鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2012年01月

グラフがとんでいました。全部埋めたつもりでしたが、まだ残っていました。本日埋めました。(20 Jan. 2015)


みずほ総研の中島氏は、

日本は先進諸国に比べ労働分配率が高い。日本企業は生み出した利益をほかの主要国企業より多く雇用者に還元していることがわかる。

と語り、大企業を擁護している。

しかしこの統計には裏がある。この数字は生産額、あるいは利益額に対する労働者への分配率とは異なるのだ。

下の二つの図は内閣府の平成20年度 年次経済財政報告から拾ったもので、労働分配率の国際比較は、定義の違いにより全く異なってくることを示している。

1326380313

 

 1326380519

 みずほ総研の中島氏が用いたのは(1)の方だ。だがこれは国民総所得のうち勤労者がどのくらい受け取っているかという割合で、正確には労働分配率ではなく雇用者の分け前率である。

いろいろ変数が入る要素があり、これをどう読むかは難しいが、日本の大企業の経営者の博愛精神の現れということはとても読めない。

「労働分配率はなぜ上がらないのか」

長谷川公一(三井物産戦略研究所)

2007年

労働分配率: 企業が生み出した付加価値のうち、人件費割合を表す。

①労働分配率の低下は大企業での現象

景気の回復期には分配率が下がり、後退期には上がる。(賃金の下方硬直性)

バブル崩壊直後、分配率は急上昇。企業は新規採用を抑制し、非正規社員の活用を進めた。

90年代半ばからは横ばい圏内で推移。

2002年からの景気回復期においては、分配率は一貫して下がり続けた。この時の特徴は中堅・中小企業はほとんど下がらず、大企業で収益の改善が大幅に進んだ。

②企業収益の海外比率上昇が影響

大企業の分配率を製造業と非製造業で比較すると、製造業の方が非製造業よりも分配率の低下幅が大きい。

製造業をさらに産業別に見ると、鉄鋼や化学(含む医薬品)、電機機械、一般機械などの業種が大きく低下している。輸出額を大きく伸ばしている業種である。

またこれらの業種では、収益に占める海外比率が高くなっている。1/3を超えている。海外利益については連結決算として反映され、企業の株式配当の増加などを通じて還元されるが、国内人件費の方には反映されないため、分配率を引き下げる効果をもたらす。

一方、非製造業では人件費の安い若年社員の割合が多く、パート比率が高いなど就業構造が大きく異なり、分配率の低下をもたらさない。

③人口動態の変化による影響

高年齢者雇用安定法が改正されたため定年退職後も継続雇用等で働き続ける人が増える。60歳代での賃金はそれまでよりもかなり水準が低くなる。

内閣府では、団塊世代の退職により総賃金コストが8%程度押し下げられると試算している。当面は、団塊世代の退職による下押し圧力が強く働くものとみられる。

④結論

分配率の動向は、雇用の非正規化による就業構造の変貌や海外収益比率の拡大、人口動態の変化に大きく影響される。

特に、製造業を中心に輸出の増加や海外での収益拡大が分配率の下押し圧力として大きく働いていく。分配率が上がらないことが、企業が賃金を抑制しているとは一概には言えない。


これはリーマンショック前のレポートだが、これを読めば、なぜ分配率が一気に上がったかははっきりする。

つまり輸出関連企業、特に自動車産業が、リーマンショックで海外売上を半分にまで落としたことが結果として分配率を押し上げたのである。

不況期間においては賃金の下方硬直性により分配率は上昇する。これは一般的常識である。しかしアメリカに比べドラスティックな上昇を示したのは、分母の1/3を占める海外利益が一気に減少したからである。

これを「日本企業の温情主義の現れ」だと強弁するのは、あまりにも程度の低いデマゴギーだ。みずほ総研の理論水準が疑われる。

赤旗によると、11年度の海外企業買収額が6兆円を越えたそうだ。
とくに目立つのがアジア企業の買収で、これまでの最高に達している。
年間6兆円の金が海外に流出していくことになる。利益は確かに日本に還元するが、国民に還元されるわけではなく、大企業の懐を潤すだけだ。
消費税4%分の国民の金が収奪され、その分企業の法人税が免除され、企業はその金を海外に持ち出し、巡り巡って自分のものにする、こういう図式がすでに出来上がっている。
こんなやり方がいつまで続くと思っているのだろうか。

「日本企業は利益を溜め込みすぎているのか

-内部留保は過大、人件費比率は過小とはいえない-」

みずほ総合研究所  中島厚志

2011年2月

 

阿修羅の掲示板で、内部留保擁護論者がこのペーパーを論拠にしていたのであたってみた。

要点は以下の通り

企業の手元資金は増加している。その額は200兆円を越え、統計をとり始めた1980年以降最大となっている。

主要な原因は設備投資の抑制であり、円高不況下にあっては「合理的」な行動である。

この2年間で純利益に対する内部留保率は減少している。

主要国と比較すると日本企業の内部留保は突出していない。米国企業ではリーマンショック後も内部留保の積み増しが続いている。

主要国と比べると、日本のマクロの労働分配率は高い。リーマンショック後はさらに上昇している。

利益減少に応じて雇用も削減した米国企業に対して、日本企業な利益現象率ほどには雇用を削減しておらず、相対的に雇用を守ったことを示している。


この中島という人、どうもアナリストの資格に欠けているようである。事実を分析して一定の傾向を導き出すのがアナリストの仕事だろうが、「内部留保は過大ではない」といっているのは見出しだけで、裏づけは何も示されていない。

「人件費率は過小とはいえない」の根拠となる図表が3つ載っているが、うち二つは二次統計で、いくつかの異なる統計を寄せ集めたものである。

「主要国と比較すると」と書いているが、たとえば図表3 で比較しているのはアメリカ、中国、インドである。比較する相手が違うのではないか。ただしこの表は面白い。機械器具・情報通信部門では日本の人件費率はアメリカより中国に近いのである。

「内部留保率が減っている」というが、内部留保の絶対額は増えている。ということは分母である純利益が大幅に拡大したということになる。これは論旨と矛盾することにならないか?

