最近ではバイオリニストというと若くて美人が相場で、ほとんど聞くというより見るものになっている。悔しいからこの人もそういう人だと思っていた。
ところがバッハの協奏曲第2番ホ長調を聞いてみて、思わず唸った。でしゃばらず、バックと溶け合いながら、主張すべきは主張し、実にしっかりした演奏をしている。
バシュメットのビオラを聞いた時のような印象だ。
AALA関連記事は「aala_newsの編集日記」http://blog.livedoor.jp/aala_news/ に移りました(6Nov.2023) 中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 「ラテンアメリカの政治」(http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ )がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。
1997年論というのは相当の難物である。
共産党の論調では、消費税の3から5%への引き上げと、社会保障の改悪、特別減税の停止をふくめた9兆円負担増が日本の景気を悪くした元凶だとしている。
いろいろ調べてみると、そんなに単純なものではなさそうだ。日本の経済構造が大きく変わった変曲点であることは間違いない。そこにはもっと中長期的な大きな力が働いているはずだ。曲がり角としての90年代論を語ることなしに、そのエッジとしての97年を語ることは出来ない。それが何だったのかをコンセンサス議論としていく必要があるだろう。
それには世情論とかトリビアルな指標で議論するのはやめて、がちがちのマクロ指標で正面から取り組んでいくしかない。
もう一つは、日本経済が変わったという受身議論だけではなく、政策・戦略として97年「改革」を推進した勢力がなんだったのかというダイナミックスも明らかにしなければならない。これは日本の政治を根本から変えていく上で避けて通れない課題である。
昨日のNHKの原発事故の民間事故調査委員会の報告に関連した番組はすごかった。「そこまで言っていいんかい」の連続で、息継ぐ暇も与えないほどの迫力だった。大地震のときに隠れていた地層が断層を起こし鮮やかに層状構造を見せてくれるが、日本の権力構造の政・財・官という積み上げかたも、一瞬、その秘部をさらしたようだ。
この報告についての分析はこれからいろいろ出てくるだろうから、引き続き注目していきたい。97年「改革」についても、一つの政策的激変であったから当然露頭が顔を出しているはずだ。大蔵省の財務畑が主導し橋本内閣を動かしたという構図だが、銀行畑はどう動いたのだろう。橋本内閣が大蔵省主流の方向で動いていたのに対し、与党内での対抗する動きはなかったのか、通産省や経企庁はどう動いたのか。財界はどう反応したのか。アメリカはどこをどう動かしたのか。
いずれにせよ、今度の一体改革が「97年の二の舞」になるのではないかという不安は、国民のあいだに根強くある。だから政府・財務省はそうならない根拠を示さなければならないのである。少なくとも97年「改革」を総括し、その失敗の原因を明らかにし、97年との違いを明らかにしなければならないのではないか。
ところがどうも、その作業は棚にあげて、「97年は特殊な年だったから、消費税引き上げによる景気悪化とはいえない」といって、頬被りしようとしているようにも見える。これでは原発再開の議論と変わるところはない。
ギリシャ債務危機に関しては、もっぱら先進国や銀行の対応ばかりが報道されています。そういうニュースを聞いていると、ギリシャは身の程知らずに贅沢してきたのだから、多少の我慢はやむをえないみたいな気分になってしまいます。
我々はプロレタリアートであり、ギリシャの民衆のお仲間なのに、資本家気分になってしまってはいけません。
以下の一覧表は、ギリシャ共産党のホームページから引用したものです。英文の解説がついていますが、おそらくギリシャ語の機械訳ではないでしょうか、とても読めたものではありません。
「新メモランダム」の攻撃リスト
労働者階級とすべての人民にとっての地獄の日々が準備されつつある。罠を仕掛けるのはトロイカ強権政府の暗黒戦線だ。
彼らは人民攻撃の方法に関して合意した。それはこれから果てしなく悪化する攻撃、今年6月までに実施されるだろう「新協定」の前触れに過ぎない。
「新メモランダム」は12月初めに投票により成立した。それには人民に困窮をもたらす以下のような攻撃がふくまれている。
A.給与
①基本給の22%引き下げ。
②初任給の10%引き下げ、つまりこれから就職する人は32%の引き下げとなる。
