鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

AALA関連記事は「aala_newsの編集日記」http://blog.livedoor.jp/aala_news/ に移りました(6Nov.2023) 中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 「ラテンアメリカの政治」(http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ )がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2012年02月

ヒラリー・ハーンはなかなかガードが堅いらしくて、YouTubeではほとんど聞けない人である。
最近ではバイオリニストというと若くて美人が相場で、ほとんど聞くというより見るものになっている。悔しいからこの人もそういう人だと思っていた。
ところがバッハの協奏曲第2番ホ長調を聞いてみて、思わず唸った。でしゃばらず、バックと溶け合いながら、主張すべきは主張し、実にしっかりした演奏をしている。
バシュメットのビオラを聞いた時のような印象だ。

1997年論 まずは年表から

1997年4月

1 財政構造改革を旗印に、消費税が税率3%から5%など負担増9兆円、公共投資など歳出削減4兆円
8 東京外国為替市場で4年7か月ぶりの円ドル126円台に。
25 大蔵省,日産生命に業務停止命令

1997年5月
 16日 改正外為法(外為取引の自由化)、改正商法(ストックオプションの解禁)が成立

1997年6月
13 金融制度調査会,証券取引審議会,保険審議会が日本版ビッグバンの実現を目指す報告
16 患者負担増(本人2割負担)を柱とする医療保険制度改正関連法案が可決成立。9/1より施行
30 第一勧銀・野村證券に業務の一部停止の行政処分を通告。年末まで。
6月 株式は年間最高値をつける

1997年7月
3 アジア通貨危機がはじまる。タイが通貨バーツが変動相場制に移行。実質的な切り下げ。東南アジア各国では,外貨流出や通貨下落が相次ぐ。

1997年8月
15 ニューヨーク株式市場、ダウ工業株平均で247ドル安。史上2番目の下げ幅。株安が世界に波及。

1997年9月
11日 第2四半期、第1次石油ショック以来のマイナス成長(前期比年率-10.6% )を記録

1997年10月
27日 NY株、ブラックマンデー上回る急落。初の全面取引停止.

1997年11月
3 三洋証券が会社更生法適用を東京地裁に申請。負債総額3736億。
17 北海道拓殖銀行が経営破綻。都銀初の破綻。道内営業権を北洋銀行へ移転へ。
21 韓国,IMFに約200億ドルの支援要請
24 山一証券、廃業の申請を決定。簿外債務2648億円。
11月 財政構造改革法が成立。6年間で赤字国債の発行をゼロにする計画。その後財政による景気対策を制約することとなる.

1997年12月
5 NY外国為替市場、1ドル130円に。1992年以来の安値。日銀30億ドルの円買いドル売り介入
17 橋本首相,2兆円特別減税表明

1998年1月
補正予算。公共事業の追加1兆円と,次年度公共事業先取りが1兆5千億円

2月 金融機能安定化緊急措置法,30兆円の公的資金投入。21銀行が公的資金申請

3月 ヤクルト,デリバティブで1057億円損失
3月 失業率過去最悪3.6%.有効求人倍率は0.61.完全失業者246万人.就業者数は6411万人

4月 緊急経済対策(16兆円、真水で10兆円) 財政構造改革法を緩和、特別減税を拡大。


97年4月から98年4月までの経過である。 経過表を眺めるだけでいくつかのことが分かってくる。

①景気の落ち込みが問題になるのは第4四半期に入ってからである。第2四半期の落ち込みは第1四半期の駆け込み需要の反動である。 第3四半期はチョボチョボの線に回復している。しかし需要はまったく喚起されず、作っても売れない状況に入っていた。

②98年4月からの金融ビッグバンを前に、不良資産にあえぐ金融機関に自己資本強化が求められた。資金難の民間に貸し渋りは往復ビンタとなった。

③7月からアジア通貨危機が始まり、10月には拓銀、山一の破綻となった。株価は乱高下し信用不安が進んだ。

④ここでは明らかになったのはヤクルトだけだが、オリンパスもこのとき巨額の損失を出していた。企業は減収増益を目指し守りの体制に入った。新規採用はとまり、人々はますます財布の紐を引き締めた。

この経過で97年危機が訪れた要因は、9+4兆円のほかにアジア金融危機という外因、そしてバブルの最終処理の強制という三つに絞られるが、それぞれがどの程度の重みを持っていたかを吟味しなければならない。

1997年論というのは相当の難物である。

共産党の論調では、消費税の3から5%への引き上げと、社会保障の改悪、特別減税の停止をふくめた9兆円負担増が日本の景気を悪くした元凶だとしている。

いろいろ調べてみると、そんなに単純なものではなさそうだ。日本の経済構造が大きく変わった変曲点であることは間違いない。そこにはもっと中長期的な大きな力が働いているはずだ。曲がり角としての90年代論を語ることなしに、そのエッジとしての97年を語ることは出来ない。それが何だったのかをコンセンサス議論としていく必要があるだろう。

それには世情論とかトリビアルな指標で議論するのはやめて、がちがちのマクロ指標で正面から取り組んでいくしかない。

もう一つは、日本経済が変わったという受身議論だけではなく、政策・戦略として97年「改革」を推進した勢力がなんだったのかというダイナミックスも明らかにしなければならない。これは日本の政治を根本から変えていく上で避けて通れない課題である。

昨日のNHKの原発事故の民間事故調査委員会の報告に関連した番組はすごかった。「そこまで言っていいんかい」の連続で、息継ぐ暇も与えないほどの迫力だった。大地震のときに隠れていた地層が断層を起こし鮮やかに層状構造を見せてくれるが、日本の権力構造の政・財・官という積み上げかたも、一瞬、その秘部をさらしたようだ。

この報告についての分析はこれからいろいろ出てくるだろうから、引き続き注目していきたい。97年「改革」についても、一つの政策的激変であったから当然露頭が顔を出しているはずだ。大蔵省の財務畑が主導し橋本内閣を動かしたという構図だが、銀行畑はどう動いたのだろう。橋本内閣が大蔵省主流の方向で動いていたのに対し、与党内での対抗する動きはなかったのか、通産省や経企庁はどう動いたのか。財界はどう反応したのか。アメリカはどこをどう動かしたのか。

いずれにせよ、今度の一体改革が「97年の二の舞」になるのではないかという不安は、国民のあいだに根強くある。だから政府・財務省はそうならない根拠を示さなければならないのである。少なくとも97年「改革」を総括し、その失敗の原因を明らかにし、97年との違いを明らかにしなければならないのではないか。

ところがどうも、その作業は棚にあげて、「97年は特殊な年だったから、消費税引き上げによる景気悪化とはいえない」といって、頬被りしようとしているようにも見える。これでは原発再開の議論と変わるところはない。

たしかに興味ない人にはたいした記事ではないかもしれないが、国際面のベタ記事。

短いので全文紹介する

コロンビアの最大の左翼武装組織コロンビア革命軍(FARC)は、26日、拘束している人質のうち、警察や軍関係者10人を解放するとともに、民間人誘拐を今後一切しないと宣言しました。

画期的な、というより歴史的な宣言だ。

人質作戦はベタンクール誘拐などをふくめ、一貫してFARCのスティグマだった。世界からの連帯がとまったのもそのためだ。

ゲリラの作戦が初期に金持ちを誘拐して身代金を取ったり、銀行や銃器店を襲撃したりするのは、ある程度やむをえない。それ自体が抑圧者に対する懲罰という側面もある。

しかしこれはたいてい、山中のゲリラではなく、都市のコマンド部隊のやることで、つかまれば皆殺しとなるきわめてリスキーな作戦だった。

しかし最近の誘拐はゲリラの本隊そのものが道路を封鎖して金をせびったり、村落を襲撃して金品を強奪したりと節操がなくなり、一種の安全なビジネスと化している。これはゲリラとしての堕落だ。

20年を経て、ようやくそのことを悟ったようだ。これにはマヌエル・マルランダやホルヘ・ブリセノ(モノ・ホホイ司令官)など“生まれながらのゲリラ”という指導者がなくなり、やっと世間の風が入り始めたという事情があるのかもしれない。

このほかにコカインというもう一つの大問題も残されているが、国内的にみれば、こちらのほうがはるかに片はつけやすいと思う。なんとなれば、アメリカの意向さえ気にしなければ、とりあえず手はつけなくてもよいからだ。

FARCが武装闘争を開始してから50年、いったん休戦したあとふたたび銃をとり始めてから25年、農民ゲリラが闘い始めてからだと60年になる。ようやく解決への糸口が見え始めた。

この間に都市人口は飛躍的に高まり(そのほとんどが失業者だが)、闘争の形態も大きく変わっている。合法活動の余地はまだ極めて少ないが、軍もふくめて厭戦気分が横溢している。

市民的不服従の戦いと、二大政党制に収斂されない人民の極の形成が最大の課題となるだろう。

さすが全国商団連はしっかり要点を抑えている。
国分会長が衆院予算委での意見陳述。

①消費税は景気を冷やす。
②中小業者は価格転嫁できない。
③輸出大企業は負担軽減になる。
④リストラを促進することになる。

③については輸出戻し税を根拠としている。これによる還付額は上位10社だけで8700億円。
④については派遣社員の比率増加により、納税額が減らされるという派遣奨励策を挙げている。 

派遣奨励策に関しては、「2012.2.10 “派遣”の人件費は仕入れ控除すべきではない」を参照してください。
海外配当非課税もあげておけばよかったと思うが、こんなものでしょう。

大阪の思想調査の本質が、急速に明らかになっている。
その犯罪性の最大のポイントは、本人の思想調査もさることながら、市役所労組の言葉を借りれば「チクリ」の強制にある。
その結果、あなたの名前が記載され、権力から危険分子のレッテルが貼られているかもしれない。しかも自分のまったく知らないところで…
これはフィクションではない。目の前ですでに起きてしまった事態なのである。
市役所の職員がけしからんとか、市職労・市労連が憎たらしいからというレベルの問題ではない。

これは、思想としてもきわめて危険な思想である。「チクリ」を強制するだけではなく、「チクリ」とその強制を合法と考える思想である。さらに言えば「チクリ」社会を実現しようとする思想である。
これが問題でないと強弁する橋下市長の頭の中は完全に腐っている。

橋下支持者は他人を蹴っ飛ばそうとして自分の足を蹴っていることになる。あなたはもう「匿名」のままではいられないのである。なぜなら公権力はあまねく影響を及ぼすからだ。あなたのメールは読まれ、名は知られ、「不満分子」としてブラックリストに載せられるのだ。

今日のユダヤ人は、明日のすべてのドイツ人である。
蹴っ飛ばしたいのならほかにやり方はあるだろう。
監視社会を許容し、「批判の自由」を投げ捨てるのは、愚の骨頂だ。

ドビュッシーの「雨の庭」が聞きたくなってYouTubeを探したが見当たらない。
リヒテルの演奏は聞きたくない。アラウとハースがあるが音が悪い。アルゲリッチも随分昔の録音だ。後は素人の演奏ばかり。
こんなにYouTubeが発達しているのに、穴場になっている。

探していたら、ドビュッシーのピアノ曲全曲をアップロードしてくれた奇特な人がいて、正直音も演奏もあまりよくないのだが、一通り聞いてみた。ドビュッシーという人は1903年あたりで才能が枯渇したようだ。最晩年のフルート、ビオラ、ハープ・ソナタあたりで奇跡的な復活をしているが、躁鬱病だったのかもしれない。あるいは遊ぶのに忙しかったのかもしれない。それも人生だわな。

