鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2011年10月

2009年

3.05 マレーシアのアブドラ・バダウィ首相、南沙諸島のラヤンラヤン島を訪問。同地の主権がマレーシアにあることをアピール。夫人と陸軍司令、海軍司令が同行する。マレーシアの華字紙・中国報は、バダウィ首相の行動によって中国が実力行使に踏み切る可能性があると警告する。

3.08 米国の「音響測定艦」インペカブル(Impeccable)号、南シナ海の公海で中国艦船に包囲され航路を妨害される。(音響測定艦とは潜水艦の探知機能を備えた船のこと。インペカブルは最新型。横浜港に配備されている)

3.10 護衛艇「Yuzheng 311」号(4450t)が、「海域内での警備を強化するため」派遣される。漁政局は、「今後3~5年間でさらに護衛艇の数を増やす」と語る。

4月 南シナ海で米海軍艦艇を中国情報艦と4隻の船舶が追尾。中国は「排他的経済水域で活動し、国際法に違反」と非難する。

 

2010年 中国の大規模軍事進出と米越接近

3月 中国政府、南シナ海を「核心的利害」地域と見なしていると表明。

中国はこれまでチベット、新疆ウイグル自治区、台湾の3地域を核心利害地域とし、一切の譲歩や妥協を拒否してきたが、ここに南シナ海を追加した。 

6月 インドネシア領ナトゥナ諸島沖合で、インドネシア海軍が中国漁船を拿捕。中国は漁業監視船(311号のことか?)を急行させ、「漁船を解放しなければ攻撃する」と威嚇。インドネシア海軍は漁船を解放する。

主観的な用語をまじえた記載で、裏取りしていない報道だが、インドネシアが絡んでいる話なので一応載せておきます。

7月23日 クリントン米国務長官がARF(ASEAN地域フォーラム)の閣僚会議出席のためハノイを訪問。「(アメリカは)南シナ海での航行の自由、国際法の尊重に国家的利益を有する」と発言。航行権をたてに、南シナ海への関与姿勢を打ち出す。

7月26日 楊外相、クリントン発言は「南シナ海の状況が深刻な懸念材料であるとの誤った印象を与える」と非難。「紛争当事者(ベトナムのこと)がASEANメンバーであるという理由で中国対ASEAN全体との紛争と見なされるべきではない」と主張する。

7月30日 中国軍、南シナ海で大規模な軍事演習。北海、東海、南海の3艦隊からなる「多兵種協同」の実弾演習。陳炳徳総参謀長(中国中央軍事委員会員)は「情勢と変化の変化を注視し、軍事闘争への準備をしっかり行わなければならない」と指示する。

9.15 フィリピン国軍、南沙諸島のティツ島など9島のふ頭や、老朽化した滑走路を改修すると発表。

9.20 第7艦隊のランドルト揚陸部隊司令官、「中国は南シナ海で自由航行を脅かす態度を取っている。アジア・太平洋地域でアメリカ軍のプレゼンスを維持することが重要だ」と述べる。

9.21 姜瑜報道官、南沙諸島や周辺海域について「疑いなき主権」を有しているとしつつ、当事国間の友好的な協議による平和的解決を主張する。

姜瑜報道官(44)は北京で生まれ育ち、中国外交官の揺りかごである外交学院を卒業。英語に精通する。02年から駐香港特派員公署の報道官となり、05年に外交部新聞司参贊として北京へ帰任し、翌06年3月から新聞司副司長となった。香港で姜瑜報道官をよく知る記者は、「若くきれいで、親切でフレンドリー。言葉遣いや立ち居振る舞いがとても適切」と彼女を評価する。(人民網日本語版」2009年3月30日)

10.08 ベトナム中部のダナン沖で、米国海軍とベトナム海軍が捜索救難などの合同訓練を実施。横須賀基地配備の米原子力空母ジョージ・ワシントンが参加する。

10月12日 ハノイでASEAN拡大国防相会議が開かれる。ベトナムのフン・クアン・タイン国防相とゲーツ米国防長官が個別会談。ゲーツ米国防長官は「実力行使なしに、外交を通じ国際法に沿って解決されるべきだ」とし、多国間協議による解決を主張。

10.12 中国の梁光烈国防相は米越会談について沈黙を守る。

 

2011年 ベトナムの巻き返しと緊張激化

2月24日 中国海軍が南沙諸島で海賊対策の演習を実施。

3月6日 羅援少将が朝日新聞とインタビュー。南シナ海では他国によってすでに数百のガス田が開発されているが、中国は一つも持っていない。中国は主権を明確にし何らかの行動に移すべきだ。すみやかに境界線を確定しなければならない。

4月1日 ベトナムのグエン・ミン・チェット大統領、二つの駆逐艦とともに、ハイフォンと中国の海南島の間の島を訪問。「われわれの領土、海、そして島を、いかなる者にも侵害させない」と宣言。

4月8日 南沙諸島に到着した中国のパトロール船がベトナム船60隻に包囲される。

4月28日 マレーシアのムヒディン・ヤシン副首相、中国の李克強副首相と会談。南シナ海における平和と安全の維持を優先し、あくまで外交的な取り決めを通じて解決することで合意。

4月30日 温家宝首相、「領土主権や領海の問題が存在するが、2国間で適切に解決しなければならない。中国は領有権問題で騒ぎを広げたり、緊張を高めることには同意しない。問題を一層複雑にするだけだ」

5.03 ASEAN議長国インドネシアのマルティ外相、宣言署名から来年で10年を迎えることについて「あまりにも時間がかかりすぎた」と振り返り、「南シナ海が分断ではなく団結の海となるよう、年内に区切りを付けるべきだ」と強調した。

5月10日 中国政府・外交部の姜瑜報道官、「いかなる国家も、南沙諸島について一方的に行動すれば、中国の主権の侵犯となる」と警告。さらにベトナムが「南シナ海各方面行動宣言」の精神に反していると非難。「南シナ海各方面行動宣言」は中国と東南アジア諸国連合諸国間の合意文書。