不況と金詰りの下での内部留保の積み増しが「合理的」とはとても考えられない。個別企業にとっては「合理的」であっても、日本全体としては「不合理そのもの」である。

この人は眼が上についている人のようで、情報に真摯に向き合う姿勢が感じられない。

こんな人をチーフにすえているようでは、「みずほ総研」の名にも傷がつくのではないかと、老婆心ながら心配である。

歳のせいか、もっとも若い頃からの癖だが、ほろ酔い加減になると、ふっと昔の歌が口をついてくる。
今日は「岸の柳の徒然に、ふと見合わせた顔と顔」だ。だがその後がでてこない。
ネットで調べたら、題名は「十三夜」、なんと昭和16年の歌だという。
それなのになんで憶えているかというと、実際に流行したのは戦後になってからで、NHKが流したそうだ。
たしかにこんな軟弱な歌、戦争中に歌うのはためらわれますよね。
結構由緒正しい歌で、樋口一葉の「十三夜」を下敷きにしているとのこと。

作詞:石松秋二 作曲:長津義司

河岸(かし)の柳の 行きずりに
ふと見合せる 顔と顔
立止り
懐しいやら 嬉しやら
青い月夜の 十三夜


YouTubeで探してみたら、昭和16年のオリジナル版と、戦後に歌ってヒットさせた榎本美佐江の歌唱が聴ける。
オリジナルの方は歴史的な価値はあるだろうが、それ以上ではない。榎本美佐江の方は年取ってからの歌唱で、正直、聞くに堪えない。
演歌系の歌手がレパートリーにしているが、いずれも下品だ。
なかでは田川寿美・十三夜が良い。ビブラートや小節を我慢して清潔に歌っている。発声もしっかりしている。
この歌、小唄の素養は必要だが、小唄になってしまってはいけない、という大変難しいポジションにある。そこがうまく歌えているのが好感を持てる。
少し田川寿美を聴いてみようかと思う。


びっくりしました。こんな歌手がいるなんて今日まで知らなかった。声は洋楽歌手の作りで、フォルテは胸板から出てくる。だから低音に艶があってよく伸びる。そこだけは美空ひばりと似ている。
その上に色々な声を積み上げているが、そこは美空ひばりとはまったく違う。
天は二物を与えずというが、顔は中の下の南方系、森山良子とどっこいどっこい、島津亜矢よりはまし、というくらい。ただし、口元にはえも言われぬ色気がある。ここが肝心だ。

田川寿美 TOSHIMI TAGAWA - いい日旅立を聞いたら腰抜かします。つぐない 田川寿美 もテレサ・テンよりうまい。琵琶湖周航の歌も、島唄も、大河の一滴も、これからも、夜のプラットフォームも良い。

島津亜矢がすごいと思ったが、こちらはその上を行く凄さだ。ただし器用な何でも屋ではないみたいで、相当研究しながら声を作り歌を作っている。それが逆目に出ることもある。蘇州夜曲はやり過ぎで感心しない。赤とんぼは、ちあきなおみには勝てない、年の差だろう。
どちらにしても、日本で一番うまい演歌歌手ではないか。誰かが「まだ美空ひばりの域には達していない」と書いているが、くれぐれもあんな下品な歌手にはならないでほしい。


内部留保に課税することは国際競争力を弱めることにはならない。
法人税を上げて投資資金が枯渇するなら、当面使い道のない内部留保を取り崩せばよい。
より原則的に言えば、投資するつもりもなく金を退蔵することに対し、懲罰的に課税すべきである。
内部留保がいくら減っても、それは自己資本ではないのだから、企業の新たな投資に支障はない。
それがいやなら、内部留保を自己資本として積み上げればよいのである。
企業の投資活動は保護育成されるべきである。これがシャウプ勧告の真意である。

この理屈、間違っているだろうか。

鳩山首相の時代、志位委員長との会談で内部留保への課税を否定しなかった。
菅首相の時代にも、政府税調は内部留保への課税を検討すると語っていた。
内部留保への課税は二重課税だとする論者の中にも、内部留保するくらいなら株主配当に回せという人がいる。
内部留保で死に金にするくらいなら、投資家に還元すれば、投資家はさらに有効に投資に回すだろうという理屈である。