③各分野での個別賃金上乗せ協定の廃止。
④賃上げの2015年までの凍結。
⑤正規雇用のパートタイム化の容認。
⑥定期昇給の無期限停止。
⑦団体交渉による賃金決定を3年間凍結。
⑧その他団交の合意事項は1年間凍結。
⑨賃金水準に関しては6月までに南欧諸国との比較の上再提示する。
B.年金と社会負担
①年間3億ユーロの年金圧縮。新規削減は基礎年金と付加年金の双方に及ぶ。
②いくつかの年金基金の基礎年金は年頭にさかのぼり適用。
③すべての付加年金基金を6月までに併合。「制度維持の条件」に関する検討を開始。「将来起こりうるいかなる不均衡にも速やかに対応できるようにするための調整因子」を導入する。すなわち付加年金と退職金に対する新たな切り下げの準備。
④企業主の社会保障負担の2%削減。これは「勤労者持ち家機構」などへの企業主負担の廃止を通じて行われる。これら機構は廃止される。
⑤民間企業年金基金(IKA)への企業主負担をさらに3%削減する。これは次年度初めより実施。
C.公務員、旧国営企業労働者、銀行従業員
①旧国営企業、銀行における終身雇用制の廃止。給与の削減。
②公的部門において、今年さらに1万5千人の削減。「労働予備軍」への編入。
③公的部門の契約労働者の解雇。契約の非更新。
④公的部門労働者の給与の特別加算廃止により、総額6億4千万ユーロの削減。
⑤公的部門における賃金表改定によりさらなる給与削減。
⑥公的部門労働者を2015年までに15万人にまで削減。「5人退職に対し1人採用」のルールの適用。
⑦公共部門において自動雇用を保証している軍事学校、警察学校の入学定員を縮小。
⑧各種の公的機構、施設の2012年6月までの閉鎖。
D.2012年度に行われる付加的措置
①医療セクターの縮小。医薬品費の11億ユーロ削減。
②「収入にもとづく給付基準」の法律化による社会福祉の削減。
③三人以上の子を持つ家族への給付削減。
④政府の活動費および消費支出を3億ユーロ抑制。
⑤教育文化相の管轄下のいくつかの施設を閉鎖し、2億ユーロを削減。
⑥病院の医師に対する時間外手当を5千万ユーロ削減。
⑦公共投資プログラムの4億ユーロ縮小。
⑧国防のための装備に対する支出削減。
⑨6月の新租税体系発足。労働者のための租税優遇措置を全面廃止する。いっぽうで大企業に対する税額控除が増加する。
民主党の皆さん、これが「一体改革」というものです。良く参考にして、経団連に褒められるように、もっとすごい案を作ってみたらどうでしょう。
この文書には、市労連側の指示として「紹介カードを提出しない等の非協力的な組合員がいた場合は、今後不利益になることを本人に伝 え、それでも協力しない場合は各組合の執行委員まで連絡してください」などとの注意事項が書かれていました。
ということなので、市職労としてはこの問題で下手に騒ぐとやぶへびになると思って、沈黙を守っているのかもしれません。とすればこれもひどい話です。
思想・信条の自由というのは根本的な原理だし、それがあってこそ労働組合が存立しうるのだ。多少の返り血は浴びてでも、この問題で闘わないと。
草稿集②-500
いまようやく、徐々に、資本主義経済システムは“我々”(人類)を発展させ始めている。そのシステムは同時に、資本主義自身の否定と、新たなシステムへの生まれ変わりをも準備し始めている。
ところで、生産過程の土台には、直接的なモノづくりの過程がある。ここは基本だから直接的生産過程をより詳細に明らかにしなければならない。(マルクス自らの研究の経過においても、それがまさに進行中である)
しかしこのことははっきりさせておかなければならない。すなわち「人間社会の中にあっては、モノづくりは社会的生産過程の一つの要素に過ぎない」ということである。直接的生産過程がモノづくりの過程とすれば、社会的生産過程は価値を作る過程である。モノづくり過程は社会的生産過程に規定され、包括される。
社会的生産の起点は資本が労働力を結合させて価値を作り出すことであるが、それは社会に還元されて初めて価値を実現する。
つまり社会的生産過程の連鎖(再生産過程)は、社会が拡大し、社会とそれを構成する人々が発展することに帰結するのだ。モノもモノづくりも、価値の生産も、“我々”(人類)を発展させるための契機に過ぎない。
この社会的生産過程の主体となるのは、もちろん人間であり社会なのだが、のっぺらぼうにすべての人間がふくまれる訳ではない。社会的生産の主体は「生産者」である。しかも山奥や孤島など孤立した状況で生産しているのではなく、社会的連関の中で生産する「社会的生産者」なのだ。
