鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

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2012年06月

日本の証券アナリストが迷走し始めた。

ギリシャ、スペイン危機、円高、株安についてまったく説得力のある見通しが出せなくなっている。
6月1日のロイターWEB版に掲載された、熊野英生(第一生命経済研究所 首席エコノミスト)の解説などがその象徴だ。

1 フランス大統領選挙を機に潮目は変わった。
2 ギリシャは緊縮策では立ち直れない。ユーロ離脱はさらに深刻な危機をもたらす。
3 スペインまで状況は進んだ。これまで嫌っていた政策=景気刺激と投機資本規制、ユーロ共同債をやるしかない。
4 本質は円高ではなくドル安だ。米連銀の垂れ流しをストップさせない限り解決の見通しはない。

以上のポイントをおさえないかぎり、情勢評価はできない。

これが私の見方だが、それから見ると熊野さんはまったく勘所を押さえていない。

多数のギリシャ国民が、「ユーロ圏には残りたいが、緊縮財政はNO」という勝手な主張に票を入れれば、緊縮財政はNO→金融支援の打ち切り→ユーロ離脱という奈落の底に転落していく。

というのが最初の論点。これはメルケルが1ヶ月前まで主張していたことと同じだ。ドイツの財務相は「ギリシャを切る」とまで言った。
ギリシャの主張は勝手ではない。それはスペインを見れば分かる。ギリシャはこれ以上緊縮政策を進められないし、ギリシャを切ればスペインがつぶれる。

「緊縮ノー、ユーロ離脱ノー」の路線を貫く以外の道はないのである。なぜなら、1年前に恐れていたユーロ圏諸国連合体投機資本の仕手戦がすでに始まってしまったからである。

投機資本のバックにいるのは、有り余るドルだし、ジャブジャブのドル漬け政策を続けるバーナンキだ。

金融市場では、ギリシャがユーロを離脱したときに巻き起こるダメージを警戒して、投資マネーは「質への逃避」を起こしている。

そうじゃないのだ。ヘッヂ市場に進出した投機資本は、ギリシャとユーロに対して逆張りをかけているのだ。格付けを下げて、スプレッドを広げて、保険を吊り上げて、ギリシャ国債とスペイン・イタリア国債のカラ売りを仕掛けているのだ。(それにさらに逆張りをかけたロンドン鯨はあっさりと敗れた)

ギリシャ国民が支援を食い物にする怠け者で、ヘッジ・ファンドが善人みたいな言い方をいつまで続けるつもりなのだろう。円高だってユーロ危機をもたらしたファンド系の操作の結果に過ぎないのだし、日本も被害者なんだということがどうして理解できないのだろう。

円高は、かなり極端な水準まで進んでいて、劇的に動くとは考えにくい。75―78円のレンジで円高が進むにしても、一足飛びに円高方向に向かうのではなく、揉み合いながら居所を確認していくことになろう。

…などと分かったようなことをいうが、円の水準は日米金利差などというそんなもので決まるわけではない。
ファンド筋としても乾坤一擲の大勝負をかけるわけで、ユーロ圏がどういう対応するのかでまったく局面は変わってくる。
ヘッジ市場ではさまざまな指標が用いられるが、この際は国債のスプレッド幅が基本だ。これは為替相場と密接に絡み合うのだが、本質的には別物である。なぜなら、国債利率を市場の介入を許さないサンクチュアリ化すれば(緊急避難的にか、原則的にかは別として)、その瞬間にこの勝負は終わってしまうからだ。

たぶん、そういう選択はこの1年以内にユーロ圏で下されるだろう。

ギリシャをユーロ圏から切り離すレジームチェンジでは、…ドイツ国債や他の欧州諸国の信用力が、一転して低下する。…ドイツ国債の信用が低下すれば、「質への逃避」の流れは、さらなる円買いに向かうことになる。

ようするに熊野さんは量的違いと質的違いがわかっていないのだ。ドイツ国債の信用が低下すれば、世の中終わりなのだ。

世の中、アメリカ以外のすべての国家を含めて、ファンドにかなう者などなくなってしまうのだ。

財政政策が機動性を失い、金融政策の余地も少ないが、中央銀行総裁(ドラギ)への信認が残っていることは僅かながらの希望である。

つまりは神頼みということだ。

熊野さん、しばらくはものを書いたりしゃべったりするのをやめたほうがいい。支離滅裂だ。


なるほど、と思わせる記事があった。正確に言うと、「なるほど」というより、「そうなんだなぁ…」という感じに近いかもしれない。

岐阜の高校の先生で、松木さんという方の文章である。

生徒たちは誰かを傷つけることを極端に恐れる。友達を大切に思う以上に、危うく保っている人間関係のバランスが崩れることを恐れているようだ。
人間関係が崩れれば、「友達関係」が「いじめ関係」に一瞬のうちに転ずることもある。

