これは欧州委員会が昨年提案した取引税構想に基づくもの。
1.域内27カ国の金融機関がかかわる株式と債券の取引、デリバティブ(金融派生商品)に限定して徴税する。
2.株式と債券には一回の取引ごとに0.1%、デリバティブには0.01%を課税する
ことが柱となっている。
見積りの結果、810億ユーロ、110円として8兆9100億円になる。
日本だとどのくらいになるのか、誰か試算してみてください。
AALA関連記事は「aala_newsの編集日記」http://blog.livedoor.jp/aala_news/ に移りました(6Nov.2023) 中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 「ラテンアメリカの政治」(http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ )がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。
テレビ朝日が、その後事態を深刻に反省しているかと思って、記事を探してみた。
そうしたらこんな記事が出てきた。すでに捏造の疑いがかなり強くなっている3月8日の記事というところが泣かせてくれる。
大阪市交通局の調査で、不適切な組合活動が発覚です。
大阪市交通局の労働組合は、去年の市長選挙の際、勤務時間中に選挙活動を行っていたことが判明し、橋下市長の命令で実態調査を行っていました。
また、業務用パソコンでのメール調査では、「動員」や「演説会」といった選挙活動関連のキーワードが 700件近く発見されたということです。
橋下徹大阪市長:「組織の解体的出直しというか、つぎはぎで何かが改善する状態ではない」
一方、組合名義で平松前市長の支援カードの回収リストが作成されていた問題は、今後、パソコンシステム内の記録を解析して経緯を調べるとしています。
これは二重の意味でひどい記事で、橋下によるメールの強制調査の結果を得々と紹介しているのです。
しかもこの時点で、テレビ朝日は「組合名義で平松前市長の支援カードの回収リストが作成されていた問題」という態度を変えていません。
もっと調べていって、驚きました。テレビ朝日こそが橋下の最大の応援団なのです。
2012年1月8日放送 10:00 - 11:45 テレビ朝日報道ステーション SUNDAYというページに番組内容の一覧が掲載されています。
「報道ステーション」での橋本氏の映像。番組に語った本音とは。
*橋本氏が本格始動。初日の会談では大阪市労働組合連合会・その他一般人が”政治活動”の謝罪に訪れたが、橋下氏は握手を拒否。特別顧問として迎えた政治家某との意見交換、政治家某との会談などを行った。
春風亭小朝さんを迎えトーク。橋本氏の話の技術について、「話を聞かせる仕組みを確立してしまった、保身に走らず語尾がはっきりしている、笑顔が効果的」などと話した。バス事業への斬り込みなども話題にあがった。
最後の一行だけ、もう一度書きます。
偽の情報を労組攻撃の材料に使った維新側の姿勢も問われそうだ。よく言った、天下の朝日! しかし肝心のテレビ朝日のコメントは探すも見当たらず。公共の電波でデマを垂れ流しておいて、頬っかむりするつもりのようだ。
なお、この件について橋下が慎重だったとする報道があるが、これはウソだ。
2月7日 産経新聞 「退職金支払いは市民が許さない」 交通局紹介リスト問題で指示という記事がしっかりと残っている。
橋下の交通局労組への謀略事件については
「気まぐれな日々」というブログに経過が載せられている。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1244.html
これは現代日本で政治的でっち上げが如何に行われるかという一つの見本である。
まず最初は2月6日、テレビ朝日が「スクープ」として取り上げた。
この報道から分かる「事実」は以下の通りスクープです。大阪市交通局の労働組合が、去年の大阪市長選挙で、現職市長の支援に協力しなければ不利益があると、職員を脅すように指示していた疑いが独自の取材で明らかになりました。
大阪市交通局の労働組合は、去年11月の市長選で、勤務時間中に現職の平松氏支援のための「知人紹介カード」を集めていたことが発覚し、橋下市長に謝罪しています。
さらに今回、ANNが独自に入手した紹介カードの回収リストには、「非協力的な組合員がいた場合は、今後、不利益になることを本人に伝える」との指示が書き込まれていました。
内部告発者:「正直、恐怖を覚えた。(人を脅す)やくざと言っていいくらいの団体だと思う」
内部告発を受けた維新の会の市議が、6日朝、事実確認のため交通局に出向きました。
大阪維新の会の市議:「はっきりとした恫喝(どうかつ)ですよね」
大阪市交通局・総務課長:「(リストを)ざっと見る限り、(交通局に)在籍している職員。
職員コードもほぼ間違いない」
リストには交通局職員の3割にあたる1867人が並び、政治活動が制限されている管理職もいます。総務部しか知らないはずの非組合員のコード番号も記され、組織ぐるみの疑いが強まっています。