この「社会的生産者」たちは、自らの不断の活動過程の中で、価値を生産しそれを享受することにより、自らを更新する。同時に、自らが作り出した「富の世界」を拡大していく。これらの過程の総体が「社会的生産過程」なのだ。
資本主義経済システムは、この社会的生産過程を飛躍的に発展させる。大工業は「過去の無駄な試み」を理解させる現場教師である。
ずいぶん噛み砕いて紹介したつもりだが、読み直すとえらく小難しい。さらに解説が必要なようだ。
これは後に続く、オウエンの講演録の紹介に当たり、オウエンの言っていることがマルクスの理論とどう噛み合っているのかを説明した部分だ。
要するに生産には次元の異なる三つの性格があって、一番単純なのは人間が材料を加工して有用物を作ることだ。これに対して社会的生産、ひらったく言えば商品生産というのは、有用物一般ではなくてお金と交換できるものを生産することである。
社会のほうも性格が変化する。つまり商品社会が出現するのである。社会は一般的には生活共同体なのだが、同時に商品交換を通じて結ばれた「生産共同体」の性格も持つようになる。つまり、社会が共同で生産する社会が登場したのである。
このあと、マルクスは余分な一文を挿入している。“この社会的生産者たち”から“富の世界”までは、そういう「生産共同体」の未来論的あり方を示唆したもので、この際は関係ない。
ということで個人的生産から共同体的生産への移行が歴史上のメガトレンドであり、この移行は直接には不可能であり、商品生産社会の介在が必要なのだ。人々は会社に雇われて働くことで社会的生産に参加するが、より大きな目で見れば「生産共同体」の一員となることによって「社会的生産者」となるのである。
この記事は今日のプライバシー基準から見て、逸脱しているものと思われる。
いまだにアクセスが有るのは、記事内容の重要性に鑑みてのことであろうが、
アップ以来すでに10年を経過しており、守るべき基準を守る立場から、
内容を削除することを決意した。ご愛読に感謝する。(2021年9月)
①エクアドルのGDPは堅調に推移していることが分かる。少なくとも深刻な状況が到来しているとはいえない。
②経済成長率はおおむね3~4%を維持している。自由主義経済の隣国コロンビアとほぼ同様の成長を達成している。乱高下はリーマン・ショックだけではなく原油価格の動揺も関連していると思われる。
③失業率が高止まりしているというのは、ほとんどデマに近い。高止まりしているのは木下氏の愛する新自由主義の国コロンビアのほうである。
④インフレ率は低く安定している。2000年の狂乱物価は新自由主義とドル化の導入に伴うものである。
⑤国際収支はリーマン・ショック後急速に悪化している。しかし新自由主義のコロンビアにおける国際収支の悪化ははるかに深刻である。
以上のグラフは「世界経済のネタ帳」から引用させていただきました。
この5つのグラフで、
①国内経済のファンダメンタルが急速に悪化しているのか。
⑦失業率や貧困率は高まっているのか。あるいは改善は見られないのか。
については否定された。
次いで財政問題に移ろう。②,④、⑨,⑩、⑪が財政にかかわる批判である。
財政については、なんと当の日本大使館がしっかり統計を流してくれている。
これで見ると、財政赤字の原因が乱脈な歳出にあるのではなく、石油収入の半減にあることが明らかである。これはベネズエラでも同じだ。10年に原油価格が高騰した際には収入は回復し、これに伴い赤字も半分以下に減少している。これについては「ベネズエラ経済を、ふと考える」、「ベネズエラ経済: 立ち止まって考えた」、「ベネズエラ もう少し考えた」をご参照いただきたい。
ただベネズエラは思い切り歳出カットしたが、エクアドルはそうしていない。10年には逆に支出を8億ドルほど増やしている。中身は120%人件費である。リーマンショック後の雇用確保に当てられたと見られる。
それにしても赤字幅は歳入160億ドルに対する11億ドルであり、その半分以上が資本支出の増によるものである。リーマンショック後の景気・雇用対策とすれば過大とはいえない。
12項目にはふくまれていないが、対外債務の経過を図示する。
絶対額そのものは算出法の違いがあるようだが対GDP比は10年前の54%から14.3%にまで低下しており、11年には若干上昇したがそれでも14.9%である。
別な記事では政府債務残高は32億ドル対GDP比5.9%とされている。いま話題のギリシャは4500億ドル、スペインは9千億ドルに達する。悪いのと比べてみてもしょうがないが、二桁違うのである。
同じく日本大使館資料から最低賃金 / 平均収入 / 最低・基本生活費 (出所:国家統計調査局INEC)
この図で注目すべきは、平均収入が徐々に上昇し、08年を機に最低生活費を越えたことである。