5.19 ASEAN国防相会議、「航行の自由」や「上空の飛行の自由」の重要性の再確認などを盛り込んだ共同宣言を採択。

5月21日 梁光烈国防相が比を訪問、南沙問題について比側と平和的解決を目指す考えで一致。

5月26日 ベトナムの石油探査船の調査用ケーブルが、中国監視船3隻によって切断される。事件が起きた海域はベトナム国営石油会社ペトロベトナムの石油・天然ガス開発鉱区だった。

5.29 ベトナム外務省が緊急記者会見。「ベトナムの排他的経済水域(EEZ)および大陸棚での通常の調査を妨げる行為で、重大な主権侵害だ」と非難する。さらに、「ベトナムの和平や独立、領土の保全などを確実に守るため、ベトナム海軍はあらゆる手を尽くす」と述べる。これに対し中国側は、「探査船が中国領海に侵入したための正常な監視活動」などと一蹴した。

5.31 南沙諸島沖合で中国監視船3隻が操業中のベトナム漁船4隻に接近し、海面に向け自動小銃を発砲。

6.01 フィリピン外務省、南沙諸島周辺で中国の海洋調査船などが「領海を侵犯し、鉄柱やブイの設置を始めた」と発表。「ASEANと中国との合意違反」と厳しく批判。

6.03 シンガポールでアジア安全保障会議。日米を含む30カ国以上の国防・防衛閣僚が出席。中国の梁光烈国防相は「中国の軍事力近代化は防衛の範囲内だ。南シナ海の状況は安定している」などと述べた。ゲーツ米国防長官はアジア太平洋地域における米軍のプレゼンスを継続すると述べる。

6月05 ハノイの中国大使館前で市民や学生ら約300人が「中国は侵略をやめろ」などと抗議デモ。ホーチミンでも千人以上が中心部で反中デモ行進。

 

参考サイト

http://www5c.biglobe.ne.jp/~vdg/book_islandsdispute.html

南シナ海の領土紛争 パラセルとスプラトリーをめぐる複雑な問題を解く

このページが両諸島の歴史について詳しく解説している。比較的中立的な記述である。多くのサイトが断りなしに引用しているが、おそらくこのページがオリジンだと思う。

2005年 中国とベトナム・フィリピンの和解

3月15日 フィリピン・中国にベトナムを加えた3か国の国営石油会社、南沙諸島海域での油田探査を共同で行うことで合意。

4月28日 胡錦涛がフィリピンを訪問。「中比両国が南シナ海合同開発への道を開き、南シナ海を友好と協力の海へ変えるため前進し始めた」と述べ、領有権問題を一時棚上げして共同資源開発を先行させる方針を強調する。

7月 温家宝首相とベトナムのファン・ヴァン・カイ首相が昆明で会談。フィリピンをふくめた3カ国で南シナ海の油田の共同探査を早期に開始することで合意。

 

2006年

4月 南沙諸島近海で海賊の襲撃により中国漁船の乗組員4人が死亡、3人が怪我

5月24日 ベトナム、中国、フィリピンの3カ国軍当局、「海賊、密輸、国家主権侵犯といった問題を解決するために引き続き対話を続ける」ことで合意。

9月 「中国石油天然ガス」社傘下の「ペトロチャイナ」、南沙諸島周辺の探査許可を申請。13万平方キロの海域に20の鉱区を設定。原油埋蔵量はおよそ300億バレルとされる。

これは05年7月の昆明合意に明確に違反する行為ではないか? このあたりの経過が分からない。共同開発計画の遅れに中国側が業を煮やしたのだろうか?

 

2007年 中国の武力路線への転換

4月 ベトナム政府とBP社、南沙諸島で天然ガス開発を行うことを計画。中国外交部は「南沙諸島に対する中国の主権は疑う余地もない。南沙諸島への中国の主権を侵害する行為は違法である」と抗議。

7月9日 中国の艦船がベトナムの漁船に銃撃し、ベトナム人乗組員五人が負傷。

11月 中国が西沙諸島海域で軍事演習。ベトナムの抗議に、中国は「ベトナム側の非難に道理はない」と一蹴する。

12月9日 ハノイにある中国大使館前で、市民ら約300人が約1時間にわたって「中国の覇権主義反対」を訴えるデモ。南沙、西沙諸島の領有権を訴える。

 

2008年

1月 台湾、太平島に軍用空港を建設する。滑走路は全長1150メートル、幅30メートル。完成後、「中華民国総統」が視察に訪れる。太平島は南沙諸島最大の島であり、これまで台湾が実効支配してきた。

南シナ海が分断ではなく団結の海となるよう

南沙(スプラトリー)諸島関連年表

南沙諸島(なんさしょとう)、スプラトリー諸島(SpratlyIslands)とは、南シナ海に浮かぶ約100の小さな島々。諸島全体は大変小さな島々で構成され、互いの距離は十数キロメートルから数十キロメートル程度で位置している。現在、島を実効支配しているのは中華民国(台湾)、中華人民共和国、フィリピン、ベトナム、マレーシアである。他にブルネイも領有権を主張している。(ウィキペディアより)

スプラトリー諸島は100以上にのぼる小島・岩礁・洲島の総称であり、これらが東西800km、南北600kmという広大な海域に散らばっている。その海域の面積は日本海の半分近くにもなる。これら100以上の島々をすべて合わせても、合計面積は10km2にすぎない。各島の海抜はほとんど海面すれすれのレベルで、諸島の中のもっとも高い地点でも海抜わずか4mである。スプラトリー諸島とは、広大な海域にケシ粒のように散らばる極小の島々の総称なのである。