(ANNニュース 2012年2月6日11時49分)
①交通局労組が市長選挙で平松支援を強要した。(疑いがある)
②交通局労組は「知人紹介カード」を集めていた。(これは疑いではない)
③「知人紹介カード」の回収リストには「非協力的な組合員」にたいする脅迫が書き込まれていた。また総務部しか知らないはずの非組合員のコード番号も記されていた。(これも疑いではない)
④この事実が発覚し、橋本市長に謝罪した。(内容不詳だが、事実として述べられている)
⑤内部告発者が維新の会に通報し、維新の会の行動開始と連動してテレビ朝日も動いた。
これをフォローした毎日新聞は、1ヵ月後に逆の報道を出す。
3月2日付の毎日新聞(大阪)
事実①については「俺が疑ったんだから」ということで、否定しようがない。②についてはこの記事には触れられていない。③については真っ向否定で、「総務部しか知らないはずの非組合員のコード番号」も、逆に捏造の根拠とされる。大阪市交通局:市長選リスト「捏造」 労組が刑事告発へ
大阪市交通局職員でつくる「大阪交通労働組合」は、リストは捏造(ねつぞう)だとして刑事告発する方針を固めた。
リストは、市交通局職員から大阪維新の会の杉村市議に持ち込まれた。
「知人・友人紹介カード配布回収リスト」の表題で、交通局職員約1800人の名前、職員コードなどを記載。カード配布・回収時の注意事項として「非協力的 な組合員がいた場合は、今後不利益になることを本人に伝え、それでも協力しない場合は各組合の執行委員まで連絡してください」と記されていた。
市特別顧問の野村修也弁護士も、「現段階では組合が作成したとは信じがたい。何の目的で誰が作ったか調査する」と述べた。
(毎日新聞 2012年3月2日 大阪朝刊)
④については③の流れで実質的に否定されている。ただしこれが捏造だったとすれば「誤報」ではすまない深刻な名誉侵害だ。⑤については事実として確認された。初動段階からテレビ朝日が維新の会とつるんでいたことが確認されたことになる。
①とにかく古いファイルは拾わない。2011年以降のアップロードだけを探すこと。これはyoutubeのホームページから検索するよりは、グーグルで1年以内の動画と絞り込んだほうがいい。youtubeの検索だと、発表会のマイビデオなど役に立たないファイルが多すぎて大変だ。
②これはと思うファイルがあったら、そのウp主のページに入ると、それなりのファイルが見つかる確率が高い。なかには数千曲もアップしているツワモノもいる。
③高画質と低画質では音質にも差がある。ダウンロード時に選択可能な場合は最高画質でダウンロードすべきだ。
④Craving Explorer などで音だけ落とすのはだめ。アップロードされた映像のほとんどはMPEG4方式であり、その音はAAC方式で圧縮されている。Craving Explorer ではこれをMP3にエンコードしながらダウンロードするため、かえって時間がかかる。
⑤しかもエンコーダーはLame ではないから、劣化が激しい。EcoDecoTool という剥ぎ取りソフトがあるので、ダウンロードした映像からAAC ファイルを剥ぎ取ってそのまま保存するのが良い。EcoDecoTool で剥ぎ取れないタイプの音源があって、それ用の剥ぎ取りソフトもあるが、これは古いタイプの圧縮方式で、100%低音質だから捨てたほうが良い。
⑤MP3プレーヤーソフトの中では、foobar2000 がAACファイルにも対応しているので、これをデフォールトのプレーヤーにするのが良い。音はそのままでは硬く、低音が伸びてこないのでResampler というDLLを有効にする。これで俄然音が良くなる。
⑥foobar2000 はASIO も使えるが、動作が不安定でしばしばトラブルを起こす。相性が悪いらしく、苦労して使ってもあまり音質の改善は得られないので、最近は使っていない。
⑦FrieveAudio やLylithなどのMP3 プレーヤーではASIOの霊験はあらたかである。ほこりを拭いたように音に“照り”が出る。しかし、残念ながらAAC ファイルには対応していない。最近、foobarではASIOの代わりのDLLとしてWASAPIが推奨されているようだ。
⑧通し録音のファイルは楽章ごとに切りたい。その際はAudacity が威力を発揮する。Core i7 にして一番ありがたいのはこの操作だ。ものの5分で、4楽章がファイル分けされる。AACファイルでも、正式版でないβ版では対応してくれる。
⑨Audacity はAACファイルもMP3ファイルもいったんWAV ファイルにしてから操作する。出来上がったファイルは無圧縮のWAV ファイルとなる。ffmpeg というDLLを導入すればAAC ファイルにすることも可能だが、汎用性から考えてMP3にして保存している。LAMEの正式版を導入すれば、可変方式でのエンコードが可能になる。150ビットくらいで十分だと思う。
⑩ひどい音だが保存するしかないという音源がある。この際はノイズとり、clip fix 、低域強調、圧縮、擬似ステ化を行う。
⑪ノイズの除去は、まずファイル全部にフィルターをかけて、ノイズ除去を行う。雑音そのものはほとんど取れないが全体にくすみがとれる。ライブ録音などの場合、“無音域”にフィルターをかけると本当の音も飛んでしまう。
