鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2012年06月

ダウンロードを違法とする法案が成立したようだ。
いくら情報の自由とはいえ、若干の後ろめたさも感じていただけに、
仕方ないか、とも思う。
ただ、youtubeは国際的なものだから、法律の有効性は疑わしいが…

今のうちと思って、せっせと聞いている。
クライバーのブラームス4番が、youtubeでは4種類の演奏で聴ける。いまはそれを聞き比べているのだが、どうも一番古いウィーンフィルとのライブ盤が一番よいようだ。たぶんこれが評判になってCDが発売になったのだろうが、何か熱気が乏しい。4楽章のパッサカリアのところなどライブ盤では「よし、やったれ」という雰囲気がむんむんするのが、消えてしまう。

日々雑録 または 魔法の竪琴 によると、

1979年12月のヴィーンフィル定期演奏会が、それまでにあのベートーヴェンの第5番、7番を録音しているにも関わらず意外にも定演デビューで、このブラームスの4番などを演奏して大成功を収め、そして、翌年3月にこの録音を完成させたのだという。

とすると、ライブ盤というのは「幻の録音」なんだろうか。思い出してみると、クライバーの「すごい」っていう演奏は、みんな78とか79年あたりのものだ。

残りの二つはバイエルン国立管弦楽団との演奏で、一つは89年の新年コンサートの録音、もうひとつが96年のコンサートライブだ。
とくに96年の演奏は、のりが悪い。この人は躁うつ病ではないだろうか。オケも手兵だけに細かいニュアンスを良く表現しているのだが、田舎娘が精一杯に踊っているみたいだ。やはり踊りは色気のある美人で楽しみたい。

ついでながら、おそらくこの曲のベスト盤はセルとクリーブランドの演奏だろう。うますぎる! すさまじい、有無を言わせない、恐れ入りましたという演奏だ。
「好きか嫌いか」なんて言っている場合じゃないでしょう、と叱られているような気分もする。とはいえ、「後ろ姿のブラームス」は期待できない。

緒方さんの「生態保全」報告が良さそうだ。というのは、詳細が分からないからだ。

経過はこうだ。中国で第2回生態保全全国際会議というのが開催された。日本共産党から緒方靖夫副委員長が出席した。緒方さんは三人の基調報告者の一人として発言した。その内容の一部が記事になって紹介されている。

緒方氏はまず、環境・開発・平和は一体であることを強調した。(これは92年のリオ宣言の趣旨である)
その上で、
①環境: 人間の生存基盤である環境と資源の保全
②開発: 人間が生きる上での公正な社会の必要性
③平和: 戦争・紛争・核兵器など安全保障にかかわる問題
と差し迫る課題との関連で読み込んだ。これらの課題で総合的に前進しない限り、「生態保全」は実現し得ないという提起である。
このことを前提とした上で、地球温暖化防止を「猶予できない」緊急課題として取り上げる。
この議論は先日リオで開かれたサミットの議論を念頭に置きながら展開されている。
すなわち「共通だが差異ある責任」の原則の捉え方である。
緒方さんは「共通だが差異ある責任」というのは、つまるところ「先進国の二重の責任」ということに帰するとする。
それは
①温室効果ガス削減の義務を率先実行すること
②「同じ道でない発展」を可能とするにふさわしい途上国援助を行うこと
ということだ。とくに、②の「同じ道でない発展」が「環境」と「開発」をつなげるキーワードだろう。
ほかに途上国の努力の問題、原発の「異質の危険」などにも触れられているが、これはとくに目新しいものはなさそうだ。

おそらく、同じような提起がサミットやそれに結集したNGOのなかでも議論されているのだろうが、不勉強のため知らなかった。

「同じ道でない発展」というのは、従来のロストウ型発展モデルの否定なのだろうか?
おそらく、開発そのものより開発援助モデルの変更なのだろうが、開発援助の中身を替えれば、発展のしかたが変化するのだろうか?
そもそも開発援助というのは何なのだろう。少し勉強しなければならない。

後日報で良いので、もう少し詳しい内容が分かるとよいが…


ラテンアメリカ各国の反応

エクアドル、ブラジル、ベネズエラ、ボリビア、アルゼンチンなどは、フェデリコ・フランコ政権を承認しないことを明らかにした。

エクアドルのコレア大統領は、いちばん怒っている。「ルーゴが罷免を受け入れたことは承知しているが、これはわれわれのアメリカの民主主義の問題だ。エクアドル政府はパラグアイの新政権を承認せず、ルーゴのみを合法的な大統領と認める」と、若干の無理筋発言。

ブラジルのジウマ・フセフ大統領は、「UNASUR、MERCOSURは民主条項を持っており、パラグアイのルーゴ罷免はこれに違反している」とし、パラグアイがこれらの機構から追放される可能性を示唆した。

ベネズエラのチャベス大統領: 「我々は新政権を承認しない。弾劾裁判は右派ブルジョアジーによる革命過程にたいする策謀であり、ホンジュラスでおこなわれ、ベネズエラで2002年におこなわれたものだ。これはパラグアイにたいするゴルペ(クーデター)であると同時にウナスールにたいするゴルペである」

ボリビアのエボ・モラレス大統領は、「パラグアイの議会クーデターは、ネオリベラリスタが地主と帝国と結んでおこたものだ。ボリビアは選挙で選ばれた政権でない違法な政権を承認しない」

アルゼンチンのフェルナンデス大統領は、「ルーゴにたいする弾劾は疑う余地のないクーデターである。アルゼンチンはクーデターを認めないし、今後の行動について周辺諸国とともに決定する」と語った。アルゼンチン外務省は、「パラグアイにおける憲法上の大統領の罷免と民主主義秩序の破壊に抗議して、即時にラファエル・ロマ大使の召還を決定した」というコミュニケを発表した。

ウルグアイはエンリケ・フィッシャー大使を召還した。ルイス・アルマグロ外相はホセ・ムヒカ大統領との協議ののち記者会見をおこない、メルコスールとウナスールの民主条項が尊重されなければならないことを述べた。

キューバ外務省は「議会によるクーデター」と弾劾決議を非難し、新政権を承認しない方針を表明。

チリのモレノ外相は、「ピニェラ大統領は民主的手続きを取るように主張していた。しかしルーゴ罷免は最低限の民主的手続きを踏んでいない」と言明した。チリの新政権への態度は数日中に決定される。

米州機構(OEA)は臨時会議を開催、「パラグアイが大統領がみずからの権利を守る手段が尊重されていない」と批判した。ホセ・インスルサ事務総長は、「(パラグアイ憲法には弾劾規定があるにせよ)余りにも早急な決定で、正当な手続きを踏んでおらず、大統領に十分な釈明機会が与えられなかった」と厳しく批判した。

中米議会: 「パラグアイ議会の決定はクーデターである。国際社会がこれを承認しないように勧告する」

ALBA諸国(ベネズエラ、キューバ、ボリビア、エクアドル、ニカラグアなど)は、フランコ政権を承認しないことを全体で確認している

23日 ルーゴ前大統領は、来年の次期大統領選挙に出馬する可能性を示唆した。また、弾劾に同調したフランコ副大統領(現暫定大統領)を名指しせずに非難した。

6月27日 ウナスールの首脳会議がペルーのリマにおいて開催される。パラグアイにたいする民主条項が発動される可能性。ウナスール内での右派政権はコロンビアとチリのみであるが、憲法秩序の擁護に関してはこれまでのウナスールのなかで合意があり、パラグアイにたいして資格停止の処分、フランコ政権の不承認が決定される予定。(この首脳会議は延期となった)

経過については英文資料をあたる他ないだろうな、と覚悟を決めていましたが、「ラテンアメリカの政治経済-変革の現在を厳選して伝える」というサイトがあって、かなり詳しく経過を紹介してくれています。それを主体に各種報道で補う形で、経過を追ってみたいと思います。


2008年8月 ルゴ大統領はかつて「貧者の司教」と呼ばれた聖職者で、40%の投票を得て大統領に就任した。しかし議会に支持勢力を持ないルーゴは、政権維持のために右派の自由党(PLRA)との連立を組んだ。自由党のフランコ党首が副大統領に就任した。しかし自由党との政策、考え方の違いは明らかで、その関係は疎遠なままであった。

パラグアイは大豆生産地として知られる農業国である。そこでは農民の2%が農地の80%を占有する昔ながらの大土地所有が続き、土地をめぐる紛争が後を絶たない。ルーゴは土地改革案を提出したが、右派勢力の抵抗によってほとんど前進していない。

そんな中で今年、首都アスンシオンから北東に約240キロ離れた農村クルグアティ(Curuguaty)で暴力事件が発生した。土地なし農民が土地占拠闘争を展開。現地警察と衝突するようになったのである。これは全国各地で長いあいだ続く土地闘争のひとつに過ぎない。

そして6月15日、流血の事態が発生した。農民11人、警官6人が死亡した。農民11人が死んでも、「かわいそうね」とか「どうせ自業自得よ」くらいで終わるのだろうが、誰でも警官犠牲者の多さに驚くであろう。

私から言わせれば、これが典型的なCIAの手口である。そしてこの日をXデーとして、およそ1週間くらいのあいだに猛烈なキャンペーンを組んで、最後にクーデター、というのが絵に描いたようなCIAの戦術だ。

パラグアイ農地運動(MAP)の指導者は「我々は生存のために土地闘争をたたかっているが、銃器は持っていなかった。どのようにして発砲が始まったのかは分からない」と語っている。当局の陰謀説を唱えるリーダーもいた。

ベネズエラのクーデターのときもビルに隠れたスナイパーが民衆を大量虐殺した(ベネズエラ…何が起きたのか?)。半年後のゼネストの際も挑発者による反チャベス活動家の射殺事件が何度も起きている(2002年 ベネズエラ・ゼネストに学ぶ)。警官の5人や6人殺すのに何の躊躇もない連中だ。以前報告したように、ボリビアのサンタクルスにはコロンビアのAUC(パラミリタリー)崩れの殺し屋連中がごろごろいる。現地の米領事館が呼び寄せ、地元の大地主が養っているそうだ(ボリビアの国内対立激化と米国の陰謀)。日曜の朝にサンタクルスの下街を散歩していて、教会前の歩道に鮮やかな血だまり(動脈血)を見つけたときには、さすがに食欲がなくなった(エクアドルとボリビアの旅)。

この事態を受けて、カルロス・フィリソラ内相と警察幹部が辞任したが、議会は納得せず、責任はフェルナンド・ルゴ大統領にあると追及。また内相の更迭は自由党との連立を崩壊させた。コロラド党など、ルーゴ政権発足以来クーデターの機会をねらっていた右派勢力の動きが開始された。

6月21日、つまり事件発生からわずか6日後に、パラグアイ下院は弾劾裁判の開始を決定した。「大統領が占拠問題に適切に対応せず、農民をあおった」とというのがその理由。しかもその翌日に上院の開会を求め、即日判断を下すことを求めている。

パラグアイの大統領弾劾制度は、下院が発議し上院が裁判所の役割を果たすことになっている。上院は45人で構成され、2/3の賛成で弾劾が決定される。上院は圧倒的に保守派が優位だから、下院の過半数があれば成立してしまうことになる。この憲法上の抜け道を知りぬいた上で計画が立てられたことは間違いないだろう。

問題はこの水際立った手際の良さだろう。彼らの主張は“占拠農民が警官を銃撃し4人を射殺した”という前提に基づいている。しかしどう考えても、これはつじつまが合わない。時間がたてば民衆のあいだに疑問がわいてくる。真相調査をもとめる声も高まるだろう。その前に決着をつけなければならない。この考える暇を与えないスピード感はCIA独特のものだ。

ルーゴ側は弁明期間を延長するよう議会に求めた。また、今回の議会の行動は憲法違反であると最高裁に訴えた。ルーゴを支持する社会運動、農民たち2,500人以上が憲法広場前に集結した。

いかにも歩みがのろい。私なら人殺しに情けをもとめる前に、ただちに全力動員で国会を包囲させる。野党の有力議員を缶詰にする。軍をスクランブル体制に置く。メディアを抑え声明をバンバン流す。場合によっては市民武装もちらつかせる。周囲の友好国に支援と連帯の証しを求める。要するに断固たる対決姿勢を鮮明に示す。

UNASUR諸国首脳ははるかに敏感だった。たまたまリオで開かれていたリオ+20に出席するため、全員が集結していた。その場で開かれた緊急首脳会議で、エクアドルのコレア大統領がぶち上げた。「パラグアイ議会がルーゴを罷免した場合、これはクーデターであって、南米諸国連合はパラグアイとの国境を閉鎖するべきだ」

そしてUNASURの外相が現地に飛ぶことが合意された。外相たちは一つの飛行機に相乗りしてアスンシオンに向かった。外相団はルゴ大統領と協議した。ルゴは残留の決意を明らかにした。このあと外相団は国会指導者と会談した。ウナスールのアリ・ロドリゲス事務総長と各国外相は、「ルーゴを罷免した場合には、パラグアイのウナスールからの追放する可能性がある」と警告した。ホルヘ・オビエド議長は「投票するのはパラグアイ議員であって、ウナスールの外相ではない」と開き直り、提案を拒否した。

翌22日午前、上院の弾劾裁判が開廷された。赤旗によると、「審理は大統領を一方的に中傷する文書にもとづいて行われました。弁護側に与えられた反論時間は2時間だけでした。事実関係の調査は一切ありませんでした」ということで、文字通りの略式・即決裁判。戦場での銃殺刑並みの無法なものであった。

そしてその日の午後5時半には、ルーゴ大統領が「その任に適さない」という理由の弾劾の評決をおこない、賛成39票反対4票欠席2で弾劾が成立した。

我々は近い過去に三度、大統領弾劾の成立を経験している。もっとも有名なのがウォ-ターゲート事件に絡むニクソン弾劾だ。残りの二つは90年のブラジルにおけるコロール大統領の弾劾と、94年のベネズエラにおけるペレス大統領の弾劾だ。この三つに共通しているのは明確な刑法上の犯罪を犯している点だ。しかもその審議には年余の審議をかけてあらゆる物証が検討された後に弾劾に到達している。犯罪を犯したわけでもない、一国の大統領を弾劾するのに、わずか2日というのは、クーデターと呼ばれても仕方ない。