いずれにしても、国際競争力を決める方程式には内部留保額は入っていないはずだ。どこかで彼らは議論のすり替えを行っている。

正月にNHKで「長江源流地帯を行く」みたいな番組があって、原付のパラグライダーから撮影した景色がほんとうに綺麗でうっとりした。
ただ気になったのはイケメンのレポーターが現地の少女に惚れ込んで、上海まで一緒に行こうと誘った経緯だ。その話は結局おじさんという人物が現れて、ダメを出したためにご破算になったのだが、彼女はすっかり行く気まんまんだった。
上空を通過するジェット機を見て、「あそこには道があるの?」と問うあたり、いささか「むっ」ときた。民放ならともかく、NHKの番組としては節度にかける。中国から抗議が来てもおかしくない。
「渋カジ」のいい若い衆が1ヶ月も人里離れた山奥で暮らせば、そうとう溜まってくるだろう。しかし上海まで連れていってどうなるのだ。若い衆にすれば上海に帰れば娑婆の空気が懐かしい、東京はどうなっているだろうかと、帰心矢のごとくなるのは明らかだ。
純朴な娘にクラっと来る気持ちはわかるが、現地の女性に出来心で手を出してはいけない。
手を出すなら一族郎党、まとめて面倒みるくらいの覚悟が必要だ。少なくともそれをテレビで放映してはいけない。それが仁義というものだ。

世界中の、とくに田舎では間違いなく、男女は同権ではない。上海に行って帰ってくれば、もうその娘は傷物あつかいになるかもしれない。傷みというのは、受けた側には恨みを残すが、与えた側にはなかなか分からないものだ。
「上海まで一緒に行こう」という誘いが、その現地でどういう意味を持っているかを知った上で、くれぐれも日本 放送協会は慎重に行動すべきであろう。

北大の学生時代、セツルメントをやっていた。対象地域は日高のアイヌ部落だった。現地で支えてくれる人々がいるとはいえ、いつ壊れてもおかしくない極めて微妙な関係を保ちながらの活動だったから、この手の問題は細心の注意を払った覚えがある。

 とり貯めていた音楽ファイルを整理していたら、なんとなく気になってRCA交響楽団て、どんな楽団なのだろうと思って、グーグル検索してみたら、なんと解説がない!

しかたがないので、英語版を翻訳して載せておく。

All Music Guide Website (Author: Roger Dettmer) というページの記載だ。

このオーケストラはロビンフッド・デルとかハリウッド・ボウルのような偽名楽団ではなくて、ちゃんと存在したのだということがわかった。そしてコロンビア交響楽団がワルターの楽団であったように、フリッツ・ライナーの楽団だったのだ。


RCA Victor Symphony Orchestra
RCA Symphony Orchestra (Symphony Orchestra)

Founded: 1940 - USA

このオーケストラの母体は Nat Shilkret によって作られたサロン・アンサンブルである。彼は1916年から35年まで Victor Talking Machine Company の音楽監督だった。

本拠地はニュージャージー州カムデン、フィラデルフィアから川を渡ったところだ。1940年ころまでは、ビクターはストコフスキーの楽団の団員を随時使うことができた。

その後ビクターがRCAに併合されると、このアンサンブルは RCA Victor Orchestra と呼ばれることになった。注意: もう一つ Victor Orchestra というのがニューヨークにあって、こちらも随時契約の楽団で、こちらは軽音楽系が専門で、黒盤と青盤に吹き込んでいた。

1940年代はじめ、RCAとの合併と大恐慌のあと、ユニオンのボス James Petrillo は州法を盾にこの楽団の録音活動を禁じた。さらに1943年にはフィラデルフィア管弦楽団がRCAを離れ、CBS系列のコロンビア・レコードに移籍した。

これらの経過が RCA Victor Orchestra の活躍の舞台を変えることになった。

海外と米国レーベルとの関係は、第二次世界大戦後かなり複雑になった。メトロポリタン歌劇場のレコード権をコロンビアが獲得したことも事態を悪化させた。というのも歌劇場の歌手の多くはRCAと契約していたからである。

"RCA Victor Symphony"(以下 RCA SO) は突如としてメジャーの演奏団体になった。理由は主要にはマンハッタンの事情によるものであるが、それだけではない。ニューヨークが膨大な数の演奏家を蓄積していたからである。

しかし、RCA SO は歌劇のプロジェクトのみに限られたものではなかった。Leonard Bernstein はビクター所属時代(1944-1950)に、RCA SO と最初の録音を行なっている。

Igor Stravinsky はハリウッドに本拠を置いていたが、ニューヨークとメキシコ・シティーでRCA SO を指揮して録音を行なっている。

Jascha Heifetz は、数曲の協奏曲を録音している。指揮者は William Steinberg と Izler Solomon であった。

Robert Shaw のRCA への吹きこみは、すべてニューヨークのスタジオでRCA SO と行ったものだった。

RCA の歌劇全曲盤の首席指揮者は、対コロンビア戦争の間は Renato Cellini がつとめた。そして1950年に Fritz Reiner に引き継がれた。ライナーはコロンビアを離れRCAに移ってきたのだ。

ビクターのニューヨークにおける演奏家はニューヨーク・フィル、メトロポリタン歌劇場管弦楽団、シティー・センター、NBC交響楽団、放送局のスタッフ・ミュージシャンなどから構成されていた。

ライナーは、RCA SO の看板となるにあたり、常時演奏の質が保証されるようにもとめた。そしてスカウトを送り出して必要な要員を集めた。

ライナーにとっては、バッハのブランデンブルグ協奏曲であろうと、シュトラウスの交響詩であろうと、協奏曲の伴奏であろうと、歌劇の抜粋版であろうと、一定の水準が保証されなければならなかった。

(実際に何人かのメトロポリタン歌劇場の歌手を起用して当時流行の抜粋盤が製作されている。「こうもり」と「ばらの騎士」がそれである。カルメンは全曲録音が行われている)

フリッツ・ライナーは首席ではあったが、他の指揮者もRCA SO と録音を残している。名前を上げると、Leopold Stokowski、Krips, Kondrashin, Alfred Wallenstein らである。

