鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

AALA関連記事は「aala_newsの編集日記」http://blog.livedoor.jp/aala_news/ に移りました(6Nov.2023) 中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 「ラテンアメリカの政治」(http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ )がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2011年10月

(51)古道具屋 (Cambalache)

HP: 石川さんから引用します。「この世の中は豚小屋さ。20世紀は悪がのさばる時代。誰も彼もが泥棒なのさ」という出だしで、怪しげな骨董品を売りつけようとする古道具屋のせりふが続きます。フリオ・ソーサの演奏もありますが、私としてはスサーナ・リナルディが好みです。

Cambalache Nacha Guevara

「ここまでやるか?」とまでに、どぎつく歌っている。これはこれでよい、“エル・ロコ”の大仰さとは違う。胃もたれはしない。

Eugenia León canta "Cambalache" Enrique S. Discépolo

この曲を“歌”として歌っているという点で好感が持てる。伴奏も熱演である。ただあまりにも熱演である。

el cambalache


こちらがフリオ・ソーサの歌。絵はガルデルだが歌っているのはフリオ・ソーサ。フリオ・ソーサにはもうひとつ音源があるが、映画からの採録で音は悪い。

Cambalache Carlos Gardel

「なつかしのメロディ」から選ぶなら、フリオ・ソーサよりはこっちのほうが良いかもしれない。

Cambalache - Adriana Varela

アドリアナ・バレラという歌手は知らないが、間違いなく男だと思う。これは一級の演奏だろう。

CAMBALACHE - ENRIQUE SANTOS DISCÉPOLO

Jorge Saldañaという歌手が歌っているらしい。一種アナーキーな陽気さがとりえである。

el cambalache

フアン・マヌエル・セラートも歌っている。正統とはいえないが、説得力はある。当然ながら音は一番良い。この曲には「20世紀」という副題があるが、そちらに重きを置いて、文明論的に語るとこういう演奏になる。

Ismael Serrano-Cambalache

盗み撮りライブだが、音さえ気にしなければ最高の演奏だ。

Raul Seixas: Clipe - Cambalache

ロック版のカンバラーチェだが、意外と良い。この曲は本来はロックなのかもしれない。ただ、どうせロックならもう少しハードにやってほしい。

"Cambalache" Enrique Santos Discépolo

ピアソラは自作自演以外はペケである。これはゴジェネチェとの共演だが、それは同じだ。

Domingo Cambalache

関係ない曲だが、度肝を抜かれるサウンドだ。このバンド(Emir Kusturica & The No Smoking Orchestra)は絶対ヒットすると思う。

(52)思いの届く日 (El Dia Que Me Quieras)

HP: タニア(リベルター)で何が悪いか、ということです、ハイ。でも、仕方ないことですが、タニアを初めて聞いた20年前と比べれば、高い声は出なくなって、透明感はなくなって、歌に贅肉がついて来た感じは否めません。この歌にはもう少し寂しさと懐かしさが必要ですかねぇ。

Carlos Gardel - El dia que me quieras - Tango

これで決して悪いというわけではありません。むしろこれで決まりといってもいいくらいです。なにせ本家です。

El dia que me quieras - Roberto Carlos

ミーハー的に言わせてもらえば、あのロベカルがこの歌を歌ってるなんて、という感じ。恥ずかしながらロベカル・フアンなんです。これは絶品です。どうも彼にとってもこれは“持ち歌”のようです。

ATILIO STAMPONE "El Dia Que Me Quieras"

歌抜き演奏もある。これは弦の美しさで際立っている。スタンポーネは「まだ生きてたの?」という感じ。

Luis Miguel - El Dia Que Me Quieras


とにかくうまい。説得力もある。「この歌はこんな歌なのだ」と思わせてしまう。この人はメキシコのボレロうたいの中でも出色だと思う。

El día que me quieras (Tete Montoliu & Mayte Martin)

うっとりするような美声だ。伴奏はジャズのトリオ。バルセロナでのライブ録音というが相当近接マイクで鼻息まで聞こえるのがときにわずらわしい。しかし秀逸な一品だ。

Bandoneon Tango "El dia que me quieras" Sarita Montiel

サリタ・モンティエルの下品の一歩手前というか、半歩手前の間合いが良い。この曲のベストとはとてもいえないが…

El día que me quieras - Andrés Calamaro


決して美声でもないし、相当崩した歌い方だが、変に味があって捨てがたい。伴奏が秀逸だし録音も素晴らしい。一度聞く価値はある。何度も聞きたいとは思わないが…
この手の音源は掃いて捨てるほどある。みんなこの歌を歌いたくてたまらないようだ。

Placido Domingo singing El dia que me quieras

プラシド・ドミンゴの歌にバレンボイムがピアノ伴奏となれば、相当胃もたれしそうな予感がしたが、案の定だった。昔のテレビのエアチェックで画質・音質ともにお勧めできるものではない。バレンボイムはこの曲が好きなようでベルリンフィルの野外コンサートでもピアノ・コンチェルトスタイルで演奏している。

Diego El Cigala El dia que me quieras

フラメンコ好きにはコタえられないだろうが…




日米構造協議もそうですが、連中の文章は難しい。何を言っているのか分からないところがある。分からないように書いてあるから当然なのですが。

それをどう読むかということになると、さらに難しい。本当にそんなこと書いてあるんですかねぇ、ということにもなる。

そんななかで、「これはまじりっけなしの毒素だ!」というのを紹介する。

第11章 “相手国政府の協定違反等により、投資家に損失が発生した場合、相手国裁判所に提訴するか、または国際仲裁機関への仲裁請求ができる”

つまり韓国政府が商売のルールを破ったと米企業が判断すれば、国際裁判に持ち込むということだ。それ以外には読めない。これをISD条項と呼ぶそうだ。

これが実際に問題になったケースがすでにある。11年6月、たばこパッケージに厳格な規制を設ける豪州政府に対し、米フィリップモリス社が投資協定に反するとして、多額の損害賠償を請求したのである。


愛煙家の私としては、こういう弱いものに難癖をつけるようなやり方は許せない。いまはじっと耐えて、それも旨みのひとつの要素と考えていくしかないのだ。

自分の儲けのために世界の愛煙家を危険にさらすような会社はつぶれるべきだろう。


さらに中野剛志さんは次のような実例を上げている

カナダでは、ある神経性物質の燃料への使用を禁止していた。同様の規制は、ヨーロッパや米国のほとんどの州にある。ところが、米国のある燃料企業 が、この規制で不利益を被ったとして、ISD条項に基づいてカナダ政府を訴えた。そして審査の結果、カナダ政府は敗訴し、巨額の賠償金を支払った上、この 規制を撤廃せざるを得なくなった。

 また、ある米国の廃棄物処理業者が、カナダで処理をした廃棄物(PCB)を米国国内に輸送してリサイクルする計画を立てたところ、カナダ政府は環 境上の理由から米国への廃棄物の輸出を一定期間禁止した。これに対し、米国の廃棄物処理業者はISD条項に従ってカナダ政府を提訴し、カナダ政府は823 万ドルの賠償を支払わなければならなくなった。

 メキシコでは、地方自治体がある米国企業による有害物質の埋め立て計画の危険性を考慮して、その許可を取り消した。すると、この米国企業はメキシコ政府を訴え、1670万ドルの賠償金を獲得することに成功したのである。



2001年

6月30日 小泉・ブッシュ会談。規制緩和対話に関する第4回共同現状報告発表。両政府は、規制緩和対話の終了と、あらたな「成長のための日米経済パートナーシップ」立ち上げに合意する。

このあと「日米規制改革及び競争政策イニシアティブ」のプロセスが開始される。

10月 日米自動車協議グループ(ACG)設置が決まる。

10.14 年次改革要望書、「日本の医療制度を改善するために市場競争原理を導入し、民間の役割の拡大等を含む構造改革を推進する」ことを要求。

01年 『規制改革推進3か年計画』の一環として商法が「改正」される。株式分割の規制は撤廃される。ライブドアは、一株を百株に分けるなど極端な分割を繰り返し大もうけした。

2002年

5月 「投資イニシアティブ」報告書が発行される。

6月 小泉・ブッシュ会談。規制改革イニシアティブ第1回報告書が発表される。

10月 年次改革要望書、①NTTへの規制廃止、②電力・ガス自由化、③医療改革に外国企業の意見表明、④確定拠出年金(401K)拡大、⑤郵政公社による金融商品の拡大禁止、⑥M&A促進のための産業再生法改正などを要求。

02年 第2次金融ビッグバンが実施される。銀行業・保険業・証券の相互乗り入れなどの規制緩和が行われる。

02年 健康保険本人負担が3割となる。

2003年

4月 「規制改革特区構想」が開始される。

5月 小泉・ブッシュ会談。規制改革イニシアティブ第2回報告書が発表される。

6月 産業再生法改正。株式交換によるM&Aを認可。

10月 年次改革要望書、「郵便金融機関と民間競合会社間の公正な競争確保」を名目に、郵政事業と民間への「同一ルール適用」=民営化を提言。

11月 新日米租税条約が締結される。

03年 郵政事業庁が廃止され、日本郵政公社が成立する。

2004年

2月 日米社会保障協定が締結される。

4月 「規制改革・民間開放推進会議」が設置される。

6月 小泉・ブッシュ会談。規制改革イニシアティブの第3回報告書が発表される。

8月 日米保険協定に基づく二国間協議。米国側は「簡保と民間事業者の間に存在する不平等な競争条件」が解消されるまで「簡保が新商品提示を停止するよう」日本政府に要求する。

9月 日本政府が郵政民営化の基本方針を発表。

10月 年次改革要望書、「民営化が日本経済に最大限に経済的利益をもたらすためには、意欲的かつ市場原理に基づいて行われるべきである」と郵政民営化を督促する。
医療については、「薬価はメーカーの希望価格で」「米国業界にとって不利益な変更はされないこと」など医療費のつり上げを求める。

04年 法科大学院が設置される。司法試験制度が変更される。労働者派遣法が改正され、製造業への派遣が解禁される。

2005年

3月 USTR通商交渉・政策年次報告書。郵政民営化の基本方針は日米交渉を通じて米国が勧告したものと報告。

3月 米国生命保険協会、国際条約や二国間条約の下での、簡保の「是正措置」を要求。

4月  ペイオフ解禁。

9.28 アメリカ通商代表部のカトラー代表補、下院・歳入委員会「日米経済・貿易に関する公聴会」で証言。「日本の同盟者は日本の企業集団だ。われわれ の立場を支持している日本の生命保険会社だ。…そして、率直に言うなら、日本政府の中に共鳴する人がたくさんいる」と述べる。

11月 小泉・ブッシュ会談。規制改革イニシアティブの第4回報告書が発表される。

12月 年次改革要望書、大店法廃止を「歓迎」した上で「まちづくり三法」見直しにたいし「新たな規制もしくは他の措置をもたらす結果にならないこと」をもとめる。保険業法改定を「第一段階」 の措置として歓迎し、さらに「新制度の徹底的で厳密な見直し」を要求。

05年 日本道路公団が解散し分割民営化。新会社法が成立する。

図: この十年間、アメリカの要求がことごとく日本の法改正で実現している(大門議員)https://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/6/c/6c1f3cf0.jpg


2006年

6月 2006年度日米投資イニシアティブ報告書。労働者派遣法の緩和などを要求。
 
「米国政府は、管理、経営業務に就く従業員に関し、ホワイトカラーエグゼンプション制度を導入することを要請した」
「米国政府は、労働者派遣法を(略)緩和すべきであると指摘した」

10月 年次改革要望書、共済制度見直しの際には、協同組合や労組などすべての共済に保険業法を適用し保険会社と同列に規制するよう迫る。

2007年 

2月、日米相互承認協定が締結される。携帯・パソコンなどについてアメリカの適合性評価を受け入れるもの。

4月 安倍・ブッシュ会談。「エネルギー安全保障、クリーン開発及び気候変動に関する日米共同声明」が発表される。

5月 新会社法が実施され、外国資本にも株式交換による企業のM&A(合併・買収)が認められる。

6月 安倍・ブッシュ会談で規制改革イニシアティブ第6回報告書が発表される。

10月 「要望書」は、引き続き規制改革路線の実行を迫る。具体的には、(1)医療機器や医薬品の市場開放、(2)銀行窓口での保険商品販売の全面解禁、(3)ゆうちょ銀行やかんぽ生命保険と民間企業との課税や監督基準を同一にする、など。

2009年

11月 鳩山・オバマ会談。日米クリーンエネルギー技術協力に関するファクトシートを発表。

2010年

3月31日 米政府、「外国貿易障壁報告書」で、日本の医療サービス市場を外国の企業に開放することを要請。

6月18日 政府、健康大国戦略を打ち出し、「医療滞在ビザ」の設置、外国人医師・看護師による診療の合法化、外国人患者受入れを検討。

2011年

2月 「日米経済調和対話」事務レベル会合開催。米国政府は、残留農薬や食品添加物などの規制緩和を要求する。

3月 米政府、外国貿易障壁報告書で、輸入食品・農産物の検査、遺伝子組み換えなどの食品表示などの規制緩和を要求。

10月 米国通商代表部、牛肉やコメ、郵政、共済、医療、血液製剤など約50項目の物品やサービスについて「規制緩和」と市場開放を要求。医療については、外国事業者を含む「営利病院」の参入が「制限されている」と攻撃。

1989年 日米構造協議の始まり

4月 アメリカ政府、日本がMOSS協議の電気通信協定を順守していないと断定。第1次携帯・自動車電話紛争が勃発する。

7月14日 サミットにおいて、宇野首相とブッシュ大統領が日米間で構造協議を行うことで合意する。

9月04日 日米構造協議が開始される。米政府はGNPの10%を公共事業に配分することを要求する。米議会は構造障壁自体をスーパー301条の対象にするよう主張。

1990年

1月31日 ベルンで構造協議の非公式会議。アメリカ政府は閉鎖的な市場の開放を求める。アメリカの日本に対する要求は200項目を超える(ウィキペディアによる)

3月 日米首脳会談、父ブッシュ大統領が海部首相を電話一本でよびつけたため、“ブッシュホン”と皮肉られる。

3月 海部首相は、構造協議と個別貿易問題の解決を内閣の最重要課題に位置づけ、トップ・ダウン方式で作業を進めた。

4月06日 今後10年間の公共投資計画、大店法の改正、独禁法改正問題などを含む中間報告がまとまる。アメリカはこれに満足せず、さらなる屈服を迫る。

6月28日 日米構造協議の最終報告がまとまる。今後の10年間の公共投資は430兆円とされる。米国はこれを受けスーパー301条を発動しないことを明らかにする。

1991年

6月 日米半導体協議が第二次取り決めに締結。アメリカは日本国内シェア20%を要求する。

世界半導体メーカーの売上高で、日本電気、東芝、日立製作所が3位までを独占、富士通と三菱電機が6位と9位に。で日本の総合電機メーカー5社が世界の80%を支配していた。
いまではMPUはインテルの独断場、マイクロソフトのOSとIT革命を担うことになる。日本は東芝が6位、日立と三菱の半導体事業が統合したルネサステクノロジーが7位という具合に凋落。MPUなど特許でガンジガラメで今となっては新規参入は困難。(
海の独り言2011

1992年

1993年 年次改革要望書の始まり

7月 宮沢・クリントン会談、経済協力の強化につき合意。日米構造協議は日米包括経済協議U. S. - Japan Framework Talks on bilateral trade〕と改められ、より一層の規制緩和や市場開放がせまられる。
(1)毎年10月に、アメリカが文書で注文をつける、(2)その注文書にそって、日本政府が実行に移してゆく、(3)その実行状況をアメリカ政府が総括し、(4)翌年3月、それを「外国貿易障壁報告書」にまとめてアメリカ議会に報告する―というもの。

93年 日本への改革要求である「年次改革要望書」がスタート。

正式には「日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく要望書」(The U.S.-Japan Regulatory Reform and Competition Policy Initiative)
米国側からの要望が施策として実現した例としては、
建築基準法の改正や法科大学院の設置の実現、独占禁止法の強化と運用の厳密化、労働者派遣法改正、郵政民営化といったものが挙げられる。
要望書の性格は、アメリカの国益の追求という点で一貫しており、その中には日本の国益に反するものも多く含まれている。(ウィキペディアより)

1994年

2月15日 クリントン政権、携帯電話と自動車市場の開放に関して、日本側が協定違反と認定。自国制度のゴリ押しスタイルが定着する。

4月 GATT、ウルグアイ・ラウンド妥結。ウルグアイラウンド。日本はコメの部分開放を受け入れる。

10月07日 米政府、公共投資の目標の上積みが必要と迫る。村山内閣は「公共投資基本計画」を策定し、社会資本整備費としてさらに200兆円を積み増しする。

94年 この年に知的所有権、保険分野、政府調達、板ガラスなど次々にアメリカの要求を受け入れる。

1995年

1月 WTOが設立される。

95年 「金融サービスに関する日米両国政府による諸処置」が実施される。

1996年

2月 日米首脳会談。住宅や建材などの輸入促進のための「規制緩和」で合意。日本政府は建築基準改定を打ち出す。

10月 橋本首相は金融改革を01年までに行うように指示。

1997年

4月25日 橋本・クリントン会談、「規制緩和及び競争政策に関する日米間の強化されたイニシアチブ」で合意。米企業の日本進出の妨げとなる諸規制の撤廃を迫られる。

6月 橋本内閣、「日米規制緩和対話」の枠組みで合意。日本政府は、実施状況を定期報告するようもとめられる。

11月 年次改革要望書。「建築基準を仕様重視型から性能重視型にする」ための建築基準法の改正を要求。

97年 独占禁止法が改正される。持株会社も解禁される。

1998年

金融庁設立。金融ビックバン開始。

4月 外為法の改正。一般個人向けの外貨預金取扱が解禁。銀行等の投資信託の窓口販売も導入される。

6月 建築基準法の改正。仕様規定から性能規定に変わり、建築確認が民間企業でも可能となる。業界誌『日経アーキテクチュア』は「鉄筋量を減らすことが可能」になったと報道。

