるということだ。

吉井議員は衆院消費者問題特別委員会で東電社長に問いただしたが、広瀬社長は「守秘義務があり、存じ上げていない」との答弁だった。

一体誰に対する守秘義務だろう。それは国民に対する公開義務を上回るものなのか? 
相場の9倍で商品を売りつければ、それは限りなく犯罪に近い。それも反人道的な犯罪だ。誰がその差額を懐に入れているのだろう?東電社長がそれを隠し通そうというのなら、犯人隠匿罪ではないか?

LNGの購入価格は電気料金の最大の要素である。その最大の根拠が明らかにされないなら、値上げ申請は認められないのではないだろうか。
だとしたら、そもそも政府は何を根拠に値上げを認可したのだろうか。


人民網があきれた記事を載せている。

第3世代原子炉は福島相当の衝撃にも耐えられる

 国家原発技術公司と米ウェスティングハウス・エレクトリック社は、新型原子炉AP1000が福島第1原発事故のような設計基準を超えた巨大な衝撃にも耐えられると説明した。

 福島第1原発事故後、ウェスティングハウスは直ちに国家原発技術公司と連絡を取り、事故の教訓を十分に汲み取り、ストレステストを実施した。評価の結果、AP1000は設計基準を超える衝撃にも耐えられることが明らかになった。(それって設計でしょう。設計基準が甘いということでしょう)

AP1000は

①事故後72時間以内に、原発を徐々に安定状態へ導き、操作員の関与と外部動力源への依存を減らす。

②炉心または燃料プールの燃料破損も起こり得ない。

③原子炉格納容器も完全な状態を保つことができる。

④許容値を超える放射能漏れもない。

⑤72時間は外部の支援も必要としない。

 「人民網日本語版」2012年1月20日

我が家も職場も北電の計画停電対象地域に入っているようだ。私はどうせブラフだとたかをくくっているが、嫁さんはパニック状態だ。

何せ重度身体障害者だから、電気が止まればいろいろ起きる可能性はある。したがって私としては非常に腹を立てている。人の命を的にしてゲームをしてはいけない。

私としては、計画停電は万策尽きれば断行せざるを得ないと思っている。しかしそれはあまりにも危険な方法であり、かなり最後の手段に近いものと思っている。

したがって、90%以上の確率で計画停電が避けられないという場面では、一時的な原発再稼動もありうると思っている。

市民はまじめに考えているのだ。それなのに会社側には、まじめさが感じられないから怒っているのだ。


2ちゃんを見ると、推進派が書きまくっているが、中身は同じだ。原発反対派は電気使うな反原発厨はクーラー禁止だからな日本全体で経済損失いくらか分かってるのか反原発厨?

これらの「反論」は、もはや周回遅れになっている。「電気使うな!」というのが「原発由来の電気を使うな!」ということなら、すでに原発ゼロになっているからだ。

「原発由来の電気」を使っている人は誰もいない。ただ関電圏内の人は使いたくなくても使わされている。もし断れるものなら断りたいところだ。その分の我慢はしても良い。

もう一つ、こちらのほうが大事なことなのだが、「使うな!」というのが「我慢せよ!」ということなら、それは賛成・反対のいかんを問わず、すべての日本国民が我慢しなくてはいけない ということだ。賛成なら我慢しなくて良いのか?

震災直後の関東の計画停電を住民は受容し、耐え忍んだ。なぜか? それは福島の苦難に寄り添おうとしたからだ。

これは原発賛成とか反対ではない、市民としての矜持の問題だ。一方に原発事故で苦しんでいる人がいるというのに、のうのうとクーラーで自分が楽してよいのか、と誰もが考えた。

原発事故のような大災害を免れた人々は、一種の後ろめたさを抱く。それは、今を生きるすべての日本人にとって共通の感覚だろう。核被害が後代にまで続くものだけに、それは、われわれ「福島世代」の負い目となって残っていく。

原発反対派は電気使うなと書いた人間もわれらが世代である。そういう人間の存在した責任、そういう人間を許した責任も含めて我らが世代は、後世に対して責任を負わなくてはならないのだろう。

独裁政権の終焉

2002年

12月 モイ大統領、総選挙を前に後継大統領候補にケニヤッタの息子ウフル・ケニヤッタを推す。これに反対するKANU活動家はオディンガを中心に大挙離党。自由民主党を再建する。

12月 キバキとケニア国民連合 (NAK)はKANU政権の継続反対を掲げ自由民主党 (LDP)と選挙協定を締結。国民虹の連合(NARK)を結成する。

12月27日 大統領選挙でキバキが当選。初めての政権交代が実現する。議会においても虹の連合は212議席中、125議席を獲得する。キバキ与党の民主党自体は36議席にとどまる。

キバキは自由民主党との合意に際し、オディンガを首相に据え、大統領権限の多くを移譲する密約を交わしていたという。

2003年

1月 キバキが新大統領に就任。これまで認められていなかったケニア土地自由軍の名誉を回復する。いっぽうでオディンガとの密約を破棄し、大統領の専制体制を継続。オディンガは憲法改正に期待し、政権に加わり、道路・公共事業・住宅相に就任する。

