鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2011年09月

デレバレッジについて勉強するのが本来の目標だったのに、途中でバーゼルⅢとかボルカー・ルールとかやっているうちに忘れていました。
そもそも FX の知識がないと、デレバレッジなど分かりないのですが、そんなことに自分で手を出す気はないので、ついつい面倒になっていました。
しかしデレバレッジが今後の景気を占うキーワードといわれればそうも言ってられません。


FX取引の用語 から引用します。

デレバレッジ(Deleverage)は「非・レバレッジ」ということ。つまり、お金を借りて自己資金の何倍もの投資を行うレバレッジ投資が逆回転する現象、それがデレバレッジです。

レバレッジからデレバレッジへの流れは次のような感じです。

まずは低金利政策や経済成長などの条件が重なってバブルの温床がつくられます。投資家は低いコストで資金が調達できれば、積極的に投資を行おうとします。リスクを取って自己資金の何倍もの投資を行うレバレッジ投資の始まりです。

信用創 造のメカニズムが働き、投資物件にお金が集まってきます。やがてバブルが生まれ、レバレッジを効かせた投資はますます膨らんでいきます。

しかしバブルはいつか弾けるもの。破綻する投資家が出てくると、銀行は信用リスクを警戒して信用収縮が起こります。投資家も損が膨らむので投資を縮小します。すると投資物件の価格はさらに下がり、信用収縮が一段と進むという負のスパイラルが起こります。これがデレバレッジ。

   サブプライム問題以前は世界的にレバレッジ投資が盛んになり、あちこちで不動産バブルや株式バブルが発生しましたが、以後はデレバレッジの流れとなり、急激な信用収縮が起こりました。

(この説明では、なぜこのデレバレッジが今日の世界における重大問題となっているかが分からない。分かりやすいのは良いのだが、問題を単純化しすぎている嫌いがある)

 

日経ヴェリタス  より

レバレッジ(leverage)とはテコの意味。金融取引では、信用をもとに自己資本を大きく上回る規模の資金を動かし、高リターンをねらう高リスク手法を指す。こうした取引を反対売買するのがデレバレッジ(deleverage、テコの解消)で、最近の市場混乱を招いた。

レバレッジを効かせた取引の担い手はヘッジファンド。世界の金融・資本市場や商品市場に巨額の資金をつぎ込んだ。

低金利の円を調達し、高金利通貨などで運用する「円キャリー取引」も、レバ レッジ取引の一種。昨年夏以降、サブプライムローン問題の深刻化に伴う信用収縮で多くのファンドが資金難に陥り、デレバレッジを余儀なくされた。

円相場急 騰や証券化商品の急落など波紋が広がり、ファンドに融資していた金融機関にも打撃を与えている。

(この日経ヴェリタスの記述は非常に混乱を招くものだ。デレバレッジ=レバレッジに対する対抗取引という説明はおそらく間違いだろう。また円キャリーまでレバレッジに含めるのは拡大解釈のしすぎだろう)


ということで、意味が拡散しすぎて何のことやら分かりません。要するに借金をして相場を張り、手持ちの資金の数倍の利益を手にする手法のことをレバレッジといい、それをやめることをデレバレッジというのですが、どうやめるのかは千差万別、ほとんど“気分”の問題です。

いろいろなブログを見ても、どうも日本人が自分の環境に合わせて、アメリカの用語を勝手に使いまわしているような気がしてなりません。

元々は08年にアメリカで住宅バブルが崩壊した後の狼狽売り、損を覚悟の投売り、その結果もたらされた資産デフレのことを指しているのではないでしょうか。ただその規模が格段に大きいために、資本流動性の低下が深刻な不景気をもたらしたこと、その速度がべらぼうに速くて、ほっとけばたちまち金融恐慌に至る危険があることが、今日あえてデレバレッジという言葉を使う理由なのではないでしょうか。

もう少し実体を持った議論を知りたいと思い、金融機関のデレバレッジに限定して文献を探しました。

投資銀行危機の実相と今後の方向性 ~デレバレッジと原点回帰のビジネスモデルへ~

という日本総研のページがあり、その要約をさらに要約しました。2008年10月の文章であり、それから3年間のあいだにどうなったのかが知りたいので、基本知識だけ教えてもらうこととします。


投資銀行の業態変化

投資銀行(証券会社のようなものと考えてよいだろう)は、資金の借り手と運用ニーズを有する投資家とを、幅広いネットワークをもとに繋ぎあわることが業務の中核的部分であった。

ところが、1990年代以降、競争環境の変化と金融緩和の時代が来ると、それだけで商売を続けることはできなくなった。

各社は自己のバランスシートを拡大させて、自己資金で収益を上げるモデルへと重点を移していった。

米投資銀行が空前の利益

最終的な投資の受け皿としてアメリカほどの巨大な市場が存 在しないことから、世界の金融資産のアメリカ一国集中状況が続いた。

1980年以降、投資銀行が保有する金融資産の残高が急増した。投資銀行は過剰流動性を背景に、低コストで短期資金調達を行い、高いレバレッジを掛けて証券等に投資を行うことで、高収益を生み出した。