ロスアンジェルスはレコーディング・オーケストラの第二のセンターであった。そこにはコロンビアと MGM という2つの楽団があり、RCAにも楽団があった。そこには一級のスタジオ・ミュージシャンがプールされており、一流楽団であるロスアンジェルス・フィルがあった。

(彼らの多くは Bruno Walter の最後の録音のほとんどに関わった。そしてトロントやニューヨークでは録音をしない主義のストラビンスキーにも付き合った)

ステレオ録音の出現、そして年間契約制度の導入までは、アメリカの主要交響楽団は(夏場はシーズンオフとなり、一種のアルバイトとして)サマー・コンサートを行うのが恒例となっていた。

だからエベレスト・レコードはニューヨーク・フィルをスタジウム交響楽団の名前で、RCAはフィラデルフィア管弦楽団を Robin Hood Dell SO の名前で、そしてロスアンジェルス・フィルをハリウッド・ボウル交響楽団の名前で制作・発売できたのである。しかしそれらはいわば偽名であり、商業ベースの名称ではない。

しかし、映画会社が経済的理由から海外を目指すようになった1960年代、RCA もそれに倣うこととなった。RCA SO は RCA イタリアーナ管弦楽団に置き換えられた。ローマ歌劇場の演奏者がオフ・シーズンに召集され、ベルディーやプッチーニの歌劇を録音した。

1963年、当時シカゴに移っていたフリッツ・ライナーは、ニューヨークで"his orchestra"とハイドンの交響曲を録音した。

アメリカのレコード会社は会社の名を冠した楽団を保持したが、ヨーロッパから洪水のようにおしよせるレコード録音には勝てなかった。1990年代に入ると、クラシック音楽の販売は枯渇した

ドイツのメディア企業 Bertelsmann 社がRCAのRed Seal Records を買ったが、2001年にはその「前世紀の遺物」を放棄した。

現在、シュワンのカタログには RCA Victor SO の名は存在しない。

12月6日の記事で、イタリアの共産主義再建党と韓国の統合進歩党について紹介した時、「いずれ少し調べた上で紹介する」と書いた覚えがある。そのあとイタリアの共産主義再建党についてはレビューした。ついでにスペンの統一左翼についても調べて紹介した。

韓国については、「来年の総選挙に向け、左派三党が「統合進歩党」を発足させた。昨年6月の地方選での合計得票率は14%で、台風の目となる可能性がある」という赤旗記事を引用した。

同時に、「ここ数年は内部分裂から停滞を繰り返し、民衆の期待を裏切ってきた。とくに韓国の場合は北との関係が背景にあるだけに、再建はむずかしいと思っていた」という感想を述べておいた。


韓国の統合進歩党はなかなか難しい。果たしてこれが前進といえるかどうかも分からない。むしろイタリア共産党が左翼民主党と名を変え、さらに旧保守系のキリスト教民主党の一派と結び、民主党へと姿を変えていった経過に似ていなくもない。

むしろ、民主労働党との合併を拒み左翼政党として生き残りをかけた進歩新党の方に何故か共感を覚えてしまうのである。

韓国の民主運動に関してはやたらと情報量が多い。とにかく在日の人がせっせと紹介してくれるので、ちょっとまじめにやると、たちまち情報の山に埋もれてしまう。その中で窒息してしまっては文章を書くひまがない。さりとてこれだけ情報が多いとうかつなことは書けない。

という訳で、ぼちぼち書き始めることにするが、完成させる自信があまりないので、とりあえず結論めいたことから書くことにする。

(1)結局はPDと主体派の闘いだ

今から1年前、社会労働党と進歩新党との再統合の動きが始まった。2つの党はもともと4年前までは一つだった。それが07年12月の大統領選挙で社会労働党が惨敗したことから、その総括をめぐって2つに割れた。

最も重要な違いは北朝鮮の評価である。もともと社会労働党は民主労総という労働団体がスポンサーになって作られたものだ。左翼系人士なら誰でもいらっしゃいというふうな雰囲気がある。そこに学生運動出身の活動家が大挙して流れ込んだ。

学生運動の主流派は、金日成の「主体思想」を奉じる連中だったから、社会労働党の執行部は「自主派」と呼ばれる親北派が握ることになってしまった。

これに対し学生運動の非主流派は民族解放・民衆民主主義革命を唱えたことからピープルズ・デモクラシーの頭文字をとってPDと呼ばれる。

ただ民労党内の「平等派」はPDのみならず、「自主派」に反感を持つ人々の集まりだったから、同床異夢の趣があった。

08年、民労党を飛び出した人々によって進歩新党が作られたが、北朝鮮に対する態度を除けば、民主労働党との違いはなく、「スター政治家」の人気に頼るほかない弱小政党だった。両者とも民主労総の支援を当てにせざるを得ない労組依存の体質を持っていた。

(2)「統一」の背景には民主労総の右傾化がある

民主労総は軍事独裁政権下にあっては非合法であった。御用組合のセンターである韓国労総が公認され、民主労総は地下で活動を進めざるを得なかった。

しかしその中で民主労総は力を蓄え、現代自動車など大手企業の労働運動の主導権を握るようになっていった。そして今では韓国労総をはるかに凌ぐ組織率を誇るまでに至っている。

