鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

AALA関連記事は「aala_newsの編集日記」http://blog.livedoor.jp/aala_news/ に移りました(6Nov.2023) 中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 「ラテンアメリカの政治」(http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ )がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2012年04月

ファイル名が完全に日本語だから、youtubeではなくニコニコからのダウンロードかも知れない。昔は「ローマの泉」といったが、今ではこちらのほうが通例なのか。

 レスピーギの交響詩「ローマの噴水」で、女性アナウンサーの前口上が入るから、BBC放送のエアーチェックであることは間違いないが、NHKの平べったいライブ録音より良いみたいだ。

オーケストラの音というのは強くなるときに、ただ振幅が上がるだけではなく、厚くなるのである。もちろん人間の耳には限りがあるから全奏のときに一つ一つの楽器が聞こえるわけではない。しかし実際には一つ一つの楽器がそれぞれにフォルテッシモの音を出しているのである。

MP3など圧縮ソフトでは人間の耳には聞こえない音を切っている。そのことについて文句をいう人がいるが、それはあまり意味がないと思う。むしろ強奏の際に音が団子になってしまうことのほうがはるかに問題である。128kb以下では必発だ。

それを聞くほうの側で、「これはフルートの音とオーボエの音のハモったところに第一バイオリンがかぶさって出来た音だな」、などと想像しながら聞き分けていく努力がもとめられる。

音が団子になってしまってから、それがやたらと大音量で聞こえても、ただの雑音に過ぎない。ひたすらやかましいのだ。だから思わずボリュームを絞ってしまう。はなはだ興ざめである。

このローマの噴水は最強音でもうるさくない。dBがΣ(=A+B+C)で来るのではなくA+B+Cでそのまま来るのだ。これには感激する。

むかしフルトベングラーのバイロイト盤の第九を聞いた時、第4楽章で合唱が一段落してからトルコ行進曲が聞こえてくるまでのところがまったく聞こえなかった。そこを一生懸命に聴こうとするとスピーカーのコーンが壊れるくらいの大音量が発生し、台所のお袋がその瞬間に金切り声を上げたものだ。

はじめてCDを買ったのはこの演奏だった。1枚3900円だったと憶えている。とにかく音が聴こえるのだ! それにはつくづく感心した。それを聴いた瞬間に、「あぁ、LPの時代は終わったのだ」と一人ごちた思い出がある。

だからダイナミックレンジには落とし穴があるのである。

ファイル名が完全に日本語だから、youtubeではなくニコニコからのダウンロードかも知れない。昔は「ローマの泉」といったが、今ではこちらのほうが通例なのか。

 レスピーギの交響詩「ローマの噴水」で、女性アナウンサーの前口上が入るから、BBC放送のエアーチェックであることは間違いないが、NHKの平べったいライブ録音より良いみたいだ。

オーケストラの音というのは強くなるときに、ただ振幅が上がるだけではなく、厚くなるのである。もちろん人間の耳には限りがあるから全奏のときに一つ一つの楽器が聞こえるわけではない。しかし実際には一つ一つの楽器がそれぞれにフォルテッシモの音を出しているのである。

MP3など圧縮ソフトでは人間の耳には聞こえない音を切っている。そのことについて文句をいう人がいるが、それはあまり意味がないと思う。むしろ強奏の際に音が団子になってしまうことのほうがはるかに問題である。128kb以下では必発だ。

それを聞くほうの側で、「これはフルートの音とオーボエの音のハモったところに第一バイオリンがかぶさって出来た音だな」、などと想像しながら聞き分けていく努力がもとめられる。

音が団子になってしまってから、それがやたらと大音量で聞こえても、ただの雑音に過ぎない。ひたすらやかましいのだ。だから思わずボリュームを絞ってしまう。はなはだ興ざめである。

このローマの噴水は最強音でもうるさくない。dBがΣ(=A+B+C)で来るのではなくA+B+Cでそのまま来るのだ。これには感激する。

むかしフルトベングラーのバイロイト盤の第九を聞いた時、第4楽章で合唱が一段落してからトルコ行進曲が聞こえてくるまでのところがまったく聞こえなかった。そこを一生懸命に聴こうとするとスピーカーのコーンが壊れるくらいの大音量が発生し、台所のお袋がその瞬間に金切り声を上げたものだ。

はじめてCDを買ったのはこの演奏だった。1枚3900円だったと憶えている。とにかく音が聴こえるのだ! それにはつくづく感心した。それを聴いた瞬間に、「あぁ、LPの時代は終わったのだ」と一人ごちた思い出がある。

だからダイナミックレンジには落とし穴があるのである。

イ・ムジチのレスピーギ 「リュートのための古代舞曲とアリア」(第三組曲の第三曲)を聞いた。久しぶりだ。

音質だけで言ったら、これは相当落ちる。しかし音質なんかは問題ではない。

それがイ・ムジチのレスピーギ 「リュートのための古代舞曲とアリア」だ。

なぜかこの演奏からは戦争の匂いがする。1960年代の録音だから、もう戦争から15年経っているのに、この演奏はまるでレジスタンス青年へのレクイエムのように聞こえる。ベレエ帽をかぶってセピア色の写真から微笑みを投げかける兄へのレクイエムだ。

戦争の臭いのする演奏がもう一つある。ライナーの指揮するバルトークの弦・打・チェレスタのための音楽だ。

曲そのものが、ナチの弾圧を逃れアメリカに渡ったバルトークの曲で、迫り来る戦火の響を漂わせているが、ライナーはそれを直裁に抉り出す。これも60年前後の録音だ。

60年頃というのは、戦争のことなど思い出したくもなく無我夢中でやってきた人々が、戦争を忘れてはならないと思いなおした時期なのかもしれない。

イ・ムジチのレスピーギ 「リュートのための古代舞曲とアリア」(第三組曲の第三曲)を聞いた。久しぶりだ。

音質だけで言ったら、これは相当落ちる。しかし音質なんかは問題ではない。

それがイ・ムジチのレスピーギ 「リュートのための古代舞曲とアリア」だ。

なぜかこの演奏からは戦争の匂いがする。1960年代の録音だから、もう戦争から15年経っているのに、この演奏はまるでレジスタンス青年へのレクイエムのように聞こえる。ベレエ帽をかぶってセピア色の写真から微笑みを投げかける兄へのレクイエムだ。

戦争の臭いのする演奏がもう一つある。ライナーの指揮するバルトークの弦・打・チェレスタのための音楽だ。

曲そのものが、ナチの弾圧を逃れアメリカに渡ったバルトークの曲で、迫り来る戦火の響を漂わせているが、ライナーはそれを直裁に抉り出す。これも60年前後の録音だ。

60年頃というのは、戦争のことなど思い出したくもなく無我夢中でやってきた人々が、戦争を忘れてはならないと思いなおした時期なのかもしれない。

2月29日付朝日新聞(れんげ通信ブログ版より転載)

岩手県岩泉町の伊達勝身町長は、広域がれき処理について疑問を呈した。

現場からは納得できないことが多々ある。がれき処理もそうだ。あと2年で片付けるという政府の公約が危ぶまれているというが、無理して早く片付けなくてはいけないんだろうか。山にしておいて10年、20年かけて片付けた方が地元に金が落ち、雇用も発生する。

もともと使ってない土地がいっぱいあり、処理されなくても困らないのに、税金を青天井に使って全国に運び出す必要がどこにあるのか。
 

J-cast ニュースはこの報道をフォローしている。

一方、被災地中最も多い610万トン以上(当初)のがれきを抱えた宮城県石巻市の担当者にきくと、がれき処理の遅れは「足かせ」になっており、広域処理への協力を「お願いしたい」と強調した。

注意しておきたいのは、石巻や釜石ではまだ仮置き場への集約が半分に留まっていることだ。つまり、分別・焼却以前の段階にとどまっているということであり、移送を云々する段階にはまだ到達していないということだ。


ということで、地域によりかなりの温度差がある。ニュースは次のようにも指摘している。

広域処理予定(約400万トン)は、全体の約2割程度でしかないことから、処理の遅れの理由は広域処理が進まないこととは別にある、との指摘も出ている。東京新聞は3月20日付朝刊で、「被災地での処理体制を見直すのが先決ではないか」と指摘した。

つまり、けっこう怪しいのである。


ただ、地元の声としてこういう要望があることを無視してはいけないし(誘導されている可能性もあるにせよ)、放射能の問題を理由に拒絶するのは(100%の見当違いではないにせよ)、地元の人にとって良い気分ではないだろう。

瓦礫受け入れを被災地との連帯の踏み絵にする議論は避けるべきだが、反対論を唱える人たちも、いまだ被災地の周囲に未処理の瓦礫が積まれたままであることを念頭に置き、拒絶的なものの言い方にならないよう慎重であるべきだろうと思う。

これはでっち上げられた不毛な争点である。反対とか賛成とか言う前に、そもそも問題設定の胡散臭さ、背後に垣間見える利権の影を衝くべきだろう。

2月29日付朝日新聞(れんげ通信ブログ版より転載)

岩手県岩泉町の伊達勝身町長は、広域がれき処理について疑問を呈した。

現場からは納得できないことが多々ある。がれき処理もそうだ。あと2年で片付けるという政府の公約が危ぶまれているというが、無理して早く片付けなくてはいけないんだろうか。山にしておいて10年、20年かけて片付けた方が地元に金が落ち、雇用も発生する。

もともと使ってない土地がいっぱいあり、処理されなくても困らないのに、税金を青天井に使って全国に運び出す必要がどこにあるのか。
 

J-cast ニュースはこの報道をフォローしている。

一方、被災地中最も多い610万トン以上(当初)のがれきを抱えた宮城県石巻市の担当者にきくと、がれき処理の遅れは「足かせ」になっており、広域処理への協力を「お願いしたい」と強調した。

注意しておきたいのは、石巻や釜石ではまだ仮置き場への集約が半分に留まっていることだ。つまり、分別・焼却以前の段階にとどまっているということであり、移送を云々する段階にはまだ到達していないということだ。


ということで、地域によりかなりの温度差がある。ニュースは次のようにも指摘している。

広域処理予定(約400万トン)は、全体の約2割程度でしかないことから、処理の遅れの理由は広域処理が進まないこととは別にある、との指摘も出ている。東京新聞は3月20日付朝刊で、「被災地での処理体制を見直すのが先決ではないか」と指摘した。

つまり、けっこう怪しいのである。


ただ、地元の声としてこういう要望があることを無視してはいけないし(誘導されている可能性もあるにせよ)、放射能の問題を理由に拒絶するのは(100%の見当違いではないにせよ)、地元の人にとって良い気分ではないだろう。

瓦礫受け入れを被災地との連帯の踏み絵にする議論は避けるべきだが、反対論を唱える人たちも、いまだ被災地の周囲に未処理の瓦礫が積まれたままであることを念頭に置き、拒絶的なものの言い方にならないよう慎重であるべきだろうと思う。

これはでっち上げられた不毛な争点である。反対とか賛成とか言う前に、そもそも問題設定の胡散臭さ、背後に垣間見える利権の影を衝くべきだろう。


環境庁のホームページで見ると、
①全体の約4分の3について仮置場への搬入が完了した。 一次処理
②廃棄物処理施設での処理は7%にとどまる。 二次処理
③今後27基にのぼる仮設焼却炉が稼動する予定。
一日も早い復興に向け、岩手県では約57万トン、宮城県では約344万トンの広域処理が必要。
となっている。

つまり焼却炉が律速段階となっているということだ。
しかし27基の建設予定のうち実際に稼動開始したのは5基に留まる。ホームページの写真で見る限り、この設備は年余を要するような規模でもないし、それほど高額のものとも思えない。その気になれば1ヶ月で残り20数基を立ち上げるのは容易いのではないか。

復興に向けて急を要するのは瓦礫を撤去して仮置き場に集約する第一次処理で、その進捗状況が事態の緊急度を規定する。
復 興庁のホームページによると、仮置き場への搬入率は岩手で88%、宮城で74%となっている。この数字は釜石、石巻、松島の三市の遅れによるもので、これ を除けばほぼ完了しているといっていい。後はこの三市について周辺町村との交渉で仮置き場を確保すれば話はそれで終わりだ。

そのあとは、1,2年以内をメドとして両県合わせ400万トンの瓦礫を、仮焼却炉の処理能力で割れば何基の焼却炉が必要かは出てくる。話はそれほど難しくはない。その数字が出てから、感情論にならない話し合いをやればいい。そもそもそんなにもめる話ではないはずだ。

仮設焼却炉の処理能力は1日当たり100~150トンのようだ。年間にすると4万トンという計算になる。100基あれば1年で終わることになる。27基だと4年はたっぷりかかることになる。
1基あたりの金額は、これから調べてみる。


環境庁のホームページで見ると、
①全体の約4分の3について仮置場への搬入が完了した。 一次処理
②廃棄物処理施設での処理は7%にとどまる。 二次処理
③今後27基にのぼる仮設焼却炉が稼動する予定。
一日も早い復興に向け、岩手県では約57万トン、宮城県では約344万トンの広域処理が必要。
となっている。