⑫次にclip fix をおこなうと、つぶれた音が多少改善する。デフォルトの95%が限界で、それ以上では元の音がおかしくなってしまう。これが時間を食うので、依然はつぶれたところだけに絞ってやっていたが、それはそれでやればきりがないし時間がかかる。Core i7 だと全体に網をかけても1分くらいで終わる。
⑬たいていは音がやせているので、すこし低域を強調してやると音が落ち着く。デフォルトの16はきつすぎる、5が限度だ。
⑭圧縮をかけると音が聞きやすくなる。わざわざダイナミックレンジを狭くしてしまうことになるが、所詮それだけの音源だから仕方ない。圧縮の前に、あまり目立つトゲは抜いておく。拡大ボタンを10回くらい押すと点のつながりになるので、カーソルを消しゴムモードに切り替えてトゲを消してしまう。
⑮最後に擬似ステレオ、といっても左右のチャンネルに時差をつけるだけ。まずチャンネルを分離して。拡大ボタンを7回くらい押す。片方のチャンネルの先頭の無音部分を一目盛りだけ消して、チャンネルを再結合する。これで音が俄然柔らかくなる。G Verb というエコー装置もあるが、よほど原音がデッドでない限り使わない。
現在のyoutubeの音質を規定しているものは、ほぼ原音である。
youtubeへのアップロード時の音質の劣化はかなりなくなっている。以前は強音を切り、高音を切り、低音を切っていた。だから電話で音楽を聞いているようだった。おそらく情報量は50ビット前後だろうと思う。現在でも明らかに原音よりは落ちるが、約1年前からは格段に良くなっている。おそらく100ビット前後と思う。
一時、ニコニコ動画がyoutubeを越えていたのは、音が良かったからである。ただ「高音質」と称して、200ビットを越すファイルをアップしていたが、重くなるだけで音の改善はそれほど得られていなかった。おそらくニコニコも80から90ビットくらいで切っていたのだろうと思う。
インターネット・ラジオで128キロをうたっていた放送も、今聞いてみると実効情報量は70から80くらいだったのではないだろうか。当時はADSLが主流だったから、それ以上の情報量を送ろうとすると音が切れてしまう。つまりyoutubeやインターネット・ラジオをリアルタイムで視聴しようとする限り、この回線の能力に規定されてしまうのだ。
こちらとしては、ダウンロードしてからゆっくり聞けばよいのだから、別にリアルタイムで聞けるようにしてもらわなくても良いのだが、たぶんそうすると、悪名高いファイル交換ソフトと同じことになってしまい、法律に引っかかるのだろう。
私の想像だが、youtubeはADSL規格で50ビットに制限し、どんな高音質のファイルでも音質を落としていたのではないか。それをニコニコでは光の規格に設定し80に上げていたのではないか。それがyoutubeも規格を上げたことから、音質の差がなくなったのではないだろうか。
最近のファイルはほとんどがAAC可変ビットレートで100前後に設定されている。それ以上上げても無意味だということが常識になったようだ。これは以前のMP3固定ビットレートの130くらいに相当する音質だ。これだとオーディオ・プロセッサーを介して外部のプレーヤーにつないでも一応満足できる音が出てくる。
今聞いているのは、ブルックナーのロマンティック、バレンボイムとシカゴ交響楽団の演奏だ。なお高音部のキンキンが気になるが、ダイナミックレンジはフルスケールで、最強部はすこし割れるがほぼCD音質だ。ただし、私の光+無線環境ではしばしば止まる。
ただしこれは世界中で通じるわけではない。アメリカ、イギリス、ドイツ、日本はまず問題ないが、南欧圏は怪しい。ロシアはだめなものが多い。
コンサートのテレビ録画は、ハイビジョンになる前のものは放送局で音質を落としているものが多く、youtube以前の問題がある。
演奏、音質ともにすばらしいものは危ない。見つけ次第ダウンロードしないと削除される危険がある。
財政危機、財政危機というが、「そもそも財政ってなんだろう、何のためのものだろう」ということが議論の出発点に座るべきではないでしょうか。
以下に私のホームページから、2008.08.01の更新記録を再掲します。
JICAのホームページを見ていて、面白い一節に出会いました。
…財政の基本的な機能として、(1)開発に必要なインフラ整備などの公共財を供給する「資源配分」機能、(2)累進課税や社会保障給付を通じた所得「再分配」機能、(3)景気変動を緩和する「安定化」機能、に着目します。
工業化の過程では、産業インフラ(工業団地など)輸送インフラ(道路、港湾)、電源インフラ(発電所、送変電設備)などが重要な役割を果たしますが、これ
らをどのように供給するか、ということと同時に、そのために必要な資金をどのように調達するか、ということも重要な財政課題です…
これは途上国の開発援助における財政政策の意義に触れた一節です。しかし日本においても政策の核となる部分では共通しているものと思います。ここで注目したいのは、我々が従来言ってきたような所得の再配分機能は、財政機能の一部に過ぎないということです。