危機の出現

マクロ経済環境が順調な間は問題なかったが、景気減速とともに、このようなビジネスモデルの弱点があらわになってきた。

第1は、損失急増の可能性である。保有有価証券が下落すると資産売却が拡大し、さらに価格が下がるという悪循環が生じる。この損失が一挙に広がる ことが商業銀行と違って投資銀行に特徴的である。

第2は、流動性リスクである。投資銀行は、預金という安定的な調達手段を持たないため、資金調達の大半を市場に依存していたことが致命的であった。証券担保融資による資金調達依存は、株価下落による資金調達の困難を増幅させた。

第3は、過小な自己資本である。自己資本が薄ければ、損失への抵抗力も小さく、債務超過に陥るのも早い。

危機の教訓

1 「新種の恐慌」の可能性

預金流出や市場での資金調達難の発生による「古典的な流動性危機」とは異なり、資産価格の低下の速度が異常に早い。

デレバレッジ(レバレッジはずし)による資産投売り (fire sale)が保有資産の価格下落を加速する。これが流動性不足を増幅し、最終的には支払い能力(solvency)の喪失に至る。

2 原点への回帰

今後当分のあいだ、投資銀行の業務からは高レバレッジの仕組みや複雑な金融商品は姿を消すであろう。

投資銀行は、資産運用業務や企業のM&A仲介業務など得意分野を生かした経営に特化していくであろう。そして、より実体経済に近い業務に注力することで、原点回帰(back-to-basics)を強めていくであろう。


…だと良いが、その後の3年間、どうなっているのだろうか。すくなくとも、今の時点でいまだにデレバレッジが叫ばれているところを見ると、日本総研の文章の筋書き通りにことが運んでいるようにも思えないが。



マルセイユで開催された先進7カ国蔵相・中銀総裁会議の合意事項が発表された。
*世界経済が落ち込みつつあるとの認識で一致。
*「経済活動を支援しつつ、財政の健全化を達成するという困難な道」にあることを確認。(しかしその原因には触れず)
*「金融システムと市場の強固さを確保する」ため各中銀が流動性を供給することで一致。
*議長国フランスは「まずは信頼性回復が大事で、注意深く財政健全化計画を立てるべき」と発言した。

開催場所から言っても、時期から見ても、明らかに欧州金融危機を念頭に置いた合意だろう。
株式市場、為替市場、商品市場、さらに国債(ソブリン)市場へと混乱は拡大しつつある。投資家は安全をもとめてデレバレッジをかけている。流動性は低下し、資金は底をついている。
一つは実体経済がどこまで持ちこたえられるかということと、ヘッジファンドの売り浴びせ・撹乱に国家財政がどこまで対応できるかの勝負だろう。

昨日は東北大震災から半年の記念日でした。
いまだ東北と日本全体が、震災からの復旧も済んでいない状態ですが、国民一丸となってがんばろうという張り詰めた気持ちが徐々に醒めてきて、何か秋風が吹く感じになってきています。
政府も交代し、右の中継ぎ投手が登場しました。

1年前、菅首相が登場したときと極めて政治状況は似ています。親米・親財界を機軸とし、「一体改革」を強力に推し進めるというスタンスは、基本的にはまったく変わりありません。
ただ親自公、親極右の方向があらたに付け加わっており、より国民の願いと逆行する布陣となっています。しかし実態としては反小沢で野合した集団であり、野田首相の思惑通りにことが運ぶとは限りません。
いずれにせよ、国民の闘いの如何により情勢が動いていく可能性が高いと思います。

日本国民は、この半年間の経験でものすごく学びました。政府や財界や権威というものに向き合い、場面によってはこれを押し返しました。政府は1年前に戻っても、国民は1年前にはもう戻りません。

しかし国民の戦意は、その矛先をどう向けるかで必ずしも一致していません。とくに国際経済が波乱含みの状況になってくると、これを利用したさまざまなイデオロギーがメディアを通じて流されてくると思います。

今はおそらく刈り取りの季節だと思います。国民のあいだに起こった無数の運動を、どれだけ継続的な組織的な連帯に結実させることができるか、これがメディア支配の貫徹を阻止する最大の道です。

まず大震災復旧に向け日本中が一体となって行ったさまざまな活動の教訓を語り合うことが大事です。さまざまなシンポジウム、パネル・ディスカッションが旺盛に展開されるべきでしょう。
そのうえで、これに対して政府や財界がどう動いたのかを整理し、実践から得られた教訓とつき合わせ再評価することが必要です。
そのなかから、新しい日本の国づくりに向けた政策がいかにあるべきかを共通の認識として形成することが大事です。