つまり焼却炉が律速段階となっているということだ。
しかし27基の建設予定のうち実際に稼動開始したのは5基に留まる。ホームページの写真で見る限り、この設備は年余を要するような規模でもないし、それほど高額のものとも思えない。その気になれば1ヶ月で残り20数基を立ち上げるのは容易いのではないか。

復興に向けて急を要するのは瓦礫を撤去して仮置き場に集約する第一次処理で、その進捗状況が事態の緊急度を規定する。
復 興庁のホームページによると、仮置き場への搬入率は岩手で88%、宮城で74%となっている。この数字は釜石、石巻、松島の三市の遅れによるもので、これ を除けばほぼ完了しているといっていい。後はこの三市について周辺町村との交渉で仮置き場を確保すれば話はそれで終わりだ。

そのあとは、1,2年以内をメドとして両県合わせ400万トンの瓦礫を、仮焼却炉の処理能力で割れば何基の焼却炉が必要かは出てくる。話はそれほど難しくはない。その数字が出てから、感情論にならない話し合いをやればいい。そもそもそんなにもめる話ではないはずだ。

仮設焼却炉の処理能力は1日当たり100~150トンのようだ。年間にすると4万トンという計算になる。100基あれば1年で終わることになる。27基だと4年はたっぷりかかることになる。
1基あたりの金額は、これから調べてみる。

震災瓦礫の広域処理に対して全国各地で反対の声が上がっている。
その理由について調べてみた。
グーグルで検索したところ、みんな楽しくHappy♡がいい♪という沖縄の方のホームページがあり、そこに

誰にでも理解できる「瓦礫の広域処理が許されない12の理由」というのが載せられている。そのうち三つは「沖縄の場合」とされているので9つの理由ということになる。そのうち五つは放射能がらみのもので、宮城・岩手の場合には原則的には当てはまらない。ひとつは地方自治法違反という形式論理で、あまり説得力はない。クロムやアスベストの危険もおたがいさまだ。

こういう論理だと、理由を並べれば並べるほど、言い訳がましく聞こえるし、対立は感情的になってしまう。

問題は、瓦礫の広域処理は本当に必要なのか? 地元処理は本当に不可能なのか? ということではないか。私は「必要なら、不可能なら、受けるべきだ」という判断を打ち出すべきと思う。

なぜなら、どう考えても地元処理したほうがはるかに能率はいいと思うからだ。どうして地元処理できないのかがもう少し明らかにならないと、議論の土俵が出来上がらない。沖縄まで瓦礫を持ち込むということになると、さすがに金の臭いがしてくる。

そこで、「12の許されない理由」のうち、
(5)瓦礫の広域処理は国費から賄われ、被災者支援予算を圧迫する が唯一説得力を持つ。

岩手県岩泉町の伊達勝身町長が主張するように、
安全な瓦礫なら現地に仮設焼却炉を作るほうが経済的で、雇用の面から復興に役立ちます。
一方、危険な瓦礫なら、コンクリートで封じ込めるなどの対処法を考えるべきで、
遠方に運搬して汚染を拡大するべきではありません。
広域処理には膨大な輸送費や処理費がかかり、すべて国費からまかなわれます
それらの費用は、被災地に直接まわすほうが、より有効な支援になります。

たしかに費用計算をするまでもなく、例え焼却炉を建設したとしても、現地でやったほうが安上がりだ。現地でやれば雇用も生まれ、波及効果も生まれ、金が落ちる。場所がないとは言わせない。ほとんど限界集落だ。



震災瓦礫の広域処理に対して全国各地で反対の声が上がっている。
その理由について調べてみた。
グーグルで検索したところ、みんな楽しくHappy♡がいい♪という沖縄の方のホームページがあり、そこに

誰にでも理解できる「瓦礫の広域処理が許されない12の理由」というのが載せられている。そのうち三つは「沖縄の場合」とされているので9つの理由ということになる。そのうち五つは放射能がらみのもので、宮城・岩手の場合には原則的には当てはまらない。ひとつは地方自治法違反という形式論理で、あまり説得力はない。クロムやアスベストの危険もおたがいさまだ。

こういう論理だと、理由を並べれば並べるほど、言い訳がましく聞こえるし、対立は感情的になってしまう。

問題は、瓦礫の広域処理は本当に必要なのか? 地元処理は本当に不可能なのか? ということではないか。私は「必要なら、不可能なら、受けるべきだ」という判断を打ち出すべきと思う。

なぜなら、どう考えても地元処理したほうがはるかに能率はいいと思うからだ。どうして地元処理できないのかがもう少し明らかにならないと、議論の土俵が出来上がらない。沖縄まで瓦礫を持ち込むということになると、さすがに金の臭いがしてくる。

そこで、「12の許されない理由」のうち、
(5)瓦礫の広域処理は国費から賄われ、被災者支援予算を圧迫する が唯一説得力を持つ。

岩手県岩泉町の伊達勝身町長が主張するように、
安全な瓦礫なら現地に仮設焼却炉を作るほうが経済的で、雇用の面から復興に役立ちます。
一方、危険な瓦礫なら、コンクリートで封じ込めるなどの対処法を考えるべきで、
遠方に運搬して汚染を拡大するべきではありません。
広域処理には膨大な輸送費や処理費がかかり、すべて国費からまかなわれます
それらの費用は、被災地に直接まわすほうが、より有効な支援になります。

たしかに費用計算をするまでもなく、例え焼却炉を建設したとしても、現地でやったほうが安上がりだ。現地でやれば雇用も生まれ、波及効果も生まれ、金が落ちる。場所がないとは言わせない。ほとんど限界集落だ。



武雄市議会の議長が辞任したそうだ。
辞任の理由は「この2年間に江原議員と保守系無所属の議員に対し、あわせて2回懲罰を可決したことに責任をとる」というもの。
結果的に、武雄市民に海兵隊が殴りこみ部隊であることを認識してもらったことは大きな意義がある。
しかし、事実を知らせようとしないメディアとの闘いは始まったばかりだ。

この議長さん、ブログを開設していて、見たところバイク好きのネアカの体育会系とっちゃんだ。市長が陰険なデマを飛ばしているのとは対照的だ。
おおかた市長に「盟友」などとおだてられ、たぶらかされたのだろうが、これが怖い。
消防団のまじめな人たちがひとたびデマに踊らされれば、朝鮮人狩り、主義者狩りの殺人鬼となる。関東大震災の教訓だ。
好漢、自重せよ!

武雄市議会の議長が辞任したそうだ。
辞任の理由は「この2年間に江原議員と保守系無所属の議員に対し、あわせて2回懲罰を可決したことに責任をとる」というもの。
結果的に、武雄市民に海兵隊が殴りこみ部隊であることを認識してもらったことは大きな意義がある。
しかし、事実を知らせようとしないメディアとの闘いは始まったばかりだ。

この議長さん、ブログを開設していて、見たところバイク好きのネアカの体育会系とっちゃんだ。市長が陰険なデマを飛ばしているのとは対照的だ。
おおかた市長に「盟友」などとおだてられ、たぶらかされたのだろうが、これが怖い。
消防団のまじめな人たちがひとたびデマに踊らされれば、朝鮮人狩り、主義者狩りの殺人鬼となる。関東大震災の教訓だ。
好漢、自重せよ!

Trail Dog 0-1 sniffing around 

http://www.site-shara.net/traildog/

という、恐ろしくマニアックなサイトがあってアフガン問題をつぶさにフォローしている。とても読みきれないが、キアニを中心にパキスタンの大体の流れを追ってみる。


07年ムシャラフが大統領に選出された。このときムシャラフはキアニを後任の参謀長に指名している。

これはアメリカとの関連が強いキアニをすえることで、アメリカからの圧力を避けるという思惑もあったようだ。

キアニは就任前から国内のアルカイダ掃討作戦を仕切っていたが、就任後はアメリカの意を受け、作戦を強化した。

以下は07年10月、キアニがムシャラフ政権の下で軍参謀長(それまでムシャラフが兼任)に就任したときの記事。http://okigunnji.com/002/post_127.html

キヤニ大将は、タリバーン、アルカーイダとパキスタンの戦いの最前線に立ち、政治面でムシャラフ大統領を補佐してきた方です。八十年代と九十年代のブット政権では、二度にわたり大統領の副軍事補佐官を務めています。
今回の大統領選挙に当たっても、ブット女史といろいろ協議したようです。
「今回の選挙でムシャラフ氏が当選した最大の要因はキアニ中将の存在にある」という人もいます。

北西辺境州におけるタリバーン・アルカーイダ掃討作戦を通じて米国とパキスタンの接点となってきた方でもあり、米とパキスタンの良好な関係を作ってきたキーマンでもあります。


しかし当初は作戦が成功したように見えたものの、やがて戦闘はこう着状態に入り、出費は重くのしかかってきた。

一方では、パキスタン軍が多国籍軍の代理戦争を押し付けられた形になり、一方ではその戦争を支援するというかたちで多国籍軍の攻撃参加が押し付けられた。


08年9月、米国のマイケル・マレン統合参謀本部議長は、パキスタン領内の武装勢力の潜伏地域を攻撃する新戦略を明らかにした。

これはパキスタンの主権に対するあからさまな侵犯だ。キアニは多国籍軍の越境攻撃を非難し、「主権は死守されなければならない」と宣言した。

そもそも何のための戦争かといえば、アルカイダを駆逐するためだ。タリバンはアルカイダをかくまったというだけの話。気に入らないといっても抹殺する理由はない。

そこで、キアニはタリバンとアフガン政府の和平を実現することで、アルカイダの孤立を図ろうとした。

10年の6月、キアニはアフガンのカルザイ大統領と会談した。そして、タリバンの有力な一派で、“長い間パキスタンの盟友だった”ハッカーニの組織を政府内に取り込むように説得している。ハッカーニはアルカイダとの関係を断つ準備ができているとも語った。

キアニは同時にアメリカにもタリバンとの和解を持ちかけた。これはブッシュからオバマへの交代が和平の活発化に結びつくことを期待してのものだった。

しかし当初、提案を歓迎するかのようなポーズを示したオバマ政権に対し、米軍制服組が強烈に逆ねじを食わせた。

たしかにタリバン穏健派などという天使のような集団が存在する筈はない。強引に「天使」に仕立て上げようというだけの話だ。


11年9月、「天使」たちがしびれを切らして行動を起こした。ハッカニ・グループがカブールの米国大使館などをロケット弾で攻撃したのだ。

米国は激怒した。ムンター駐パキスタン大使は、「ハッカニグループとパキスタン政府との関係についての証拠がある」と吼えた。

マレン統合参謀本部議長は議会で、「パキスタン軍の情報機関ISIがハッカニを支援している」と証言した。米議会では、対パキスタン援助の全面停止論も持ち出された。

キアニは、「パキスタンがハッカニ・グループと関係があるとの発言は、事実に基づいておらず、とても残念」としらを切った。


アメリカの怖いのは、ただちに行動に移すことだ。

同じ9月には、ザルダリ政権がパキスタン軍によるクーデター阻止などを米軍首脳に要請したとされるメモ疑惑が発覚した。

クーデター阻止の要請というのは、米軍の侵攻を要請するということだ。

現に、5月に米コマンド部隊がパキスタン領内に侵入し、潜伏中のオサマ・ビン・ラディンを殺害したのは、侵略行為そのものだ。

降下先がキアニの家であったとしても何の不思議もない話である。


キアニはこのメモ疑惑で完全にプッツンした。

状況は破滅的だ。アフガン国境地帯で領土侵犯は日常茶飯事に行われている。それは下記の記事を見ても明らかだ。

パキスタン軍の報道官は、この3年間でNATO軍の攻撃により、パキスタンの兵士72名が死亡し、他250名が負傷したとしています。当局は、「これらの攻撃が故意によるものではなかった、とする言い訳は、一切認めない」と語りました。


今年1月、最高裁のチョードリー長官は、ザルダリ政権の要であるギラニ首相に出廷するよう命じた。最高裁といったってそんな権力があるわけではない。ザルダリ政権を縛りつけるためのキアニの差し金である。

「合法的」な装いをとってはいるものの、事実上のクーデターに近い効果を持っていると見てよい。

その上で、キアニは活発に動き始めた。温家宝首相と北京で会談、温家宝は「パキスタン政府と軍、人民が団結して努力し、困難に打ち勝つことができると信じている」と述べた。

そういう流れの上で、今回の対インド姿勢の転換がある。中国・インドとの関係を強化することで国の主権を守ろうとする路線が見えてきた。

問題は、この路線を国民が支持するか否かだが、過去の選挙で見る限り、軍政への嫌悪感が充満していることも間違いない。

この状況は、一見、パナマのノリエガ政権の末期にも似ている。しかしキアニはもっとまじめな男だと思う。

サイはすでに投げられた。行方を見守ろう。

Trail Dog 0-1 sniffing around 

http://www.site-shara.net/traildog/

という、恐ろしくマニアックなサイトがあってアフガン問題をつぶさにフォローしている。とても読みきれないが、キアニを中心にパキスタンの大体の流れを追ってみる。


07年ムシャラフが大統領に選出された。このときムシャラフはキアニを後任の参謀長に指名している。

これはアメリカとの関連が強いキアニをすえることで、アメリカからの圧力を避けるという思惑もあったようだ。

キアニは就任前から国内のアルカイダ掃討作戦を仕切っていたが、就任後はアメリカの意を受け、作戦を強化した。

以下は07年10月、キアニがムシャラフ政権の下で軍参謀長(それまでムシャラフが兼任)に就任したときの記事。http://okigunnji.com/002/post_127.html