11月 証券取引法の改正によりインターネット証券会社の新規参入が認められた。

12月 銀行法・保険業法などが一部改正。銀行・保険会社による投資信託の販売が解禁される。

98年 大規模小売店舗法が廃止され、大規模小売店舗立地法が成立する。建築基準法が改正される。

1999年

5月 橋本・クリントン会談。日米規制緩和対話に関する共同現状報告が発表される。以降、3回に渡り「共同現状報告」が発表される。

7月 NTT再編に伴い、NTT調達取決めが失効。

99年 独占禁止法が改正され、金融持株会社の設置が解禁される。第1号としてみずほフィナンシャルグループ設立。

99年 労働者派遣法が改正され、人材派遣が自由化される。

2000年

7月 森・クリントン会談。規制緩和対話に関する第3回目の共同現状報告が発表される。

10月 年次改革要望書、現行商法が「外国企業が日本市場に参入するさいに大きな影響を及ぼす」と指摘。「投資や金融取引の障害」を排除することを要求。各論では、「株式分割時の一株当たりの基準価格に関する規制の廃止」を「必ず取り上げる」よう強く求める。

00年 大店法廃止、大店立地法制定。

日米構造協議年表

英語ではSII(Structural Impediments Initiative)と呼ばれる。普通に訳せば「構造障壁に関する攻勢」となる。

1985年 MOSS協議の始まり

1月 中曽根・レーガン会談。市場開放を迫られた日本は、市場重視型分野別協議(MOSS協議)を受け入れると発表。

4月 MOSS協議が開始される。日本政府はこれに応じ、市場開放の「アクション・プログラム」を発表する。

9月 「プラザ合意」が成立。ドル安と協調介入で合意。日本は円高誘導を是認。1ドル=240円から120円に上昇。日本は最大の債権国となる。

85年 米国「新通商政策」を策定。エレクトロニクス、電気通信、医薬品・医療機器、林産物、輸送機器の各分野で不利益が発生すれば、通商法301条を積極的に発動する方向を打ち出す。米半導体工業界は、ただちに日本市場の閉鎖性などを理由に301条提訴する。

1986年

4月 前川レポート発表。正式には「国際協調のための経済構造調整研究会」の報告書。黒字減らしのため内需拡大、市場開放、金融自由化などを柱とする経済構造の改革を行うとするもの。バブルの始まりとなる。

7月 MOSS協議が続く。日米半導体協議で取り決め締結(第1次)。他に電気通信、医薬品・医療機器、林産物の分野で交渉が決着する。

やたらに高い人工関節、ペースメーカー等、何故と問えばアメリカと日本の大臣との話で決まったことで何故もへったくれもない。それがMOSS協議といわれてきた。(兵庫県医師連盟

9月02日 第一次半導体協定が締結される。自主規制と米側によるダンピング調査の中止を柱とする。

11月 対米工作機械輸出自主規制

86年 米国が債務国に転落

86年 GATT、ウルグアイ・ラウンド交渉が開始される。聖域とされた農業、知的所有権、サービスなどの「新分野」が取り上げられるようになる。

1987年

4月 レーガン大統領、①第三国向けダンピング、②日本市場でアメリカ製品が売れないことを理由に、パソコン、電動工具、カラーテレビの関税を100%に引き上げる措置を発動。第一次半導体取り決めが破綻。

10月19日 ブラックマンデー。ニューヨークの株価は史上最大の508ドルという下げ幅を記録。下落率22.6%は、世界恐慌の引き金となった1929年暗黒の木曜日を上回る。

1988年

88年 アメリカで包括通商・競争力強化法が成立。

これまでの通商法の制裁条項である第301条を強化した法律で、被疑国が協議に応じないときは関税引き上げで報復するという内容。日本を仮想敵国とするもの。

5月 建設市場の開放で合意。

6月20日 牛肉・オレンジ交渉、輸入割当撤廃(関税化)で最終決着。ザ・タイマーズ「牛肉・オレンジ」はこちら

88年 アメリカ政府、「外国貿易障壁リスト」を発表する。日本の政府規制、系列取引や建設業界の入札制度、貯蓄投資パターン、土地利用、流通機構、価格メカニズムなどを構造障壁ととらえ撤廃を求める。

薄々とは知ってたが、改めて事実として突きつけられると愕然とする。

世界半導体メーカーの売上高で、日本電気、東芝、日立製作所が3位までを独占、富士通と三菱電機が6位と9位に。で日本の総合電機メーカー5社が世界の80%を支配していた。
いまではMPUはインテルの独断場、マイクロソフトのOSとIT革命を担うことになる。日本は東芝が6位、日立と三菱の半導体事業が統合したルネサステクノロジーが7位という具合に凋落。MPUなど特許でガンジガラメで今となっては新規参入は困難。(
海の独り言2011

裏返すと、アメリカの反日感情はそこまで強かったのだろう。それというのも日本がオイルショック後の不況を“集中豪雨”を呼ばれる対米輸出で乗り切ったからだ。

基本的に悪いのは日本だと思う。しかしそこに踏み込んだ論文はほとんどない。前川レポートは、言っていること自体は悪くないが、逆鱗に触れてから一生懸命謝るのでは順番が逆だ。しかも動機が不純だ。本当に謝っているようには見えない。

だからわが国の将来にとって戦艦大和と武蔵にも匹敵するはずだった「半導体」が、むざむざやられてしまったのだ。そういう認識を持ってほしい。もうそろばんだけで突き進むのも、相手にやられたら今度はひたすら隠忍自重するというののもやめてほしい。

日本医師会のホームページでこんな記事があった。

2010.7.20~9.21

内閣官房 地域活性化統合事務局が「総合特区制度」に関する提案を募集した。

たとえば、経団連からは次のような提案があった、という。

・診療データの二次利用の緩和
・株式会社の診療領域の拡大
・混合診療の解禁
・外国人医師・研究者・看護師の入国、滞在、就労に関する規制の緩和
・外国人患者・家族の入国・滞在に関する規制の緩和

これはすべてアメリカの対日要求のなぞりである。

「売国奴」という言葉があるが、親兄弟を売り飛ばしてでも、アメリカに媚を売り自分だけは生き延びようとする卑劣漢にはふさわしい言葉かもしれない。そぞろ哀れを催す。

国際競争力の強化は、一般的には必要なことである。国際貿易の網の目の中で、どこかに比較優位の分野がなくては、輸出と輸入のバランスが取れない。
とくに日本のように資源のない国では工業製品や技術の分野で切磋琢磨が必要だ。ここまではまったく経団連と変わるところはない。
しかし黒字大国化は必ずしも国際競争力強化とはつながらない。貿易は、すくなくとも基軸通貨換算では釣り合いが取れなければ、持続は不可能である。片方に黒字大国があって、片方に赤字大国があれば、いつかはゲームは終わる。終わらないのは基軸通貨であるドルが発行をやめないからである。

しかしそれは、貿易不均衡のひとつの側面である。黒字大国側にたまってくる巨額の内部留保は行く先をもとめて、激しく動き回り始める。以前はこの動きを統制し、生産に振り向けるさまざまな機構があった。またそれを消費と文化向上に振り向ける再配分システムが機能していた。

しかし、新自由主義の下で金融規制が緩和されるようになると、これらのマネーは生産にも消費にも向かわず、自己増殖を始めるようになった。

信用の創出により1ドル紙幣が10ドルに膨れ上がり、実体経済とかけ離れていくが、やがてこのバブルが消滅すると、逆テコが働き、あっというまに10分の1に収縮する。そして通貨は流動性を失うのである。

もちろん、現下の不況をもたらした直接の犯人は、金融規制緩和と過剰ドルの狂乱である。しかしその根底に、長期にわたる貿易不均衡があることは間違いない。

かつて戦後、ガット体制に復帰した日本は貿易の拡大をもとめて必死に活動した。武力を持たない日本はひたすら交渉によって世界の諸国の理解をもとめ、自由貿易の諸原則を忠実に守ることによって、諸国の信頼を回復するほかなかったのである。

その諸原則の中に黒字大国化はなかったはずだ。貿易で得た利益を国民に還元して、みんなで豊かな国になるようにがんばろうという気持ちで一緒になっていたはずではなかったか。

そして、平等互恵の貿易によって世界の国々が等しく豊かになり、そのことで戦争のない平和な世界を作ろうと決意していたのではないか。憲法前文のとおり、それこそが日本の「名誉ある地位」だ。

韓国がFTAでもうけたという話が蔓延している。だから乗り遅れるなというのが、結局TPP推進論者の唯一の根拠といっても良い。
だがこの話どうも眉唾だ。この間に韓国がFTAを組んだ相手がいくつかあって、そことの貿易が急増したということだが、チリとかノルウエーとかスイスが相手で、もともとの分母が知れたものだから、%で言ってはいけない。
伸びた額で見るとほとんどがASEANとの貿易だ。しかしASEAN相手のFTAなら別に韓国の専売特許ではない。日本もやっている。もし激増したのなら別の要因を考えなくてはならない。そもそも韓国とASEANとのFTAはにせFTAで、ほとんど中身はないとされている。

ASEANとのFTA効果は限定的
韓国・ASEAN自由貿易協定(KAFTA)の物品貿易協定は発効から2年経過した。1年目に対ASEAN輸出が24.9%増加するなど、ある程度の効果があったとされる。しかし、企業の特恵関税利用率は低く、政府の積極的な広報が必要との指摘もある。   世界のビジネスニュース(通商弘報)より
7月からEUとのFTAが始まったが、今のところ出てくるのはご祝儀かちょうちん記事ばかりで、未だ先を見てみないと何ともいえない。アメリカとのFTAに至っては、あまりの内容のひどさから、国内で怒りが噴出し、成立するのかどうかさえ分かっていないのだ。

とにかくTPP論者の話はすり替えだらけだ。聞き流していると、アメリカやEUとのFTAのおかげで韓国が急成長しているかのようにしか聞こえない。

すみません。自動車関連の記事はガセネタでした。事実は以下のとおりです。
これまで韓国国内での輸入車市場はドイツ車が圧倒的で、これは日本と同じです。ところが韓国が好況局面に入ったこともあり、輸入車の販売が増加。これを狙った日本の自動車各社が安値攻勢をかけて、輸入車のシェアーを40%以上に伸ばしたということです。
ただ国産車との価格差が縮まると、今後、本格的な自動車戦争に発展する可能性もありそうです。


なお、TPPに関する資料は 典拠もふくめて農林中金総合研究所 「TPP(環太平洋連携協定)に関するQ&A」が詳しい。


NPO団体の「環境エネルギー政策研究所」が「原発なしで電力足りる」との報告を発表した。
これによると政府見通しでは12年夏の電力が1660万キロワット不足となっているが、再計算で2600万キロワットの余裕があるとされた。ただしこの再計算でも関西電力では不足する。
大きく異なるのは東京電力で、政府資産マイナス800万に対し研究所試算では1300万キロワットの余裕となっており、その差が2000万キロワットに達する。
その内訳としては
①政府試算が企業節電を発動しないことを前提としていること、
②「出力低下」が盛り込まれているが、根拠は示されない、
③揚水発電を今年度実績の半分以下で計算していること、
④自社と他社の火発分のうち280万キロを計上しない想定
⑤自家発電の受電を実績から90万キロワット削減していること
など、ウソで塗り固めていることが分かった。
研究所は謙虚な訴えで結んでいる。
「原発再稼動がどうかは、安全性と社会合意により判断」してください。ただし需給問題を絡めて脅すのはやめてくださいということだ。

オリンパス側がジャイルス社買収にともなう600億ドルの支出を認めたようだ。(すみません6億ドル=当時価格で700億円)

基本的にはほぼウッドフォード前社長のいう通り。FBIまで事情聴取に乗り出したから、隠しおおせないと判断したようだ。
ケイマンのペーパーカンパニーに振り込まれ、その会社はまもなくつぶれたということだから、もう間違いなく犯罪だ。いずれ菊川会長には逮捕状が出るだろう。
このウッドフォードという人は、ゴーンやソニーの会長とは違う。30年もヨーロッパ・オリンパスに勤めて営業からたたき上げてきた人物だ。だからこれだけ怒っているのだ。

なぜこの事件が気になったかというと、日本の大企業は内部留保を溜め込んでいるが、それが富裕層のフトコロにどのように流れているかが、どうもはっきりしないからだ。大王製紙はあまりにもばかばかしい話だが、会社の金は引き出せる ということは分かった。
日本のトップ企業が絡んだ闇の世界の金の流れを、この際FBIの手も借りて明らかにしてほしい。そういう意味の「開放(TPP)」は大歓迎だ。

山口義正(経済ジャーナリスト)
さんのレポートが詳しい。


ハバナ憲章

第一条 (国際貿易の目的)

諸国間の平和・友好の関係のために必要な安定と福祉を創造するという国連の決意を理解し、

憲章制定委員会は通商と雇用の分野において互いに協調し国連と協力し、

国連憲章における全体目的を実現するために、

とくに憲章第55条に掲げられた生活水準の向上、完全雇用、そして経済・社会的発展と開発を目指すために。

国連を構成する諸国は国家として、国家の集団として誓う。国家の、そして以下の目標を獲得するべき国際間の行動を推進することを。

1.(民生)大きな、そして着実に成長する実収入と有効な需要を保障すること。生産、消費、商品交換を増やし、これによりバランスよく拡張する世界経済に貢献すること。

2.(開発)とくに依然として産業開発が初期段階にある国々において、産業と全体的経済開発を喚起し支援すること。そして生産的投資の国際的流れを強めること。

3.(平等)すべての国が平等に、経済的繁栄と発展をもたらすような市場へのアクセス、生産物と生産設備を持つ機会を与えられること。

4.(自由)相互の互恵関係を基礎におき、関税とそのほかの貿易障壁を削減し、国際交易における差別を撤廃する。

5.(開放)諸国が通商と経済開発のために機会を増し、それにより力を蓄えること。世界貿易を混乱させ、生産的雇用を減退させ、経済進歩を遅らせるような手段をとらないよう自制すること。

6.(協調)相互理解、合議、協力の発展を通して、国際交易にかかわる問題を解決するよう促進すること。とくに雇用、経済開発、通商政策、企業活動そして商業政策の分野での問題が重要である。

したがって国連はここにITOを創設する。そしてそれを通じて、国連はこの条文に掲げられた目的を実現し目標を推進しようとするものである。


前文に貿易の精神が書かれているが、国連憲章との直接の結びつきが強調されている。

六項目の目的規定では1~3項までが人権、福祉、開発の強調に当てられ、貿易はこれらに資するものであることが強調される。

4,5項の「貿易の自由」はそれらの実現を図るという目的で、いわば、その限りにおいて、重要な条件として位置づけられるという関係になっている。

そして6項めは、それがいかに正しいものであっても、強制を持って実施されてはならないということである。

GATTは、1から3を含んでいない。というより4項以下を実施するための枠組みとして作られた協定に過ぎないのである。

このことは二つの意味を含んでいる。

ひとつは1~3をネグレクトして運営することで、人間とか福祉とか開発とかいう哲学抜きのいわば商習慣の集成となってしまったことである。

一つは、それにもかかわらず、取り決め事項のそもそもの根拠は何かと尋ねられれば、国際法上の拠り所はハバナ憲章に求めざるを得ないということである。

この事情はWTOであろうと、その応用版であるFTAにせよTPPにせよ、変わるところはないはずだ。

問題は私たちがこの憲章を、その精神を議論の場で貫くかどうかということである。そしてITO憲章の実現を目指すという闘いの展望を持ち続けるかどうかということである。もちろん60年前の憲章をそのまま使うのには無理があるが、二度にわたる世界大戦の反省を踏まえた平和と友好の原則を生かすことは大事だと思う。

ニューヨークでウォールストリートをシンボルとして始まった占拠運動だが、全米に拡大しつつある、ということは知っていた。
しかし情勢はそういうレベルではない。まさにこれは全国闘争になっている。
驚いたのが、ロスの市議会の支持決議。赤旗記事を紹介する。

「経済危機は、市民を混乱に陥れ、財政上の安定も生活の質も脅かしている」
こんな一節から始まる市議会決議は、上位1%の富裕層が米国の富の40%を支配している米社会の現実を告発。
言論や集会の自由を定めた米国憲法修正第1条を「平和的で力強く実践している“占拠運動”を市議会は支持する」とうたっている。

約50人で始まった行動は、今では広場で寝泊りする人が900人になるまで広がりました。ロスのAFL・CIO地域組織も支持を表明し、テントを張りピザなどの食糧支援を始めました。

ということで、もはや地域ぐるみの運動となりつつあるといえる。「王様は裸だ!」ということが大多数のひとたちに見えるようになって来た。

青年たちが掘った水路に、多くの国民が吸い寄せられ、奔流となって動き始めた。とくに労働運動の立ち上がりがきわめて注目される。これがあるから運動が浮かない

大統領選挙に無理やり収斂させられてきたアメリカの大衆の声が、労働者と青年の共同という形で下から積みあがっていくという、新しい政治行動のスタイル が生まれつつあるのではないか、そんな予感がする。

http://www.47news.jp/movie/general_politics_economy/post_5296/

10月20日、小沢一郎が自由記者クラブで会見し、TPPについてコメントしている。正確で鋭い指摘だと思う。

 