土曜日の赤旗「応分の負担 4」は勉強になった。
大企業の優遇税制のうち、連結納税制度と海外税額控除についての説明。

①連結納税制度
100%出資の子会社について損益を合算して決算する制度。赤字の子会社があればその分納税額が減ることになる。
まぁ仕方ないんじゃないかと思うが、実際にやってみると904の企業グループで1兆2600億円払うべきところが7200億円で済んだそうだ。これは43%というすごい節税になっている。
ただその節税テクニックの手法については書かれていないので、少し勉強する必要がありそうだ。

②海外税額控除
企業が海外で利益を得た場合、海外でも課税される。その分を日本で控除するもの。控除しないと税の二重取りになるから、企業側から見ればたしかに不合理だ。
しかし09年からはこれにおまけがついた。これが「海外子会社配当益金不算入制度」というもの。これは配当金の95%を非課税所得とするもの。
これはまったく理由が分からない。政府は税の支払いを嫌って「海外に滞留する」資金を国内に還流するためとしているが、それにしても法体系上不合理だ。
原理的には海外資産への課税として、還流しようがするまいが徴税すべきものだろう。そうすれば還流は100%保証されることになる。
技術的困難があるのなら、みなし課税すればよい。

「海外配当への非課税」については 2011.12.7 にも記事を掲載しています。そちらもご参照ください。

医療関係者がTPPに関するシンポを開催した。
その中で注目したのは保団連の住江会長の発言。
医療の公定価格制度が「自由な競争を阻害する」とされかねない危険性を指摘したとある。

いわゆる「毒素条項」の本質は、「自由契約原理主義」にある。しかしこれはアメリカの、しかも大企業の論理であり、「新自由主義」そのものである。

ILOはもとより、これまでのGATTやWTOの基本精神とも相容れない「強者の論理」である。

我々が目指すのは「法の下での平等」であり、「契約の下での平等」ではない。契約の前提には法の下での平等は含まれていない。「人身売買」も、「ヤミ金融」も契約は契約なのである。

だから契約には、法的見地から規制が加えられなければならない。その契約が公的性格が強いものであればあるほど、規制も強力でなければならない。そうでなければ社会が崩壊してしまう。

すなわち共同体の論理は私契約の論理に対して優越的地位を持つのである。そのことを前提にして、両者が共存共栄できるようにするのが国家の政策であり、実体的には憲法を頂点とする法体系なのである。

TPPはごく表面的なメリット・デメリットの議論でも有害無益なものだが、TPPを支える思想・原理の面から見ても人類社会の進むべき道を踏み外している。

日本の医療は自由開業医制を基盤として発展してきたといわれる。たしかに医療の効率はきわめて高い。しかし、戦後の医療の流れを決めたのは開業医制ではなく、国民皆保険制だ。


これは60年代後半の「医療社会化論」との論争を通じて確認されてきたんですが、もう昔のことでだいぶ忘れてしまいました。
一度おさらいをしてみる必要があります。


世界政治のバックナンバー回顧もいよいよ大詰めになってきた。

88年6月上旬号に増田紘一氏のブラジル共産党(PCB)機関紙祭り参加録が掲載されている。当時読んでいたことは間違いない。ちゃんと年表に織り込まれている。

しかし「あれっ変だな」と思ったことも間違いない。だから実事求是でやってきたつもりだ。今となっては私のほうが正しかったようだ。

ということで、記事を以下に転載する。

ブラジル共産党は58年3月に自主的な立場を発展させるよう決定した。だがブラジル革命は10月革命と同じでなければならないとい考えは根強く続いた。
さらに中国革命と同じでなければならないという潮流も生まれた。50年代の終わりから60年代のはじめにかけてである。武装闘争唯一論である。
この潮流は60年の代5回党大会で政治的に敗北し、62年に別党PCdoBを結成し、革命の平和的な道に反対して、中国式の農村から都市を包囲するとか長期人民戦争論に基づく武装闘争路線を主張した。
毛沢東路線の誤りが明らかになって後、このグループはアルバニア派に変わった。最近ではアルバニアのことも口にしなくなっているという。しかしこのグループはPCBよりも1議席多い4名の下院議員を持っている。
毛沢東盲従派の分裂に続いて、ブラジル革命はキューバ革命と同じでなければならないという潮流の発生だった。キューバ革命のモデルをその独自の特殊性を除き規範として解釈したのである、という。
このグループは、クーデター直前は革命前夜であったとし、PCBは右翼的誤りを犯したと批判し、武装闘争路線を主張した。このグループが若干の指導部のメンバーだけでなく、若い世代の多くを引き連れていったために打撃は大きかったといわれている。
こうした外国の武装闘争の経験の無批判的な移植は繰り返し起こり、その都度分裂を産み、党を弱体化した。

これらのPCB幹部の主張が全くのお笑い種であったことは、いまではかなり明らかになっている。PCBの「武装闘争」批判論は、体を張って権利を守りぬく現場の闘争とは無縁の議会主義クレチン病の世界である。

たぶん全国報道はされないと思うので紹介しておく。
定例市議会で共産党が代表質問。
「姉妹孤立死」問題について当局の考えをただした。

副市長の答弁。
①「申請の意思は示されなかった」から当局に落ち度はない
②「ただちに生存が危うくなる状況ではなかった」との判断は妥当だ
③(申請を受けられなかった人への追跡調査について)「必要ない」

上田市長は「制度の狭間で救いがたい事例だった」と答えた。

どうも変だ。トップと現場感覚にずれがあるようだ。おそらく、姉は突然死と思われ、死亡前に危険を予測することは難しかったと思う。
したがって、“生保申請をさせなかったことと死亡との間の因果関係はない”と考えるのももっともである。

ただ今問われているのはそういう類の責任ではない。現場のスタッフに落ち度はなかった。しかし姉妹を孤立死させてしまった。“じゃぁどうしたら良かったのだろう、どうすれば良いのだろう”、というのは現場の痛切な声ではないだろうか。

この手の事件が二度と起きないように手立てするのは、ほかならぬ当局の責任であり、その責任を問うているのだ。現場もまさにそういう指示を待っているのではないか。

この答弁だと、再発が防止できる保証はまったくないということになる。つまり「制度の狭間」を埋めるべき行政責任の放棄である。

なくなった姉妹は泣き寝入りになるし、現場は激しい非難に晒されるのに、市のトップは、「判断は妥当だった」の一言で頬被りというのは、あまりにも情けない。


赤旗文化面で高橋哲哉教授のインタビューが載っている。
「犠牲のシステム」というのだが、どうもいまひとつピンとこない。

そこのところよりも、“生半可な政権交代くらいではびくともしない戦後日本の国家システムが、その露頭を現わしています”という指摘が印象的である。
その例として二つあげている。
ひとつが鳩山内閣の普天間問題での挫折、もうひとつが菅政権の「脱原発」宣言である。

時の政権の政策に拠らない、もっと深部の構造というのがあって、ある意味で国民の血肉と化し、構造化されているという指摘は鋭いと思う。

しかし私からすると、そのことによって逆に「システム」が露頭を現わしたことに意義があるのだろうと思う。「びくともしなかった」深部の岩盤が、どうも揺らぎ始めたようだ。だから「露頭」が現れたのであろう。

ただそれを「犠牲のシステム」と規定するのは、どうだろうか。
政治・経済の枠組みを越えたもっと深い構造物があるだろうということは分かる。むかし全共闘の諸君は「戦後民主主義の虚妄を解体せよ」と呼んでいた。

とにかく得体の知れないもので、目下のところ「群盲、象をなでる」の域を出ないが、「露頭」の底には何かありそうだという辺りではコンセンサスが成立する。
いまは、構造やシステムそのものを云々するよりは、その表現系であるさまざまな「神話」を分析的に追求するほうが生産的だろうと思う。
医学の研究では、まず症候群として存在を確定する。ついで臨床研究により診断基準を確定する。その後に病理学的検討を加えて疾患としてのエンタイティを確立するという手続きを踏むことになる。


私が考えるには、この「システム」が生み出した数多くの神話、たとえば「日本は輸出しないと食べていけません」神話、「日本はアメリカなしに生きていけません」神話、「会社あっての社会です」神話、「国際競争力」神話、「ソ連が攻めてくる」神話、「朝鮮人・中国人劣等民族」神話、「中流階級」神話、「トリクルダウン神話」、「原子力は未来のエネルギー」神話、「自民党不敗神話」などなど。
それらを、たんに否定し拒否するのではなく、その拠って来るところを探っていくのが最初の足がかりだろうと思う。

戦後60年の“成功体験”によって培われた“素直な”、しかしいびつな感情を日本人は共有している。それは半ばは支配階級によって吹き込まれたものだが、幾分は自然発生的な排外主義によって強化されている。そこをピンセットでより分け、剥離しながら「システム」に迫っていくことになるだろう。

ということで、現下の状況を「国家システムが“ぬっと”露頭を現わした」と表現するのは、良いことだろうと思います。私は経団連の米倉会長がしゃしゃり出てきたときに「野郎、とうとう出てきやがったな」と感じました。原発でJR東海や東レの社長が前面に出てきたり、どうも黒子がはしゃいでいるようにも見えますが、とにかくこういう人々との勝負が本当の勝負でしょう。

あとは、まだ尻尾を出さない財務、通産、国土省あたりのトップ・OB・テクノクラート集団ですかね。

マツダが通期連結業績で1千億を越す赤字となった。赤字は4期連続だ。
短期的には東日本大震災やタイの洪水のためだが、中長期で見ると国内生産比率が高く、円高による輸出採算の悪化が効いているようだ。

嫁さんが身障者になり、トヨタ・ウィッシュに乗り換えたが、それまではファミリア以来のマツダ党だった。
ここの労働組合は割りにがんばっていて、そういう関係で始まったのだが、ファミリアも、初代カペラも良かった。最近の三代目カペラは10年乗ったが、リッター17,8キロ走った。今の車の倍だ。実質価格はウィッシュの2/3だった。

小学生の頃、ダイハツのオート三輪が全盛だったところへ、マツダが進出して来た。最初はオートバイと荷車をくっつけたようなものだったのが、あっという間に丸ハンドルの三人乗り、水冷4気筒になり、ちょっとした乗用車気分だった。

マツダは何度もつぶれかけているが、そのたびに良い車を出して生き残ってきた。隙間を狙わす、ガチンコ勝負をかけてきた。そこを忘れないでほしい。

1700億円を借りて海外進出に拍車をかけようとしているようだが、車作りの本道を踏み外さないよう願う。

一昨年スペイン旅行をしたときに、時刻感覚が変なことに気づいた。
団体旅行なので当然朝早くから移動もあるのだが、それにしても暗い7時でもまだ暁という感じである。一方で日の暮れるのも遅い。10月だというのに7時過ぎても明るい。どうも2時間くらいずれているのではないかと思った。
ところがマドリードは西経2度から3度くらい、グリニッジのほぼ真南に位置する。そんなに狂うわけがない。
それで悩んでいたのだが、実はスペインはGMTを採用していなかったのだ。実時刻に近く、世界標準時でもあるGMTを採用せずにわざわざ中央ヨーロッパ標準時を採用していたのだ。
これだと話が合う。ヨーロッパ中央時はマドリードの実時刻より1時間進んでいる。これにサマータイムを1時間上乗せすると2時間ということで、話のつじつまはあった。
話のつじつまが合ったところで、もう一つの疑問。一体なんで10月までサマータイムを引っ張るのかが分からない。
電気の節約だったら、サマータイムはかえって無駄だ。だいたいスペイン人は宵っ張りだから、アフターアワーが長くてもそのぶんアルコールが増えるばかりであまり生産的ではないように思う。
スペインの飲み屋はけっこう夜9時からなんてぇのが多いみたいだが、身体感覚から言えば夜の7時で、飲みはじめるには良い時間だ。ということはちょっと勢いが乗れば、たちまち午前様ということになる。これでは次の日の仕事に差し支えるだろう。
スペインが景気悪いのもそのせいではないか? と程度の低い分析をする。