キヤニ大将は、タリバーン、アルカーイダとパキスタンの戦いの最前線に立ち、政治面でムシャラフ大統領を補佐してきた方です。八十年代と九十年代のブット政権では、二度にわたり大統領の副軍事補佐官を務めています。
今回の大統領選挙に当たっても、ブット女史といろいろ協議したようです。
「今回の選挙でムシャラフ氏が当選した最大の要因はキアニ中将の存在にある」という人もいます。

北西辺境州におけるタリバーン・アルカーイダ掃討作戦を通じて米国とパキスタンの接点となってきた方でもあり、米とパキスタンの良好な関係を作ってきたキーマンでもあります。


しかし当初は作戦が成功したように見えたものの、やがて戦闘はこう着状態に入り、出費は重くのしかかってきた。

一方では、パキスタン軍が多国籍軍の代理戦争を押し付けられた形になり、一方ではその戦争を支援するというかたちで多国籍軍の攻撃参加が押し付けられた。


08年9月、米国のマイケル・マレン統合参謀本部議長は、パキスタン領内の武装勢力の潜伏地域を攻撃する新戦略を明らかにした。

これはパキスタンの主権に対するあからさまな侵犯だ。キアニは多国籍軍の越境攻撃を非難し、「主権は死守されなければならない」と宣言した。

そもそも何のための戦争かといえば、アルカイダを駆逐するためだ。タリバンはアルカイダをかくまったというだけの話。気に入らないといっても抹殺する理由はない。

そこで、キアニはタリバンとアフガン政府の和平を実現することで、アルカイダの孤立を図ろうとした。

10年の6月、キアニはアフガンのカルザイ大統領と会談した。そして、タリバンの有力な一派で、“長い間パキスタンの盟友だった”ハッカーニの組織を政府内に取り込むように説得している。ハッカーニはアルカイダとの関係を断つ準備ができているとも語った。

キアニは同時にアメリカにもタリバンとの和解を持ちかけた。これはブッシュからオバマへの交代が和平の活発化に結びつくことを期待してのものだった。

しかし当初、提案を歓迎するかのようなポーズを示したオバマ政権に対し、米軍制服組が強烈に逆ねじを食わせた。

たしかにタリバン穏健派などという天使のような集団が存在する筈はない。強引に「天使」に仕立て上げようというだけの話だ。


11年9月、「天使」たちがしびれを切らして行動を起こした。ハッカニ・グループがカブールの米国大使館などをロケット弾で攻撃したのだ。

米国は激怒した。ムンター駐パキスタン大使は、「ハッカニグループとパキスタン政府との関係についての証拠がある」と吼えた。

マレン統合参謀本部議長は議会で、「パキスタン軍の情報機関ISIがハッカニを支援している」と証言した。米議会では、対パキスタン援助の全面停止論も持ち出された。

キアニは、「パキスタンがハッカニ・グループと関係があるとの発言は、事実に基づいておらず、とても残念」としらを切った。


アメリカの怖いのは、ただちに行動に移すことだ。

同じ9月には、ザルダリ政権がパキスタン軍によるクーデター阻止などを米軍首脳に要請したとされるメモ疑惑が発覚した。

クーデター阻止の要請というのは、米軍の侵攻を要請するということだ。

現に、5月に米コマンド部隊がパキスタン領内に侵入し、潜伏中のオサマ・ビン・ラディンを殺害したのは、侵略行為そのものだ。

降下先がキアニの家であったとしても何の不思議もない話である。


キアニはこのメモ疑惑で完全にプッツンした。

状況は破滅的だ。アフガン国境地帯で領土侵犯は日常茶飯事に行われている。それは下記の記事を見ても明らかだ。

パキスタン軍の報道官は、この3年間でNATO軍の攻撃により、パキスタンの兵士72名が死亡し、他250名が負傷したとしています。当局は、「これらの攻撃が故意によるものではなかった、とする言い訳は、一切認めない」と語りました。


今年1月、最高裁のチョードリー長官は、ザルダリ政権の要であるギラニ首相に出廷するよう命じた。最高裁といったってそんな権力があるわけではない。ザルダリ政権を縛りつけるためのキアニの差し金である。

「合法的」な装いをとってはいるものの、事実上のクーデターに近い効果を持っていると見てよい。

その上で、キアニは活発に動き始めた。温家宝首相と北京で会談、温家宝は「パキスタン政府と軍、人民が団結して努力し、困難に打ち勝つことができると信じている」と述べた。

そういう流れの上で、今回の対インド姿勢の転換がある。中国・インドとの関係を強化することで国の主権を守ろうとする路線が見えてきた。

問題は、この路線を国民が支持するか否かだが、過去の選挙で見る限り、軍政への嫌悪感が充満していることも間違いない。

この状況は、一見、パナマのノリエガ政権の末期にも似ている。しかしキアニはもっとまじめな男だと思う。

サイはすでに投げられた。行方を見守ろう。

前回、パキスタンの記事を書いていて気になったのだが、日本で帝国陸軍の参謀総長というのは、偉いといえば偉いのだが、軍のヒエラルキーのトップというわけではない。鈴木壮六とか金谷範三などといわれても分かりません。

それが最高権力者のようにあつかわれているのはなぜか、気になってインターネットをあたってみた。

まずはこの記事

パキスタンに「軍政」への足音高まる 米国も認める「キアニ陸軍参謀長」

これは「選択」という雑誌のネット版。かなり長い記事だが、要約を紹介する。

①タリバンのテロ攻勢は、パキスタン領土内でも激しさを増してきた。

②ザルダリ大統領=ギラーニ首相の文民政権は、発足二年目に入って、早くも危機管理能力が問われはじめた。

③タリバンの勢力拡大に対する現政権の対応が限界に達した場合、軍事政権が登場するシナリオは十分ある。

軍には、国民から強い信頼を集める人物が存在している。アシュファク・キアニ陸軍参謀長だ。

⑤父はパンジャブ州の中級公務員。ムシャラフ前大統領と同様にジョージア州フォートベニングの陸軍歩兵学校に留学、米軍幹部との友好関係を持つ。

⑥軍情報機関(ISI)のトップにいた経験から、タリバンの内情に詳しく、米政府に対する影響力も強い。

キアニ参謀長 がいま注目されているのは、タリバンとの「一時停戦」という判断だ。

①ペシャワールの北八十キロにある北西辺境州(NWFP)の観光地、スワット渓谷では、タリバンの進出が目覚ましい。アルカーイダのテロリストもタリバンに変装して潜入しているとの情報もある。

②軍は監視ポストを設け、戦闘態勢に入ったが、戦況は一向に好転しない。タリバンは政府軍寄りの住民 を拘束し、見せしめのために殺害している。新婚旅行の名所とも言われた観光地は、殺戮の戦場と化してい る。

③地元州政府は昨年二月からタリバンと停戦交渉に入った。軍はこの地域での戦闘を一時見合わせ、州政府の停戦交渉を見守ることとした。

④アフガニスタンでNATO軍部隊が掃討作戦を展開する中、パキスタン側がタリバンとの交渉を始めたのは異例である。交渉の背後にキアニ参謀長がいることは疑いない。

⑤タリバン側は、「シャリア法を認めるなら停戦に応じる」という条件を出し、昨年4月、州政府はこれを受け入れた。ザルダリ大統領もこの協定に署名した。(タリバンの言う“シャリア法”は、 女子の労働や勉学の禁止など、女性の人権を侵害する前近代的なもの)

⑤キアニ参謀長のねらいは、タリバンの穏健派と武闘派を分断し、タリバンの陰に隠れるアルカーイダを「炙り出す」ことにある。オバマ政権もこの作戦を受け入れ、クリントン国務長官が「穏健派タリバン との交渉もありえる」と発言している。


Kiani で引いていたら下記のページがでてきた。

Tuk Tuk - Hadiqa Kiani

ボリウッド映画風の踊りが入って、軽い乗りで、ええです。

この動画のコメントが面白い。

Oh my god.Hadiqa went the bollywood route too. The indianization of Pakistani society is so sad and deplorable

察するに、パキスタン国内では相当の人気歌手のようです。いまだに片意地張っているが、インドの成功を妬んでいる国粋主義者から襲われなければよいが…

前回、パキスタンの記事を書いていて気になったのだが、日本で帝国陸軍の参謀総長というのは、偉いといえば偉いのだが、軍のヒエラルキーのトップというわけではない。鈴木壮六とか金谷範三などといわれても分かりません。

それが最高権力者のようにあつかわれているのはなぜか、気になってインターネットをあたってみた。

まずはこの記事

パキスタンに「軍政」への足音高まる 米国も認める「キアニ陸軍参謀長」

これは「選択」という雑誌のネット版。かなり長い記事だが、要約を紹介する。

①タリバンのテロ攻勢は、パキスタン領土内でも激しさを増してきた。

②ザルダリ大統領=ギラーニ首相の文民政権は、発足二年目に入って、早くも危機管理能力が問われはじめた。

③タリバンの勢力拡大に対する現政権の対応が限界に達した場合、軍事政権が登場するシナリオは十分ある。

軍には、国民から強い信頼を集める人物が存在している。アシュファク・キアニ陸軍参謀長だ。

⑤父はパンジャブ州の中級公務員。ムシャラフ前大統領と同様にジョージア州フォートベニングの陸軍歩兵学校に留学、米軍幹部との友好関係を持つ。

⑥軍情報機関(ISI)のトップにいた経験から、タリバンの内情に詳しく、米政府に対する影響力も強い。

キアニ参謀長 がいま注目されているのは、タリバンとの「一時停戦」という判断だ。

①ペシャワールの北八十キロにある北西辺境州(NWFP)の観光地、スワット渓谷では、タリバンの進出が目覚ましい。アルカーイダのテロリストもタリバンに変装して潜入しているとの情報もある。

②軍は監視ポストを設け、戦闘態勢に入ったが、戦況は一向に好転しない。タリバンは政府軍寄りの住民 を拘束し、見せしめのために殺害している。新婚旅行の名所とも言われた観光地は、殺戮の戦場と化してい る。

③地元州政府は昨年二月からタリバンと停戦交渉に入った。軍はこの地域での戦闘を一時見合わせ、州政府の停戦交渉を見守ることとした。

④アフガニスタンでNATO軍部隊が掃討作戦を展開する中、パキスタン側がタリバンとの交渉を始めたのは異例である。交渉の背後にキアニ参謀長がいることは疑いない。

⑤タリバン側は、「シャリア法を認めるなら停戦に応じる」という条件を出し、昨年4月、州政府はこれを受け入れた。ザルダリ大統領もこの協定に署名した。(タリバンの言う“シャリア法”は、 女子の労働や勉学の禁止など、女性の人権を侵害する前近代的なもの)

⑤キアニ参謀長のねらいは、タリバンの穏健派と武闘派を分断し、タリバンの陰に隠れるアルカーイダを「炙り出す」ことにある。オバマ政権もこの作戦を受け入れ、クリントン国務長官が「穏健派タリバン との交渉もありえる」と発言している。


Kiani で引いていたら下記のページがでてきた。

Tuk Tuk - Hadiqa Kiani

ボリウッド映画風の踊りが入って、軽い乗りで、ええです。

この動画のコメントが面白い。

Oh my god.Hadiqa went the bollywood route too. The indianization of Pakistani society is so sad and deplorable

察するに、パキスタン国内では相当の人気歌手のようです。いまだに片意地張っているが、インドの成功を妬んでいる国粋主義者から襲われなければよいが…

率直に言って、南アジアと中東の平和にとってパキスタン軍部の“膨張主義”は重大な障害となってきた。
たしかにイスラム教徒は旧インドにおける被抑圧階層であり、その被害者意識も理解できないではない。
しかしそれが裏返しの“ミニ大国主義”として表現されるのを合理化することは出来ない。結局のところそれが大国の介入を招き、パキスタンの経済発展の遅れをもたらしたのも明らかである。

そのパキスタン軍部に、このところ転換への兆しが見え始めた。まだはっきりとした路線として打ち出されたわけではないが、ふたつの報道にそれが垣間見える。

ひとつはカシミールの山岳地帯での雪崩で駐屯部隊が生き埋めになった事件である。現場を視察に訪れたキアニ参謀総長は、「印パ両軍がこの地域から部隊を撤退させるべきだ。領有権問題は両国のリーダーシップにかかっている」と語った。
これは最近進んでいる首脳間対話を後押しするものだが、軍トップがこれほどはっきりと意思表明したことの意義は大きい。
数年前のムンバイでの決死隊による武装作戦は、印パ政府の宥和を嫌ったパキスタン軍部の差し金であったことが明らかになっている。
この記者会見ではキアニ参謀総長はさらに踏み込んだ発言を行っている。
「人々の福祉に努力を集中させるためには、両国の平和的共存が重要だ。国防支出は減らすほうがいい」