そのバランス関係を保つために彼らは必死になって自分に与えられた「キャラ」を演じる。「キャラ」を演じられないものは、空気が読めないといわれ、集団から弾かれる。

高校生の人間関係は大人以上に脆弱で微妙なバランスの上に成り立ち、ひとたびバランスが崩れると、時には信じられないほど残酷になることもある。

これは一言でいうと弱者の処世法だ。弱者の心理を良くうがっている。しかし「過剰適応症候群」が高校生の特質かといわれると、確かに一面ではあるが…

自分の高校生のときは、それだけではなかった。正義感とか、自立心とか、ひっくるめて「適応の拒否」意識がむくむくと頭をもたげていた気がする。

いわゆるパーソナリティーの析出の時代だ。キャラクターと言い換えてもいい。内面的にはこちらの葛藤のほうが強かったのではないか、と記憶している。
高校生の「キャラ」は、自己の内面の発展過程の一表現であり、お笑い芸人の「キャラ」とは似て非なるものとして捉えたほうがよいと思う。

5月31日にも、赤旗の「経済の視点」から高速取引の記載を引用させてもらったが、
今回は証券取引所の実態が数字で示されている。

①証券取引所(東京・大阪・名古屋)の最新の状況報告によると、売買金額の71.4%を外国人投資家が占めている。外国人投資家の99.9%は法人である。

②売買注文の4割は高速取引である。それらを担うのは10社程度に過ぎない(東証社長談)

これらを考えれば、証券取引所が賭場と化していることは明白である。

北川記者の結論は以下の通り。

市場が実体経済を反映していないなら、「市場の信任」は無意味です。

賭場と化した市場の信任を得るのに汲々とするのでなく、生産・雇用・国民生活といった経済の基本を立て直すことこそ必要でしょう。


前半部分はその通りだが、市場無用論のようにも聞こえる。市場そのものをどうするのかという疑問は残る。


スペインの財務相がSOSを発信した。
ハイエナたちはいまスペインに襲いかかっている。ついに国家連合対投機資本の一騎打ちが始まった。
どうしてこうなったか、2月にギリシャ債務が行き詰まったとき、投機資本に妥協したからだ。民間債務カットについて85%の承認を得るために、アメリカの保険業界の要求を丸呑みした。
ロンドン鯨が20億ドルの損害をこうむったとき、相方はそれだけもうけた。ロンドン鯨の親元のモルガンは、20億ドルの損害など目でないほど稼いだ。
つまりは国家の破産がヘッジできたわけだ。つぶれても怖くないとなれば、これほどおいしい獲物はない。それがギリシャでなくスペインなら桁違いだ。さらにイタリアも食べちゃうし、場合によってはフランスもいただきだ。
彼らは完全に狂っている。もはや手に負えない。殺すか殺されるかだ。市場の暴走を食い止めるには国家権力を民衆が握るしかない。問題は果たしてそれが間に合うかどうかだ。
財務省の諸君、事態を直視してほしい。いまや事態は緊急を要する。消費税どころの話ではない。目標が国際投機資本を抑える協調介入だとすれば、負債が今の10倍になってもいい、とにかく緊急に火を消さなければならない。

オランド新政権が早くも特大の花火を打ち上げた。政府出資企業のCEOの給与を正規社員の最低賃金の20倍までに抑えるという方針。

たとえば、電力公社のCEOの年間給与は、160万ユーロから50万ユーロへとほぼ7割削減される。

オランド政権は先月の初閣議で給与の30%削減を決めている。

今回、方針説明にあたり、エロー首相は「危機にあたって政治と経済のエリートは模範を示すべきだ」と強調、モスコビシ財務相は「高給問題で改革を目指す強いシグナルを送る」と不退転の決意を示した。

とはいっても、どう賃下げを飲ませるか、一応経営は別なのだが…

政府はこういう手を打ち出した。

株主総会で議決に追い込むのである。少なくともその姿勢を明確にするのである。

電力公社は政府が株の80%を保有している。したがって政府が方針を貫けば、ほぼ自動的に賃下げは実現する。それは公社幹部の大量辞任と経営の一時的混乱をもたらすかもしれない。それは覚悟するということだ。

もう一つの方法は、政府が大口株主となっている企業で、政府が賃下げを迫ることだ。そして多くの株主の賛同を呼びかけることだ。

エールフランスは政府持ち株は16%に過ぎない。しかしその株主総会ではCEOに対する巨額の報酬や退職金の支払いを拒否する決定を下した。

退職したエールフランスのCEOは40万ユーロの退職金をもらい損ねた。わずか4千万円だからかわいそうな気もするが、実はこの人物、経営を悪化させて解任されたのだ。それまではお手盛りで年112万ユーロを受け取っていた。