ギリシャ債務危機に関しては、もっぱら先進国や銀行の対応ばかりが報道されています。そういうニュースを聞いていると、ギリシャは身の程知らずに贅沢してきたのだから、多少の我慢はやむをえないみたいな気分になってしまいます。

我々はプロレタリアートであり、ギリシャの民衆のお仲間なのに、資本家気分になってしまってはいけません。

以下の一覧表は、ギリシャ共産党のホームページから引用したものです。英文の解説がついていますが、おそらくギリシャ語の機械訳ではないでしょうか、とても読めたものではありません。



「新メモランダム」の攻撃リスト

労働者階級とすべての人民にとっての地獄の日々が準備されつつある。罠を仕掛けるのはトロイカ強権政府の暗黒戦線だ。

彼らは人民攻撃の方法に関して合意した。それはこれから果てしなく悪化する攻撃、今年6月までに実施されるだろう「新協定」の前触れに過ぎない。

「新メモランダム」は12月初めに投票により成立した。それには人民に困窮をもたらす以下のような攻撃がふくまれている。

A.給与

①基本給の22%引き下げ。

②初任給の10%引き下げ、つまりこれから就職する人は32%の引き下げとなる。

③各分野での個別賃金上乗せ協定の廃止。

④賃上げの2015年までの凍結。

⑤正規雇用のパートタイム化の容認。

⑥定期昇給の無期限停止。

⑦団体交渉による賃金決定を3年間凍結。

⑧その他団交の合意事項は1年間凍結。

⑨賃金水準に関しては6月までに南欧諸国との比較の上再提示する。

B.年金と社会負担

①年間3億ユーロの年金圧縮。新規削減は基礎年金と付加年金の双方に及ぶ。

②いくつかの年金基金の基礎年金は年頭にさかのぼり適用。

③すべての付加年金基金を6月までに併合。「制度維持の条件」に関する検討を開始。「将来起こりうるいかなる不均衡にも速やかに対応できるようにするための調整因子」を導入する。すなわち付加年金と退職金に対する新たな切り下げの準備。

④企業主の社会保障負担の2%削減。これは「勤労者持ち家機構」などへの企業主負担の廃止を通じて行われる。これら機構は廃止される。

⑤民間企業年金基金(IKA)への企業主負担をさらに3%削減する。これは次年度初めより実施。

C.公務員、旧国営企業労働者、銀行従業員

①旧国営企業、銀行における終身雇用制の廃止。給与の削減。

②公的部門において、今年さらに1万5千人の削減。「労働予備軍」への編入。

③公的部門の契約労働者の解雇。契約の非更新。

④公的部門労働者の給与の特別加算廃止により、総額6億4千万ユーロの削減。

⑤公的部門における賃金表改定によりさらなる給与削減。

⑥公的部門労働者を2015年までに15万人にまで削減。「5人退職に対し1人採用」のルールの適用。

⑦公共部門において自動雇用を保証している軍事学校、警察学校の入学定員を縮小。

⑧各種の公的機構、施設の2012年6月までの閉鎖。

D.2012年度に行われる付加的措置

①医療セクターの縮小。医薬品費の11億ユーロ削減。

②「収入にもとづく給付基準」の法律化による社会福祉の削減。

③三人以上の子を持つ家族への給付削減。

④政府の活動費および消費支出を3億ユーロ抑制。

⑤教育文化相の管轄下のいくつかの施設を閉鎖し、2億ユーロを削減。

⑥病院の医師に対する時間外手当を5千万ユーロ削減。

⑦公共投資プログラムの4億ユーロ縮小。

⑧国防のための装備に対する支出削減。

⑨6月の新租税体系発足。労働者のための租税優遇措置を全面廃止する。いっぽうで大企業に対する税額控除が増加する。


民主党の皆さん、これが「一体改革」というものです。良く参考にして、経団連に褒められるように、もっとすごい案を作ってみたらどうでしょう。

1月の貿易統計速報(財務省)が発表された。貿易赤字が1.4兆円に膨らんだ。赤旗見出しでは欧州危機と円高が理由としている。
しかし数字を見てみると、どうもそうとは言えないようだ。

輸出が10%減って、輸入が10%増えたのだから赤字になるのは当然だ。輸入の増大はほぼ原油高と天然ガスの輸入増加で説明できる。いわば震災被害だ。
問題は輸出の方で、対中国輸出が20%減っている。中国をふくめアジア全体でも13.7%減だから中国への輸出減がいかに大きな影響を与えているかだ。

ここから二つのことが言える。
中国やアジアの日本からの輸入は生産財が中心であり、中国の経済成長にとって不可欠のものだ。これが落ちたことは円高では説明できず、成長の停滞がもたらしたと考えるべきだということ。それは、08年のリーマンショックと現下のユーロ危機の複合としてもたらされたものであり、注意深い観察が必要だということである。これが一つ目。
もう一つはアジアとの経済関係を見るとき、そこへは莫大な資本が投下されており、いまや貿易外収支と連結して評価しなければ意味がなくなっているということである。
しかし大多数の国民はその恩恵に浴せず、その結果起こる円高不況の犠牲者としてひたすらに生きなければならなくなっている。

日本は経団連と心中するのか

後者の問題は経済・財政の課題として別個に考えなければならない。所得の再配分と「内需の拡大」だけではだめで、生産への再配分が必要になってくる。既存の大企業を中心とする経団連には、この発想は生まれることはないから、政府・経産省のイニシアチブがどうしても必要だ。

経産省(昔の経企庁は今はどうなっているのだろう)が今の財界すりよりの姿勢を改めて、「日本丸」の行く末を力強く打ち出すことが必要ではないか。その際、アジア全体が底上げされるような政策シフトを断行すべきだろう。

時代は変わった

参考までに1月の対中輸出は2割減っても7千4百億円、対米輸出は7千5百億円であり、もはや勝負はついている。アジア全体では2兆3千億円だ。いまやアメリカなど目ではない。対米輸出に期待しているのは自動車産業くらいだ。
TPPの経済的メリットはほとんどゼロ、マイナス要因ばかりのTPPを推進するのは、中国の経済的封じ込めを狙うアメリカへの義理だてが唯一の理由だ。「そんなことをしている時代ですか?」、と言いたい。

大阪思想調査のちょっとしたフォロー その3

大阪市労組はがんばっているぞ

…と、ぶつぶつ言いながらグーグルを続けると下記のサイトにめぐり合えた。

大阪市役所労働組合(大阪市労組)

全労連系の組合で、1990年に結成された。
こちらのほうはしっかりと思想調査への反対運動をやっている。
また思想調査の用紙もそのままpdf ファイルにして掲載してくれている。ただ、資料としてはよいが、みんなに読んで貰うためには、要所を押さえたダイジェスト版があると良い。掲示板で実態を知らない人が形式論で切りつけるとき、その資料が役に立つと思う。

大阪市役所労組の批判声明の内容を紹介しておこう。

1.アンケートは「業務命令」で処分をちらつかせ、全員に記名による提出を強制しています。
この「アンケート」の、アンケートとしての形式上の問題が指摘される。
つまり、アンケートとしての要件をまったく満たしていないことが分かる。
①任意ではないこと、提出しなければ「業務命令違反」とみなされること。
②無記名ではないこと、したがってプライバシーはまったく保護されていないこと。
③抽出調査ではないこと。したがって個々人の勤務評定と1対1で対応すること。

2.アンケート項目は職員のプライバシーや個人の思想信条、組合所属までも必須項目として回答を求めています。
このアンケートの「質問」に関して、内容的な問題が指摘される。
①答えたくない私事について「答えない」という選択が認められない。職員のプライバシーを侵害している。
②個人の思想信条を明らかにすることを必須としている。憲法で保障された「内心の自由」が守られていない。

3.他の職員の政治活動や組合活動の告発(チクリ)を強要する内容になっています。
これについては「その1」に書いたので省略する。

4.憲法違反であり職務に関係のない職務命令は無効
このアンケートの実施に当たり、当局は地公法第32条(法令等及び上司の職務上の命令に従う義務)を根拠としている。
しかしこの根拠には前提がある。
①この条文は「法令、条例、地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規定に従い、且つ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない」とされ、諸法・諸規定が上司の命令に優先されている。
つまり諸法・諸規定の命ずるところにより、上司の命令に逆らわなければならない場合もあることを明記しているのである。
②職務命令は職務に関連してのみ有効であり、このアンケートに答えることが職務に関係しているか否かについては強い疑問がある。逆に言えば職務に関連した記名・悉皆調査ならそれは「アンケート」とはいえない。

以上大阪市労組の主張を紹介してきた。この主張は被害者意識で書いたものはなく、しっかりした内容の批判だと思う。

引用ついでに結成宣言の一部も紹介しておく

1989年末、大阪市役所では公金だまし取り事件が起こりました。大阪市民の支払った税金で、市の幹部や市会議員が、夜な夜な高級クラブで飲み食いしていた事件でした。市の外郭団体にツケ回しをした後藤事件、ナイトラウンジ“夕子”の架空口座をつくり公金を 振り込んでいた片岡事件。そして、その公金で接待を受けていた、日本共産党を除く議員関係者などなど・・・。

 市民は怒り真相解明を求める運動が起こり、私たちもその取組みに参加しました。しかし、事の真相解明を求める組合員の声に反して、当時の大阪市労連(連合・自治労)の幹部は、大阪市当局をかばいました。

「どうして組合は真相を追究しないのか」との疑問に応えるように、ある市幹部の話で、組合の幹部も公金で接待を受けていたことが明らかになりました。大阪市には「自浄作用がない」とさえいわれていました。

 大阪市労連・市職のこうした公金詐取事件への対応と政府財界が擁護する全国組織である「連合」に大阪市労連・市職が加入を決定していく中で、「連合は労 働組合ではない」と、まともな労働組合を求める声は日増しに高まりました。わたしたちは、大阪市役所にも本物の労働組合が必要だと痛感しました。


むかしグリコ事件の頃、大阪府警が散々たたかれたことがあったが、大阪の役所や組合は、その頃から今に至るまでたたかれっぱなしのようで、橋下市長に対する市民の共感はその辺に土壌があるようだ。

大阪思想調査のちょっとしたフォロー その2

大阪市職労の不思議

この問題に関して当事者の一つである大阪市職労がどう発言しているかを調べた。
グーグルで大阪市職労と入れるとホームページが出て来るが、まったくコメントがないのである。これにはびっくりした。
どうなっとんねん?