ケニヤ土地自由軍の名誉回復は、我々から見れば当然の話で、どうして賞賛されなかったのか、そちらのほうが不思議だ。ウィキペディアによれば、独立時に政権を握ったのは皆、親植民地派の流れをくむケニア人だったため、解放闘争の担い手と承認されなかったそうだ。
元闘士は一貫して冷遇された。植民地政府によるケニア土地自由軍の非合法化も独立後もいっこうに解除されなかった。

2005年

7月 議会で与党提案の憲法改正案が承認される。首相職権限がほとんど認められないなど大統領権限の強い性格のものであったため、自由民主党は反対を表明。オディンガは閣僚を辞任。改正案に反対する運動を呼びかけ、オレンジ民主運動 (ODM) を結成。キバキ政権との対決姿勢を強める。

11月 憲法改正をめぐる国民投票。与党提案の改正案は否決される。オレンジ民主運動は旧政権党のケニア・アフリカ民族同盟 (KANU)と共に反対運動を担う。

「オレンジ」の名称は、国民投票における賛成票のイラストがバナナ、反対票がオレンジで表されたことに由来する。

11月 国民投票後、オレンジ民主運動からKANUが離れ、さらにオディンガのODMとカロンゾ・ムショカのODM_Kenyaに分裂。(ODM_Kenyaはさらに再分裂し影響力を失う)

大統領選挙と内乱

2007年

12月27日 大統領選挙。キバキ大統領が新たに結成した国家統一党(PNU)と、ライラ・オディンガのODMとの一騎打ちとなる。

12.28 出口調査でオディンガの得票が上回っているとの報道。オディンガが勝利宣言を発する。

12月30日 選挙管理委員会がキバキ大統領の勝利を発表。結果発表と同時に大統領の出身部族キクユ人への暴力が始まる。リフトバレー州では教会に逃げた避難民が教会もろとも焼かれ、30人以上の死者を出す。

2008年

1月3日 ナイロビのウフル公園で、ODMと支持者の抗議行動。一部が警官隊と衝突し暴動へと発展。ODM議員の暗殺事件も相次ぐ。

1.05 キバキ、米国務次官との会談後に連立政権を提案。オディンガはあくまで再選挙をもとめる。ナイロビでは暴動が拡大する。

1.08 オディンガ、抗議行動を中止すると宣言。国際的な調停があれば、和解に応じるとの見解を示す。

1.09 ガーナのクフォー大統領がケニヤ入りしキバキ・オディンガと面談。調停案を提示するがキバキが署名を拒絶。

1.16 ODMが抗議行動を再開。警官による鎮圧で2名の死者を出す。

1.22 アナン国連事務総長がナイロビに入り両派との調停活動を開始。

1.25 オンディンガ、アナン調停案の受け入れを拒否。リフトバレー州ナクルではキクユ人に対する暴力や破壊事件が相次ぎ少なくとも64人が死亡。ナイバシャでは逆にキクユ人が避難民19名を殺害。

2.01 アナンの調停により和解が成立。国家調和推進委員会が樹立される。

2.28 キバキとオディンガが、大統領と首相を分け合う連立政権が成立。政治的混乱は収拾される。この間の騒動により少なくとも1000 人が死亡し、国内避難民も一時は30 万人を超えた

4月17日 オディンガが首相に就任。憲法改正に向け作業を開始。

12月 政党法が改正される。それまで160を超えていた政党・政治団体が38に整理される。

2010年8月27日 憲法改正をめぐる国民投票で、賛成票が過半数を超えた。大統領権限の縮小や地方分権、行政のスリム化などが盛り込まれる。

2010年12月 国際刑事裁判所、07年大統領選挙をめぐる暴力事件について、ウフル・ケニヤッタKANU党首、カレンジン族指導者のウィリアム・ルトらが関与していたことを明らかにする。

英政府と連携した独立

1959年12月 非常事態が解除される。再び独立運動が高揚。獄中のケニヤッタの解放を求める。

60年 連邦内独立を認める新憲法が制定される。

61年 初の総選挙が施行される。植民地当局の支持を受けた「ケニア・アフリカ民族同盟」(KANU)が「ケニア・アフリカ民主同盟」(KADU)を破り勝利。

KANUが大部族を中心とする中央集権的国家体制を主張したのに対し、「ケニア・アフリカ民主同盟」(KADU)は少数部族を尊重する連邦制を主張する。…とあるが、五十歩百歩ではなかったろうか?

62年 KANUの要請を受ける形でケニヤッタが9年ぶりに解放される。

1963年12.12 英連邦内で独立。ケニヤッタが初代首相に就任。

1964年 共和制へ移行。ケニア共和国が成立する。初代大統領にケニヤッタが就任。アフリカ社会主義を掲げる。親西側政策を採り、アフリカにおける反共の防波堤として支援を受け、経済成長を遂げる。

66年 オギンガ・オディンガ副大統領(ルオ族)、白人入植者の土地分配政策を巡ってケニヤッタ大統領と対立。ケニヤ人民同盟(KPU)を設立。

反共独裁政権への移行

1969年 政府はKPUの活動を禁止。「事実上の」単一政党国家に移行。オディンガも逮捕される。独立の英雄の一人トム・ムボヤは暗殺される。

1978年8月 ケニヤッタが死去。副大統領ダニエル・アラップ・モイが二代目の大統領となる。その後24年間にわたり独裁政治を続ける。副大統領には政権テクノクラートのトップであるキバキが就任。