農業について

①TPP は農林水産業の分野だけの物ではない。あらゆる分野での規制の撤廃が目的だ。(これは「農家ばかり手厚くしていいのか」という質問に対する答え)

②農林水産業は一次産業であるため、生産性が他産業に比べて低い。一定の保護策をとらなければ壊滅する。

③基礎的な食料は国内で自給する。そのために、食料の生産に従事する人達の生活を国民全員で支援するというのは国の基本である。

自由貿易と国民生活

①TPPのメイン分野は農林水産業ではない。どの分野であれ、競争力に弱い分野は生活できなくなってしまう。

自由競争または自由貿易は原則的・理念的にはいいことである。しかし国民を守る対応策がなければ、国民生活は大変になってしまう。

小泉改革の二の舞

①小泉政権は雇用の、従来の日本的な仕組みを取っ払ってしまった。その結果、正規雇用、非正規雇用など格差や不安定さ、将来への不安が広がった。

②国民みんなが安心して安定して就業して生活できるということを守っていかなくちゃいけない。これは、制度の背景にある哲学や理念だ。

③これらの対応がきちんと行われないままにやられたのが小泉改革である。


この小沢発言で重要なのは、TPPを第二次日米構造協議として捉えていることである。

前回の構造協議では郵政民営化をはじめとする無理難題が押し付けられた。それを忠実に実行したのが小泉改革だった。

今回もアメリカの不景気のツケを日本にすべておっかぶせようとするのが狙いで、環太平洋とか自由貿易などというゴタクは、日米構造協議という本質を隠すカモフラージュに過ぎないということを、遠まわしに言っているのだろう。


なおこの発言が、朝日新聞では下記のように報道されている。

小沢氏、TPPに前向き 『自由貿易は日本にメリット』(以上見出し)/「自由貿易は最も日本がメリットを受ける。原則として理念的にはいいこと」と述べ、交渉参加に前向きな考えを示した。

「国民生活を守る対応策を講じないと大変なことになる」とまで述べている発言がどうして前向きなのか、記者の神経を疑う。

産経新聞は、小沢氏が“TPPに原則賛成”と報じているが、これは“自由貿易”とTPPとの完全なすり替え。

これについては小沢一郎事務所が報道を否定する発表を行っている。

今日、一部紙面等で『TPPについて「小沢氏前向き」』と報じられておりますが、それは誤りです。今の拙速な進め方では、国内産業は守れません。

メルケル独首相は顔で得していますね。悪いことしそうな顔には見えない。
サルコジとの共同記者会見で、イタリアとの協議について質問され、二人で顔を見合わせた後、苦笑を浮かべたところは、あれが芝居なら稀代の名優だ。
EUは次々に思い切った手を打ってくる。「対応が遅い」という声もあるが、多国間協議です。そんなにすんなり行くはずがない。日本など単独政府でも思考停止してしまう。アメリカ任せの65年、おすがりするだけの発想しかない。財務省国際局長の講演を読むと、ほとんど信心の世界だ(本音はもう少し別にあるだろうが…)。
ドイツが単独で仕切れば、スピードははるかにアップするだろうが、それは危険です。ヨーロッパにはナチスドイツの記憶が残っています。ドイツも矢面に立つことを恐れています。
60%の債務カットはデフォールト並みの削減です。あのアルゼンチンですらこわもてのキルチネルの努力で65%がやっとでした。(その後、結局50%で妥協したようだ)
次は、ギリシャに大量貸し込みをした金融機関の選択的救済が課題になります。それだけなら、現在のシステムで間に合うでしょう。問題はイタリアにソブリン危機が発生した際にどうなるかに絞られてきたようです。これからが投機筋との腕比べです。

(49)白い小鳩 (Palomita blanca)

HP: 出だしはなんということのないポルカ調のバンドネオン演奏ですが、中間部から突如として乗りの良いワルツに代わっていって、最後には結構盛り上がるという演奏です。

"Palomita blanca" Alberto Marino y Floreal Ruìz (imàgenes)

トロイロ楽団の演奏で、男性歌手二人の重唱です。とりあえず定番です。HPのお勧めのセステート・マヨールはありません。

Palomita Blanca - Ignacio Corsini (1929)

イグナシオ・コルシーニの歌はたいてい駄作ですが、時々特大のホームランをかっ飛ばします。これがそのひとつです。

Horacio Salgan y Ubaldo De Lio. Palomita blanca.

とても定番とはいえませんが、サルガンはいつもスリリングです。

Palomita Blanca - Daniel Adaro (2007)

いつもはギター独奏というとそれだけでパスするのですが、これは良いです。リズムの崩れがない。音がしっかり出ている。ファンホ・ドミンゲスだけがギターではないということがわかります。

PALOMITA BLANCA / CARLOS GARDEL

ガルデルの歌です。それなりの水準でしょうが、セステート・マヨールの演奏を聞いた後ではつまらない曲に聞こえてしまいます。

Palomita Blanca

なにやら良くわからない演奏ですが、不思議に説得力があります。Maria Estela Monti という歌手のようです。

Bachata - "Palomita Blanca" - Juan Luis Guerra

同名異曲です。フアン・ルイス・ゲーラがバチャータのリズムに乗せて歌います。雰囲気は出ていますが、名曲かと言われると…

(50)ブエノスアイレスの夏 (Verano porteno)

ついに半分まで来ました。

「夏」はさまざまな演奏が流布し、あたかもピアソラの代表曲かのように取り上げられています。セステート・マヨールは、最近の流行からするとやや遅めのテンポで、じっくりと内声部も聞かせています。派手ではありませんが、飽きの来ない演奏といえるでしょう。

Christiaan van Hemert with strings - Verano Porteño

これはクラシック風ですがすごい迫力です。音が厚いし録音もそれを捕まえています。

Bandoneon Tango "Verano Porteño" Piazzolla & Jaurena

これもすごい演奏です。ラウル・フアレーナというバンドネオン奏者を中心とするカルテートですが、9分30秒という長さを感じさせません。バンドネオンからこれだけ表現力を引き出した演奏はそうはないでしょう。音も盗み撮りライブにしては上等です。

Astor Piazzolla - Verano Porteno

72年、ピアソラのイタリアでのライブ録音版です。ライブと言っても隠し撮りではなくしっかりとした音源です。しかしながら、まだ磨かれた演奏とはいえません。

Astor Piazzolla "Verano Porteño" en el Teatro Colón.

これはすごい演奏です。Grabado en vivo el 11 de junio de 1983. とありますから、軍政末期のライブ録音です。まるで弾圧犠牲者への鎮魂歌のようです。

Verano Porteño - Astor Piazzolla - Tango

東京でのライブです。どうもタンゴバンドは日本にくると俄然張り切るようです。スアレス・パスのバイオリンにパブロ・シーグレルのピアノですから、組み合わせも最高です。
いっちゃぁ悪いんでしょうけど、これでバンドネオンがピアソラでなければもっと良かったな。

VERANO PORTEÑO

Baires Quinteto というグループの演奏ですが、これがうまい。すでにピアソラを古典として受け入れた世代の演奏でしょう。

Verano Porteño by Astor Piazzolla

これも名演でしょうね。しかしやはりピアニストの衣装にどうしても目が行ってしまいます。

Verano Porteño (Piazzolla) - Ryota Komatsu

これは明らかにやりすぎです。とくにバイオリンの姉さん、はしゃぎすぎ。これはロックの世界です。

Osvaldo Pugliese y su Orquesta Típica - Verano Porteño

御大プグリエセがどうこの曲を料理するか見ものでしたが、案の定もてあましているようです。


中国の国際通貨論

高 海紅 (中国社会科学院世界政治経済研究所教授)

国際通貨の二つのオプション

①超国家的準備通貨 “super-sovereign reserve currency”

主権国通貨が世界通貨を代替するシステムの構造的欠陥を克服しうる理想的なフォーマットだ。しかし、青写真の段階だ。

②複数通貨によるバスケット体制

集合形態の通貨は避けようのない欠陥を持っている。

間違いなく、危機の下では、US ドルが安全避難先の役割を果たした。この事実は厳粛に受け止めなければならない。

中国がドルから離れるとき

この10年間で、ドル備蓄は14倍になった。しかし米ドルインデックスはこの間12%低下している。大規模なキャピタルロスが発生したことになる。

どこまで差損を許容できるかが問題だ。さらにFRBがインフレで債務を帳消しにする可能性も考えなくてはならない。

金融自由化に対する考え

Impossible Trinity (トリレンマ)については、無制限な資本自由化を行わないことで、為替相場の安定を図る。

自由な資本フローを保障した上で、独立した金融政策を守るためには、弾力的な為替相場が必要であることは認める。

…直接投資はすべて原則自由である一方、株式市場、債券その他債務証書は主に機関投資家向けです。短期市場やファンド、デリバティブその他の商品は厳しい規制の対象となっており、原則として非居住者には禁止されています。

外貨準備の野放図な蓄積を行うつもりはない。成長パターンを民生・内需にシフトさせることで歯止めをかけるつもりだ。

「国際通貨」パネルディスカッションの読後感

08年リーマンショック後の通貨事情

金融危機から実体経済の崩壊が起きた。その回復過程で大量のドルが発行され、国債為替相場の動揺が起きた。

金融危機は膨れ上がった信用と投機資本の横行に原因があるが、その根底には長年にわたる貿易不均衡と、それをドルの発行でしのぐという構造がある。

多極化世界と通貨問題

世界の経済圏は多極化しつつある。その中でもアメリカ、東アジア圏、ユーロ圏が突出している。

アメリカと東アジアのそれぞれに相反する傾向が現れている。

アメリカでは、今回の危機を通じて、逆にドルの強さが確認された。基軸通貨としての力が失われていないことが明らかになった。

他方では、財政再建の必要からドル安誘導策がとられると考えられ、これは貿易黒字国に莫大な損失をもたらすことから、警戒感が広がっている。

東アジア、とくに中国はリーマンショック以降の世界経済のけん引役となっている。成長を持続している最大の根拠は域内貿易の拡大である。

しかし貿易のほとんどはドル建てであり、金融システムは依然として脆弱である。リーマンショック後の流動性低下に際しては、FRBとのスワップに頼らざるを得なかった。

ユーロはこの間、決済通貨としての役割を拡大してきたが、いまは存続さえ危ぶまれる事態となっている。

国際通貨はどこへ向かうか?

アメリカの経済危機が進行すれば、ドルへの信用は失われていく。少なくとも補完的な決済通貨が要請されるようになる可能性がある。

東アジアでは、経済統合の進行につれ、通貨バスケットや通貨基金が求められるようになる。しかし日中関係が不透明であることから、強力な統合の可能性は低く、ドルへの依存は続くだろう。

ユーロの持つ弱点は発足当初より織り込み済みであり、欧州通貨基金へと向かうステップであるともいえる。また金融投機の制限の契機ともなりうる。

ヨーロッパのエコノミストの代表としてディスカッションに参加したパドア・スキオッパはこう述べている。「ギリシャについて今後起こるのは、EU が一致団結しているかどうかのテストだと思います」


国際秩序とは何か?

国際通貨とは、結局、国際秩序の反映である。過去のグローバリゼーションは自由な国際秩序を目指したが、結局実現したのは無秩序な自由だった。

一言でいえば自由化は「強者にとっての自由」であった。強奪し、人を貶め、飢えに追いやる自由だった。

いま必要なのは「弱者にとっての自由」である。そのために必要なのは経済・貿易を秩序立てることである。ではその際に基準となるものは何か?

「弱者の自由」を実現するために必要なもの、それはまず何よりも雇用と労働基準であろう。雇用が守られ、ディーセントな労働基準が設定され、その上で世界各国が平等互恵の貿易関係を保つことが基本モデルとなる。

もちろん市場経済を維持する以上、景気の良し悪しはつき物であり、貨幣の流動性を維持するような金融政策は経済マクロの一環として必要であろうが、それはこのような秩序の下に行われる必要がある。

こんなことを書いてよいのかわからないが、差し障りない範囲で書く。
学生時代の活動家が5人集まった。いまだに旗を守っているのは私くらいか。かなり怪しくなっているが…
何事につけ面倒くさくなっている。とくに人と関わるのが面倒だ。しかしどうも未だやる気のある人間がいるようだ。お互い深入りしないとしても、何か行動を起こせと催促されている気がする。

申し訳ないが、いままで何が争点なのか、いまひとつピンとこなかった。
このたび連載「JAL裁判 何が分かった?」で事情が少し飲み込めてきた。

整理解雇を行わなければ、経営が立ち行かなくなるほどの危機的状況だったのか?

日本航空は破産→再建にあたり、パイロットと客室乗務員165人を解雇した。パイロットたちは解雇反対の闘争に立ち上がったのだが、「整理解雇を行わなければ、経営が立ち行かなくなるほどの危機的状況だったのか」の評価が最大の焦点となった。

稲盛会長は「160名を残すことが経営上不可能ではない」と発言した

再建日航会長に就任した稲盛会長は、2月の記者クラブでの講演で、「160名を残すことが経営上不可能ではない」と発言した。

解雇には二つの理由があった

一つは最初にあげた危機的状況の評価。もう一つは更生計画の人員削減目標というものがあり、その達成が義務付けられているというもの。

ただ最初から二つ上げられていたのではなく、危機的状況にあるとの判断根拠が崩れた後の「釈明」として、二つ目の理由があげられるようになったという関係にある。

解雇通知の時点(2010年末)ですでに危機は克服されていた

日航の2010年度営業利益は2千億近く、過去最高を記録した。もともと再建に当たっての利益目標は250億円だった。

再建スタート時の負債総額は約4千億円。これは2011年3月には一括弁済されている。つまり負債ゼロ、年間利益2千億の超優良企業に衣替えされたことになる。

更生計画の人員削減目標はすでに達成されていた

人員削減目標は日航グループ全体で1万5千人だった。しかし実際に退職した数は1万6千人だった。日航本体では目標1500人に対し1700人あまりが希望退職に応じた。機長では目標130人に対し140人以上が退職、客室乗務員では目標660人に対し760人が退職している。

ただこの希望退職が指名解雇の後に出てきたのか、前に出てきたのかはわからない。後からであれば解雇撤回という訴えになる。

もし前だったらことは重大である。会社は虚偽にもとづく解雇をしたことになり、そもそも解雇が違法・無効であるばかりでなく、それ自体が犯罪行為を構成することにもなる。

なぜ、日航問題がすっきりしなかったかというと、やはり会社をつぶした歴代経営者の責任である。私も医療経営に関わってきたから、稲盛会長の「経営なくして安全なし」という言葉は理解できるし、共感すら覚える。
少なくとも安全を守ることと経営を守ることは、独立した二本の柱として考えるべきで、経営を営利主義と取り違えて、攻撃するのはお門違いである。
解雇撤回闘争の赤旗報道には、雇用を守るのと安全を守るのとを同じ課題とみなす雰囲気があり、これはかえって国民の支持を得にくくしているのではないか。
もっと単純に法律問題に絞って不当性を強調するほうが分かりやすいと思う。過去の乱脈経営の被害者として、そして日航を真に愛するものとして、経営側の責任をもっと厳しく追及すべきだと思う。

「ウォール街行動1ヶ月」と題して、赤旗が特集を行っている。
いくつか面白い内容があるので紹介する。
13日深夜 ニューヨーク市は清掃を口実とした宿泊者の追い出しを断念。NYタイムズによると、公園を所有する不動産会社が追い出しを計画。これを市当局も容認していたが、占拠行動を支持する議員が説得した結果、直前になって延期を決定したとされる。
17日 NYタイムズにクルーグマンが寄稿。「ウォール街の反応は“軽蔑した無視”から“泣き言”に変わりつつある。彼らの怒りは数百万の米国人の心を揺り動かしつつある。ウォール街の泣き言は、少しも不思議ではない」と述べる。
15日 サウジの「アラブ・ニュース」紙の論評が面白い。「現在も続く世界経済の低迷に関して金融機関が果たした役割について、人々の意識を覚醒させることが行動の動機であり、その目的は政府の腐敗と1%の人間の強欲に賛同しない人たちを先導していくことにある」
17日 コネティカットの大学による世論調査が発表された。抗議者の抗議の内容に対し、67%が同意すると答えている。しかし政党支持別に見ると、共和党支持者では同意するのは35%に過ぎない。まだ多くが幻想にとらわれていると見なければならない。
「経済低迷の責任は誰か」との質問に対しては、ブッシュ前政権、ウォール街、連邦議会のワーストスリーで合計80%。オバマ政権と答えたのはわずか11%で、敵は見破られている。
結局これからの運動で頑迷な共和党支持者の壁をどう崩して行くのかが見極めになりそうだ。

(45)酒宴の一夜 (Una Noche De Garufa)

HPでは「知らない曲だったのですが、録音が余りにも良いのでつい聞いてしまいます」と書いています。これはキンテート・ピリンチョの演奏のことです。

UNA NOCHE DE GARUFA

こちらはサッソーネ楽団の演奏。親父ギャクではないが颯爽としています。

una noche de garufa-carlos di sarli


録音が悪いせいもあって、ちょっと冴えませんね。

youtubeにはこれしかありません。ピリンチョもありません。さびしい限りです。

(46)ミロンガのすすり泣くとき (Cuando Llora La Milonga)

HP: この演奏(ロドルフォ・ビアジ楽団)は、まさに掘り出し物です。「すすり泣き」といっても日本人の泣き方とはぜんぜん違います。この演奏については、石川さんの紹介にも載っていないし、「めったに歌われないが歌詞もある」というその歌がついているのも価値があります。

Bandoneon Homenaje al Maestro Marcos Madrigal "Cuando llora la milonga" Tango

ビアジ楽団の演奏はありませんが、代わりにこれがよい演奏です。楽団名は良くわかりません。

CUANDO LLORA LA MILONGA

サッソーネ楽団の演奏で、無難な演奏で音もそれなりに良くて、一応お勧め版です。

CUANDO LLORA LA MILONGA

と言いつつ、ガルデルも歌っています。

Bandoneon Tango "Cuando LLora la Milonga" Hugo del Carril

くせがあってあまり好きになれない演奏です。

Francisco Lomuto - Cuando Llora La Milonga - Tango

古い録音で、あえて取り上げるほどの演奏ではなさそうです。



http://www.yorku.ca/robarts/projects/wto/pdf/apd_ito.pdf

国際貿易機構(ITO) その短かくもあでやかな生涯

自由貿易と完全雇用は友か、永遠の敵か?