財政とはまず何よりも、「何に、どう、どのくらい使うか」、「そのためにいくら必要か」ということを前提にした戦略体系です。財政というのはもっとダイナミックな、機動的なものとして捉えなければなりません。
つまり財政政策を考えるにあたっては、今がどういう時期なのか、財政出動期なのか、財政調整期なのかという判断を抜きに是非を論じることは出来ないということです。もうひとつは、財政は産業経済の発展に資するために存在するという根本を忘れてはならないということです。
…工業化の過程では、産業インフラ(工業団地など)輸送インフラ(道路、港湾)、電源インフラ(発電所、送変電設備)などが重要な役割を果たしますが、これらをどのように供給するか、ということと同時に、そのために必要な資金をどのように調達するか、ということも重要な財政課題です…
戦後日本も急成長の過程で常に資金不足に悩まされてきました。需要と供給にミスマッチが生じ、財政調整を余儀なくされる時期もたびたび経験してきました。それがバブル期を経て逆転し、過少消費と需要減少に悩まされるようになりました。これはある程度は必然の結果ですが、行き過ぎが生じています。例えば社会保障の過度な抑制です。
その結果、本来は正当な需要も潜在化しています。あいつぐ孤独死や孤立死、一からげにして言えば貧窮死の報道は、本来最低限の生きるという要求、それに基づく需要さえも押さえ込まれていることを示しています。
財政政策のいま採るべき道は、これらの需要を喚起し顕在化させることではないでしょうか。それは景気変動を緩和する「安定化」機能ともかかわってきます。
すなわち財政はいまこそ出動期なのであり、決して調整期ではありません。もちろんない袖は振れないわけですから、財源問題は避けて通れません。その観点から一つのオプションとして消費税を俎上に上げ、その得失を計ることは根拠があります。
しかし財政危機を根拠に増税するのは、今の時点では愚の骨頂というほかありません。
Written by Cory Fischer-Hoffman |
Tuesday, 13 March 2012 12:18 |
FMLN の選挙での後退
El Salvador: FMLN Suffers Minor Setback at the Polls |
変えられた選挙システム
日曜日の午後1時、太陽が激しくメタパンの投票センターに照りつけていた。メタパンはグアテマラ国境から15キロメートル南の小さな町である。焼けるような太陽以外何もない。
この町にとって国民議会と地方選挙のこのようなやり方は初めてだった。
FMLNの驚いたことには、右翼のARENA(国家共和同盟)が国民議会の議席を得たのである。
FMLNは正式名称を「ファラブンド・マルティ国民解放戦線」という。元は武装解放を目指した団体で、和平後に政党として再出発した。そして2009年の選挙でマウリシオ・フネスを大統領候補として選挙に勝利した。
これに対しAENAは議会で選挙法改正を押し通した。今回は、その改正選挙法による最初の選挙だった。
メタパンに話を戻す。投票センターでは地元の学校の戸外の渡り廊下、展示館とバスケットボール・コートに沿って31以上のテーブルが広げられた。
今回の国会選挙では初めて個人候補への投票が加えられた。「顔写真投票」"face voting"と呼ばれ、それぞれの党の旗の下に候補者の写真が張り出された。それまで投票者は候補者ではなく政党に投票した。そして政党が得票率に応じて国会に送り出す議員を選出した。
このたびは多種多様な政党の多彩な候補から投票することになった。
メタパンでは、8つの政党の旗が第一列を飾った。そして、各々の旗の下に6人の候補の顔写真が並んだ。
ある女性はそのやり方にひどくまごついた。熱い太陽の中に痛む脚で歩いてきたのに、投票せずに帰ろうとした。
我々は一緒に木陰の下に座った。他の二人の投票者が投票の感想を漏らした。
「間違えちゃうんじゃないかと心配だったわ」
一人の母親は、若い息子の手を握りながら声を上げた。そして女性に「投票は大事よ。支持する党の旗の所だけ書いても有効なのよ、もちろん候補者に投票しても良いの」
しかし彼女の説明には抜けている点があった。もし異なる政党の二人に投票すれば、その票は「無効」とされることを。実際それは開票の際にほとんどすべてのテーブルで見られた。
(中略)
エルサルバドルでは12年にわたる内戦で約7万人が殺された。
1992年の和平協定のあと、FMLNは武装闘争組織から政党に変わり、選挙による勝利を目指すようになった。
それ以来、エルサルバドルの選挙は、不正手段によって悩まされた。
2009年の大統領選挙では、ARENAはグアテマラ人に期限切れかニセの身分証明書を持たせ、トラックに積んで投票所に送り込んだ、と非難されている。そのARENAの試みにもかかわらず、2009年の選挙ではFMLNのフネスが当選した。フネスはFMLN党員ではなく無党派のジャーナリストだった。彼はより中間的な有権者にアピールした。当選後も、多くの争点に関して政治的な中立を保ってきた。