アラップ・モイ: 少数民族カレンジン族の出身。反体制派を弾圧し多数を投獄。この間経済は停滞を続けた。自民族を優遇しキクユ族等多数派を冷遇したとも言われる。

1982年6月、ケニアは国会によって一党国家であることを正式に宣言。

1983年9月 一党国家として初の国会選挙。

民主化への胎動

90年 オギンガ・オディンガ、非合法野党として民主主義回復フォーラム(FORD)を結成する(このとき79歳)。

1991年

5月 ケニアの独裁政治に対して西側諸国からの圧力が高まる。モイ大統領は、「植民地主義者は部族でアフリカ人を分断し、いままた舞い戻ってきて今度は複数政党制でアフリカ人をさらに分断しようとしている。複数政党制化を主張する者は、ケニアが混沌と流血に陥ることを望んでいる」と非難。

7月 民主回復フォーラムを中心に民主化を要求する集会・デモが拡大。国際社会に影響を広げる。

11月26日 パリでアフリカ援助国会議が開催される。ケニアの民主化、構造調整計画の遅れを非難、新規援助を停止する。

12月02日 長引く不況と国際社会の圧力を受けたKANU幹部会、憲法の一党条項を無効とし複数政党制の導入を決定。キバキ元副大統領はKANU を離れ、民主党 (DP) を結成する。

1992年

12月 総選挙を目前にして民主主義回復フォーラム(FORD)がケニヤ党とアシリ党に分裂。

12月29日 複数政党制の下での最初の選挙。モイが4選を果たし、その後も実質的なKANUの独裁が続く。二位がアシリ党のケネス・マティバ、キバキが三位、オギンガ・オディンガは4位にとどまる。

アシリ党は、長老政治家オギンガ・オディンガを担ぐことに反発する若手活動家が結成したもの。92年総選挙ではケニヤ党とならぶ31議席を獲得したが、その後路線の動揺と内部争いを繰り返し、凋落する。「アシリ」はスワヒリ語で「元祖」「本家」「オリジナル」の意。

12月 議会選挙でライラ・オディンガがFORDケニヤ党から出馬し、当選する。

オディンガはオギンガ・オディンガの息子でエンジニアであった。東ドイツの大学の出身で、長男の名はフィデル、娘の名はウィニーという、“いかにも”の人。

1996年 FORDケニヤ党が分裂。ライラ・オディンガ派は自由民主党 (LDP)を結成する。

1997年

11月 国会改革、政治的権利が拡大されたことから、政党数が爆発的に増える。キバキが、民主党 (DP) を中心にケニア国民連合 (NAK) を結成、第一野党の地位を確保する。自由民主党(LDP)は第三党の地位を確保。

12月 モイが大統領に再選される。与党KANUは議会で過半数を制することができず、ライラ・オディンガの率いる自由民主党 (LDP) との連立を迫られる。

2001年 ライラ・オディンガ、モイ政権の下でエネルギー相をつとめる。自由民主党 (LDP)は解消され、KANUに吸収される。

ケニア歴史年表 その1

植民地時代以前の経過

紀元前2000年 北アフリカからクシ語系のケニア地域への民族移動。

7、8世紀頃 アラブ人が海岸地域に定住。モンバサやマリンディなど交易の拠点を建設する。

西暦1000年頃 バンツー語系、ナイル語系の民族がケニアの地域に移動。今日のケニア国民を形成する民族として定住。

15世紀初め ケニア沿岸部にバンツーとアラブの言語が混ざったスワヒリ語のスワヒリ文明が栄える。

1418年頃 明の鄭和の艦隊の一部がマリンディにまで到達。

1498 ヴァスコ・ダ・ガマの来訪。

18世紀 アラブ人の影響力が内陸部にまで及び奴隷貿易や象牙貿易などが活発になる。

1828年 オマーン帝国のスルタン・サイードがモンバサを攻略。

植民地時代の経過

1885 ベルリン会議で、欧州列強がアフリカの分割植民地。ケニア沿岸にはイギリスとドイツ帝国が進出。スルタンはザンジバルに根拠地を移す。

1888年 イギリス勢が勢力争いに勝利。イギリス領東アフリカとなる。沿岸部は帝国イギリス東アフリカ会社 (IBEA) が統治する。

1895年 イギリス、東アフリカ保護領を設立。モンバサからキスムまでの鉄道建設が開始される。肥沃な高地が白人移住者たちに開放され、内陸部にまでイギリスの影響が及ぶ。

1902年 現在のケニア全域がイギリスの保護領となる。

1903年 鉄道はキスムを越えウガンダまで延びる。

1920年 英領東アフリカの統治が東アフリカ会社を離れ、英国政府の直轄植民地「英領ケニヤ」となる。

独立運動の開始

1921年 ケニア国内最大の部族であるキクユ族のあいだに、キクユ青年協会が設立される。1924年にはキクユ中央協会(KCA)も結成される。

1942年、キクユ族、エンブ族、メルー族、カンバ族の独立運動家が秘密裏に結束。種族の壁を越えた民族解放運動が始まる。

植民地時代、キクユ族エンブ族メル族は一括してGEMAと呼ばれ、先住民の中でも軍務につけないなど差別された。イギリスお得意の分断政策である。

1946年 ケニア・アフリカ学生同盟(KASU)が設立される。のちにケニア・アフリカ民族同盟(KANU)に発展。ジョモ・ケニヤッタとトム・ムボヤが指導者となる。

キクユ族の出身。ケニヤッタはペンネームで「ケニヤの光」を意味する。本名はウェ・ンゲンギ。建国の父としてムゼー(おじいさん)とも呼ばれる。

1952年10月 キクユ族を中心とする「ケニア土地自由軍」(KLFA)が武装蜂起。白人農場、警察署、政府軍用地、親植民地派のケニア人を襲撃。「マウマウ団の乱」と呼ばれる。