ダニエル・ドラチェ

The Short But Amazingly Significant Life of the International Trade Organization (ITO)

Free Trade and Full Employment: Friends or Foes Forever?

Daniel Drache, Director, Robarts Centre for Canadian Studies,

York University, Toronto Canada

要約

世界銀行とIMFと一緒に、国際貿易組織(ITO)は、40年代後半に戦後の新国際的組織の中核を形成した。

世界はそのとき、貿易・雇用・開発のためにふたたび歩み始めたばかりだった。そこでは規範となるべき多くの斬新な考えが打ち出された。それは特にITOのハバナ憲章において顕著であった。

現在のWTOはITOの後身にあたる機構だが、本質的には異なっている。ITOはWTOに比べ重要な特徴を持っている。それはWTOのように貿易のみを、あるいは主として貿易をあつかう組織ではないということである。

そのコアとなる部分で、ITOは「世界の諸国は、国際的な貿易、開発を進めようとするなら、雇用の基準や国内政策との間に隔壁を設け、維持することは不可能だ」と宣言した。

その最も際立った特徴は、従来の貿易障壁を減らす野心的な計画の統合であった。それは投資、雇用基準、開発、独占企業問題など広範囲な問題に取り組み、議論し、合意した。

「貿易と関税に関する一般協定」(GATT)は ITOのフレームワークの一部として交渉され合意されたものである。それはITOの多くの成果の一つである。

さらに、ITOは開かれた世界貿易秩序を創設した。憲章はまた国際労働基準の重要性と南の諸国の発達の必要を認めた。

その他にも成果があった。ITOは貿易摩擦が法律の力より、協議と調停によって解決されなければならないという考えを打ち出した。

最後に、ITOは貿易秩序と労働基準の間の組織化されたつながりを確立した。それは世界的な統治の大きな進歩を生じている。

これらの成果にもかかわらず、そして政府が憲章に署名したにもかかわらず、米国議会はハバナ憲章を批准することを拒否した。

ITOは、貿易諸原則の再構築にあたり、国際的な雇用保障を重要な基準としてふくませることに成功した。それは多国間主義の基礎として位置づけられた。そして完全雇用義務が、「自由市場への傾倒」の思想とともに、憲章の核心として盛り込まれた。

ITOの崩壊は、直接の結果として、国際的に完全雇用時代の決定的な終了を意味した。結局は、その終焉が自由市場に偏った自由貿易規範の迅速な席巻を可能にしたことになる。

その「自由貿易」の規範は、その後徐々にその権威とイデオロギーを全ての国際的組織に押し付け、多国間主義の展開に対して立ちはだかるようになった。

本文書は、ハバナ憲章とITOの計画の妥当性を調べることを目的とする。たとえ明らかな欠点があるとしてもその歴史は非常に魅力的である。、

ハバナ憲章は政府、経済学者と普通の人々が捜し求めてきた道に光を投じる。彼らは新しくより強力な国際経済を建設しようとした。そして雇用の目標と開発のために必要なものがお互いに強めあうべきだと考えていた。

(43)ラ・ジュンバ  (La Yumba)

石川さんによると、ラ・ジュンバとは「タンゴのリズムの擬声語」のことだそうです。これだけバイオリンを打楽器扱いされると、バイオリニストは腹が立ってくるのではないでしょうか。レコードで聞くのと実際に生で聞く印象は相当違うかも知れません。

Osvaldo Pugliese - La Yumba

120番目でようやく見つけました。プグリエセのLP版の音源です。他のプグリエセはひどい録音か、“らくだのかんかんのう”で聞くに堪えません。コロール・タンゴの盗み撮りもありますが、手抜き演奏です。

Orquesta Escuela de Tango Emilio Balcarce en Chaillot-Paris 2008 "La Y

パリでのライブ演奏です。大規模な編成ですが、プグリエセ張りのスタッカートが効いています。

La yumba

これはしっとりとした演奏で意外と掘り出し物です。Denis Plante plays Pugliese's Yumba with a string quartet というクレジットが入っています。

La yumba - Ernesto Baffa.wmv

これも掘り出し物、といっては天下のバッファに対して失礼か。古きよき時代のタンゴのにおいがする。プグリエセやピアソラなんてタンゴじゃないよ、とつぶやいているのが聞こえるようだ。

"la yumba" por Quinteto Bordonero

バンドネオン、バイオリン、コントラバスにギター二挺という変わった編成のグループだ。ピアノは無しで、ちょっと古風な響きがする。腕は一流だ。コントラバス叩きの名人技もしっかりとやっている。

(44)エントレリオスの人 (El Entrerriano)

HP: エントレリアーノといえばアニバル・トロイロが定番だが、ピリンチョの演奏は、さまざまな旋律をくっきりと浮かび上がらせ、この曲の隠れた良さを引き出していると思います。トロイロの演奏ももう少し録音が良いと対旋律や低音部の流れが分かるのでしょうが。

EL ENTRERRIANO.wmv

これがカナロのキンテート・ピリンチョによる演奏。トロイロ楽団の演奏はアップロードされていない。

Beltango & Carlos Buono - El Entrerriano

カルロス・ブオノの演奏だが、えらく端折った演奏だ。

ORQUESTA OSVALDO FRESEDO - EL ENTRERIANO - TANGO

悪くはないが、なにせ1927年の録音で標準的音源とはいえない。

国際通貨金融制度の改革

ジョセフ・E・スティグリッツ(コロンビア大学教授)

*現状と問題点

クローバルな金融制度が機能していない。為替相場と金利の変動が激しい。とりわけ開発途上国がそのリスクを負わされている。

世界的な金融危機は「メードインアメリカ」である。米国が世界に輸出したもの。

規制緩和や資本市場の自由化が銀行や金融機関のカジノ化をもたらした。欠陥のある金融制度が危機を急速に世界に伝播させる役割を果たした。

*金融危機はなぜ起きたか

①「正しい規制」の排除

大恐慌後の40 年間、恐慌はなかった。その理由は大恐慌の教訓に学んだからである。

強力な金融規制が実施され、急速な成長をもたらした。

批判者たちは、規制は技術革新を押さえつけ経済成長の妨げになると主張する。

「これは全くバカげた主張です。正しい規制は経済を刺激し、安定と技術革新を促進するものなのです」

②金融部門のインセンティブの一人歩き

市場経済を機能させる中心的課題は、民間のインセンティブを社会的利益に合わせること。

しかし、金融部門のインセンティブと社会的利益の間には大きな格差があります。

金融部門のインセンティブの一人歩きは、過大なリスクテイクや近視眼的な行動をもたらした。

技術革新は、最大利益の獲得に向けられ、経済をうまく機能させるためのルールを弱体化させた。経済成長やリスク管理の高度化にプラスの効果があったものはほとんどない。

③過少投資(investment dearth)、もしくは過剰貯蓄(savings glut)

為替市場の高い変動性は結果として外貨準備の大幅増加を引き起こす。各国は、所得を支出することよりも貯蓄するほうに向かう。

各国は、十分な外貨準備がなければIMFの政策により経済主権を脅かされ、経済社会に悪影響を及ぼすことを学んだ。

その結果、貯蓄を貧困対策や地球温暖化問題に対処するために使用出来なかった。巨額の外貨準備は世界的な総需要を弱めた。

「節約のパラドックス」と呼ばれる現象が起きている。貯蓄マネーは米国の住宅バブルに入っていき、莫大な金額が浪費された。

貯蓄を本来すべきでない国が貯蓄し、浪費を本来すべきでない国が浪費している。

*世界経済が直面する当面重要な問題

①アメリカの過剰消費

世界的不均衡の一部はもちろん米国の過剰消費によるものであり、ドルが基軸通貨であることで促進された。

世界経済を支えてきたのは米国の旺盛な消費でした。その日は過ぎ去りました。二度とふたたび帰ってこないでしょう。

②他の諸国の過剰貯蓄

世界の総需要の弱さは黒字国の予防的な外貨準備積み上げがその主因となっている。

しかし、準備を積み上げればその国は守られるが、世界的には需要不足をもたらすという合併症を伴う。

ケインズは、黒字国が消費しないことが世界的な総需要不足の一因であると強調しました。不幸なことに、これは今後も長期にわたって直面する問題です。

*過剰貯蓄の理由

①投機資金からの防衛 準備を積み上げる最大の理由はグローバルな変動性に対抗するためである。

③輸出主導の成長路線も外貨準備積み上げをもたらす

③資源輸出国の慎重姿勢: 石油価格や天然資源価格の高騰で潤っている資源輸出国は、当然のこととしてまさかの時に備えて十分な貯蓄を持とうとする。最近の商品相場の乱高下はいっそうその姿勢を強めさせている。

④米国の家計貯蓄率も高まるだろう 

家計貯蓄率が高水準となり、政府の赤字削減が起こるにつれ、世界的な総需要が弱くなる。さらに、危機により「予備的準備」への需要が強まる。


*スティグリッツによる解決策の提案

①世界の金融規制制度の改革

当面絶望的。まずは国内規制を。

②世界の準備制度の改革

今後ドルに過度に依存した準備制度に戻っていくとは考えられないが、二つか三つの通貨による制度は、ドル基軸体制よりも一層不安定なものになる。

だからこそ世界的な準備制度を作ることが必要と考えるのです。

これ自体は古い考えであり、ケインズが約75 年前に述べました。おそらくその考えがようやく日の目を見るときがきたといえるでしょう。

③世界の需要を満たすための貯蓄の還流メカニズム

必要とされるのは、明らかにもっと多くの投資を行うことです。危機以前の世界の金融市場はこれに失敗し、資金は結局非生産的使用に回されてしまいました。

よりよい世界の金融制度を作るにあたっての課題はまさにこの問題に対処することなのです。

出所

ポストクライシスの国際通貨体制を考える
~基軸通貨の将来像とアジアの使命~

国際通貨研究所 

「過剰貯蓄が不景気を招く」といっても、別に私たち庶民の話ではない。
スティグリッツが今日の世界の危機は総需要の弱さに起因するといっている。
そしてその総需要の弱さは、アメリカのバブルの崩壊もあるが、主要な要因は貿易黒字国の過少消費と過剰貯蓄にあるといっている。
なぜ貿易黒字国が過剰貯蓄に走るのか、それは金融規制緩和と資本自由化のためだという。東南アジアのある国の首相がスティグリッツに語ったという。
「我々は97年、アジア通貨危機という学校にいた。そこで十分な準備をもたないとどうなるかを学んだ。二度とその失敗は繰り返さない」
長期的に見て自由化は必須の課題ではあるが、それは金融ギャングを野放しにする「自由化」ではない。犬やペットの放し飼いを野放しにして自分の家の垣根だけは厳重に戸締りするというのは、結局自分の首も絞めることにつながる。
過剰貯蓄などしなくても安心して暮らせるような金融・通貨システムを作ることが一番大事な話なのである。しかし自分だけが安全に暮らせればよいという富裕国エゴにも、「そんなことをしても所詮共倒れだ」猛反省を促したい。
 

むかし子供の頃、ゲームといえばメンコかビー玉(静岡ではラムネといっていた)、たまにベーゴマという相場だった。
乏しい小遣いの中から、それらを買い溜めてはゲームに参加したものだ。しかしゲームには名人がいて、結局は負けて巻き上げられる。
あまりひどい負け方をすると、名人は可哀そうがってメンコを貸してくれたり、時にはただでくれたりもする。しかし結局なくなることに変わりはない。後は遠巻きに見物するしかない。
こういうことがしばらく続けば、メンコはすべて名人のものとなり、ゲームは成立しなくなり、宝物だったメンコはただの紙屑となる。
他の遊びがはやり始め、メンコは忘れられる。

分かることは、貿易というのはゲームではないということである。ゲームの論理を当てはめるのはとんでもない間違いを犯すことになる。「国際競争力論者」はここが分かっていないようだ。

ITOの理念を表現したハバナ憲章というのがあって、その理念に立ち帰れというのがスーザン・ジョージの主張だ。
しかしハバナ憲章については原文も、その解説もネットでは読めないことがわかった。分かったのはこのハバナ憲章を提案したのも、そしてつぶしたのもアメリカだったということ。GATTはITO構想の先進国に都合の良いところだけをつまみ食いしたエセITOだということだ。

TPPにしてもFTAにしても、WTOが失敗したための個別撃破作戦であることは明白だ。GATTとその後身であるWTOがいかなる点で先進国中心主義であり、それがITOのそもそもの目的といかなる点で背馳しているのかを明らかにすることは、決して懐古趣味ではない。

世界基軸通貨がいま再び現実的な課題となっている。その基盤となる公正・互恵の貿易システムが同じように現実的な課題とならないわけがない。
TPPに反対する運動は、同時に世界のあるべき貿易体制を訴えていかなければならないだろう。ITOハバナ憲章の現代における再検証が、ネットの世界にも登場して欲しい。

バンコールで検索していて下記の論説にヒットした。

ケインズの忘れられた貿易機関構想」 ルモンド国際版の記事でスーザン・ジョージという人が書いている。この人の肩書きはトランスナショナル研究所(アムステルダム)理事長となっている。

この論文は、通貨問題を世界貿易のあり方と結び付けて論じているところに特徴がある。そしてケインズの思いを新しい国際経済秩序の創造ととらえて、その視点から評価しようとしている。ここが日本のエコノミストには見られない姿勢である。

少し論立てを追ってみる。

①ケインズは、1940年代はじめに世界貿易のルールを全面的に作り替える構想を打ち出していた。

②そのために提唱したのが国際貿易機関(ITO)の創設である。

③さらにITOをささえる国際中央銀行として国際清算同盟(ICU)を設ける。

④そしてICUの管理の下に国際貿易の決済通貨となる 「バンコール」を発行する。

スーザン・ジョージはこのようにケインズの計画の全体像を整理する。そして「多少の修正は必要にしても、基本的な部分は今でも十分通用する」との判断を下している。

ついで著者はこの構想にかけたケインズの「思い」に踏み込んでいく。

①戦争勃発の原因は、他の国を出し抜こうとする諸国の貿易政策であり、それによって引き起こされた市場の争奪戦だった。

②いかなる国であっても、市場を独占して膨大な貿易黒字を累積させる行為は許されない。

そしてそのための保障として国際清算同盟(ICU)の仕組みを考えた。だからICUは「理想」を持つ国際機関なのである。ここがIMFとの根本的な違いである。

①ICUは諸国の中央銀行にとっての中央銀行である。三菱UFJやリソナにとって日銀が中央銀行であるように、日銀や連銀にとってICUは中央銀行なのである。

②ICUは各国に当座貸越枠を設定する。ICUの発行する「バンコール」は輸出によって増え、輸入によって減る。

ここまでは中銀対市中銀行の関係と同じだ。ここからが違う。

③各国の当座貸越枠はプラスマイナスがゼロに近い状態になることが目標とされる。一方的な貿易不均衡は争いの元となるからである。

④限度額を超えた場合、超えた分に対して利子を支払わなければならない。すなわち過大な貿易黒字もペナルティーの対象となるのである。

⑤逆に赤字国は平価の切り下げを求められ、輸出品の価格を下げることを義務づけられることとなっている。(しかしこれは変動相場制の下ですでに実施されている)

スーザン・ジョージは、「もしこれが実現されていれば、国際貿易は拡大し、労働者の生活も保障され、より多 くの富がより公平に分配され、国際関係はより平和になり、途上国の発展に向けられる資金も増えていたはずだ」と述べている。

しかし、いまの私にはその結論を素直に飲み込めるほどの素養はない。むしろ「他の国を出し抜こうとする諸国の貿易政策や、それによって引き起こされた市場の争奪戦」という状況がいまだに続いている限り、金融政策だけいじってみても無力ではないか、という思いが強い。

世界貿易のルールを全面的に作り替え、平等・互恵の貿易を保障する国際貿易機関(ITO)を創設する課題が先行し、その制度的保障として基軸通貨問題が浮かび上がってくるという関係なのではないか。

おりしもTPP問題が緊急課題として浮かび上がってきていることもあり、ICUやバンコールよりは、「国際貿易機関」(ITO)の歴史的再評価を行うほうが重要と思われる。(ハバナ宣言というのがあるようでこれから探してみる)

 

09年の3月に中国の周小川人民銀行総裁が発表した「国際通貨体制改革に関する考察」という論文は、中国の経済進出の突出を印象付けるものとして注目されたが、その主要な論点である「SDR基軸通貨」構想にも関心が寄せられている。