と思ったら、その下の個人ブログでは以下の記事があった。

 大阪市長選で、平松後援会への参加を市職員に徹底させる市労連の内部文書が作成されていました。文書は職員名簿を使って、後援会への紹介カードの配布・回収を確認する内容でした。

 この文書には、市労連側の指示として「紹介カードを提出しない等の非協力的な組合員がいた場合は、今後不利益になることを本人に伝 え、それでも協力しない場合は各組合の執行委員まで連絡してください」などとの注意事項が書かれていました。

ということなので、市職労としてはこの問題で下手に騒ぐとやぶへびになると思って、沈黙を守っているのかもしれません。とすればこれもひどい話です。

思想・信条の自由というのは根本的な原理だし、それがあってこそ労働組合が存立しうるのだ。多少の返り血は浴びてでも、この問題で闘わないと。 





大阪思想調査のちょっとしたフォロー その1

「ブラックリスト」はすでに作成された

3万数千人に上る市職員を対象に情報が収集された。「凍結」されたのは回答期限日である。その時点ではすでに多くの職員が「職務命令」に従って回答を提出していたはずだ。
その中には少なからぬ「たれこみ情報」があっただろう。それは「個人情報」を守るべき公務員として、本来行ってはいけない行為だ。応じた側にも、公人として違法・違憲を問われる可能性がある。

赤旗に各界人士の意見が寄せられている。
その中で立命館大の大久保教授の見解が注目される。

この調査の悪質さは…「交わりの罪」と呼ばれているものです。1950年代の米国で、議会の「非米活動委員会」が共産主義者や同調者に友人・知人の名前を自白するよう迫り、これを拒否すると「議会侮辱罪」で起訴され、職を失いました。
これは東ドイツの秘密警察も想起させます。市民の自白を元にさらに多くの人が尋問され、市民同士の疑心暗鬼による恐怖政治が行われました。

ここの所は法曹関係者に明らかにしてもらいたいのだが、個人の情報を第三者に開示することは犯罪行為を形成していないだろうか。たぶんグレーゾーンだろうが、公務員法、個人情報保護法その他に抵触する可能性は高いと思う。秘密を知られたことによる民法上の損害が生じる場合のあつかいもむずかしいが、違法性が高いだろう。

実名をあげられた人の救済が必要だ

何より、このアンケートにより不利益をこうむった可能性がある人が存在する。名前をあげられた人は間違いなく被害を受けている。公的権力から「不良分子」の烙印を押されたも同然の人々だ。それは社会生活の破壊さえ招きかねない半端でない被害だ。
しかも自分の名が上げられているかどうかすら分からない。アンケートによる「被害者」が情報開示をもとめれば、行政としてはこれを拒むことは出来ないのではないか。

この記事は珍しく赤旗一面に載っている。
総務省の労働力調査の報道である。
非正規雇用の35%というのは実数でいうと1733万人。就業者の3人に一人である。
10年前が30%で、その後の10年で5%増えている。

非正規雇用というのはそれ自体が正規雇用と失業のあいだの曖昧な部分を統計化するので、その意味は多義的である。また団塊の世代が定年を迎えつつあるいま、それがどのように反映されているかも見ていかなくてはならないだろう。

実数である1733万人を準雇用と見るか準失業と見るかで、捉え方は違ってくるだろう。
性別で見ると、それがはっきりする。
男性では非正規は20%、女性は55%だ。しかも女性の場合、同じ非正規でも限りなく正社員に近い契約・派遣労働ではなく、限りなく失業に近いパート・アルバイトの比率が高い。
まともな職につけないという点では女性は悲惨ということができる。
しかし失業という点で言えば、男性は正規か、然らずんば完全失業かということになる。中途半端な生き残りが許されない、大変厳しい状況に置かれていることになる。
どっちを向いても真っ暗闇なのである。

いま雇用を守るということが差し迫った課題となっている。雇用を守るということには、三つの意義がある。
一つは何よりも生活を守ることだ。
第二の意義は、日本の生産を守るということだ。雇用なくして生産なし。雇用の量的減少と雇用の質の低下はそのまま日本の生産力低下に直結する。
第三の意義は、雇用は人間の尊厳の最大の根拠だということだ。人間は働き自活することによって、その尊厳を維持する。雇用の減少と劣悪化は、右翼風に言えば「日本民族の危機」だ。

どういうわけか弦楽四重奏業界は寡占状態になりがちだ。
ブッシュ四重奏団はSP時代、ブタペスト四重奏団はLP初期にレコード業界を独占していた。その後、ヨーロッパではアマデウス、アメリカではジュリアードが仕切っていた。
その後、スメタナ四重奏団が一世風靡した後はまたアルバン・ベルク四重奏団の独占状態になった。
もちろんその間にラ・サールとかメロスとかなかったわけではない。ボロディンやイタリア四重奏団もあった。ドロルツなんてえのもあったね。
どちらかといえば、わたしゃゴシゴシやるほうが好きなので、ジュリアード、クリーブランドといったアメリカの四重奏団が好きなのだが、どうも風向きが悪かった。若手でいえばパシフィカなど大好きなのだが、玄人筋にはあまり受けがよくない。
そんな中でタカーチが登場してきた。本籍はハンガリー系なのだが現住所はアメリカ、演奏スタイルもジュリアードを彷彿とさせる。一方でチェコのプラジャーク四重奏団がヨーロッパサウンドを代表する四重奏団としてのしてきた。
とにかく最近の四重奏団は東京も上海もモザイクも気が抜けたサイダーみたいで面白くない。カルテット好きはやっぱり4人でバトルをやって欲しいのである。

この1週間で、かなり反撃の動きが出て来たようだ。京都市長選は惜敗だったが、共産党が国民の不満の受け皿になりうることが示された。
 大坂の橋下市長は、とりあえず思想調査を中止した。衆議院比例区削減の策動にも党派を越えた批判が強まっている。

とにかく、議員定数削減は「一体改革」の刺し身のつまのような問題ではない。この国の民主制度の根幹にかかわる問題であり、こちらのほうがはるかに重大なのだ。

だいたい「政治家が身を切る」というが、てめぇの身はまったく切っていないではないか。政党助成金を減らさなければ、自分の懐はまったく痛まない。それどころかうるさい小政党の議員を議会から追っ払うことが出来て、せえせえするくらいだ。

「身を切る、身を切る」というが、自分の党のどこが切れて、どこから血が出るのかはっきり言って見ろ。

昔からベートーベンの作品106「ハンマークラフィア」が好きになれない。うるさくて汚い。ほとんど雑音にしか聞こえない。
109,110,111番がそれなりにすっきりしているのに、どうして106番だけがこんなに鬱陶しいのか不思議だった。
ところが最近ブレンデルやポリーニを聞いてわかったのだが、106番が鬱陶しいのではなく後期の三曲も弾きようによっては同じように鬱陶しいのである。バックハウスの演奏で慣れ親しんだ私には「そんな筈ではないよ」と遮りたくなる。

理由はいくつか考えられるが、ひとつはベートーベンの耳が悪くなったので、響きの悪さが気にならなくなってしまったこと、もうひとつは、ほんとうにピアノソナタなのだろうか、オーケストラ曲の下書きなのではないかということ。

逆にいえば、そう思って右手がバイオリンで左手がビオラとかチェロだとして演奏すれば、曲想がもっと見えてくるのではないだろうかと思う。

というのも、バレンボイムの演奏がわかりやすくて面白いからだ。何か指揮者になったつもりでチェロを抑えたり、バイオリンを浮き立たせたりして、どんな時にもテンポを外さず、メロディーラインをきっちり守っている。

ポリーニは徹底して民主主義で、楽譜に書きこまれたすべての音符を忠実に、平等に再現する。だから音は濁るし、流れは淀む。聞いていて面白くもなんともない。

コンサートホールで聞けば多少印象は変わってくるかもしれないが、溢れかえる音の渦の中からメロディーラインを見つけるのはいささか疲れる。

昔リヒテルのリサイタルを聴いた時も同じだった。和音だか不協和音だか、とにかく莫大な量の音が常に耳を痛め続けるが、結局なんのことやらわからずに終ってしまった。

せっかく左手の指が導く音を捨てるのはもったいない。ピアニストなら誰でもそう思うだろうが、ベートーベンは結構そういう無駄を強いる人である。

バレンボイムは指揮者だから、そこを割り切れる。そこが下手なりにバレンボイムの演奏を面白くしている所以である。

とにかく、ポリーニはたくさんのベートーベン嫌いを作り出した。音の民主主義は願い下げにしてほしいものである。

時事通信社が行った近畿地方での世論調査の結果。
前回調査は大震災前の2010年、今回調査は昨年9月。

「原発は必要」と答えた人も、その75%は「他の発電の開発が進むまで頼らざるを得ない」ことをその理由としている。

また、「原発は安全と思う」は10%にとどまり、「思わない」が69%に上った。

要するに一般市民のレベルでは、もう完全に安全神話は崩壊し、脱原発が圧倒的な潮流となっていることが確認されたことになる。

JR東海の葛西社長、東レの社長さん、どう思われますか。

連合が「一体改革実現集会」を開催した。
ここまで連合は落ちぶれていた。
集会には民主のほか、国民新党、社民党、公明党の議員も参加している。
古賀会長は「勇気をもって政治を前に進める」よう訴えた。
また野田政権を「民主党政権再生のラストチャンス」と呼び、「結果を出す」ことを強調した。
このほかにも、古賀会長は公明党の山口代表と会談し、「野田政権に何とかがんばらせるのでお願いしたい」と協力を求めたという。
連合の主力は大企業労組に握られ、第二財界となっていることが明確である。“二大政党制”というのが大企業とその組合との二人三脚であることが、国民の目にも見えてきたといえるだろう。

息子は小僧に送られ、
娘は女郎に追いやられ、
親父は炭焼小屋で声もなく圧死した。

残されたやもめは、焚き火の煙と泣き明かしに、
ただれくさった両眼をしばたたき、

背では赤ん坊が声を枯らしてあえぎ泣き、
村には女たちを養う力もない。

雪道には橇あと、
橇あとには馬糞の凍塊、

いくじなしは、
世の楽しさも知らない子供を道連れに、
鉄道線路でへたばり殺された。

田舎街への踏切は一面の血しぶきに染められ、
染められた血潮は雪で埋められた。



ねむの木は眠っても、
花は
苦痛に悩むほっぺたに
頬ずるような微笑を呼びかける。

あの ねむの木の家は
なんと朗らかな
俺たちの同志の住居だったことか

ねむの葉は眠り、
俺は眠られず。

あの日
プロレタリアートの敵の
憎むべき白テロ…


小金井の桜の提はどこまでもどこまでも続く

私の寝台自動車はその提に添うて走る
春めく4月、花の4月、
私は生死をかけて、
療養所へゆく。

赤や桃色の椿が咲く、
八重の桜も咲いている。

私は死を覚悟の眼で、
美しき花々の下を通ってゆく。


今野大力の経歴については下記を参照のこと
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-08-25/2007082512_01faq_0.html


SMBC日興証券が消費税引き上げの負の効果を試算した。
初年度は実施前の駆け込み需要と実施後の反動減が相殺されるが、14年度には2.3%のマイナスに陥るだろうとしている。
この試算は、消費税引き上げが実施されない場合のGDP成長率を1.5%と想定しており、これをあわせると消費税引き上げは3.8%のマイナス効果をもたらすことになる。
以前から強調しているように、消費税による財政改善は景気悪化と税収低下で相殺され、帳消しになるとの主張は、この試算でも裏書されている。

問題は政府試算がこの見通しをどう評価しているのかだ。GDPが落ちないことを前提にした消費税増税計画は根本的見直しを迫られる。

草稿集②-500

いまようやく、徐々に、資本主義経済システムは“我々”(人類)を発展させ始めている。そのシステムは同時に、資本主義自身の否定と、新たなシステムへの生まれ変わりをも準備し始めている。