マウマウはイギリス人による蔑称。語源はいろいろあるが定かでない。キクユ族の貧農を中心に一般の都市労働者や労働組合員によって構成され、最盛期には20万人が所属していた。

10月 植民地政府は非常事態を宣言。イギリス軍正規軍5万人、戦車、爆撃機などが投入された。当局は、ナイロビで2万7千人、農村で107万人の反乱支持者を逮捕してマウマウを山林内に封じ込める。

1953年 ケニヤッタはマウマウの乱を指揮したとして起訴され、7年間の重労働を宣告される。実際には北西の辺境地ロドワーに移送され、保護監察下での執行猶予処置がとられた。

54年 黒人、インド人の議会への参加が認められる。

1956年 マウマウ団の闘いは5年に及ぶが、指導者のデダン・キマジの逮捕により最終的に敗北。キマチは絞首刑に処せられる。

反乱による死者は白人入植者95人、親植民地派とみなされたアフリカ人1920人、マウマウ側は、11503人だった。イギリスは植民地予算の4年分に匹敵する戦費支出を余儀なくされた。

昨日、ケニアに行ってきた人の報告会があったので、ついでにケニアの歴史をすこし調べてみた。とりあえずはほとんど日本語版ウィキペディアの孫引きである。

ケニヤの最大の特質は、その地政学的位置にある。周囲の国の名を挙げただけでも、その重要性が浮き彫りになる。

南スーダンはいまが旬の紛争国だ。エチオピアは20年前に空前の飢餓で有名になった。メンギスツ政権は国民が餓死していても内戦をやめなかった。ソマリアはいまなお国家の体をなしていない。最大の売りが海賊というのはなんとも悲しい話である。ウガンダは昔、怪物大統領アミンで有名になった国だ。その隣が100万人虐殺のルアンダ、コンゴもいまだに内戦が収まる気配がない。

これら国家に対応するための拠点がすべてケニアに置かれている。国連や欧州諸国にとってケニアは民主主義の防波堤でなければならない。今やナイロビは世界有数の国際都市だ。国際機関のマフィアが「援助村」を形成している。

こうした「産業構造」が、きわめて外圧に弱い政治構造を作り出している。下品な表現をするなら、「援交」漬けの「パンパン国家」である。日本と似ていなくもない。

感想としては、西側の優等生といわれてきたこの国が、内実としてはさまざまな問題を引きずっていて、真の民主化が急がれているということである。

しかもその民主化は、先進国の要求するような近代化ではなく、財の均等な配分と内発的発展を可能にするような政治・経済システムの確立である。

同時に、国内経済は奇形的で不均一ではあるが、それなりの発展を遂げており、そこそこの内需もあり、国民の経済統合が進んでいるということである。

したがって、多民族国家であるにもかかわらず国民統合は進んでおり、国を分断するような内戦に至る危険性は低いと思われる。2007年の大統領選挙をめぐる紛争は、ぎゃくにそのことを証明したものとも考えられる。

日本語の情報は、この2,3年間についてほとんどない。本当は英語情報に行かなければならないのだが、この暑さが邪魔をする。


草稿集②_p740


マルクスは、マルサスの「人口論」を剽窃だと断ずる。そのネタ本がJ.タウンゼンド師という人の「救貧法論」という本だと言う。以下がマルクスの引用部分。

貧民はある程度まで無思慮なものである。共同社会にはいつでも、最も卑しく不潔で下賎な仕事を遂行する人々がいる。こういう人々があってもいいということは、一つの自然法則であるように思われる。
このことによって、彼らより上品な人々は骨折り仕事を免れ、何にも煩わされることなく、もっと高尚な職業に従事することができる。

ここはまあいいだろう。そうも言える。肝心なのは次のくだり。

労働への法律的強制は、必要以上に多くの煩労や暴力や騒動を伴い、悪感情を生み出す。
これに対して、飢餓は、平和的で無口である。それは絶え間ない圧力であるばかりでなく、勤勉と労働を促すもっとも自然な動機となる。
そして飢餓は、貧困者の力を最大限に引き出し、発揮させる動機となる。


もう政権も終わりに近くなると、関電の社長も東電の社長も政府の言うことなど聞きもしない。
野田首相は、何がどうなろうともう関係ない。首相を降りた後の就職先のことしか念頭にないのだろう。

枝野大臣が「不快」と怒って見せても、マスコミも相手にしない。この国はどこかねじが抜けてしまったみたいだ。

だいたい「身命を賭す」というのは武士の言葉だ。どこかの馬の骨がしゃべってはいけない。

国民のあいだに「今度は共産党」という声が広がってくれると良いのだが。

カリフォルニア州でフォアグラが禁止されたと聞いても、別に痛痒は感じない。
しかしこれがTPPにまでおよんでくると話は違う。

禁止の理由は動物虐待の禁止であり、健康上の問題ではない。だからニューヨークのポテトチップス禁止とはニュアンスが異なっている。

しかし、家畜というのはある意味で虐待され、奇形化されながら出来上がった生物である。そもそも殺して食うというのは最大の虐待だし、生きている間も何らかの拘束をし続けるわけで、これも虐待だ。