周総裁はまず提案の理由を以下のように説明する。

「特定の国の通貨(ドルのこと)が準備通貨として使われる場合、それを発行する国(アメリカのこと)は常に自国の利益を優先させ、その政策により世界経済が不安定化する恐れがある」

つまり、ドルを機軸とする現行のIMFシステムは、アメリカの一国支配のシステムであるから、変更しなくてはならないということである。

主権国家の枠を超えた準備通貨の創出を提案している。具体的に、ドルの代わりに、IMFのSDRを準備通貨にすべきだと主張。

そして以下の項目を提案する

①IMFが構成国の外貨準備(の一部)をSDR建てにして集中管理する

②SDRとその他の通貨との(ドルを介さない)決済の枠組みを確立する。

③SDRの機能を政府間の決済機能に留まらず、国際貿易や金融取引に広げる。

④SDRの価値決定を通貨バスケット方式で決め、その構成通貨に新興国の通貨も加える。

これだけの手立てを踏めば、SDRという抽象的な概念がドルと同じような通貨としての機能を持つようになるというのである。

そもそもSDRという概念が理解できないと、この話はちんぷんかんぷんだが、とりあえず簡単な用語解説を載せておく。


SDR(特別引出し権)とは http://www.rieti.go.jp/users/china-tr/jp/090430world.htm

SDRとは、加盟国の既存の準備資産を補完するために1969年にIMFが創設した国際準備資産であり、IMFのクォータ(出資金)に 比例して加盟国に配分される。SDRはIMFや一部の国際機関における計算単位として使われており、その価値は主要な国際通貨のバスケット(加重平均)に 基づいて決められる。バスケットの構成は、世界の貿易及び金融取引における各通貨の相対的重要性を反映させるよう、5年ごとに見直されるが、2006年以 降、各構成通貨のウェイトは、ドルが44%、ユーロが34%、円とポンドがそれぞれ11%となっている。


70年のニクソンショックの後は、このSDRがドルに代わる国際通貨になるのではないかともてはやされたが、その後トンと噂を聞かなかった。とどのつまり金の裏づけのなくなったドルが相変わらず国際基軸通貨として大手を振っているのが現状だ。最初に聞いたときは「何をいまさら…」という感じがぬぐえなかった。売れ残った商品を倉庫の奥から引っ張り出して、厚化粧を施してもたぶん売れないだろうと思う。

第一に、SDRは拠出金方式だから拠出できない国には無縁の衆生である。中国が世界の金融システムに割り込むためのトゥールとしては便利かもしれないが。

第二に、IMFそのものが賞味期限が切れかかっている。97年の世界金融危機以来、途上国は短期資金の導入にはきわめて慎重になっている。そしてIMFは先進国の債権保障機関でしかないと見通している。

第三に、信用創出機能がない調整機関では、金融危機には根本的に対処できない、というIMF(世銀もふくめて)の抱える本質的な問題がある。SDRが貨幣であるためには、量的調整や長期信用とのスワップをふくむ発行権の独占が必要である。それが出来ない限りは補助貨幣の位置づけに留まらざるを得ない。


かつて、中国外交の軌跡を辿ったときに感じたのは、中国の国際路線は多極化論と多国間主義のあいだを揺れ動いているということである。90年代まではソ連崩壊後の一極構造から多極化へということで、みずからもその極のひとつとなることを目指した。これが江沢民時代になって、進歩と発展の陣営の一員として集団的に行動する方向を打ち出した。そして非同盟運動の打ち出した多国間主義にかなり接近した。

しかし湖錦湯時代になって明らかに多極化論への回帰が強まっている。そして経済発展を背景に大国の一つとしてのプレゼンスを増し、それを国際社会にも求めている。とくにリーマンショック以降はその傾向が顕著になった印象がある。

09年7月の在外使節会議(大使会議)での胡主席の演説が、この転換を規定している(10月13日付記事とされるが、この周総裁の発言もそういう流れで読むべきかもしれない。

1530年までの歴史は文献による異同があまりに多く、出典を明らかにし、その信頼性をコメントしながらでないと何も言えないほどです。
これはエルサルに限ったことではなく中米史全般について言えることです。

一般にこの手の問題が発生したときはスペイン系の論文は信用できません。好き嫌いは別にして、アメリカ人の書いた文章で、後ろに参考文献や引用がズラーッと並んでいる文章でなければなりません。

ウィキペディアも、一般的に信用することは出来ません。やはり論文としてきちっとしていないとだめです。

私自身がきわめてだらしない性格なので、大きなことは言えませんが、これだけ問題が紛糾すると、出典を明らかにしながら書いていかなければならないと思います。

どんな文献があるのか。

とりあえずエルサルについて各説の比較を行います。

あくまで相対的なものですが、ネットで利用できるものとしては、まずはアメリカ国会図書館の文献が一番たしかだと思います。

まずはこれで年表を起こしてみたいと思います。

つぎにウィキペディアの「エルサルバドルの歴史」の記載を明朝体で追加記載します。

ついでウィキペディアの関連項目の中に埋まっている事項を、1ポイント小さい明朝で追加します。さらにインターネット上の記事で、出所が明らかで、かつ比較的信頼度が高いと判断されるものも、1ポイント小さい明朝で追加します。

最後に、いまとなっては出典不明ながら、私のこれまでのファイルの中に存在する事項を1ポイント小さいゴシックで記載します。

その後、各項目の突き合わせをやります。その結果を注釈としてイタリックで書き込みます。

これがうまく行くようなら、ニカラグア、ホンジュラス、エクアドルにもこの方式を適用したいと思います。

スペイン人による征服以前のエルサルバドル

この地での主要な先住民はピピル(Pipil)族だった。ピピル族はナウア(Nahua)人といわれる遊牧民族のサブグループである。

ナウア人は紀元前3000年頃にメキシコ方面から中央アメリカに移ってきた。そして徐々にマヤ帝国の支配下に入るようになった。

マヤ帝国の支配は9世紀まで続き、その後衰退した。ピピル文化はマヤ帝国の水準までは到達しなかった。

ピピル族の国家は11世紀に登場した。それは二つの連邦に組織されたが、その連邦は小規模な都市国家からなっていた。

これがウィキペディアでは下記のようになる。

現在のエルサルバドルは3つの先住民国家といくつかの小国からなっていた。

東部地域はレンカ国(Lenca)、北部レンパ川上流の地域はマヤ人系のチョルティ(Chorti)国となっていた。

二つをあわせると、エルサルがどういう構造になっていたかが分かる。それはそれでよいのだが、カントリースタデイでは「二つの連邦」の名前が分からない。ウィキペディアではそもそも二つの連邦があったことさえ記載されていない。

当時のエルサルバドルにはピピルPipils族とトシュトゥヒル族が住み,前者は西部グアテマラよりに,後者は東部から南部の海岸部に勢力を持っていた.

これが私の元ファイル。レンカとトシュトゥヒルは同じものをさしている。両者を突き合わせれば、トシュトゥヒル族が建てた国がレンカ国ということになるが…

Lenca で検索するとウィキペディアで Lenca people という項目が出てくる。これは相当詳しい。

レンカは国の名前ではなく「レンカ人」という概念だ。ホンジュラス南東部とエルサル東部に集団として存在している。現人口は約10万人とされているが、スペインの征服により50万人以上が殺されたと推定されている。ホンジュラスの先住民抵抗運動を率いたレンピラがレンカ人の代表。

ということで、レンカ国は存在しなかった可能性が高い。トシュトゥヒルはとりあえず正文からは抹消しておいたほうがよい。なお Ch'orti' は基本的な生活範囲はグアテマラ・ホンジュラス国境地帯で、あえて取り上げる必要はない。

ピピル族は紀元前3千年頃メキシコから南下したトルテカ,ナウアNahua 族の末裔.その後9世紀にはマヤ帝国の支配下に入った.11世紀にはマヤの支配を離れ,クスカトランとアトラカールの二つの連合王国に再編されていた.

二つの連邦国家の名前が出てきた。しかしウィキペディアにはアトラカールという国名はまったく出てこない。存在そのものが怪しい。抵抗運動の指導者アトラカトルと混同したのではないか。

ピピル族は基本的には農耕民族であったが、多くの大きい都市を建設した。その幾つかは、現代の都市に発達している。たとえばソンソナテでありアウアチャパンである。

ピピル族は勇敢な民族であった。南方へと進出を図るスペイン人に対して決然と対抗した。

その最初がペドロ・デ・アルバラードの率いるスペイン軍との闘いだ。

1524年6月、侵入したスペイン軍は大規模な会戦で敗北し、グアテマラへの撤退を余儀なくされた。

ピピル族抵抗のリーダーの名前はアトラカトル(Atlacatl)で、エルサル人の間では伝説上の英雄として扱われている。

次にウィキペディアの Atlacatl の項目

クスカトラン国の軍を率いた英雄。アルバラード軍がアテウアンに到着しアトラカトルに降伏をもとめた。アトラカトルは住民すべてを山にこもらせた上で、アルバラドを待ち受けた。アルバラド軍が山に侵入したとたん四方から攻撃を受け、軍勢は総崩れとなった。かくして7月4日、アルバラド軍は撤退を余儀なくされた。

2年後の26年8月、ゴンサロ・デ・アルバラド(ペドロの親類に当たる)がサンサルに基地を建設。周囲を徐々に制圧した。

最後に28年にディエゴ・デ・アルバラドが総攻撃をかけた。アトラカトルは捕らえられ絞首刑に処せられた。

ここまではさほど問題となることはない。問題は以下の記載である。

8月 いったんグアテマラに戻ったアルバラドは態勢を立て直し再び出撃。ピピルと同盟を結びトシュトゥヒル族を殲滅.

12 アルバラード,ピピル族のクスカトラン,アトラカール両王国を制圧.ピピル族は山岳部に入り抵抗を続けたため,アルバラードはいったんイシュムチにもどり部隊を再編.

これはかなり眉唾である。深手を負ってグアテマラに引き下がったアルバラードがわずか2ヶ月で前線に復帰し、数ヶ月の戦いの末にピピルを制圧したとは考えにくい。翌年になってもアルバラードは戦闘の指揮を腹心にゆだねているのである。

また、ここでもトシュトゥヒル族が出てくるが、文章を素直に読むと、トシュトゥヒルはひとつの国家であり、ピピルの東ではなく西側、グアテマラとクスカトランの間に存在したと考えたほうがよさそうである。

1525年、第二回目の侵入が行われた。そして1528年に3回目の侵入が行われ。エルサルはスペインの手に落ちた。

1525年に、彼は再び侵攻し、メキシコのアウディエンシアの支配の下に置くことに成功した。

2回目の侵攻はペドロ・デ・アルバラードが直接率いたわけではない。誤解を招く表現である。エルサル征服史に登場するアルバラードは4人いる。一人はペドロその人、二人目はゴンサロで、ペドロの親戚とされるがどういう関係かは不明。しかしこのゴンサロがエルサル征服を実際に行った人物である。三人目がディエゴ(ペドロの弟)。この人が28年に征服の総仕上げを行った。そして同じ28年、4人目のホルヘがサンサルの町を再建した。これら4人の関係については諸説紛々で、追究するのがあほらしくなってしまう。

アルバラードは、この地域をエル・サルバドルと名づけ、最初の知事となり、1541年に死亡するまでその地位にあった。

混乱の最大の元が見つかりました。

下記のサイトはワシントンのエルサル大使館のホームページです。ここにHistory of El Salvador というページがあるのですが、これが間違いだらけなのです。

http://www.elsalvador.org/embajadas/eeuu/home.nsf/

29a8e24e84ab372085256af80057bb56/

6da61722b49b5a3785256b09006eb2b5?OpenDocument

24年6月にペドロがクスカトランに侵攻したというのはいいのですが、17日間の血戦のすえ、アトラカトルは戦死、アルバラドも負傷しグアテマラに撤退、と記載されています。

そして弟のゴンサロが戦闘を継続。いとこのディエゴが25年の4月にサンサルを建設したとあります。そしてサンサルの地をスチトト市の近くのラ・ベルムーダと呼ばれる場所だったと書いています。

この記載はきわめてユニークなもので、他の記事とも矛盾が多いものです。正確な記載を要求したほうがよいかもしれません。

観光案内を見ると、どうもラ・ベルムーダは関係のない記載のようです。28年に再建されたサンサルは現在はシウダ・ビエハと呼ばれるところです。その前25年に建設された場所は、いまはどこか分からないようです。

ラベルムーダには建国直後に作られたアシェンダがあってそこも観光名所になっているようです。

「郵便ポストが赤いのも…」が柳亭痴楽のせりふなのかがどうも確証がつかめなくて、ネット漁りをしていた。

そこで坂口安吾の「“歌笑”文化」という一文に出会った。中央公論の昭和25年8月号に載ったエッセイである。

 http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/43193_22385.html

柳亭痴楽の兄貴分に当たる三遊亭歌笑という落語家がいて一世を風靡した。しかし進駐軍のジープにはねられてあっけなく死んでしまった。その死を悼む文章なのだが、どうも褒めているのか貶しているのかわからない文章である。

しかし歌笑をだしにして、芸術家気取りの落語家や通ぶった客を、これでもかこれでもかと罵倒するあたりは実に痛快である。


落語家が、歌笑をさして漫談屋だとか、邪道だというのは滑稽千万で、落語の邪道なんてものがあるものか。落語そのものが邪道なのだ。

落語が、その発生の当初においては、今日の歌笑や、ストリップや、ジャズと同じようなパンパン的現実のもので、一向に通でも粋でもなく、恐らく当時の粋や通の老人連からイヤがられた存在であったろうと思う。

大衆の中に生きている芸術は、常に時代的で、世俗的で、俗悪であり、粋や通という時代から取り残された半可通からはイヤがられる存在にきまったものだ。

それが次第に単に型として伝承するうちに、時代的な関心や感覚を全部的に失って、その失ったことによって、時代的でない人間から通だとか粋だとかアベコベにいわれるようになった畸型児なのである。

だいたい庶民性をまったく離れて、骸骨だけの畸形児となった落語のようなものから、けっして一流の芸術家は現れない。一流たるべき人間は、はじめから、時代の中へとびこむにきまっており、ジャズや、ストリップや、そういう最も世俗的な、俗悪なものの中から育ってくるに きまったものだ。

現代においては俗悪な、そして煽情的な実用品にすぎないジャズやブギウギが、やがて古典となって、モオツァルトやショパンのメニュエットやワルツと同じ位置を占めるようになるものなのだ。いかなる典雅な古典も、それが過去において真に生きていた時には、俗悪な実用品にすぎなかったのである。

昔の型から一歩もでることができずに、大衆の中に生き残ろうなどとムリのムリで、 粋とか通とかいわれることが、すでに大衆の中に生きていないことのハッキリした刻印なのだ。

別に何の意味もない、そのまんまである。ふと思い出して、口ずさもうとするのだが、別れたっていいじゃないか、泣くことないじゃないか。あいつだって真剣に愛してくれたんだ。
…の後が出てこない。
いまは便利なもので、グーグルに知っている歌詞を入れて検索するとすぐに答えが出てくる。
昭和33年のヒット曲で歌手は神戸一郎。ほぉーっ、そうだったのか。作詞は西条八十。さすがだ。いかにも東京弁、なかなか田舎ものには使えない言葉遣いだ。
静岡なら「別れたっていいじゃん、泣かなくたっていいじゃん」となる。間違えても「泣くことないじゃないか」とギラは使えない。
それはともかく、その後の歌詞。
ああ 花もしぼむさ
  小鳥も死ぬのさ
と歌謡曲にあるまじき言葉が続くのである。
失恋した女友達を男が慰めるというシチュエーションもかなり特殊だが、それにしてもこの言葉、まったく慰めにはなっていない。いったい花がしぼむのと、小鳥が死ぬのと、二人の恋が終わるのとはどういう関係があるのだ。
柳亭痴楽ではないが、「郵便ポストが赤いのも、電信柱が高いのも、みんな私が悪いのよ。そしてあなたのせいなのよ」という台詞と選ぶところはない。
ひとつ間違えれば、「あんたも死んだら…」とも取れかねない。
だからこの歌、誰もが「別れたっていいじゃないか」は憶えていてもその後が記憶にないのだろう。
それにしてもこの西条八十という男、才能はべらぼうだが、何を考えているのか分からないところがある。

昔の更新記録の文章を再録する。

2006.12.23
 別のことを調べていて、たまたま面白いページに出会いました。「東京行進曲」の裏話が載っていて、二番の歌詞はもともと違っていたということを知りました
 「当時は、マルクス主義の全盛の頃で、〈シネマみましょうか、お茶のみましょか、いっそ小田急で逃げましょか〉は最初、〈長い髪してマルクスボーイ、今日も抱える赤い恋〉だった。西條八十は、当時、ビクターの文芸部長だった岡庄五の「官憲がうるさい」という言葉に折れて瞬時に言葉を組み替えた」のだそうです。まさに「いっそ小田急で逃げましょか」ということです。その類まれな文才と、類まれな無節操さが浮き彫りになったエピソードですね。







バンコールというのはケインズが提唱した世界通貨の名前だ。バンク(銀行を表すゲルマン語)とオール(金を表すフランス語)を合成した用語で、あえて重箱読みにしたところにケインズの思いがあるのかもしれない。