しかしこのことが分かるまでに、軍部はどれだけ国民に負担を強いたことだろうか。かたやインドがBRICSの一員として経済発展を遂げ、国際社会に重みを増しているのに引き換え、パキスタンはいまや最貧国の仲間入り寸前の有様だ。

インドと対抗するために中国に近寄り、その次はアメリカに摺りより、アフガンを影響下に入れようとし、いまは米軍とタリバンの板ばさみにあって身動きが取れなくなっている。



もう一つの報道は、インドの新型長距離ミサイル実験に関する政府発言。

19日、パキスタン外務省報道官は、「インドは実験前に連絡をしてきた」と評価し、特段問題視しない考えを示しました。
インドと過去に三度戦火を交えたパキスタンとしては異例の抑制した反応となりました。

これは軍の了解があってのことだろうが、それにしても信じられないほどの“抑制”振りである。

もちろん、タリバンとの関係というもう一つの大問題を抱えているパキスタン軍部だが、そのうちさらに大きな変更が登場してくるかもしれない。
期待を持って見守って行きたい。

率直に言って、南アジアと中東の平和にとってパキスタン軍部の“膨張主義”は重大な障害となってきた。
たしかにイスラム教徒は旧インドにおける被抑圧階層であり、その被害者意識も理解できないではない。
しかしそれが裏返しの“ミニ大国主義”として表現されるのを合理化することは出来ない。結局のところそれが大国の介入を招き、パキスタンの経済発展の遅れをもたらしたのも明らかである。

そのパキスタン軍部に、このところ転換への兆しが見え始めた。まだはっきりとした路線として打ち出されたわけではないが、ふたつの報道にそれが垣間見える。

ひとつはカシミールの山岳地帯での雪崩で駐屯部隊が生き埋めになった事件である。現場を視察に訪れたキアニ参謀総長は、「印パ両軍がこの地域から部隊を撤退させるべきだ。領有権問題は両国のリーダーシップにかかっている」と語った。
これは最近進んでいる首脳間対話を後押しするものだが、軍トップがこれほどはっきりと意思表明したことの意義は大きい。
数年前のムンバイでの決死隊による武装作戦は、印パ政府の宥和を嫌ったパキスタン軍部の差し金であったことが明らかになっている。
この記者会見ではキアニ参謀総長はさらに踏み込んだ発言を行っている。
「人々の福祉に努力を集中させるためには、両国の平和的共存が重要だ。国防支出は減らすほうがいい」


しかしこのことが分かるまでに、軍部はどれだけ国民に負担を強いたことだろうか。かたやインドがBRICSの一員として経済発展を遂げ、国際社会に重みを増しているのに引き換え、パキスタンはいまや最貧国の仲間入り寸前の有様だ。

インドと対抗するために中国に近寄り、その次はアメリカに摺りより、アフガンを影響下に入れようとし、いまは米軍とタリバンの板ばさみにあって身動きが取れなくなっている。



もう一つの報道は、インドの新型長距離ミサイル実験に関する政府発言。

19日、パキスタン外務省報道官は、「インドは実験前に連絡をしてきた」と評価し、特段問題視しない考えを示しました。
インドと過去に三度戦火を交えたパキスタンとしては異例の抑制した反応となりました。

これは軍の了解があってのことだろうが、それにしても信じられないほどの“抑制”振りである。

もちろん、タリバンとの関係というもう一つの大問題を抱えているパキスタン軍部だが、そのうちさらに大きな変更が登場してくるかもしれない。
期待を持って見守って行きたい。

文章がどこに行ったか分からなくなり、仕方なくカテゴリー分けを始めました。
新しいものから順番に初めて、今は11月分まで来ています。週末に作業します。
独立した文章にすべきものは、おいおいホームページのほうに転載していきたいと思います。
それまでのあいだ御不便おかけすることになると思いますが、よろしくお願いいたします

文章がどこに行ったか分からなくなり、仕方なくカテゴリー分けを始めました。
新しいものから順番に初めて、今は11月分まで来ています。週末に作業します。
独立した文章にすべきものは、おいおいホームページのほうに転載していきたいと思います。
それまでのあいだ御不便おかけすることになると思いますが、よろしくお願いいたします

山田記者の署名入りで「多国籍企業と国際社会」という連載が始まった。

本日の柱は二つで、まず多国籍企業をめぐる数字。UNCTADから拾っている。
①多国籍企業は8万社、その子会社は80万社。
②多国籍企業の生産する付加価値は2010年で16兆ドル。世界GDP総計の25%を占める。
これらの数字は基準の決め方しだいでどうにでも変わるもの。一応UNCTADに敬意を表しておこう。

もうひとつは、国連の多国籍企業の「企業活動と人権に関する基本指針」作りの紹介。
①世界人権宣言、国際人権規約、「労働基本権に関するILO」宣言を最低限のラインとする。
②この指針はTPPはFTPなど各種の貿易協定などに優先する。

ということだが、これはそもそも流産したITOの精神だ(UNCTADはITOの流れを汲んでいる)。

山田記者の署名入りで「多国籍企業と国際社会」という連載が始まった。

本日の柱は二つで、まず多国籍企業をめぐる数字。UNCTADから拾っている。
①多国籍企業は8万社、その子会社は80万社。
②多国籍企業の生産する付加価値は2010年で16兆ドル。世界GDP総計の25%を占める。
これらの数字は基準の決め方しだいでどうにでも変わるもの。一応UNCTADに敬意を表しておこう。

もうひとつは、国連の多国籍企業の「企業活動と人権に関する基本指針」作りの紹介。
①世界人権宣言、国際人権規約、「労働基本権に関するILO」宣言を最低限のラインとする。
②この指針はTPPはFTPなど各種の貿易協定などに優先する。

ということだが、これはそもそも流産したITOの精神だ(UNCTADはITOの流れを汲んでいる)。

消費税が結局法人税減税の財源として使われるということは、大まかな数字としては確認済みだが、本日の赤旗で数字が載せられていたので、メモとして残しておく。

①政府の消費税増税案では、消費税増税で13.5兆円の税収増。
②このうち社会保障の拡充に回されるのは2.7兆円。
③一体改革による社会保障の減額分は2.7兆円以上。

消費税が結局法人税減税の財源として使われるということは、大まかな数字としては確認済みだが、本日の赤旗で数字が載せられていたので、メモとして残しておく。

①政府の消費税増税案では、消費税増税で13.5兆円の税収増。
②このうち社会保障の拡充に回されるのは2.7兆円。
③一体改革による社会保障の減額分は2.7兆円以上。

Fukui Shimbun Online

 大飯原発の地元の福井新聞が意欲的な特集を連発している。本文を見ていただければよいのだが、私なりにまとめてみる。

18日の特集は「規制庁なしの原発再稼動に懸念 保安院、安全委員会の旧体制存続」と題されている。

規制庁が再稼動をめぐる議論の一つの焦点として浮上していることを意識したものだ。

ひとつは、地元の意見として、原子力安全規制の機関を確立することを、協力の前提として突きつけられたことである。福井新聞の報道から。

福井県敦賀市の河瀬一治市長は9日、全国原子力発電所所在市町村協議会長として原子力規制庁の早期発足などを国に要請した。自らの姿勢は「規制庁が立ち上がらないと再稼働の議論の土俵には乗れない」とさらに厳しい。

もうひとつは、安全委の班目春樹委員長の発言だ。業界紙の電気新聞は、19日の紙面で「再稼働、見えぬ“大飯後” 原子力安全委がネックに」と報道している。

政府は当初、大飯3、4号機、伊方3号機の3基を先行プラントと位置付け、再稼働に向けた審査を進めてきた。 保安院は大飯3、4号機に続き、伊方3号機のストレステストの審査を終えており、本来なら今月にも伊方3号機に関する安全委の安全確認が始まるはずだった。

しかし安全委の班目春樹委員長は今月5日の会見で、原子力規制庁の発足時期がみえず、十分な検証時間を確保できる保証がないことなどを理由に審議入りに否定的な見解を表明。 安全委がボトルネックとなり、事実上、再稼働プロセスが停止している状況だ。

いわば「規制庁」を人質にしたわけだ。やるじゃないか、班目君。

そこで原子力規制庁設置をめぐる経過。福井新聞から拾ってみる。

わかさ東商工会の野瀬成夫会長は「保安院の説明を住民はあまり信用できなくなっている」と立地地域の不安を代弁する。安全規制を担う保安院が原発を推進する経産省の傘下にある体制は、従来も疑問視されていた。昨年6月、保安院は緊急安全対策と過酷事故対策のみで安全上支障がないと説明。再稼働ありきのような姿勢に、県会からは「ブレーキのはずがアクセルだった」と批判が相次いだ。

政府は、新たな規制組織として環境省の外局にする方針だが、関連法案はいまだ国会で審議に入っておらず、4月1日を目指していた発足は大幅にずれ込む見通し。再編されるはずだった経済産業省原子力安全・保安院と原子力安全委員会がずるずる存続している。

私も不勉強で、もうとうに保安院は環境庁に移っていたと思ったが、まだ審議にも入っていないというのには驚いた。このほか国会でたなざらしとなっている関連法案には、原発運転期間の原則40年制限や、最新知見を既存原発に反映させるバックフィット制度、過酷事故対策の義務付けを盛った原子炉等規制法も含まれているそうだ。

福井新聞によれば

最大の論点は、新組織の在り方として、政府からの独立性に重きを置くのか、それとも緊急時の政府の指示権、関与を重視するのか、だ。

新聞で判断する限りは、自民党が正しい。

自民党は「政府からのより高い独立性の担保」をもとめている。しかし政府(細野豪志原発事故担当相)は、

「あれだけの事故全体の責任を政治が負わなくてどうするのか」と反論。「内閣の責任の下で適切な危機管理ができる体制が望ましい」と強調した。

これにも一分の理はある。つまりレベルの違う想定の下に議論をしているわけだ。これは議論を通じて解決できる性質の対立だ。少なくともこの対立が原因で審議にすら入れないというのは、両派にまじめさが欠けていることの証明である。

独立性の問題に関して、福井新聞は貴重な提起を行っている。

規制庁準備室が「福島の事故を踏まえ、より現場を重視」と言うように、立地自治体の視点をいかに反映し、住民の安心につなげられるかは、「独立性」以上に大きな課題だ。

もう一つの対立が人事権。福井新聞によれば、

政府案は、環境相が規制庁長官を任命する。一方、自民党案は、規制庁の人事を環境省から独立させる。また、環境省には専門知識の蓄積がないため、多数の職員が保安院から横滑りする見通し。政府は出身省庁に戻さない「ノーリター ン・ルール」を適用する考えだ。

と、ここまでは一致するが、政府が「ノーリター ン・ルール」を一定の役職以上の幹部に限定するのに対し、自民党は全職員を対象にすべきだと主張している。

こんなことが対決点なのかよ! ふざけるな!

Fukui Shimbun Online

 大飯原発の地元の福井新聞が意欲的な特集を連発している。本文を見ていただければよいのだが、私なりにまとめてみる。

18日の特集は「規制庁なしの原発再稼動に懸念 保安院、安全委員会の旧体制存続」と題されている。

規制庁が再稼動をめぐる議論の一つの焦点として浮上していることを意識したものだ。

ひとつは、地元の意見として、原子力安全規制の機関を確立することを、協力の前提として突きつけられたことである。福井新聞の報道から。

福井県敦賀市の河瀬一治市長は9日、全国原子力発電所所在市町村協議会長として原子力規制庁の早期発足などを国に要請した。自らの姿勢は「規制庁が立ち上がらないと再稼働の議論の土俵には乗れない」とさらに厳しい。

もうひとつは、安全委の班目春樹委員長の発言だ。業界紙の電気新聞は、19日の紙面で「再稼働、見えぬ“大飯後” 原子力安全委がネックに」と報道している。

政府は当初、大飯3、4号機、伊方3号機の3基を先行プラントと位置付け、再稼働に向けた審査を進めてきた。 保安院は大飯3、4号機に続き、伊方3号機のストレステストの審査を終えており、本来なら今月にも伊方3号機に関する安全委の安全確認が始まるはずだった。

しかし安全委の班目春樹委員長は今月5日の会見で、原子力規制庁の発足時期がみえず、十分な検証時間を確保できる保証がないことなどを理由に審議入りに否定的な見解を表明。 安全委がボトルネックとなり、事実上、再稼働プロセスが停止している状況だ。

いわば「規制庁」を人質にしたわけだ。やるじゃないか、班目君。

そこで原子力規制庁設置をめぐる経過。福井新聞から拾ってみる。

わかさ東商工会の野瀬成夫会長は「保安院の説明を住民はあまり信用できなくなっている」と立地地域の不安を代弁する。安全規制を担う保安院が原発を推進する経産省の傘下にある体制は、従来も疑問視されていた。昨年6月、保安院は緊急安全対策と過酷事故対策のみで安全上支障がないと説明。再稼働ありきのような姿勢に、県会からは「ブレーキのはずがアクセルだった」と批判が相次いだ。