和牛や養殖マグロは屠殺する前に「肥育」と呼ばれる過食を強いて、霜降りとか大トロを作らせる。これなぞ、フォアグラとまったく同じだ。鶏の飼い方などはまさに虐待そのものだ。

そうなると、誰かが虐待といえば、明日にはシーシェパードがやってきてもおかしくはない。

ところで、これはTPPに違反している疑いが濃厚だ。フォアグラ生産・販売業者はWTOに提訴することが可能だ。御本家フランスはいまのところ静観の構えだが…

逆切れの場合もある。アメリカはかつて、国内法のスーパー301条を日本の輸出に適用した。フォアグラ禁止が貿易にまで適用される可能性もある。

こういうダブルスタンダードが拡大していくとどうなるだろうか。

消費税法案の付則にこうあるそうだ。
「成長戦略ならびに、事前防災および減災などに資する分野に、資金を重点的に配分する」
これは詐欺だ。「税と社会保障の一体改革」と言っていたのは誰だ。

自分たちの懐を潤すためなら、どんな嘘でも平気でつく、こんな連中が国民の代表として大手を振って歩いているのだ。

これでは消費税を上げても、その金は借金の返済にも社会保障にも回らず、連中の懐に納まるだけだ。その後にはめちゃめちゃになった日本経済だけが残るという寸法だ。

いま彼らは「ゆとり財源」といっている。消費税の5%引き上げで年間10兆、10年で百兆円という歳入がある。それでゆとりが出るなら、そもそもそんな税金取るな。こちとら、ゆとりどころか、さかさまにしても鼻血一滴でやしない。

アメリカ大統領選が接戦だという。わたしは50年近く前、反共の狂信者ゴールドウォーターが惨敗を喫したように、ロムニーが候補になった時点で共和党は惨敗するだろうと踏んでいたが、どっこいそうは行かぬようだ。

あのアホのブッシュが圧倒的な大差で勝利したときと同じ極右ヒステリーが、米国民のあいだには抜きがたく残存しているようだ。

これはかなり恐ろしいことで、24日のロムニー演説をみると、憂慮すべき事態と考えなければならない。(ただ歴代大統領は実際に就任すると選挙中の論調をかなり緩めるのではあるが…)

1.世界情勢の認識
世界は危険であり、破壊的であり、混沌としている。

2.対ロシア政策
東欧へのミサイル基地建設を断念したことは、ロシアへの一方的な譲歩であり、「同盟国を突然に見捨てた」行為だ。

3.中東政策
イランによる核保有は「世界にこれ以上の危険はない」とし、うらん濃縮活動の停止のために「すべての必要な手段を行使する」と強調。
また、イスラエルを軽く扱ってはならないとし、現政策を破棄する方向を示す。

4.中国政策
「当局が許す自由も選択的で、自由の圧迫には容赦がない。米国との貿易では、特許や知的所有権の恥知らずな違反を行っており、通貨を操作している」
と口を極めて非難するが、具体的な対応には触れず。

5.南北アメリカ
チャベスの脅威を軽く見てはならない。「独裁者チャベスはヒズボラを西半球に招いている」

6.軍事力増強を主張
軍事費の抑制政策をやめると表明。
「私は米国の指導力を明け渡すようなことはしない」
「21世紀は米国の世紀となるべきだ」

高村泰雄さんという北大教育学部の先生が

自己意識と科学的認識の形成過程」という文章を書かれており、そのなかで大田信二さんという方の論文の紹介をされています。

以下はその孫引きです。


へーゲルの自己意識論の出発点は,「我は我である」というトートロジーの克服である。(フィヒテの自我論)

ヘーゲルは運動を欠いた抽象性を「欲望の過程」を組み込むことで克服しようとする。

①欲望の過程は、端初的な自己意識が対象のうちに自己を見いだすことに始まる。

②そして実際にその他者としての自己 を活動的にわがものとすることに続く。

③言い換えれば、対象的仕方で自己を確証することによって,初めて自己を意識しうるに至る過程なのである。

感性的仕方(身体活動)で外なるものとかかわりあうという活動があってはじめて、「我は我である」という自己確誌が,客観的活動との統一のもとで論じうる問題となる。

「与えられた客観が主観的なものとして定立されるのと同様に,主観性は(たんに主観的なものにすぎないという)自己の一面性を自己から疎外し,自己に対して客観的になる」 (エンチュクロペディー)

前半は、身体として与えられた所与が、自我に属するものとして主体化されるということだ。後半は自己の身体をふくめ主体化することで、自我は身体をふくめた自らを一人の“生身の人間”として自覚するということだ。

なお、ヘーゲルの言う主観とは自我(Ego)のことであり、“意欲する自我”と考えたほうがよいであろう。()内は余分な注釈で、かえって分かりにくい。日本語で主観的というと「独りよがり」というニュアンスが強くなるので注意が必要。