ところで、生産過程の土台には、直接的なモノづくりの過程がある。ここは基本だから直接的生産過程をより詳細に明らかにしなければならない。(マルクス自らの研究の経過においても、それがまさに進行中である)

しかしこのことははっきりさせておかなければならない。すなわち「人間社会の中にあっては、モノづくりは社会的生産過程の一つの要素に過ぎない」ということである。直接的生産過程がモノづくりの過程とすれば、社会的生産過程は価値を作る過程である。モノづくり過程は社会的生産過程に規定され、包括される。

社会的生産の起点は資本が労働力を結合させて価値を作り出すことであるが、それは社会に還元されて初めて価値を実現する。

つまり社会的生産過程の連鎖(再生産過程)は、社会が拡大し、社会とそれを構成する人々が発展することに帰結するのだ。モノもモノづくりも、価値の生産も、“我々”(人類)を発展させるための契機に過ぎない。

この社会的生産過程の主体となるのは、もちろん人間であり社会なのだが、のっぺらぼうにすべての人間がふくまれる訳ではない。社会的生産の主体は「生産者」である。しかも山奥や孤島など孤立した状況で生産しているのではなく、社会的連関の中で生産する「社会的生産者」なのだ。

この「社会的生産者」たちは、自らの不断の活動過程の中で、価値を生産しそれを享受することにより、自らを更新する。同時に、自らが作り出した「富の世界」を拡大していく。これらの過程の総体が「社会的生産過程」なのだ。

資本主義経済システムは、この社会的生産過程を飛躍的に発展させる。大工業は「過去の無駄な試み」を理解させる現場教師である。


ずいぶん噛み砕いて紹介したつもりだが、読み直すとえらく小難しい。さらに解説が必要なようだ。

これは後に続く、オウエンの講演録の紹介に当たり、オウエンの言っていることがマルクスの理論とどう噛み合っているのかを説明した部分だ。

要するに生産には次元の異なる三つの性格があって、一番単純なのは人間が材料を加工して有用物を作ることだ。これに対して社会的生産、ひらったく言えば商品生産というのは、有用物一般ではなくてお金と交換できるものを生産することである。

社会のほうも性格が変化する。つまり商品社会が出現するのである。社会は一般的には生活共同体なのだが、同時に商品交換を通じて結ばれた「生産共同体」の性格も持つようになる。つまり、社会が共同で生産する社会が登場したのである。

このあと、マルクスは余分な一文を挿入している。“この社会的生産者たち”から“富の世界”までは、そういう「生産共同体」の未来論的あり方を示唆したもので、この際は関係ない。

ということで個人的生産から共同体的生産への移行が歴史上のメガトレンドであり、この移行は直接には不可能であり、商品生産社会の介在が必要なのだ。人々は会社に雇われて働くことで社会的生産に参加するが、より大きな目で見れば「生産共同体」の一員となることによって「社会的生産者」となるのである。

本日の赤旗に、大阪市職員への思想調査の内容が掲載された。
思わず吐き気を催す。こいつは狂っている。頭のねじが2,3本ぶっ飛んでいる。

このアンケートの一番の核心は、思想信条の侵害というより、同僚や仕事仲間を陥れるための「密告の強要」にある。そこに一番のおぞましさがある。

仲間の信頼を裏切るというのは、古来日本の道徳ではもっとも恥ずべき行為であり、死を持って贖うべきほどの行為である。

反共だとか、反組合とか言う前に、地位を振りかざして「不道徳」を強要するその心根の卑劣さが強烈な不快感を催すのである。

法律にも違反するだろうし、憲法にも違反するだろうが、それ以前に人の道に反する畜生道のきわみだ。

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これはキリシタンに対する踏み絵とまったく同じ手口です。
「踏めば許してやらないでもない、お上にもお慈悲はあるぞ」

意地でも踏むものか、踏むんならお前の顔だ。しかしそれでは足が穢れる。

しかし歴史を振り返れば、ヒトラーもこうやって力を伸ばしていったんですね。「面白い奴だ」とか、「一度やらせてみてもいいんじゃない」という乗りで、あれよあれよと政権の座まで上り詰めたのですが、メディアはまた同じ愚を繰り返そうとしているようです。

無論電機業界が先行き暗いことは分かっている。ただ4社が一斉に赤字決算を出したことには裏がある。
パナソニックの場合、営業利益は300億円の黒字だが、営業外で8500億の大穴を開けている。三洋電機の買収の際の費用が計上されているが、実は大きいのが早期退職一時金だ。
赤旗によると、「事業構造改革費用」という費目の中に含まれているという。つまりリストラをやるための費用なのだ。
パナソニックは3月末までに3万5千人の首切りを計画している。だから赤字決算は一石二鳥なのだ。どうせ必要な金なら前もって計上しておいて、「どうだ、赤字だ、苦しいんだ」とリストラの雰囲気作りに利用するという寸法だ。
しかしパナソニックもソニーもそうやって、最後は店じまいするつもりなのか、外国企業に身売りするつもりなのか。それともそこからもう一度這い上がるつもりなのか。
そこが見えてこないと、闘うことも(ひょっとして)支援することも出来ない。

自動車会社の6重苦が盛んに宣伝されている。6重苦とは、円高、法人税の高さ、貿易自由化の遅れ、労働規制、温室効果ガス抑制、電力不足を指す。
しかしこういうのを世間では「三味線」という。自動車会社が本当に苦しいのは内部留保で太りまくって、バンドの皮がきついことである。

囲碁の坂田名人は、自分が優勢なのに「苦しい苦しい」とぼやくのが常だった。相手の棋士は「殴ってやりたくなった」と告白している。私達も今、同じ気分である。

日本国民はいま本当に苦しい。政府も本当はとても苦しい。自動車業界の三味線などに付き合っている暇はないはずなのだ。

6重苦の第一は不景気だ。第二は失業と不安定雇用だ。第三は社会保障の削減と将来の不安だ。第四は増税と負担増加だ。第五は子育て環境の悪化だ。そして第六は核汚染や震災の不安だ。

まだあるぞ、農業の壊滅と国土の荒廃をもたらすTPPへの不安だ。底辺での外国人労働者との競合を迫られる自由化への不安だ。民主主義を死に追いやる比例区減員と忍び寄るファシズムへの不安だ。中国との敵対関係強化と沖縄の戦時体制組み込みへの恐怖だ。

円高は輸出超過が続けば当然の結果だ。輸入超過になれば円は下がる。輸出超過を続けて円を下げるのは計算が合わない。こんなことは小学生でも分かる。今年ついに輸入超過になった。これからも輸入超過は続くだろう。円高になったのは一生懸命働いたお礼なのだから、しばらくはそれを享受しようではないか。

マルクスが言う通り、享受は最大の生産力である。享受は欲望を産み、欲望は需要となって生産を刺激する。
高齢化社会は韓国でも20年後に訪れる。中国はひょっとしたらそれより早いかもしれない。日本は高齢化社会のあり方と、そこでの生産のあり方を示す先進例となるだろう。

このサイクルを一刻も早く創りだすことが、日本再生の道である。

 この記事は今日のプライバシー基準から見て、逸脱しているものと思われる。
いまだにアクセスが有るのは、記事内容の重要性に鑑みてのことであろうが、
アップ以来すでに10年を経過しており、守るべき基準を守る立場から、
内容を削除することを決意した。ご愛読に感謝する。(2021年9月)


10年から20年ほどを遡る昔、グローバリゼーションと新自由主義の象徴がM&Aだった。
しかしM&Aが新自由主義経済の帰結であってよいのか。否でも応でもそのことについて考え直す時期なのではないか。この2つは分けて考えてもいいのではないか、むしろ分けるべきではないのか、不良企業は淘汰されなければならないにしても、そのやり方はもっと工夫しても良いのではないか。少なくともそこには国家の主権が介在すべきではないのか。
この問題が議論の大枠を規定していると思う。
随分前に、ノンフィクションで「相場師」の列伝を読んだことがある。生糸相場や米相場、「大手亡」をめぐるシテ戦というのはものすごいものだと息を飲んだ覚えがある。降っては白木屋の乗っ取りをめぐる横井秀樹のたたかい、ピストル提と呼ばれた西武鉄道の堤康次郎、強盗慶太と呼ばれた東急の五島慶太など、ヤクザの殺し屋を挟んでそれなりに息詰まるような迫力だった。

しかしプラザ合意と日米協議を挟んで俄然様相は変わった。
日本で長期信用銀行に多額の公的資金がつぎ込まれた。かろうじて生き延びた本体はハイエナファンドの餌食となり、連中は濡れ手に粟のボロ儲けをした。

M&Aは突然やって来る。市場は匿名である。金に名札はついていないから、名乗り出るまで分からない。
学生時代に深夜放送「オールナイトニッポン」で愛聴していた「カメ」こと亀渕アナが、いまや日本放送の社長だとは知らなかった。それがある日、ホリエモンからM&Aをかけられたことで突然有名になった。

このくらいなら笑い話で済むが、ソニーやパナソニックがある日突然M&Aをかけられて、中国企業のものとなる日は遠くないのである。先日のライオン歯磨の話は、それが現実のものであることを示している。

M&Aこそは最大の恐怖、そのために日本企業はせっせと内部留保を積みましている、という構図が確かにある。

私達はそれを信じたい。しかし、一方では観念している。それまで国際競争力のためといって従業員や国民に犠牲を敷いていた企業トップが、ある日突然会社を売って利益を持ち逃げする日は遠くないのである。
問題は、その日を戦戦恐恐と怯えて暮らすのか、それともM&Aお構いなしの新自由主義に歯止めを掛けるのかという日本国としての決断であり、決意である。グローバリゼーションが必然であるかぎり、それとどう向きあうのか、根本的な判断が迫られている。

ウィキペディアで調べてみたら、この時代はモーツァルトのパリ時代に一致している。
記述を見ると、マインツで知り合った彼女と無理やり引き離され、父親によってパリに送り込まれた。しかも聴衆の評価は高かったが金にはならず、苦労した。しかも同行した母親が死んでしまう、という具合で、韓流ドラマ並みの不幸続きみたいに書かれている。
私は逆だと思う。母親の死を除けばむしろ気分は高揚していたのではないか。
恋人ができ、下賎にいえば肉体関係をもって、一人前の男になった気分、花の都パリで高い評価を受け世界一になった自負、さらに母親が死ねばマザコンからも解放される。ということで一気におとなになった気分ではないか。
年も20歳を少し過ぎたあたりだ。知らずにかぶっていた大人っぽさをかなぐり捨てて、自分に素直になった一瞬ではないか。だからK304では、恥ずかしげもなく情緒に浸り、K310ではベートーヴェンの悲愴ソナタみたいな男気を出す。短調というのはなにかそういう気分でしょう。落ち込んでいるときに欲しいのは「小川の子守歌 Des Baches Wiegenlied」ではないだろうか。
それがザルツブルグに戻った後は再び仮面をかぶり、高級芸人に戻ってしまう。この人はそれができるのである。それが再び仮面を剥ぐのは30過ぎての晩年のこととなる。というような筋立てはいかがでしょう?