それとともに、とくに大企業労組においては体制化しつつある。かつて「昔陸軍、今総評」と呼ばれていた頃の大田・岩井ラインを思い出せば分かりやすいかもしれない。

ここからさきは私の勝手読みだが、民主労総としては政権交代可能な野党を作りたいのではないか、労組の幹部がやがて議員になり大臣になれば、労組としても誠に都合が良い。

今回の「統一」は単なる左翼の一本化ではない。民労党は進歩新党との統合だけではなく国民参与党との合併も同時に進行させている。こちらはかつての盧武鉉与党の生き残りグループだ。リベラルではあるが基本的には左翼ではない。

その先に見えるのは、現在の第一野党である民主党に取って代わる政権の受け皿ではないだろうか。

(3)6月新党合意の非常識

私達にとって、東アジアの最大の問題は、間違いなく北朝鮮の核武装問題である。北朝鮮の核武装をやめさせることは東アジアの平和を目指す上で避けて通れない課題である。

さらに科学的社会主義を奉じる左翼政党としては、北朝鮮の三代世襲の問題もゆるがせにできない。天皇家や大王製紙の一族がそういう論理を持っていたとしても、とやかくいうつもりはないが、私達はそういう集団ではないはずである。

そのことを前提にして6月新党合意の文章を読んでいただきたい。

合意内容: ①北朝鮮に対して強まる米国と南韓の圧迫と、北朝鮮の核開発などによる朝鮮半島の軍事的な対決状態を克服し、恒久的な朝鮮半島および東北アジア平和体制を構築する。
②朝鮮半島非核化、従属的韓米同盟体制の解体、駐韓米軍の段階的な撤収、休戦協定の平和協定への交替、南韓の先制的軍備の凍結と南北相互の軍備削減、東北アジア多者安保体制の構築などを積極的に推進する。
③『北の権力継承問題は 国民感情として理解し難く、批判的な立場を明らかにしなければならない』という見解を尊重する。

これでも進歩新党に配慮した表現なのだそうだ。社労党の本意は北の権力継承は間違ってはいないが、いちおう「批判」も承っておきます、ということであり、北朝鮮の核武装は平和体制構築後に韓国側の出方を見ながら決めれば良いことなのだ。

進歩新党が社労党を飛び出した時と何も変わっていない。併合するいわれなどどこにもない。あるとすれば民主労総筋の圧力と進歩新党の幹部党員のオポチュニズムだけだ。

結局、この合意案は9月の進歩新党大会で否決された。指導者風をふかしていた幹部は、党を離れ「統合連帯」を組織し、社労党へと擦り寄っていった。

(4)進歩新党はどうなるか

民労党から進歩新党が分裂した時、進歩新党と運命を共にした人もいるし、組織原則を守りながら民労党にとどまった人もいるだろう。民労党結党時に、これを朝鮮共産党の衣鉢を継ぐ前衛党と受け止めた人も少なくないはずだ。そのどちらが正しいといえる立場にはない。

新党結成と時を同じくして進歩新党は新たな党代表に洪世和(ホン・セファ)を選出した。4290人が投票し、賛成4194、反対68、無効28で98.4%の高い支持を得た。みすず書房の紹介によれば、洪世和の経歴は以下のとおりである。

洪世和: 72年、ソウル大学文理学部在学中に「民主守護宣言文」事件で除籍。その後復学し卒業後、「韓国民主闘争国民委員会」(民主闘委)、「南朝鮮民族解放戦線準備委員会」(南民戦)に加わる。79年10月の南民戦事件によりパリ亡命。02年1月、韓国にもどりハンギョレ新聞社企画委員。
亡命中に書いた『コレアン・ドライバーは、パリで眠らない』は、韓国で大きな反響を呼び起こした。

レイバーネットに洪世和とのロング・インタビューが掲載されているが、正直何を言っているのか分からない。「良い人らしい」ということはわかった。多分みんなこんな印象でしょう。

多分この人に結果を求める人はいないでしょう。「結果オーライ」型の指導者にはもう飽きたということです。もちろん結果も大事ですが、一番は筋をつらぬく党、「正義の味方、真実の友」でしょう。

要綱Ⅱ p494
 
資本は常に生産性を向上させる。そのことは人類が自由に処分できる時間を創造することにつながっている。
しかし、個別の資本は、もっと儲けようと思って、あるいは「国際競争力を強化」しようとして、さらにその時間を使って剰余労働に転化させようとする。

だからそれがうまく成功しすぎると、社会全体は剰余生産に苦しむことになるのだ。(すなわち過剰生産恐慌)

その場合、その剰余労働は、結局のところ市場で販売できず、価値実現されないから、今度は剰余労働ばかりでなく必要労働までもが中断してしまう。

この矛盾が発展すればするほど、ますますはっきりしてくるのは、いろいろな生産力の増大は、そのまま剰余価値の増大に縛り付けられているわけには行かないということだ。つまり剰余労働を減少させなければならないということだ。

ただし、剰余労働の減少(労働時間の短縮)は労働者・大衆自身の努力に任されている。

1位アメリカ、2位中国、3位日本、4位ドイツ、5位フランス、6位イギリス、7位ブラジル、8位イタリア、9位インド、10位カナダ
というのが2010年のランキングだが、6位と7位が入れ替わったということになる。勢いから言えば10年後にはアメリカ、中国、インドにブラジルというのが世界4大国になることは間違いあるまい。
インドは貧富の差そのままだが、中国とブラジルはかなり底辺の底上げを心がけている。これが経済の力強さを支えている。