感想になるが、

ヘーゲルが自我の過程に欲望の過程を組み込んだとき、すでに「我は我である」から「我は欲するものである」という言い換えがなされていることになる。

「自我」という車体にエンジンが積み込まれて、自動車として動き出すことになるのだが、果たして本当に「欲望」というエンジンが良かったのか、ここのところが定かでない。

①の中身は一読してちんぷんかんぷんである。「端緒的な自己意識」なるものが存在するかどうかさえ分からない。本能的な欲望ならたとえば食欲、性欲など動物にも存在する。

ただ、はっきりしているのは動物の本能的欲望もふくめて、それは具体的で客観的な活動である。意識活動のように内面的で本人にしか分からないような活動ではない。ヘーゲルはこのような活動を「対象的活動」と名づけているのであろう。

“対象の内に自己を見出す”というのも、まことに持って回った言い方である。ヘーゲルは稀代の悪文家というほかない。前後から判断すれば、自己というのは自己の欲望のことである。

というわけで、対象的活動である欲望が起点となることにより、自己意識は具体性を獲得し、抽象性を克販するのである。

②は多少は分かりやすいが、似たようなものである。“他者としての自己というのは、①の“対象の内なる自己”と同じで、対象に投影された自己の欲望ということだろう。

③はまさしく
トートロジーだ。主語が省略されているのは大田信二さんの苦し紛れだろうか。

対象的仕方というのは、普通に言えば“具体的な方法
ということだ。実践であり経験である。つまり経験が自己を対象化するということである。

その結果、実践の主体となった自己に思いが至る。このとき自己は実践した自己の身体と、欲望を抱いた自己意識に分離して理解されるのである。

前後関係からして、この一文の主語は“端緒的な自己意識”だ。そして“初めて自己を意識しうる
”という際の“意識は対象化された自己意識だろう。

それにしても解説者ごとに十人十色である。よく言えばそれだけの内容をふくんでいるからであろうが、悪く言えば「頭おかしいんじゃないの」というくらいの悪文だということだろう。


樋口さんの論文を読んで、あらすじは良く分かった。
しかし、そこからメロディーが聞こえてこない。
くねくねと曲がった論理の骨組みは見えたが、干からびていて実につまらない。
たぶん、樋口さんはヘーゲルが好きではないのでしょうね。

それはともかく、宗教への帰依のところを別にすれば、自然的意識が「主観」を手がかりに実体へと切り込んでいくという筋道があって、それがどこかの時点で「それは自分自身なのだ」という気づくところがある。

そのとき自分の目的が現実のなかに自分を直接的に表現することにあると感得するのである。

これでは、宗教家の「悟り」とあまり選ぶところはない。こんなことにマルクスが感激するとも思えないし、ましてそれを一生の指針とするとは思えない。

樋口さんの要約・解説には何か大事なものが抜けているようだ。やはり楽しようと思っちゃいけない。自ら原著に当たるしかなさそうだ。

4.主観(主体)と客観の「直接的」な同一性

哲学的思惟の成立の為には、意識あるいは精神の持つ主観性(主体性)が必要である。しかし主観性(主体性)が無条件にその思惟を成立させるのではない。そこには条件が必要だ。

自然的意識は、対象の真理性のみを確信する意識と、自分の真理性のみを確信する自己意識の葛藤を経て、主観と客観の同一性の概念に達する。これが理性(定理)である。さらに自然的意識は観察や行為を経て、普遍的理性の立場に達し、実体に辿り着く。(この辺がヘーゲルの怪しいところである)

いまや普遍的理性に至った自然的意識は、現実を、観察されたり変革されたりするような疎遠なものとは見なさない。むしろ自分の目的が現実のなかに自分を直接的に表現することにあると自覚している。(このあたりがマルクスに結びついてくるんでしょうね)

しかし意識はまだ、この自己表現が可能であると無邪気に確信しているに過ぎない。意識は現実に関わり、そこに自分の意図が正しく表現されたと主張する。一見したところでは、たしかに主観と客観の同一性の概念が実現されているように見える。

だがたとえば他人の意識もこの現実に関わったとする。そして意図について口を挾むようになると、個人の意識が主張する“現実の同一性”は脅かされることになる。意識は、「この現実が自分個人のものでなく、現実の形成には他者も招かれている」と自覚せざるを得なくなる。

それによって意識はより高い段階に立つことになる。

各人の参与の産物であることが自覚された現実は、各人の自然本性をなす実体である。ここに集団的自然意識が発生する。個々人の自然的意識は、各人が作り上げ各人が拠って立つ、この精神的実体を、自分の自然本性の表現として自覚するようになる。主観性は大きく転換し、精神性・共同性を含んだ主観性が成立する。

しかしまだ自然的意識と精神的実体との隔壁は完全に取り除かれたわけではない。自然的意識と精神的実体との関係が「直接的」である為に、そこには容易に分裂が入り込む。

 

5.人倫的共同体から「法状態」への移行

自然的意識と精神的実体との「直接的」関係にもとづく「人倫的世界」では、意識は精神的実体を自分の自然本性と知る。「確かな信頼」によって人倫的共同体と結び付いている。

しかし意識の主観性によってそこには容易に分裂が入り込み、意識と実体とは切り離されてしまう。この悲惨な無秩序の状態から抜け出る為に、意識は自分の主観性(主体性)を放棄し、他なる実体に譲り渡す。この切り離された状態は「法状態」と呼ばれる。

意識はそこでは行為の規範を欠いたアトム的人格となる。主観性を失った精神的実体が形成する世界は、「教養形成の世界」と呼ばれる。

しかし意識は啓蒙と革命を通じて譲り渡された主観性を再度取りもどし、失われた人倫性を再興しようとする。これが「道徳性の世界」である。

 