午後7時、ルーゴは議会の罷免の決定を受け入れると表明した。それまで彼は辞任することはないと言明していた。

ルーゴの声明の要旨: わたしは議会の決定を受け入れる。わたしは常に行動で答える準備がある。…これはパラグアイの歴史を、民主主義を、深く傷つけることになった。かれらは弁護のあらゆる原則を破り、卑怯で計画的におこなった。わたしはかれらがその行為の重大さを知るべきだと思う。…わが国で異なった利益のために血が流れることのないように、わたしは今日共和国大統領をやめる。しかしパラグアイ市民をやめることはない。わたしを必要とするこの国に自分を捧げる」

気持ちは分からないでもないが、せめてあと1週間はがんばってほしかった。当面はすぐ逮捕される危険はないのだから。まだ裁判所に訴える道は残されているのだから。軍が動いているという確かな証拠もないのだから。1週間で国内世論はあっという間に変わる。もともとデマと扇動だけで作り上げた筋書きなのだから。

この声明を受けた形で、フランコ副大統領が大統領に就任した。副大統領といってもルーゴには何の忠義感もない。むしろルーゴを引き摺り下ろす影の主役の一人だった(パラグアイ政変劇の背景)。警察部隊は議会外に集まっていたルーゴ支持者にたいして、催涙ガス、放水車、騎馬警官を使ってこれを解散させた。

これで一巻の終わりである。

パラグアイで政変がありました。UNASURやALBA諸国は“事実上のクーデター”と非難していますが、肝心のルーゴ大統領が受け入れてしまったので、着地にはちょっと苦労しそうです。

もちろん、この政変が02年のベネズエラに始まり、ホンジュラス、エクアドル、ボリビアと続いた系統的な政府転覆策動の上に位置づけられるものだということは、疑いないでしょう。ただ今回の行動に武力による威圧ないし行使はふくまれておらず、一種の変化球攻撃です。CIAにしてみれば「してやったり」とほくそ笑んでいることでしょう。

それに実体としてルーゴ政権はすでに瀕死状態でした。採決の票差を見れば分かるように議会内での力関係は圧倒的です。民主化を促進するような法律は何一つ成立せず、行政レベルで辛うじて改良を行う程度でした。さらにルーゴ自身がガンを患っており、隠し子問題などもあわせ影響力を失っていました。任期もあと1年を切っています。10月の選挙の後はレームダックと化することは間違いありません。

それなのに、事実上のクーデターと非難されるような弾劾をなぜやったのか、といえば「やれるのならやりましょう」とのCIAの差し金と考えるほかありません。やることに意義があるのです。

ネットからいろいろ情報を拾ったのですが、どうしようかなぁと思案していました。ところが次のような記事があったので、「書くしかないな」と覚悟を決めた次第です。

「主観的アルゼンチン/ブエノスアイレス事情」: 「素顔のブエノスアイレス」のTOMOKOです、というブログがあって、ここの記事そのものは別にどうということはないのですが、このブログのコメント欄にある人が書き込みしています。

ルゴは非常に専制的で余り目立つ存在では無く、今年行われる大統領選挙の青党候補の予備選では惨敗しほとんど存在感を示せなくなっていました。

悪口を並べ立てるために書いたような文章で、支離滅裂です。「非常に専制的で、あまり目立たない存在」ってどんな存在でしょう。それよりも、「もしそうだったとしたら、クーデターまがいの弾劾が許されるのか」という問題が残ります。こちらのほうがはるかに重大なポイントです。こういうヨタコメントがネット上でまかり通ってしまうのは大変困ります。

123ではなく132運動である。 なんと安売り旅行で有名な阪急旅行社のサイトにこんな記事があった。私も利用させてもらっている。貧乏人にはありがたい会社だ(医者といっても、はばかりながら民医連だ)

現地情報ブログ: 中南米
http://blog.hankyu-travel.com/kaigai/latin-america/mexico/2012/096811.php
2012年5月31日 の記事

著者は現地記者:サッチーという方で、メキシコに語学留学後、1977年に渡航。のべ28年間メキシコ生活。現在、観光ガイドの仕事をしている
という経歴の方である。計算すると50歳を越えておられると思われる。

自分でも
観光会社のブログの記事に政治的な話はどうか?とも思うが、今のメキシコの最大関心事といえる事なので、勝手に許してもらちゃおう。
と書いているので、かなり本音の記事だろう。

以下、かいつまんで紹介させていただく。

選挙戦が始まって以来、PRIのペニャ・ニエトが他の候補者に2桁ポイントの差をつけている。PANのバスケス・モタとPRDのロペス・オブラドールは、すごいスキャンダルか致命的な失敗でもない限り、勝つことは難しい。

とされてきた。しかし5月11日から風向きが変わった。

ペニャ候補がイベロアメリカ大学をその選挙運動で訪れた。学生達が、州知事の時の農民への弾圧などに対して抗議した。そのニュースは、瞬く間にユーチュブやフィエスブック、Twitterによって広まった。
PRI党は、抗議行動はAMLOによる扇動で、彼らはイベロの学生ではないと主張した。

それに対して、131人のイベロの学生が学生証を手に、「自分達はイベロの学生で、けっして扇動されたものでない、自分達の行動だ」との動画をアップ。
http://www.youtube.com/watch?v=P7XbocXsFkI&feature=channel&list=UL

5月18日、イベロの学生はじめ学生達若者が行動を起こした。操作された情報を流すメディアへの抗議である。テレビサの前での学生達のデモは、"yo soy el 132"(「自分は132である」)と叫んだ。131人に継ぐものという意味だ。
5月19日、メキシコの色んな都市で、 Anti-EPN(エルネスト ピニャ ニィエト)デモが若者達を中心に繰り広げられた。それはインターネットによって、瞬く間に多くの参加者を得た。

この若者達の行動は、ユーチューブなどで、今のメキシコの現状を是正したいと思う若者達の行動力となって広がっているのだろう。


4日後に迫ったメキシコ大統領選挙で、ロペス・オブラドール候補の人気が急上昇。すでに現与党のPANを抜いて、PRI候補に猛追をかけているようだ。
ラテンアメリカの大統領選挙は、たいていは一度では終わらずに、相対一位と二位の決選投票となる。二位に滑り込めば、その1ヶ月ほどあとに行われる決選投票までに追いつく可能性は十分ある。

ロペス・オブラドールといえば、前回大統領選挙で惜敗し、「俺が勝った」とがんばった人だ。名前の頭文字をとってAMLOと呼ばれることが多い。
旧共産党も加わる左派のPRDの候補で、元メキシコシティーの市長。その強引さにはとかくのうわさもないではないが、問題はそういうことではない。NAFTAをこれ以上続けるのかどうかという選択だ。
PANもPRIもNAFTA維持、ネオリベ路線踏襲という点では変わりない。それに対しPRDはラテンアメリカの経済統合を唱えるUNASUR派だ。とはいってもメキシコ国民の1割がアメリカで働いている状況の下では、そう簡単にアメリカとの渋滞を断ち切ることは容易ではなく、手探りしながらの改革となるだろうが。

前回の総選挙で民主党が大勝利したとき、日本の政治は過渡期に入ったと言われた。
民主党を支持した人々は、民主党が民主的な改革を次々と実現して文字通りの過渡期が実現すると思っただろうが、そうは甘くない。

むしろ情勢のいっそうの厳しさと緊迫感を持って「過渡期」は始まったのだと思う。原発、消費税、TPP、沖縄のいずれをとっても、国民の過半数と政権・財界のあいだには越えがたい溝が広がり、それが誰の眼にも明らかになっている。

国民の前には共産党とハシストという選択肢しか残されていない。ワイマール末期にも似て、きわめて剣呑な状況である。 

これからが「過渡期」本番だろう。

本日の朝刊を見て驚いた。

各紙とも、消費税などどこ吹く風だ。小沢派の造反が大々的に取り上げられるが、なぜ造反したのかの方がはるかに重要ではないか。第一、もし民主党が割れなかったら、ただの茶番劇ではないか。

そもそも消費税引き上げの採決は号外を発行してもよいくらいの重大ニュースだ。これがきっかけとなって日本経済が奈落の底に突き落とされるかもしれない危険を秘めている。

世論調査で国民の過半数が反対している法案を、消費税引き上げ反対の公約を掲げて政権を握った政党が強行するということも、世論を代弁するメディアとしては大変深刻な問題だ。一体改革といったのが、消費税だけ引き上げというのでは大義名分もない。
経済、さらには財政に与えるマイナス効果も分析されていない。

私が編集長なら、トップ見出しは「消費税引き上げが採決される」だろうし、中見出しは「民主と自民・公明の賛成で」となる。その上で小見出しには「民主の一部が造反」という構成だ。これが普通の常識というものだろう。さらに解説に「消費税引き上げでどうなる、日本経済」とつけ加えることになる。

それでは新聞各紙の見出しはどうなっているだろうか。

朝日 トップ見出し「消費増税法案、衆院を通過 民主、事実上の分裂状態」 サブ見出し「民主は反対57人、棄権・欠席16人」

毎日 「消費増税法案:民主57人反対」 サブ見出し「事実上の分裂状態に」

読売 「法案反対57、欠席・棄権16」 サブ見出し「民主は分裂状態」

なお読売は、その後の報道で、「《大義ない》造反議員に地元県連が悲鳴」と小沢バッシングを開始している。読売の大義は国民に対する大義とは別物のようだ。

日経 「経済界、消費増税を歓迎 財政不安の払拭に期待 サブ見出しは購買意欲減退に警戒も」

日経は企業側のサイドだが、ニュースの見方はまともだ。ややほっとする。

東京 トップ見出し
「消費増税 衆院可決」 サブ見出し「政権交代が終わった日」

東京新聞は準全国紙として、唯一まともな記事を書いている。若干紹介しておく。

二〇〇九年の夏が、はるか昔に感じられる。一二年六月二十六日は、政権交代が終わった日だ。国民の圧倒的な期待を受けて政権を獲得した民主党はこの日、事実上の分裂状態に陥った。民主党に寄せられた約三千万人の民意を分断させてしまった罪は大きい。
民意と無関係なところで政治が動いている。正すのは、私たちの一票しかない。そのためにも、(6月26日)日のことを記憶にとどめておく必要がある。

日刊ゲンダイ 「増税法衆院通過 反対57 棄権欠席19」

威勢の良さが売りの日刊ゲンダイだが、見出しからは消費税への怒りは感じられない。

「国民生活をどん底に突き落とす消費増税問題が、議員の頭数と造反ショーだけに矮小化されるのは間違いだし、そこに財務省と大マスコミの悪辣さが表れている」

と指摘しつつ、「全くどうしようもない国だ」と覚めちゃっている。少々あきらめが早すぎませんか。権力の投げた変化球とも受け止められかねません。

産経は読まなくとも分かっているので省略。


「おはよう ニュース問答」という囲い記事。
すごい写真が載っていた。http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/2/8/28aebf26.jpg
大飯原発のオフサイトセンター(原子力事故が起きたときの防災拠点)だ。

記事によると、

施設が海沿いにあったんだよ。護岸から70メートルしか離れていない。海抜もわずか2メートルなんだ。まるで「海の家」だよ。

一帯は20年ほど前に原発の建設残土で埋め立てたところなんだ。
施設周辺を歩くとあちこちで地盤が隆起し、道路にひびが入っていた。元々はヘドロが堆積した入江で、いまだに地盤が安定していないんだよ。

この写真と、原発事故が起きたときの汚染予想地図をビラにして、京都市内に配布したいものだ。

消費税増税法案の可決をめぐり、最も感慨深いのは「連合」の右傾化が行き着くところまで行ってしまったということだ。

鳩山は「民主党は私たちの政党であって、おなたがたの政党ではない」とはっきり言うべきだった。

連合の右傾化はすでに自社さ連立の村山内閣のときに完成していた。しかし多少の社会党の残渣らしきものはあった。今はまったくそれも消えうせた。

たしかに全労連系の脱退が右傾化に拍車をかけたかもしれないが、脱退しなくてもそれは進行しただろうし、いまとなっては脱退は正しかったといわざるを得ない。体制内でたんなる批判者にとどまるより、いまの全労連のほうがよほど生き生きと活動は出来る。ただその分連合批判が弱まっていることも間違いない。

問題なのは、連合系勢力の役割が、傘下の労働者はもとより、世のなか全般に十分明らかにされているとは言いがたいことである。

この点で赤旗の積極的な報道に期待したい。

「ほんとうは泣きたいのに」という歌があって、さだまさしの名曲の一つだ。
察するところ、「泣くのがいやさに笑ってござる」というせりふがあって、そういう人の心の内面のひだがどうなっているだろうと、想像をめぐらせ、シチュエーションを作り上げていくことで出来た詩なのだろう。ただ夜のドライブの助手席というのは二番煎じの感がないでもないが、旋律の美しさがそれを補って余りある。
声が出なくなってからの曲で、ちょっと苦しいが、やはり本人の歌唱が良い。
女性歌手がこの曲をカヴァーしていて、思い入れたっぷりに歌っているが、正直のところシラける。
泣いちゃったんじゃ、しようがない。
心持ちは凛として、歌い方はさらりとして、一瞬のレガートとかディミニュエンドに思いをこめなければならない。

昨晩は、BSの「名もなく貧しく美しく」を嫁さんと二人で見て、ぼろぼろと泣いていた。

子供の頃に見たような見なかったような思い出があるが、昭和34年頃に作った映画としては、時代遅れの感がある。
たとえば「二十四の瞳」とか、「ひめゆりの塔」だったら、戦後7,8年だったから、みんな思いっきり泣いた。もちろん戦争と犠牲者への思いもあっただろうが、泣くことに飢えていた時代でもあった。

三益愛子の母物映画のポスターで「三倍泣かせます」といううたい文句があったのを憶えている。泣いた後は心が雨上がりのようにしっとりとして、ささくれが取れて、すがすがしい気分になる。心理学ではカタルシスという。本当に辛いときは泣いてなどいられないのである。