西沙諸島をめぐる状況は、南沙諸島とは若干異なるので、関連がない限りは省略する。

1930年 フランスが南沙諸島のいくつかの島を実効支配。

1933年 「人民網日本語版」によれば、フランスが南沙諸島の一部島嶼を占拠すると中国の漁師が抵抗。中国政府はフランス側に厳正な申し入れを行い、撤退を余儀なくさせた。

1938年12月 日本がパラセル諸島とスプラトリー諸島を占領し領有を宣言する。新南群島と命名。台湾高雄市の一部として編入。以降終戦まで支配。リン鉱石の採取従事者が住んでいたが戦火の拡大により撤退した。

1946年5月 フランス軍、パラセル諸島に軍艦を送る。6月には中華民国が、日本軍から支配を引き継ぐ名目でパラセル諸島とスプラトリー諸島に軍艦を派遣。

1946年 「人民網日本語版」によれば、中華民国政府は「カイロ宣言」と「ポツダム宣言」に基づき南中国海の島嶼を回収。「永興」「中建」「太平」「中業」の軍艦4隻を派遣して4大諸島を接収した上、島で接収式典を行い、改めて主権碑を建てた。

1949年 フィリピンがスプラトリー諸島の領有を宣言する。

1951年4月 サンフランシスコ平和条約が結ばれ、日本がパラセル諸島とスプラトリー諸島を放棄する。これらの諸島がいずれの国へ返還されるかについては、言及がなされなかった。

1951年 周恩来総理、「米英の対日講和条約案およびサンフランシスコ会議に関する声明」を発表。「西沙・南沙諸島および東沙・中沙諸島はずっと中国の領土」であると主張。

1954年 インドシナ戦争が終結。ベトナムは南北二つの国家に事実上分裂。フランスはパラセル諸島を含むインドシナ地域から全面的に撤退。

1956年 当時の南ベトナム政府が南沙諸島の一つに上陸。フランスから支配を引き継ぐという名目で、自国の領有を示す石柱を建てる。台湾もスプラトリー諸島のうちの1つの島を確保。

1956年 当時の南ベトナム政府がパラセル諸島の西半分を占領。中国はパラセル諸島の東半分を占領する。以後、南ベトナムと中国は18年間にわたって対峙を続けた。

1958年 中国は「領海に関する声明」を発表。「東沙、中沙、西沙、南沙諸島にも領海規定が適用される」と宣言。しかし西沙諸島以外の島嶼への具体的な動きはなし。

 

1970年代

1970年 南ベトナムが南シナ海沖に油田を発見(バホー油田) その後70年代後半にかけて南沙諸島海域に海底油田(複数)の存在が確認される。

1973年9月 南ベトナム政府が南沙諸島のフォクトイ省への編入を宣言する。中国政府はこれに抗議。その後、領有権主張を本格化させる。

1974年1月 中国が西沙諸島の西半分に侵攻して南ベトナム軍を排除。西沙諸島全域が中国の実効支配の下に置かれる。主要島の永興島には滑走路や埠頭が建設され、南沙諸島進出の拠点となる。

1979年 中越戦争

1980年代

1982年 国連海洋法条約が制定される。沿岸国に大幅な海洋資源の権利が認められる。

1985年 中国中央軍事委員会、領土主権とともに海洋権益の擁護を軍の任務として採り上げる。この決議が、海軍を沿岸海軍から外洋海軍へと発展させる根拠になったという。

1987年10月 中国海軍が、西太平洋から南沙群島におよぶ広範囲な海域で軍事演習を実施。これにより中国海軍が沖合・遠洋での協同作戦能力を有していることが証明された。

1988年 赤瓜礁海戦

3月 南沙諸島における領有権をめぐり中国とベトナム海軍が衝突。赤瓜礁海戦と呼ばれる。中国は大規模な海軍力を派遣して南沙諸島の6ヵ所のサンゴ礁を占領。「中華人民共和国の領土」であることを示す領土標識を設置し部隊が駐屯する。この戦闘でベトナム軍の艦船3隻が被害を受け百人以上の死者・行方不明者が出たが、事件は水面下で処理される。

 

1990年代

1992年 南シナ海に関するASEAN宣言

2月 中国は「中華人民共和国領海法および接続水域法」を制定。南沙諸島海域を領海と宣言。外国艦船が同海域を通過するさいに中国の許可を必要とすると発表。軍に「領海侵犯者を実力で退去させる権限」を与える。

5月 中国、南沙諸島南西の「ヴァンガード堆」における石油探査権をアメリカのクレストン・エナジー社に認可する。ベトナムも「万安灘」に石油鉱区を設け、米国の石油企業に探査・試掘の認可を与える。

7.23 ASEAN外相会議、「南シナ海に関するASEAN宣言」を採択。中国は直接的利害を持つ重要関係国として認められる。

11月 全ての米軍がフィリピンから撤退。アメリカはフィリピンやベトナムに軍事支援を申し出る。

 

1995年

2月 中国軍艦艇、フィリピンが領有を主張するミスチーフ礁などを占領。プレハブ施設を構築する。フィリピン政府の抗議に対し「漁民の避難施設である」と説明。その後、対空砲や対艦砲、ヘリポートが設置され、大型艦船停泊が可能な突堤も建設された。

5月1日 『解放軍報』、高速ミサイル艇が編隊訓練を実施して南シナ海の石油開発を防衛していると写真入りで報道。周辺諸国に中国の軍事的膨張に対する警戒心がたかまる。

1995年末 フィリピンと中国が共同声明。「行動基準の原則」をうちだす。「地域行動基準」のさきがけとなる。

1998年11月17日 中国とフィリピンの外相会議。フィリピン外相は、「中国が建設中の施設は巨大であり、今後の推移を見守る必要がある」と指摘。唐外相は「施設はあくまで漁業目的であり、いずれ各国の漁民にも開放する」と説明、軍事目的ではないことを強調した。