6.「良心の立場」

道徳性の世界は、「良心の立場」に於いてその頂点に達する。しかし「良心」が人倫性の再興をもたらすには様々な問題がある。たとえば、良心は「正義」に基づくのであるが、その正義の「確からしさ」は、どれだけ状況を把握しているかに依存する。さらに、良心の内容は個別的な感性に由来するので、普遍性について不確実さが付きまとう。

そこで人は自らの信念を他者に対して表明し、承認を求めようとする。その信念は他の個別性にも普遍的なものにも対立する形で提示される。

しかし他者の意識も、実は自分のうちに良心に関する一定の確信を持っているので、両者は実質的には同じである。

このあとヘーゲルは啓示宗教へと進み、絶対知へと到達するのであるが、基本的にはあほらしい話なので省略。

最終的には、自己意識は実体全体を意識からもぎ取る。そして実体の様々な実在性の構造全体を自分自身のうちに吸収する。そして様々な実在性を自分から生み出す。

以下は樋口先生の解説へと移行する。

ヘーゲル独自の哲学的思惟はどのような性質のものなのだろうか

①さしあたり,諸対象の隠された必然的な結び付きを捉える作業。

②意識と対象との間に前提されていた「精神」の自覚的発動。

哲学的思惟は世界史によって媒介されつつ、精神的財を自己化する自己意識である。

この自己意識は、精神性・共同性を含んでいる。なぜなら、良心にもとづく自覚的な自己放棄を通して絶対知に辿り着いた意識だからである。それは自分の主観性に対するこだわりを自覚的に放棄しているからである。

哲学的思惟は、自分の自己を放棄し内容のロゴスの動きとともに歩みながら、同時に自分を失わず進んでいく。

自己意識の働きを理解すること

ヘーゲルの学的体系は哲学的思惟によって支}られている。その哲学的思惟とは、歴史上の精神的財を記憶・内化し豊かになった自己意識である。ヘーゲルの学的体系は、この自己意識を理解してこそ充分に理解されるのである。

自己意識は対象を自己化して豊かになり、逆に対象のうちに自分を認識し、対象の必然性を取り出してくる。ここにヘーゲル哲学に於ける自己意識の問題性が存しているのである。

国際面のトップは「ブラジルで格差縮小」というものだ。
元々ブラジルは経済格差ではあまり自慢できた国ではない。ルーラが大統領に就任した年、ブラジルのジニ係数は0.58だった。それが2年後には0.51程度まで下がる見通しだというもの。しかも国内民間機関のバルガス財団による試算だから、あまり当てにはならない。11年時点の実数では0.53とされている。

とはいえ、世のなか西も東も格差拡大という中で、経済成長を遂げながらの格差縮小というのはたいしたものだといわざるを得ない。

現在、1300万世帯が貧困世帯向けの家族手当を受給している。また最低賃金を連続的に引き上げ、正規雇用の拡大、融資条件の拡大などを行ってきた。この結果、極貧層は2800万人減少した。


ルーラもルセフも経済政策の基本は新自由主義的なポジションである。ルーラも就任前にアメリカに一札入れているし、就任後も前政権の厳格な緊縮政策を踏襲した。

そのなかで経済政策としてではなく、補完的な社会対策として「飢餓ゼロ」計画を打ち出したに過ぎない。だから旧共産党(PCB)系のリベラル派はルーラを厳しく批判したし、ラテンアメリカの革新勢力のあいだにも、「ルーラは革新ではない」とか「独占資本に魂を売った」などとの冷ややかな雰囲気が漂っていた。

結果として、貧富の差が縮まったのだから、ルーラとしては鼻高々だろうが、私はもう少し冷めた見方をしている。

ルーラは決して金持ちのフトコロに手を突っ込んでいない。極端に言えば、貧困層相手にバラ撒きをやったに過ぎない。しかしその程度でジニ係数が5%も下がるような目覚しい変化が出るわけはない。

これはおそらく産業構造の変化がもたらしたものだと思う。植民地・帝政時代以来の寄生階級(地主や商人や銀行主)がますます肥え太るような産業分野ではなく、製造業を中心とした新たな資本家層による新興産業の発展がブラジルに成長をもたらしたのではないか。(少し裏付け資料を探してみよう)

だとすれば、ルーラの功績はメルコスールを中核とする域内貿易を発展させ、それを南米全体に拡大し、そのなかで盟主としての地位を確立したことにあるのではないか。
とくに、南米諸国間にウィン=ウィンの関係を作り出したことがブラジルに対する信頼を獲得しえた最大の要因と思われる。(60年代中米共同体では域内強国エルサルがエゴを剥き出したために崩壊した。それは80年代中米ゲリラ戦争へと導いた)

盟主は我慢しなければならない。そういう場面が必ず二、三度はある。そういうときに国内の資本家階級を押さえられるか、この政治力が決め手だろう。(いまのメルケルにも同じことが言える)

たとえばボリビアが天然ガスの国有化に踏み切った。ペトロブラスの所有するガス田も接収された。このときルーラは国内を押さえた。パラグアイとの国境にかかるイタイプ・ダムではパラグアイの要求した電力料金の引き上げを呑んで、国内を押さえた。
アルゼンチンとの自動車摩擦も乗り切り、キルチネルとの盟友関係を維持することに成功した。
チャベスが突出しても、南米全体の利益になる限り、それを影から支えた。(カナリヤと思えば腹も立たない)

