鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

AALA関連記事は「aala_newsの編集日記」http://blog.livedoor.jp/aala_news/ に移りました(6Nov.2023) 中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 「ラテンアメリカの政治」(http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ )がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2011年12月

これで幸せになれる四つの秘薬。
ただAとBは Variable だ。やりすぎると、夜中に胃と食道がひりひりする。そこで牛乳とザンタックのお世話になる。経済同友会の長谷川代表幹事が気に食わないからタケダのタケプロンは飲まない。ほんとにムカつくいやなやつだ。
イブリガッコは秋田に行った知人からお土産にもらった。袋には湯沢のきむらやと書いてある。本当に煤の味だ。
大体人間はなぜ煤の味が好きなのか。
甘い、しょっぱい、酸っぱい、辛い、苦い、これが5味だ。これに臭いのが入る。俗にいう珍味はたいてい5味に匂いが加わる。
人間はにおいに弱いから、匂いが分類できない。そのくせにおいにはことのほか敏感だ。だから詩とか歌には必ず匂いがついて回る。
~あなたの好きなタバコの香り横浜~でタバコの香りでなく横浜の香りが漂ってくるのである。学生時代に大枚はたいたゲルベゾルテやクレオパトラの匂いだ。
汽笛の香りといえば、石炭の焦げた匂いだし、そのとき気取って港ホテルの喫茶店で読んでいた本をもう一度広げたときに、カビの匂いと一緒に一瞬漂ったあなたの耳元につけた香水かも知れない…なんちゃって
そんなことを思い出しながらイブリガッコをほおばると、これは朝の満員電車で誰かがこいた、思い切り酸えた屁の匂い。安物ポマードと乳酸菌が混ざってこいつはたまらん。
(そういえばポマードなどという言葉、久しく聞いてない。シミーズ、ズロース、アンネ、劣情、バイタリス、マンダム、丹頂ヘアートニック、ウテナクリームすべて死語である)

そうそう、それどころではない。「お前何クッとるんや!」と叫ばなければならない順番だ。
そんな貧乏くさい、酸っぱい屁たれるな、ベトコン! 豪勢なステーキ食ってたらそんな情けない貧相な屁はでぇへんぞ! それにしてもくさいな、だんだん利いてくるぞ、 そんな遅効性のサリンみたいな屁をかますな。
…てなことを口の中でもごもごとくっちゃべるのだが、相手も強そうには見えないが、もっと気弱な兄さんはあくまでくごもるだけ。


投資十八番(FC2時代)というサイトに、内部留保課税について という記事がありました。

この中に次のように書かれています。

①企業が内部留保を溜め込む理由は様々です。企業はいついかなる局面に遭遇しても生き抜かなければなりません。そのため、不測の事態に備えて留保金を積み増しておくこともあれば、将来の戦略的設備投資のため資金を留保しておくこともあります。

②共産党のロジックは、会計上の利益と会社で保管されているキャッシュを同一視しているところから導き出されています。これは明らかに頓珍漢な論理なのです。

③本来、必要とする量を超えて積み上げられた内部留保は全て配当として株主に分配するべきものです。死蔵金は投資家を通して消費や、再度成長性の高い事業に リスクマネーとして再投資されることで経済を回す原動力に変わります。こうすることで新しいサービスが育ち、新規雇用が生まれ、経済が活性化します。

④しかし、一律で課税することは、逆に経済効率性の観点からはマイナスです。

⑤大企業は悪という理由で税制が決められるとしたら、国民全体にとって不幸なことです。税金は取ればいいというものじゃないですよね。中長期的な視点が必要なんです。


①について

内部留保一般を否定しているわけではありません。内部留保必要論を振りかざしても仕方ありません。ただこの10年で内部留保が2倍に膨らんでいることが問題なのです。

内部留保の理由にいろいろ書いていることは間違いです。使途を留保しているから内部留保なのです。不測の事態に備えるためには自己資本の充実が必要です。将来の設備投資を考えているなら、きちっと基金を創設すべきです。