 

1999年 「地域行動基準」の提示

6月 マレーシアが南沙諸島の岩礁に建造物を構築。

7.19 フィリピンの軍艦が南シナ海で操業中の中国漁船2隻を発砲しながら追跡、1隻を衝突、沈没させ、1隻を連行する。

7.20 フィリピンとベトナムがASEAN外相会議に「地域行動基準」案を提示。当事国・地域が共同で海洋資源の調査や軍事協力、海賊取り締まりなどに取り組むことを規定。「新たな構造物の構築活動は、2国以上の共同なものとする」とし、新たな建造物の構築を事実上不可能にしている。また「関係国の船舶は、他の関係国民がいる設備の500メートル以内に近づかないよう奨励する」とし、船舶同士の過度な接近も防ぐ内容。

10.28 南沙諸島上空で、比空軍機がマレーシア空軍機に数分間追跡される。また南沙諸島上空を飛行中の比空軍偵察機にベトナム軍が発砲する。
(いずれもフィリピン側の発表によるものだが、中国の南沙諸島進出をきっかけにマレーシアも利権争いに加わり、南沙諸島周辺がきな臭くなったことが読み取れる)

 

2000年 南シナ海行動宣言

1.08 国務省のロス次官補(東アジア太平洋担当)、南沙諸島で昨年「4つの国が軍事的な施設を建設、拡充した」と指摘。「紛争解決のため効果のある外交的道筋がない」と憂慮を示した。

5.28 中国とASEAN、南シナ海の紛争防止策について実務協議。「地域行動基準」の共同草案で合意する。軍人を含む対話の促進、漁船などへの威嚇行為の禁止などが盛り込まれる。ASEANが強く求める「これ以上の(岩礁などの)占拠の禁止」については、中国側は「表現が適切でない」と拒否。

12月 中国とベトナムが海上境界を確定する協定に調印。中間線を基本とする。批准は04年6月。
これは国際法的には大事な協定で、大陸棚を主張していたベトナム側を、中国が「中間線」論で押し切った形で妥協している。

2001年02月14日 中国外交部スポークスマン、「南沙諸島の主権が中国にあるのは疑いようのない事実だ。南沙諸島でのいかなる活動も、中国領土への侵犯行為であり違法である」と語る。

2002年 東南アジア諸国連合(ASEAN)と中国、問題を複雑化させる行動の自制を確認する「南シナ海行動宣言」に調印。

(33)狂った女 (Loca)

HP: ダリエンソはよほど録音に恵まれませんでした。ステレオ初期の録音ですら、間の抜けた干からびた音しかとれていません。ところがどういうわけか、この録音だけがダイナミックレンジもしっかりとれたハイファイ録音です。モノーラルですが、ダリエンソただひとつのお勧め曲です

"Loca" par "Ojos de Tango de Analía Goldberg

ダリエンソの音源もあるのだが、音がひどく悪い。これは若手グループのライブ録音。さほどのものではないが、ほかにめぼしいものもないので。

Quinteto Don Pancho - Carlos Gardel - Loca - Tango

ドン・パンチョはカナロの編成した五重奏団。ピリンチョの前の名前のようだ。この演奏とガルデルの歌がセットで聞けるファイルだ。どちらも悪くはないが、ちょっと物足りない。。

Bandoneon Tango "Loca" Libertad Lamarque

ラマルケのロカならそのまんまだろうと思ったが、意外と上品で迫力に乏しい。

Bandoneon Tango Loca - Juancito Diaz piano.avi


番外という扱いになるが、映画の一こまで、いかにもという雰囲気は出ている。

Lina Avellaneda-Comparsa Loca-

これはまったく別の曲。歌がうまいから載せておくだけ。どうでも良いが、この人、ルックスはいただけない。

(34)人は (Uno)

HP: 良い曲で好きな曲でもありますが、大声張り上げて朗々とやられると、結構うっとうしい曲でもあります。マリア・グラーナも声は張り上げていますが、あと一歩で下品になる寸前のところで立ち止まっています。伴奏もなかなか良いです。

"Uno" - Martirio.

一瞬ファドを聞いている気分です。まったく異端の演奏ですが、あまりにも素晴らしいのでトップにあげます。写真を見ると盲目の歌手のようですが、一つ一つの音をいとおしみながら紡ぎ出しています。それにギターがすごい。絶頂期のバーデン・パウエルの泣き節です。así como la guitarra de Raúl Rodriguez どこかにsu hijoと書いてあった気がしましたが、いまは見当たりません。

Edmundo Rivero UNO Tango de Mores y Discépolo

一応これが定番でしょう。バックもトロイロ楽団です。なお同じトロイロ楽団でゴジェネチェの音源もありますが、相当うっとうしいです。

Tangos Argentinos Famosos : "UNO" canta JULIO SOSA


こちらのほうが上品ですが、好みの分かれるところでしょう。

Valeria Lynch - Uno

女声の定番ならこちら。実にうまい。品も良い。しかしこの演奏が240番目に出てくるとは、いったいどうなっているのでしょう。

UNO-CALLEJERA -TANGO-ABEL CORDOBA-OSVALDO PUGLIESE

これはアベル・コルドバというよりプグリエセの名演を聞く演奏でしょう。なんとステレオです。

Sara Montiel - Mi último tango - Uno


映画の一こまで短いショットですが、“タンタ・トライシオン”あたりいい雰囲気です。この歌手良いですね。ふと「黄色いリボン」のモーリン・オハラを思い出します。

"Uno" (Tango) Norma Silva

なんともシンプルな歌いっぷりだが、それなりの味はある。

UNO (Tango) de MARIANO MORES

チェロ(ミゲル・アンヘル・ナバロ)とピアノのデュオ。シンプルだがなかなか良い。この曲は意外とシンプルに行くのがよいのかもしれない。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/23614?page=4