この話はこれで終わらない。政府はさらに原発で有名なアレバ、自動車のルノー、航空機製造のEADSにも同様の措置をもとめていくという。


これがアメリカだったら、悪魔か共産主義者の仕業と叩かれるだろう。

日本だったらどうだろうか。一部上場企業の初任給は、大目に見て年間300万程度、そうすると社長さんの給料は6千万ということになる。1億以上もらっている役員は首を洗っていたほうがよさそうだ。

東電が国有化されたら、退職金のほうも当然話題になるだろう。勝俣氏がいくら退職金をもらうのかも興味の的だ。

この記事、ぜひ追究してほしいものだ。


といっても飲んだ人に罰金ではなく、飲ませた業者に罰金となっているが、これはどうか。

ニューヨーク市が、飲食店や映画館などを対象に、500ミリリットル以上の容器でコーラを販売することを禁止、違反した業者に200ドルの罰金を課す方針を決めた。来年3月からの実施を目指すという。

運転手のシートベルトやヘルメットについては日本でも実施されているが、おためごかしでプライバシーを侵害するのは、何か気分にそぐわない。

プライバシーというのは日本では個人の内輪のことを人目に晒されないほうにする権利ということになっているが、本来は私事権である。人に迷惑がかからない限り、世の顰蹙を買おうと、自分流を貫く権利だ。「カラスの勝手でしょう」ということだ。

耳や鼻に穴を開けようと、タトゥーを彫ろうと、ウエイ・オブ・ライフだ。世間の常識というが、そういう“常識”が過去においてどれだけ個人の自由を縛ってきたかは枚挙にいとまない。

逆にいったんそうした常識が覆されてみると、それがたんなる“陋習”でしかなかったことが明らかになる、といったこともたくさんある。

健康、健康というが、そんなに命がだいじなら登山やマラソン、劇やせダイエットを禁止したほうがはるかに有効だと思う。へんちくりんなサプリメントとか詐欺まがいの健康食品も規制すべきだ。政策担当者なら、何よりもその前に長時間労働を禁止すべきだ。

だいたいコーラを1リットルも飲める日本人などいないから、日本ではあまり話題にならないかもしれないが、忍び寄る健康ファッショと強迫観念には要注意だ。


Al Jazeera May 25, 2012

Hamdeen Sabahi

サバヒはムバラク時代に二期にわたり国会議員を勤めた。そしてその間に17回投獄されている。

彼はナイル・デルタ地帯のKafr el-Sheikh 出身のカリスマ的な民衆政治家である。

大統領選挙の候補者の中で、彼は多くのアナリストから度外視されてきた。これまでのエジプト政治の常識から見れば、彼は泡沫候補だった。彼はイスラム主義者でもなく有力な政党組織も持ち合わせていなかった。かといって世俗主義者にアピールできるような革命的経歴を持ち合わせているわけでもなかった。

著名な評論家や研究者はこう語った。「サバヒは大都市以外に組織を持っていない。確信を持って言えるのは、サバヒは決選投票に進むことはないということだけだ」

サバヒへのうねり

しかしサバヒへのうねりはこの数週間というもの、カイロやアレキサンドリアの街でひしひしと感じられた。アルジャジーラのレポーターは、あちこちで彼の名が語られるのを耳にした。

もし第一選択でないにせよ、どちらかといえば好感を持って語られていた。市民は体制派の復活も、厳格で保守的なムスリム同胞団の政治も望んでいなかった。

50歳のキリスト教徒の商店主は記者にこう語った。「仲間はみんなシャフィクに投票する。元空軍将校だから社会の治安をもたらしてくれるだろうと思う。サバヒもいいけど力はあるのかな?」

議会選挙でサラフィとムスリム同胞団が勝ったあと、エジプトは、ひどく保守的で宗教的な特徴を示すようになった。

サバヒのうねりは、ナセリストの訴えが未だ人々の中に、政治の底流に根付いていることを示している。

メディアの報道によれば、彼は重要な選挙区で一位あるいは仁位を占めている。エジプト第二の街アレキサンドリアではトップだ。スエズ市では第二位。そして同胞団とムーサの強力な地盤と考えられていたデルタ地帯のいくつかの町でも第2位を確保している。たとえばDamietta, Gharbiya and Dakhileya だ。

サバヒの政治的経歴

サバヒの政治的経歴は1970年代に始まる。彼はカイロ大学でマスコミ論を学び、学生連合に加わった。彼は、1977年、サダト大統領がカイロ大学を訪れた際に、経済「改革」を批判して対決した行動だった。それはテレビでも報道された。

1990年代、サバヒは扇動家であり政治的組織者だった。彼は95年、初めて国会議員に立候補したが敗れた。彼の支持者によれば、それは当時お定まりの権力による弾圧のためだった。