政府は、新たな規制組織として環境省の外局にする方針だが、関連法案はいまだ国会で審議に入っておらず、4月1日を目指していた発足は大幅にずれ込む見通し。再編されるはずだった経済産業省原子力安全・保安院と原子力安全委員会がずるずる存続している。

私も不勉強で、もうとうに保安院は環境庁に移っていたと思ったが、まだ審議にも入っていないというのには驚いた。このほか国会でたなざらしとなっている関連法案には、原発運転期間の原則40年制限や、最新知見を既存原発に反映させるバックフィット制度、過酷事故対策の義務付けを盛った原子炉等規制法も含まれているそうだ。

福井新聞によれば

最大の論点は、新組織の在り方として、政府からの独立性に重きを置くのか、それとも緊急時の政府の指示権、関与を重視するのか、だ。

新聞で判断する限りは、自民党が正しい。

自民党は「政府からのより高い独立性の担保」をもとめている。しかし政府(細野豪志原発事故担当相)は、

「あれだけの事故全体の責任を政治が負わなくてどうするのか」と反論。「内閣の責任の下で適切な危機管理ができる体制が望ましい」と強調した。

これにも一分の理はある。つまりレベルの違う想定の下に議論をしているわけだ。これは議論を通じて解決できる性質の対立だ。少なくともこの対立が原因で審議にすら入れないというのは、両派にまじめさが欠けていることの証明である。

独立性の問題に関して、福井新聞は貴重な提起を行っている。

規制庁準備室が「福島の事故を踏まえ、より現場を重視」と言うように、立地自治体の視点をいかに反映し、住民の安心につなげられるかは、「独立性」以上に大きな課題だ。

もう一つの対立が人事権。福井新聞によれば、

政府案は、環境相が規制庁長官を任命する。一方、自民党案は、規制庁の人事を環境省から独立させる。また、環境省には専門知識の蓄積がないため、多数の職員が保安院から横滑りする見通し。政府は出身省庁に戻さない「ノーリター ン・ルール」を適用する考えだ。

と、ここまでは一致するが、政府が「ノーリター ン・ルール」を一定の役職以上の幹部に限定するのに対し、自民党は全職員を対象にすべきだと主張している。

こんなことが対決点なのかよ! ふざけるな!

自宅の奥様用パソコンが壊れて、私のパソコンが持ち出された。したがって家では読書するしかない。つんどく本を消化するチャンスだ。

まず末廣昭著「タイ: 開発と民主主義」。岩波新書で93年発行だ。第1刷としか書いてないから発刊早々に買ったもののようだ。

いい本だ。古いけれど最近の流れまで分かる。

タイといえば、何といっても時代錯誤のクーデターが平気で起きる国としてミラクルだ。しかも国王が戦前の天皇みたいな権威を持っていて、クーデターの背後にはつねに国王がいるという構図も信じがたい。

しかも周囲のASEAN諸国がまるで腫れ物にでも触れるように沈黙を守る。かりそめにもクーデターですよ。それなのにアメリカも日本も非難したことがない。あれだけビルマには文句言っているのに、ダブル・スタンダードじゃぁありませんか。白黒はっきりさせるべき日本共産党も、ことタイに限っては煮え切らない。

そういうウツウツとした気分は、この本を読むとだいぶ取れる。しかしなお取れない部分もある、というのが率直なところです。

自宅の奥様用パソコンが壊れて、私のパソコンが持ち出された。したがって家では読書するしかない。つんどく本を消化するチャンスだ。

まず末廣昭著「タイ: 開発と民主主義」。岩波新書で93年発行だ。第1刷としか書いてないから発刊早々に買ったもののようだ。

いい本だ。古いけれど最近の流れまで分かる。

タイといえば、何といっても時代錯誤のクーデターが平気で起きる国としてミラクルだ。しかも国王が戦前の天皇みたいな権威を持っていて、クーデターの背後にはつねに国王がいるという構図も信じがたい。

しかも周囲のASEAN諸国がまるで腫れ物にでも触れるように沈黙を守る。かりそめにもクーデターですよ。それなのにアメリカも日本も非難したことがない。あれだけビルマには文句言っているのに、ダブル・スタンダードじゃぁありませんか。白黒はっきりさせるべき日本共産党も、ことタイに限っては煮え切らない。

そういうウツウツとした気分は、この本を読むとだいぶ取れる。しかしなお取れない部分もある、というのが率直なところです。

これには各界から多くの疑問が出された。その結果、4月13日に修正案が提示された。

これを受け、4月13日夜の関係閣僚会合は大飯原発の安全性を最終確認し、再稼働することが妥当だと判断した。

というのが経過。

この本線とは別に政府は4月11日、国家戦略室の「エネルギー・環境会議」のなかに「各電力会社が申告している電力需給見通しを審査する有識者会議」を新設する方針を決めた。これにより電力見通しがさらに修正される可能性もある。(枝野大臣の発言を聞くと“聞き置く”程度らしいが)

①火力: 積み増し困難。

②緊急設置電源: 積み増し困難。

③一般水力: 11万kW増。

④揚水: 21万kW増

⑥自家発電からの購入: 5万kWの積み上げ

以上を足すと、平均16.0%の不足、昨年実績比5.5%の不足となった。

赤旗の7.6%という数字は、第一次案で昨年実績比の数字である。つまり第二次案5.5%、ニッセイ基礎研究所試算の3.9%という三つの数字が提起されていることになる。


基本料金を割り引く代わりに、ピーク時間帯の使用電力を削減できる「需給調整契約」が88万Kw以上ある(河野太郎ブログ)。

これには各界から多くの疑問が出された。その結果、4月13日に修正案が提示された。

これを受け、4月13日夜の関係閣僚会合は大飯原発の安全性を最終確認し、再稼働することが妥当だと判断した。

というのが経過。

この本線とは別に政府は4月11日、国家戦略室の「エネルギー・環境会議」のなかに「各電力会社が申告している電力需給見通しを審査する有識者会議」を新設する方針を決めた。これにより電力見通しがさらに修正される可能性もある。(枝野大臣の発言を聞くと“聞き置く”程度らしいが)

①火力: 積み増し困難。

②緊急設置電源: 積み増し困難。

③一般水力: 11万kW増。

④揚水: 21万kW増

⑥自家発電からの購入: 5万kWの積み上げ

以上を足すと、平均16.0%の不足、昨年実績比5.5%の不足となった。

赤旗の7.6%という数字は、第一次案で昨年実績比の数字である。つまり第二次案5.5%、ニッセイ基礎研究所試算の3.9%という三つの数字が提起されていることになる。


基本料金を割り引く代わりに、ピーク時間帯の使用電力を削減できる「需給調整契約」が88万Kw以上ある(河野太郎ブログ)。

案の定、関電試算への反論が出てきた。
民間シンクタンクのニッセイ基礎研究所の発表したレポートによれば、関西圏でこの夏、最大電力需要に対し、供給力は3.9%の不足。
ただしこれは他電力会社からの融通や節電などにより回避可能との判断を示している。
政府試算は7.6%不足としているから、その半分。
レポートは下記のように追討ちしている。

懸念されるのは、電力不足そのものよりも、むしろ電力供給に関する正確な情報が提供されないことだ。
控えめな供給力見通しで、ヤミクモに国民の不安をあおるのではなく、正確な供給力見通しを、できるだけ早期に示すべきだ。


案の定、関電試算への反論が出てきた。
民間シンクタンクのニッセイ基礎研究所の発表したレポートによれば、関西圏でこの夏、最大電力需要に対し、供給力は3.9%の不足。
ただしこれは他電力会社からの融通や節電などにより回避可能との判断を示している。
政府試算は7.6%不足としているから、その半分。
レポートは下記のように追討ちしている。

懸念されるのは、電力不足そのものよりも、むしろ電力供給に関する正確な情報が提供されないことだ。
控えめな供給力見通しで、ヤミクモに国民の不安をあおるのではなく、正確な供給力見通しを、できるだけ早期に示すべきだ。


「ルワンダ中央銀行総裁日記」をもう一度読む

学生時代に読んだ記憶がある。すでにマルクスやレーニンをかじっていた時代だったが、印象は鮮烈だった。ある意味で「ガリバー旅行記」であり、最初の読後感もSF的な爽快感だったような気がする。しかしその感じとは別に、合理性を失わない立ち位置の強靭さ、マクロな視野と生データで判断する姿勢、「誰のために?何のために?」という絶えざる問い返しは、何時までも私の脳裏に焼きついて離れなかった。

最近、経済問題の首を突っ込むようになって、いろいろ頭をめぐらせていると、ふとこの本のことが思い浮かぶようになった。あの本はルワンダのことを書いているのではなくて、世界のいろいろの国のことを書いているのではないか。あれは日記の形を取っているが、途上国のさまざまな経験を織り込んだフィクションなのではないか、そういう意味での「ガリバー旅行記」ではないか、そんな気もしてきた。

とくにブラジルの「民主化の歴史」を書いていて、これは結局「ルワンダ」の焼き直しなのではないか、と思うようになり、書棚をかき回したのである。

一晩で読みきった。しかし次の日は1時間も寝過ごして遅刻する羽目になった。

40年後のいま読み直しても、これは名著である。むしろいまだからこそ余計、名著になっている。世界は服部正也氏が主張した方向ではなく、そうなるべきではないと主張した方向へと動いてきた。その結果がかくのごとき有様である。そういう眼でもう一度40年前のスタートラインに戻るのもありうるのかもしれない。

ただ、その間に40年の歳月が流れているので、私の読み方も変わっているかも知れない。以前はこの本の後半部分、農業重視の自力更生路線が魅力的だった。今回はこの部分はいささか自画自賛の趣がないでもない。むしろインパクトを与えるのは前半部分、平価切下げに向けての諸準備とIMFや銀行筋との丁丁発止のやり取りだ。あいまに政府機構の建て直しをやっていく。このあたりはノウハウとしても大いに参考になるところ。

この40年間、世界は大いなる失敗をしでかしてきた。一番大きいのはIMF・世銀を尖兵とするネオリベラリズムの失敗だ。しかもいまだにその失敗は克服されていない。それどころか、失敗だったという認識もいまだ世界に共有されているとは言いがたい。

もうひとつは左翼の側の責任である。グローバリゼーションはネオリベラリズムとイコールではない。これは大方の認識だ。しかしどこまでがグローバリズムの必然として受容すべきか、どの点をネオリベラリズムとして峻拒すべきかの境界は必ずしも明らかではない。当然のことながら、その境界はどういう原理によって引かれるべきなのかも理論構築されてはいない。

モスクワ追従派の共産党の大方は消え去った。そのほとんどは社会民主主義にスタンスを移し、ネオリベラリズムを無原則的に受け入れている。労働者政党は既得権益確保と、独占資本の擁護のあいだを揺れ動いている。ラテンアメリカでも一時はレノバシオニスタ、文字通りの修正主義者が幅を利かせた。しかし21世紀に入ってベネズエラを先頭に各国政府が軒並み左翼化するに及んで、この問題にも一定の結論が出ようとしている。

私にはそれを定式化できるような能力はないが、とりあえずブラジルの闘いの記述を通じて、いささかの示唆は出来たのではないかと考えている。あとはこれらの事実を資本論第三部と結びつけながら整序していく作業が残されている。それは私の仕事ではないが、魅力のある作業ではある。

「ルワンダ中央銀行総裁日記」をもう一度読む

学生時代に読んだ記憶がある。すでにマルクスやレーニンをかじっていた時代だったが、印象は鮮烈だった。ある意味で「ガリバー旅行記」であり、最初の読後感もSF的な爽快感だったような気がする。しかしその感じとは別に、合理性を失わない立ち位置の強靭さ、マクロな視野と生データで判断する姿勢、「誰のために?何のために?」という絶えざる問い返しは、何時までも私の脳裏に焼きついて離れなかった。

最近、経済問題の首を突っ込むようになって、いろいろ頭をめぐらせていると、ふとこの本のことが思い浮かぶようになった。あの本はルワンダのことを書いているのではなくて、世界のいろいろの国のことを書いているのではないか。あれは日記の形を取っているが、途上国のさまざまな経験を織り込んだフィクションなのではないか、そういう意味での「ガリバー旅行記」ではないか、そんな気もしてきた。

とくにブラジルの「民主化の歴史」を書いていて、これは結局「ルワンダ」の焼き直しなのではないか、と思うようになり、書棚をかき回したのである。

一晩で読みきった。しかし次の日は1時間も寝過ごして遅刻する羽目になった。

40年後のいま読み直しても、これは名著である。むしろいまだからこそ余計、名著になっている。世界は服部正也氏が主張した方向ではなく、そうなるべきではないと主張した方向へと動いてきた。その結果がかくのごとき有様である。そういう眼でもう一度40年前のスタートラインに戻るのもありうるのかもしれない。