で英エコノミスト誌 2011年9月24日号の記事を訳出してくれた。金持ちの声の反映として面白いので紹介する。

記事のトップ見出しは「税制と階級闘争:金持ち狩り 」というもの。リードにも刺激的な文字が並ぶ。角笛が吹き鳴らされ、猟犬たちがうなり声をあげている。世界の先進国のいたるところで、富裕層の増税を狙う「狩り」が進行中だ。

本誌(英エコノミスト)は以下のように主張する。

①小さな政府を支持し、社会保障制度のための増税に反対する

②危機において金融業界が果たした役割を理由に富裕層への増税を正当化するのは「報復」であり、課税の理由としてはお粗末だ。

③現行課税体系は不公平ではない。米国の上位1%の最富裕層の手取り収入は税引き前収入の20%未満である。彼らは連邦政府の税収総額の4分の1以上を負担している。

④高い限界税率は、起業家精神を後退させる。

⑤富裕層に対する増税だけでは、米国の赤字は解消できない。


④と⑤については条件付で同意する。①についてはまったく同意できない。②については、富裕税反対の理由にはなって いない。報復論が感情的であるのと同じように感情的だ。③については事実関係が分からないので反論の仕様がない。しかし(税引き前収入-手取収入)の 80%以上がどこに行ったのかの説明をしないとフェアーな主張とはいえない。

ということで、富裕者増税(たんなる所得税率引き上げではなく)の反対論は私にとって説得力のあるものではない。

ところで、多少気が引けたのか、彼らは富裕層からの税収を増やす正しい方法 を伝授してくれる。


①欧米の赤字は歳出削減だけで解消すべきでない。米国では、長年の減税を受けて税率が歴史的に低くなっている。米国でもそれ以外の国でも、増税により重荷の一部を担う必要がある。

②歳出削減の負担は、裕福ではない層に偏ってかかる。その一方で、グローバル化により、勝者はさらに大きな富を手にするようになっている。緊縮財政に対する有権者の支持を得るためには、富裕層から徴収する割合を高くする必要がある。

③限界税率を上げなくても、税制を効率化すれば、富裕層からより多くの歳入を得ることが可能だ。アメリカの場合、各種控除を廃止すれば税制が単純に なり、年間1兆ドルもの税収増が見込める。 控除の恩恵を最も大きく受けているのが富裕層なので、増加する税収のほとんどは富裕層が負担することになる。

④欧州では、所得税から固定資産税へと重心を移すことが選択肢の1つになるだろう。この方法なら、富裕層からより多く の税金を徴収しながら、リスクを取る意欲に対する影響を低く抑えられる。

⑤配当金やキャピタルゲインにかかる税率の格差を縮める余地がある。バフェット氏の収入の大部分は、キャピタルゲインと配当金が占めている。


この③,④,⑤、すなわち各種の特別減税の廃止、固定資産税の課税強化、配当所得課税の強化は、まさに当面する富裕者増税の根幹となるものだと思う。エコノミスト誌ですら認める、富裕者増税のあり方について、政府税調がまったく触れないのは不可思議というほかない。

私たちは角笛を吹き鳴らし、狩を開始しなければならないようだ。


4.ネオリベラリズムの影響

フジモリの極端な抑制と腐敗の背後にあったのは米国だった。米国はペルー軍を訓練し、武器を与え、財政的に支えた。

そして配下の世界銀行を通じて、厳格な構造調整プログラム(SAP)を国に押しつけた。構造調整プログラムはペルーの主に農業の経済を破壊して、外国の多国籍鉱業会社による資源略奪に道を広げた。

これは3つの否定の影響を持った。富の集中、大部分のペルー人の貧困、そして国中の腐敗である。

世界銀行と国際通貨基金によってペルーに押しつけられた構造調整プログラムは、400万人を極端な貧困に押し込んだ。実質賃金がほとんど半分にされ、労働人口の15%にまで「必要人員」が削減された。

これに引き続き、貧乏にされた農民と都市の失業者が、コカ栽培への強制的移動を促した。コカは飢餓を埋め合わせるものとしてあった。

1991年に、アメリカ合衆国からの1億ドルと引きかえに、ペルーはIMFの「構造調整」計画を受け入れた。そして国内のトウモロコシ市場をアメリカに開放した。わずか4年で米国産のとうもろこしが市場を制圧した。コーン耕作は10分の1に落ちた。そしてコカ生産高は50%増大した。

増やされたコカ生産は、より多くのコカイン取引につながった。それはペルーで大量のヤミの貨幣として拡散した。そして繁栄する麻薬王の手によって公職者の腐敗を深めた。ドラッグ腐敗は数多くの最高位の軍将官を罠で絡めとった。

5 フジモリ後の二つの政権

フジモリの後の2つの政府もまたネオリベラリストだった。より小さい程度に同じように抑制と腐敗を特徴とした。これらの状況の下で横領がはびこった。まさに、ほとんどすべての経済が違法取引で成り立っていた。

アレハンドロ・トレドは元世界銀行のエコノミストだった。その次のアラン・ガルシアは、カナダの多国籍鉱業会社などによってペルーを略奪させる政策を推進した。それは翻って、コミュニティにする損害と環境の荒廃に反対する社会運動の流れを引き起こした。

2011年4月の1ヶ月だけで、230以上のストライキ、抗議と道封鎖は起こった。大部分はペルーの田園地方の中の貧しい地域である。そして、社会環境をめぐるトラブルから生じている。会社支配に対するこのペルーの動きは、ウマラの選挙に救いをもとめた。