政府は、サバヒの訴えがあまりにも強く成長したと判断したとき、投票所を閉鎖した。そして暴力団を送り挑発した。サバヒ支持者の語るところによると、ある投票所では、すでに中にいた有権者を閉じ込めたまま閉鎖した。警察の放った催涙弾は二人の女性を死に至らしめた。

彼のもっとも有名な体制との対決は1997年にやってきた。ムバラクと国家民主党は一つの法案を成立させた。それは貸付期限の切れた農民を地主が排除することを容易にする法律だった。

市民的抵抗の呼びかけ

サバヒは法案反対の先頭に立ち、人々に市民的抵抗を呼びかけた。そして逮捕された。

しかしそのときすでに彼は著名人になっていた。彼は2000年と2005年の選挙で国会議員に選出されている。彼はジャーナリズム・センター「The Rising」を創立した。そして彼のような独立した人物でも大統領選挙に出馬できるよう選挙法を改正しようと呼びかけた。

彼はまたKifayaなどと結びつきを強めた。Kifayaは2003年米国のイラク侵攻に抗議して起きた運動で、カイロ始まって以来の大規模なデモンストレーションを展開した。その抗議はアメリカを支持するムバラク政権にも向けられていた。

2011年1月

2011年1月、革命が始まった。サバヒはストリートに出現した。ムバラクが打倒されたあと、彼は大統領選に出馬すると宣言した。

サバヒの選挙キャンペーンは彼の人好きな性格を反映している。彼は、笑顔のポスターを作った唯一の候補だ。そしてそのスローガンは「我々のうちの一人」だ。これは民衆の気分に向けたものだ。

参考までにほかの候補のスローガン: 同胞団は「人民の意志はルネッサンス」、ムーサは「エジプトはすべてのエジプト人の努力を求める」、シャフィクは「行ないだ、言葉ではない」

サバヒはエジプトのジャーナリズム、メディア社会から広範な支持を取り付けた。彼の選挙本部は人気監督 Khaled Youssef のオフィスの中にある。

選挙本部は、無計画に活動した。それはわずかの資金で動いた。広告板と新聞広告スペースを買ってくれる資金提供者がそれを支えた。

サバヒは選挙遊説の最後にカイロの Matareyya 地区に入った。集会参加者は300人ほどだった。

テントの中に椅子が並べられた。テントの生地はラマダン色の模様だった。吊り下げられた白熱灯は、大統領選挙の集会というよりは、村のちょっとした宴会という趣だった。

サバヒのメディアとの関係が最終盤の猛烈な追い上げに貢献したかどうかは、今後の議論であろう。

しかし国営メディアによる報道はサバヒに傾いていたとはいえない。それはどんなに同情的に見ても、どんなに予断なく見ても、シャフィクとムーサをプロモートしていたとしか思えない。

いずれにせよ、投票日までのあいだに彼は急速に国民的議論の対象者の地位にまで駆け上った。

タクシードライバー、年金生活者から教養があるコンサルタントまで、正義と貧しい者への彼の言及は、共感を呼んだ。


これは投票直後に書かれた記事で、この時点では最終結果は判明していない、という超速報記事である。

赤旗の報道ではカイロでも首位を確保、ぶっちぎりの勝利だったという。

この記事で、民間メディアが相当がんばったことが分かる。インターネットだけでなくもっと大規模に左派の進出が進んでおり、それがエジプトの世論を突き動かすような影響力を発揮しつつある、という印象だ。

実は英語版ウィキペディアにははるかに浩瀚な概説が載っているのだが、とてもそこまでは手が出せなかった。誰かやってください。


「アラブの春」を持ち上げようと思っても、なかなかそういう材料が見当たらない。

5月のエジプト大統領選挙の第1回投票で1位となったのは、ムスリム同胞団の候補。第仁位はムバラク政権の元首相。この二人が今月16日の決選投票で対決する。
とここまでは知っている。それはきわめて味気ない情報だ。革命の主役となった民衆と若者はどこへ行ったのだ、と思っていた。

結局それは、イスラム原理主義への回帰というかたちで収斂していくのか、部族間対立の混迷に陥っていくのか、あの民主化をもとめ命懸けで戦った若者たちは、歴史のエピソードとして消えていくのか、という思いが断ち切れない。
パーレビ王政を打倒し、アメリカ帝国主義を駆逐したイラン、ソ連の覇権主義を撃破したアフガンのムジャヒディーンたち、それが時代遅れの原理主義に支配され、アルカイーダを生み出し、小覇権主義に明け暮れるという経過はもう見たくはない。ましてそれを「異なる文明の共存」などと澄ましこむような態度もとりたくない。