⑧国民の生活は悪化しているのか。という問いに対する答えはノーである。
なおラテンアメリカ諸国のジニ係数は以下の通りである。
ブラジル:59.3エクアドルはラテンアメリカで最も格差の少ない国といえる。(この表にはないが、ニカラグアはもう少し低い)
そろそろまとめに入る。
論者が指摘した12のポイントのうち、①、⑦、⑧、⑨、⑩、⑪は否定された。②については積極化はあったと見てよいが、何を以って“急進化”と呼ぶのか分からない。③はそもそも間違いである。④は部分的に正しいが、常軌を逸した大幅増というなら間違いである。
⑤については「そうですか」というほかない。ただコレアは就任に当たり、「まず政治システムの改革が先で、経済はその後だ」と宣言している。彼は無能ではなく、エコノミストとしての高いキャリアを持っている。その能力を背景にして、そのように言っているのだから、それは一つの選択だろう。
⑥についても「そうですか」というほかない。著者がお付き合いしている人たちが不満を強め、閉塞感を漂わせているとしても、それはコレアの責任ではない。
⑫については調べなかったが、中国から借りるのが危険だといわんばかりの論調には違和感を覚える。
統計資料から読み解くエクアドル経済は、著者の指摘とは逆の傾向を示しているように思える。ただ、11年から始めた“急進的”な経済5カ年計画が今後どのように展開していくかは注目すべきであろう。
さて本題だ。エクアドルの経済と財政のパフォーマンスは一体どうなっているだろう。
これについて木下氏は、きわめて興味ある評価を下している。
以下要旨を辿る。
2008年秋の金融危機以降、国内経済のファンダメンタルズが急速に悪化 したことを受けて、政権は急進化 の傾向を強めた。
コレア政権は市場原理を重視した新自由主義路線から、国家の役割を重視する社会主義路線へ と経済政策を転換した。
経済の底上げを目指して、公共事業や社会政策への政府支出を大幅に増やしている。
コレア大統領は政権発足からこれまでの4年間、経済政策を疎かにし た。
国内の経済社会情勢は厳しさを増し、コレア政権に対する国民の不満が高まっている。
完全失業率は6.1%・不完全失業率は47.1%(2010年)と労働生産人口の半数以上が依然不安定な雇用環境に置かれている。また、貧困率は33%(地方部では52.9%)で、国民の3人に1人は基礎的食糧品を購入するだけの所得(約2ドル/日)を得られない状況に置かれたままである。
国民はコレア政権の発足に希望の光を見出し、貧困削減・格差是正・治安改善などといった経済社会面での向上を期待したが、国民が期待したほどの成果はなく、国民の生活は以前と何ら変わらないどころか、むしろ悪化 しており、閉塞感だけが漂い 始めている。
問題はそれだけに留まらない。コレア政権は財政規律を無視 し、大規模な財政支出や公的投資を繰り返しているため、政府の財政状況は厳しい局面を迎えている。
2010年は約41億ドル(GDP比7.2%相当)、2011年は約53億ドル(GDP 比8.5%相当)の財政赤字 が発生すると見られている。政府はこの膨らむ財政赤字を補填するため、中国からの債務 を増やすなどして凌ぐ現状である。(石油を担保に、4回に分け総計50億ドルの融資を受けている)
このように、コレア政権の前には険路が続き、国内の政治経済は混迷の度合いを深めている。
イタリック体は私がつけたものだが、学術論文らしからぬ独断的・感情的表現が書き連ねられている。
いくつかの疑問がただちに浮かんでくる。
①国内経済のファンダメンタルが急速に悪化しているのか。
②政権の経済政策は09年以降急進化したのか。
③国家の役割を重視したら社会主義路線になるのか。
④公共事業や社会政策への政府支出は大幅に増えているのか。
⑤コレア政権は経済政策をおろそかにしているのか。
⑥コレア政権に対する国民の不満は高まっているのか。閉塞感が漂っているのか。
⑦失業率や貧困率は高まっているのか。あるいは改善は見られないのか。
⑧国民の生活は悪化しているのか。
⑨コレア政権は財政規律を無視しているのか。
⑩財政支出や公的投資は過大なのか。
⑪莫大な財政赤字が発生しているのか。
⑫中国からの新たな借款は不適格なのか。
以下、順を追って考えて行こう。
①国内経済のファンダメンタルが急速に悪化しているのか。
経済マクロはGDP、物価上昇率、失業率、貿易収支あたりを押さえればよかろう。