②について

せっかく志位委員長の発言を引用してゴシックで強調しているのに、どうして「会計上の利益と会社で保管されているキャッシュを同一視している」と結論付けてしまうのでしょうか。


別のサイトですが、rionaoki さんもこう言っています。

当たり前だが内部留保と現金は違う。内部留保は支払原資の存在を意味しない。保有している流動性の高い資産の存在を問題にすべきで、内部留保を槍玉に上げるのは焦点がずれている。もちろん、不存在も意味しないがそれならまあこの辺は会計畑の人に任せたい。


ただ内部留保は、最終的にはお金であり、流動性の高低はあるにせよ換金可能な形態での資産です。そこをはっきり言わないと「白馬は馬にあらず」の類で、逆に勘ぐられることになりますよ。

③について

「内部留保は全て配当として株主に分配するべき」というのは、筋の通った話です。もっと声高に主張したらどうでしょうか。

少なくともそれは①で述べた内部留保弁護論を粉砕しますし、②内部留保還元不能論も粉砕します。その上で株主の所得に対して正当な課税を行うというのも、税法のひとつのあり方だと思います。

それにしてもこの人、自分で言っていることの矛盾が分からないのでしょうか。

ここでは内部留保は「死蔵」された「金」だと言い切っているのです。つまり自分で言った①と②を自分で否定しているのです。

それが市場に回れば、「経済を回す原動力に変わり、新しいサービスが育ち、新規雇用が生まれ、経済が活性化する」のなら回せばいいじゃありませんか。

これは実に秀逸なグラフである。この10年あまりで日本から「小金持ち」が絶滅したことが、一目瞭然だ。



これは分かりやすいグラフで、日本の市民社会が15年でどう変わったかがわかる。
はっ きりしているのは、日本から「小金持ち」が消失したということである。日本人が「明日はもっと良いくらしを」とがんばったのは、身近にこういう人たちがいたからである。そうしてこういう人たちが地域社会を束ねてきたからである。

年収800万と2千万では相当違うと思うけど、中小企業の社長さん、医者や歯医者や 弁護士とか会計士とか建築士、目抜き通りの三代続いた商店主、羽振りの良い銀行員や証券マン、腕の良いセールスマン、お稽古事のお師匠さんなどなどがいな くなってしまったのである。

そうなれば、ロータリー・クラブやライオンズ・クラブは閉鎖に追い込まれ、ゴルフ・クラブには閑古鳥がなき、夜の巷からはクラブや料亭が消え、奥様は奥さんになりおばさんになる。
それが低所得層に転落し(株で当てた少数は成り上がったかも知れないが)、低所得層は貧困層に転落するから、低所得層は差し引きゼロとなる。
いますでに団塊の世代が定年を迎えつつあるから、これから先、この傾向には二番底があると見るのが常識だろう。

一体改革というのは消費税増税を柱とする財政改革と、社会保障の改悪を一体として推進するものだとされている。しかし実はこれに企業減税の推進と優遇税制存続を柱とする金持ち優遇税制を加えた「三位一体改革」である。
その際、最大の根拠は、民間にはまだ資金の余裕があるということだったが、しかしその根拠はすでに失われている。
90年代までは、確かに「1億総中流時代」というべき中流階級と民間資産があった。しかし小泉改革を通じて、それはすでに失われたというべきであろう。

赤旗のグラフを見ると、この間日本が失ってきたものが何だったのかが一目瞭然である。

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これは違う種類のグラフを一つにまとめているので、分けて考えたほうが良い。
大事なのは青線グラフで、所得下位20%のシェアがこの間劇的に下がっていることである。93年160万円あったのが、15年後には120万円まで下がっている。
実に30%の低下である。しかも年間120万円は生活保護レベル、いわば日本における絶対貧困線である。ここからさらに10%の消費税とりますか? ということである。
一方赤線は着実に増えているが、これが貧困者の所得を削った形で増えているのかどうかは、このグラフからだけでは言えない。