エルサルバドルでの米国の干渉の長い歴史にもかかわらず、フネス政権は米国と良好な関係にある。内戦の間、ワシントンはエルサルバドルの暗殺団を訓練し、資金を助成した。和平協定のあとも干渉は続いた。1人の米国の大使は、2004年の選挙に介入したと公言さえしている。
エルサルバドルへの米国の干渉は、サルバドル人の米国への大量入国をもたらした。米国は弾圧を支援し、選挙に介入し、ネオリベラル政策にもとづく中米自由貿易協定(CAFTA )を推進した。それが皮肉にも大量移動をもたらしたのである。今日、エルサルバドル人の1/3から1/4は米国に住む。そして彼らが親戚に送るお金は、国民総生産に対する最大の貢献をあたえている。
FMLNによって開始された社会プログラム
フネス政権はネオリベラルの経済モデルに関しては当面変更を加えようとはしていない。そのかわりに健康、読み書きと教育における新しい社会改革を始めた。
クスカトラン県の県都コフテペケでは埃っぽい未舗装道路沿いでは、一軒の家が識字サークルの集会所に改造された。そこでは大人たちが読み方の学習を行っている。エルサルバドルの文盲率は17%に達する。これは文盲を根絶するための政府による最初の計画である。
車道に歩いていくと、バナナの樹、ハイビスカスの花が通り過ぎていく。小グループの声が聞こえてくる。大声で読み物を練習している。それがそよ風に乗って運ばれてくる。参加者のほとんどは貧しい生まれである。片親の人も少なくない。彼らは若いときから働くことを強制されてきた。その結果、彼らは学校に行けなくて、その後も読み方を学ばなかった。
フリアーナは言った。「私はバイブルを読めるようになりたいです。自分の名前をサインできるようになりたいです。そしてバス路線の名前が分かるようになたいです」
彼女は、政府プログラムに感謝した。しかし彼女が視力が弱いために読むことを学ぶ際に障害になっていると訴えた。
識字サークルのための基金は教材やボランティアやその訓練のために用意されているが、視力に対する対策は計画には入っていない。エルサルバドルでの新しいヘルスケア・プログラムは、「コミュニティ健康チーム」(ECOS)の一部として、貧しいコミュニティに無料ケアを提供している。
僻地の San Francisco Dos Cerros では、何十もの人々がケアを受けるために一列に並んだ。多くの女性は妊娠していた、腕の中に子供を抱えるものも多く見られた。彼らの多くはこの僻地診療所に2時間をかけて通院していた。
医者と看護婦の専用のケアに加えて、ECOSは地域活動も行っている。その中身は健康増進、予防・衛生活動、出生前のケアと母性保護に焦点が当てられている。
これらの社会プログラムは、農業改革と並行して進められている。土地が農民に与えられ、無料で種と肥料を提供している。これらは「公平な発展への道」というFMLNのマニフェストの実践となっている。
FMLN政府がこれらの社会改革に集中する間、右翼は、立法議会でFMLNの拠点を攻撃するべく、選挙改革の方へそのエネルギーを集中した。
選挙結果の分析
FMLNは日曜日の選挙で衝撃を受けた。そして、多くの議論が国中で提起された。
投票傾向の詳しい分析が続く一方、選挙改革の実行、有権者脅迫や票の買収などを弾劾するための調査などが提起された。それらはFMLNが立法府の過半数を失った理由のより完全な理解を提供することになるだろう。
その際考慮すべきいくつかの政治展開がある。
2009年の大統領選挙のあと、ARENAは分裂し、分派がGANA(国家統一大同盟)を結成した。それはFMLNとARENAの対立に代わる穏健な政党として売り出した。GANAは若干のFMLN「浮動有権者」をとらえ、国民議会の84の議席のうちの10を獲得した。ARENAが33、FMLNが31議席のためキャスティングボートを握った。
ARENAはかつての大統領アルフレード・クリスティアーニを党首にすえ、裕福なビジネスマンたちが資産を首都サンサルバドルに注ぎ込んだ。彼らは「都市の美化作戦」を展開し、市民の支持を得ようとした。疑惑としては単純明快な買収作戦も行われた可能性がある。
他方、FMLNは彼らの支持基盤との接触を失ったように見える。国際婦人デー行進に女性太鼓隊の一員アデルースはこう語った。「いまどきの政治家は我々の心底からの関心を持たせない」
彼女は選挙に行くつもりはなかった。そんな人は彼女一人ではなかった。投票率は低く、白票も多かった。
選挙の前の日、サンタアナの裁判官もそのような感情に共感して言った。「彼らは山から降りてきたが、結局政治屋の仲間入りしただけだった」
武装した抵抗運動から野党への転換はその政治的挑戦とともに行われてきた。しかし、2009の選挙以来、FMLNはその挑戦をある程度まで我慢しなければならなくなり、統治の責任を果たさなければならなくなった。
彼らは立法府において辛うじて過半数を得ているだけだった。行政府には確固とした足がかりはまだない。党員でもない大統領は、党としばしば矛盾を引き起こしている。
エルサルバドルは、ほかの大部分の世界と同じく景気後退に苦しんでいる。こういう時期には統治政府はしばしば、世論の攻撃を浴びるものである。
この選挙結果はエルサルバドルにとってどんな意味を持つことになるだろうか?