前提となるものが二つある。一つはリーマン・ショックはラテンアメリカ諸国を例外なく襲っている。したがって経済の急速な悪化は「市場重視」の国でも共通している。エクアドルが特にひどいかどうかを見なければならない。もう一つは、これはベネズエラ経済の分析の際にも触れたことだが、エクアドルは輸出の半分を石油に頼る石油産出国であり、原油価格の変動は経済に著しい影響を及ぼすことである。この間の原油価格の乱高下との関連を見ておかなければならない。
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エクアドルの名目GDP(USドル)の推移 |
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実質経済成長率の推移(エクアドル、コロンビア) |
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失業率の推移(エクアドル、コロンビア) |
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インフレ率の推移(エクアドル、コロンビア) |
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国際収支の推移(エクアドル、コロンビア) |
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以上のグラフは「世界経済のネタ帳」から引用させていただきました。
コレアがアメリカに嫌われる4つの理由
①コレア大統領は2007年に就任。左派の経済学者で、就任後は油田に対する政府の出資比率引き上げや、一部対外債務の利払い停止など民族主義的な政策を進めている。
左派といっても社会主義者ではない。あえてレッテルを貼るとすればネオケインズ主義である。行動形態が過激であるにしてもリベラル左派であり、チャベスよりは元アルゼンチン大統領の故キルチネルに近い。
2008年、コレアは32億ドルの負債返還を拒否した。その債務は不当であり、国際正義に照らして違法だと宣言した。そして累積債務の35%のみを支払うと宣言した。これは債権者と国際的金融機関を激怒させた。
②石油開発についても環境を破壊するような乱開発には反対していた。地球環境保護のため東部熱帯雨林での石油開発を中止すると表明したばかりだった。これは石油メジャーの反感を招いていた。
③ベネズエラのチャベス大統領がブッシュを悪魔と呼んだとき、コレアはチャベスを批判した。「悪魔に失礼だ。悪魔には少なくとも知性はある」という のが理由である。これは米政府を怒らせた。少なくともブッシュにつながるタカ派にとっては、クーデターをやるだけの十分な理由となる。
ただしこれは06年大統領選挙終盤での発言であり、この時点ではまだ大統領ではない。アメリカの大統領選挙なら、この位はまだ穏やかなほうであろう。
④平和主義者のコレアは、10年9月の訪日において広島を訪れ、被爆被害者の証言に耳を傾けた。「核兵器廃絶に向け私たちは行動を起こしている。広 島・長崎の悲劇を二度と経験しないよう努力する」と述べた。それはマンタの米軍基地を撤去させる決意と結びついていた。それは米軍および米軍と結びついた 軍内特権層の怒りを招いた。
これはある文献の要約であるが、債務モラトリアム、マンタ軍事基地の撤去、石油産業への干渉、それに一連の反米発言の4点セットがアメリカを怒らせ、気配を察した日本外務省が、その尻馬に乗っているという構図であろう。
コレアは急進派ではあるが元々の左翼ではない
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広島で献花するコレア大統領(エクアドル大使館HPより) |
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コレアの生い立ちは複雑である。彼はインタビューで、「父は失業者で麻薬運搬人(mula)だった、少量の麻薬を米国に持っていき、米国の刑務所で4年間過ごした。エクアドルへと強制送還されたあと自殺した」と告白している。
彼は苦学した後、名門イリノイ大学で博士号を取得している。同じシカゴでもシカゴ学派ではなくオーソドックスな経済学である。
コレアは左派ではあるがマルクス主義者ではない。最初に当選したときの選挙では、「民主左翼」は他の候補を推していた。
コレアは当選前にキューバを訪問し、カストロと会談している。そのあとカストロは「面白い議論だった」と述べているから、相当の激論になったようだ。
最近、エクアドル経済が注目されている。
一つはネガティブな立場からのものであり、これはとくに日本外務省の論調に一貫して示されている。その典型が、最近引用した木下直俊氏(在エクアドル日本大使館専門調査員)の「混迷を深めるエクアドル」という報告である