ただ、その間に40年の歳月が流れているので、私の読み方も変わっているかも知れない。以前はこの本の後半部分、農業重視の自力更生路線が魅力的だった。今回はこの部分はいささか自画自賛の趣がないでもない。むしろインパクトを与えるのは前半部分、平価切下げに向けての諸準備とIMFや銀行筋との丁丁発止のやり取りだ。あいまに政府機構の建て直しをやっていく。このあたりはノウハウとしても大いに参考になるところ。

この40年間、世界は大いなる失敗をしでかしてきた。一番大きいのはIMF・世銀を尖兵とするネオリベラリズムの失敗だ。しかもいまだにその失敗は克服されていない。それどころか、失敗だったという認識もいまだ世界に共有されているとは言いがたい。

もうひとつは左翼の側の責任である。グローバリゼーションはネオリベラリズムとイコールではない。これは大方の認識だ。しかしどこまでがグローバリズムの必然として受容すべきか、どの点をネオリベラリズムとして峻拒すべきかの境界は必ずしも明らかではない。当然のことながら、その境界はどういう原理によって引かれるべきなのかも理論構築されてはいない。

モスクワ追従派の共産党の大方は消え去った。そのほとんどは社会民主主義にスタンスを移し、ネオリベラリズムを無原則的に受け入れている。労働者政党は既得権益確保と、独占資本の擁護のあいだを揺れ動いている。ラテンアメリカでも一時はレノバシオニスタ、文字通りの修正主義者が幅を利かせた。しかし21世紀に入ってベネズエラを先頭に各国政府が軒並み左翼化するに及んで、この問題にも一定の結論が出ようとしている。

私にはそれを定式化できるような能力はないが、とりあえずブラジルの闘いの記述を通じて、いささかの示唆は出来たのではないかと考えている。あとはこれらの事実を資本論第三部と結びつけながら整序していく作業が残されている。それは私の仕事ではないが、魅力のある作業ではある。

Tom Phillips The Guardian, Friday 30 March 2007

ブラジルで解放の神学というとボフ神父が有名ですが、軍事政権の時代に独裁者たちと正面切って闘ったのは、ブラジル司教会議とイヴォ・ロルシェイテル議長でした。

あまり彼についての情報はないのですが、2007年3月に彼が亡くなったとき、英紙ガーディアンに簡単な活動歴が載せられていたので紹介します。

イヴォ・ロルシェイテル司教: ブラジル独裁政権と渡り合った高位聖職者

Bishop Ivo Lorscheiter: Prelate who stood up to Brazil's dictatorship

Jose Ivo Lorscheiter, cleric, born December 7 1927;

died March 5 2007

ブラジルの司教ホセ・イヴォ・ロルシェイテルが79歳で亡くなった.彼は解放の神学主要な提唱者の一人で、1964年に始まるブラジル軍事独裁時代に、拷問と人権虐待を非難し続けたことで有名である。その時代は「重い歳月」(anos de chumbo)と呼ばれている

しかし彼はつねに、みずからの行動については、「独裁と直面したキリスト教徒としての義務を果たしただけ」と控えめに表現していた。

あるとき彼はこう語ったことがある。「私にとってこれらの困難は普通のことだった。キリスト教徒として、人権を擁護するのは私の義務であった。私は常に感じていた。人々が我々の行動を信頼していると。だから私は決して寡黙でいることはなかった」

南米のカトリック教会の指導者たちは、世界でもっとも不平等な社会の一つであるこの地において、社会・経済・政治的な正義を推進してきた長い伝統を持っている。

ロルシェイテルは、ブラジル南部の州リオグランデ・ド・スルのサン・ジョゼ・ド・オルテンシオで生まれた。家は農家で7人兄弟の内の一人だった。この地域の多くの人々同様、彼の両親もドイツ系移民の子孫だった。彼らの本当の姓はLorscheiderであったが、登記所でのミスがそのまま司教の一生を通じて残された。

ロルシェイテル、あるいは信者たちの名づけた尊称「ドン・イヴォ」は、12歳のときからカトリック教会での軌跡を開始した。そのとき父親が地元の神学校に通うよう命じたからである。

彼はローマで神学を研究し、1952年にブラジルに戻った。1965年、彼は州都ポルト・アレグレに補助司教として赴任した。

それは、ブラジルの歴史の中で荒くれだった時代であった。

その前年、軍事的な独裁が国を掌握し、その強硬な政策に反対したすべての人々を抑圧し始めた。しかし彼らはアルゼンチンの同じ独裁者たちほどの悪評を収めることはなかった。アルゼンチンでは1976年から83年にかけて最大3万人の反対者が殺されたという。とはいってもブラジルでも何百人もの反対者は軍の手で“消され”た。ほかにも多くの者が不当に拘束され拷問を受けた。

危険にもかかわらず、ロルシェイテルはしりごみしなかった。彼は1964から1985までブラジルを統治した体制を批判することをやめなかった。1971と1979の間、彼はブラジル司教会議の事務局長を勤めた。そこで、彼はこの国の貧しい大衆への強い思いを明らかにし、進歩的なリーダーとして評判を得た。

1974年に、彼はサンタマリアの司教となり、1979年に司教会議の議長となった。そしてその職を1987年まで勤めた。

1970年からカトリック教会と軍事的な支配者のメンバーの間で、秘密の交渉が始まった。それは74年まで続いた。ロルシェイテルもこの交渉に参加した。

彼は繰り返して独裁と衝突した。そして捕らえられた政治犯を追跡した。そして独裁政権に挑戦した何百もの行方不明者(desaparecidos)、活動家、左翼ゲリラの主張を擁護した。

ロルシェイテルは軍事的なリーダーに立ち向かうことで有名だった。そのとき多くのものは沈黙を守ることを選んでいた。

「あなたのすることは道徳的に不当である」

伝えるところによると、あるとき、彼は最強硬派の将軍だったエミリオ・メディチ大統領にこう話した。

彼は2002年のインタビューにおいて言った。

「我々は対決しなければならなかった。それが破壊者であるなら、誰とでも、絶対に」

解放神学へのロルシェイテルの傾倒は、彼がバチカンと揉めることを意味した。それは1978年に保守的なヨハネ・パウロ2世が即位して以降、しばしば表面化した。ヨハネ・パウロ2世は南米のカトリック指導者が解放の神学運動に参加することに反対していた。

健康問題は生涯を通じてロルシェイテルを悩ました。晩年になると彼は繰り返して病院に入院した。彼は2004年に引退し名誉司教になった。

彼の死亡に当たり、国は3日間の喪に服すと発表した。およそ5,000人の支持者が彼の葬式に出席した。ルーラ・ダ・シルヴァ大統領は、ロルシェイテルを「我々すべてに人生のあり方と正義への敬意を示した素晴らしい人間」と評した。

Tom Phillips The Guardian, Friday 30 March 2007

ブラジルで解放の神学というとボフ神父が有名ですが、軍事政権の時代に独裁者たちと正面切って闘ったのは、ブラジル司教会議とイヴォ・ロルシェイテル議長でした。

あまり彼についての情報はないのですが、2007年3月に彼が亡くなったとき、英紙ガーディアンに簡単な活動歴が載せられていたので紹介します。

イヴォ・ロルシェイテル司教: ブラジル独裁政権と渡り合った高位聖職者

Bishop Ivo Lorscheiter: Prelate who stood up to Brazil's dictatorship

Jose Ivo Lorscheiter, cleric, born December 7 1927;

died March 5 2007

ブラジルの司教ホセ・イヴォ・ロルシェイテルが79歳で亡くなった.彼は解放の神学主要な提唱者の一人で、1964年に始まるブラジル軍事独裁時代に、拷問と人権虐待を非難し続けたことで有名である。その時代は「重い歳月」(anos de chumbo)と呼ばれている

しかし彼はつねに、みずからの行動については、「独裁と直面したキリスト教徒としての義務を果たしただけ」と控えめに表現していた。

あるとき彼はこう語ったことがある。「私にとってこれらの困難は普通のことだった。キリスト教徒として、人権を擁護するのは私の義務であった。私は常に感じていた。人々が我々の行動を信頼していると。だから私は決して寡黙でいることはなかった」

南米のカトリック教会の指導者たちは、世界でもっとも不平等な社会の一つであるこの地において、社会・経済・政治的な正義を推進してきた長い伝統を持っている。

ロルシェイテルは、ブラジル南部の州リオグランデ・ド・スルのサン・ジョゼ・ド・オルテンシオで生まれた。家は農家で7人兄弟の内の一人だった。この地域の多くの人々同様、彼の両親もドイツ系移民の子孫だった。彼らの本当の姓はLorscheiderであったが、登記所でのミスがそのまま司教の一生を通じて残された。https://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/e/c/ecf2f79d.jpg

ロルシェイテル、あるいは信者たちの名づけた尊称「ドン・イヴォ」は、12歳のときからカトリック教会での軌跡を開始した。そのとき父親が地元の神学校に通うよう命じたからである。

彼はローマで神学を研究し、1952年にブラジルに戻った。1965年、彼は州都ポルト・アレグレに補助司教として赴任した。

それは、ブラジルの歴史の中で荒くれだった時代であった。

その前年、軍事的な独裁が国を掌握し、その強硬な政策に反対したすべての人々を抑圧し始めた。しかし彼らはアルゼンチンの同じ独裁者たちほどの悪評を収めることはなかった。アルゼンチンでは1976年から83年にかけて最大3万人の反対者が殺されたという。とはいってもブラジルでも何百人もの反対者は軍の手で“消され”た。ほかにも多くの者が不当に拘束され拷問を受けた。

危険にもかかわらず、ロルシェイテルはしりごみしなかった。彼は1964から1985までブラジルを統治した体制を批判することをやめなかった。1971と1979の間、彼はブラジル司教会議の事務局長を勤めた。そこで、彼はこの国の貧しい大衆への強い思いを明らかにし、進歩的なリーダーとして評判を得た。

1974年に、彼はサンタマリアの司教となり、1979年に司教会議の議長となった。そしてその職を1987年まで勤めた。

1970年からカトリック教会と軍事的な支配者のメンバーの間で、秘密の交渉が始まった。それは74年まで続いた。ロルシェイテルもこの交渉に参加した。

彼は繰り返して独裁と衝突した。そして捕らえられた政治犯を追跡した。そして独裁政権に挑戦した何百もの行方不明者(desaparecidos)、活動家、左翼ゲリラの主張を擁護した。

ロルシェイテルは軍事的なリーダーに立ち向かうことで有名だった。そのとき多くのものは沈黙を守ることを選んでいた。

「あなたのすることは道徳的に不当である」

伝えるところによると、あるとき、彼は最強硬派の将軍だったエミリオ・メディチ大統領にこう話した。

彼は2002年のインタビューにおいて言った。

「我々は対決しなければならなかった。それが破壊者であるなら、誰とでも、絶対に」

解放神学へのロルシェイテルの傾倒は、彼がバチカンと揉めることを意味した。それは1978年に保守的なヨハネ・パウロ2世が即位して以降、しばしば表面化した。ヨハネ・パウロ2世は南米のカトリック指導者が解放の神学運動に参加することに反対していた。

健康問題は生涯を通じてロルシェイテルを悩ました。晩年になると彼は繰り返して病院に入院した。彼は2004年に引退し名誉司教になった。

彼の死亡に当たり、国は3日間の喪に服すと発表した。およそ5,000人の支持者が彼の葬式に出席した。ルーラ・ダ・シルヴァ大統領は、ロルシェイテルを「我々すべてに人生のあり方と正義への敬意を示した素晴らしい人間」と評した。

佐賀県武雄市で起きた共産党議員懲罰問題は、いろいろ考えさせてくれる。

まずは赤旗記事から

3月15日の佐賀県武雄市議会一般質問で日本共産党の江原一雄議員が米海兵隊を「殴り込み部隊」と指摘したことについて、休憩中に市長を支持する議員らが問題視。

「議長の撤回・謝罪の求めに応じなかった」として「議会の品位を著しく汚す」 などと「懲罰」動議を提出。

自民党の一部や公明党などが28日に「懲罰」動議を強行可決、江原議員を1日間の出席停止とし、議会での言論の自由を封殺しま した。

次にネットから拾った佐賀新聞の記事

 武雄市議会で、一般質問中に議会の品位を汚す発言をしたなどとして江原一雄議員(共産)に懲罰動機が出され、最終日の28日、賛成多数で出席停止(1日)と議決した。江原議員は同日の新年度予算案などの討論、採決に加われなかった。

 江原議員は15日の一般質問で、米海兵隊について「殴り込み部隊」と発言。翌日、山口昌宏議員(自民)ら4議員が「海兵隊を侮辱した発言で市議会の品位 を著しく汚す。議長から発言取り消しが求められても反省の態度が見られない」として懲罰動議を出した。付託された特別委員会では賛成多数で出席停止(1 日)の結論を出した。

 最終日の本会議では、江原議員が「同様の発言は国会でも取り上げられている」などと弁明し、「発言は議長により議事録から削除され、懲罰の理由がなくなった」などと反対討論があったが、賛成多数で可決した。

 同市議会では2009年1月に宮本栄八議員(無所属)が「戒告」、昨年9月にも同議員が「陳謝」の処分を受けている。

佐賀新聞では、この事件を受けて「横尾 章」名の短評を載せている。

「殴り込み部隊」が米海兵隊を説明するのに、適当な表現だったかは別にして、軍事評論家などが分かりやすく形容しようと使う表現である。現地に急襲して米国民を保護するのが役目だからだ。国会だけでなく過去、佐賀県議会でも共産議員が取り上げており、沖縄県の地元紙も社説で使っている。

出席停止は除名に次ぐ重い処分。有権者の声を議会に届けられないことを意味する。議員と市民の権利を制約するものだから、だれが聞いても納得できる ものでなければ議会不信を生む。市民が求めているのは内向きの「攻撃」ではなく、議会本来の役目である執行部のチェックや政策の点検ではないか。

ということで、ほぼ妥当な判断と思う。

しかし武雄市長は妥当とは思っていない。自身のブログにこう書いている。

一方で、今日許せなかったのは、やっぱり、このヒト、江原市議。この人は、あろうことか、米軍海兵隊を「殴り込み部隊」と暴言。

一般質問とは、市政に対す る概略的質問であるべきで、何で、いつもいつも、こんなになるんだろうか。ある市民のご家族は、海兵隊員だそうで、この質問というか暴言を聞いて、泣き じゃくっておられました。牟田議長から、発言の撤回と謝罪を求められても、どこ吹く風。このヒト、繰り返しますが、議員の資格ゼロどころか、マイナス2 万。

マイナス2万というのが分からない。マージャンの点数のことか?