赤旗によると、

ルセフ大統領は「経済の格差を小さくすることで安定して拡大する」と指摘。所得の再分配を伴った経済成長が「ブラジルの基本原則」だと語っています。

日本でも基本原則であってほしいものです。

この間の政治運動を見ていると、不思議なのは経団連に対する攻勢が非常に弱いということである。
ウォールストリート占拠運動は金融独占ののど元に切っ先を突きつけたからこそ、全米市民の共感を呼んだ。野田だとか民主党だとか言っても、彼らは経団連の子分にしか過ぎない。
経団連は企業の集合体と思ってはいけない。それは庶民を踏み台にしてますます肥え太ろうとする金持ちの代表である。企業の苦境をお題目に掲げているが、実はそれを国民に転嫁し、自分たちはたらふく食っているのだ。
もちろん経済同友会も日商も同じ穴のムジナである。ライオンズかロータリーか、着けているバッジの違いに過ぎない。
敵は民主党でもないし官僚でもない。彼らを意のままに動かす財界なのだ。だから政治を財界本位から国民本位に切り替えて行くのが今の最大の課題なのだ。この観点から反財界国民戦線を作り上げていくことが何よりも求められている。
①原発を廃止せよ。復興債に協力せよ。
②TPPを導入するな。アメリカ追随をやめろ。
③労働者の権利を守れ。派遣をやめろ。
④ちゃんと税金払え。円高差益を還元せよ。

この間の政治運動を見ていると、不思議なのは経団連に対する攻勢が非常に弱いということである。
ウォールストリート占拠運動は金融独占ののど元に切っ先を突きつけたからこそ、全米市民の共感を呼んだ。野田だとか民主党だとか言っても、彼らは経団連の子分にしか過ぎない。
経団連は企業の集合体と思ってはいけない。それは庶民を踏み台にしてますます肥え太ろうとする金持ちの代表である。企業の苦境をお題目に掲げているが、実はそれを国民に転嫁し、自分たちはたらふく食っているのだ。
もちろん経済同友会も日商も同じ穴のムジナである。ライオンズかロータリーか、着けているバッジの違いに過ぎない。
敵は民主党でもないし官僚でもない。彼らを意のままに動かす財界なのだ。だから政治を財界本位から国民本位に切り替えて行くのが今の最大の課題なのだ。この観点から反財界国民戦線を作り上げていくことが何よりも求められている。
①原発を廃止せよ。復興債に協力せよ。
②TPPを導入するな。アメリカ追随をやめろ。
③労働者の権利を守れ。派遣をやめろ。
④ちゃんと税金払え。円高差益を還元せよ。

年頭にあたり、今年がどういう年になるか、さまざまな観測が打ち出されている。
なかでも私は中国の外交姿勢の変化に注目したい。
米軍がイラクに侵攻する前後から数年間、中国外交は目覚しい展開を行った。それは「多極化論」の積み重ねの上に、非同盟運動が提唱した「多国間主義」を取り入れたものだった。
これにより多極化論はたんなるバランス・オブ・パワーの域を抜け、アメリカの一極支配に対抗する軸となった。外交に「正義」という考えが付け加えられたのである。(中国外交史ノート
私はこの路線を無条件に賞賛した。その頃は中国外交の一挙手一投足に注目したものである。
しかし、湖錦湯時代になって、鄧小平時代のプラグマティックな多極化論が復活し、これらの路線は沈滞した。さらに中国が押しも押されもしない軍事・経済大国となったここ数年、中国外交には大国主義とエゴイズムの臭いさえ立ち始めている。
ところが、この半年間、中国外交に変化が現れ始めている。その最もはっきりした表れが、10月のASEAN会議における温家宝首相の発言だ。「行動宣言」の再確認ということではあるが、二国間交渉への固執を捨て、多国間主義の立場に立ったということである。
問題は、こういう変化が現政権によって積極的に行われているようには見えないことである。ここからは権力の水面下の動きなのでよく分からないが、政権が交代したときにどのような動きになって行くのかが注目である。
それは行き詰まった6カ国協議をふたたび動かしていく上でも、大きなポイントになるであろう。

赤旗のカイロ特派員の記事

①12月28日、イラン海軍のサヤリ司令官は、国営テレビのインタビューで「我
軍にとってホルムズ海峡封鎖はコップ一杯の水を飲むよりも簡単だ」と述べた。
②その前日には、ラヒミ第一副大統領が「制裁を課せば、石油は一滴たりとも海峡を通過できないだろう」と表明している。
③イラン海軍は24日以降、ホルムズ海峡周辺海域で軍事演習を行った。

というのがニュースの柱。

解説では、ホルムズ海峡の重要性について指摘。

世界の海上輸送原油の約4割が通過。日本は同海峡経由の原油に消費量の8割を依存している。


イランの核開発阻止と、原油供給危機のどちらに重きをおくかで書き方は異なってくるだろうが、どちらに転んでも深刻な事態だ。

イランには米国に侵攻作戦を実行する力がないと踏んで、高飛車な態度に出て来ているのだろうが、問題は経済制裁と海峡封鎖のトレード・オフではない。核兵器開発の野望を捨て、そのことを明確な形で世界に示すべきなのだ。