ようするにがんばり疲れの最大の克服法は、学習と組織です。蛇足ながら最良の学習資料は「日刊赤旗」です。

9月8日 オバマ大統領の議会演説

アメリカの経済は危機に直面している。低迷する経済を底上げするためにも、雇用を前進させる計画がもとめられており、この法案を即時通過させるよう議会に求める。

議会の経済に対する議論は迷走している。景気回復への支援に一丸となって取り組むべきだ。われわれが政治的な騒ぎを停止し、実際に経済を支援するために何かできるかが問われている。

この法律ですべての問題が解決できるとは主張しないが、対策が緊急に求められていることも間違いない。

最終的に、米景気回復をけん引するのはワシントンではなく、米国の企業や労働者だ。だが、われわれは支援できるし、変化をもたらすことができる。

演説の中で、オバマは共和党が富裕層増税に反対していることを非難。

「億万長者への減税を維持するのか、子供たちの大学進学や就職を援助する教職員を職に戻すことに使うのか、これこそ真の対決だ」と述べた。

オバマは4470億ドル(約35兆円)の雇用創出計画を打ち出した。当初予想は3千億ドルとされ、1.5倍化されたことになる。

①1千億ドルが社会基盤への支出。350億ドルが学校の近代化と交通プロジェクト、空き施設の復旧、教員28万人や臨時職員の雇用確保などを柱とする支出。

②給与税の減税。給与の10万6800ドルまでを対象とし、およそ半額にする。小規模企業を対象に雇用主負担の給与税半減と新規雇用への税優遇措置。

③失業者支援を620億ドルに拡充。

③財源としてメディケア(高齢者医療保険制度)費縮小などを含めた約2兆ドルの財政赤字削減。

小田氏の解説で、ボルカールールの核心は“自己勘定取引の禁止”だということが分かりました。

バーゼルⅢの分析でも、「トレーデイング勘定が乱用され、リスクの高い資産をトレーデイング勘定に計上してレバレッジをかけていた。ここで損失の大半が発生した」とされており、自己勘定取引という仕組みがどうも悪の根源のようです。

もう少し力を振り絞って、自己勘定取引 (proprietary trading) の勉強をします。


まずは【WSJで学ぶ金融英語】第7回 自己勘定取引 http://jp.wsj.com/ed/finance_eng/100215.html

自己勘定取引」とは、金融機関が自らの資金(自己勘定)で自社の運用資産の効率を図るためにリスクを取って市場で行う取引のこと。

自己勘定取引」について定義をめぐる議論が生じている。

とくに「マーケット・メーキング」と呼ばれる取引が自己勘定取引に含まれるのかどうかが焦点となっている。

「マーケット・メーキング」というのは、顧客の注文に対して金融機関自らがその相手方となって売買を成立させる取引である。つまり自己勘定ではなく対顧客取引である。しかし不思議なことに、本来は対顧客取引であるにもかかわらず、対顧客以外の取引を行うことも許可されている。


要するに銀行が手持ちの金を使ってディーラー商売を始めたということです。ただし自らの資金には「預金」はふくまれません。

私たちのこれまでの常識から言えばとんでもないことです。銀行といえば堅い商売の代名詞みたいなものです。銀行員といえば石部金吉と昔から相場が決まっていました。ヤクザまがいの株屋ごときとは対照的な世界だったはずです。

マーケット・メーキングというのは、詰まるところレポ取引のことで、これ自体、銀行の正常な本来業務とはいえないものです。

ボルカーの言うように、理念が大事なのであって、まず銀行が「襟を正す」ことが出発点なのです。手立てだけではいくらでも抜け道は作られることになります。最初は非合法すれすれであっても、みんながやり始めれば世間の常識になっていく。それがリーマン・ショックだったのでしょう。

だからいまは「疑わしきは罰す」という態度が必要だと思います。


次は 証券用語辞典 のディーリングの項目

ディーリング(dealing)とは、有価証券の取引に関して、証券会社が自己勘定を使って市場での売買取引を行うこと。

従来、証券会社が投資家から依頼された取引を仲介業務として顧客勘定で行うブローキング(broking)と明確に区別されていたが、最近では、より広い 意味でこの言葉を使う傾向があり、証券会社だけでなく銀行や機関投資家が自己の利益の確保をねらって大量の資金での短期売買を市場で実行する場合も含めて ディーリングとよぶことが多い。


ということで、もはや銀行が自分の金と他人様のお金との見境もつかなくなっていることが示されています。

Fx をやっている人のブログを見ると、そもそも20世紀型の商業銀行などいまどきお呼びではない。融資先は先細りし、このままでは銀行は死を待つばかり、という厳しい状況があるのだそうです。それというのも、ローリスクの五つ星の会社がみんなマネーゲームに手を出して、それで自己資金を確保するようになっているからだそうです。要するにいたちごっこですね。