アルゼンチンの田舎の出で、30歳でガンで死んだタンゴ歌手のことを書いた。生きていればきっと大成しただろうと思う。

同じような話で、40歳で死んだ前野曜子も、生きていればといわれるが、私は生きていてもだめだったろうと思う。

声はきれいで歌はうまい。一番感心するのは、こんなにきれいに日本語を発音する歌手は見たことない、ということだ。そこはかとなく雰囲気もある。しかし色気がないのだ。人をマスでひきつける力がないのだ。

玄人には人気があっても、素人には受けない。コアーにやっていこうと思ってもコアーがない。困ったものだ。

(61)最後の深酒 (La Ultima Curda)

goyeneche/troilo - la última curda

この曲はゴジェネチェの十八番らしい。にやけた馬面といい、しわがれ声といい。尾羽打ち枯らした遊び人の雰囲気を漂わせている。だいいち、名前からしていかにも飲兵衛っぽいではないか。youtubeにはこの作曲者であるトロイロとの共演のほかに、Néstor Marconiとの演奏やピアソラとのデュオなどがうpされている。このうちではやはりトロイロとの競演が出色である。

Tango La última curda por Roberto Goyeneche

こちらはネストル・マルコーニのバンドネオンとの競演。映画「スール」の1シーンで、いかにもそれらしい雰囲気だ。

Tata Cedrón con La Típica canta La última curda

この歌手とバンド、すごいと思う。注目だ。すこし後であさってみよう。

LA ULTIMA CURDA

いつもラジオ・タンゴ・ロサリオは本物をうpしてくれる。これも ROSANNA FALASCA という聞いたことのない歌手だが、実にうまい。TODOTANGO で調べたら83年に30歳でガンで死亡した人だそうだ。

Bandoneon Tango "La ultima curda" version Uruguay

今や、ほんとのタンゴを聞きたければウルグアイへ行けということだろう。ただしうp時の問題と思うが音割れがひどい。

La última curda - JUAN CARLOS BAGLIETTO - LITO VI

フアン・カルロス・バグリエットという歌手らしい。顔に似合わぬ美声である。こういう風に歌うと、歌の雰囲気ががらりと変わる。

LA ULTIMA CURDA - CACHO CASTAÑA

ゴジェネチェと同じような趣向だが、録音は最新である。

Juan Cedron Trio - La Ultima Curda

69年録音のLPレコードから起こした音源だそうだ。歌手のクレジットはないがいい演奏である。

Mercedes sosa - La última curda

89年、マル・デ・プラタのコンサート・ライブのエアチェックらしいが、録音の状態はひどい。しかしまるでこの曲がソーサのために作られたフォルクローレの名曲のように聞こえる。
…と思ったら元気なときのCD音源もアップされていた。とりあえずそちらにリンクしておく。

La última curda

ハーモニカとピアノのデュオで、普通だとこの組み合わせは取り上げないのだが、あまりにも録音がすばらしいのでつい聞いてしまう。

(62)女旅芸人 (Payadora)

HPでは女道化師と書いたが、旅芸人のほうがよさそう。ただイメージはわかない。「道」のジェルソミーナなのか、「離れゴゼおりん」なのか、「伊豆の踊り子」なのかでずいぶん話は変わってくる。

この曲はセステート・マヨールの第二バンドネオン奏者だったフリアン・プラサの作曲ということだから、ずいぶん新しい曲である。浅田真央がBGMに使ったと書いてある。

Sexteto Mayor - Payadora

これがセステート・マヨールの演奏で、標準盤ということになる。ライブ版もあるが、こちらのほうが音が緻密である。

Gran Orquesta Típica OTRA - Payadora (Julián Plaza)