それにしてもアブない市長だ。「ある市民のご家族は、海兵隊員だそうで、この質問というか暴言を聞いて、泣き じゃくっておられました」と見てきたようなことを平気で言う。ほんとうに家族に海兵隊員を持つ市民がいるのだろうか。本当にその人が泣きじゃくったのか、本当にその場に居合わせたのか…

それが懲罰の理由になっているのだったら、事実を明らかにすべきだろう。あまりに言葉が軽すぎる。でまかせを言うような人物は市長になってはいけない。

問題は二つある

佐賀新聞の論評にもあるように、海兵隊が急襲部隊であり他国に真っ先切って突入する部隊であることは自他共に認められている。いわば「斬り込み」部隊である。「殴りこみ」といってもあたらずとも遠からずである。

表現の問題だけなら、例えば「斬り込み部隊」なら許してもらえるのだろうか、それでも「家族は泣きじゃくる」のだろうか。

もうひとつは懲罰規定の乱用である。

じつは武雄市議会には前科がある。昨年9月にも別の議員に同じようなことをやっている(佐賀新聞の記事)

 武雄市議会は5日、懲罰動議を出されていた宮本栄八議員(無所属)に関し、賛成多数で「陳謝すべき」と議決した。

 宮本議員は「議会だより 栄八通信」で、市立武雄保育所が耐震対策をせずに使われている現状を指摘。「これ以上、行政の不作為を続けるなら、こども部の看板は降ろして、怠慢部にでもすべき」と記した。

議会報告の記述が「行政への誹謗(ひぼう)中傷」「議会の品位を汚す」などとして、6月議会で懲罰動議が提出された。

議会本会議はこの動議を賛成多数で可決。宮本議員は議会が決めた陳謝文を「事実と違う部分がある」として朗読を拒否した。

つまり共産党だからとか、アメリカ海兵隊だから、という前に、少数意見や異論、ひいては民主主義というシステムというものに対する根深い無理解があるということだ。

この二つの問題は佐賀新聞でも指摘されたとおりだが、実はもっと深刻な問題があるように思われる。

市長のブログを見ると、「殴りこみ」の表現に本当に怒っているようだ。つまり、海兵隊を「殴りこみ部隊」とする表現が、一種の慣用表現として、メディア等でけっこう流されているという事実を知らなかった可能性があるということだ。

ここまで来ると、もう怒る気力が失せてくる。「○○やろう!」で終わりだ。

武雄という町はよく知らないが、離れ小島ではない。市というからには数万人が住んでいるはずだ。そんな街で市長や議員の多数が、「海兵隊とはどんなものなのか」知らないという状況が、今の日本にはあるということが分かった。
(その割には、海兵隊員の家族は、その泣きじゃくる現場に立ち会うほど、良く御存知のようだが…)

だから笑っちゃぁいられないのである。

江原一雄市議は、武雄市内1万7千世帯に、不当懲罰を知らせる4種類2万枚の宣伝ビラを配布したそうだ。かれは、多くの市民と話し合いしていること、そのなかで激励が数多く寄せられていると報告している。

佐賀県武雄市で起きた共産党議員懲罰問題は、いろいろ考えさせてくれる。

まずは赤旗記事から

3月15日の佐賀県武雄市議会一般質問で日本共産党の江原一雄議員が米海兵隊を「殴り込み部隊」と指摘したことについて、休憩中に市長を支持する議員らが問題視。

「議長の撤回・謝罪の求めに応じなかった」として「議会の品位を著しく汚す」 などと「懲罰」動議を提出。

自民党の一部や公明党などが28日に「懲罰」動議を強行可決、江原議員を1日間の出席停止とし、議会での言論の自由を封殺しま した。

次にネットから拾った佐賀新聞の記事

 武雄市議会で、一般質問中に議会の品位を汚す発言をしたなどとして江原一雄議員(共産)に懲罰動機が出され、最終日の28日、賛成多数で出席停止(1日)と議決した。江原議員は同日の新年度予算案などの討論、採決に加われなかった。

 江原議員は15日の一般質問で、米海兵隊について「殴り込み部隊」と発言。翌日、山口昌宏議員(自民)ら4議員が「海兵隊を侮辱した発言で市議会の品位 を著しく汚す。議長から発言取り消しが求められても反省の態度が見られない」として懲罰動議を出した。付託された特別委員会では賛成多数で出席停止(1 日)の結論を出した。

 最終日の本会議では、江原議員が「同様の発言は国会でも取り上げられている」などと弁明し、「発言は議長により議事録から削除され、懲罰の理由がなくなった」などと反対討論があったが、賛成多数で可決した。

 同市議会では2009年1月に宮本栄八議員(無所属)が「戒告」、昨年9月にも同議員が「陳謝」の処分を受けている。

佐賀新聞では、この事件を受けて「横尾 章」名の短評を載せている。

「殴り込み部隊」が米海兵隊を説明するのに、適当な表現だったかは別にして、軍事評論家などが分かりやすく形容しようと使う表現である。現地に急襲して米国民を保護するのが役目だからだ。国会だけでなく過去、佐賀県議会でも共産議員が取り上げており、沖縄県の地元紙も社説で使っている。

出席停止は除名に次ぐ重い処分。有権者の声を議会に届けられないことを意味する。議員と市民の権利を制約するものだから、だれが聞いても納得できる ものでなければ議会不信を生む。市民が求めているのは内向きの「攻撃」ではなく、議会本来の役目である執行部のチェックや政策の点検ではないか。

ということで、ほぼ妥当な判断と思う。

しかし武雄市長は妥当とは思っていない。自身のブログにこう書いている。

一方で、今日許せなかったのは、やっぱり、このヒト、江原市議。この人は、あろうことか、米軍海兵隊を「殴り込み部隊」と暴言。

一般質問とは、市政に対す る概略的質問であるべきで、何で、いつもいつも、こんなになるんだろうか。ある市民のご家族は、海兵隊員だそうで、この質問というか暴言を聞いて、泣き じゃくっておられました。牟田議長から、発言の撤回と謝罪を求められても、どこ吹く風。このヒト、繰り返しますが、議員の資格ゼロどころか、マイナス2 万。

マイナス2万というのが分からない。マージャンの点数のことか?

それにしてもアブない市長だ。「ある市民のご家族は、海兵隊員だそうで、この質問というか暴言を聞いて、泣き じゃくっておられました」と見てきたようなことを平気で言う。ほんとうに家族に海兵隊員を持つ市民がいるのだろうか。本当にその人が泣きじゃくったのか、本当にその場に居合わせたのか…

それが懲罰の理由になっているのだったら、事実を明らかにすべきだろう。あまりに言葉が軽すぎる。でまかせを言うような人物は市長になってはいけない。

問題は二つある

佐賀新聞の論評にもあるように、海兵隊が急襲部隊であり他国に真っ先切って突入する部隊であることは自他共に認められている。いわば「斬り込み」部隊である。「殴りこみ」といってもあたらずとも遠からずである。

表現の問題だけなら、例えば「斬り込み部隊」なら許してもらえるのだろうか、それでも「家族は泣きじゃくる」のだろうか。

もうひとつは懲罰規定の乱用である。

じつは武雄市議会には前科がある。昨年9月にも別の議員に同じようなことをやっている(佐賀新聞の記事)

 武雄市議会は5日、懲罰動議を出されていた宮本栄八議員(無所属)に関し、賛成多数で「陳謝すべき」と議決した。

 宮本議員は「議会だより 栄八通信」で、市立武雄保育所が耐震対策をせずに使われている現状を指摘。「これ以上、行政の不作為を続けるなら、こども部の看板は降ろして、怠慢部にでもすべき」と記した。

議会報告の記述が「行政への誹謗(ひぼう)中傷」「議会の品位を汚す」などとして、6月議会で懲罰動議が提出された。

議会本会議はこの動議を賛成多数で可決。宮本議員は議会が決めた陳謝文を「事実と違う部分がある」として朗読を拒否した。

つまり共産党だからとか、アメリカ海兵隊だから、という前に、少数意見や異論、ひいては民主主義というシステムというものに対する根深い無理解があるということだ。

この二つの問題は佐賀新聞でも指摘されたとおりだが、実はもっと深刻な問題があるように思われる。

市長のブログを見ると、「殴りこみ」の表現に本当に怒っているようだ。つまり、海兵隊を「殴りこみ部隊」とする表現が、一種の慣用表現として、メディア等でけっこう流されているという事実を知らなかった可能性があるということだ。

ここまで来ると、もう怒る気力が失せてくる。「○○やろう!」で終わりだ。

武雄という町はよく知らないが、離れ小島ではない。市というからには数万人が住んでいるはずだ。そんな街で市長や議員の多数が、「海兵隊とはどんなものなのか」知らないという状況が、今の日本にはあるということが分かった。
(その割には、海兵隊員の家族は、その泣きじゃくる現場に立ち会うほど、良く御存知のようだが…)

だから笑っちゃぁいられないのである。

江原一雄市議は、武雄市内1万7千世帯に、不当懲罰を知らせる4種類2万枚の宣伝ビラを配布したそうだ。かれは、多くの市民と話し合いしていること、そのなかで激励が数多く寄せられていると報告している。

草稿集第2巻

要綱Ⅱ 資本の流通過程

 P1~P13

のっけからえらいむずかしい。商品が出来た。それをどう貨幣と交換するかということについての分析である。

まずマルクスは生産過程を価値増殖過程であると同時に価値喪失過程であると書いている。これは当然で、商品作っても売れなければ資本家はすってんてんとなるほかない。マルクスは「資本はいまや商品一般として商品と運命を共にする」とも書いている。

生産過程の外部にある生産過程の諸制限が現れる。

①消費、あるいは消費能力 ある種の使用価値を持つ商品はある限度内でのみ必要とされる。市場が形成されている場合は交換者たちの総欲求によって限度を与えられている。それ以上の商品は使用価値を失う。

②購買能力 その商品と交換できるような商品や貨幣を持っていない人の欲求は「まったく問題となりえない」のだ。マルクスは「生産物は現存する等価物の大きさに、差し当たっては貨幣の大きさによって制限される」と書いている。

この、市場が持つ二つの制限・制限を取り払うために、あらゆる努力が行われるようになる。「それこそが資本主義なのだ」といってもよいくらいの、資本主義的流通システムの特徴になる。

ここまでは、言い方はむずかしいが、言っていることはそれほどむずかしくない。

問題は、この制限が資本主義的流通・交換システムにあっては死活的なものになるということだ。余剰生産物を市場に持っていって売るだけなら、売れなけりゃ持って帰るだけだ。くたびれ損以外の損はしていない。

マルクスは「生産物が再生産され、更新されるためには、その全体がいったん貨幣に転化されなければならない。この点が以前の生産諸段階と異なるところである」と書いている。

ところでこれは、資本主義的生産システムにとっては「居心地のよくない立場」に立たされることになる。生産の場面では、資本は使用価値の中身は問題にせず、価値増殖が果たせればよかったのが、いざ交換という場面では、その生産物の使用価値とその量が問題にされるからである。

草稿集第2巻

要綱Ⅱ 資本の流通過程

 P1~P13

のっけからえらいむずかしい。商品が出来た。それをどう貨幣と交換するかということについての分析である。

まずマルクスは生産過程を価値増殖過程であると同時に価値喪失過程であると書いている。これは当然で、商品作っても売れなければ資本家はすってんてんとなるほかない。マルクスは「資本はいまや商品一般として商品と運命を共にする」とも書いている。

生産過程の外部にある生産過程の諸制限が現れる。

①消費、あるいは消費能力 ある種の使用価値を持つ商品はある限度内でのみ必要とされる。市場が形成されている場合は交換者たちの総欲求によって限度を与えられている。それ以上の商品は使用価値を失う。