議会でARENAは第一党となった。しかし過半数をもつ党は存在しない。政策を進めるために鍵となるのは政治的な同盟である。
その際に重要な議論となるのはCAFTAへの態度、官民協力を通じての民営化、鉱業の振興、そして犯罪対策などであろう。注意はまた、社会プログラムにも向けられるであろう。その削減は広範な人民が不安定な状況に追いやられることを意味する。
一方、米副大統領ジョセフ・バイデンは、中央アメリカへの最近の訪問において、「安全保障」がこの地域のための最優先事項であると主張した。エルサルバドルの右翼は、選挙キャンペーンに一貫してこのワシントン製「安全保障」物語を使ってきた。
「エルサルバドルの右翼は、犯罪率のかなりの減少にもかかわらず、厳しく暴力と不安定を強調した。この戦略は、米国と符合した手法だ。米国は最近「ドラッグとの戦い」プログラムを提起し、そのために3億ドルを援助すると提案している。“FMLNは安全保障状況に直面することがまったく不可能だ”と決め付けることによって、右翼は二重に利益を受けることができることになる」
エルサルバドル連帯委員会(CISPES)のリサ・フラーはこう語る。
ホルヘ・シャフィク(サン・サルバドル市長選挙のFMLN候補者)は、の間、最近の選挙敗退を負けた内戦と比較し、こう語った。
「我々はある戦いでは勝利し、ほかの闘いでは敗北した。いま必要なことは、きわめて全面的な自己批判的な分析だ。人民に罪を擦り付けてはならない。そうではなく我々が変わるべき点がどこにあるのかを真に追求することだ」
http://upsidedownworld.org/main/el-salvador-archives-74/3506-el-salvador-fmln-suffers-minor-setback-at-the-polls
1997年不況を勉強して、力不足を痛感した。
そんなときに岩波新書から「平成不況の本質…雇用と金融から考える」という本が出た。岩波新書で大滝雅之さんという人の著書である。
とても読み終える自信はないが、齧れるところは齧って見ようと始めた。眼が悪いせいもあるが、1ページ読むごとにお休みして反芻するという繰り返しだ。
例によって私のコメントは一段小さい字で、「ですます」調で書き込むことにする。
はじめに
本書では以下のような時代区分を設定する。すなわち80年代後半をバブル期、90年代を「失われた10年」、2000年代を「構造改革期」とする。
「失われた10年」では大量の不良債権とその処理が大きな問題だった。
「構造改革期」では、国家規模の規制緩和が景気にいかなる影響を与えたかが問題となる。
ここで注意を喚起しておきたいのは「失われた10年」と「構造改革」という言葉とは、対をなしていることである。すなわち90年代が「だめな」時代で、何かが「失われた」から、「構造改革」の要があるという運びである。
ちょっと「はじめに」から突っかかってしまいましたが、90年代を不良債権で、2000年代を構造改革と規制緩和で括るのは、ちょっと荒っぽすぎるのではないでしょうか。
97年から98年には、①消費税を先頭とする政策不況があり、それが消費の低下と相対的生産過剰を呼び、生産不況を呼びました。②これにより隠されていた不良資産問題が露呈し、金融危機を呼びました。③さらにタイに始まるアジア金融危機があり、相場の乱高下は金融資産の評価を大きくゆるがせました。④それにもかかわらず、政府は金融ビッグバンを強行し、金融機関の危機を放置し、傷口を大きくしました。
危機のなかで退陣した橋本内閣に代わり、小渕内閣が登場し①「借金王」と自らを揶揄するまでに国債を膨らませ、公共投資を行い、②長銀破綻にいたり、真水の注入に踏み切り、金融機関を救済しました。③日銀はゼロ金利で金融を支えました。
これで00年の終わり頃までには何とか一服状態まで持っていきましたが、日銀の金利上げでふたたび奈落の底に沈みかけました。このときはゼロ金利でも景気は浮揚せず、総量緩和まで行い大量の資金を投入しました。
この辺までは、表の動きですから分かるのですが、このとき企業がどう対応したかが、現在に至るまでの問題の本質にあると思います。すなわちこの時期に日本の大企業は「変身」したのです。そしてその方向を政府に突きつけるようになり、強引に押し通すようになったのです。
そのころ森内閣も、IT産業への転換を訴え、積極的投資を行いましたが、そのITバブルがはじけたあとは政府が何をやったという記憶はありません。政府・経産省と財界とのバランスは逆転し、いまや経産省は経団連の御用聞きと化しています。
ですから私は、97年から2000年にかけての企業の態度の大転換が読み解かれないと、この間の経済は了解できないのではないかと思います。
それを解くキーワードが「国際競争力」なのだろうと思います。国際競争力には二つの意味があります。第一は競争力=利益力という考えです。目指すのはシェアーでも、売上高でもないのです。基本的にはこれは守りの姿勢です。第二は国内市場の戦略的放棄です。アメリカに加えアジアというエマージング・マーケットが加わり、「将来」展望を踏まえれば国内市場にこだわるのは時代遅れ。高齢化も勘案すれば内需の縮小、極端に言えば日本のケイマン化もやむをえない、ということです。
こういう「世論」が97年からの数年間を通じて財界に形成されていったのではないでしょうか。
このあたりを説得力を持って展開している文章が読みたいものです。
とりあえずまとめ的感想を述べておく。
97年不況は二つのフェイズに分けられるし、分けて考えなければならない。第一のフェイズは4月の9兆円負担増と公共投資の削減に端を発しており、需要の冷え込みと相対的過剰生産を特徴とする不況だった。
第二のフェイズへの移行ははっきりしないが、市場不安に対する金融出動の遅れによりもたらされており、11月の山一、拓銀倒産を契機に不良資産問題が景気回復の足かせとなる構造不況へ移行していく。
ボクシングにたとえると、それまで優勢に進めていた選手が左フックをテンプルに食らい、ファースト・ダウンを喫したのが97年4月。そのあと弱点のボディーに次々と有効打を打ち込まれ、グロッキーになって行くのが第二ラウンドだ。
バブル崩壊を機に始まった「平成大不況」に対する数十兆円規模の財政出動と多額の公共投資は、この時点で無駄になってしまった。
企業はみな内向き思想に変貌し、自らの保身に汲々とするようになり。国内投資はハイリスクとして敬遠されるようになった。97年の橋本改革はたんに深刻な不況をもたらしただけでなく、政府の財政政策への不信を募らせ、日本経済のあり方に深い傷跡を残したといえる。
Ⅰ 97年不況はたんなる景気後退局面だったのか
山家さんは権丈教授とは逆に、95年から96年の経済動向は、97年がさらに成長を遂げる筈の年だった事を示している。バブル崩壊後の「平成大不況」は93年末には下げ止まり, 95年からは「回復過程」に入っていた。96年度の名目成長率は3.4%を達成し、『経済白書』は、「日本経済は自律回復過程への移行を完了しつつある」と述べた(古川)。
市場要因を見ると、人手不足や設備不足からくる物価上昇などまったく発生しておらず, 過剰在庫の発生も見られなかった.市場には後退局面に入る兆候はなかった。金融政策は、この期間においては不変(ゼロ金利)のままであり、景気に影響を及ぼしていない。
海外要因を見ると、 9 6年までの円高が、 9 7年は一転して円安に振れた。それまでの輸出抑制と輸入の増加による経済成長への圧力は一気に取り除かれた。アジアの経済危機の影響が日本の輸出の落ち込みをもたらすのは 9 8年のこととなる.