バイオリンだけで7人もいるグラン・オルケスタ。半分は女性だ。だから腕は良い。タンゴの社会的評価が上がったということだろう。

Payadora - Enrique Ugarte

これはバンドネオンのソロ。そんなこと言わなくても分かる、といわれそう。手抜き傾向ですね。


タンゴ名曲百選をやっていると、思わぬ演奏に当たり、脱線したくなることがあります。それを番外編としてシリーズにしようと思います。

ビルヒニア・ルケの絶唱

「我が悲しみの夜」のところで、ビルヒニア・ルケを紹介しました。

これはすごい演奏です。テレビの録画映像で、すでにカラーの時代です。年は50歳前後でしょうか、完全にはまっています。この人はおそらく人格乖離(ヒステ リー)で歌うときにはヒョウエ(憑き物つき)しているようです。それが当たればすごいし、外れてもすごくなりそうです。

ということだったのですが、実はこのテレビ番組で、ほかにも何曲か歌っているのですが、どれもすごい演奏なのです。
これらの画像はいずれも ricardomorino さんのチャンネルに掲載されたものです。

1.ricardomorino さんのチャンネル

これを投稿した方のサイトからリストアップしておきます。これを聞くと、ビルヒニア・ルケはアルゼンチンの美空ひばりだなと感じます。なお音質や演奏、曲そのものがいまいちというものは、私の一存でカットしました。

VIRGINIA LUQUE - MENSAJE
タンゴの日記念コンサートの録画ということです。バックを Cátulo Castillo と Enrique Santos Discépolo がつとめています。安物のマシンでエコーをかけているのが、多少耳障りです。

VIRGINIA LUQUE - LA MARIPOSA
日本でのコンサートの直後なのでしょうか、トモダチ、トモダチと連呼しています。曲はたいしたものではありません。

VIRGINIA LUQUE - PADRENUESTRO  VIRGINIA LUQUE - EL PATIO DE LA MOROCHA
たいした曲とは思えませんが、ビルヒニアの歌唱力でもっていきます。

VIRGINIA LUQUE - NOSTALGIAS
ビルヒニアならこのくらいはやるだろうと思ったが、案の定だ。

VIRGINIA LUQUE - MARTIRIO
イントロがジャズピアノで、タンゴに転換していくという曲だ。なかなか良い曲だがあまり聞かない。youtubeで調べると女性歌手が歌いたい歌のようだが、よほど難しいらしく、聞いているとほとんど歌になっていない。

Soy un arlequín - VIRGINIA LUQUE
20年代の曲で、デ・アンヘリス楽団=ダンテの演奏が良い。「私は道化師」という歌だから、演技過剰になると、流れが悪くて歌にならない。ビルヒニアは意外に抑えて歌っている。

La cumparsita - VIRGINIA LUQUE   
Sentimiento gaucho VIRGINIA LUQUE
EL CHOCLO - VIRGINIA LUQUE
ともに、ビルヒニアが歌えばこうなりますという通りの歌。

Rebeldía - VIRGINIA LUQUE
女が同棲中の男に「出て行って」と縁切りする歌。ビルヒニアの得意とするジャンルでしょう。

Che bandoneón - VIRGINIA LUQUE
百選に入る歌だが、まだ載せていない。ビルヒニアの演奏は本命盤に近いと思う。

La Morocha - VIRGINIA LUQUE
映画のシーンからの吸い取り。音はかなり悪いが、ビルヒニアにはぴったりの曲と思う。

ところでこの
ricardomorino さんのチャンネルというのがすごい。500本近くのファイルがあるが、ビクトル・エレディアとかクアルテート・スーパイなどなかなか聞けない演奏がそろっている。しかも音が良い。このサイトをこなすだけで、2,3日はかかりそうだ。
そのうち番外の番外で紹介したい。

2.tangonostalgias さんのチャンネル
ビルヒニア・ルケの演奏をたくさんアップしているチャンネルがもうひとつありました。それがこの ricardomorino さんのチャンネルです。特徴的なのは、ricardomorino さんのチャンネルがテレビのエアチェック音源なのに対して、こちらはディスク音源の比重が高いということです。音質はともに良好です。
以下ビルヒニア・ルケの音源を拾っておきます。