そう思っていたところに、カイロ駐在の小泉特派員が耳寄りな情報を提供してくれた。以下はその要旨。

第一回投票の特徴は有力候補の得票の意外な伸び悩みだった。とくにムスリム同胞団の落ち込みが顕著であった。昨年末の人民議会選挙でイスラム同胞団は議席の47%を獲得したが、今回の得票率は25%にとどまった。

ムスリム同胞団は人民議会での圧勝後、「大統領権力はもとめない」との約束を反故にしました。また新憲法制定委員会を、シャリアによる統治を目指す勢力で独占しようとするなど「権力欲」をあらわにしました。このことが支持急落を招きました。

もう一つの、より重大な特徴は、第三位サバヒ候補の善戦だった。たしか投票前は、「よりまし」候補として穏健イスラム主義者やアラブ連盟のムーサ前事務局長の名が上げられていたはずだが、サバヒはそれらを蹴飛ばして第三の極の代表にのし上がったことになる。

特にサバヒ候補の場合、「革命」の主要舞台となった首都カイロと第二の都市アレクサンドリアでは、2位に10ポイント前後の差をつける圧勝の一位でした。

小泉記者はサバヒを「革命の前進の必要性を正面から訴えた左派・ナセル主義者」と性格づけている。

小泉記者がインタビューした現地の研究者は「今回の選挙における多数派は革命は勢力でした。もし革命派が候補を統一していれば選挙結果は違ったものとなっていたでしょう」と悔しがっている。たしかに穏健イスラム主義者候補とムーサの票を足すと49%になり圧勝だ。


しかしそうではないだろう。統一しなくて良かったのだろうと思う。統一していればサバヒの躍進はなかっただろうし、革新票の掘り起こしも出来なかっただろう。

明日に向けての第一回投票の意義は、誰が三位になるかにあったのだといえる。旧勢力代表やさらに古めかしい宗教政党に明日はない。明日を誰を担うか、それを選んだのが今回の選挙ではないか。

小泉記者は仕事柄、次の決選投票がどうなるかに興味が行っているようだが、私にはむしろ第一回投票の意義を噛み締めることのほうが面白い。

とくに「左派・ナセリスト」という肩書きにきわめて興味深さを感じる。というのも以前から、アラブの発展のためには、アラブ民族主義の再構築こそが最も基本となる路線ではないかと感じていたからである。

いまアラブの春で攻撃対象となっているのは、いずれもかつてアラブ民族主義をうたった政権のなれの果てである。だから民衆のあいだには「反アラブ民族主義」の雰囲気も強いと思っていただけに、「左派・ナセリスト」の躍進は意外だ。

堕落したナセル主義は、野田政権がマニフェストをなげうって財界にすりより、反マニフェスト路線を突き進んでいるのと似たところがある。(もちろん民主党マニフェストを全面是とするものではないが)

だからといって、国民の圧倒的多数が賛成したマニフェスト路線を野田政権とともにどぶに投げ込まなくてはならないのか。それとも野田首相らを排除し、より国民の立場に立つ、いわば“新マニフェスト路線”の方向に進んでいくのか、そういう提起がいまエジプトでも投げかけられているのではないか。

ちょっと言い過ぎだとは思うが、少し情報をあたってみたい。


シューマンのまとめ聞きをしていて気づいたのだが、シューマンの音楽に主旋律が途切れることは決してない。
彼の音楽には必ず単一の音の流れがあって、和音やリズムはそれに後からくっついてくるに過ぎない。
彼はお茶を濁すということをしない。彼にとって音楽は遊びではない。一瞬、一瞬が意味を持たなくてはならないのだ。音楽が本質的に遊びでしかない日本人にはなかなか捕らえにくいキャラだ。それができるメロディーメーカーとしての資質にはすごいものがある。
なぜシューマンがシューベルトを評価したのか分からないが、シューベルトは書き留める能力が異常にある。左手でボロローンと和音を引く、それにメロディーを載せる。そのメロディーを別の和音に乗せる。「おおっ、良いじゃん」という具合にして曲が出来上がっていく。曲想が浮かばないときには一つの和音に音一つで誤魔化していきながら、次の曲想が沸くのを待つ。
それはそれでいいのだが、筆まめな人はその過程をすべて楽譜に書きつくす。
世の中変なもので、「その引き伸ばし方が良い」といって誉めそやすようになる。そのうちに「型」が決まってくる。さらに「型」の名手が生まれてくる。
いつの間にか「型」が音楽そのもののようにさえなってくる。