しかし戦後15年近くたつと時代の雰囲気は変わる。同じような映画を作っても、いささか食傷気味だったのではないだろうか。
この映画は聾唖者への賛歌ではない。ハートウォーミングどころか、相当塩っ辛い映画だ。ふつう、この手の映画では脇役が絵に描いた様な善人ばかりだが、この映画ではさほど善人らしき人物は出てこない。まさに昭和20年代のリアルワールドだ。
聾唖者をテーマにして、手話で話が進行するところは先駆的ではあるが、テーマが所詮古い、障害者をあしらっているだけではないか? ということであまり高い評価は受けなかったようだ。

ところが、これが今見ると意外に新しい。
当時はやたらと登場人物が死んでしまうことが不評だったようだが、団塊世代にとっては-周囲が結構死に始めている、人と会えば「あいつが死んだ」とか、「あいつがガンで手術した」とか、そんなことから会話が始まる集団-にとっては、きわめて現代的なシチュエーションなのである。

障害者のけなげな生き方が感動的、という受け止めでなく、もっと普遍的に「ころっと死んでしまう人間というちっぽけな生きものが、その生を懸命に生きるというのはどういう意味なのか」という問いかけが、心に沁みてくる。

難しくいうと、「死があるから生があるのだ。死があるから生が意味を持つのだ」という提起だ。それは今だからこそ心に響いてくるのかもしれない。
もうひとつは、その発展系であるが、「生とは死への抗いである」ということだ。面と向かってたたかうわけではない。運命は運命として甘受する。しかし、だからこそ、生は何の躊躇もなく、「生きるものの務め」として積極的、全面的に肯定される。
それは「死があるから生に意味を持たせなくてはならないのだ」という呼びかけにつながる。

昔の映画が絵も音もきれいになってリバイバルされているが、その多くは中身の古さがいかんともしがたい。しかしこの映画は、昨日作られた映画のように新鮮だ。幾百もの闘病記より、生きる力を教えてくれるこの映画を、多くの人に見てもらいたいと思う。

ギリシャをめぐる日本の報道で明らかな誤りが一つある。
それは、緊縮政策の内容にある。
ユーロ圏諸国が、金融支援と引き換えに迫っているのは緊縮政策を続けるかどうかではない。
これまでの緊縮政策に、さらに厳しい歳出削減計画を新たに上乗せし、それを飲ませるのかどうかという問題なのだ。

新たな削減計画についてはすでにたびたび触れているので、ここでは繰り返さないが、その典型が医薬品費の国庫負担2千億円相当を減額することだ。

これではギリシャ国民は死んでしまう。「死んでも返してもらわなけりゃぁならねぇ」というのは強欲な借金取りのセリフだが、それはものの例えであって、まさか「死んでもらいましょう」ということにはならない。

やっと、ほかのユーロ圏諸国でも、「これはやばいぞ、これ以上やると死んでしまうぞ」という声が出されるようになった。ギリシャのほうも「さぁ殺せ。死んだら化けて出てやる」と開き直った。

さらに強欲な連中の中にも、これでギリシャが死んでしまうと、スペイン・イタリアも道連れになる。いったん手を引くしかないな、という声が上がりつつある。

これが現状だ。過去においてギリシャがどうだったのかという問題は、いまは議論の外だ。ギリシャバッシングをして済ましていられるご時勢ではない。

これは相当ショッキングなニュースだ。

イラク戦争は終わったもののアフガン戦争は続いている。9.11から2ヵ月後にアフガン侵攻が始まった。すでに10年以上続いている戦争だ。
おそらく戦闘の激しさというより、この長さと永遠の繰り返しが絶望感をもたらしているのだろう。
それが10年を経て、ついに精神の限界に達したということだ。

赤旗によると

米兵の自殺は、今年に入って5ヶ月間ですでに130人を上回り、1日に1人のペースとなっています。
バネッタ国防長官は「繰り返される戦地派遣、絶えず戦闘にさらされること、戦争の悲劇などが軍にストレスをもたらしている」と述べました。

自殺の決行というのは精神の究極の爆発である。これは恐るべき数だ。少なくともその背後に10倍の重症のうつ状態(自傷・他傷をふくむ)、さらにその100倍の精神・神経障害がいると予想される。つまり派遣兵士全員である。

兵士というのは、少なくともリクルートされた時点では、大多数が「健康な青年男子」である。一般社会に比べれば、はるかに対応力の高い集団である。

このままでは米軍は崩壊する。もうアフガンでの戦争は続けられない。大統領選を控えてなかなか身動きが取れないかもしれないが、どんな形であろうと、一刻も早くやめるべきだ。
少なくともやめるという選択肢が残されているだけ米国は恵まれている。アフガンの人々にはそういう選択肢は残されていない。闘って死ぬか、黙って殺されるかの選択しかない。

同じ「国民運動」面の大門議員の参院での委員会質問。

金融庁と経産省、農水省が金融商品と商品先物を一括して扱う「総合取引所」を整備するための議論を行っている。
このなかで、年金資産の商品先物への運用を促進することを検討していると指摘しました。

要約記事なので、委細不明だが、

①この議論の中で経産省の分科会が年金の資産をリスクの高い商品先物での運用に振り向けるべきだとしている。

②その背景には、東京工業商品取引所が「先物商品市場活用の普及」を求めていることがある。

まことにもって、とんでもない話だ。日本の官僚機構そのものが、発想としてはUIJ化していることになる。
人さまのお金に対する感覚が麻痺していること、それが背任罪になりかねないということに対する感覚が麻痺していることに慄然とする。

「国家は泥棒だ」と国民が感じ始めたとき、どんな状況が生まれてくるのだろうか。

普段は「国民運動」面は素通りなのだが、本日の記事には注目する情報があった。

ひとつは全労連の国際局長の談話で、TPP交渉の会場外の模様。

市民団体が会場外でロビー活動を行っている。交渉官との個別交渉になるが、各国の担当官の話では、すでにルール作りは最終案に近いところまで固まっており、日本にとっては飲むか飲まないかの選択しか残されていないということだ。有名な毒素条項(ISD条項)も同じだ。
山下奉文大将ではないが、「無条件降伏あるのみ」だ。

もうひとつは、反TPP団体のシンポでのニュージーランド研究者の発言。
すでに合意は形成されており、このルール変更は不可能だということが強調された。9月のAPEC首脳会議までに合意を取り付けようとする圧力が強まっている。

ISD条項は「文書案が明らかになった。オーストラリアが反対している」と紹介された。
また、ニュージーランドは乳製品の関税撤廃を求めているが、米国はこれを拒否しているということ。

このシンポで田代さんという教授は、日本政府と財界の立場の違いを指摘、民主党政権は沖縄で不信を買った見返りに、TPP参加を日米同盟強化の証しとしようとしている、財界は海外進出で利益を得ようとしている、と分析しているが、あまり根拠はなさそう。

ただTPP推進を呼号する大企業の現場が、その真の意味(=いっそうの規制緩和)をあまり深く考えていないという状況は伝わってくる。


そこに登場したのがパソコンとインターネットです。とはいっても私がホームページを立ち上げてインターネット情報を集め始めた95年頃にはまともな情報はありませんでした。

「我が家の猫です」みたいなホームページばっかりの時代、情報を求めるとすればWinnyみたいなものしかありませんでした。通信速度も現在の1000分の1くらいではないでしょうか。100キロの画像1枚落とすのに2,3分はかかっていました。

それが、高々この2年ですさまじい量の音楽ファイルが入手可能になりました。音質も飛躍的向上しています。10年前には夢のようことだった音源収集が現在では当たり前のことのように実現しています。

でもやはり、音楽ファイルのダウンロードがいまでもだめなのに、youtubeで動画にするとOKというのは理解できません。「絵など載せてほしくなかった」というようなプレーヤーがたくさんいます。

元の曲が変わるわけでもないし、演奏も変わらない。とすれば変わるのはこちらの事情でしょう。

その事情とは二つあります。一番は音楽鑑賞メディアが激変したことです。80年頃にCDが登場してLPにとって代わったわけですが、実はこれは干渉スタイルに大きな変化をもたらしたわけではありません。

基本的には値段が高いのは同じで、音源というのがお宝であることには変わりありません。

ところがその後のカセットテープは音楽鑑賞のスタイルを一変させました。音源は、場合によっては、ただで手に入るようになったのです。いまは流行らない言葉ですが、「ダビング」というのがキーワードです。

もう一つは音楽を聴く時の儀式が極めて簡略されたことです。レコードを聴くときの一連の儀式にはついては以前も書いたので省力しますが、カセットテープは文字通り「カセット・ポン」で終わりです。

これで、元手要らず、手間要らずで音楽が聴けるようになりました。ここからが「ながらリスニング」の始まりです。

カセットテープはあっという間に進化しました。時間は片面45分まで延長され、クロームテープ、メタルテープとテープが深い音を出すようになり、ドルビーでヒス・ノイズも解消されました。

いま考えるとカセットテープとMDはどちらが革新的な技術だったかと思い直さざるを得ません。

私はすでに昭和42年頃にソニーのオープンリールのテープレコーダーを持っていましたから、カセットテープの登場にはさほど衝撃を受けませんでした。むしろMDがデジタル(無劣化)であることと、圧縮という発想に大いに感じ入っていました。

しかしユーザーの発想から言えば、カセットテープとMDは機能的には同じアイテムでしかありません。CDの代替品であり、ある意味ではまがいものです。

この壁は技術的な壁ではなく、「著作権」という法律的な壁でした。それはお金の壁でもあります。

たとえば未完成の名演を聞きたいとしたら、解説書を見るとワルターがいいがクライバーも捨てがたいとか書いてあります。お金持ちならそれを買い揃えて聞き比べするのでしょうが、普通の人はそこまでは行きません。

ワルターの未完成というのは、むかし田園と抱き合わせのLPで、中学校の音楽室のガラス戸棚に並んでいて、授業で聞かされたんだったかなぁ?
とにかくあの頃の高校受験には音楽もあって、ベートーベン=運命、シューベルト=未完成というのが定番だった。

とにかくこの未完成という曲がすこぶるつきにつまらなくて、曲は第二楽章で未完成だが、こちらは二楽章に達する前に沈没だ。だから、ワルターの、とくに第二楽章は聞いたことがなかったというのが正確だ。

LPというのは片面30分、両面で1時間だから、この曲の長さは埋め合わせようにちょうどいい長さで、だからやたらと出たんじゃないかと思う。開き直るようだが、私は眠くなるような名曲というのはうそだと思う。

高校に入って、新世界が無性にほしくて、ちょうどエピックからセルの新世界と未完成の抱き合わせが出たのを買った。

その頃、普通のLPは2千円、新盤の話題盤は2300円とかした。それが1800円だからお買い得だ。しかも新世界に未完成までおまけがついてくる。

あの頃は新世界一曲でLP1枚、という売りかたも平気でしていた時代だ。リヒテルとカラヤンのチャイコフスキーは1曲で裏表、それが2300円だった。

しかもFM放送で大宮真人さんという解説の人が、「セルの未完成はいいぞ」とほめまくるから、ついに清水の舞台から飛び降りた。

田舎の中学だったから、卒業生の3割は就職組みだった。初任給は3千円くらいだったと憶えている。だから私の1ヶ月の小遣い千円というのは申し訳ないくらいの高額なのだが、その2か月分をこんなものに叩こうというのだから、思わず震えてしまう。

レコード屋さんのケースからいったんは取り出すものの、結局またケースに戻してという逡巡を2,3度繰り返したあと、ついに買ってしまった。片思いの彼女に声をかけたときの気分だ。

それで聞いてどうだったかというと、ベアトリーチェが普通の可愛い子ちゃんだったということだ。

いま聞いてもこの演奏はつまらない。だいたいセルはつまらない指揮者だ。走者が出たらバントで送る。打率2割5分なら打者二人のどちらかがヒットを打つ確率は5割、チャンスが二度あれば1点は入るという計算で動く監督だ。

というわけで、未完成とはしばらくおさらばした。それがケルテス(昔はケルテッシュといった)の演奏で、「未完成って面白いじゃん」となった。

ちょっと長くなったので、ここでいったん切ります。

メキシコのロスカボスで開かれたG20の宣言がなかなか良い。
IMFや財務筋から出された声明よりは、さらに一歩踏み込んでいる。

最初の課題に「経済安定と景気回復」が位置づけられ、“強固で持続可能な均衡ある成長”がうたわれている。
いまや世の中、緊縮一辺倒ではないのだ。景気回復なしに税制再建なし、これが世界の潮流となっている。不景気先進国、日本も見習うべきだ。

欧州債務危機に関する宣言は、主語が「ユーロ圏のG20参加国」となっていることに注意が必要。そしてほかの諸国がユーロ圏諸国の対策を支持するという構文になっている。
“支持”された中身は、
1 経済・通貨統合の完成への努力
2 金融政策の統合に向けての検討。これは具体的には
a 銀行監督の強化
b 破綻処理の方法の統一
c 金融機関の自己資本の強化
d 預金保険の統合
があげられている。この内容には期待と、とくにドイツへの一定の圧力がこめられている。

ギリシャ問題では、ギリシャのユーロ圏残留、改革と持続可能性の追求、ユーロ圏と新政府とのさらなる連携、の3点を求めている。これは緊縮措置の緩和をふくむ「再交渉」を促したものと取れる。

為替問題では目立った提言はない。
資金移動の過度な変動と為替レートの無秩序な動きは、経済と金融の安定に悪影響を与える
との認識が再確認されたにとどまる。

全体として、ギリシャに端を発したユーロ危機問題で、成長重視の路線をはっきりと打ち出したことが最大の特徴といえるだろう。

ただし、ユーロ危機をもたらした最大の主役である国債投機資本への規制問題は、ほとんど言及されていない。
将来の危機を予防するため、合意された金融規制改革を速やかに完全実施する
とあるが、その改革案には直接触れられていない。

そもそも危機は将来ではなく、今ここにあるのである。

youtubeから漁っているうち、すごいサイトに当たった。
hkpvlifeguardさんという人のサイトで、hkは香港、pvはおそらくPeople's Vanguardではないか、つまりいわゆる「民主活動家」の方のようだ。ファイルもそれらしきものがたくさん並んでいるが、それはとりあえずさておいといて、いくつかある音楽ファイルの音が信じられないくらいすごい。

★BEST POSSIBLE SOUND BY YOUTUBE★

Audio presentations here are selected from the best possible source available, if necessary, audio is remastered, for these YouTube presentations. Un-compressed Stereo LPCM data are directly encoded into the uploaded raw video files which may be renderred in High Definition 1080p video codec (6MB/sec).