私たちたちは、その先に何があるのかを見据えていかなければなりません。


あんまり長くて、むずかしいので二つに分けました。二つに分けたから分かりやすくなるわけでもありませんが。

2.3 シャドーバンキング

商業銀行は法の網をくぐるために苦労してきました。しかし一般銀行業務に携わらないノンバンク系の金融機関であれば、別にこのような面倒くさい手立てを組む必要はありません。これがシャドーバンキングと呼ばれるものです。

シャドーバンキングは、商業銀行ではない金融機関(non-bank financial institution)がおこなう投融資業務と定義されています。これらの金融機関は、商業銀行の定義から外れるため、規制の対象とならず、高リスク投資が行われてきました。

ノンバンクの得意とするのは、債権の中でもリスクの高い証券化商品を担保とするレポ取引です。

ボルカー提案は、ノンバンク系金融機関が横行することで、銀行の担ってきた資金調達機能が適切に働かなくなっていると指摘しています。

この点を指して、小田氏は「銀行理論の観点からは、伝統的銀行システムへの回帰を志向することは正当化可能であると考えられる」と述べています。

ここまでが、危機にいたる経過①~⑤までの説明です。次に具体的な規制案の検討です。

3.業務規制について

 業務規制案の中心は自己勘定取引の禁止です。これがまた分からない。これについてはいずれ調べます。

小田氏の発言を続けて引用します

銀行は金融システム安定のために無用のリスクを取るべきではなく、本来の顧客業務支援に徹するべきというのが提案の趣旨。

しかし自己勘定取引の多くは裁定取引を目的としている。すなわち最終的には他の投資家への売却が意図されている。

このような短期的な債権売買業務への傾注は、銀行の本来業務である長期信用業務を妨げる可能性がある。

4.ボルカールールへの批判について

 ボルカールールへの批判は大きくいって二つある。

一つは、「金融危機の根本原因は、銀行の自己勘定取引ではなく住宅ローン問題にあるため、ボルカールールは実効的でない」というものである。

これに対して小田氏は以下のように反論しています。

①原因がどうであろうと、銀行の自己投資による不良債権が甚大なことは間違いない。

②住宅ローンの杜撰な審査が危機をもたらしたとすれば、その原因は自己勘定取引とシャドーバンキングというシステム全体にあるのではないか。

 批判の第二は、「商業銀行だけを対象としてても、将来の金融危機の防止には不十分である」というものである。

これに対して小田氏は以下のように反論しています。

①投資銀行の行動が重要であることは事実としても、シティバンクを初め商業銀行の行動にも問題が多かった。

②投資銀行の多くは、現在は商業銀行に転換している。したがって現時点においては、商業銀行を中心に業務規制を行うことは理に適っている。

③ボルカールールは表面的には商業銀行の業務規制であるが、根底にある考えはシャドーバンキングシステムの否定である。

そして小田氏は次のように結んでいます。

金融システムの原点回帰を通じて銀行機能の回復を実現するというボルカールールの理念が正しいとすれば、今回の業務規制はその第一歩として意義がある。

5.結 論

ここまで読み解いてきたことを前提にすれば、小田氏の結論は分かりやすいものなのでそのまま掲載する。

ボルカールールは、金融システムの安定を目的とした、商業銀行による投機的投資に対する業務規制である。

具体的には、自己勘定取引、及び、ヘッジファンドやプライベートエクイティへの出資に対する禁止等から構成されている。

しばしば言及されるグラススティーガル法との類似性は表面的なものに過ぎず、それぞれがよって立つ考え方は異なる。

ボルカールールにおいては、商業銀行と投資銀行との分離は本質的ではない。

ボルガールールの根底には、シャドーバンキングシステムの否定と、伝統的な金融システムへの回帰がある。

この原点回帰を通じて、銀行機能を回復させるというのが基本理念である。

金融危機の主要因は、シャドーバンキングシステム下において、本来の銀行機能であるモニタリング機能、流動性供給機能が弱体化したことにある。

このような観点に立てば、ボルカールールの理念は正当であり、自己勘定取引の禁止はその第一歩として意義がある。

(25)バンドネオンの嘆き (Quejas De Bandoneon)

アルゼンチン・タンゴ屈指の名曲です。これもカナロが一番とはいえない曲ですが、トロイロ楽団風の演奏に飽きたということですか。あぁ、元はこういう曲だったのか、と納得する演奏です。