これらの外交手腕にはなみなみならぬものがある。そしてそれらの判断が結果として、ブラジルの成長と繁栄をもたらしたとなれば、新興資本家階級としても歓迎せざるを得ないことになる。

この路線がチリやコロンビアの保守党政権にも少なからぬ影響を与えていることは間違いない。エルサルバドルのFMLN政権は明確にルーラ路線を目標に掲げている。

ブラジルの成長と発展を見る際には、ここがキーポイントとなるだろう。


人類を主体とすることと、諸個人を主体とすることでは、議論が違ってくる。諸個人(諸階級と言い換えたほうが良い)が人類へと回帰することは、主体放棄にはなるが、新たな主体の獲得でもある。

ということになるのだろうが、何か騙されているような気もする。

とりあえず、ネットにあった下記の論文の摘要を作ってみた。



ヘーゲル哲学に於ける自己意識の問題性

『精神の現象学』を手掛かりにして一

樋口善郎

1.哲学と必然性

哲学は諸対象の持っている必然的な結び付きを示す。

「哲学の内容は、生きた精神の領域そのもののうちで生み出される意識の世界、意識の外的及び内的世界の内容にほかならない」

しかしそれ以前に、諸対象はそれ自身必然的な結び付きを持っていなければならない。

人間の意識内容は「感情や直観や表象」などの形式を取って現われるため、これらの形式によって諸対象の本来持っているはずの必然性が覆い隠されている。

では、この必然性は一体どうやって捉えられるのだろうか。それは「思惟」である。これが「哲学固有の認識方法」である。(思惟は哲学者の仕事だということ)

思惟は「現象界の一見無秩序とも見える素材に向かって」いく。そしてそのなかに「確かな基準及び普遍的なもの」を認識する。さらに必然性や法則を認識する。(近世以降の経験諸科学がこれに該当する)

しかしこれらの一般的な思惟は不十分である。なぜなら一つには、これらの一般的思惟には「自由・精神・神」などの「無限的な対象」が含まれていないからであり、もう一つには経験諸科学の事実が「必然性の形式」を満足していないからである。

これらを満足させるのが「哲学的思惟」である。それは諸対象のなかに埋もれている必然性を捉え、それらの「本来の姿」を照らし出し、「自覚的な理性と現実との調和」を作り出す。(ここでヘーゲルは「現実」を、“存在しているが自覚されない理性”と述べている)


2.精神的財と自然的意識

「いまや世界史の歩みが、これまでの精神的財を内化(erinnern)し、新しい質的飛躍を遂げるような臨界点に立っている」 (精神現象学序論)

ここで言う“内化された精神的財”は、意識の自然本性を規定するものであるが、それは意識にとっての「非有機的自然」である。それは「精神的実体」ではあるが、有機化されていないがゆえに自覚されていない。

自然的意識は経験から始まる。経験とは、「直接的なもの」がその現実性の姿に於いて表現され、「意識の所有物」になるということである。経験された「直接的なもの」は、それまでは意識にとって未経験であったものであり、したがって疎遠な抽象的なものであった。

自然的意識は多くは不完全であり、「もっともらしい理由付け」の域を出ない。それは哲学的思惟以前の表象や経験諸科学的思惟と同質のものである。それは自分自身で作り出したさまざまな表象(理屈)によって自然本性との間に隔壁を立ててしまう。そのことによって自然本性が自分の自然本性であることを自覚できないでいる。

この「理屈をこねたがる思惟」は人間のあいだに根強くある。手を変え品を変え後から後から出てくる。だから意識が「直接的なもの」を自分の自然本性として自覚することは容易ではない。自然的意識は逐一それぞれの表象に足を止め、それぞれを自分の経験に照らして吟味していくことになる。


3.精神と自然的意識(主観)

この自然的意識の過程は個々人の中ではどう展開されているのだろうか。

個々人の自然的意識(主観)は、自分で作り出した表象(理屈)によって、自分自身の自然本性たる精神的実体(身体)を区別してしまうのだが、この作業の結果人間の精神は一方で意識として、他方でその対象たる精神的実体として分裂して存在するようになる。

自然的意識(主観)は、その経験に照らし合わせ、諸表象(理屈)を取り除き、自分の自然本性を精神的実体(身体)のなかに見出そうとする。

それは「精神」が、その実体の一部である主観の力によって、自己の分裂を再統一する過程ともとらえられる。

この再統一は、たんに「エデンの園」に戻ってしまうような再統一ではない。なぜなら、この過程を通じて自然的意識が精神的実体を自分の自然本性として知るからである。


とにかくはまず足慣らし、用語を覚えることから入らないと。

このセクションでは、経済学批判要綱との関連で言えば、

「精神」が、その実体の一部である主観の力によって、自己の分裂を再統一する過程

というあたりがキーワードになってくるだろう。

赤旗の労働面に以下の記事が掲載された。
要約紹介しようと思ったが、記事が非常に良くまとまっていて、まったく無駄がない。
しかたがないので、そのままコピーして転載する。

“生保論争”は、こうした切り口から反撃する必要があるという見本のような文章だ。

http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/2/f/2f1052a8.jpg

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