いまその名前がふたたび取りざたされるようになった。それはネオリベラリズムの流れに対抗するものとしてのケインズの復活を示すものと受け止められている。しかし経過を深く読んで行くと、単純な学説間の優劣ではない。それは第二次世界大戦というファシズムに対する生死を賭けた闘いの中で、世界の民主勢力が目指した理想であり、一度は挫折しながらも、パックス・アメリカーナの60年を経て復権しようとしている と捉えるべき側面を持っている。

 

バンコールが話題となってきた理由

08年のリーマン・ショックの影響は激甚だった。それはほとんど金融恐慌といってよい規模のものであった。各国政府は協調して金融支援に当たり、当座の経済崩壊は食い止めた。しかしそれは国家財政に重いツケとなって残った。ギリシャを責めるのはお門違いであり、悪いのは散々道楽をしてツケを国家にまわした銀行やファンドの連中である。そして新自由主義の御旗の下に彼らを保護・育成してきた大国の責任である。

金融資本を規制するのはどうしても必要だが、それでは根本的な解決にはならない。そもそも世界にはどういう経済システムが必要なのか、その根本の所が問われるようになったのは当然のことである。そして一国の通貨に過ぎないドルを世界の基軸通貨とするIMF体制が、諸悪の根源として浮かび上がってきたのだ。

ドル機軸体制の弊害を緩和しようと、あるいはより積極的に打破しようとする動きはこれまでにもあった。その典型がユーロである。そのほかにも静かに進行しているチェンマイ・イニシアチブ(拙稿 たかが金貸し風情が出過ぎたまねをするんじゃないよ を参照されたい)、大騒ぎの割にはあまり進行しないラテンアメリカの決済機関構想などがある。しかし今回のユーロ危機を見るまでもなく、多極化の動きだけではドル支配体制の打破はきわめて困難である。

世界経済の混乱を救うためには世界通貨の創造しかない、そして国際的な決済機関が各国の発展を保障するような形で創設されなければならない。そう考えたとき、IMF創設の際に葬り去られたケインズ構想がふたたび注目されるようになったのは、ある意味では必然のことだったかもしれない。

 

2006.3.09 の更新記録の記事です。そうは言ってもGDP成長率1%くらいは確保しなければだめだし、貿易収支+資本収支+所得収支のトータルでのゼロバランスと考えるべきだと、今では思います。ただケインズの国際通貨論を勉強して、国際関係はプラマイゼロが基本なんだなと改めて感じたので、もう一回引っ張り出してきたしだいです。


 
情勢分析には、現実の動きと傾向をもとにするsituation分析と、もう少し長い目で時代を見るtrend分析があ ります。時代の基本が少子高齢化社会であることは間違いないでしょう。それは単純に考えればGDPの低下であり、総体としての貧困化です。社会心理学的に 見れば意欲や欲望の低下です。
 しかしそればかりでは困るわけで、高齢化社会なりに社会的活力を維持しなければなりません。これは若い人たちにとっての問題ではなく、実はこれから高齢者の仲間入りをする我々の問題なのです。
  日本の社会における強者たちは、「国際競争力を維持し企業活力を高めるためには、いっそうの富と資源の集中が必要だ」と考えています。それが「格差は当 然」の発言を呼び、社会保障の改悪に次ぐ改悪をもたらしています。しかし、この考えには無理があります。それは一時的に企業の意欲を強めたとしても、国内 需要の裾野をさらに冷え込ませ、社会全体の活力を弱める結果にしかならないからです。
 あるべき日本型高齢社会の基本目標として「国際競争力と企業活力の維持」を掲げるのには、そもそも無理があるのです。身の丈にあわせて「持続可能な発展」を追求していくべきです。そのことを国民的理解としなければなりません。
  目指すべき「日本型少子高齢化社会」の基本は、バランスのとれた貿易・財政と、均等社会の維持にあります。GDP成長率ゼロ、貿易黒字ゼロ、資本黒字ゼ ロ、財政赤字ゼロが数字目標となります。そのために大企業に対する社会的規制と裾野型産業の育成、行政による再分配機能の強化を強めなければなりません。
  同時にこの時代には終わりがあること、やがて出生と死亡のバランスが回復し、着実な増勢に向かう時期が来ることも理解しなければなりません。それまでの数 十年にわたる「移行の時代」をいかに作り上げていくのか、いかなる「日本型少子高齢化社会」を実現するのか、それこそが時代の要請する課題です。
 それはなによりも、自らが高齢者となって行く「われらが世代」の課題でもあります。「情勢負け」せず、当事者世代として旗印も掲げ声も上げ、自らの社会活動のあり方を提示していくことがだいじです。

この闘争は遠からず終局を迎えるだろう。しかしその種子は全米、全世界に広がるだろう。
この闘争はいろいろな運動と似ている。日本で言えばテント村運動だ。かつての全共闘やべ平連とも似ている。運動に近づきすぎると全体像を見誤る危険がある。この運動はサーファーなので、肝心なのはサーファーを動かす巨大なうねりだ。つまり労働運動と青年運動の合流だ。
若者は闘いを求めている。文字通り一触即発だ。しかし本格的な闘いに参加するのはためらっている。それは当然だろう。
だから一種のお祭り騒ぎで、権力からも攻撃されないような最小抵抗線を選ぶ。スローガンも一見戦闘的で、実体としてはあいまいなものを選ぶ。本当に闘おうとすれば、一生を棒に振る覚悟をしなければならないからだ。
そこを労働者が後押ししている。後押しするということは、一面からいえば、「この道は一度信じたら逃げられない道なんだよ」という覚悟を迫ることでもある。だからあいまいなスローガンの割には闘いの基本線がぶれない。これが「ウォールストリート占拠闘争」の大きな特徴だ。
もうひとつの巨大な変化は、労働運動自身の階級意識の先鋭化だ。率直に言ってAFL・CIOが占拠運動を支持したことさえ信じられない。かつてのAFL・CIOといえば反動の手先、というより主柱のひとつだった。それが占拠行動の支援に参加するとは時代も変わったものだ。

しかし傘下の主力組合の名前を見て行くと、それもうなづける。大企業の労働者たちは労働運動から遠ざかり、いまや看護婦や教師やトラック運転手などの周辺産業労働者がAFL・CIOを支える時代となっている。労働運動の再生が問われる時代を迎えているのだ。
NYタイムズに紹介された内部討論の中身を見ると、慎重論者もふくめて、基本的にはやる気満々なのが分かる。「それは俺たちの課題だぜ!」という感じが伝わってくる。
何よりも、この労働者と青年の結びつきに注目しながら、事態を引き続きウォッチして行きたい。


1万人が大行進に参加

10月05日 ALF・CIOのトラムカ議長、「ウォール街に説明責任と雇用創出を求める彼らの決意を支持する」と表明。「若者の行動を横取りするつもりはない」、「われわれは全米でデモ参加者を支援し、今後も互いに協力し合っていく」と述べる。ALF・CIO(米労働総同盟産別会議)はアメリカ最大の労働センターで、1220万人の組合員を組織する。

ニュー ヨーク・タイムズが内部の議論を紹介している。
AFL・CIO幹部 は「今が具体化の時だ」と言い、多くの労組は運動への参加をコミットした。
一部幹部は、彼らは労組を「運動を取り込み運動を疎外する者」とみて反発するだろうと懸念した。
他の幹部は、政府糾弾を叫ぶ極左活動 家に悩まされるのを恐れた。
しかしある労組では、下部組合員から「我が労組はなぜウォール街にいないのか」と突き上げがあったという。

10月05日 占拠運動への連帯デモ行進。参加者は1万ないし2万人規模と推定される。ズコッティ公園(通称・自由広場)を出発し、約1キロ北の連邦ビル前までかねや太鼓を鳴らして「ウォール街を占拠せよ」などと訴えながら行進した。

10月05日 連邦ビル前での打ち上げ集会には運輸関係の労組や教職員組合、看護師の組合など約15の労組、ホームレス支援団体など20以上の市民団体のメンバーも参加した。

参加した労働者は、「若者が声をあげているのは、すばらしいことだ。彼らは大学に行くにも金がなく、学費を獲得するのに大きな借金を背負うが、卒業しても職がない」と連帯の気持ちを示す。

10月05日 夕方後に一部がバリケードを設置。バリケードを押し進もうとする約200人の参加者に対して警察は催涙スプレーで応戦する。この衝突で若者数名が逮捕される。

10.05 抗議活動の拠点になっているリバティスクエアには数百人のデモ隊が泊まり込む。支援の食料・物資が豊富に出回っている。(肥田美佐子のNYリポート

広場には市内や全米各地からの注文で届いたピザや水が常にある。組織はかなり確立されてきて おり、合議を導く「ファシリテーター班」、救急箱を持って歩く「医療班」、食料の寄付や調達を仕切る「フード班」がある。なかでも、メディア班は重要な役割を果たしている。広場の真ん中に発電機を備え、常に数人がパソコンに向かい、合議やデモの様子をほぼ24時間オンライ ンの動画で流すほか、ツイッターやウェブサイトの更新から、警察の暴力を撮影したビデオを動画共有サイト「ユーチューブ」に貼付ける作業をしている。

10.05 ガイトナー米財務長官、占拠運動を念頭に置きながら「市場が提供できない重要な経済機能がある。それは政府と政治が実行すべきだ」と強調。

政界の発言が相次ぐ

10月06日 オレゴン州ポートランドで占拠運動を支持する約4,000人のデモ行進。ほかにヒューストン、タンパ、サンフランシスコ、フィラデルフィア、シカゴ、シアトルなど全米十数カ所でもデモが発生する。

10月06日 オバマ大統領がデモ運動に対して最初の発言。

発言要旨: 米国民は20年代の世界恐慌以来最も深刻な金融危機を経験し、米国の各地、各業界が大きな損失を被った。
②にもかかわらず、金融業界は依然として無責任な行為がはびこっている。
③『ウォール街占拠」』をはじめとする抗議デモからも国民の不満は明らかだ。

10月07日 バイデン米副大統領も 「ウォール街を救うための駆け引きにより、国民に不和が生じている。国民は体制に不公平さ、不平等さを感じている」と語る。

10月07日 エリック・カンター共和党院内総務、「デモ参加者はいずれも暴徒だ」と発言。民主党のナンシー・ペロシ下院院内総務は、カンターを批判し、「民主主義は表現の自由を認めている。デモの主張がウォール街や政治の場に届くように支援する」と発言。

10月07日 ブルームバーグ・ニューヨーク市長、「金融業は市の経済にとって重要な要素で、金融業がなくなれば、公務員に給料を払うことも、街を清掃することもできなくなる」と非難する。

10月07日 英フィナンシャル・タイムズが論評。「大手労働組合も参加したデモでは参加者に無邪気さがなくなり始めた。デモ隊の理想主義にどこか説得力があるだけに、左翼と結びつくのは残念だ」と警告し、「デモ隊はまもなく強制退去させられるだろう。しかし我々は彼らを忘れない」とおちゃらかす。

10月07日 AFL・CIO、占拠運動を支持することを決定。傘下の地方公務員組合連合(AFSCME)と通信労組(CWA)、合同運輸労組(ATU)、全米看護師組合(NNU)の4労組もデモに加わり始める。

10月07日 米民主党、「反企業ポピュリズム」がはらむ危険に対処しつつ、階級闘争の責任を負わされずにそのエネルギーを利用しようと動く。(肥田美佐子のNYリポート

10月07日 “富裕層”からも共感する意見が発せられるようになる。

①ダラス地区連邦準備銀行のフィッシャー総裁は「あまりに多くの人々が仕事を失い、その期間もあまりに長い」とし、デモをする若者たちに対し「不満は理解できる」と述べる。
②ゼネラル・エレクトリック(GE)の金融事業部門、GEキャピタルの最高経営責任者(CEO)を務めるマイケル・ニール氏もロイター通信に「人々は本当に怒っている。理解できる。私が今失業していれば、同じように怒るだろう」と語る。

10月08日 約1千人がズコッティ公園からワシントン・スクウェア・パークまでデモ行進。

10月09日 ワシントンでもホワイトハウス周辺で「人口の1%の富裕層の貪欲と腐敗」に抗議する集会。(参加者は100人程度で、この位は年中行事。あせった外国記者が手近のワシントン取材でお茶を濁そうとしたものか)

10月10日 数百人の大学生がボストン中心部をデモ行進。「企業ではなく教育に資金を」などと訴える。

10月11日 ボストン市内の公園で1週間以上にわたってテント生活をしていた占拠運動参加者が、住居侵入罪で一斉逮捕される。

10月12日 数百人のデモ隊が、JPモルガン・チェース本部前で抗議活動を行う。この行動で4人が逮捕された。

10月12日 ウォール街近くで事務所清掃員や警備員が経済的不平等に抗議するデモ行進。

10月12日 ブルームバーグ・ニューヨーク市長がズコッティ公園を訪れ、14日に同公園を清掃することをデモ参加者らに通告。同時に参加者が法を順守する限り使用継続を認めるとも表明。

10月12日 ロスアンゼルス市議会、「オキュパイ・ロスアンゼルス」運動を支持するとした決議を全会一致で可決。市議会による公的な支持の表明は初めて。

10月13日 占拠運動の全国連絡組織「オキュパイ・トゥゲザー」、最低でも全米118の地域でかつどうが行われ、計画中のものは1367に上ると発表。


 



労働組合の合流の動き

9月27日 労働者の合流が始まる。週5日制配達に反対する郵便労働者がリバティ・プラザで集会を開く。コーネル・ウェスト教授が演説し2千人の聴衆を集める。

9月28日 全米運輸労組(チームスター)に属するニューヨーク運輸業労働組合が占拠運動の支援を決議する。「ウォール街に集結した抗議者の声は、まさに労働者の家族の声である」との声明を発表。10月05日に大規模な集会と行進を予定し、参加を呼びかける。

9月29日 サンフランシスコで占拠運動に共鳴するグループが銀行への抗議行動を計画していると報道される。

9月30日 2回目の週末を迎え、労働組合の代表含む1,000人以上の参加者が、弾圧に抗議し警察本部までデモ行進を行う。

9月30日 ニューヨークのブルームバーグ市長、「抗議する権利はあるが、抗議に煩わされない権利もある」と述べ、運動を抑止する姿勢を示す。

9月30日 AFL‐CIOのリチャード・トラムカ会長、「労働組合は全国レベル、地方レベルの双方で『ウォール街占拠』に参加している」と発言。

9月30日 ボストンでは労働組合や市民団体など34組織でつくる活動団体が結成され、デモ行進などを実施。ロサンゼルスでは市内の広場から市庁舎までデモ行進。バンク・オブ・アメリカ(BOA)のビルのロビーからの退去を拒否したとして、参加者25人が警察に逮捕された。

9月30日 ニューヨーク市立大の歴史学教授ジェラルド・レニークが、占拠運動を支持するコメント。

今起こっている現象は、金融業とカジノ資本主義を基盤とする奇態な経済モデルの総決算だ。この運動が提起しているのは、“我々には新しい選択肢が必要である”ということだ。その選択肢は、「文明の新しいモデル」というべきものだ。

ブルックリン橋の大量逮捕事件

10月01日 雨模様にもかかわらず、若者など2000人以上がウォール街に集結。「富裕層に増税を!」「99%の米国人よ、声を上げよう!」などと訴えた。集会後ブルックリン橋方面にデモ行進を開始する。

10月01日 ブルックリン橋の大量逮捕事件。5千人のデモ隊を警察が襲い、700人が逮捕される。

10月02日 ブルックリン橋事件の動画が公開される。アップ主は「警察が“参加者が交通に支障をきたした容疑で逮捕するために、橋の車道を歩くよう誘導した」と主張する。

10月02日 昨日の大量逮捕に対する抗議行動に1千人が結集。コロンビア大学のジョゼフ・スティグリッツも抗議行動に参加し発言。

スティグリッツの発言: 2500万人が正規の雇用に就けない現状を考えれば、こうした運動が起きるのは自然で、むしろ遅すぎたくらいだ。現状を変えようという大きな運動の始まりなのだ。

10月02日 オキュパイ・ロスアンゼルスの市庁舎へのデモに3千人が参加。一部は市庁舎周辺で泊り込みを開始する。

10月02日 グーグルとツイッターが、ウォール街での抗議行動に関する記事の検閲に踏み切る。「ウォール街を占拠せよ」をグーグルで検索すると、「このブログは削除されており、ご利用できません」と表示されというもの。またツイッターもアクセス件数の多い、「ウォール街を占拠せよ」のタグの追加を阻止する。

10月03日 参加者数百人が「企業ゾンビ」に変装しウォール街を練り歩く。

10月03日 ニューヨーク市中央労働組合評議会の呼びかけで、全米運輸労組ローカル、介護・看護労働者労組、全米鉄鋼労組、教員連盟、米国通信労働者組合がシティーホールに結集。占拠運動の支援策を協議。

メディアがこぞって占拠運動を取り上げる

10月03日 CNNニュースが全国の占拠運動について報道。ウェブサイトには「革命が起きつつある。ただニュースにならないだけだ」とのスローガンが掲載される。そして全米に広がるこうした動きを「さまざまな人種、性別、政治理念を持った人々による指導者のいない抵抗運動」 と表現。唯一の共通点として「1%による腐敗と私利私欲をもはや容認できなくなった99%が我々だ」と述べ、米国の富裕層とそれ以外の層の間には深い溝があると指摘している。

10月03日 ヘッジファンドの元凶と目されてきたジョージ・ソロスがインタビューに応え、「アメリカでは多くの中小企業が倒産する一方、銀行の不良資産を事実上軽減するような決 定が銀行に巨利をもたらしている。率直に言って(デモ参加者の)気持ちはわかる」と表明した。