YOUTUBEにはトロイロの演奏が2バージョンありますが、音質は似たり寄ったりで、ひどいものです。カナロの演奏はありません。

QUEJAS DE BANDONEON

と、書いたら、カナロがありました。

Quejas de bandoneon - Forever Tango - Yanina y Eric 2009


フォーレバー・タンゴの良い演奏がありました。

Orquesta Típica Sabor A Tango - Quejas De Bandoneón (Juan de Dios F

これも良い演奏ですが、コンサートの非公式録画のようで、残念ながら音質はかなり悪いです。

Esteban Morgado Cuarteto - Quejas de bandoneón

これも掘り出し物のひとつ。「バンドネオンの嘆き」をテーマにジャムセッションを展開している風ですが、大筋は踏み外しません。アコースティック・ギターがロス・プリモス張りの演歌を織り込むのが新鮮です。

Quejas de Bandoneon

これも掘り出し物。sexteto juan carlos sabatino の演奏で、バイオリンが弱いですが、全体としては十分水準を行っています。

Julio de Caro - Quejas de bandoneón

フリオ・デ・カロの演奏もありました。エル・アマネセルを聞いているような雰囲気です。

Carlos Di Sarli - Quejas De Bandoneon

全編見事にディサルリ節。こうまでして聞きたくはない。

ORQUESTA de A. Piazzolla 1946/48 Quejas de Bandoneón


こういう演奏もあるよ、ということであげただけ。オルケスタ時代のピアソラは面白くもなんともない演奏で、採りあげる価値なし。


(26) ガウチョの嘆き (Sentimiento Gaucho)

いろいろな楽団が演奏していますが、遅めのテンポでリズムをしっかり踏んでいくカナロの演奏が一番納得させられます。録音もSPとしては良好で、バイオリンの「さび」が効いています。

Sentimiento Gaucho - Alberto Arenas

これがその演奏ですが、ウP主は手持ちのLPをそのまま再生していて、ディスクの状態がかなり悪い。ほかに誰かウPしてくれていないか探してみます。

SENTIMIENTO GAUCHO,JUAN D'ARIENZO - OSVALDO RAMOS

この演奏を聴いたら、カナロなどどうでもよくなりました。オスバルド・ラモスの美声も冴えています。ただ冒頭のピアノの乱れはどうしてそのままなのか?

TANGO入門(16)ガウチョの嘆きSENTIMIENTO GAUCHO(F.Canaro) ...

これを聞いたら、上記の感想はそのまま取り下げです。カナロがステレオで聴けるというだけでも夢のようなのに、61年の録音というのに音質がすごい。あの当時の日本の録音技術は決してほめられたものではないはず。奇跡としか言いようがない。 ishizakiyoshifumi のお宝音源でしょうか。感謝

SENTIMIENTO GAUCHO


ガルデルの初期の録音のようです。抑えた表現が哀切を浮かび上がらせる名演です。

CARLOS GARDEL - SENTIMIENTO GAUCHO (1925).

こちらが新しいほうの録音です。歌い方の基本は同じですが、音質の違いなのか、前者のほうがしっとりした感じです。

JORGE "CHE" SARELI - SENTIMIENTO GAUCHO

あまり聞いたことのない歌手だが、過不足なく歌い上げていて、安心して聞ける。

LIBERTAD LAMARQUE "SENTIMIENTO GAUCHO"


うまいが品がない、美空ひばりと同じです。曲によっては名唱となるが、これはどちらかと言えばスカ。

SENTIMIENTO GAUCHO

ステレオ録音だが、エコーかかりすぎ。ALBERO BIANCO という歌手が自分のオルケスタ・ティピカを編成して、それをバックにして歌っている。悪くはないが、多少うっとうしい。

sentimiento gaucho


Orquesta Típica Rodolfo Biagi の1942年の録音とあります。歌なしで、編曲勝負。かなりの説得力ですが、ご本家を上回っているとまでは言いがたい。ほかにフロリンド・サッソーネの演奏もあったが、これはひどい。エクトル・バレーラの演奏も「これがステレオだ!」みたいな音でいかにもだ。

Sentimiento gaucho VIRGINIA LUQUE


こういうのを名唱というのでしょうか、どうも私にはやりすぎのようにしか思えませんが。

Pachamama con Centro Gaucho Tradición 2 - Sentimiento criollo

たまたまぶつかったページで、「ガウチョの嘆き」とはまったく関係のない動画だが、「えぇどぉー!」
フフイのフィエスタで地元の人がハンカチを振りながら踊る。タンゴではなくクエンカだ。私たちには耐えられない単調なリフレインが果てしなく続くが、人々は飽きない。その表情には喜びというよりは「苦痛」とも呼ぶべき無表情が見てとれる。
体を動かすことから来る愉悦感ではなく、それは、ゴルゴダの丘にむけ十字架を負い歩むキリストに倣ぶ法悦感にも思える。
バンドネオンとギター二丁、ボンボを叩く若者の取り澄ました表情が「超カワイー」のだ。
それが神聖な任務でもあるかのように、音楽も踊りも完全に無視して、マテ茶を沸かしている女の子も、後姿だけだが、かわいい。
それが年頃になるとぶくぶくとしてくる。せめて結婚するまではスマートでいろよな!と思うが、どうもデブは、牝牛が発情して肥えるのと同様、女性が適齢期に達した証のようだ。