こうして見ていくと、逆に、山部さんの結論は財政再建を行うチャンスではあったということになり、問題はその規模・方法ということになる。
ただ、ここまで手放しに賞賛してよいかという点では有力な異論もある。愛知淑徳大学の竹村先生は、「バブル崩壊不況」に対する公的資金34兆円、円高対策21兆円(95年)の投入と公定歩合引き下げで持ち直した、いわば「カンフル景気」にすぎなかったと評価している。
Ⅱ 何が景気低下に寄与したか
上記を考えれば、GDPを比較するのではなく、GDP成長率の変化を見なければならないということになる。GDP成長率は96年が3.4%で97年が1.8%であり、1.6%低下したことになる。この成長率低下に何が寄与したかを見なければならない。なお97年第Ⅰ四半期が駆け込み需要で、第Ⅱ四半期がその反動の低下として相殺されたと考えれば、年度で単純比較するのは妥当であると考えられる。
部門別で見ると、家計部門(消費と住宅投資)がマイナス1.8%で最大である。政府部門(公共事業)は1.6%の減少である。企業部門の需要はむしろ伸びを高めている。
権丈教授の主張する政府部門支出は一位ではないし、民間企業部門の増加とトレードオフされている。それがそもそも公共事業の呼び水としての役割である。パラレルだからと言って因果関係を意味するものでないことは、教授自ら強調されている通りである。(もちろん、この不況には「二番底不況」という側面もあり、そう単純に言い切れるものではないこともたしかではあるが…)
北村洋基氏は、このあたりの経過をもう少しダイナミックに描写している。
消費の減退が生産とのバランスを一挙に崩して過剰生産に陥った。設備の過剰と雇用の過剰, 債務の過剰が顕在化した。いったん減少に向かった不良債権が一挙に増加した。
Ⅲ 何が不況を深刻化させ長期化させたか
もっとも影響が大きかったのは政府の見通しの甘さと対応の遅れである。竹村教授によれば、
政府・日銀は、「資産価格の鎮静化は、景気に対して影響がないわけではないが、過度に恐れる必要はない」との見解を示し、「バブル経済」崩壊の影響を軽く見ていた。加えて当時の橋本内閣は、平成9年度に入っても、「景気の上昇局面が継続している」と誤った判断をしていた。
という。
かくして始まった政策不況が長期化し、「二番底不況」として深刻化するについては、他の要因も少なからず関連している。その中で特に大きいのは金融の機能不全である.山家さんはそのメカニズムを以下のように説明している。
この改革と景気とのかかわりが生じた順序はこうである.
① 1 9 9 7年5月を山に景気は後退期に入った.
② そこにアジアの金融危機が重なった.
③ その下で, 株価が低下の度を強めた.
④ そうした一連のことの結果, 金融機関の抱える不良債権問題が再燃し.
⑤ 経営の危機に遭遇した大手の金融機関を救済せずに放置した.
⑥ そのことが, 一部の金融機関の経営の危機を,金融機関全般の経営危機へと深刻化させた.
⑦ 金融危機は数多くの企業の資金調達を困難化し,景気後退を深刻化させた.
なお古川氏はこれに加えて、「金融システム改革」(金融ビッグバン)の影響を強調している。
1998年4 月実施予定のビッグバンめざして不良債権の早期是正処置がもとめられ、それが出来なければ格付け会社から投資不適格の烙印を押された。
9兆円も持っていかれて世間が金詰りになっているのに、銀行が貸し出しできなくなったわけだ。とくに中小企業に対する貸し渋り(クレジット・クランチ)は、不況の深刻さを一段と深めた。
マイナス成長に陥った1998年については下記のごとく記述されている。とりあえず紹介だけしておく。
① 家計部門の需要の落ち込みが1 9 9 7年を上回る。所得が減少し将来不安が高まる。
②企業部門の需要も大幅な前年比減少
③輸出もまた減少。円安だが、アジア向け輸出の落ち込みが影響
1997年不況については、ネットで探した範囲では、山家悠紀夫『景気とは何だろうか』がもっとも理論の筋が通っていて、説得力がある。このページはそもそも岩波新書, 2 0 0 5年の抜き書きのようだ。
もう一つ、消費税を擁護する立場の文章もある。これはヨタ文章なのだが、書いた人間が慶應義塾大学 商学部教授 権丈善一 という偉そうな人なので、まずはその文章を鏡としながら論点の所在を探っておきたい。
勿凝学問174 「1997年不況の原因は、本当に消費税率引き上げなのか?」という表題で、「当時の公共事業費削減やアジア経済危機も思い出してあげないと、消費税が可哀想だ」というリードがついている。
これだけ読む限り、いわば経済専門家による消費税犯人論の真っ向からの否定だ。書き出しはのっけからけんか腰である。
1997年4月に消費税率は2ポイントあがった。そしてその年は深刻な不況に見舞われた。だから、深刻な不況は消費税のせいであるというのであれば、あの年8月のダイアナ妃の事故死も消費税のせいなのかと言いたくもなる。そして消費税率引き上げ前1月の松田聖子・神田正輝の離婚は、あれは駆け込み離婚なのか?