②購買能力 その商品と交換できるような商品や貨幣を持っていない人の欲求は「まったく問題となりえない」のだ。マルクスは「生産物は現存する等価物の大きさに、差し当たっては貨幣の大きさによって制限される」と書いている。

この、市場が持つ二つの制限・制限を取り払うために、あらゆる努力が行われるようになる。「それこそが資本主義なのだ」といってもよいくらいの、資本主義的流通システムの特徴になる。

ここまでは、言い方はむずかしいが、言っていることはそれほどむずかしくない。

問題は、この制限が資本主義的流通・交換システムにあっては死活的なものになるということだ。余剰生産物を市場に持っていって売るだけなら、売れなけりゃ持って帰るだけだ。くたびれ損以外の損はしていない。

マルクスは「生産物が再生産され、更新されるためには、その全体がいったん貨幣に転化されなければならない。この点が以前の生産諸段階と異なるところである」と書いている。

ところでこれは、資本主義的生産システムにとっては「居心地のよくない立場」に立たされることになる。生産の場面では、資本は使用価値の中身は問題にせず、価値増殖が果たせればよかったのが、いざ交換という場面では、その生産物の使用価値とその量が問題にされるからである。

政府がヤミクモに原発再稼動を焦るのは、この夏、原発ゼロで乗り切ってしまうことへの恐怖のようだ。
中祖記者のコラムで、政府の本音が明かされている。

政府内の原子力安全問題の担当者は、「確かにあせって見える。夏を越すと“原発はなくてもいい”ということになりかねないという焦り。しかし、そっちが先に来ては絶対にダメで、当然、安全を前提に進めるべきだ」と漏らした。

もちろん情報源は不明だが、担当者レベルでこういう視点だとすれば、再開ごり押しは、政府外からの圧力による可能性が強い。
おおかた、原子力村か大企業労組だろうが、米政府やGEなど原子力関連企業の動きが見えない。

政府がヤミクモに原発再稼動を焦るのは、この夏、原発ゼロで乗り切ってしまうことへの恐怖のようだ。
中祖記者のコラムで、政府の本音が明かされている。

政府内の原子力安全問題の担当者は、「確かにあせって見える。夏を越すと“原発はなくてもいい”ということになりかねないという焦り。しかし、そっちが先に来ては絶対にダメで、当然、安全を前提に進めるべきだ」と漏らした。

もちろん情報源は不明だが、担当者レベルでこういう視点だとすれば、再開ごり押しは、政府外からの圧力による可能性が強い。
おおかた、原子力村か大企業労組だろうが、米政府やGEなど原子力関連企業の動きが見えない。

書評の中の一節の紹介

本山美彦、菅野稔人著「金融危機の資本論」(青土社)は、08年の世界金融危機を資本主義の歴史などから検証し、「アメリカが“世界の金融センター”への道を歩んできた一つの帰結」だと分析します。

金融危機は資本主義の「自浄作用」、「復元作用」がはたらいたもので、資本主義は崩壊していくのではなく、「本流」に戻っていくと見ています。

言葉が踊っているような感じがしないでもないが、そういう見かたはたしかに面白い。ただこれだと恐慌はすべて経済の正常化作用ということにされてしまうので、大恐慌がもたらした第二次世界大戦という過去の経験は教訓化されずに終わってしまいそうな危うい気分もある。

19世紀から20世紀、21世紀と人類の生産力発展には猛烈なドライブがかかっている。そういう歴史的スパンの中にもう一度位置づけなおしてみると、「そういう側面もあるね」と納得できるのかもしれない。

書評の中の一節の紹介

本山美彦、菅野稔人著「金融危機の資本論」(青土社)は、08年の世界金融危機を資本主義の歴史などから検証し、「アメリカが“世界の金融センター”への道を歩んできた一つの帰結」だと分析します。

金融危機は資本主義の「自浄作用」、「復元作用」がはたらいたもので、資本主義は崩壊していくのではなく、「本流」に戻っていくと見ています。

言葉が踊っているような感じがしないでもないが、そういう見かたはたしかに面白い。ただこれだと恐慌はすべて経済の正常化作用ということにされてしまうので、大恐慌がもたらした第二次世界大戦という過去の経験は教訓化されずに終わってしまいそうな危うい気分もある。

19世紀から20世紀、21世紀と人類の生産力発展には猛烈なドライブがかかっている。そういう歴史的スパンの中にもう一度位置づけなおしてみると、「そういう側面もあるね」と納得できるのかもしれない。

大統領選挙で左翼戦線が健闘しているとの報道。
①世論調査で15%を獲得。国民戦線のルペンを抜いて3位となった。
②各地での集会に数万から10万を越える支持者を結集している。
③与党だけでなく、野党社会党への不満も結集しつつある。
左翼戦線は左翼党と共産党の選挙連合。

以下は左翼党に関する情報
左翼党は社会党左派が09年に離党し結成した政党。党首(共同議長)はメランション。
サルコジ政権によって改悪された労働条件の回復
大企業・大資産家の支配する政治からの脱却
21世紀型共和制へ「市民蜂起」を! がスローガン

ただ、ヨーロッパではスペイン統一左翼も、イタリア共産主義再建党もあまり景気良くないし(スペインはこのたびの選挙で少し伸びたようだが)…
日本も似たようなものだといわれると、真っ向からは反論できないし…
少し調べてまた書きます。

大統領選挙で左翼戦線が健闘しているとの報道。
①世論調査で15%を獲得。国民戦線のルペンを抜いて3位となった。
②各地での集会に数万から10万を越える支持者を結集している。
③与党だけでなく、野党社会党への不満も結集しつつある。
左翼戦線は左翼党と共産党の選挙連合。

以下は左翼党に関する情報
左翼党は社会党左派が09年に離党し結成した政党。党首(共同議長)はメランション。
サルコジ政権によって改悪された労働条件の回復
大企業・大資産家の支配する政治からの脱却
21世紀型共和制へ「市民蜂起」を! がスローガン

ただ、ヨーロッパではスペイン統一左翼も、イタリア共産主義再建党もあまり景気良くないし(スペインはこのたびの選挙で少し伸びたようだが)…
日本も似たようなものだといわれると、真っ向からは反論できないし…
少し調べてまた書きます。

ここも大事なポイントだと思う。

2010年の国税収入は37.4兆円でした。それより20年以上前の1988年には50.8兆円もの国税収入がありました。

20年で26.4%、13兆円減ったことになる。しかもそのときは消費税ゼロである。10年の消費税10.2兆円を差し引くと、27.2兆円にまで減ったことになる。実に46.5%の減少である。

参考までに88年のGDP(名目)は381兆円、10年は479兆円だ。そうすると対GDPで直接税+法人税の比率は13.3%から5.7%に低下したことになる。実に56.3%の低下だ。

消費税と税収の関係をグラフ化してみる

より転載させていただいたのが下記の図

https://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/0/9/09670404.jpg

このグラフをさらに改変して、56%低下という真相が浮き彫りになるようにするとよいのだが、誰かやってください。あと欲しいのは、国民一人当たり消費税納税額の国際比較、できれば所得階層別で示してもらえると説得力があるのですが。


ここも大事なポイントだと思う。

2010年の国税収入は37.4兆円でした。それより20年以上前の1988年には50.8兆円もの国税収入がありました。

20年で26.4%、13兆円減ったことになる。しかもそのときは消費税ゼロである。10年の消費税10.2兆円を差し引くと、27.2兆円にまで減ったことになる。実に46.5%の減少である。

参考までに88年のGDP(名目)は381兆円、10年は479兆円だ。そうすると対GDPで直接税+法人税の比率は13.3%から5.7%に低下したことになる。実に56.3%の低下だ。

消費税と税収の関係をグラフ化してみる

より転載させていただいたのが下記の図



このグラフをさらに改変して、56%低下という真相が浮き彫りになるようにするとよいのだが、誰かやってください。あと欲しいのは、国民一人当たり消費税納税額の国際比較、できれば所得階層別で示してもらえると説得力があるのですが。


むかし、大枚はたいてベートーベン交響曲全集を買った思い出がある。とはいっても安かった。リーダーズダイジェストの通販で7枚組みだったかな?

今でも鮮明に思い出す、箱入りでルネ・レイボウィッツ指揮ロイアル・フィルハーモニー管弦楽団というのだった。音は良かった。ヴィクターのダイナグルーヴ録音だった。ステレオとモノが選べたが、躊躇なくモノにした。安かったし、家にステレオなどなかったからだ。

その割にあまり聞き込んだ記憶がない。おそらく受験勉強に入ってしまってあまり聞く暇がなかったのだろうと思う。どういうわけか高校3年になる頃は結構レコードを買っていた。昭和39年、たぶん家が少し裕福になって、レコードが買える身分になったのだろう。

歯医者というのが儲かる商売だというのは、よその歯医者に行って初めて気がついた。うちが貧乏なのは、歯医者だからではなくて、商売が下手だからだということも分かった。親父は歯医者が嫌いで、「歯医者など屑だ。お前は医者になれ」というのが口癖だった。

右上隅にパンチ穴が開いた安売りレコードがかなり潤沢に出回るようになり、それはレコード屋ではなく古本屋で売っていた。小遣いをもらったら、FONTANAにするか、ERATOにするかが選択肢だったが、まずは穴あきを探すのが学校帰りの日課だった。

いいレコードはまず肉が厚い。ずっしり来る。ミュンヒンガーの「四季」のロンドン盤を買ったときはそれだけで感激した。

その頃、高校の図書館に志鳥栄八郎の「名曲名演鑑賞」という本があって(書名はうろ覚えだが)、私などには手が出ないようなレコードの名前が並んでいた。いわば食堂のお品書きを読んで食べたような気分になったものである。

話は戻るが、レイボウィッツだ。その本で「禿山の一夜」はレイボウィッツが良いと書いてある。たしか「けれんみたっぷりでそれも悪くない」みたいな書き方だった。

それが聞きたかったが、聞けずじまいでいままで来た。それがつい最近、youtubeで聞くことが出来た。この演奏をアップしてくれた人はわざわざモノでうpしてくれている。DレンジもFレンジも低いがその範囲で、良く鳴っている。演奏は「かっこいい」の一言に尽きる。この人、なかなかの指揮者なのではないかとあらためて思う。

そういうケレンミたっぷりの人って結構いる。マルケヴィッチとか、シルヴェストリとか、バルビローリとか… 逆にサバリッシュとかルドルフ・ケンペなんてちっとも面白くない。(クーベリックも同じかと思ったがマーラーはさすがに良い)

むかし、大枚はたいてベートーベン交響曲全集を買った思い出がある。とはいっても安かった。リーダーズダイジェストの通販で7枚組みだったかな?

今でも鮮明に思い出す、箱入りでルネ・レイボウィッツ指揮ロイアル・フィルハーモニー管弦楽団というのだった。音は良かった。ヴィクターのダイナグルーヴ録音だった。ステレオとモノが選べたが、躊躇なくモノにした。安かったし、家にステレオなどなかったからだ。

その割にあまり聞き込んだ記憶がない。おそらく受験勉強に入ってしまってあまり聞く暇がなかったのだろうと思う。どういうわけか高校3年になる頃は結構レコードを買っていた。昭和39年、たぶん家が少し裕福になって、レコードが買える身分になったのだろう。

歯医者というのが儲かる商売だというのは、よその歯医者に行って初めて気がついた。うちが貧乏なのは、歯医者だからではなくて、商売が下手だからだということも分かった。親父は歯医者が嫌いで、「歯医者など屑だ。お前は医者になれ」というのが口癖だった。

右上隅にパンチ穴が開いた安売りレコードがかなり潤沢に出回るようになり、それはレコード屋ではなく古本屋で売っていた。小遣いをもらったら、FONTANAにするか、ERATOにするかが選択肢だったが、まずは穴あきを探すのが学校帰りの日課だった。

いいレコードはまず肉が厚い。ずっしり来る。ミュンヒンガーの「四季」のロンドン盤を買ったときはそれだけで感激した。

その頃、高校の図書館に志鳥栄八郎の「名曲名演鑑賞」という本があって(書名はうろ覚えだが)、私などには手が出ないようなレコードの名前が並んでいた。いわば食堂のお品書きを読んで食べたような気分になったものである。

話は戻るが、レイボウィッツだ。その本で「禿山の一夜」はレイボウィッツが良いと書いてある。たしか「けれんみたっぷりでそれも悪くない」みたいな書き方だった。

それが聞きたかったが、聞けずじまいでいままで来た。それがつい最近、youtubeで聞くことが出来た。この演奏をアップしてくれた人はわざわざモノでうpしてくれている。DレンジもFレンジも低いがその範囲で、良く鳴っている。演奏は「かっこいい」の一言に尽きる。この人、なかなかの指揮者なのではないかとあらためて思う。

そういうケレンミたっぷりの人って結構いる。マルケヴィッチとか、シルヴェストリとか、バルビローリとか… 逆にサバリッシュとかルドルフ・ケンペなんてちっとも面白くない。(クーベリックも同じかと思ったがマーラーはさすがに良い)

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