カナダとペルーは自由貿易協定に調印した、そして、ペルー鉱業セクターへのカナダの投資は17億ドルに上った。バンクーバーに拠点を置く Bear Creek 鉱業会社は、南ペルーのボリビア国境近く、プノ県でサンタアナ銀鉱山を開発している。

5月中旬、現地のアイマラ族1万7000の抗議者が鉱山に反対して国境を封鎖した。すべての検問所が業務を止めた。これは「ラテンアメリカで最近の鉱業に抗議する行動の内でも最も強いもの」だった。いまもアイマラ族の抗議は続く。

中略

6 ウマラ勝利の影響

ウマラの勝利により、アメリカ合衆国はラテンアメリカで有力な従属国を失い、大陸に対するほとんどすべての影響を失った。チリの右翼政府が、11の左翼のラテンアメリカの国よりワシントンに近い唯一の国となった。右翼のコロンビア政府さえ、アメリカよりはこれら11の国との関係が強くなったように見える。

Mark Weisbrotが指摘するように、「この勝利は南米地域の政治・経済の統合がより滑らかに進む」ことを意味する。そして米国をさらに周辺化させることを意味する。

7月5日にベネズエラの首都カラカスで西半球のすべての首脳が会うことになっている。そこではラテンアメリカ・カリブ諸国共同体(CELAC)の創設が話し合われる予定だ。それはアメリカ合衆国とカナダを除く全ての国を抱合するものとなることを目指している。そしてアメリカに支配された米州機構(OAS)に取って代わろうとしている。

ウマラは地域統合への傾斜を強調する。「私たちはアルゼンチン政府に、そしてチャベスやエボ・モラレスやタバレ・バスケスの政府に注目している。これらは巨大なラテンアメリカの家族を築き上げつつある進歩的勢力である。我々はこの家族に属したい」

オジャンタ・ウマラがペルー大統領に就任してから2ヶ月近くになる。しかし、これに関する論評は意外に少ない。多少ラテンアメリカには飽きが来ているのだろうか。とりあえず下記のレポートを紹介する。

ペルーは、ラテンアメリカの革命に加わる

By Asad Ismi

2011年8月

Published in The Canadian Centre for Policy Alternatives Monitor

www.policyalternatives.ca

はじめに

6月5日のペルーの大統領選挙でオジャンタ・ウマラが勝利した。これはラテンアメリカ革命のおさめた最新の勝利である。これはラテンアメリカで現在統治している11番目の左翼政府だ。

ウマラ次期大統領は進歩的な考えを持つ前陸軍士官で、国民党のリーダーとして大統領に選ばれた。ウマラはベネズエラのウーゴ・チャベス大統領に似ている。先住民の血を受け継ぎ、軍の出身で、クーデターを起こして失敗した経験を持つ。

1 ペルーと貧困

勝利演説においてウマラはこう述べた。「あなたは、非常に多くのペルー人が貧困のうちに生きるとき、ペルーの発展について話すことができない。2900万の国民のうち 1200万人の人々が、電気も水道もなく、極端な貧困において生きているとき、この国の進歩を語ることはできない」

ウマラは約束した。「とりわけ国で最も貧しい人々のためにより公正にペルーの富を再配布する。政府の大きい変換への努力を誓う」

ペルー人の35%は国土の3分の2をしめる農山村地帯に住んでいる。ウマラが辛うじて勝つことができたのは、農村地帯の貧しい農民たちの強い支持であった。その力がライバルのフジモリ候補を抑えることができた最大の保障であった。

62パーセントのペルー人は、1日3ドル未満で暮らす。ペルーの経済は2000年以降、毎年平均5.7%の成長を示している。今年の予想では7%とされている。これは世界の中の最高成長率のうちの1つである。

鉱業は国の輸出収益の65%を提供する。ペルーは世界トップの銀産出国である、亜鉛と銅の第二の産出国で、金の第五の産出国である。しかし多くのペルー人は、これまでの右翼政権、新自由主義の政権が収入の再配分を拒否したために、これらの富から排除されている。

ウマラが勝利したのは、鉱業会社に対する税金を増やすことを明確に公約したからである。そして医療と年金の拡充を公約したからである。そして水道・電気・住宅を普及し、無料の学校給食と就学前の保育を公約したからである。

2 誰も押し止められない変革の流れ

ところですでに、ラテンアメリカの10の左翼政府は、広範囲な人々に利益となるこれらの政策を実行してきた。そしてはるかに先行している。それはウマラの国民党だけでなく多くの政党に、国家収入の再配分を当然とする雰囲気を作り出した。そしてさらなる進歩的な政策変更に対する国民の期待を作り出した。

ラテンアメリカの党は、これら一連の経済的・社会的前進をもたらした。その結果、ラテンアメリカの政治状況はアメリカやカナダとは一味違ったものになってきた。他にも北米との違いが指摘できる。それがペルーの選挙によって現れた。そして、いまやラテンアメリカの革命全体の強烈な特徴となった。

すなわち、「国家の収入・資源を握り、メディアのほとんどを操っている人々でも、選挙で敗れるということがありうる」ということである。アメリカの経済のアナリストMark Weisbrotは、「南アメリカで民主主義のほとんど先例のない巨大な特徴が近年繰り返し示された」と表現している。

ペルーのビッグビジネスと国の主流メディアは、選挙ではウマラのライバル(ケイコ・フジモリ)を支持した。彼女の父、元大統領アルベルト・フジモリが人道に反する罪(暗殺団による大虐殺を含むこと)と腐敗のために25年の罪で投獄されたという事実にもかかわらず、そうしたのである。

ケイコは繰り返して彼女の父を「{ペルーがこれまでに持った} 最高の大統領のうちの1人」と言た。彼が無実であると主張して、彼が刑務所から解き放されることを望んだ。そして彼のアドバイザーにより周囲を固めた。