ポップス系でいうと「ノリ」というやつで、アコースティックならボサノバでチャンチャカやっているうちにサンバらしきものが乗っかってくる。
昔のパソコンにはリズムマシーンというソフトがあって、いろんなリズムを打ち出してくれた。これを組み合わせていくと、ほとんどそれらしきミュージックが出来上がる。
つまり音楽というか、生理的に気持ちのいいリズムがあって、それにイロハニと乗っければ音楽になっちゃうのである。
ブルックナーはまさにロックのノリだが、ブラームスも結構やっている。
そこに行くとシューマンはすごい。「音楽はメロディーだ」と突っ張っている。すごく正しいと思うけど、そこで突っ張るのもつらいよねと言いたくなる今日このごろである。

ギリシャがくそみそに言われているけど、ちょっと風向きが変われば北海道直撃だ。北海道なんて、元々植民地、蝦夷が島だ。今でも本州のことを内地という。
北海道は失業者も生保受給者も、ついでに離婚率も喫煙率も全国トップクラスだ。
道庁が抱える借金も全国有数と思う。20年前のバブルの時期にやった苫小牧東部地区開発構想の借金がいまだに足を引っ張っている。夕張も派手な産業振興をやってずっこけた。
失業者が多い理由は、農業の衰退、漁業の衰退、炭鉱の消滅にある。もうずいぶん前の話になるが、それに代わる産業が育たないから、そのまんまだ。今度はTPPで農業も息を止められそうだ。最後は歌ではないが「襟裳の春は何もない春です」ということになりかねない。

ギリシャ張りの話になるなら、「いっそ円から離脱して低賃金でしこしこ稼いだら?」という話になる。しかしこれをやり始めると止めどもなくなる。沖縄なんか真っ先だ。福島は特別にしたら?、山陰、徳島、高知、岩手、青森もこのさい自活してもらったらどうだろう?、なんてことになりかねない。

東京在住者の三分の一は地方出身者だ。そいつらが仕送りすればいい。仕送りしないようなやつはテレビで「人でなし」とやっつければいい。何なら強制送還という手もあるよね。そうだ、強制送還すれば失業問題は一気に解決だ。「仕事がなければ在住資格なし」ということにすれば、失業者はいなくなる。

米倉会長に教えてやろう。

さすがは赤旗。欲しかったツィプラスとドイツ左翼党の共同声明を報道してくれた。
22日に発表された「対案」は、正式名称を「緊縮政策と銀行救済に対する代案」と題され、6つの柱からなっている。要旨というがかなり長い。記者は1週間、シャカリキになって翻訳したのでしょう。

第一の柱: 「覚書政策」の即時中止と融資の再交渉を (「覚書政策」というのは、EUなどとの「覚書」をそのまま政策にする態度のこと)
トロイカ(EU、ECB、IMF)とギリシャ政府の融資合意は、過酷な緊縮と市場主義的改革(さらなる自由化と公共資産のほぼ完全な売却)を押し付けた。その結果ギリシャ経済は2年間で20%も下落した。まさにその結果、借金は返済不能となった。
再交渉が必要だ。これ以上の福祉の解体と民営化は避けなければならない。

第二の柱: 国家財政を資本市場への従属から解放する
ギリシャだけでなくユーロ圏のすべての国の国家財政が金融市場に従属させられている。こういう状態は打破されなければならない。
国家の資金調達は将来的には、公的銀行を通じて無利子で行われるようにすべきだ。ECBがこれを保障するよう融資を行うべきだ。ECBによる直接融資も考慮されるべきだ。

第三の柱: やりたい放題の金融市場を厳しく規制する
現在の危機の根底的な原因となっているのは資本市場である。規制を緩和された金融市場はやりたい放題を行っている。
資本市場を欧州レベルで厳しく再規制しなければならない。国家に対する投機は禁止する必要がある。金融取引税はその第一歩となるだろう。

第四の柱: ギリシャはユーロ圏にとどまるべきだ
ギリシャがユーロ圏から離脱すれば、ギリシャには無残な社会的・経済的な結果がもたらされるであろう。現在、ギリシャが自力で資金調達することはほとんど不可能だ。ギリシャは改革されたユーロ圏にとどまるべきだ。
(ユーロ離脱と通貨安により輸出産業を振興するというEUの一部の主張について)ユーロ導入後の20年で、ギリシャは“脱工業化”を遂げた。地場産業は崩壊した。価値の低下した通貨“ドラクマ”で利益を上げるような、競争力のある産業はもはや存在していない。

第五の柱: 緊縮のいっそうの強制ではなく、景気・再建プログラムを
ギリシャ経済の再建を可能にするためには、緊縮政策ではダメだ。それはもうすでに、誰の眼にも明らかだ。景気刺激策が緊急にもとめられている。
ギリシャ経済の持続可能な再建のためには、内需を増やし、社会基盤や教育・研究、技術革新への公的投資を増やさなければならない。そのための目的意識的な促進政策が必要だ。