10月03日 オノ・ヨーコ、デモを称賛するネット発言。「英雄一人では事をなし得ない。我々一人ひとりが英雄にならなければ」と激励する。

10月03日 ニューヨーク日本総領事館は占拠運動に「興味本位で絶対に近づかない」よう呼びかける。

この日、“興味本位”でリバティスクエアを訪れたある日本人の感想: ほとんどの人に共有された問題意識があることは、リバティスクエアで何人かの人と話せばすぐに気づくことです。
それは雇用不安や借金づけの経済が限界に来て多数の人々が崖っぷちに立たされているということ、その原因は一握りの株主・企業経営者やそれ と癒着した政治家などの富裕層が政治経済を支配して自分勝手な政策をやってきたことにあるという考えです。強欲・利益が人間の尊厳よりも優先される現在の行き過ぎた資本主義を変えなければ明るい未来はない、といった思いです。
富裕層の進めてきた新自由主義政策(自由市場が何でも解決するという考え)は完全に誤りでした。 ミドルクラス幻想はもはや米国でも色あせていて、ほんの一握りの富裕層と虐げられた我らという階級感覚が生まれています。「私達が99%だ」という一番人気のあるスローガンがそのことを象徴的に示しています。この感覚が多くの人に共有されているからこそ、占拠運動への支持が広がっているのだと思います。

「ウォール街を占拠せよ」(Occupy Wall Street)運動の経過

 むかし、レーニンの創設した新聞が「イスクラ」といって、火花という意味だそうです。「一片の火花がたちまちのうちに燎原の炎となって燃え広がる」とうたった詩があって、これからとったそうです。そんな学生時代を思い出しました。

運動の引き金

7月13日 カナダのエコ・グループがウォール街での平和的なデモ運動を提案する。これにニューヨークの若者グループが合流。

さまざまなレポートを総合すると以下のようになる。
①カナダのバンクーバーにある環境問題を扱う雑誌「アドバスターズ」の編集者カレ・ラースンが、「アラブの春」革命に感動した。
②ラースンが感銘を受けたのは、ツイッターが若者を結び付け運動の発火点になったことである。彼は同じようにツィッターを出発点にした運動を始めようと思い立った。
③ラースンは、この雑誌が持つブログに、「9月17日にウォール街を占領しよう」との呼び掛けを発表した。
④「米国人の上位1%が、下位90%をあわせたものより、さらに多くの所得を上げている」、「銀行家らは景気のよい時は私腹を肥やし、破産寸前に追い込まれると、政府に借金だけ押し付け、国民を失業者に追い込んでいる」などと主張する。

8月23日 ハッカー集団「アノニマス」がこれに賛同し抗議運動への参加を呼びかける。

最初の占拠運動

9月17日 ウォール街占拠行動がはじまり、推定1,000人が集まる。「われわれは99%だ。強欲で腐敗した1%にはもう我慢できない」がメインスローガンとなる。警察は“リバティ・プラザ”でのテント設置の禁止とデモ規制を行う。このため参加者の多くはウォール街の歩道を歩き続ける。

初日のデモで掲げられたプラカードの内容(ウィキペディアによる): ①政府による金融機関救済への批判 ②富裕層への優遇措置への批判 ③「グラス・スティーガル法」の改正による金融規制の強化 ④高頻度取引の規制

9月19日 この日7人が逮捕される。ウィキペディアによれば、ビルに立ち入ろうとした二人が逮捕され、顔が見えないマスクをつけていた4人組が逮捕される。

9月18日 広場で「総会」が開かれる。5時間にわたる討論の後、翌日からウォール街でデモを展開することを決定。

逮捕につながるような行為はせず、ウォール街の通行人を妨害しないなどを議長団が提案。挙手による投票で満場一致で提案を承認。またデモに行く 「アクション班」と、今後の問題を考える「ディスカッション班」に分かれることでも合意。(「総会」に居合わせた津山恵子さんの貴重なレポート)

9月19日 広場に残った青年ら500人がニューヨーク証券取引所前を練り歩く。行動は午前9時半の株式市場 取引開始時と、午後4時の取引終了時の2回。段ボールのプラカードや太鼓・ラッパを持って歩道を歩くだけ。その後この行動が日課として定着する。

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MikSの浅横日記より拝借

9月19日 カレントテレビがデモを取材。以後カレントテレビは連日抗議行動を報道。取材に当たったオルバーマン記者は、「なぜ主なニュース番組でこの抗議運動が取り上げられないのか? もしこれがティーパーティーの運動だったら、主要メディアは毎日トップで取り上げているだろう」と批判した。

9月19日 オバマ大統領、今後 10年で約3兆ドルの財政赤字を削減する計画を発表。その約半分を「ブッシュ減税」の廃止など、高所得の個人や企業に対する増税でまかなう計画。

9月22日 黒人人権運動のグループによる2千人のデモがウォール街占拠運動に合流。このとき行進参加者2人が逮捕される。

9月23日 ガーディアン紙やニューヨーク・タイムスが占拠運動を批判的に紹介。警察はリバティスクエア(正式にはズコッティ公園)の「占拠」については基本的に不介入の姿勢 をとる。(世間の注目と共感の高まりがリバティスクエアを支え守っているのは確かだと思います、とのコメントあり)

9月23日 「シカゴを占拠せよ」と呼びかけた連日デモが始まる。

9月23日 米Yahoo!、抗議行動のサイト名(occupywallst.org)をふくむメイルをブロッキング。ヤフーは事実を認めたうえで、スパムフィルターの誤動作によるものだとし謝罪。

最初の衝突 80名が逮捕

9月24日 週末に合わせ全米から参加者が結集。警察は「住宅地区への行進でいくつかの通りが混乱した」ことを理由に大量逮捕に乗り出す。この取締りで少なくとも80人が逮捕された。

9月24日 弾圧の模様がインターネット上でアップロードされ、「若い女性が警察官に催涙スプレーをかけられる」場面が注目を集める。

9月24日 津山さんのレポートによれば、1000人あまりの新手の参加者が自発的にデモ行進を敢行。このデモ隊がニューヨーク市警と衝突し、100人近い逮捕者が出たという経過のようだ。

「一網打尽」方式: 現場にいたスペイン人のマリウスさん(19)によると、警察は何もしていない女性2人に催涙ガスを使用し、動揺した通行人も含む90人あまりが、警察が 広げた赤い網の中に囲い込まれ、逮捕された。警察は、逮捕者を運ぶ車両が足りないため、通りかかったニューヨーク都市交通局のバスを止め、全員を警察署まで運んだという。

9月25日 「アノニマス」がYOUTUBEに動画をアップロード。警察に対し「36時間以内に残虐行為があれば、ニューヨーク市警をインターネット上から消去する」との“脅迫”を発表する。

9月26日 占拠運動、催涙スプレー事件の当該警察官の収監と警察委員長の辞任を要求。この日の夕方、映画監督のマイケル・ムーアがリバティ・プラザで演説を行う。またチョムスキーが運動を強く支持するとのメッセージを発表。(マイケル・ムーアは2009年製作の『キャピタリズム:マネーは踊る』の終場面、ウォール街を包囲するといって単身で金融機関のビルに突進する)

歴史的な会談だと思うが、赤旗の扱いは大きくない。

そもそも2005年7月 温家宝首相とベトナムのファン・ヴァン・カイ首相が昆明で会談している。このときフィリピンをふくめた3カ国で南シナ海の油田の共同探査を早期に開始することで合意した。
これが進行しないまま、ふたたび両国は独自の開発計画を進行させ、そのたびに軋轢が強化された。

その動きを先行したのは中国側であった。とくに08年末のリーマンショックとそれに続く世界金融危機で、米国の地位は相対的に低下したと評価した中国が、強硬な外交姿勢に転じたことが背景にあるとされる。
赤旗の連載「9.11から十年 世界はどう変わったか」では、09年7月の在外使節会議(大使会議)での胡主席の演説が、この転換を規定していると見ている。
演説内容は詳しくは述べられてはいないが、湖錦湯は「外交を前向きに、主導的に行う」と述べ、国際秩序構築に積極的な姿勢を示したという。

…その後、09年から10年に南シナ海や東シナ海での領土問題などさまざまな問題で、米国や周辺諸国とのあいだで摩擦が起こりました。

もちろんこの記事は日本共産党の公式見解ではなく、囲み記事の中の一説に過ぎない。それにもかかわらず、この指摘は重要である。

これに対し、1年半後の10年12月、戴秉国国務委員が論文「平和発展の道」を発表。この中で「中国が米国に取って代わって世界に覇を唱えるというのは神話である」と述べた。これは湖錦湯の強硬路線を批判したものとされる。

こういう中国党・政府の二つの傾向を伏線に南沙問題を見ると、かなり見えなかった部分が見えてくる。それは戴秉国に代表される「正統派」が、湖錦湯の押さえに回っている流れである。

尖閣問題で最終的に落しどころを決めたのも戴秉国であった。南沙問題でベトナムと交渉し和解の方向を打ち出したのも戴秉国だった。

私のブログの6月28日付にはこう書いた。

南沙諸島をめぐり緊張が続いていた中国とベトナムの間で、高官級の会談が持たれ、「平和的解決」の方向で一致したと報道された。
中国側の交渉代表は戴乗国であり、合意は党レベルのものと考えられる。とりあえず、紛争化の危険は回避されたと見てよいだろう。

さらに以下のように付け加えた。

鄧小平の直系と言われる現在の湖錦湯政権ではその印象が薄れつつあるが、いずれ国際的に括目されるような中国外交が再登場すると確信していた。

その後一進一退があって、今回の首脳会談である。
合意内容に目新しいものはない。むしろベトナムは率直に相違の存在を明らかにしている。とすればこの会談の目的は何か。それは湖錦湯本人を会談の場に引きずり出したということに尽きる。

2005年の公式合意でさえ、首相級の合意であった。それから見ると中越両党の書記長同士の会談というのは最高級の合意である。戴秉国に代表される「正統派」は、みずから作り上げた合意を書記長に認めさせたことになる。



どうも電力料金が国際的に見て高いのか安いのか曖昧だったが、赤旗の調べで一端が明らかになってきた。
国際比較で見ると、利用者が払う金額はアメリカや韓国より数倍高い。しかしヨーロッパでは日本を上回る電力料金となっている。
今回、赤旗が調べた結果、日本の電力料金は本来はずっと安いことが分かってきた。

https://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/e/6/e6298e77.jpg

非常にわかりにくい図だが、ひらったく言えば規制部門というのが一般家庭分、自由化部門というのが大企業ということになる。

自由化部門というのは電力会社と個別企業との交渉により料金を決める部門で、そんなことができるのはかなりの規模の企業しかありません。

左の棒グラフで分かるのは大企業が電力の2/3を消費しているということです。一方右側の棒で分かるのは、東電は大企業からはほとんど利益を取っていないということです。

つまり、東電は大企業には原価販売し、それによる“逸失利益”を一般家庭や中小企業にしょわせて経営を維持していたことになります。ということは一般家庭は使った電力の3倍の利益分を払っていたことになります。

この記事には原価として計算されるコストがいくらなのかの記載がないため、これ以上は分かりません。
しかし、もし自由化部門がなければ、みんながイーブンに負担していれば、日本の電力料金はかなり安いものとなったでしょう。

そういえば思い当たるところがあります。
原発事故直後に、東電関係者などが「日本の電力料金は安い」といっていたのは、おそらくこの原価のことを指していたのでしょう。日本の電力料金が安いとならないと、原子力発電を続ける口実がなくなるからです。

そして、その後の料金論争の中で口を濁すようになったのも、原価と料金の乖離のためでしょう。

たしかに原発による電力料金は安かったはずです。なにせ車検もとらず、自賠責もかけずに車を運転するようなものですから、そのぶんは安いはずです。
なのに消費者が払う電力料金は、決して安くない。それがなぜなのかという問題に、東電関係者や大企業は口をつぐまざるを得なかったということではないでしょうか。

この記事は、このほど公表された東京電力に関する経営・財務調査委員会の報告書を分析することによって作成されたもので、記事を読んでも悪戦苦闘のあとが覗えます。ご苦労様でした。

(41)メクラの雄鶏 (Gallo Ciego)

HP: 石川さんの曲目紹介から引用すると、「昔の子供の遊びの名前らしい。なんでも生きた鶏を首だけ出して地面に埋め、目隠しをしてそれを棒で叩くスイカ割りのようなものだという」というコワい遊びです。

Forever Tango Gallo Ciego 01 Argentine TangoDance

さすがフォアレバータンゴ、youtubeでは最良の演奏と思います。

TANGO ARGENTINO GALLO CIEGO COLOR TANGO TOLOSA

ところがご本尊のコロ-ルタンゴまでお出ましです。

Orquesta Tipica del Maestro Leopoldo Federico - Gallo Ciego

実はこの演奏に意外に感動したのです。真昼間、野外、観衆は数千というタンゴに最も似つかわしくない環境で、バイオリン・バンドネオンなど十数人の演奏です。にもかかわらず演奏は、間違いなくタンゴしています。

Juan Manuel Silveyra en Cuarteto: "Gallo Ciego"

好きな演奏ではないが、変に納得させられる。アコースティックギター2本に電気ギターのバス。なのにシルベイラのバンドネオンが他を圧倒する音量で、いかにも作り物の印象。名のに変に納得させられる。そういう迫力のある演奏。

(47)ラ・カチーラ (La Cachila)

石川さんによると「題意は不明だが女性のあだ名だとされている」そうです。

LA CACHILA

ディサルリの演奏。これがカチーラなんです。最近の演奏は、聞いていてこれって何の曲? と思ってしまいます。セステートがキンテートになりカルテートになりトリオになりデュオになりと減らして行くたびに指の間から抜けていくものがあるっていうことに気づいてくださいよ。

12 Tangos - La Cachila performed by Libertella, Borda, Giunta, Schissi


ホセ・リベルテーラらのキンテートによる演奏です。たしかに名演なのでしょうが、正直あまり面白くありません。

Cuarteto SolTango - La Cachila (Carlos Di Sarli)

これも水準の高い演奏です。しかしクラシック音楽みたいで、ディサルリの「泣き」が入りません。

Nada Mas Trio - La Cachila by Eduardo Arolas

これはフランスのグル-プでしょうか。上と同じ感想です。

Milonga La Cachila

絵は素人のタンゴで、クレジットには誰の演奏かも示されませんが、良い演奏です。プグリエセでしょうか。かなり盛大な針音です。




封建社会の下で、生産と交易が発展してある程度の段階に達すると、封建的所有関係と照応しなくなる。所有関係が生産を妨げるようになり桎梏と変わる。
それらは爆破されなければならなかった。そして爆破された。
それに代わって自由競争が出現し、資本家の支配する経済と社会のシステムが出現した。
現在これと似た運動が我々の前で進行している。これほど巨大な生産と交易を魔法で呼び出した資本主義社会は、自分で呼び出した地下の魔力をもはや制御できなくなった魔法使いに似ている。

資本主義社会と資本主義的所有関係は、自分の作り出した富を入れるのには狭すぎるようになったのである。ではどうするか?
資本家は一方では、新しい市場を獲得し、前からの市場をいっそう徹底的に利用しつくすことによって、他方ではやむなく大量の生産能力を破壊することによって危機を逃れようとする。
それはつまるところ、より全面的で、より激烈な恐慌を準備し、同時にそれを避けるための手段を減らすことによってである。
資本家はこうして自分に死をもたらす武器を鍛えつつある。そしてその武器を使う人びとを生み出しつつある。プロレタリアート(無産者)がそれである。

今日び、そのまんま使えますね。


現在の復興財源をめぐる議論を聞いていると、つくづくいやになる。
一刻も早く被災地が復興し、元の生活に戻れるようにしなければならない。これが基本である。将来的に日本の人口構造が変化し経済構造が変化し、いわゆる限界集落、もっと言えば限界地域がやっていけなくなる可能性は否定しない。
しかしいま問題なのはそういうことではない。とりあえず震災以前の状態への復帰が先行されるべきだ。
それだけの力が日本にないのか、ある! 落ち目とはいえ世界第三のGDPだ。大企業には数百兆の金が眠っている。
働き手はいないのか、いる! それも掃いて捨てるほどいる。みんな働きたくてうずうずしている。
大企業に金をくれといっているのではない。10年くらい低利で貸してくれといっているだけだ。その金は、元はといえば日本という国の金だ。そうすればみんなが働き、家が建ち、港が整備され、魚がとれ、物が生産され、日本はもっと豊かになる。
働いて豊かになるということは、本当に豊かになることだ。みんなが豊かになることだ。マネーゲームで豊かになるのは人のかすりを取っただけの話で、本当に豊かになるのとは違う。それは詐欺師や泥棒が豊かになるのと同じで、その国の貧しさの証明でしかない。

わたしは1%の人がそれなりに豊かになることを否定するものではない。そんなに金がほしいとも思わない。そんなに欲しければもって行っても良いよといいたいくらいだ。でも99%の人にどうしても必要なものまで持っていくのはあこぎだ。

「大企業の国際競争力」を錦の御旗にしている人に問いたい。国際競争力のためにはすべてを犠牲にするべきなのか、国際競争力のためには失業率30%になっても、年収200万以下になっても、止むを得ないのか?
国民すべてに特攻隊になれというのか、沖縄県民のように10人に一人が醜の御楯となって死んでしまえというのか。
それは常識的にはない。だとすれば、どこまでが国際競争力の原理の下に許容されるべきなのか、その境界線はどこなのか、なぜそこが境界線なのかを原理的に明確化すべきだろう。
今回の震災や原発被害への対応を見ていると、その境界線が果たしてあるのかどうか、不安になる。国家と国民の未曾有の危機に際してさえ、法人税の減税をあつかましくも要求する1%の人々に対して、またそれを唯々諾々と受け入れる政治家に対して、不信感は募るばかりである。

(39)チケ (Chique)

LAS ESTRELLAS DE BUENOS AIRES - CHIQUE - TANGO

実はここまで、ホームページのタンゴ百選に載せながらジャンプした曲がいくつかある。つまりはyoutubeにまともな音源がないからだ。チケも跳ばそうと思ったが辛うじてこの音源が聞ける。プグリエセの音源は音が聞くに堪えないのと、85年のライブということで、衰えがひどいので、とても採用できない。
ちなみにチケはフランス語のシック(上品)のスペイン語読み。“お高くとまったやつ”みたいにも使われるよう。

(40)別れ (El Adios)

el adios.avi

Ivana Fortunati という女性歌手、情感をこめて、しかし過剰にならず歌いこんでいる。絵は見ないほうが良い。

RUBEN JUAREZ "EL ADIOS"

くどいのは嫌いだが、このくらいは味付けしないとタンゴ・カンシオンにはならない。

El Adios- Edgardo Donato y sus Muchachos

きわめておとなしい演奏で、味も素っ気もない。ドナートには新録音もあって、そちらはもっと情感があるはずだが、どうしてこれをアップしたのかわからない。ほかにイグナシオ・コルシーニの歌もあるが、どうしてレコーディングしたのかわからない。

EL ADIOS - TANGO - A.VARGAS.wmv

ダゴスティーニョ=バルガスのおしゃれな演奏。しかしあまり迫力はない。

Bandoneon Solo Tango Estudio "El Adios".