共産党が「社会保障、財政危機打開の提言」を発表した。運動畑の人からは相当の議論を呼ぶ提案である。

一番のミソは「なんでも大企業の負担で財源を作るというのではなく、国民全体で、力に応じて支える」という提起である。

各論的にはまだ及び腰のところがあるが、「国と資本家」ではなく、国民全体で税を担うという原理を宣言したことは、「対決、時に対話」の基本路線を貫徹する上ではきわめて積極的だと思う。

もちろん、最終的には大企業の抱える内部留保260兆円を経済活動に還流させることが目標となるが、直接ふところに手を突っ込んでというやり方は取れない。とるべきでもない。

となれば税制の大道である所得税中心に立ち返って歳入増加を図るべきであろう。

内部留保への課税は、税引き後の利益にさらに課税することになり、税体系の論理から言えば不合理である。

内部留保への課税を、資金退蔵という罪に対する一種のペナルティーとして正当化しようとする議論があるが、これは社会的善悪の判断をふくんでおり、税の中立性の大義に反する。

バフェットの強調するごとく、内部留保は原理的には企業の活力の源でる。

それが不条理なほどに肥大化しているとすれば、その原因を取り除く努力が必要であり、政府の経済政策が問われるのである。悔しいことではあるが、それは北風ではなく太陽政策でなくてはならない。それにプラスして投機資本の無法を抑えるための国際的な協調も必要となってくるだろう。

次いで、もうひとつの柱である法人税であるが、これも直接税中心主義から言えば逸脱した税である。ただ、これは所得税の前取り、源泉徴収という性格を与えられており、その限りにおいて有効である。

日本の勤労者のほとんどがきちっとした会社に正社員として勤務しているならば、基本的には法人税はゼロであっても良い。

言ってみれば、企業が信用できないから事前に捕捉するのである。ひとつは高級社員がその所得の多くを非給与的収入によって確保する場合、給与所得のみを対象に課税していては税の公正を著しく欠くことになる。他方で非正規雇用が増えていけば、社会保険等の面で公平さが損なわれることになる。

法人税は当初のシャウプ構想においては35%程度を想定していた。その後、勧告にそむいてまで、法人税率を60%に引き上げたのは、他ならぬ日本政府であった。

政財官が一体となって「日の丸部隊」を編成し海外に打って出るためにはそうやって資金を集中し、傾斜配分を行い設備投資に拍車をかけるほかなかったからである。現在の日本にそのような状況はない。

しかし、今日所得をめぐる不透明度が著しく増している状況にあって、法人税をさらに下げる意義も税法上からは認められない。爛熟した社会にとっては35%を真の「実効」税率に近づけることのほうが重要である。

ただし、これは条件的なものである。さまざまな優遇税制が存続し、資産課税、海外資産課税など技術的困難を抱える状況を改善させていくことが基本であることを踏まえておくべきであろう。

一昨日の記事の続き。
記事でギル・シャハムが良いと書いておいたが、リンクをかけるのを忘れて、本日試そうと思ったら、もう消えていた。
著作権すれすれでやっていると、往々にしてこういうことになる。日本の人で「HD-Video Collections」というサイトを作って、NHKの衛星放送でやった番組をせっせとアップしてくれていたが、爆撃を受けたようだ。ワンドの未完成を聞きたくなっていったが、もはやもぬけの殻になっていた。

YouTube アカウント HDvideocollections を停止しました。これは、著作権侵害に関する第三者通報が、以下の申立人を含む複数のユーザーから寄せられたためです: NHK NHK NHK

この人、へこたれないでHDvideocollections3 というサイトを立ち上げてやっている。

とにかく見つけたらダウンロードすることだ。

それからブロンフマンだが、けっこう有名な人のようで、ただの伴奏者ではない。2,3年前にイタマル・ゴランを聞いてびっくりしたが、ゴランは伴奏者に徹しているようだ。ブロンフマンはむしろ独奏者として有名らしい。
シューマンのアラベスクが聞けるが、すばらしい。
http://www.youtube.com/watch?v=qYQ4qWAk34A
指が突っ立っていて、鍵盤を突き刺すように弾く。この弾き方でシューマンを演奏するなんて信じられないが、楽々と弾きこなしている。当然ピアノは芯から響く。
やはりすごいピアノ弾きだ。

ギル・シャハムの演奏はまだ消えていませんでした。失礼しました。
http://www.youtube.com/user/counterpoint85#g/u
ここにいくと、counterpointさんの上げた動画の一覧があります。その中から探してください。
急いでください。いずれ消されることは間違いありません。

最近、モーツァルトばかり聞いているみたいだ。といってハマっているわけではない。もっぱらYouTubeから落とした音源を、“ながら聞き”しているだけだ。
それでびっくりしたのだが、バイオリンソナタのホ短調 K.304 という曲がある。その第2楽章の冒頭のメロディーが、どうやってもタルティーニにしか聞こえないのだ。
1年ほど前、タルティーニにはまって聴き込んだことがあるから、なんというか“タルティーニ節”といのは体が憶えている。
モーツァルトというのは、なんというか、もう少し鋭角的な所がある。楽譜を書いている自分を、もう一人の自分が見ているような所がある筈だが、この曲では溺れている。
これまであまりモーツァルトのバイオリンソナタというのは聞いたことがなくて、じつはこの曲も初耳なのだが、ケッヘル300代前半のモーツァルトはどういう生活をしていたのだろうか。
ピアノソナタもK310のソナタは200番代とは断絶している。しかも後期とも断絶している。
YouTubeでは、グリュミオーとギル・シャハムとスターンが聞ける。音質だけからいえばギル・シャハムが良い。ただし強音が少し音割れしている。スターンは割と最近の録音のようだがその分衰えを感じる。ただしこの録音はピアノ伴奏が素晴らしい。ブロンフマンという人のようだ。この人のピアノソナタを聴いてみたい。少しYouTube あたってみるか。

やっと、赤旗に各国比較が出てくれた。実数ではないので計算がしにくいが、日本の消費税率5%は、ヨーロッパの付加価値税に換算すると大体15%くらいの見当だということが分かる。
なぜ3倍になるかというと、日本の消費税がすべてのモノ・サービスにかかってくるからだ。逆に言うとヨーロッパで付加価値税がかかるのはモノ・サービスの3分の1に過ぎず、それらについては日本の4倍の税がかかっていることになる。
これで計算が合うわけだ。これなら貧困者の懐を直撃することはない。


1328891745


もう一つ、これも雑駁な計算になるが、現在5%の税率で税収の3割を占めているが、これが10%になれば欧州基準で言えば30%の付加価値税ということになる。
税収に占める割合は、他の税収が変わらなければ(30X2)÷(100+30)=46%ということになる。
トータルでドイツ並み、世界最高水準となる。しかも貧困者直撃ということになる。

ちょっと計算に自信がないが、垣内記者がまたチョイチョイと計算してくれないかな。


ニッセイ基礎研究所の報告では、2010年度の企業部門(金融除く)の貯蓄投資差額が前年比4.4兆円増え、38.8兆円になった。
あまり聞きなれない言葉だが、企業の純貸し出しから純借入を差し引いた数値だという。
報告はその原因を分析して、次のような結論を出している。
①法人税率が軽減されたこと。20年前の20兆円から12兆円まで下がり、これが貯蓄増に貢献している。
②低金利による利子負担の軽減。
③設備投資の抑制。
報告の結論は、
「この傾向は決して健全ではない。企業に滞留する余剰資金の有効活用が経済政策の重点だ」
としている。
ようするに内部留保に関する批判と同じ論理だ。

ただこちらはゲンナマで年間4.4兆円というのがすごい。消費税で約3%に相当する。

消費税が法人税減税の穴埋めに使われ、その金は企業の金庫に吸い込まれていくという構図がきわめて鮮明だ。

自動車工業会の志賀会長が新春メッセージで、またぞろ「6重苦」を強調した。
要するに日本国民への脅しである。
円高、法人税の高さ、貿易自由化の遅れ、労働規制、温室効果ガス抑制、電力不足を指す。
このうち法人税については実際は高くないことが明らかにされている。貿易自由化率は他国より高い、温室効果ガスは世界の問題だ、電力不足は他国のほうがはるかに深刻だ。電力料金は高いのは一般向けで、大企業は原価販売だ。

ということで、ただのゴタクに過ぎない。

ということで円高と人件費がネックだということになる。しかしこれは互いに相補関係にあるので、人件費が下がればデフレ、円高になる。だから円高を解決しようとすれば人件費を上げるしかないので、両方なんとかせぇといわれても困るのである。

ということになると、円高は覚悟の上で人件費をさらに切り下げることになる。そのためには労働規制をさらに緩和して、全員非正規にしてしまえと言うことになる。

あまりにも単視眼的発想だ。

結局新興国と同じ土俵で勝負するということになってしまう。そうなればソニーやパナソニックのように新興国に負けてしまうに決まっているということが分からないのか。外注して外注して、それこそ自分の会社を空洞化して、最後にはその子会社に見捨てられて一巻の終わりである。

これでは次の世代がだめになる。子孫のことなど考えていないとしか思えない。一時よくてもそのしっぺ返しが必ず来る。

経団連の言わんとしていることは、
①法人税が国際的に見て高すぎる。
②付加価値税が国際的に見て低すぎる
ということだろうと思う。
だから、①、②を改定して「普通の国」並みにしようということだろう。
この主張には
①現実には法人税は高すぎず、付加価値税は安すぎない
②原理的に付加価値税は税制としては邪道であり、直接税中心とすべきだ
という批判がある。
ほかに、税というのは財政の基盤であるから
③財政改善への有効性は期待出来ない
という批判がある。
また付加的項目だが、
④「普通の国」で、財政がどうなっているか
も検討されなければならない。

当初「福祉目的税」構想も言及されたが、最終的には一般予算化で落ち着いた。これはたいした議論ではなく、目くらましでしかない。

結局、法人税減税のための財源作りになっていることは、数字の上では間違いないわけで、財政改善にならないことは最初から分かっている。

だから結局は税制のあり方という根本問題に立ち返ることになる。その意味では「シャウプ税制」の再評価がどうしても必要だろう。

http://pub.ne.jp/shosuzki/?search=37182&mode_find=word&keyword=%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%82%A6%E3%83%97%E7%A8%8E%E5%88%B6

を参考にしていただきたい。

連載「消費税増税論のウソ」④は、ちょっとFactsの詰め込みすぎで、とりとめがない。
この中で初耳だったのは、企業の仕入れ税額控除。

人件費は控除対象にならないが、派遣会社に払った労働者派遣料の消費税分は、「仕入れ税額控除」として控除できるそうだ。

赤旗はこの控除があるから、企業はますます派遣に頼るようになる、消費税は「派遣労働推進税」だと批判しているが、それ以前の議論が必要ではないか。

つまり派遣労働者は材料の仕入れと同じ扱いで、「消費」の対象でしかない、人間扱いされていないということだ。

私は消費税反対だし、医薬品や基礎食料は消費税を控除すべきだと考えているが、派遣労働者の人件費は断じて控除すべきではない。人間を消耗品扱いする思想が根本から間違っているからだ。

派遣であろうとなかろうと、契約期間中は“仕入れた”側の企業が全面的に責任を負うべきだし、その経費は人件費として計上すべきだし、したがって控除など認めるべきではない。