第六の柱: 危機でもうけている者に負担を
ギリシャの国の金庫から、毎年数百億ないし数千億ユーロが失われている。それらは資本逃避や脱税によるものだ。少数の大富豪の手にある個人資産は、EU全体では公的債務の半分に達する。
経済再建プログラムと公的投資は財政的にまかなわなければならない。そのためには、高額所得者と特に企業資産に課税する必要がある。そして資本逃避や脱税と効果的にたたかわなければならない。

大変包括的で、良く出来た文章です。
本当は、このような変革を行う力をどう形成するのか、という課題があるのですが、とりあえずということでしょう。


さすがにシューベルトとなると、名曲、名演、それに高音質の三拍子そろったyoutubeファイルが揃ってくる。

交響曲
第5番 ベームもよいが、やはりヴァンドがよい。アップロードされたヴァンドの音源はほとんどが低音質だが、この曲だけは例外的に高音質だ。MP3だから、ニコニコ音源かもしれない。
第7番「未完成」 どうも年のせいか7番か8番か混乱する。今のところ音質的には決定的な音源はない。強いてあげればケルテス盤だが、さすがに古い。クレンペラーのライブ録音(64年)というのがアップされていて、これが意外とよいのだ。ヴァンド_北ドイツ放送は聞けなくはないが低音質。日本での伝説の名演は今は聞けなくなった。
第8番「ザ・グレイト」 リッカルド・ムーティ・BPOの演奏がすごい。このあいだ、シューマンの4番がすごいと書いたが、これも驚異の音質だ。強奏時に音が濁らないのが何よりも有難い。ライブ録音のエアチェックなので、この10年で音質が飛躍したとしか考えられない。
①ライブ録音の技術が向上したのか、②ハイビジョン移行で音質が改善したのか、③youtubeアップ時の音質劣化が減ったのか、どちらにしても嬉しいことだ。

管弦楽
ロザムンデ クレンペラーの全曲演奏が聴ける。演奏は最高、音質も悪くない。ただ全曲はややしんどい。舞踊音楽第2番がコバーチ指揮ブダペストフィルの演奏がアラカルトで聴ける。小編成だが、音はデモ用に使えるほどの高音質。

室内楽
弦楽四重奏曲 第13番「ロザムンデ」 タカーチ四重奏団
弦楽四重奏曲 第14番「死と乙女」 ベルク四重奏団
弦楽四重奏曲 第15番 ブランディス四重奏団
弦楽五重奏曲 タカーチ四重奏団
 
弦楽四重奏曲はこれまで語るほどのファイルはなかった。最近はかなり質のよいファイルがアップされるようになっているが、たとえばハ短調「断章」は、いい演奏だが団体名のクレジットはない。
タカーチ四重奏団のロザムンデ四重奏曲はアップ時に致命的な音質劣化が生じている。メロス四重奏団のロザムンデは第一楽章が欠如という具合。(見直してみたら、今ではUP主が全曲取り下げてしまったようだ)
「死と乙女」だけは山ほどあるが、アルバン・ベルグをしのぐものは今のところない。
15番もまともな音源はブランディス四重奏団だけなので選択の余地はない。

ピアノ五重奏曲「鱒」 ギレリス_アマデウス四重奏団
ピアノ三重奏曲第1番 スーク・トリオ
ともに多少音は古いが、きれいにアップしてくれている。とくにスークトリオは名演だ。鱒のほうは、モーツァルトの名演を聞いているだけに、できればワルター・クリーンのピアノで聞いてみたかった。ギレリスはすこし遠慮しているみたいだ。アマデウスが余り腕達者なグループでないからかもしれない。

器楽曲
バイオリンとピアノのためのソナチネ 作品137の三つのソナチネをハイメ・ラレードの演奏でまとめて聴ける。音質もよく大変ありがたい。うp主のKlassica Channelさんのチャンネルには8千ものファイルがうpされており、なかには抹消の危険があるものも多い。早めに行くようお勧めする。

アルペジオーネ・ソナタ ミコシュ・ペレーニのチェロ、シフのピアノで全曲が聴ける。演奏・録音とも秀逸である。

ピアノ曲
正直言って、シューベルトのピアノソナタはちょっとしんどい。悪いけど冗長・散漫だ。すこし刈り取れば良いのにと思う。
ピアノソナタ 第13番「小ソナタ」
ピアノソナタ 第21番遺作
13番はMassimiliano Damerini、21番はコチシュだ。ウィキペディアで調べると、1951年ジュノバの生まれ、作曲家兼ピアニストとある。98年からシューベルトのピアノソナタの録音に取り組んでいるようだ。
さすらい人幻想曲 ルビンステインが決定盤。音もまずまずで、うp時の劣化もない。この人はショパンよりシューベルトに向いているのではないか。
楽興のとき これもバックハウスの全6曲演奏が極め付き。60年前後の録音と思われるが音質も最高だ。細切れにしないで6曲通しで聞くほうが良いと思う。
即興曲 作品90 この4曲もツィメルマンで決まり。ただしうpの時期が早いだけに、多少の音の劣化が見られる。と思ったら、再うpしてくれる人がたくさんいた。霊験はあらたかで、同じ演奏家と疑うほどだ。
即興曲 作品142 どういうわけか第2曲のみはツィメルマンの音源がない。
ほかに小品で、アレグレット ハ短調 これはAlexander Lonquichという人が弾いている。