The whole process means to produce the BEST POSSIBLE SOUND by the YouTube streaming.

と書いてあるから、すごい自信だが、それだけのことはある。高音の弱音など思わず震え上がるほどの音だ。

クラシック音源は、ほとんどヤバイ。日本なら即刻アウトだろう。

びっくりしたのは54年のトスカニーニ=NBCのワーグナーだ。カーネギーホールでのステレオ・ライブ録音とある。2,3年前NHKのBSで放映したものと同じだろうか。しかもそれをリマスターしたと称しているが、さすがにそこまでは眉唾。弦の音はやはり貧弱だ。しかしダイナミックレンジはたしかにすごい。

もう一つはマーラー・チクルスと称して、交響曲全曲をアップしている。それぞれ演奏家が違っていて、自選ベストなのだろう。まだ全曲聴いたわけではないが、ジュリーニ指揮シカゴSOの演奏はぞくっと来る。バルビローリ指揮ベルリンPOの演奏も64年の録音というが古さを感じさせない。

リヒテルのバッハ・プレリュードもモノ音源だが、美しい音色だ。シューベルトの弦楽五重奏曲は目の前で弾いているような臨場感。とにかくすばらしい。一聴をお勧めする。

Ⅲ.歳入減少の要因

消費税が導入され、さらに3%から5%へと増加した。リーマンショックまでの10年近く日本経済は長期にわたる「好況」を維持して来た。それにもかかわらず、税収は累計で177.3兆円減少した。これがなぜなのかが一番の焦点である。

梅原氏は局面ごとに税目別分析を加えているが、これといった特徴は浮かび上がってこない。好不況を問わず所得税・法人税が一貫して猛スピードで低下していることが分かる。

とくに好況局面にあった第4局面で、所得税・法人税の減少が100兆円に達していることが注目される。97年不況をはさむ第3局面での減少が60兆円であることを考えると、この数字の意味は重い。

なお第4局面では「小泉改革」にもとづき所得税の一部が地方移管されていることに留意しなければならない。

IV‾.歳出増加の要因

梅原氏は、保障関係費,公共事業関係費,国債費の主要3経費を中心に整理している。

第一、第二局面ではバブル後不況を乗り切るため、また日米協議にもとづいて公共事業が大幅に突出した。20兆円前後の歳出増は他部門の圧縮(とくに地方交付税)により、その3割が埋め合わせられた。

第三局面以降、社会保障関係費が増加し始め、第4局面で一気に49兆円の増加を示した。一方、公共事業関係費は第4局面では5.6兆円の増加にとどまった。

問題は社会保障関係費の内訳である。

保障関係費のこれまでの累計支出額は110.8兆円である。その内訳は,社会保険費89.9兆円(81.2%),生活保護費10.0兆円(9.0%),社会福祉費6.8兆円(6.2%),失業対策費4.0兆円(3.6%),保健衛生対策費0.7兆円(0.1%)となっており、社会保険費が圧倒的比重を占める。

以下は社会保険費の分析になるが、2008年度に社会保険費の内容が大幅に変わり,データが非連続になったため,とりあえず2007年度までの集計となる。従って分母となる累積の数字は64兆円となる。

社会保険費の主要内訳は、

1 老人医療・介護保険給付諸費が28.1兆円(43.9%)

2 厚生年金国庫負担 19.3兆円(30.2%)

3 国民健康保険助成費11.9兆円(18.6%)

となる。(介護保険給付は2001年度から費目設定)


この内訳を見ると、老人医療・介護保険給付諸費が第三局面以降急増していることが、社会保険費増加の主因であることは明らかである。

V 財政危機の背景としての雇用・賃金の構造変化

この老人医療・介護保険給付諸費における30兆円の赤字積み増しは、社会保険料の伸びと社会保障給付の伸びとの差し引きである。

社会保障給付が一貫して増大しているのに対し,社会保険料の伸びは1998年頃から低下し,ときにはマイナスになっている。それが国庫負担の増大を招いている。

社会保険料の伸びが低迷している原因は、事業主負担分の減少による。従来は事業主の方が被保険者より多かったのが,2003年度からは被保険者の方が多くなっている。

社会保障給付費は90年に約500億、それが2008年に940億と約2倍に増えているが、ほぼ上昇は着実なものである。

一方社会保険料収入は90年に395億、08年に574億と1.45倍にしか増えていない。この差し引きが持ち出し分になるが、これが77億から400億に急増しているのである。

社会保険料収入が1.5倍といっても、97年にはすでに現在の水準に達しており、それから10数年にわたり伸びはゼロである。これが第三期間のあと急速に赤字幅が膨らむ原因となっている。

社会保険料の内訳を見ると被保険者負担が184億から300億円(1.62倍)へと着実に増加しているのに対し事業主負担は98年の286億をピークに微減状態にある。


このことから分かるのは、98年以降突然「高齢化」危機が襲ってきたわけではないということである。

第一に、保険料収入は給付に見合うだけ増加していないことである。これは主として国民の所得(雇用者報酬)が減ったことによる。

雇用者報酬は96年度524万円をピークとして、2007年度には474万円(90.4%)まで低下している。それにもかかわらず被保険者負担が増えているのは保険料率が上がったからである。

第二に、保険料の事業主負担が保険料率の引き上げにもかかわらず、微減していることである。これは正規就業者の減少によるものである。


ここから先は私の感想だが、

結論として言えば、歳出増加として見える社会保障関係費は、じつは保険料という形を変えた収入の減少がもたらしたものだということになる。

財政赤字という状況は収入が減り、支出が増加したために起きた現象に見えるが、じつは大部分は収入(税収および社会保険料)の減少により説明できるのである。

そして社会保険料収入の減少は、ここでもまた企業のカネの出し惜しみによってもたらされているのである。

財政の健全化のためには、当面は景気の回復・内需の拡大が何よりも必要であり、そのための財政出動を躊躇するべきではない。

しかし財政の収支構造を中長期的に見れば、その欠陥は公平な富の配分を通じてしか解決できないということである。

梅原英治さんの論文「90年代以降の日本における財政危機の要因と背景」を読んだ。ritsumeikeizai.koj.jp/koj_pdfs/59612.pdf

まず目次を紹介しよう。

1.財政危機要因の分析方法

2.90年代以降における財政危機の要因

3.歳入減少の要因

4.歳出増加の要因

5.財政危機の背景としての雇用・賃金の構造変化

前半はオーソドックスな方法で、官庁統計を基本にすえながら、この間のダイナミックな変化を解き明かしており説得力がある。第5節の後半はさすがに独自の分析も入り、御意見拝聴という感じもあるが、全体として読み応えのある論文である。

要点を紹介しながら、ところどころに感想的コメントも入れさせていただくことにする。

1.財政危機要因の分析方法

(1)財務省『日本の財政関係資料』(2010年8月)

90年代以降の日本財政の危機の“常識”は、歳入面では所得税・法人税の減収,歳出面では公共事業関係費と社会保障関係費の増加にある。

公債残高はこの間に約471兆円増加した。それは,

①歳出の増加要因で約192兆円(40.8%),

②税収等の減少要因で約169兆円(35.9%),

③平成2年度の収支差分による影響で約57兆円(12.1%),

④その他の要因(国鉄等債務継承など)で約53兆円(11.3%),

という4つの要因によって構成される。

おおまかにいえば、歳出増と税収減がほぼ対等の責任を負っていることになる。

なお、梅原氏は③、④はノイズであり、全体の1/4が訳の分からない数字になっているのは困る、正確な分析のためにはその内容を吟味しなければならないとしている。

それでは歳出増の内容はどうなっているか。

(ァ)社会保障関係費が約148兆円

(イ)公共事業関係費が約62兆円

を占める。公共事業費は近年減少とはいえ歳出増に貢献している。

歳入減は、景気の低迷や累次の減税等による税収減により約211兆円となっている。これが169兆円にとどまっているのは、この間消費税の引き上げが行われたからである。

(おそらく消費税を除く税収ということだろうが、それでも、景気の低迷という“減った”要因と、累次の減税という“減らした”要因を一緒くたにしてしまう財務省の発想のしかたは良く分からない)


ここで、簡単に計算をしてみると、

471兆円の公債残高増に対する寄与率は、

社会保障関係費が148/471=31%

公共事業関係費が62/471=13%

消費税を除く税収減が211/171=45%ということになる。

梅原氏は、「社会保障関係費」を内訳で見ると、社会保障給付費の増加よりも,社会保険料収入が増えていないことによる影響が大きいので、「高齢化の進行等」では説明かつかないと指摘している。これについては別のところで扱う。


このあと梅原氏の労作である時期別の財政赤字の表が提示される。

第一局面(92~94年)の赤字発生額はほとんど問題にならない。内容も主としてバブルの崩壊に伴う歳入減少への対処である。

第二局面(95~97年)では、バブル後不況に公共事業を軸とした財政出動が加わり、31兆円を積み増している。

第三局面(98~01年)が問題で、一般的には消費税不況といわれている時期である。財政赤字は一気に100兆円を越えて積みあがり、累積赤字の27%を占めている。歳入も大幅に減少しているが、さらに金融支援などの大型財政出動が60兆円を超えたことが最大の要因である。

第四局面(02~07年)こそは財政赤字の主犯である。累積赤字に占める割合は4割近くに達する(期間が長いせいもあるが)。引き続き大型財政出動が続くが、この間は長期の好況局面にあり、歳入の72兆円もの減少が注意されなければならない。

第五局面(08~09年)は、リーマンショック後の現在に至る局面で、不況局面への対応としてはさほど不自然なものではない。(額は決して少なくはないが)


つまりここで言いたいのは、不況対応や金融危機などの対応で大規模な財政出動が行われ、これも財政赤字の原因となっているが、収入の長期低落が持続され、これが長期に見た財政赤字の構造的な原因だということである。

評論の世界にはずいぶん、「国際通」がいる。外務省サイド、通産省サイド、財務省サイドそれぞれに多くのタレントを輩出し、一家言を持っている。
しかしこれらの人々がドルに代わる基軸通貨や、ギリシャ政策の転換や、トービン税などについて肯定的に語るのを聞いたことはない。
結局のところ、激動する国際情勢の中で、日本はどう立ち回ればよいか、ということしか念頭にない。
しかしそれはナイアガラの滝から落ちようというとき、どれだけ最後まで落ちずに粘れるかというタクティクスでしかない。
ドル基軸論は、たしかに正しいかもしれない。だから日米同盟なのだろうし、中国敵視なのだろうし、農民・中小業者切捨てなのだろう。

しかし一年前を振り返ってみよう。リーマンショックから立ち直る暇もなく、東北大震災が襲った。基幹産業と位置づける自動車はそのたびに、生産・販売量を半分にまで激減させた。
ドルはQE2のおかげでジャブジャブになり、連邦債はAAAから転落した。中国はSDR基軸説を打ち出し、ユーロ・元とのバスケットがまじめに検討された。財務省幹部ですら、ドル基軸の堅持は未来永劫のものではないことを認めた。

ではその先に何があるというのだろうか。われわれはその問題にいつまで思考停止のままいられるのだろうか。

ドル基軸体制を維持するということはアメリカ主導のネオリベ政策を維持するということである。しかし今日の経済・金融危機はまさにそのネオリベ政策がもたらしたものではないか。

その先には未来はなく、待っているのはナイアガラの滝壺しかないのではないか。

だから、もう、目先の利害にとらわれるのではなく、ネオリベの次の社会を展望しつつ政策理念を語らなければならないのではないか。

いまやわれわれは、もっと熱く哲学を語らなければならない。「資本移動の自由」を唯一の金科玉条とするのではなく、国民経済そのものを語らなければならない。


解決策をもとめて

若者たちとギリシャ国家との関係が改善するための最もわかりやすい道は、彼らに仕事を与えることである。しかし公共部門においては、それは「言うはやすく、おこなうは難し」である。それは2015年までにもう280億のユーロをカットしなければならない。そして民間部門は深刻なリセッションにある。

去年アテネを訪問したアンヘル・グリア事務総長(OECD)はギリシャの若者たちの失業がもたらすものについて警告した。その時さえ、若者の失業率は2倍ほどOECD平均より多かった。

「若者たちは、特にこの就業の危機で攻撃を受けやすい階層だ」と、彼が言った。「若者を求人市場に接触させ続けるために、あらゆる努力が払われなければならない。それが一つの世代における長期の傷跡にならないように」

グリアは、一組の建設的提案を提唱した。それは、以下を含んだ:

*失業の早い段階の若者たちの求職のためのモニター。

*6ヵ月以上の間失業中の青年への雇用補助金の制限を緩和し、職業訓練を与える。

*高等学校の教育の中に一つの職業上のルートをつくる。教室に基づく学習と仕事に基づく学習を結合させる。

*より多くの職業で見習いトレーニングを広げる。より多くの見習いの雇用者を励ます。

*最低賃金近くで労働者を雇う会社に対し、彼らの社会保障負担率を減らすことによりトレーニングを奨励する。

これらの提案のなかから、ギリシアの政府によって実施されたのは最後のものだけだった。雇用者がより低い賃金と社会保障負担を払うのを許された。25歳以下の人を雇うために。常雇いの人が最低月881ユーロなのに対し、若い労働者は615ユーロまで許されることになった。これはその年だけで雇用者に3,700以上のユーロの人件費節減をもたらすことになった。

政府は「9月計画」を発表し、雇用の押し上げを目指すと発表した。伝えるところによると、就労者の解雇を防ぐことと新規の仕事を作り出すことで、求職と求人のバランスを回復しようとするものだという。