MENSAJE VIRGINIA LUQUE
上のライブ音源と比べると、声はこちらのほうが若いだけ良い。歌はどちらもうまい。あくの強さも似たようなもの。

SIN PALABRAS - VIRGINIA LUQUE
これも百選に入る予定の曲だが、あくまでもタンゴであって、ビルヒニア節で歌う曲ではないと思う。

UNO - VIRGINIA LUQUE
これだけテンポをいじられると、さすがに聞いているほうもつらい。

SOY UN ARLEQUIN - VIRGINIA LUQUE
メンサヘと同じ感想。テンポはこちらのほうが揺れがひどい。

MARTIRIO - VIRGINIA LUQUE
もっとあっさりした歌だと思うが。


http://www.aljazeera.com/focus/arabunity/2008/02/200852519420197834.html

アラブの統一: 民族主義対イスラム

イスラム主義者と民族主義者は90年前からの緊張関係

Arab Unity Nationalism vs Islam

Islamists and nationalists have had a tense relationship since the 1920s.

19 Feb 2008

Al Jazeera

はじめに

イスラム教とアラブ民族主義の関係を理解することは、いつも厄介である。

イスラム教徒とアラブ民族主義者との分離と政治的な対立は、長いアラブの歴史の中では比較的最近の問題である。1950年代の初期に、アラブ諸国家で一連の軍事クーデター が発生した。エジプト、シリア、イラク、イエメンとアルジェリアなどで、アラブ民族主義を標榜する青年将校が権力を獲得した。独裁的で、急進的で、社会主義的な傾向を示すアラブ民族主義が、これら諸国の公式のイデオロギーになったのは、この期間のことである。

しかし軍後ろ盾となった支配権力は、合法的基盤に乏しかった。彼らは現代化と集中化の広範なプログラムを実現しようとしたが、それは既存社会の強い抵抗に直面した。そのために彼らはアラブ民族主義の実体を権威主義的な国家イデオロギーに変えていった。この衝突がもたらしたもののひとつが、アラブ民族主義の国家体制とイスラム政治勢力の間の一連の対立の噴火であった。そこでは権力、アイデンティティと合法性の問題が絡み合っていた。

 

イスラム主義の興隆

最初の対立は1954年にやって来た。エジプト軍事政権のナセル議長は、イスラム勢力を壊滅させるために大掛かりな駆逐作戦に乗り出した。何千ひとものイスラム活動家が投獄された。それはしばしば裁判なしの拘束であった。そして東ドイツ伝授の方法にもとづき拷問と精神的破壊が行われた。

アラブ国家は、民族主義の知識人によって支えられ、「反帝国主義」のレトリックや社会主義発展の空想的なプロジェクトを振りかざしながら、イスラムを敵対視し弾圧した。著名なイスラム教神学者(イスラム知識人)は「反動的で、政治的な目的のために宗教を利用 して、外国勢力の利益に奉仕した」と糾弾され、処刑されるか、生涯にわたる亡命を強制された。

その結果、イスラム教徒はエジプトの急進政権とその支持者を、「イスラム教と闘うもの、アラブ民族のイスラムとしてのアイデンティティを破壊しようとするもの」として一色に染め上げるようになった。

両方の見解は、ともに本質的に一方的で、自己中心的なものだ。政治的な対立は当時の一時的なエピソードでしかなかったが、記憶はしばしば伝説を真実のように思い込もうとする。それは非歴史的な評価である。

 

アラブ民族主義の理論

アラブ民族主議論の嚆矢となったのはジョージ・アントニウスである。アントニウスが1938年に著した「アラブの覚醒」はアラブ民族主義の支配的なパラダイムを代表している。それはアラブ民族主義の形成段階を理解する際に基本とされ、アカデミックな世界だけでなくアラブ民族主義者の隊列内でも影響力を持った。

その後、アルバート・ウラーニ(Albert Hourani)の「自由の時代のアラブ思想」 (1962) がアラブ民族主義の概念をさらに発展させた。他にも Hisham Sharabi の「アラブ知識人と西側」(1970)が大きな影響力を持った。 