経済トピックス  日経研月報2010.5

株式会社日本政策投資銀行設備投資研究所 

主任研究員 小田圭一郎

http://www.jeri.or.jp/membership/pdf/research/research_1005_01.pdf

ボルカー・ルールは「銀行業務の規制強化のための提案」です。2010年の初めに発表されているので、すでに1年半を経過しています。この経過については後で触れることとして、提案の内容、その考え方の背景について、上記の論文を要約・紹介します。

小田氏はまず前文で、「その基本的アイデアは銀行業務規制における重要な問題を提起している」と述べています。

1.ボルカールールの内容

1.1 概 要

 その基本理念は、商業銀行は預金を通じて資金調達を行うことが主要業務であり、投機的投資の実施は制限されるべきというものです。

具体的な業務規制としては、①自己勘定取引の禁止、②ヘッジファンドやプライベートエクイティファンドへの出資の禁止です。

ボルカー・ルールの提案を受けて作成された金融規制改革修正案では、さらに商業銀行以外の金融機関についても、同様の業務について「制限」すると提案されています。

小田氏の基本理念への評価は以下の通り

第一に、ボルカールールは、商業銀行は、預金を基礎とした金融システムを前提にして、顧客の業務支援に特化すべきだという思想に基づいている。しかしそのような伝統的な金融システムに全面回帰すべきかどうかについては十分な検討が必要である。

なぜなら、ここ20年の米国金融産業は、伝統的なシステムから大きく乖離して発展してきているからである。しかしこの乖離が今回の金融危機に重大な影響を与えたことに異論はない。

第二に、そもそも今回の提案は、銀行業務規制の第一歩に過ぎないという認識を持つべきである。

慎重ながら、全体としてポジティブに受け止めようとするのが小田氏のポジションのようです。

1.2 グラススティーガル法との比較

 元々アメリカの銀行が好き勝手にやっていたかというと、そういうわけではありません。99年までは商業銀行に対して投資業務を禁止したグラススティーガル法という法律があったのです。

この法律は、無謀な証券発行が横行し株式バブルにつながったという大恐慌の反省の上に立って制定されたものです。しかし80年代以降の銀行業務に対する規制緩和政策により無力化されてしまいました。

しかしボルカールールの問題意識は「無謀な証券発行」ではなく、「そもそも銀行は本来業務以外においてはリスクを取るべきではない」という所にあるので、その点はグラススティーガル法よりもっと「原理主義的」です。

2.金融危機との関連

 今回の金融危機をシステムの問題として考えると、不良債権問題と流動性危機という二つの問題に絞られます。

これはすなわち、銀行による“モニタリング”と“流動性供給”の両機能が失われたという問題です。

ボルカー・ルールの提案は危機にいたる経過を次のように捉えています。

①極めて杜撰な審査に基づく問題ローンが多量に生み出された。サブプライムローンがその典型である。

②銀行はこれらの問題ローンを、“証券化商品の原資産”として購入した。(この意味は分かりません)

③銀行はさらに組み立てた証券化商品に自己投資した。(よく分かりませんが、貸し込んだということでしょうか)

④銀行は証券化商品への自己投資の原資を生み出すため、証券化商品自身を担保とした“レポ取引”に依存するようになった。

⑤結果的に、銀行が保有する資産の多くが不良債権化した。同時にレポ市場を中心に流動性危機が発生した。

さぁ、さっぱり分かりません。以下にその説明がでてくるので、とりあえず読み進めます。

2.1 不良債権問題

 記述①~⑤の経過をボルカールールの観点から見ると二つの問題点が浮かび上がってくる。

第一に、理念の問題として、顧客の業務支援として銀行の本来業務と考えられるローンの審査・組成への関与を怠ったことである。

第二に、手法上の問題として、自己勘定取引を行い、損失を被ったことである。これは一種の裁定取引である。

2.2 流動性危機

 「流動性危機はレポ取引が大きく影響している」とのことなので、まずはレポ取引の勉強から。


金融経済用語集 > マーケット用語集 > レポ取引|ワード索引 より

http://www.ifinance.ne.jp/glossary/market/mar028.html

レポ取引(Repurchase transaction) 

債券の売却取引の一種で、買戻し(Repurchase)の条件がついた取引を言う。担保として金銭が要求される。略称として「現金担保レポ(現担レポ)」または単に「レポ取引」という。

きわめてややこしい取引だが、銀行の側から見ていくと、

①銀行が債権を預かる。銀行は債券を借りたことになるので、「貸し手」に担保金を払う。つまり実態としては銀行が債権を担保に金を貸したのと同じである。

②一定期間後に、銀行は債権を返却し担保金の返還を受ける。このとき銀行は“債権の賃貸料”を払う。債権を貸した側は、担保金に対する金利を支払う。この差額が「レポレート」と呼ばれる。