悪法を前提にこういう議論をするのもばかばかしいが、ことは人間に対する見方の根本にかかわるので、言わないわけには行かない。

ユッスー・ンドゥールが立候補届けを出したが、受理されなかった。支持者署名が不足していたそうだ。
ンドゥールはセネガルの生んだ世界的な歌手。私もCD2,3枚は持っている。これに対しセネガル全土で「もうたくさんだ」抗議行動が巻き起こっている。各地で死者も出ているようだ。
今の大統領ワッドはなんと85歳。それなのに憲法の規定を無視して三選出馬を表明したという。計算すると独立のときは35歳くらい、第一世代がまだがんばっているということになる。しかしンドゥールもけっこうな年のはずだが…

調べたら、まだまだ若い。59年生まれ、52歳だ。『ネルソン・マンデーラ』(1986年)が最初の国際ヒットというからこのときが27歳。息の長い歌手である。
たしかに国際的舞台で進歩的な立場をとり続けている人ではあるが、名声を背景に大統領選挙に乗り出すのは、いささか疑念を持たざるを得ない。
かつてパナマでルベン・プラデスという歌手が立候補してあわやというところまで行ったことがあるが、そのあと政治道楽に飽きたのかあっさりと手を引いた。ハイチはあまりにも政治状況が過酷なので、是非については論評できない。成功を祈るばかりである。

初代大統領サンゴールの統治が80年まで続いたあと、与党社会党は徐々に力を失いワッドの率いる保守系の民主党に代わった。しかしこの政権交代は平和的に行われ、セネガルはこの地域では比較的平和な安定した国家として継続して来た。

いずれにせよ85歳にして再出馬というのは尋常ではない。ンドゥ-ルの出馬に抵抗を感じているのかもしれない。

このニュースに関してのネット情報は日本語ではない。さらに踏み込むべきか悩むところだ。

安保理でシリアの「民主的な政体への移行」をもとめる決議が提出され、15か国中13カ国が賛成したが、ロシアと中国が拒否権を発動し否決された。
ロシアのアサドへの肩入れは論外で、軍事援助を行うなどもってのほかだ。その武器が民衆虐殺のために使われることを知りながら売るというのは、虐殺の共犯者としての意味を持つ。
これに対し中国の立場はあまり広く報道されていない。

赤旗によれば、「すべての当事者が参加する政治プロセスが必要だが、同時にシリアの主権・独立は最大限に尊重されなければならない」と主張。
今回の決議案は、「シリアにおける政治対話のプロセスに前もって内容を押し付けるものだ」と批判した。

解説によると、当初の決議案にはアサド大統領の退陣要求が含まれており、軍事行動の可能性を否定していなかった。
これはたしかに山下奉文将軍の「無条件降伏」提案と同じであり、アサド側が呑めるものではない。
この二点については摺り合わせの時点で削除されたが、全体としてアサド政権つぶしの色合いが強いものであることは間違いがない。

この交渉は、和平を前提に置かなければならない。ということはお互いの存在と、その当面の存続を保証しあわなければならない。というしんどい交渉である。
そもそも運動のきっかけは、アサド独裁に対する抗議であり、退陣と民主化をもとめる運動だったのに、その相手を認めなければならない、というのは胃が痛くなるような矛盾である。

アサドはカダフィの死体をテレビで見ただろうし、自らの生存が保障されない交渉に臨むことはないだろう。平和的に解決しようとするならば、退陣を交渉の前提にすることは出来ないのである。

とすれば、制裁を強化する以外に他国が介入する余地はないし、たのまれたときに調整役として登場するほかないのである。とすれば、調整役としてのフリーハンドを維持するのが目下の目標となるのではないか。

「耐えがたきを耐え」路線は、実はリビア内戦時にアフリカ連合や非同盟諸国(アラブ連盟以外の)が掲げた路線でもあった。この流れから言うと、中国の言い分は必ずしも的外れとは言えない。

まずは制裁を強化しつつ、両者の話し合いを促し、和平実現に向け調整を図っていくというのが基本路線であろうし、安保理決議が否決されたことが、事態をますます悲観的なものにしているとは限らない。

与謝野晶子の「君死にたもうことなかれ: 旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて」、日本を代表する詩である。
刃(やいば)を呑んだ詩で、100年後の今も恐ろしい詩でもある。
“そこまで言っていいんかい”、が3ヶ所ある。

旅順の城はほろぶとも
ほろびずとても何事ぞ

すめらみことは戦ひに
おほみずから出でまさね

かたみに人の血を流し
獣の道で死ねよとは
死ぬるを人のほまれとは

これを家の倫理で辛うじてオブラートに包んで、
ぬっと突き出した。
しかしオブラートだから半ば透けて見える。
家の倫理というのは、実は仏の教え、浄土真宗の論理ではないか、と思う。
廃仏毀釈の折から、店先には神棚が飾られているが、奥の座敷にはしっかり仏壇がましましている、という具合である。

晶子は天皇制の押し付ける倫理に家族の“情”を対置したのではなく、もう一つの倫理を以って対抗しているのだと思う。“獣の道”にたいする“仏の道”である。叙情に流されない、凛とした鋼の強靭さはそこから生まれているのだと思う。


これに作曲した吉田隆子という人がいて、その紹介を赤旗に形成している。
15年ほど前に、小樽の多喜二祭のときにこの曲を聞いたが、正直それほど感動はしなかった。この詩は、詩ではあっても詞ではない。ささやき声のシュプレヒコールだ。
ただ吉田隆子の生き方には興味がある。


旅順の城は滅ぶとも、ほろびずとても何事ぞ
というくだりは、いまでもそのまま使える。

ソニーやナショナル滅ぶとも、ほろびずとても何事ぞ

ということになる。

優遇税制を温存して、法人税を下げて、そのツケを庶民に回すのは、かつて“すめらみこと” をたてに、国民に “獣の道” を押し付けた連中と選ぶところはない。
生類哀れみの考えからすれば、可哀そうといえないこともないが、こちらまで巻き添えにされるのは真っ平だ。

国際安全保障会議がミュンヘンで開かれた。
出席者の顔ぶれから見て、かなりの重みを持った会議だ。とくにアメリカからはクリントン国務長官とパネッタ国防長官がそろって出席。ロシアの外相、イタリア首相などがお付き合いしている。
議長の冒頭発言は、「かつてなく非軍事的問題が安全保障にとって重要になっている」と指摘した。
赤旗は、会議でのゼーリック世銀総裁の発言を詳しく紹介している。
ドイルは財政規律の強化を各国に押し付けたが、欧州基金の積み増しやユーロ共同債の発行には抵抗している。これは二重基準だ。
事態がこのまま進めば、「ドイツは怒りの対象となりかねない」とし、「財政規律と構造改革は成長がなければ困難」と指摘した。
ゼーリックはある意味で米財務省のスピーカーだから、アメリカは三役そろい踏みで、しかも安全保障と絡めてドイツに解決を迫ったことになる。
しかもドイツのお膝元であるミュンヘンでの会議だというから、ちょっと物騒な雰囲気になってきた。

①エクアドルのGDPは堅調に推移していることが分かる。少なくとも深刻な状況が到来しているとはいえない。

②経済成長率はおおむね3~4%を維持している。自由主義経済の隣国コロンビアとほぼ同様の成長を達成している。乱高下はリーマン・ショックだけではなく原油価格の動揺も関連していると思われる。

③失業率が高止まりしているというのは、ほとんどデマに近い。高止まりしているのは木下氏の愛する新自由主義の国コロンビアのほうである。

④インフレ率は低く安定している。2000年の狂乱物価は新自由主義とドル化の導入に伴うものである。

⑤国際収支はリーマン・ショック後急速に悪化している。しかし新自由主義のコロンビアにおける国際収支の悪化ははるかに深刻である。

以上のグラフは「世界経済のネタ帳」から引用させていただきました。

この5つのグラフで、

①国内経済のファンダメンタルが急速に悪化しているのか。

⑦失業率や貧困率は高まっているのか。あるいは改善は見られないのか。

については否定された。

次いで財政問題に移ろう。②,④、⑨,⑩、⑪が財政にかかわる批判である。

財政については、なんと当の日本大使館がしっかり統計を流してくれている。

https://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/3/b/3b864941.jpg

これで見ると、財政赤字の原因が乱脈な歳出にあるのではなく、石油収入の半減にあることが明らかである。これはベネズエラでも同じだ。10年に原油価格が高騰した際には収入は回復し、これに伴い赤字も半分以下に減少している。これについては「ベネズエラ経済を、ふと考える」、「ベネズエラ経済: 立ち止まって考えた」、「ベネズエラ もう少し考えた」をご参照いただきたい。

ただベネズエラは思い切り歳出カットしたが、エクアドルはそうしていない。10年には逆に支出を8億ドルほど増やしている。中身は120%人件費である。リーマンショック後の雇用確保に当てられたと見られる。

 それにしても赤字幅は歳入160億ドルに対する11億ドルであり、その半分以上が資本支出の増によるものである。リーマンショック後の景気・雇用対策とすれば過大とはいえない。

https://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/8/d/8d4fb1a6.jpg

12項目にはふくまれていないが、対外債務の経過を図示する。

絶対額そのものは算出法の違いがあるようだが対GDP比は10年前の54%から14.3%にまで低下しており、11年には若干上昇したがそれでも14.9%である。

別な記事では政府債務残高は32億ドル対GDP比5.9%とされている。いま話題のギリシャは4500億ドル、スペインは9千億ドルに達する。悪いのと比べてみてもしょうがないが、二桁違うのである。

同じく日本大使館資料から

最低賃金 / 平均収入 / 最低・基本生活費 (出所:国家統計調査局INEC)

https://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/0/b/0bb374f8.jpg

この図で注目すべきは、平均収入が徐々に上昇し、08年を機に最低生活費を越えたことである。

⑧国民の生活は悪化しているのか。という問いに対する答えはノーである。

なおラテンアメリカ諸国のジニ係数は以下の通りである。

 ブラジル:59.3
 パラグアイ:57.8
 コロンビア:57.6
 チリ:57.1
 メキシコ:54.6
 アルゼンチン:52.2
 ペルー:49.8
 ベネズエラ:49.1
 ボリビア:44.7
 ウルグアイ:44.6
 エクアドル:43.7
(出所:国連開発計画)

エクアドルはラテンアメリカで最も格差の少ない国といえる。(この表にはないが、ニカラグアはもう少し低い)

そろそろまとめに入る。

論者が指摘した12のポイントのうち、①、⑦、⑧、⑨、⑩、⑪は否定された。②については積極化はあったと見てよいが、何を以って“急進化”と呼ぶのか分からない。③はそもそも間違いである。④は部分的に正しいが、常軌を逸した大幅増というなら間違いである。

⑤については「そうですか」というほかない。ただコレアは就任に当たり、「まず政治システムの改革が先で、経済はその後だ」と宣言している。彼は無能ではなく、エコノミストとしての高いキャリアを持っている。その能力を背景にして、そのように言っているのだから、それは一つの選択だろう。

⑥についても「そうですか」というほかない。著者がお付き合いしている人たちが不満を強め、閉塞感を漂わせているとしても、それはコレアの責任ではない。

⑫については調べなかったが、中国から借りるのが危険だといわんばかりの論調には違和感を覚える。

統計資料から読み解くエクアドル経済は、著者の指摘とは逆の傾向を示しているように思える。ただ、11年から始めた“急進的”な経済5カ年計画が今後どのように展開していくかは注目すべきであろう。