特に若者たちに目標が定められたわけではないが、計画の総額は39億ユーロに達した。これEUの提供した資金の55%を占めることになる。

半分の資金が 解雇を避けるための誘因として会社のために使われる。25パーセントは、トレーニング・プログラムに費やされる。もう25パーセントは 約150,000人の失業中の人々に5ヵ月の失対労働の契約を与えることに費やされる。それは失業者が625ユーロの月給で公共プロジェクトで働くための資金となる。

 

トレーニングと企業家精神

政府の計画は若者たちに一時的な雇用を与えるのを多少とも助けるかもしれない。しかしその根底にある問題は多くはそのまま残る。これは、若者が仕事を捜す際に、政府がごくわずかな援助しか与えていないという現実問題を含んでいる。

他のヨーロッパの国では、職業安定所などで専門家のアドバイスに頼ることができる。これはギリシャとの大きな違いである。ギリシアの若者は、大部分は第三者のお膳立てなしで自ら就活するよう迫られる。自分で職の空きを確認して、自分で申し込むことになる。

職業訓練の機会もきわめて乏しい。ギリシアの人的資源組織(OAED)と文部省の青年局のふたつが職業訓練を担当している。両者は限定的に動いており、しばしば連絡不足で、勉強から労働への移行を円滑にするプログラムは整備されていない。

ギリシャが不足しているもう一つの領域は、良いアイデアをもつ若者たちがみずから事業を立ち上げるという企業家精神の振興である。

この役割は個人の企業に丸投げされている。例えばOpenfundは、主にハイテク・プロジェクトに投資する資金ファンドである。それは選ばれた申込者に、ベンチャーキャピタル融資として3万から5万ユーロが与えられ、専門家のアドバイスが提供される。成功報酬は企業の利益の15%とされる。ギリシアの銀行が新しいベンチャーのために信用を供与することを拒否しているとき、そのような計画はとても建設的である。

欧州委員会は最近、ギリシャの共同融資プロジェクトのための利払いを5%に切り下げると発表した。アテネは2015年までに さらに150億ユーロを受け取ることになる。このお金の一部が用いられれば、 ヴェンチャー・ビジネスのプロジェクトをもっとつくるうえで役に立つ可能性がある。そしてギリシアの学卒者に、海外で得たノウハウをもって国に帰ることが出来ると希望を抱かせることになる。


教育

ギリシアの教育システムが、企業の業務内容にふさわしい卒業生を生み出せないというのは、しばしば産業とビジネス代表が持つ不満である。

「労働市場には長年の不適当な組合せがある。政府はこれらの改善に取り組むことができなかった。若者たちは雇用者が求めている技術を持たないまま、大学を卒業している」

 今年始め、経済・産業調査基金(IOBE)のYiannis Stournarasはファイナンシャル・タイムズに言った。

「実際、一部の専門家は示唆する。若者たちが教えられる中身と、現場の求人市場の関係の再編成ができれは、国家の現実に見合った対応が出来たかもしれない」

彼らは、海運、工業、新たな形態の観光、小規模な輸出志向のビジネス、ニッチ農業の商品などが、仕事を若いギリシア人に提供することができると考えている。広がっているもう一つのセクターは、更新できるエネルギー源である。

以下略


著者について

Nick Malkoutzis は、Kathimerini 紙の英語版の副編集長である。

収支を合わせること

就労している青年たちにも困難が襲っている。公共部門の給料は過去2年でおよそ30パーセント削減された。民間部門の給与もまた、ここ数ヵ月間にわたり縮小している。EU統計局は、ギリシャの給与所得が、今年の第1四半期だけで6.2パーセント下がったと報告している。

 ギリシア人の平均給与は、すでにユーロ圏諸国で最も低い水準にある。2009年の欧州委員会の調査によると、ギリシア人の平均年棒は28,548ユーロだった。これに対し15のメンバー国の平均は39,562ユーロだった。(ユーロ諸国平均の3/4)

しかしそれは就労者の所得でしかない。いま職を求めているギリシア人にとっては、そのような給料を受けることは、実際には考えられない。初任給の基準は、今年可決される法律によってリセットされた。

この法律は、雇用者が国家の決めた最低賃金の84パーセントで、25才以下の労働者に支払うのを許している。これが意味するのは、若者たちは就職できたとしても、月592ユーロ(約6万円)の給料からスタートすることにならざるを得ないということである。

この法律が制定された目的は、雇用者に若者たちを雇うように仕向けるためだった。しかしそのような給与水準は、ほとんどの場合、若者たちが自活する可能性を否定するものでしかない。アテネでは、たとえばスタジオアパートさえ、月300ユーロ未満の物件はめったに賃貸されない。それは若いギリシア人がどんなにがんばっても支払えるような料金ではない。

ギリシャが2001年にユーロ圏に加わったのち、大部分の商品とサービスの価格は一気に上昇した。当時のギリシャには自由競争が不足していたために、多くのセクターで価格が吊り上げられた。EURESによれば、ギリシャでは国民の収入がEU平均の82パーセントしかないのにたいし、生計費はEU平均の92パーセントである。

8月に発表されるUBS資産管理研究は、アテネは、調査対象の世界都市73ヶ所中38番目にコストの高い都市であると報告している。アムステルダムとベルリンのたったひとつ下にアテネは位置している。低い賃金の若者がそこで自活することは、ますます難しくなっている。その結果、彼らは両親のもとに戻るか、田園地方へ移るという傾向が強まっている。そこでは生計費はより安いからである。

最大の試練に直面しているのは、若い家族である。EU統計局の数字は、2人の子供を持つギリシア人夫婦が受け取る年収が、1万7千ユーロをわずかに上回る程度だと示す。これに対しEurozone平均は27,700ユーロである。そのため若者夫婦は、居室の確保と育児を両親に依存せざるを得ない。家族を持つことを延期しているカップルも増えている。

 

政治的な不満

 危機のもう一つの影響は、青年層の政治家に対する信頼のほぼ完全な喪失である。青年層のほとんどは、ギリシャの経済のnear-collapseを、政治的な統治システムの死を告げる鐘として見ている。ただしその影響はまださほど顕著ではない。(この文章は昨年9月のものであることに注意)

これまでのシステムは、1974年に軍事独裁政権の崩壊の後、ギリシア語で「Metapolitefsi」(過渡期)として知られる時代に発展したものである。

(いまやこの過渡期は、新たな時代への「あらたな過渡期」に移行しつつある)

The Metapolitefsi (translated as polity or regime change) was a period in Greek history after the fall of the Greek military junta of 1967–1974 that includes the transitional period from the fall of the dictatorship_Wikipedia

街頭抗議を乗り越えて、既存政治システムへの不認可が出現している。その最初のはっきりした徴候は、2010年11月の地方選挙に現れた。このとき選挙の棄権率が初めて50%を超えたのである。この先例のない数字は、多くの解説者によって、若いギリシア人による既存政党の思考・価値観の拒否として受け止められた。

1974年以降政権を担っていたギリシャの二大主要政党(PASOKと新民主主義党)は、危機を招いた最悪の犯罪者とみなされている。しかし、ほかの小政党は世論調査においていかなる増加も示すことができなかった。つまり不機嫌な有権者は、自分の意見を述べるための政治グループをまだ見いだしていなかったことをしめしている。

 7月の公共争点調査は、どの政党も政権を樹立させるほどの支持を得ていないことを明らかにした。新民主党は32.5パーセントで、PASOK.の26.5パーセントを上回った。共産党(KKE)は11.5パーセントを得た。さらに急進左翼連合(SYRIZA)が支持率を上げた。SYRIZAは9%を獲得し、右翼の人民正統党の7.5%を上回った。38パーセントの回答者は投票を棄権するだろうと答えた。

SYRIZAはギリシャ政治のなかでは特殊な存在である。30歳代の指導者Alexis Tsiprasは、ここ数年にわたり若年層をターゲットとしてきた。いっぽうギリシャ共産党は大学学生のあいだに強いプレゼンスを持ち続けている。しかしどちらのパーティーも、本当に若いギリシア人を納得させることができなかった。新しい、より小さいいくつかの中道派の民主同盟と左翼民主党も、同じく、若い有権者と連結することができなかった。

青年は、現在の問題に対する(原理的ではなく)現実的な解答をもとめていた。過去の問題を引きずらない清新な政治勢力の出現が求められたが、その兆候はいまだ示されていない。

 

抗議と暴動

この政治的に不確実な環境では、大衆抗議行動がより多くの突出した役割をとった。家庭でも職場でも、政治家やデモ行進への多くの非難が聞かれた。しかし、フラストレーションの最も目立つ表現は、6月から7月にかけてのアテネの国会前のシンタグマ広場における連日の集会であり、あるいはテッサロニキで開かれる集会であった。

その頂点で、「Aganaktizmenoi」またはIndignantsとよばれる集会は10万人の人々を集めた。しかし参加者はいつもそれほど多かったわけではない。そんなとき彼らは、ギリシャの経済・政治問題について、公共の議論をよびかけ、議論のためのたたき台を準備した。

若いギリシア人は、抗議と討論に大挙して参加していた。パブリック・イシュウの調査によれば、25才以下の若者の59パーセントが抗議に参加した。また25才以下の若者の 70パーセントが、抗議は「非常に重要な意義を持つ政治的なイベント」であると感じていた。それに対し、他の年齢層はそれほどの熱心な反応を示してはいない。

英国新聞ガーディアンの経済学リーダー記者Aditya Chakraborttyは抗議について書いた。

「アテネのシンタグマ広場において、そして、国中で、この夏のデモ行進の特徴は、若者たちの比率の高さだった。高い学歴と、低い就業率、そして急進化した集団、それが青年という階層の特徴だ。尊厳ある将来を騙し取られたという感覚が彼らを支配している。仕事の喪失に直面している公共部門労働者と、年金と給料の低下に苦しむ人々が彼らと手を結んだ。そこにきわめて興味ある政治勢力が形成されつつある」

ギリシャの将来を決定する重要な要因のうちの1つは、この若い世代が政治的に自分の意見を述べるためにいかなる方法をとるかということだ。

この夏の抗議、若者たちを引きつけた 2つの中核テーマがある。ひとつは現在の政治家と政党に対する拒絶であり、もうひとつは緊縮処置への反対である。その緊縮措置は、ユーロ圏国と国際通貨基金(IMF)からの財政的援助一括法案とセットになっていた。(それを体現したのが「怒れる者運動」である)

「怒れる者運動」は、彼らがこの二つへの怒りにおいてギリシア青年の共感を獲得することが出来た。すなわち、不正で無責任な政治家、低賃金、重税、そしてますます募る不安への怒りである。しかしその運動は、どうなったら良いのだろうかと考えてみることにはあまり成功しなかった。だから「怒れる者運動」は抗議行動から政治行動へと移ることができなかった。

ひとつの危険がある。もしも若者たちが彼らの不満と不安について、その政治的なはけ口を見いださなければ、抗議は彼らのデフォルト反応(ぷっつん)になる。これは、アテネとThessalonikiの通りで、ますます緊張した空気をつくるだろう。

その非常に危険な例が6月29日に発生した。その日、議会を通過しようとしていた中期財政計画に対する大規模な抗議行動が、暴徒と警察の間のゲバルト戦に陥ったのである。

基本的に平和的だった抗議行動が壊された。警察の見積りによれば、およそ200人の人々が機動隊と闘かおうとしたためだ。これら過激派の暴力は、警察側の反応によっていっそう悪化した。警察は催涙ガスを発射し、攻撃的な戦術を広範囲に用いた。多くの無実の抗議者がその場で逮捕された。

これらの出来事は、アムネスティ・インターナショナルの公式の不満を呼び起こし、アテネ検察の調査をもたらした。より重要なことは、彼らが多くの若者が国家に抱いていた信頼の最後の絆を破ったことだ。

6月29日の衝突事件の後、ソーシャル・ネットワーク・サイトに寄せられたコメントを見れば、若い世代の感覚は明白だった。警察の厳しい態度は、若者の問題を省みることなく、彼らを政治過程から排除しようとする国家・政府の姿勢の現われだとされた。

若者たちの圧倒的大多数は、6月29日のような抗議行動で「暴徒」(衝突することを求めている少数精鋭グループ)とは行動を共にしないだろう。しかし彼らの不満が放置されれば、それだけ、彼らが当局によって不公平に扱われているという思いは膨らんでいくだろう。そしてギリシアの街路の空気は、より敵対的で危険になるだろう。

失業

ギリシア社会は経済収縮を続けてきた。その影響は、8月(2011年)に顕著となった。年間5パーセントのGDP低下が明らかになった。ギリシア統計局(ELSTAT)の5月の報告によれば、失業率は労働可能人口の16.6パーセントまで上がった。

失業率は15~24歳、および25~34歳の世代で最悪の数字をはじき出した。EU諸国ではスペインに次ぐ悪い数字である。ここ1,2年、ギリシャの15~24才の世代の失業率は、ギリシャ全体の失業率より速いスピードで上昇している。2009年には25パーセントだったのが、最近では40.1パーセントへ悪化している。25~34才の世代は、2年前の11.2パーセントから今年22パーセントへ上がった。

ギリシャでの青年の失業率は、過去の10年の間も20パーセントを超えていた。しかし経済危機はこの問題をさらに悪化させた。その結果、多くの若いギリシア人は、いまや彼らの故国から離れたところに彼らの将来を見るようになっている。

 

国外をめざす

2011年の1月から5月のあいだに、EUの提案したEuropass計画の下で、35,000人以上のギリシア人が学歴と資格詳細を登録した。この計画はEU内で労働力の機動性を増やそうとするものである。これらのうち、22,000人以上は30才以下だった。

5月に発表されたEurobarometer の「青年の移動」研究は、ギリシア人青年の37%がヨーロッパの別の国で長期就労する意思を持っていることを明らかにした。これは研究の対象となった31か国中三位を占めている。

ギリシャは移民の長い歴史を持っている。最後の大きな波は1960年代にあった。そのときも失業率は高かった。

大きいギリシアの国外離散者集団が各国に存在している。それは300ないし700万人と見積もられている。その集団は、海外での仕事を捜している若いギリシア人にとってパイプの働きをすることができる。彼らは容易にイギリスやドイツへの移動を考えることができる。さらにアメリカ、オーストラリア、カナダへも。