イギリス大使館の襲撃といい、イランには節度が失われつつある。これがイスラム革命のなれの果てということになると、中東の民主化運動にも暗い影を投げかけることになる。

今はそのことを世界が明確にして、もっと声を上げてイランに迫るべきだろう。


赤旗の記事によると、宮城の仮設住宅は寒いそうだ。
エアコンを27度に設定しても室温は12度までしか上がらない。「午後4時、肌を刺すような冷気が玄関の隙間から入る」と書かれている。
理由は断熱材が薄いからだ。なぜ薄いかというと、大手メーカーのプレハブ建築協会がその仕様を各県に押し付けたからだ。各県に押し付けたのになぜ宮城だけが寒いかというと、宮城県だけがそれを100%受け入れたからだ。
岩手ではプレハブ建築協会の仮設を半数に抑えた。部屋を畳敷きにし、窓ガラスを二重サッシにした。福島では地元工務店や大工などに木造仮説6千戸を発注した。
村井知事はこれら一切をネグレクトした。だから宮城の仮説は寒いのだ。これが中央直結・民活導入・復興特区の真の姿だ。村井知事の懐はさぞかし暖まったことだろう。

経済改革は一朝一夕に出来るものではない。とくに構造改革を伴う経済改革は、強制によるのではなく、何らかの有効なインセンティブを提示しながら納得と合意の下に進めなければならない。
小泉改革がもたらしたものは、まさにその逆だったのではないか。「痛みをともなう改革」といったが、国際競争力論者は果たしてその痛みを感じたのだろうか?

国際競争力論者にはその痛み感覚が欠落しているようにみえる。むしろ彼らにとって小泉改革は「成功体験」であり、「快感」であったのではないだろうか。

だから、「もっともっと」とおねだりしているのではないだろうか。

国際競争力論者に聞きたい。小泉政権による「痛みをともなう改革」であなた方はどのような痛みを感じたのか。労働者を首切る「良心の痛み」か。それだけか?

痛みを分かち合うなら、法人税を増税すべきだ。財政再建が最大の課題だというならなおさらそうすべきだ。消費税増税分と法人税減税分がプラマイゼロというなら、財政再建論は嘘っぱちということになる。

法人税減税が景気浮揚のためというなら、景気を冷やす消費税増税は景気浮揚にとってマイナスだ。景気浮揚論も嘘っぱちということになる。

そもそも何をやりたいのかが見えてこない。

赤旗の「潮流」にこんな記事があった。

消費税反対の署名をした女性が眼に涙をいっぱいためて訴えてきました。
「民主党は一体なんなの!」「私たち、生きてちゃいけないの?」

国際競争力のためにといって、それを突きつめて行くと、人間にとって一番大事な価値観がひっくり返ってしまいますよ。


小泉改革でGDPは微増、この間に勤労者所得はかなり低下した。
このことはわが国企業の国際競争力を強化させたのか?

国際競争力の強化というのは、結局貧富の差の拡大ということなのか?

貧富の差の激しい国ほど国際競争力があるということになるのか?
それともGDPと勤労者所得の比率に、国際競争力を最大に高める適正比率というものがあるのか?

規制緩和というが規制は社会のルールだ。企業活動に対する規制のほとんどは、国民の生活と権利を保護するために作られたものだ。「公害」とか「悪徳商法」などさせない、「奴隷労働」は許さないという規制だ。したがって規制は正しいことであり、良いことであるはずだ。

少なくとも「規制が悪」という発想は「社会のルールが悪」という結論に行き着くのではないか?

規制は規制として受け止めた上で、個別に「この規制は時代遅れ」とか、「かえって害になる」とかなどと主張をすべきではないか。

正月のテレビに国際競争力論者がたくさん出てきたが、例外なく傲慢である。国際ビジネスの最前線にいることを以って、自分が一番物知りだと思っている。
むかし、「フランスでは」とか「アメリカでは」とやっていた「物知り」がよくいたものだが、今はそんなことでは通用しない。
国際的であることはますます重要になっているが、ビジネス分野だけでものを見ているようでは、ただの「国際」セールスマンだ。ビジネス動向を規定するもっと大きなトレンドはそこから見えるはずはない。

国際競争力というのは、他の国に勝つことを至上の課題とする、日本エゴイズムに過ぎない。そんなものが国際的な価値判断の基準になるわけがない。こんな理論はアメリカでもアジアでも通用するわけがない。

大事なことは共存共栄であり、世界の人々の幸せのはずだ。それが国際感覚を云々する上での出発点だ。

大事なのは国際経済の安定的発展であり、その中で共存・共栄のための手立てとして貿易も考えなくてはならない。日本企業の国際競争力をすべての価値観の尺度にするのは、限りなく「反国際的」なけちな考えだ。






流れを見てみると、この事件には二つのターニング・ポイントがあるようだ。

一つは、成立したナジ政権と労働者評議会の関係である。23日に動乱が発生してその2日後には全国に評議会が結成され、執権機構が事実上そちらに移動しつつあった。その鍵となる力は労働者評議会にあった。つまり二重権力状態である。

ここと政府との間がうまくいかなかった。ナジが党の既存権力の抵抗を押し切って改革を実行しようとすれば、その背後の力は評議会以外にはありえない。しかし直接、労働者評議会と連携しようとする立場はうかがわれない。

労働者評議会の評価は不明である。おそらく雑多な勢力も紛れ込んでいたことは間違いない。しかし2,3日のうちに全国に執行能力を持つ評議会が組織されたということは、党のアクティブな部分が相当動いたと想定しなければ不可能だ。動乱終結後に労働党員が70万から10万に激減したという数字は、そのことを示唆している。

ナジは53年にも一度首相の座についたが、2年足らずでその座を追われている。そのときの経験が生かされているとは思えない。二度にわたる失敗は彼の指導者としての資質を疑わせるものだ。

もう一つのターニング・ポイントはソ連共産党内部の変化だ。とくにフルシチョフの豹変だ。ソ連の崩壊後内部文書が開示されたことで、いままでの憶測のほとんどは否定された。