レポ市場は米国で発生して巨大なマーケットに成長した。日本でもコール市場を凌ぐ規模にまで拡大している。(またコール市場などと専門用語が出てくる。もうこれは放置)

ここまで来ると、私のような素人にも良く分かります。このようなややこしい手続きは、法の網をかいくぐる手段だということです。銀行は株券や手形などを担保に金を貸してはいけないということになれば、「金を貸したんじゃない、債権を借りたんです」と言い張ればよいことになる。相手を殴った犯人が「拳に頭がぶつかってきたんだ。俺は被害者だ」といっているみたいなものでしょうか。

これらの話はまた、マルクスの資本論を思い起こさせます。「商品の売り手は、実は貨幣の買い手なのだ」などという話が第一部の最初から出てきて、「1エレのリンネルや1ブッシェルの小麦」が頭の中を飛び交って、たいていの人は訳が分からなくなって挫折するところですね。


というわけで、流動性の危機の話に戻ります。

小田氏によればレポ取引と流動性の危機は以下のような理由で結びついています。

銀行にとって、レポ取引は預金と似ているが、より不安定な性質をもつ資金調達手段である。なぜなら貸し手側は借り換えを拒否できる立場にあるからだ。今回の流動性危機が、預金ではなくレポ取引を中心に発生したこともこのショックに対する脆弱性に起因している。

ここもよく分かりません。日本のレポ取引とアメリカのレポ取引は多少、意味合いが違っているのかもしれません。

2.3 シャドーバンキング

「ボルカールールを勉強した Ⅱ」へ移動してください

 金融業務用語集 より

バーゼルIII

バーゼル銀行監督委員会が 2010年9月に公表した国際的銀行の自己資本規制の基準。

この委員会は1974年にG10諸国の中央銀行総裁らの合意により、スイスのバーゼルで創設された機関である。国際決済銀行(BIS)に事務局が置かれ、4年に1度、定期委員会を開催して銀行監督に関する継続的な協力のための協議をおこなっている。

最初の規制基準は「バーゼル合意」(BIS規制)と呼ばれ、1988年に公表された。これは銀行の自己資本比率に関する規制(8%以上)のみであったが、2004年には金融機関のリスクを反映させた「バーゼルII」が発表され、今回が二回目の改定ということになる。

バーゼルⅢの特徴は、普通株と内部留保などからなる「中核的自己資本」(Tier One Capital)と、投資や融資などの「リスク資産」の比率を7%以上に確保するよう義務付けたことである。

Market Hack によれば、

ティア・ワン・キャピタル・レシオで7%というガイドラインは100ドルの投資ないし融資をする場合、コア資本として7ドルを確保しておかなければいけないというルールです。

資本比率を満たしていない場合は配当や役員報酬など社外流出制限して数値基準のクリアを求めることも合意された。

これは2008年-2009年の世界的な金融危機を教訓としたものである。

会議は、「トレーデイング勘定が乱用され、リスクの高い資産をトレーデイング勘定に計上してレバレッジをかけていた。ここで損失の大半が発生した」と今回の危機を分析した。(何を言っているのか良くわかりませんが、そういうことだそうです)

会議ではバーゼルⅡの欠陥が明らかにされた。

会議では資本の質についての議論とカウンターシクリカルの議論、そしてレバレッジ規制が議論された。ここから先はさっぱり分からないが、entrance for studies in finance から引用だけしておく。

①資本の質の議論では、自己資本の内容をさらに限定した中核的自己資本についての比率規制が導入された。自己資本のもつバッファー機能(業績の変動を吸収する機能)に注目したものである。

カウンターシクリカルの議論は、規制の在り方を、景気の振幅を小さくするように弾力的に変更するというもの。「自己資本比率規制が景気の振幅を大きくしているのではないか」、という批判に対応したものである。

③最後のレバレッジ規制は、レバレッジ自体を規制しようとする議論である。現在のリスクアセットレシオ規制は国債のようにリスクゼロと評価されたもので資産を膨らませることが可能であり、レバレッジを拡大することが可能になってしまうからである。

というわけで①,②は微調整の域に留まるが、③が新規制の中核をなしているようだ。

なお②についてはMarket Hack が分かりやすく? 説明してくれている。

銀行の融資が焦げ付いたりして自己資本に穴が開くと、自己資本比率を順守するために資産を整理することになり ます。これはちょうど景気が悪くなっている時に限って、銀行がカネを貸さなくなるという、所謂、プロ・シクリカル(pro-cyclical)な融資行動 になってしまいます