ウマラが勝利したとき、ペルーの株価は12%も下がった。そして証券取引所の取引の一時的な停止を引き起こした。そしてペルーに対する懸念から多くの資本が逃避した。投資家は、ウマラがチャベス大統領と同じラディカルな経済政策を採用するかもしれないと思ったのである。

ウマラは選挙の間、中道派投票を引きつけるために、チャベスの仲間と見られることを避けた。そしてブラジルのルーラ前大統領のような社会民主主義を尊重する姿勢をとった。しかしビッグビジネスは明らかに、それが偽りだと確信していた。資本市場はこう述べている。

「我々は、未だかなりの不確実性が残されていると思う。本当のところウマラは誰なのか?」

3.フジモリ政権の恐怖の独裁

アルベルト・フジモリの犯罪が犯されたのはセンデロ(毛沢東主義ゲリラ)との闘いのあいだである。

この「汚い戦争」の間、7万人の人々が死んだ。そのほとんどが国軍による虐殺であった。

その時に破られるけれども、センデロは現在ペルーでふたたび活発化している。

(この後延々とフジモリ政権の悪行が語られるが省略する。なおフジモリ政権が行ったとされる強制不妊手術については稿を改めて紹介する)

オバマ大統領が金持ち増税をふくむ財政再建策を打ち出した。共和党はこれに激しく反対している。そんな共和党議員の一人が「オバマの政策は階級闘争だ」と非難した。いまのところオバマは「階級闘争ではない。これは算術の問題だ」と切り返すに留まっている。
しかしことは明らかに金持ち階級に対する抗議に進んできている。ウォールストリートを埋め尽くした若者たちの群れは、明らかに「階級闘争」を闘っている。
19世紀、マルクス以前から存在した言葉が、なんと新鮮な響きをもっていま響くのだろう。「そうだ、これは階級闘争なのだ!」と世界中の人々がいま思い始めている。

リバイバルするのなら、もう一つリバイバルしてほしい言葉がある。それは「無産者」という言葉だ。元々はプロレタリアートの訳なんだろうが、プロレタリアートだって、もともとの英語やドイツ語ではないだろう。

共産主義を非難するときに「財産が取り上げられる」と攻撃するが、考えてみればたいていの国民は取り上げられるほどの財産なんてありはしないのだ。つまり「無産者」なのだ。
その誤った考えを取り除くのに、「無産者」というのはとてもいい言葉だと思う。

テント村運動は「支援する」運動だったが、ウォール街の運動は「無産青年」たちが自ら立ち上がった怒りの「階級闘争」なのだと思う。さらに注目していきたい。


資本の再生産と蓄積 (要綱②_p11)

言葉を分かりやすく言い換えているが、そのぶん不正確になっています。気になる人は原文を当たってください。

資本は(商品として)生産過程から出て、ふたたび流通に入る。
このとき二つの制限を受ける。
一つは消費能力の大きさである。
使用価値それ自体には、価値そのものが持っているような無限度性はない。
使用価値としては、資本はある特定の欲求を充足するだけなので、それが一定の程度に達すると、消費にとって必要でなくなってしまう。
その限度は、この特定の消費に対して欲求を持つ消費者の数によって決まる。
もう一つは、欲求を持つ交換者全体の持つ等価物の総量によって限度が決まるということである。
したがって生産物に含まれた剰余価値に対応する剰余等価物の量によって制限される。

ようするに売りたい相手に買う気があって、買う金があって、そういう相手がある程度まとまって存在していて、初めて商売は成り立つということですな。したがって売り上げを伸ばそうと思えば、あらたに販路を拡大しなければならないことになります。

会社(資本)は生産過程に進んでいかなければ売るものがなくなり、自壊してしまう
他方、売るものがある今は、生産過程が流通過程へと移行できない限り、苦境に陥ってしまうように見受けられる。
なぜなら(資本主義的生産においては)生産物が更新されるためには、その全体が貨幣に転化されなくてはならないからだ。この点が以前の生産諸段階と異なるところである。

生産とは設備を立ち上げて、原料を仕入れて、労働者を雇って、それらを合体させること。価値形成過程としては、労働者の労働能力を発揮させることにより、剰余価値を生み出すこと。これについては前の章で展開。

したがって資本が二つの制限を乗り越えて拡大する(絶対的剰余価値の創造)ためには、流通の圏域が拡大されることがしかも絶えず拡大していくことが必須条件である。
生産物を交換するためには、それと交換すべき剰余価値が他の場所で創造されていることが必要である。
その範囲が他国への進出であろうと、同一の範囲内でより多くの生産点が作り出されるのだろうとどちらでも良い。資本は資本制生産を普及させようとする傾向を持つのである。

資本主義のグローバリゼーションへの衝動は、その生産過程から生まれるのではなく、生産物の流通過程から生まれるということですね。
そして、それは流通過程に全てを賭けなければならないという、資本主義に固有の生産システムが規定しているということですか。


世界市場を作り出そうとする傾向は、直接に、資本そのものの概念のうちに与えられている。どんな限界も、克服されるべき制限として現れる。
資本主義はまず何よりも、交換に入らない直接的な使用価値の生産を解消させようとする。そして資本にもとづく生産を、それ以前の生産諸様式にとって変えようとする。
商品取引は、ここではもう、自立した生産者のあいだで、余剰物の交換のために行われる機能ではなくなる。それは生産そのものの全てを包括するものとなる。

このあたり、マルクスは“乗っている感じです。

ウィキリークスが米外交文書をすっぱ抜いた。
2009年11月、オバマが大統領に就任して最初の日本訪問のときのことだ。
薮中外務事務次官はルース米大使と会い、広島には行くなと告げた。これを本国に伝えた文書が暴露されたのだ。
これはルース大使がクリントン国務長官に当てた9月3日付の公電。赤旗によると、薮中発言の内容は概略次の通り。