基本的には、ソ連の周囲は「攻めろ、攻めろ」の大合唱だった。ミコヤン、スースロフ、ジューコフを中核とする「新路線」派は孤立していた。マレンコフがキャスティング・ヴォートを握っていた。フルシチョフの180度の転換は、10月30日の昼から夜にかけて行われた。最終決断にあたり相談したのはマレンコフ(物分りの良いスターリニスト)だろう。

この間に起きたことは、一つはユーゴのチトーによるナジ政権批判であり、イスラエルと英仏軍によるエジプトへの軍事侵攻である。衝撃度としてはスエズのほうがはるかに大きいが、深刻なのはチトー声明のほうである。

チトー声明の本質は複数政党制批判にある。複数政党制そのものというより、ナジの提唱した政治システムが、社会主義政権を崩壊させ、第二次大戦前のハンガリーに引き戻す危険を訴えたものだ。ミコヤン、スースロフはこの複数政党制提案をふくんでナジ政権支持を打ち出していた。そこには明らかな情報ギャップがある。

フルシチョフはミコヤン、スースロフのハンガリー評価を否定し、チトーの評価を採ったことになる。

そもそも6月にラコシ第一書記を追い出し一定の改革に乗り出したのはミコヤンであった。しかしラコシに代わって第一書記に衝いたのはラコシの腹心のゲレであり、改革などする気はまったくなかった。かつてベリヤが言ったようにハンガリーを支配していたのは数名のユダヤ人党員であり、彼らがマフィアを形成していた。だからハンガリーを「新路線」に載せるためには、彼らをすべて一掃しなければならなかった。(ベリヤは極悪非道の男だが、どういうわけか政策的にはリベラルで、ポグロムのあいだもユダヤ人を庇った)

それが10月23日の事態につながったのだから、ミコヤンの情報収集能力に疑問符がつけられても不思議はない。

このあとフルシチョフはポーランド、ルーマニア、ブルガリアと飛んで、最後にはチトーとさしで徹夜の会談を行った。これらすべての会談にマレンコフが同行した。侵攻作戦はマレンコフが総指揮をとることになった。

作戦を急いだのは29日に始まったスエズ武力侵入の影響があるが、CIAの「自由ヨーロッパ放送」によるソ連との武力対決を煽る大宣伝も影響していたようだ。拠るべき根拠を失って漂流していたハンガリーの民衆にこの放送はかなりの効果を及ぼした可能性がある。

アイクはハンガリー介入の可能性を否定していたから、この武力対決は無責任な扇動だった。

(これでとりあえずハンガリー事件は終わり)

これまで、ネット上にアップした「療養権の考察」は、本文のみでした。
「注」がないとよく分からない所があるので、今回、正月休みを使って「注」を組み込みました。
また、執筆中の認識の到達を跡づけた「文献解題-後書きに代えてー」も新たにアップしました。
元の本が相当難しいので、噛み砕いた解説分かりやすい「療養権」の話」も載せてあります。
一度お立ち寄りください。
また執筆活動と平行して行なっていた、看護学校の講義ノート「成人保健学: 貧困と不幸への理論的アプローチ」も掲載しました。
アマゾンでみたら、私の本はとうに絶版、古本で5400円から6000円の値段が付いているようです。手持ち在庫もあと3冊になってしまいました。
もうあれだけの仕事はできませんな。根気が続かない。脳血流がクリティカル・レベルまで落ちてきているようです。

あけましておめでとうございます。またしても冥土の旅の一里塚が巡って来ました。正月早々暗い話で申し訳ございません。

「世界政治」のバックナンバーに目を通していたら、「ハンガリー事件関係日誌」という年表を見つけました。

89年に、当時の政権与党の社会党(共産党)がハンガリー事件の見直しをおなったときに作成した年表です。

見直しといっても、これまで反革命と規定してきたものを革命として評価することになったのだから、価値観の逆転です。

しかし、この時点ではまだ及び腰の所があって、10月23日からの「運命の2週間」に関する記載はかなり抽象的です。

その次の号(89年8月上旬号)にはソ連の「新時代」誌のシンポジウムが掲載されていて、これがめっぽう面白い。フォーミンという人が登場して、当時ソ連駐留軍の政治委員をしていた人で、現場感覚たっぷりに「どこが悪いんだ」とばかりにソ連軍の行動を擁護しています。血刀引っさげた迫力に他の論者がタジタジになっています。

いまさらという気もしますが、ハンガリー事件の受容の問題が日本でも相当あって、組織論の議論では未だにアクチュアルなところもあるので、これを機会に一度おさらいをしておきます。これだけやっておけば、革マルに絡まれても大丈夫でしょう。

例によって年表形式です。

主なソースは以下のとおりです。

小島亮『ハンガリー事件と日本』

盛田常夫 ハンガリーからのメッセージ

ウィキペディア 「ハンガリー動乱」

「先駆」

軽くすまそうと思って、日本語文献だけで年表を作ったが、やはり物足りない。1990年以降の発掘資料が反映されていないのではないか、という思いがつのる。 いったいに日本語の文献は思いが強く押し出され、その割には裏付けに乏しい。
日本語文献を読んで疑問に思ったことの答えが、正邪は別として、英語版ウィキペディアには載っている。何よりも資料が新しいのがよい。

そこで結局英語資料にも手をつけてしまった。

⑤ウィキペディア英語版

⑥米国会図書館の各国紹介

National Security Archive

から拾っています。⑦がお勧めです。これでかなり全体像が見えてきたようです。

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