これはカナロの演奏。

それにしても、チケといい、エル・アディオスといい、youtubeではプグリエセは不遇だ。ピアソラばかりがなぜもてる。

Quiero emborrachar mi corazón (私の心を酔わせたい)
para apagar un loco amor (馬鹿な恋を消し去るために)
que más que amor es un sufrir... (それは恋というより苦しみ)


Y aquí vengo para eso, (だからここに来たの)
a borrar antiguos besos (キスの跡を消すために)
en los besos de otras bocas... (何処かの誰かのキスの跡)


Si su amor fue "flor de un día" (彼の愛が“一夜だけの花”なら)
¿porqué causa es siempre mía (私はどうしていつまでも)
esa cruel preocupación? (辛くて怖くているの)


Quiero por los dos mi copa alzar (二人のために乾杯したい)
para olvidar mi obstinación (こだわりを忘れるために)
y más la vuelvo a recordar. (でも、もっと記憶がよみがえる)



Nostalgias (思い出す)
de escuchar su risa loca (彼の狂ったような笑いを)
y sentir junto a mi boca (そして彼の吐息で)
como un fuego su respiración. (私の唇に火を点けて)


Angustia (辛いわ)
de sentirme abandonado (捨てられたと感じて)
y pensar que otro a su lado (誰かのことを思っていると知って)
pronto... pronto le hablará de amor... (愛を語ってすぐに、すぐに)


¡Hermano! (お兄さん)
Yo no quiero rebajarme, (私は自分を惨めにしたくはないわ)
ni pedirle, ni llorarle, (聞きたくもない、わめきたくもない)
ni decirle que no puedo más vivir... (だから彼に、もうこれっきりだって言ったの)


Desde mi triste soledad veré caer (悲しくてさびしくて)
las rosas muertas de mi juventud. (私の青春は“死んだバラ”になったの)



Gime, bandoneón, tu tango gris, (泣いてよバンドネオン、あんたの悲しいタンゴ)
quizá a ti te hiera igual (あんたも悲しいだろう)
algún amor sentimental... (それも悲しい恋だろう)


Llora mi alma de fantoche (気取り屋の私の心が泣いている)
sola y triste en esta noche, (一人ぼっちの寂しい今夜)
noche negra y sin estrellas... (星も見えない暗い夜)


Si las copas traen consuelo (飲んで気持ちが晴れるなら)
aquí estoy con mi desvelo (眠れない夜は、また来るわ)
para ahogarlos de una vez... (悲しみをみんな背負い込んで)


Quiero emborrachar mi corazón (私の心を酔わせたい)
para después poder brindar (だから乾杯するの)
"por los fracasos del amor"... (“私の失恋万歳”って) 


英語からの重訳のため、かなり誤りがあるかと思います。

それにしてもポルテーニョというのは我々とは異質の人種です。自己チュウののめり込みというか、良く言えば芸術家タイプというか、感性がまったく異なる。これはラテンアメリカのほかの国の人にとっても同じようです。メキシコの唐辛子料理と並んでラテンアメリカ七不思議です。

(37)ラ・クンパルシータ (La Cumparsita)

HP: ラジオ・タンゴにはこの曲だけで40種類ほどの演奏があります。しかし同工異曲の感を免れません。この曲は率直に言ってそれほどの曲ではないのではと思えます。何かひとつ足りない、そこをミゲル・モンテーロは懸命に模索しています。そこに共感しました。

…と書きましたが、ミゲル・モンテロは歌手で、楽団のリーダーではありません。クンパルシータをどこの楽団と歌ったのかは不明です。ずいぶん人気があったようで、プグリエセ、ホセ・バッソなど一流どころを網羅しています。

Orquesta Matos Rodríguez - La Cumparsita

これは素晴らしいクンパルシータです。モンテビデオでのライブの録音でやや音質は悪いのですが演奏には熱気があります。こんな立派な演奏でいいのかなと、恐れ入ってしまいます。

Tango Uruguayo - La Cumparsita

これも良い演奏です。遅いテンポで一つ一つの音に陰影をつけながらロマンチックなクンパルシータに仕上げています。どうもこの曲、ウルグアイ人には特別な思いがあるようです。

TANGO FIRE - La Cumparsita

これも演奏、音質とも良い。タンゴ舞踊団のツァーに随行した5重奏団です。臨時編成のようでグループ名はないようですが、かなりの腕っこきです。チューリッヒでのスタジオライブで、ライセンスをとったきちっとした映像です。
それにしても、前でうろちょろする連中、うざったいですね。

ラ・クンパルシータ La Cumparsita - Ryota Komatsu

普通は日本人の演奏というとそれだけで敬遠するのですが、どうもこの人のコンフントはケタが違うようで、間違いなく世界一流です。バイオリンの出来にはムラがあるようですが。

Juan D'Arienzo - La Cumparsita

これがクンパルシータの定番でしょう。歌つきもありますが、この曲には歌はいらないような気がします。

Tangos Argentinos Famosos : "LA CUMPARSITA" J. Basso y "QUEJAS

ホセ・バッソの上品でちょっとセンチメンタルな演奏。ダリエンソよりお勧め。なおこのファイルにはトロイロのケハス・デ・バンドネオンがカプリングされており、非常に高音質。この曲のトップに薦めたい。

Carlos Gardel - La Cumparsita - Tango

歌入り演奏としては定番です。

Tango uruguayo: 'La Cumparsita'

ダゴスティーニョ楽団の演奏、アンヘル・バルガスの歌ということで、ごく普通なのだが、うp主のコメント(英語)が面白い。We should be just and fair という書き出しで、実はこれがウルグアイ・タンゴなのだということを力説している。そしてここで歌っているのが最初のクンパルシータにつけられた歌詞なのだと説明し、これはウルグアイ・タンゴのハイムンなのだと結んで居る。

Julio Sosa - La Cumparsita

何とすべて語り、一節も歌わないという“演奏”。さすがにうっとうしい。

La Cumparsita Pugliese (Cantado y Recitado).mpg

これもフリオ・ソーサと五十歩百歩。プグリエセの演奏は良いのだが。

La Cumparsita Carlos Lázzari en el Cafe de los Maestros Juán D'Arien

大楽団による演奏ですが、どことなく緊張が感じられません。現役引退組の同窓会のようです。

Horacio Salgán - La Cumparsita

オラシオ・サルガンのお宝映像。相当大がかりなオルケスタだが、サルガンは楽団員には目もくれずひたすらピアノに没頭している。しかもモダンジャズでも演奏しているようにリズムは崩すはアドリブは入れるはで大変。団員はしらけて見るからにおざなりの演奏。かわいそうなのがダンサーで、まったくのれないままに「あんたがた何してるの」といわんばかりの視線を浴びてカーテンの奥にひっこむというしだい。
これではいかに才能あるピアニストといっても持ちませんね。

Becho Eizmendi - La Cumparsita

ベチョというバイオリン弾きが実在していたとは知らなかった。これはベチョの演奏したクンパルシータ。腕のほうは、まぁこんなものでしょう。Carlos Julio Eizmendi, conocido como "Becho", eximio violinista uruguayo で、 Alfredo Zitarrosa の canción "El violín de Becho" のモデルだ。
El violín de Becho は Mercedes Sosa - El violín de becho でお聞きください。

(42)郷愁 (Nostalgias)

HP: もう10年も前にキューバのエレーナ・ブルケという歌手が来ました。出不精の私が滝川まで車を飛ばし「追っかけ」をやりました。その数年前、ハバナで買ったCDで、「ノスタルヒア」を聞いたのが忘れられなかったのです。これがフィーリンでなくタンゴだと知ったときは驚きました。

Nostalgia - Elena Burke

これがそのエレーナ・ブルケの歌。

Nostalgias - Tango Loco - Katie Viqueira

聞き終わって、思わず拍手してしまいました。たぶん会場の雰囲気が良かったんでしょうね。ノスタルヒアスは郷愁と訳すのはピンと来ません。メランコリアというか、Blue_s に近いと思います。ビケリアはそういう感じで歌っています。

NOSTALGIA VALERIA LYNCH TANGO ARGENTINO

女声ではこれも良い。というよりこちらが楷書の正統派だろう。マリア・グラーニャは期待はずれ。

Pasion Vega- Nostalgia

激しく胃もたれのする歌唱。たしかに歌詞からするとこれもありだが、浪華ド演歌の世界だ。

Hugo del Carril - Nostalgias (tango)

演奏も良いし音も良い。この歌で大事なのは、タンゴはみなそうなのかもしれないが、凛とした雰囲気だ。

Nostalgias - Tango - Charlo

…といったら、凛としたところなどひとつもない、小粋なだけがとりえの演奏で、これがまた、案外良い。前言は撤回せねばなるまい。まぁいろいろあらぁな。

NOSTALGIAS. (tango en piano)

ピアノ独奏でいい感じだが、演奏者の名がない。前後の関係から言うとリチャード・クレイダーマンかも知れない。

Graciela Susana グラシエラスサーナ Nostalgias ノスタルジア Tango

これもお宝映像だろう。グラシエラ・スサーナが姉のクリスティーナとデュエットしている。グラシエラがギターを弾きながらメロディーラインを、クリスティーナがなんと三度下で合わしている。ただし録音はひどい。


カフェティン・デ・ブエノスアイレスという歌があって、そこで哲学だとか自殺だとかを語った、良いことも悪いことも憶えた、などと歌っている(らしい。スペイン語はわからない)
喫茶店ならカフェだが、カフェティンというのは「サテン」という感じらしい。

学生時代の思い出は、ほとんど喫茶店とダブっている。ガロの歌で「君とよく、この店に来たものさ」などと歌っているが、「さ」という東京言葉が、ちょと違う。
「サテン」というのは「君とよく行く」ような店ではない。野郎同士で授業を抜け出して入り浸るところなのだ。私の行きつけは大学病院前の喫茶「宴」、最初はコーヒー1杯90円。そのうち店主がすまなそうに100円に値上げすると告げた。
トーストと卵つきのモーニングで朝飯を済ませ、ナポリタンのランチセットで昼飯を済ませ、午後はコーヒーとサービスで出てくる昆布茶で粘り、夜は紅茶にドボッとブランデーを入れて(これは店主とザル碁を打つときのサービス)、それを飲んでからアパートのセンベイ布団にもぐりこむか、深夜営業の飯屋でさらに酒を飲むか、これが基本パターンであった。
ちなみに飯屋はモツラーメンが名物で、略して「モツラ」と言った。おかみは樺太引き揚げで、興に乗れば「カチューシャ」を原語で歌うのが常だった。酒は1合60円だったが、翌日てきめんに頭が痛くなった。
その合間に赤旗を読み、アジびらを書き、学友(そう言えば、ときには女子学生のこともあった)をオルグし、多少は勉強もしていた。
備え付けの漫画はすべて読んだ。マガジン、サンデー、チャンピオンの三大誌、ジャンプにアクション、ビッグコミック…
4人そろえば雀荘に移動した、そろわなければパチンコ屋だ。
いま考えれば空恐ろしいほどの壮大な無駄だ。


(35)タンゲーラ (Tanguera)

HP: 日本語題の「タンゴの好きなお嬢さん」は間違いで、「タンゴ的なもの」という抽象名詞なんだそうです。そのように石川さんがモレスの意向を伝えています。コンチネンタル・タンゴのような曲です。作曲者による演奏ですが、もっと良い演奏・録音があるかもしれません。

TANGUERA-Sexteto Mayor

なんだかんだと言いつつも、やはりセステート・マヨールはタンゴのひとつの規範です。本物の音を聞かせてくれます。

Tanguera. Mariano Mores. 1957

これが作者自身の演奏です。57年の録音というとこんなものでしょうか。リマスターすればもう少し良くなるかもしれません。

Tanguera

若手の演奏だ。ものすごい迫力だが抵抗感も強い。とにかく録音は抜群だ。

Orquesta Tipica Carlos Figari - Tanguera - Tango.

標準的な演奏ですが、うp主のかなり使い込んだLP盤を再生した音源なのかノイズは相当気になります

Zoe Tiganouria - Tanguera

ムード音楽風に聞くなら、こちらのほうが音が良いだけましでしょう。バンドネオンがないのが寂しい感じですが。

Forever Tango - Tanguera

フォーレバータンゴの演奏は少し期待はずれでした。

Apología Tanguera - Edmundo Rivero

タンゲーラとはまったく関係ない曲だが、たまたまひっかかって、すごくいい。タンゴではなくミロンガ風のフォルクローレという感じ。昔の録音だが音質は信じられないほど良い。

(36)ブエノスアイレスの喫茶店 (Cafetin De Buenos Aires)

カフェティンというと小さな喫茶店だが、歌詞を見ると、どうも喫茶店というよりは酒場です。そこが青春のたまり場で、昔の仲間の名前が思い出されて… これは男にしか歌えない歌のようです。

Cafetin de Buenos Aires - Edmundo Rivero

これが歌の演奏としては定番。ただしこの曲はみんな歌っている。

cafetin de buenos aires

ゴジェネチェも良い。ただしもうひとつの音源は音割れがひどい。

SARITA MONTIEL - CAFETIN DE BUENOS AIRES - TANGO.wmv

お気に入りのサリータ・モンティエルも不発だ。どうも女性に向いてない曲のようだ。ネリ・オマールの歌は盛りを過ぎている。スサナ・リナルディの音源は二種類あるが、いずれも臭い。ビルヒニア・ルケは論外、ということで女声はみんなペケ。

Pepe Guerra - Cafetin De Buenos Aires - Tango

これが思わぬ拾いもの。フォルクローレのようだ。シタローサに似ている。

CAFETIN DE BUENOS AIRES

コロール・タンゴの演奏にアベル・コルドバの歌ということだが、期待はずれ。音も割れている。いっそ歌などないほうが良かった。




率直に言ってこの争いは醜い。基本は中国の大覇権主義、ベトナムの小覇権主義、そしてフィリピンやマレーシアのマイクロ覇権主義の争いだ。
そして古臭い。領土、武力、覇権、いずれも前世紀の遺物だ。
地政学的に考えれば、南シナ海は周辺諸国みんなの海だ。そもそも独り占めできるものではない。
同時に南シナ海はアジアと中東・アフリカ・ヨーロッパをつなぐ唯一の海上アクセスだ。誰かがここで通行料をとり始めれば、取る者もふくめて共倒れになる。
一般的には領土問題は、第一に支配権の問題であり、第二に資源の問題であり、第三に市場の問題だ。
しかしグローバリゼーションが進めば、支配権の問題は後景に下がる。市場の問題は人が住まない海上では議論にならない。メンツの問題を除けば、結局領土問題は資源の問題になる。そして資源問題は結局は資金の問題だ。その原資は資源を消費する側からしか出てこない。
だから南沙諸島を資源問題として捉え、どのような開発主体を資本形成し、どう開発しどう利用し、経済発展のバネにしていくか、の議論が進められなければならない。
率直に言えば、この話を主導的に進める力を持っているのは消費能力を持っている国、すなわち中国以外にない。ベトナムやフィリピンがイニシアチブを握っても、結局欧米のメジャー系に丸投げするだけの話であり、そのテラ銭をいただくだけの話になる。それは結局国を弱めることになりかねない。
ベトナムもそれは分かっている。だから2007年に一度は中国との国家的合意に達したのだ。問題は両者、とくに中国側がいかに大国としての度量を発揮して、関係諸国が納得できる計画にしていけるかだろう。
そのためには領土問題は、「眠りこます」必要がある。
しかし、中国の軍事的な動きはこの大きな流れとは異質なものを秘めている。軍事的プレゼンスをひたすらに誇示し、緊張をいたずらにあおり、軍事大国化を自己目的としている趣がある。
緊張をいたずらにあおっているのは、反共・親米メディアなのかもしれないが、ここがどうも気がかりである。

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