さて本題だ。エクアドルの経済と財政のパフォーマンスは一体どうなっているだろう。

これについて木下氏は、きわめて興味ある評価を下している。

以下要旨を辿る。

2008年秋の金融危機以降、国内経済のファンダメンタルズが急速に悪化 したことを受けて、政権は急進化 の傾向を強めた。

コレア政権は市場原理を重視した新自由主義路線から、国家の役割を重視する社会主義路線へ と経済政策を転換した。

経済の底上げを目指して、公共事業や社会政策への政府支出を大幅に増やしている。

コレア大統領は政権発足からこれまでの4年間、経済政策を疎かにし た。

国内の経済社会情勢は厳しさを増し、コレア政権に対する国民の不満が高まっている

完全失業率は6.1%・不完全失業率は47.1%(2010年)と労働生産人口の半数以上が依然不安定な雇用環境に置かれている。また、貧困率は33%(地方部では52.9%)で、国民の3人に1人は基礎的食糧品を購入するだけの所得(約2ドル/日)を得られない状況に置かれたままである。

国民はコレア政権の発足に希望の光を見出し、貧困削減・格差是正・治安改善などといった経済社会面での向上を期待したが、国民が期待したほどの成果はなく、国民の生活は以前と何ら変わらないどころか、むしろ悪化 しており、閉塞感だけが漂い 始めている。

問題はそれだけに留まらない。コレア政権は財政規律を無視 し、大規模な財政支出や公的投資を繰り返しているため、政府の財政状況は厳しい局面を迎えている。

2010年は約41億ドル(GDP比7.2%相当)、2011年は約53億ドル(GDP 比8.5%相当)の財政赤字 が発生すると見られている。政府はこの膨らむ財政赤字を補填するため、中国からの債務 を増やすなどして凌ぐ現状である。(石油を担保に、4回に分け総計50億ドルの融資を受けている)

このように、コレア政権の前には険路が続き、国内の政治経済は混迷の度合いを深めている

 

イタリック体は私がつけたものだが、学術論文らしからぬ独断的・感情的表現が書き連ねられている。

いくつかの疑問がただちに浮かんでくる。

①国内経済のファンダメンタルが急速に悪化しているのか。

②政権の経済政策は09年以降急進化したのか。

③国家の役割を重視したら社会主義路線になるのか。

④公共事業や社会政策への政府支出は大幅に増えているのか。

⑤コレア政権は経済政策をおろそかにしているのか。

⑥コレア政権に対する国民の不満は高まっているのか。閉塞感が漂っているのか。

⑦失業率や貧困率は高まっているのか。あるいは改善は見られないのか。

⑧国民の生活は悪化しているのか。

⑨コレア政権は財政規律を無視しているのか。

⑩財政支出や公的投資は過大なのか。

⑪莫大な財政赤字が発生しているのか。

⑫中国からの新たな借款は不適格なのか。

以下、順を追って考えて行こう。

①国内経済のファンダメンタルが急速に悪化しているのか。

経済マクロはGDP、物価上昇率、失業率、貿易収支あたりを押さえればよかろう。

前提となるものが二つある。一つはリーマン・ショックはラテンアメリカ諸国を例外なく襲っている。したがって経済の急速な悪化は「市場重視」の国でも共通している。エクアドルが特にひどいかどうかを見なければならない。もう一つは、これはベネズエラ経済の分析の際にも触れたことだが、エクアドルは輸出の半分を石油に頼る石油産出国であり、原油価格の変動は経済に著しい影響を及ぼすことである。この間の原油価格の乱高下との関連を見ておかなければならない。

https://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/a/1/a1560980.jpg


エクアドルの名目GDP(USドル)の推移


 

 

 

 

https://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/c/a/caea7b19.jpg


実質経済成長率の推移(エクアドル、コロンビア)


 

 

https://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/f/9/f95353ff.jpg






失業率の推移(エクアドル、コロンビア)


https://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/e/f/ef6225df.jpg


インフレ率の推移(エクアドル、コロンビア)



国際収支の推移(エクアドル、コロンビア)













以上のグラフは「世界経済のネタ帳」から引用させていただきました。

コレアがアメリカに嫌われる4つの理由
 

①コレア大統領は2007年に就任。左派の経済学者で、就任後は油田に対する政府の出資比率引き上げや、一部対外債務の利払い停止など民族主義的な政策を進めている。

左派といっても社会主義者ではない。あえてレッテルを貼るとすればネオケインズ主義である。行動形態が過激であるにしてもリベラル左派であり、チャベスよりは元アルゼンチン大統領の故キルチネルに近い。

2008年、コレアは32億ドルの負債返還を拒否した。その債務は不当であり、国際正義に照らして違法だと宣言した。そして累積債務の35%のみを支払うと宣言した。これは債権者と国際的金融機関を激怒させた。

②石油開発についても環境を破壊するような乱開発には反対していた。地球環境保護のため東部熱帯雨林での石油開発を中止すると表明したばかりだった。これは石油メジャーの反感を招いていた。

③ベネズエラのチャベス大統領がブッシュを悪魔と呼んだとき、コレアはチャベスを批判した。「悪魔に失礼だ。悪魔には少なくとも知性はある」という のが理由である。これは米政府を怒らせた。少なくともブッシュにつながるタカ派にとっては、クーデターをやるだけの十分な理由となる。

ただしこれは06年大統領選挙終盤での発言であり、この時点ではまだ大統領ではない。アメリカの大統領選挙なら、この位はまだ穏やかなほうであろう。

④平和主義者のコレアは、10年9月の訪日において広島を訪れ、被爆被害者の証言に耳を傾けた。「核兵器廃絶に向け私たちは行動を起こしている。広 島・長崎の悲劇を二度と経験しないよう努力する」と述べた。それはマンタの米軍基地を撤去させる決意と結びついていた。それは米軍および米軍と結びついた 軍内特権層の怒りを招いた。 

これはある文献の要約であるが、債務モラトリアム、マンタ軍事基地の撤去、石油産業への干渉、それに一連の反米発言の4点セットがアメリカを怒らせ、気配を察した日本外務省が、その尻馬に乗っているという構図であろう。

コレアは急進派ではあるが元々の左翼ではない

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広島で献花するコレア大統領(エクアドル大使館HPより)


コレアの生い立ちは複雑である。彼はインタビューで、「父は失業者で麻薬運搬人(mula)だった、少量の麻薬を米国に持っていき、米国の刑務所で4年間過ごした。エクアドルへと強制送還されたあと自殺した」と告白している。

彼は苦学した後、名門イリノイ大学で博士号を取得している。同じシカゴでもシカゴ学派ではなくオーソドックスな経済学である。

コレアは左派ではあるがマルクス主義者ではない。最初に当選したときの選挙では、「民主左翼」は他の候補を推していた。

コレアは当選前にキューバを訪問し、カストロと会談している。そのあとカストロは「面白い議論だった」と述べているから、相当の激論になったようだ。

 

最近、エクアドル経済が注目されている。

一つはネガティブな立場からのものであり、これはとくに日本外務省の論調に一貫して示されている。その典型が、最近引用した木下直俊氏(在エクアドル日本大使館専門調査員)の「混迷を深めるエクアドル」という報告である

木下氏は「個人的な論文」と断っているが、その基本的視点は外務省のラテンアメリカ部局に共通している。その証拠として、寺澤辰麿 前コロンビア大使が「世界経済の新たな動きに関する研究会」で発言している内容を下記に示す。

多くの国は、債務危機を受け、市場メカニズムと新自由主義の導入を迫られた。具体的には、財政規律の確立、金融・為替の自由化、貿易の自由化等である。

新自由主義政策を導入した結果、メキシコ、コロンビア、ペルー、ブラジル、チリでは企業部門の高度化やイノベーションが進んだ。しかしベネズエラ、 ボリビア、エクアドルでは大きな成果は見られなかった。この結果、二極化が生じている。前者の国々は親米傾向であるのに対し、後者の国々は反米政権の傾向がある。

これは相当えげつない、政治的色分けである。日本の外務省がラテンアメリカをこういう風に色分けしていると知れば、かなり不快感を表明する国もあると思う。しかも恣意的である。

たとえばアルゼンチンがここには含まれていない。アルゼンチンこそ新自由主義の導入でひどい目にあい、その後はっきりと反ネオリベを打ち出した国だ。ネオリベに対する警戒心は、ネオリベ政策を採用している国もふくめラテンアメリカ諸国に共通の認識だ。

エクアドルが反米だというのも不思議な話で、エクアドルはドル本位制なのだ。コレア政権でもドル本位制は維持されているし、変更する予定もない。これほどの親米国があるだろうか。債務の解決に当たってコレアが採った政策も、アルゼンチンのキルチネルに比べればはるかに穏和だ。

コレア大統領は「払わない」とは言っていない。ただ「道楽息子を博打狂いにして巻き上げた金の後始末まで、親に見させるんですか。しかも田畑まで売り払って未来永劫払わせ続けるんですか」と言っているだけだ。そして「払えるだけは必ず払いますから勘弁して下さい」と言っているだけだ。

実はこの考え方は、コレアの独創によるものではない。国連が政務に関する原則として打ち出したものだ。

国連の国際法委員会の債務に関する宣言: 国家が、国内あるいは海外の債権者への債務返済資金を捻出するために、学校・大学・裁判所を閉鎖し、公共サービスを廃止し、コミュニティを混乱と無秩序に陥れることなど論外である。国家に対して合理的に期待できる範囲には、個人に対するのと同様限りがある。

それが反米的で反自由主義的だとすれば、親米的で自由主義的であるということは何を意味するのか? 道楽息子に博打を続けさせることなのか? アルゼンチンのように、国が崩れ去るまで債権国への奉仕を続けよということか。

ここがまず第一のポイントである。これは議論以前の、人間としての情に関わる問題である。

もう一つはエクアドルの政策をポジティブに見る立場からのものであり、その代表が、2011年11月に放映された「BS世界のドキュメンタリー 世界を翻弄するカネ」である。この番組は主にギリシャの債務危機をめぐる話題をテーマにしていたが、債務とどのように対決するかをめぐり、エクアドルの経験を紹介していた。

要旨以下のように紹介されている。

南米エクアドルでは、国家予算のほぼ半分(30~40億ドル)が債務返済に当てられていた。輸出の約半分を占める石油収入は債務返済に消え、医療には4億ドル、教育は8億ドルしか回せなかった。

新政府は、返済は20%にとどめ、教育や医療、雇用創出に80%を当てるべきと主張した。そして「国民生活の向上という正当な理由がなく、特定の企業や政治家の利益に資しただけの融資」について、返済停止を宣言した。

私からもう少し補足しておきたい。

06年、コレアの大統領就任の時点で、エクアドルの対外債務は170億ドルだった。うち100億ドルあまりがグローバル・ボンドと呼ばれる公的債務だった。
1970年には2億ドルに過ぎなかった。
06年の債務返済額は国家予算の38%にあたる28億ドルあまり。これに対し保健医療と教育は15%だった。
1980年には債務返済は予算の15%、予算の40%が保健医療と教育予算だった。
エクアドルはそれまでの14年間で、債務の支払いにより135億ドルを失った。しかし債務は100億ドル増えている。まさに蟻地獄である。

問題は、それでその後どうなったかである。事態はそう単純ではない。

ただ外務省との見解との関連でいうと、大事なことは、エクアドルにそれ以外の選択があっただろうか、という点である。コロンビアやペルーやチリのようにネオリベ政策をあくまでも追求するという道があっただろうか? 私は歴史を振り返って、そういう道はなかったと思う。

歴史はそんじょそこいらの気の利いた方程式よりはるかに重いのである。

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