アントニウスはアラブ民族主義の非宗教的な性格を明白に示した。その一方で、アラブ主義の基礎の形成にあたってイスラム知識人によって演じられた役割にはほとんど考慮を与えなかった。これに対し、ウラーニやシャラビなど後の論文は、単一な「非宗教的なバージョン」への一本化を否定した。そしてとくに20世紀初めの10年間に注目し、アラブ・イスラム改革運動の興隆とアラブ民族主義の出現との浅からぬ関係を明らかにした。

「貧困率」はなかなか難しい

国連開発計画(UNDP)は「人間開発」の観点から、「人間貧困」概念の重要性を訴えている。そして乳幼児死亡率、識字率、水・食料の安定確保、医療サービス等を加えた貧困統計を発表している。しかし市場経済が発展すれば、やはり所得が大きい比重を占めることは間違いない。

1日1ドルという貧困ラインの設定は、何よりもその簡便さとわかりやすさで有用である。これは世界銀行が1990年に提唱したものだ。そのご世界銀行は先進国首脳会議(サミット)ごとに Global Poverty Report というレポートを発表して、その変化を追跡している。

この数字は各国間の比較にも、経年的な変化の追跡にも非常にコンヴィニエントである。しかし最大の問題は1ドルの価値が年毎に下がっていることだ。したがって同じ対象であれば、貧困線以下の人口は年毎に減ってしまうことになる。

たとえば1993 年の 1.08 ドルは、2005 年の貨幣価値だと1.45 ドルくらいだという。分布曲線がわからないから計算はできないが、93年に貧困層とされた人々の2割程度は、05年の統計では捕捉されなくなってしまうことになる。

もうひとつは、人口増加のファクターである。いわゆる「人口爆発」が起きている国では、経済成長は人口増加により食われてしまうから、所得増には結びつかない。ラテンアメリカでも80年代から90年代にそういう現象が起きていることがうかがわれる。ただこれは、余剰生産が労働力の増加に結びついているという点では、必ずしもネガティブに捉えるべきものではない。それが一定程度落ち着いた時点では、増強された労働力が所得増を果たしてくれるからである。

ラテンアメリカはそういうフェイズに入っているのかもしれない。

それらをすべて前提したとしても、02年以降の鮮やかな逆転は、やはり政治の力を抜きにしては語れないところがありそうである。

この図が、CEPALの発表したもの。

https://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/3/7/37d5467c.jpg



CELAC(国連ラテンアメリカ・カリブ経済委員会)が11月に発表したレポートは、ラテンアメリカの貧困人口が過去最低水準となったとしている。
レポートの名前は「中南米概観報告2011」 赤旗の短報なので、以下の事実しか分からない。
①地域全体の貧困人口の割合は、1990年に48.4%だった。極貧(必要最低限の栄養が取れない収入)人口は22.6%だった。
②貧困人口の数は2002年に過去最大の2億2500万人に達した。
③貧困者の数は、その後急速に減少に転じた。
④2010年の統計では貧困者の数は1億7700万人に、人口に占める割合は31.4%に減少した。極貧人口は12.3%に減少した。
⑤この数字は過去最低水準である。

%と実数が混在していて分かりにくい。とりあえず2010年の総人口を計算すると177÷31.4×100=564百万人となる。総人口は20年間に増えているはずだが、仮に02年も同じ総人口だったとすると、貧困人口の割合は2.25÷5.64×100=40%となる。これは90年に比べ、8%の改善ということになる。90年代のあいだによほどの人口爆発があったと仮定しないと、どうも数字があわない。合わないから%と実数を混在させたのか、とかんぐりたくなる。