移民のためのアドバイスや情報を交換する場として、いまや多くのインターネット・フォーラムが出現している。

 

頭脳流出

これまでの移住と比較して、ギリシャが当面向き合っている事態は違いがある。それは、国外に去ることを考慮している人々が、たんなる未熟練労働者ではないということである。20才代と30才代前半のギリシア人は、ヨーロッパの同年代層に比べ、優るとも劣らない教育と技術を持っている。

たとえば、EU統計局の数字は示している。少なくとも高等学校卒業の学歴を持つ20~24才ギリシア人の割合は、83.4パーセントである。EUの平均は79%でドイツでは74.4パーセントに過ぎない。また、少なくとも1つの外国語を話すギリシア人は、25~34歳台で83パーセントに達する。これに対しEU平均は39パーセントにとどまる。

実際、最近ギリシャを去った青年の多くは大学卒業生である。大学卒業生の3人に1人はギリシャで失業中である。それはEUの中の最高レベルの1つである。学位保持者の失業率は、過去4年でほぼ二倍になった。

ギリシャは過去10年にわたり、学生の世界最大の輸出者のひとつであった。しかし過去の時代における傾向と違うのは、これらの卒業生の多くが現在も海外にとどまっていることである。

2010年にマケドニア大学がおこなった調査では、84パーセントの卒業生がギリシャに戻る機会を拒絶していることが示された。この調査のチーフを勤めた Lois Lambrinidis は次のように推定している。この2年間に大学卒業生の9パーセントと、PhD保有者の51パーセントが国を去った。この傾向は、ここ数月でさらに加速されている。

INTERNATIONAL POLICY ANALYSIS

Young Greeks and the Crisis

The Danger of Losing a Generation

NICK MALKOUTZIS

September 2011

 

ギリシャ危機と青年

一つの世代を失う危険

 

概要

1 ギリシャの経済危機は、より若い世代にひどく打撃を与えた。青年の失業率は40パーセントを超えた。ますます多くの新卒業生が国を去っている。

2 政治体制への不満は増加している。しかし青年たちはまだ彼らを代弁する政治的な勢力を見いだしていない。

3 賃金のさらなる低下、就業機会の減少、そして高い生活費は、独身者と若いカップルのために大きな困難を突きつけている。

4 教育、職業訓練と職業斡旋でのギリシャが抱える弱点は、優秀な若い世代の利点を生かすことを難しくしている。

 

序論

ギリシャは三年も続く景気後退のなかにある。そして財政問題に取り組むために広範囲な緊縮処置をとってから二年目にあたる。経済の回復は遠い道のりであるように見える。危機の影響で苦しんでいる人々の数は増大している。毎週平均1,200人の人が仕事を失っている。とりわけギリシアの社会のひとつの部分、若者たちは最も辛い経験をしている。

ギリシャは、その青年たちという価値ある未開発の資源を持っている。人口の10分の1にあたる110万人が25歳以下だ。そして、もう150万は25才と34才の間である。彼らは教育を受け、知識が豊富で、政治的にも敏感である。しかし彼らがギリシアの社会へ明確な貢献をしようとしても、その機会は、来るべき年においては厳しく制限されている。

最新の失業率は、25才以下のギリシア人ので40%に達している。やっと仕事を見つけても、それはしばしば生活費の収支を合わせるのには程遠い。この問題に取り組む政策が採択されない限り、ギリシャはそのエリート青年層の多くが国外に去ってしまう可能性に直面するだろう。

若いギリシア人10人のうち6人はヨーロッパの他の国で働く意思を持っている。彼らはきびすを接して去っていくだろう。なぜなら、彼らは就業する希望のない、成功する機会のない状況に不満を募らせているからだ。

現在の経済・政治システムは、かつて彼らの両親には貢献したものだ。彼らはそれを改変しようとするのだろうか。彼らが政治的な水路に彼らの不満を導くかどうかは、まだ明らかでない。システムが彼らの将来を確保しないと、怒りは暴力となって噴出するかもしれない。

 

こんな記事、私が書かなくたって世界中のライターが書くだろう。そしてその9割は嘘っぱちを書くだろう。

ただ、誰もが共通している認識はある。

ギリシャ国民がくれた最後のチャンスだ。それは時間つなぎに過ぎない。この1ヶ月で、口先ではない本当の結論を出さなければならない

ということだ。

①数字だけからいえば、ドイツに儲けを吐き出させなければならない。これがすべてにつながる第一歩だ。しかしドイツに儲けが集中するようなシステムも問題だ。
②マーストリヒト体制の最大の問題は、資本移動が全面的に自由化されているのに対し、国家財政と労働の移動は国籍に縛られていることだ。調整期にあっては資本移動の自由を制限し、これによって生じる金融的困難については、諸国家の連帯で乗り越えるしかない。
③いまユーロ圏が抱えている困難は、基本的には「前向きな困難」なのだと思う(これについては異論もあるだろうが)。いまギリシャを救うことは単なるそろばん勘定以上の意味を持っている。
④現在のユーロ危機は、結局投機資本の力を過小評価したことから生じている。投機資本というのはソロスごとき人物ではなく、100兆ドルに上る米国人資産がバックにある。純金融操作的に拮抗できるのはドイツ・日本・中国の21世紀型「枢軸」連合以外にない(できたとしての話だが)。





消費税反対の運動は、TPP反対運動がそうであったように一点共闘となるだろう。
しかし、どういう見地から反対するのかを明らかにするためには、以下の三つを結合して叫ぶことが必要だ。

1.消費税引き上げ反対
2.法人税引き下げ反対
3.金持ち優遇税制反対

さらに、資産の海外移転、国際投機資本の撹乱への規制強化も盛り込みたいところだが、証券市場自らが投機資本の流入を歓迎するような現在の日本では、単純明快なスローガンにするのは少々難しい。

生産拠点の海外進出については、目下のところ有効な抑制手段はない。しかし積極的にこれを奨励するような手段をとるべきではない。
不況と円高は、国内空洞化と財政赤字を招くギリシャ化の道である。

「2013年度 連合の重点政策」 [2012年6月1日掲載]に眼を通してみた。

野田首相の記事を書いていて、連合の政策が気になった。いくら経団連に擦り寄るにせよ、首相としての出身母体は連合系議員だから、連合の政策を基本的には反映しているものと見なくてはならない。

連合のホームページに行ったら、上記のような文章があった。とりあえずの感想としては、まだ労組としての尻尾を多少は引きずっているな、ということ。
しかしこの手の文章は後ろから読まなくてはならないと相場が決まっている。「何をやろうとしているか」がだいじだからだ。そして「なぜそういう結論が出てくるのか」というのを総論部分から拾っていくと、めくらまし的な文章から骨組みをつかみ出すことができる。
もうひとつは、私たち国民が持っている問題意識が、分野的にはどう違っているかということ。
これは何が書いてあるのかではなく、何が書いてないのかをチェックしていけば、見事にあぶりだされてくる。1月ほど前、大阪市で職員の思想調査が行われた。まことに民主主義の根幹にかかわる由々しき問題であったが、大阪市職労のホームページには思想調査の思の字も書かれていなかった。(全労連系の組合は真正面から取り組んでいた)

ということで、逐条的に紹介したい。

まずは一番最後のところ
3.重点運動課題
これは
「重点政策」の中で、労働組合への影響が特に大きく、政府・地方自治体への働きかけなど、連合本部・地方が一体となった幅広い運動展開を行うもの
なそうなので、まぁこれだけ読んどきゃいいという部分。

(1)被災者の生活基盤の整備、長期安定的に働ける雇用の創出・確保、災害廃棄物処理の迅速化、風評被害の防止策推進による消費拡大など震災からの復興・再生に向けた支援の強化。

まじりっけなしの全文である。原発のげの字もない。せいぜい風評被害という言葉があるくらいだ。どこの国の労組だろう。

(2)積極的雇用政策と積極的社会保障政策の連携、「公平・連帯・納得」の税制改革の実現など「社会保障・税の一体改革」の実現

分かりにくい前振りがいろいろついているが、結論としては「社会保障・税の一体改革」の推進が方針だということだ。「」がつけてあるのは一体改革一般ではなく、政府の打ち出した一体改革ということだろう。つまりは消費税推進ということだ。
ほかに方針には消費税・法人税・金持ち減税に関する記載はないから、そう読むしかない。

(3)若年者の雇用対策の強化
(4)高齢者雇用対策の強化

ほかにも上記の2項があり、都合4項目が重点運動課題だ。

TPPについては重点運動課題には含めていない。
一般方針の(2)のd)で、ことのついでに触れられている。

わが国の経済成長と雇用創出、アジア太平洋地域における公正で持続可能な発展につながるよう経済連携(FTA/EPAなど)を推進する。環太平洋連携協定(TPP)の交渉参加にあたっては、幅広い分野に影響を及ぼす可能性があることを踏まえ、懸念される課題について適切に対応するとともに、国民への適切な情報開示、国民的合意形成に向けた丁寧な対応を行う。

FTA推進を打ち出しているから、事実上日米FTAとなるTPPについても基本的には推進の立場ということになる。

ということで、言葉こそ慎重だが、原発維持、消費税推進、TPP推進という立場は明確である。
つまり、野田首相は民主党が掲げたマニフェストこそ破ったものの、民主党を支える連合の立場には、依然として忠実であることが分かる。

野田首相の「政治生命」とは何か、その精神構造を考えてみたい。
①やってきたこと
原発安全宣言、再稼動宣言、消費税増税、TPP推進、衆議院定数削減と悪政のオンパレードである。
これがすべて実施されるなら、善悪はともかくとしてものすごい実力だということになる。
これは、二つの意味が考えられる。国民のあいだの利害関係が、上下で凄まじく離反しており、「あいだをとって…」という風な調停が利かなくなっている。これが一つ、もうひとつは議会の機能が著しく弱体化して、政府・官僚機構の圧力に抗しきれなくなっている。いわゆる政治の劣化だ。
まとめると、野田首相は蛮力を振るって、血路を切り開いてきたというよりは、裏の権力の意のままに動くことで保身・延命を図ってきたというほうが正確だろう。
②とりうる保身術
民主党はこれで終わりだ。沖縄県議選でわずか一議席の惨敗に終わったことは、この党がすでに崩壊していることを示している。労組が動かないとこの党はだめだ。その労組がまじめに動けば、まさか一議席ということもあるまい。
労組の組織力にその時々の風が乗っかって躍進する。小選挙区制がこの不安定さを加速するFX政治だ。
民主党は労組=連合と、風の部分=小沢ファミリーの二つの部分からなっている。野田首相は出自は自民党と同じ保守だが、それが連合に担がれ表の顔になっている。そしてさらに菅前首相に代わり財界に担がれた。こういう二段跳び三段跳びをして首相に登りつめた人物だから、自己保身の本能は人一倍持っているはずだ。
民主党は仮の宿、連合も仮の宿、まして経団連にとっては捨て駒でしかない。
とすれば野田首相としては原発・消費税でせいぜい点数を稼いで、最低でも議員再選を果たさなければならない。さらにあわよくば政権がどうなろうと、一定のおいしいポストは確保しなければならない。それには連合に忠義を尽くすよりは経団連のほうが頼りがいがあるだろう、というのが野田首相の精神状況ではないか。
たしかにこれで話はうまく説明は出来るが、それを許してしまう政治状況もふくめ、なんとも情けない話ではある.

ヒューマニスムというのは「人間は分かりあえるものだ」という信念に基づいている。
人間の持っている価値観は一般的には真、善、美、だといわれる。このうち真と善は共通のものを見出しうる。ところが「美」ときたらおよそい一致するものなどない。
異なる美意識が共存したり敵対したりというならまだしも分かる。通底するものがあるからだ。ところがまったくエイリアン的に存在する美意識がある。

たとえば美空ひばりから浪速演歌に通じる流れがある。しいて言えば嫌悪感を感じる。一柳慧とか三善晃みたいな現代音楽がある。雑音としか感じない。学生時代に紛れ込んだジャズ喫茶で聞かされたアートブレイキーとかディジー・ギャレスピーも独りよがりの騒音だ。映画で見せられたレオン・ラッセルのロックはまさに拷問だった。

絵画も映画も基本的には同じだが、音楽ほど暴力的に美意識を押し付けてくるものはない。

そして自らがエイリアンなのか、むこうがエイリアンなのかの選択を迫る。この際「物分りのよさ」は禁物だ。かといって毛嫌いする必要もない。ようは距離感だ。

というわけで、「美学」というのは、わけの分からないへんちくりんな連中との処世法ということに尽きる。「異なる文明」とのアクティブな共存だ。


源氏パイを食っていてふと気になった。
そもそもこれを源氏パイということすら知らなかった。
このハート型のクッキーは別に銘柄品でもなんでもなくて、そんじょそこらの菓子工場で当たり前に作って売っているものだと思っていた。
何気なしにネットで調べたら、これが違うんですね。
三立製菓という浜松の会社の専売品で、それなりに由緒あるものなんだそうだ。
浜松といえばうなぎパイだがこちらは別の会社で、作り方はほぼ同じ、ただうなぎパイはうなぎの魚粉とガーリックが添加されているところが違うのだということのようで…

勉強になりました。

http://www.emitefil.com/column/food/pie.html

以下は新潟県内の経営者の生き様を報じる大西勇さんの「大西リポート」からの抜粋

 県内企業が海外進出で失敗するケースが相次いでいる。

 「米を食べる国なら米菓も売れると思ったんですがね。でもさっばり売れませんでした。失敗です」
亀田製菓のスポークスマン井田増夫経営企画室長はベトナ ムから撤退することを明らかにした。損害は六千九百万円。

 六千九百万円は亀田製菓にとってかすり傷程度だろうが八億六千万円も損した会社もある。青海町の 田辺工業だ。
九月の中間決算でタイの子会社へ八億六千万円を支援することになり、その分を特別損として計上した。

 「タイの自動車メーカーを相手にメッキ の工場をつくったのですが自動車不況で仕事がないんです。進出時期が悪かった」
 「タイの子会社が現地の銀行から借りているカネの金利が20%もする。これじゃ赤字がふくらむ一方なので本社から支援することにしたのです」