ついで97年不況の見解をめぐる対立が“財政構造改革派と景気対策優先派”の対立 にあるとの説を唱える。
これは権丈教授の独特の見解であり、そもそもそのような対立があるのかさえ判然としない。
財政構造改革も景気対策もどちらも大事なことである。そのことに異論を唱える人はいない。同時に、財政構造改革が究極的に景気に左右されることも当然であり、景気対策が優先されるのも当たり前の話である。少なくとも財政構造改革に執着するあまり、97年不況のような事態を再現することは断じて許されない。これはすべての人に共通する認識ではないだろうか。
権丈教授はこのような共通認識を踏まえているのだろうかという疑問を抱かざるを得ない。
もうひとつ、“見解が分岐するトピックとして、橋本内閣における財政再建努力をどのように評価するかという問題がある ”とも書いている。
これもおかしな話で、どのように評価するかと問われれば、すべての人が「失敗だった」と評価するだろう。問題は「なぜ、どこが、どのようにして失敗したのか」という分析であり、二度とこのような失敗を繰り返さないための教訓を汲み取ることである。
ここでも、権丈教授はこの共通認識を踏まえているのだろうかという疑問がわいてくる。
(ウィキペディアにもこう書かれている。
消費税引き上げ論者、ないし財政再建論者からも以下の意見が出されている。
①時期として適当でなかった。96年、景気はバブル崩壊から立ち直りつつあったが、力強さは見られなかった。②額が適当でなかった。③対処が遅れた。)
教授は97年不況が“社会実験の意味を持っている”と書いているがまさしくその通りだ。だから我々は貴重なこの経験から多くのことを学び取る必要があるのだ。その後の「経済白書」も、その内容は別として、私と同じ観点からこの問題にアプローチしている。
文章の性格からしてやむをえないとは同情するが、教授は97年不況の原因を以下のように簡略化している。
①1993年末から景気が回復してきた日本では、1996 年に実質年率3.5%の経済成長を達成した。
②1997 年5 月からの景気後退は、1997 年4 月の消費税率引上げ前後の駆け込み消費と買い控え現象だ。
③これに1997 年7 月以降のアジア経済危機を契機とした大幅な株価の下落などが、橋本財政構造改革の時期と重なってしまっただけだ。
上記の説を裏付ける根拠として、教授は一つのグラフ(転載せず)を持ち出し、以下のように説明する。
1996 年の前半にピークを迎えた家計消費支出、政府消費、公的資本形成は1996 年中に低下傾向をみせはじめる。公的資本形成の減少とほぼパラレルに動いている
1997年4月の消費税率2ポイント・アップは、景気の低下傾向そのものを加速するような影響を与えてはいない
と、驚くべきことに消費税主犯説の否定ではなく、消費税無罪論まで飛躍して行くのである。
そのために教授は、四半期集計のグラフの“消費税率の引上げ前後の消費の増減をならしてみる”という驚くべき手法を用いる。そして“公的資本形成の減少とほぼパラレル”であることを“発見する”のである。
公的資本は過少消費に対する対応策として出てくるのであり、基本的には民間消費とは逆相関の関係にある。民間の資本形成とあわせて見て行かなければならないし、本来パラレルになるはずのないものだ。
また4兆円の公共投資減少が100%効いて、9兆円の国民負担増が0%だという話も無茶苦茶だ。
たしかに97年不況は「二番底不況」と呼ばれ、バブルのツケの清算としての性格も持っているのだが、ここまで事態を一面化するのは異様としか言いようがない。
例えばここでは民間資本形成が意図的に除外されているのであるが、まさに政府消費による下支えで民間資本形成が持ち直し、3.2%の成長を実現したからこそ、政府は公共投資の抑制に着手したのだ。
もう一つ、政府投資の減少を主犯とし、よって以って消費税を免罪するのは、論点のすり替えである。問題は97年不況が「政策不況」であったか否かである。
政府投資の減少も、消費税や社会保障改悪と同じく、財政再建至上主義にもとづく政策だったのであり、その立脚点に立てば、それらは個別の手法の違いに過ぎないからである。
たしかに、経企庁は当初国民負担増の問題を取り上げなかった。そして現下の不況を「二番底不況」として描き出そうとした。しかし後には消費税などによる消費減退を指摘するようになっている。
現在の深刻な不況の主因は、官民が金融機関の不良債権処理を先延ばしし、バブル崩壊の後遺症を悪化させたことだ。政府が、不況の主因にメスを 入れないまま、公共事業を柱とする従来型の景気刺激策を繰り返し、効果が出なかっただけでなく、財政赤字の増大も招いた。
経済企画庁の1998年版「日本経済の回顧と課題」