大変重要な問題だから、今後は実数と割合をそれぞれに、国別の分析もして説得力のある資料提供をしなければならないだろう。、

時系列で言うと、まずイスラム教があってイスラム世界があって、それに対するアンチテーゼとしてイスラム民族主義があって、さらにそれに対する抵抗としてイスラム主義が形成されていったという経過であろう。ただし、アラブ民族主義の形成過程にはイスラム世界の復興という動きもあったし、イスラムの教義そのものの変革を目指す動きもあった。
したがって、両者の関係はきわめて複雑であり、つねに時系列を意識しながら論じないと正邪の評価を誤る。また近代アラブ世界はつねに列強の干渉・支配の下に置かれてきたから、それとの戦いの文脈で評価していかなければならない、ということも問題をいっそう複雑にしている。要するに一筋縄ではいかないのである。
ただいずれにしても、この二つの対立を最大の矛盾と捉えるような論調では、変革の視点はは絶対に生まれない。両者の対立そのものを干渉勢力の攻撃の現われとしてみて、それを紋切り型でなく具体的事実に即して証明していくような立ち位置が要求される。

と、ここまでは総論的にいえるのだが…

アメリカのこれまでの訴訟では、普通なら、これで幕が引かれることになるようだ。現に最大手ゴールドマン・サックスも今月、5億5000万ドルの和解金の支払いで合意している。

赤旗では、「大手金融機関がかかわる同様の裁判では、事実関係の究明をせず、企業側が法律違反を認めることもなく、SEC側と和解に至ることが通例となってきました」と書かれている。

これは、法律違反が認められると金融機関が株主からの損害賠償請求を拒否できなくなるからという理由のようだ。つまりは一般投資家に泣き寝入りさせるための裏取引ということになる。

スロウ忍ブログ ではこう書かれている。

シティからすれば此の程度の和解金なら安いものである。
此の事件でシティグループは以前、最大40億ドル程度の損失を負う可能性があると云われていたわけだが、今回の和解でSEC側がかなり譲歩した様である。シティ側と米SEC側とで裏取引があったのではないかという疑念すら抱かせる幕引きである。

ところが今回の訴訟は、ここからどんでん返しが始まる。

この事例の担当判事となったニューヨーク南部地区連邦地裁のジェッド・ラコフ(Jed Rakoff)という判事が、シティが提訴内容の認否をしないまま合意した和解案の承認を拒否し、裁判での決着をもとめたのだ。

ラコフ判事は、「承認するための十分な事実が提供されていない」と主張している。つまり、法律違反・不正行為があったのか、あったとすればそれは犯罪行為と認定されるべきものなのかどうか、白黒はっきりさせよう、ということだ。

そのために双方が裁判所に十分な情報を提供すべきだ、ということである。

赤旗にラコフ知事の"強烈な批判”が掲載されている。

和解案は公正でも、合理的でも、適切でも、公衆の利益でもない"neither fair, nor reasonable, nor adequate, nor in the public interest.”
3億足らずの和解金は、シティグループのような巨大企業にとってはポケットの中の小銭同様だ。

ブルームバーグによれば、ラコフ判事はこれまでも、金融機関に責任を認めさせることなく和解を容認したとしてSECの慣行を批判してきたという。

 


こうして筋書きにはなかった第三幕が始まった。

赤旗ではワシントンポストとNYタイムズの記事を紹介している。両紙ともにラコフ支持だ。

ワシントンポスト: SECは米金融界と「近すぎる関係」にある。その背景にはSECから金融界への「天下り」がある。現に今回の裁判でも、SECの元高官がシティグループの弁護団に参加している。

NYタイムズ: ラコフ判事は激怒している。我々すべても激怒すべきだ。法律違反を認めない和解では、米金融界の将来の悪行を抑止する真の力にはなり得ない。

もちろんウォール街占拠運動の連中は大歓迎だ。これこそ彼らがほしがっていたものだ。

Independent Politicol News というブログには、ラコフのせりふが掲載されている。

His full statement is here:

もちろん、いかなる事実も認めずに和解を受け入れるという方針は、当事者間の狭い利害には合致しているのでしょう。

たとえばこのケースでは、まったく何も認めることなく、シティグループは和解について交渉できたのです。

彼らは不注意(negligence)だけを受け入れました。そして非常に軽い罰だけを受け入れました。そして法による救済(injunctive relief)の適用を強く求めました。