薮中事務次官は「日本の反核グループは大統領が広島を訪問するかどうか注目している。…日米両政府は世論の期待を抑えなければならない。…訪日日程に広島訪問を入れるのは時期尚早だ」と述べた。

結果として、オバマの広島・長崎訪問は行われなかった。

この薮中氏の行動は、控えめに見ても、核廃絶に向けた時計を数分は遅らせたことは間違いないだろう。ただ彼の行動よりも、その「底意」に憤りを感じる。
報道では「世論の期待を抑えなければならない」という言葉の前に、その理由として「オバマ大統領が原爆投下を謝罪するという考えが現実的でない以上、日米両政府は…」とつながっているのである。
核廃絶の運動をおさえるために「謝罪」を絡めるのは陰険な論理だと思う。もちろん人類と未来に対する罪を謝罪する必要性を否定するものではないが、ベトナムでもアフガンでもイラクでも、アメリカはいまだに「謝罪」を行っていない。「謝罪」問題が広島訪問の障壁になるとすれば、米大統領は永遠に広島を訪問できなくなるのではないだろうか。
もしオバマ大統領が広島を訪問していれば、まちがいなくプラハ演説に続くような重大な発言があっただろう。だからどうしてもそれを阻止したくて、えぐい脅しをかけたのかもしれない。
まずは文書の真偽についての米大使館の説明。さらに日本政府・外務省の正式見解が聞きたいものである。

芸能雑誌「明星」の昭和31年度の人気番付。総投票数25万という“権威ある”もの。
笛吹き童子や紅孔雀、里見八犬伝が世の中を席巻していたことがわかる。他に大映系が意外に人気があったようだ。私は大映映画など見たこともないが。
大友柳太朗ばかりでなく三船敏郎や大川橋蔵、高峰秀子も番外というから、現在とは相当評価が違う。アラカンが居ないが、もうこのころは引退していたのだろうか。
芦川いづみ が裕次郎より前から日活スターだとは知らなかった。昭和10年生まれだっていうからすごい。日本列島のときはいくつだったんだろう。
裕次郎以降東映フアンの小学生はみな日活に移った。もちろん私も嵐を呼ぶ男から陽のあたる坂道まで一通りは見ている。二本立てだから、ついでに二谷英明も何本かは見た。
しかし私はどういうわけか、第二東映で佐久間良子や三田佳子にあこがれていた記憶がある。そちらのほうが安かったのかもしれない。なにせテレビのない時代だから、映画なら何でも良かったのだろう。
三本立てを見終わると、もう日が西に傾きかけていた。猛烈に働いた脳みそが熱を持っていた。まぶしさに目を瞑ると目の奥が熱かった。猛烈な空腹に思わず食堂に飛び込んだ。カレーライスが60円だった。映画もたしか60円だったと憶えている。電車賃が往復で20円。1ヶ月の小遣いは300円だったかな。


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安藤名誉教授のインタビュー記事の下は、消費税導入とその後の動きについて概説しています。
シャウプ税制についてこの間勉強した中身とちょっと違う感じのところがあります。所得税率や法人税率の累進性を上げたのは、講和後の日本政府でした。
シャウプ税制は応能=累進というふうには考えていなかったように思えます。基本は35%程度の定率で、貧困層には税率の削減と各種控除、富裕層には富裕税を追加することで不平等是正を図るのが基本ではないでしょうか。
神川さんの論文を読んだ限り、いわゆる「公平」原則は垂直方向よりは水平方向に重点があったように思えます。
それよりはとるべきものは断固としてとること、間接税の安易な導入を断固として拒否することで、国家と市民との相互関与と“品位”というものを守ろうという姿勢が基本だろうと思います。「天網恢恢、疎にしてもらさず」ということでしょう。

そういう意味からすると消費税反対の運動は、国家としての品位を守る戦いという側面も持つことになるだろうと思います。
シャウプ博士はこう語っています。
「税制は、国民のもっとも貴重な資源の一つです。納税者自身が納得して、全体としても筋が通っていてこそ、公平な税制といえるのです。そこで私は、公平さということを経済成長の前に位置づけよう と考えます」

30日の赤旗主張。
復興増税11.2兆円の財源が問題になっている。政府案では所得税と法人税に付加税を課すことで財源を捻出することになっている。
①所得税については税額の4%の付加税を課す。これが5.5兆円。
②法人税については税額の10%の付加税を課す。これが2.4兆円。
③タバコ税の引き上げ。2.2兆円。
④住民税の引き上げ、所得控除の見直しなど。1兆円。
これで計算は合う。
しかし震災の復旧という国民的課題に対し、愛煙家の負担と大企業全体の負担が同じというのは解せない

しかしそれは赤旗の主張ではない。赤旗の主張は「これでは痛みを分かち合うということになっていない」ということだ。
なぜなら、法人税はその前に5%減税が実施され、実質的には付加税を入れても2%の減税になるからだ。「朝三暮四」というが、これは「朝三暮-5」だ。
さらに付加税は3年間の時限つきで、それが過ぎればマルマル5%減税になるからだ。
10年間でトータルすると推計で10兆ないし18兆円の減税となる。これでは増税分はマルマル消えてしまう。復興のためにと思って出した税金が、実は大企業の懐に納まってしまうという寸法だ。よく役人のことを「税金泥棒」というが、それは比喩であって、役人を全否定しているわけではない。しかし企業はやらずボッタクリ、文字通りの税金泥棒だ。経済同友会の長谷川代表はその「朝三」さえ反対している。その心は火事場泥棒よりもっと冷酷無慙ではないか。

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