木下氏は「個人的な論文」と断っているが、その基本的視点は外務省のラテンアメリカ部局に共通している。その証拠として、寺澤辰麿 前コロンビア大使が「世界経済の新たな動きに関する研究会」で発言している内容を下記に示す。
多くの国は、債務危機を受け、市場メカニズムと新自由主義の導入を迫られた。具体的には、財政規律の確立、金融・為替の自由化、貿易の自由化等である。新自由主義政策を導入した結果、メキシコ、コロンビア、ペルー、ブラジル、チリでは企業部門の高度化やイノベーションが進んだ。しかしベネズエラ、 ボリビア、エクアドルでは大きな成果は見られなかった。この結果、二極化が生じている。前者の国々は親米傾向であるのに対し、後者の国々は反米政権の傾向がある。
これは相当えげつない、政治的色分けである。日本の外務省がラテンアメリカをこういう風に色分けしていると知れば、かなり不快感を表明する国もあると思う。しかも恣意的である。
たとえばアルゼンチンがここには含まれていない。アルゼンチンこそ新自由主義の導入でひどい目にあい、その後はっきりと反ネオリベを打ち出した国だ。ネオリベに対する警戒心は、ネオリベ政策を採用している国もふくめラテンアメリカ諸国に共通の認識だ。
エクアドルが反米だというのも不思議な話で、エクアドルはドル本位制なのだ。コレア政権でもドル本位制は維持されているし、変更する予定もない。これほどの親米国があるだろうか。債務の解決に当たってコレアが採った政策も、アルゼンチンのキルチネルに比べればはるかに穏和だ。
コレア大統領は「払わない」とは言っていない。ただ「道楽息子を博打狂いにして巻き上げた金の後始末まで、親に見させるんですか。しかも田畑まで売り払って未来永劫払わせ続けるんですか」と言っているだけだ。そして「払えるだけは必ず払いますから勘弁して下さい」と言っているだけだ。
実はこの考え方は、コレアの独創によるものではない。国連が政務に関する原則として打ち出したものだ。
国連の国際法委員会の債務に関する宣言: 国家が、国内あるいは海外の債権者への債務返済資金を捻出するために、学校・大学・裁判所を閉鎖し、公共サービスを廃止し、コミュニティを混乱と無秩序に陥れることなど論外である。国家に対して合理的に期待できる範囲には、個人に対するのと同様限りがある。
それが反米的で反自由主義的だとすれば、親米的で自由主義的であるということは何を意味するのか? 道楽息子に博打を続けさせることなのか? アルゼンチンのように、国が崩れ去るまで債権国への奉仕を続けよということか。
ここがまず第一のポイントである。これは議論以前の、人間としての情に関わる問題である。
もう一つはエクアドルの政策をポジティブに見る立場からのものであり、その代表が、2011年11月に放映された「BS世界のドキュメンタリー 世界を翻弄するカネ」である。この番組は主にギリシャの債務危機をめぐる話題をテーマにしていたが、債務とどのように対決するかをめぐり、エクアドルの経験を紹介していた。
要旨以下のように紹介されている。
南米エクアドルでは、国家予算のほぼ半分(30~40億ドル)が債務返済に当てられていた。輸出の約半分を占める石油収入は債務返済に消え、医療には4億ドル、教育は8億ドルしか回せなかった。
新政府は、返済は20%にとどめ、教育や医療、雇用創出に80%を当てるべきと主張した。そして「国民生活の向上という正当な理由がなく、特定の企業や政治家の利益に資しただけの融資」について、返済停止を宣言した。
私からもう少し補足しておきたい。
06年、コレアの大統領就任の時点で、エクアドルの対外債務は170億ドルだった。うち100億ドルあまりがグローバル・ボンドと呼ばれる公的債務だった。
1970年には2億ドルに過ぎなかった。
06年の債務返済額は国家予算の38%にあたる28億ドルあまり。これに対し保健医療と教育は15%だった。
1980年には債務返済は予算の15%、予算の40%が保健医療と教育予算だった。
エクアドルはそれまでの14年間で、債務の支払いにより135億ドルを失った。しかし債務は100億ドル増えている。まさに蟻地獄である。
問題は、それでその後どうなったかである。事態はそう単純ではない。
ただ外務省との見解との関連でいうと、大事なことは、エクアドルにそれ以外の選択があっただろうか、という点である。コロンビアやペルーやチリのようにネオリベ政策をあくまでも追求するという道があっただろうか? 私は歴史を振り返って、そういう道はなかったと思う。
歴史はそんじょそこいらの気の利いた方程式よりはるかに重いのである。