声楽曲
美しき水車小屋の娘 プライとかシュライヤーとかいろいろあるが、ちょっと古いけどブンダーリッヒが肩がこらなくてよい。
大体この曲集は長すぎるので、グーテンモルゲン・ミューラリンからで十分だ。だから前半はできるだけあっさりと流してほしいのだが…。パツァークとクリーンの演奏はよかったなぁ。
冬の旅 なぜかクリスタ・ルードウィヒが良い。たぶんニコニコ動画だと思う。
リート三悪人はヒュッシュ、ディスカウ、プライだ。子供の頃はリートというのは自分で自分の首を締め上げながら歌うものだと思っていた。レコードが止まってしまうかと思うくらいテンポが遅く、流れはよどんでいた。ディスカウの猫なで声や、プライの「低音の魅力」風なのも耐えられなかった。
これもパツァーク盤(もちろん廉価盤)で面白さに開眼させられた。伴奏はデムスでケレン味たっぷりに弾いていた。
アンコール代わりに小曲を一つ、ジェシー・ノーマンのアヴェマリア.
魔王
のほうはいささかやりすぎだが、動画での迫力はすごい。顔で歌っている。

すみません。音源はリンクしていません。グ-グルで探してください。
 

利潤率の低下(草稿集②558ページ)

まずマルクスは利潤というものが剰余価値と同じだということから始める。コインと同じで生産現場から見れば剰余価値、資本の側から見れば利潤だが、正体は同じ十円玉ということだ。

このあと、突如として暴走が始まる。


だから利潤の率は、賃金と原料・生産手段との率により決まる。(賃金の必要労働部分と剰余労働部分の比率が同じとすれば)

だから原料・生産手段が占める部分が大きくなると、利潤の率はそれだけ低下する。(ここでパッとひらめいた!)

例えば製造工場では、機械装置などの固定資本が増大するのに比例して原料も増大する。同じ人数で作業をこなしていけば、剰余価値率は減少するから利潤率も減少する。


このあとは「異文」だらけで、書いては消し、書いては消しの状況が続く。「要するに」と書いて、しばらくすると、また「要するに」が出てくる。

そして興奮きわまった口調で、


これは、あらゆる点で、近代の経済学の最も重要な法則であり、そしてもっとも困難な諸関係を理解するための、最も本質的な法則である。

それは歴史的見地から見て、最も重要な法則である。

それは、その単純さにもかかわらず、これまで決して理解されたことがなく、まして意識的に言い表されたこともない法則である。


と、自画自賛するのだが、こういう「世紀の大発見」はたいていは次の朝になってみたら、どこかに論理の陥穽があって、がっかりするのが落ちだ。

以下の部分は共産党宣言以来の唯物史観・革命史観の再確認。これを利潤率低下の法則に結び付けようということだが…


「固定資本」、すなわち現存する物質的な生産力は、資本主義の発展をもたらす。しかし生産力がある段階まで発展すると、資本関係が労働の生産性の発展にとって制限となる。

そこから先は、生産力は資本の自己増殖をもたらさずに、それを「止揚」することになる。

一方の側では資本という、他方の側では賃労働という、人間の活動の隷属形態が脱ぎ捨てられる。かつて同業組合制度、農奴制、奴隷制が辿った道を資本主義も辿ることになるが、これは最後の隷属形態である。

もろもろの先鋭な矛盾、恐慌などは、社会の生産力の発展が社会の従来の生産関係とますます適合しなくなっていることの表現である。

恐慌は資本の暴力的な破壊であり、資本の自己維持の条件の破壊である。しかもそれは資本の外部の諸関係によってではなく、自らの生産過程の結果として起きる。

このような破壊は、「去って、社会的生産のより高い段階に席を譲れ!」という最も痛烈な忠告である。


この部分は恐ろしく読みにくい文章で、装飾音符をつけすぎて主旋律がわからなくなった音楽のようだ。

まず、メロディーラインを取り出し、装飾音符は別のセンテンスを作って、そこに移植し、とりあえずの思い付きみたいな部分は刈り取ってしまうと、上記のような文章になる。

やはりちょっと論理は荒っぽいようだ。あくまで「草稿」として読むべきだろう。


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