なぜならシティグループはこの手の常習犯(recidivist)であり、SECがこの10年間、どんな金融機関に対しても強制力を発揮したことがないと知っていたからです。

SECは、これから3年間、予防措置を講ずることを命じました。それと交換に、シティグループはSECの調査を逃れることができました。これはシティグループの経費をかなり軽減することにつながります。なぜならそれはシティグループの抵当証券の発行業務を4年間にわたり広範囲に調査することになっていたからです

それだけではありません。シティグループは、いかなる投資家がSECに損失の返済を求める仲裁裁定(Consent Judgment)を提訴しても、それを忌避できることになります。

原告の提訴理由が真実だとしたら、この合意はシティグループにとって非常に良い取引です。提訴理由が間違っていたとしたら、それでもこの合意はビジネスをするための軽度でささやかなコストにすぎないでしょう。

結構むずかしい英語です。たぶん、かなり誤訳があると思います。


大変良く出来た記事だが、まだ第一報であり、続報・詳報が期待される。

 

シティグループとSEC、和解は違法

NY連邦地裁が、サブプライムローンに関する損害賠償で、シティグループとSECとの和解案の承認を拒否した。

これだけでは、かなり分かりにくいので少し解説する。


サブプライム: サブプライムとは銀行のつけた呼称で、収入が少なく返済能力の低い階層の人々のこと。

サブプライム・ローン: 銀行はこの人たちに住宅ローンを貸し出した。これをサブプライムローンという。当然、貸し倒れリスクが高い分だけ利息も高くなる。

投資銀行の犯罪: 投資銀行は住宅ローンの債権を証券化し、「債務担保証券」(CDO)という紛らわしい名前で売り出した。このような"金融商品”はジャンク債(劣後債)と呼ばれ、普通は素人は手を出さないものである。

格付け会社の犯罪: しかし、投資銀行はこれを隠して優良債に紛れ込ませ、"利回りの良い優良債”として売り出した。一種の金融詐欺である。そして大手格付け会社はそれと知りつつ"毒入り債”に高格付けを与えた。これも一種の金融詐欺である。

その結果、世界中の投資家がこれを優良債として売買した。

しかしアメリカの住宅市場が低迷するとサブプライム層は次々と住宅を手放した。アメリカでは住宅を手放せば、住宅ローンは解消されるので、膨大な貸し倒れが出現した。

サブプライム・ローンを購入した投資家は膨大な損金を計上し、連鎖倒産することになった。

しかし投資銀行(リーマン・ブラザース以外)は政府資金の投入を受け、命をつないだ。格付け会社には何のお咎めもなかった。信用したほうが悪いのである。

米国政府は銀行を救済するためにドルの大量発行を行った。それは国債の発行と連銀による買い取り(QE2)を通して行われたが、それは膨大な債務として積み上がった。

アメリカ以外の国では、財務内容の悪化は国債の格付け低下と国債利回り上昇をもたらした。資金確保のためには外貨建て国債を発行するほかないので、対外債務の増加となり、債務危機を招いた。


事件がいったん落着した時点で、投資銀行の犯罪行為は追及されなければならない。

ということで、ここからが第二幕

アメリカでは証券取引委員会(SEC)が検事役となった。相手は米銀第3位のシティグループ。シティグループは巨額のサブプライム ローン関連の評価損を計上。3回に分けて総額450億ドルの公的資金の注入を受けている。

まずはSECが行政訴訟を起こした。訴えの内容は次のようなもの。

*シティグループは10億ドル相当のサブプライムローン関連証券を販売した。

*その際、投資家に開示すべきエクスポ-ジャに関する情報を開示しなかった。

*その結果7億ドルの損失を与えた。

しかしその後の交渉の結果、両者は和解案について合意した。そしてこの和解案の承認を裁判所に求めた。

和解案の内容は次のごとくである。

*シティグループはSECに対し2億8500万ドルを和解金として支払う。

*しかし法律違反を犯したことは認めない。ロイターによれば「投資家に誤解を与えたとの訴えの内容を否定も肯定もしない」ということだ。


to be continued

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