 この追い銭の工面がつかなければ、現地企業は倒産するほかない。

帝国データバンクが東海地方の企業にアンケート調査を行ない、海外進出の理由をまとめた。
47%と半数が国内需要の低迷を理由に挙げていて、これが最多だ。

たしかに庶民も苦しいが、企業も苦しいのだ。そのことは良く分かる。

ただ、こういう海外進出は80年代、90年代の海外進出とは明らかに性格を異にしていることに注目しなければならない。

以前の海外進出はいわば好況型進出であり、対米輸出にさらにドライブをかけるための迂回輸出であった。企業内の活力は有り余るほどにあり、それが海外にほとばしり出るという海外進出であった。

いまや、企業に活力なく、国内に需要なくという厳しい中での海外進出は、率直に言えば「出て行ってどうなるという見通しなし」の不況型進出である。食い詰め型進出といってもいいかもしれない。

進出ではなく漂流なのかもしれない。アジアといえどもすでにかなりの地力を蓄えている。日本におればこその優位性 は失われ、根無し草となった進出企業は現地での厳しい競争にさらられることになる。元手がなくなったら「はい、それまでよ」ということにもなりかねない。

こういった企業にとっては、日本の景気回復が本当は一番必要なはずだ。出来ることなら海外など行きたくないに決まっている。

景気をさらに冷やすような大衆課税制度や、国内産業を破滅に追い込むTPPなど誰も望まないはずだ。内需を拡大して国内経済成長を促すことが望みのはずではないか。

これ以上、経団連などに踊らされるな、と企業経営者の皆さんに警告したい。


こういう数字が並ぶ情報は、メモしておかないとアウトなので、とりあえず書き留めておく。
FAOが6月4日明らかにした警報。
①今年1月、リビア南西部のガトで群生バッタの発生を確認した。
②その後この地域で雨が降り、5月までに群生が拡大した。
③影響地域はアルジェリアの4万ヘクタール、リビアの2万ヘクタールに拡大し、一部がニジェール北部に飛来している。

バッタ大群は1平方キロから数百平方キロまで多様。1平方キロあたり4千万から8千万匹の成虫で構成される。
体重2グラムの成虫は、一日に体重と同じ量の食物を摂取する。
1平方キロあたり5千万匹の密度で、100平方キロの群生バッタなら、
2x5千万x100=1万トンを消費することになる。

ちなみに象の一日当たり消費量は100キログラム、ラクダは40キログラム、人間は400グラムとされている。


人間はそんなに少ないかな?
「日に三合の飯を食い」というから、米だけで400グラムになってしまうが、実際はせいぜいその半分だろう。しかしそれと同じくらいのおかずを食べているが…


くどいようだが、やはり関西各県の知事たちを問い詰めたい。

話はこうなんじゃないですか。
近所で工事やるというので、業者が許可もとめてきた。それで工事には反対だけど、だいじな公共工事なら、昼間だけということで認めましょう。
といったら、工事会社の社長が「地元の許可もらったから突貫工事でやる」といい始めた。
ふつうは「おいおい、ちょいと話が違うじゃないか」と出てくることになるはずなのに、まるで音なし。

どうなってるの、最初から出来レースだったの?

と、問われたらどう答えるのだろう。

審議会の委員は審議が無視されて、「国家のメルトダウンだ」と叫んでみても蟷螂の斧だが、知事さん方はそうではないでしょう。

今朝のBSワールドニュースでキャスターがとんでもないことを言っていた。
「衆愚政治というのはギリシャが語源だが、今のギリシャは衆愚政治そのもの。借金は返さない、しかしユーロ圏には残りたいなどと、馬鹿なことを言っている」と、言いたい放題。

こういう弱者をののしる“風習”は、南・北朝鮮人をことあるごとに痛めつけるネトウヨでおなじみだが、天下のNHKのアンカーが、とたんの苦しみにあえぐギリシャ国民を「衆愚」呼ばわりするのは、さすがにご法度ではないか。

思わず、「勉強もしないで利いた風なこというな!」 と、叫びたくなる。

理由が何であれ、いまやギリシャが借金など返せる状況にないことは厳然たる事実だ。金持ち代表の英エコノミスト紙でさえ、再交渉するしかないと認めている。

さらに言えば、今はギリシャを救済することを明確にするかどうかが、ユーロ圏生き残りの鍵になっている。振り返ってみれば、いろいろ難癖つけて証文を出し渋ったのが今回のスペイン事態を招いたのではないか。

ということを前提にした上で、緊縮措置の中身を見てみよう。

まず、抑えておかなければならないことは、すでにギリシャは過去3年間緊縮措置を続けてきたことだ。その結果GDPはマイナス10%近い落ち込みを見せている。

今回の、金融支援の見返り措置は、それにさらに上乗せした緊縮だ。項目を見てみると、信じられないような数字が並んでいる。以前のブログで挙げた数字を再掲する。

D.2012年度に行われる付加的措置

①医療セクターの縮小。医薬品費の11億ユーロ削減。病院の医師に対する時間外手当を5千万ユーロ削減。

②政府の活動費および消費支出を3億ユーロ抑制。公共投資プログラムの4億ユーロ縮小。

③教育文化施設を閉鎖し、2億ユーロを削減。

などなどだ。

医薬品費の1100億円削減など信じられるか?

12日の赤旗には、現地の状況が生々しく報じられている。

病院や薬局から薬がなくなった。薬を見つけるのに走り回らなくてはならない。「不足が続けば患者は死んでしまう」と、糖尿病などの患者団体が訴えている。

NHKキャスターが言っていることは「もっと削れ、削れなければ命を削れ」ということに他ならない。


アテネ・オリンピックのとき、マラソンのトップランナーに観客が飛びついて妨害した。彼は結局優勝できなかった。確かブラジルの選手だったと思うが、ブラジルの人々はギリシャ国民を許さないだろう。

EUの理想とかユーロの未来に期待してきた人々にとっては、ぐうたらギリシャのためにEUが瓦解していくのは、マラソンのときと同様に、見るに耐えないシーンかもしれない。しかしその怒りの矛先はギリシャ国民に向けられてはならない。


美智子様の結婚パレードのとき、我が家でも貸しテレビを入れた。向こう三軒両隣で集まって、カーテンを閉め切ってテレビに見入っていたそのとき、学生風の男が突如馬車に駆け寄った。すぐ男は捕まりパレードはなにごともなかったかのように進められた。アナウンサーは男が「マルクス主義者」だと言っていたように憶えている。

これをもって、日本国民はみんな「あほのマルクス主義者」だといわれれば、マルクス主義者もふくめて猛反発するだろう。

逆もある。戦前に天皇の行列に爆裂弾を投げつけた朝鮮人がいる。上海でも日本占領軍の司令官に爆弾を投げた朝鮮人がいる。やった男はテロリストであり、孤立した存在だったが、その背後には日本帝国主義の支配に抗議するすべての朝鮮人がいた。

話が回りくどくなったが、ようするにジャーナリストたるもの、「ギリシャ人は怠け者」だとか、「ギリシャ人は自己主張が強い」とかいう変な「一般論」を、決して振り回してはならないということだ。


見たところキャスター氏はそれほど薄情な人ではなさそうだ。言ってしまったことはしかたがない。ジャーナリストというのはそういう宿命を背負っている。願わくば、少し実情を調べた上で、発言を修正していただきたいと思う。


今日本の大企業が蓄積した260兆円の内部留保。
これをどう使うかという問題を話しているのではない。
それは企業が、いろいろあるにせよ自分の力で稼いで貯めた金であって。財産の不可侵の原則は守られなければならない。

問題は、一方に富が積みあがり、他方に貧困が蓄積していくという仕掛けをやめるということである。

それは原論的には日本という国と国民を、みんなで支えあうという精神である。
差し迫った問題としては、この仕掛けでは経済成長が止まってしまうという危険である。ダムの底に札束が沈殿してしまって、貯水量がどんどん減少しダムとして使い物にならなくなってしまう、日本という国が札束の山の上で餓死するという仕儀になりかねない。

笑い事ではないのであるが、これをおかしいと思わない人は、やはりおかしいと思う。

たとえ話をもう少し続けよう。

当面やるべきことはサルベージだが、川底に泥がたまらないようにする仕掛けを作ることが根本的な治療法である。
それにはバイパスとか沈殿槽とかいろいろな方法があるだろうが、より根本的には泥の発生を抑えることだ。

それには上流の山を豊かにしなければならない。森こそが最大のダムなのである。人間社会にあってこの森の役割を果たすものはなんだろう。



児玉清氏には悪いけど、別に児玉清論が知りたいわけじゃない。
あの中江有里さんが児玉清論を書いているから、食欲をそそるのであって、しかもそれが赤旗(6月10日書評面「すべては今日から」評)に掲載されているから、思わず眼が釘付けになってしまうのである。

読んだこともないし、今後読むつもりもない本の書評番組を飽きずに見ていたのは、ひたすら中江有里様の御尊顔を拝し奉りたかったからで、彼女が出ていないと分かれば、容赦なくチャンネルは変更された。

タレントの割には余りおしゃれのセンスはないようで、何時までたっても田舎っぽさが抜けないのが、良いといえばよい。

文章はさすがに文学少女のものだが、まことに失礼ながら、それ以上のひらめきはない。本をよく読みよく理解し、それを支えるほうの立場の方だろうと思う。


とりあえず、まとめてみよう
野田談話には四つの暴走と二つの裏切りが含まれている

四つの暴走とは
①猛暑期の限定を取り払い、無期限に原発稼動を延長したこと。
②大飯原発のみならず、すべての原発に対して再稼動を認めたこと。
③脱原発路線を事実上放棄し、原発生命線論を「国策」と宣言したこと
④以上の判断を首相の「責任」(権限と読め)としたこと

二つの裏切りとは
①関西広域連合が季節・場所限定の容認という「苦渋の決断」をしたことを利用して、それを真っ向から踏みにじる無期限・全面稼動を宣言したこと
②政府の委嘱を各種審議・諮問機関で検討中の課題について、その結論を待たずに無期限・全面稼動を打ち出したこと

ここに今回の談話の最大の無法がある。

もちろん、再稼動そのものが大きな問題をはらんでいるわけで、上記の暴走や裏切りがなかったとしても批判の対象ではある。
しかし、我々が談話を聞いて唖然としたのは、そのことによってではない。
あの橋下市長でさえ舌を巻く無法無体ぶりが唖然とさせたのだ。多少とも常識のある日本人であれば、橋下市長の言葉を借りれば、野田首相はまさに「トチ狂っている」としか思えないのである。

今後の電力需給、さらには貿易収支の動向を語る上で、LNGの需給見通しは避けて通れない。
今回の野田首相の発言でも、LNGが高騰すれば日本経済が破綻するという脅迫が織り込まれていた。またペルシャ湾危機がLNGの危機でもあるかのような一部論調も見られる。

供給量、供給価格の安定は、原発からの離脱を考える上で決定的なイシューになっている。

まず、LNGが中東に依存しているというのはウソである。輸入先御三家はインドネシア、オーストラリア、マレーシアであり、そのあとにカタールが入るが、これはスポットものの供給能力があるからであり、インドネシアの供給が一時的にダウンした補完である。

第二にLNGの供給能力は十分に余力がある。昨年タイトになったのは、大震災直前に世界的な供給過剰があり、調整局面に入っていたためである。採算ベースが変化すればいつでも開発可能なガス田は数多く存在している。

第三にLNG価格は今後低下するものと思われる。大震災を受けて急遽LNG買いに走ったが、アジアものは長期契約が多く、カタールのスポットものに頼らざるを得なかったことが輸入価格を押し上げている。
スポット価格は長期契約価格の3,4倍といわれている。数字は未検証だが、もし特殊状況における価格だとすれば、今年以降は半分程度に下がると予測される。

アメリカのシェール・ガスの開発は、LNGの国際価格に極めて大きな影響を与えている。最大の消費国で輸入がゼロとなればそれだけでも価格は下落する。さらにEU圏、アジア圏でも経済成長の鈍化により需要は停滞すると思われる。

LNGの採掘・輸送・利用に関する技術開発も飛躍的に進んでいる。これまで石油に依存していたエネルギー源がLNGにより代替されていく可能性も高い。ただしこれは原油価格、ホルムズ海峡緊張の動向による。

以上の通り、供給力から見ても価格から見ても否定的な見通しはない。少なくとも採掘リスクの高いウラニウムよりはるかに安定しているといえる。
野田首相のいう「エネルギー安全保障」の上からは、むしろ原油やウランとの代替により、原油依存・中東依存を軽減させることが望ましいのかもしれない。

土曜日に野田首相が記者会見を開き、原発再稼動を宣言した。
いかに要旨を記す。

1.原発再開は国論を二分している。(どう二分されているかは語らないが、おそらく「安全か経済か」ということだと思う)
2.私は「国民生活を守る」のが唯一絶対の基軸だと判断する。(おそらく安全も経済も、ひいては国民のためということだろうと思う)
3.それはまず福島のような事故は決して起こさないことだ。(これは当然であり、きわめて正しい)
4.原子力安全への国民の信頼回復が必要だ。速やかに関連法案を成立させる必要がある(原子力がそもそも安全かどうかが問われているとき、前半部は論理の飛躍だが、原発行政と読み替えるなら、それはそれとして正しい)
5.実質的に安全が確保されているものの、政府の安全判断の基準は暫定的なもので、今後見直していく必要がある。(ここも前半はウソだが、見直しの方向は正しい)

6.ここから突如発狂する
福島を襲ったような地震、津波が起こっても、事故を防止できる対策と体制は整っている。万が一、すべての電源が失われるような事態でも炉心損傷は起こらない。

7.このあとのレトリックはさらにすごい。
その間、福井県にも御協力を仰ぎ、国の一元的な責任の下特別な監視体制を構築する。
大飯以外の再起動は、大飯同様に引き続き個別に安全を判断する。
大飯を再稼動するとは一言もいわずに、再稼動の方針を提示している。しかも大飯のみならずすべての原発の再稼動まで踏み込んでいる。これは一時的でも暫定的でもない原発に対する基本姿勢の表明だ。人をたぶらかそうという魂胆がありありだ。

6.国民生活を守るために安価で安定した電気は欠かせない。(ここから後の言い分はもう滅茶苦茶だ)

7.3割の電力供給を担ってきた原発を止めては、止めたままでは、日本の社会は立ち行かない。(このセリフにはさすがに驚いた。これは未来永劫、原発依存を続けるという宣言としか受け止められない)

8.夏場限定の再稼動では国民の生活は守れない。安全保障の視点からも原発は重要な電源だ。(話は夏場限定の暫定稼動ではなかったんでしょうか。だから勘弁してくれと頭を下げていたんじゃなかったんでしょうか。この人のものの言い方には本質的にずるがしこさを感じます)

9.国論を二分する状況で一つの結論を出す。これは私の責任だ。(責任取れるわけはないから、責任というのではなく「権限」だといいたいのでしょう)


ニュースを聞いた大多数の国民は、怒る前にまず、あっけにとられたに違いない。
何から何までおよそありえない内容だからだ。
これだけアウトフォーカスの内容を平然と語れる神経はどうなっているのだろう。
これだけウソ八百を並べられると、どう反論していいか分からない。
「ウソは大きいほどいい」というが、たしかにこのクレージーさは相手を威圧する効果はある。

9日の赤旗一面を見ると、反対派の人々が、この談話をどう切ったらいいのか分からなくて困っている様子が見受けられる。二面の「主張」では①限定的であることを否定し、恒久稼動の立場を打ち出していること、②自治体首長の「限定」稼動への合意を理由に再稼動を決めながら、限定性を否定するという裏切りであること、③長期のエネルギー政策に関してエネルギー会議に諮問しているのに、その出すべき結論を表明するのは逸脱行為であること、を指摘している。

「エネルギー・環境会議」は政府の諮問機関で、審議目的は「2030年に原発をゼロにするか、15%に半減するか、現状維持かなどの選択を行う」ための組織である。首相が「ゼロ%はありえない」といってしまえば、この会議の意味はなくなる。

これでは足りないと見たか、同じ二面に藤田政治部長のコラムが載せられている。ここでは事故を防止できる対策と体制は整っているというくだり、国民の生活は守れないというくだり、に対する反論が集中的に取り上げられている。内容はこれまで報じられてきたものの再確認なので省略する。
ただ、本線は「主張」のごとく、やはり、野田発言の背信性・欺瞞性・詐欺的論理の批判にある。そして「暫定的」稼動を受け入れてしまった首長たちへの批判にある。さらに各種基準の策定をゆだねられた調査・審議機関に泥を塗るような、国家の意思決定過程への越権ぶりにある。

三面の各界談話は、一般的な再稼動反対論にとどまっている。



そこで、いろいろな人が、どうこの談話を批判しているかを拾ってみた。

最初は一番有名になった国会事故調の黒川委員長の談話。この人は東大を出た後アメリカで20年研究を続けた医学者。youtubeで記者会見をみると、比較的リベラルな合理主義者という印象。

談話の意味は理解できない。世界の先進国のあり方とぜんぜん違うところに行っているのではないか。国家の信頼のメルトダウンが起きているのではないか。

この怒りは、公的な諮問会議が二階に上がってはしごを外された、裏切られたという怒りと相乗されている。国会から委託された独立した調査の報告を何で待たないのか、プロセスが私には理解できない というくだりはそのことを表している。

橋下大阪市長は
「夏季に限定した大飯原発の再稼働でも、十分に関西の府県民の生活は守ることができる。野田首相が守ろうとしていることが本当に関西府県民の生活なのか、電力会社の経営、利益なのか、そこらがちょっと分からない」と、とりあえず再稼働容認に転じたことは横に置いて批判した。(J-cast ニュース)

ずいぶんおとなしい談話だ。本来なら自分が利用されて、裏切られ、顔に泥を塗られたのだから、もっと怒りまくらなければならないはずだが…

橋下市長は、「病院はどうなるのか、高齢者の熱中症対策はできるのか。そう考えると、原発事故の危険性より、目の前のリスクに腰が引けた」と語っている。(讀賣新聞)
それが利用されたんだよ。このままじゃ、野田首相の片棒担いだのと同じだ。

ジャーナリスト・横田一氏のコメントは、お茶の間の感想を代表したものだろう。

この夏が厳しいのであれば、期間限定で動かし、その後止めて、安全基準をきちんとしたものにしてから、再稼働を検討すればいい。
電力会社の無駄を放置して、『国民生活を守るための再稼働』なん て、よくもまあ、こんな屁理屈を言えたものです(日刊ゲンダイ

脱原発弁護団は声明の中で首相の「判断権限」について、その範囲を明らかにしている。

専門家ではない政治家が判断できることは、専門家の判断が信用できない時に原発の運転を止めることである。菅直人前首相が浜岡原発の運転の停止を求めたこ とは正しい。
しかしながら、専門家ではない政治家が安全判断をするようなことは、できるはずもなく、無責任きわまりない。




介護施設において職員の苦痛はうんこの処理である。
汚いという感覚は比較的慣れるが、臭いはその場その場では嗅覚の疲労により軽減されるものの、別のクライアントの対処時には一から出直しだ。

人間、年取ると枯れるというが、うんこの臭いはむしろ強烈になる。ある意味で加齢臭ともいえる。
これは、胃酸分泌が減少することから、比較的低pHを至適とする腸内細菌が減弱し、雑菌が増えやすい環境があり、かつ便秘により便内容の長期滞留が臭気の発生に好適な環境を提供しているからであろう。

したがって発生予防のストラテジーとしては便通促進と乳酸菌製剤などの投与ということになる。
さらに食品もせんいを多くふくむものを積極的にとることで消化管運動を刺激し、水分量の著しい減少をもたらせないようすることが必要だ。
また腹筋や背筋を鍛えたり腹壁マッサージ等を施行することで、排出力を増強することも有効であろう。

しかし、これらのことは介護施設ではルーチンとして行われているので、教科書的な方法では解決しないことは明らかである。

便の基本的な臭いは、ぬかみその腐った臭いである。これは米と野菜だけの食事を取ったときに生じる。植物性蛋白の発する臭いである。

動物性蛋白がこれに加わると、硫化物の臭いが加わり、一段と強烈になる。とりあえずここを抑えたい。

メタルカプターゼなど臭気を産生する酵素を抑えるか、産生されたスカトールなどの悪臭物質を吸着するかの方法が考えられる。

ネットで調べたら、ココアが良いと書かれていた。ココアの中に含まれるリグニンという物質が臭気を吸着するようである。とりあえず、強烈な人に試してみようか。

追補

胃酸分泌の低下は胃壁細胞の萎縮に対する対応という側面もある。胃壁が弱くなっているのに若い人並みに胃酸を分泌していたら、たちまち胃潰瘍になってしまう。
困ったことには、けっこう多くの人が胃酸分泌抑制剤を服用している。高齢者に逆流性食道炎はつき物だからだ。

硫化水素は胃から十二指腸に降りてきた強酸性の食物を中和するメカニズムの一環として働いている。胃酸が減ったのにあわせてこちらも減ればよいのだが、そういうホメオスターシスは働かないのだろうか。

嫁さんに晩飯を食わせた後、別室でタバコをすいながらテレビをつけた。BSの日経のチャンネルが「トーク番組」をやっていて、外国国債についての指南をしていた。
コメンテーターが面白くて、元証券マンらしいが、「そんなものを買うのに証券会社の意見を聞くのは、赤頭巾ちゃんが狼に道を聞くようなものだ」といっていた。同僚が傍らから「そんなことって良いの?」と袖をつついていたが、このコメンテーター、大いに気に入った。
山崎元という人らしい。

たとえば原子力安全・保安院に原発の安全性を検証させるというのも、まさにそのとおりだ。
世の投資家たちは狼を見切っている。自分の金が絡むからだし、それで大損しても自己責任ということが分かっているからだ。ところが原発となると大甘である。これは結局自分の身に降りかからないことには無責任ということでしかない。
一人ひとりがもう少し、自らの社会的責任ということの思いをいたすべきではないだろうか。

消費税論議で不思議なのは、直接税中心主義が前面に出てこないことだ。
シャウプ税制以来、直接税中心主義は日本の税制民主主義の根幹をなしている。直接税中心主義は、所得に応じた税負担を、“民主主義を支える思想”として打ち出しているところに最大の特徴がある。

その際、高度累進性と法人税、資産課税をめぐっては、議論がある。

高度累進性に関しては、累進性ゼロでもよいのでは、という原理主義的提起もある。最高税率は50%程度に抑えて、むしろ寄付等に控除をかけて、それらの行為を促進するほうが、民主主義の概念に適合するのではないかというものである。
いずれにせよ「応能制」というのは不正確な表現で、積極的な納税=社会貢献の意欲を引き出すことは重要であろう。

法人税は所得税の前取りとされて位置づけられている。間接税としての性質もあり、直接税中心主義という観点からすれば王道ではない。法人というのは人格ではないから、法人税は、原理主義的に考えればゼロであってもおかしくない。

資産課税も同様であり、所得税あるいは取得税、相続税を払って手に入れた資産にふたたび課税するのは二重課税である。

これは本来、社会に投資され、還元されるべき富を退蔵することに対抗し、社会の防衛の立場から位置づけられるべきものかもしれない。

現在、消費税増税に対しては、①社会弱者への攻撃、②経済・景気への悪影響といった観点から批判が行われているが、法人税減税とセットにして税制のあり方から問う批判がなされるべきではないだろうか。

子供の頃、静岡の駅で列車を待っていると、東京からの夜行列車が停車した。10両編制くらいで真ん中に一両か2両、二等車という箱があって、うす緑(だったかな?クリーム色だったかな?)色の横線が車体を横切っていた。
我々庶民の乗る三等車より明るく、中に乗っている人が特別な人種のように華やいで見えた。
ましてたまに通る「つばめ」や「はと」など特急の一番後ろの一等車など、眼もくらむような存在だった。お召し列車が通る際は、先生に引率されて線路際に並び、合図とともに日の丸の小旗を振った記憶もある。もちろん顔など見えなかった。
「殿様」とか「上流階級」という人々は、その頃までは厳然かつ顕然と存在していたのである。

日本は二重社会だった。庶民の日本と、金持ちの日本が並立していた。そして金持ちの日本の論理が、日本を戦争へと突き進ませていったのだ。
その後の経済成長の中でこの二重性は覆い隠されていくようになる。三等車が普通車となり二等車はグリーン車となり、庶民にも手の届く贅沢となった。一等車はその思想そのものがなくなった。

土建屋の社長が首相になった。漁協の組合長が首相になった。

それがバブルの崩壊を経て、ふたたび階級社会に移行しつつある。金持ちと大企業は、もはや庶民のことを考えなくなった。まったく違う天上世界がそこには登場し、その世界の論理を日本の論理と考えるようになった。

原発、消費税、TPP、沖縄… どれをとっても、この構造の枠組みで考えるときわめて明快に見えてくる。

この構造を支える政治的ツールとして小選挙区制・二大政党制システムがある。政治の劣化とか制度疲労などといわれるが、このシステムはむしろ強化されていくだろう。

しかし、二重社会構造はそれを支える思想的ツールを持たない、という致命的弱点を内包している。かつての「天皇」に代わるシンボルがない。

だから必ず破綻する、ということは分かるが、破綻したあとにどのような政治世界が登場するのかが、我々にも不分明だ。

当面はフランス、アメリカの動きに注目していくことになるだろう。

たしかつばめは静岡は通過、はとだけ停車したように憶えている、
と思ったらやはりそうだった。
東海道本線・蒸気特急つばめ号の乗車記(1953年4月)         山本信雄
というページで下記の説明がある。

停車駅は京都、米原岐阜、 名古屋、浜松、沼津、横浜、東京。東京終着は17時です。
静岡は通過です。その代わり、昼に出発する「はと」号が、 浜松を通過する代わりに静岡に止まり、沼津を通過する代わりに熱海に止まります。


ウィキペディアより転載

原田靖博の内外金融雑感 が6月4日の記事でロンドン鯨事件を取り上げている。

ボルカールールとボルカー氏の思い、そしてJPMorganの巨額損失事件

と題するメモ形式の文章だ。私より一期上で東大、大蔵省、日銀という経歴。アメリカ駐在時にボルカーの薫陶を受けたという。

論評はボルカールールについての記載が主で、こちらは後で読むことにする。   JPMorganの巨額損失事件

巨額損失事件の概要

1.  JPMorganは、信用リスクをヘッジする目的で、ロンドンの投資統括室を通じてCDS商品に投資していた。しかし次第に信用リスク自体を市場で取引するようになった。

2. CDS商品の価格が、ギリシア情勢の混乱で、自らの判断とは逆の方向に動いたため、20億ドルの損失が発生した。その後の市場価格の変動によって損失は40億ドルに拡大する可能性もあるとされる。

3. 投資金額がCDS市場規模に比べ巨大化したため、情勢変化に機敏に対応しポジションを切替えることが出来なかった。

ここまでは、すでに報道で明らかであり、新たな情報はない。真相は「公表すると取引相手であるヘッジファンド等に攻勢を掛けられ損失額が拡大する惧れがあるので公開できない」という理由で明らかにされていない。しかしそれではすまないだろう。監督当局だけでなく、FRBやSECからも調査が入っている。さらに犯罪の有無をチェックするためFBIの捜査も入るとされている。(SEC調査のいい加減さは、ニューヨーク連邦地裁判決で糾弾されているが…)

本事件のボルカールール等への波及

オバマ大統領の発言は紹介済みだが、ハーバード大エリザベス・ウォーレン教授のコメントが紹介されている。

「ウォールストリートは、そのやり方を自分で変える心算はない。 従って、ワシントンが、監督の強化と説明責任の充実について真剣に取組む必要がある」

ボルカールールの施行規則は、FRB等の銀行監督当局と金融機関・業界団体等専門家との交渉に入っており、JPMorgan等大規模金融機関は既に自己勘定取引部門の閉鎖、ヘッジファンドの出資額の削減等の対応を開始している。


どうも最後の一文がうなずけない。そんな簡単な話ではないはずだが…

前半部分を読まないと、意味が分からないようだ。

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