バーゼルⅢの骨子は同年11月のソウルサミットで合意された。2012年末から段階的に導入 し、2019年から全面的に適用する予定となっている。

日本では14行が規制の対象となり、3メガバンクと野村ホールディングスは、SIFI(システミックに重要な金融機関)として、さらに重い規制が加えられることになる。

3メガバンクのうち、みずほ銀行はバーゼル3規制すら達成できていないため、極めて厳しい局面に立たされている。


と、読んでいて思ったのですが、自己資本あるいはティア・ワンの比率を上げるのは金融危機の予防に有効でしょうが、じつは自己資本比率が一番高いのはアメリカの金融機関です。EUも日本も急速に比率を高めていますが、アメリカの足元にも及びません。

しかし実際に金融危機が起きたのはバーゼルⅢをクリアしているはずのアメリカです。とすればバーゼルⅢは投機資本の抑制としてはお門違いの規制なのではないでしょうか。

自己資本比率の強化は、その過程でさまざまな副作用を生じます。また金融機関を通じた各種の景気刺激策も困難になります。

entrance for studies in finance によると

①自己資本比率維持のための銀行の貸し渋り、②信用収縮が景気変動の振幅を増幅させる(逆レバ)、③株式発行が株価低迷の原因になる、④証券化をリスク逃れの手段として用いる余地 などの批判があるようです。

鳥畑先生の記事は後半は、言葉の羅列に終わっていてほとんど分からない。言葉の解説が本文と同じくらい必要だ。
端的に言うと、
①リーマンショックは終わっておらず、一時の糊塗策がむしろ問題を深刻化させている。これが現状である。
②現実に起きている現象は次の危機段階であり、「デレバレッジ」と呼ばれる信用収縮である。
ということなのでデレバレッジ(逆テコ?)を勉強しなければならない。

もう一つは金融機関の投機的な活動に対する規制強化の動きです。
鳥畑先生はその中から、バーゼルⅢとボルカー・ルールを上げています。こちらのほうが手をつけやすそうなので、こちらからはじめます。




(23)軍靴の響き (Taquito Militar)

HP: 最悪の録音で、音はひしゃげて高音部はまったく聞こえません。それでも打楽器のリズムには度肝を抜かれます。ペレス・プラードがこのようにコンガを叩いても、別になんとも思いませんが、タンゴのレコードからこのような音が飛び出してくることにはびっくりするしかありません。

これはフランチーニ・ポンティエルリ楽団の演奏を指しています。要するに推薦に値するほどの音源がなかったということです。

TAQUITO MILITAR

これが大変な名演です。ルジェロ兄弟というのでしょうか、初耳ですが、とにかくピアノがうまい、バイオリンも良い、とにかく素晴らしい。ブラーヴォ!です。ポルテーニョはこの曲が大好き、ということが良く分かります。

Taquito Militar-Mariano Mores

これがマリアーノ・モレスのオリジナル盤です。正直、どうっていうことはない演奏です。モレスは演奏者というより作曲家なのでしょう。

後は番外シリーズ

Bandoneon Historia del Tango " Taquito Militar" Mariano Mores

映画の一場面ですが、大変素晴らしいものです。音質がどうこう、演奏がどうこうというものではなく、ただ映像として素晴らしい。マリアノ・モレス楽団はよほどの役者ぞろいです。

Horacio Salgan y Ubaldo De Lio.Taquito Militar.

これは番外。アンコールピースだったのか、短くて曲の形になっていない。しかしオラシオ・サルガンというのが、ジャズの語法をとり入れた感性の高いピアノ弾きだということが分かる。

Taquito militar

これも摩訶不思議な映像。太目のおばさんがいかにも素人っぽく体をくねらしながら歌う。しかも盗み撮りでカメラが揺れる。見ているほうが恥ずかしくなるぐらい下品だが、歌は半端でなくうまい。Victoriangeles canta y baila "Taquito militar"  en el Teatro Lope de Vega de Pilar, Prov. de Buenos Aires とクレジットがあるがそれ以上は不明。謎のおばさんである。

taquito militar (milonga) de Mariano Mores

これも謎の演奏。乗りが何なのか、居心地が悪いが乗りはよい。裏打ちなのか表打ちなのか、ボサノバにもサルサにも聞こえるが、何かといわれるとミロンガだ。映像はセクシーだ。このコンビの演奏は他にもあるが、ほぼ同じ趣向。なかでもはPor Una Cabeza(首の差)というガルデルの曲が良い。(後で出てきます)

Arturo Nieto-Dorantes

クラシック畑のピアニストがコンサートをやって、おそらくはアンコールでこの曲を弾いているようだ。講釈が長い。チョッとルバートをかけるだけで、ミロンガがアバネーラに早代わり、アルベニスの一曲を聞いたような気分。

(24)さらば草原よ (Adios Pampa Mia)

HPより: 大草原を渡るそよ風を感じさせる、なんとも気分の良い曲です。

カナロは,「オルケスタ(オーケストラ)」という10人程度の楽団によって演奏させることで,タンゴの楽曲としての 厚みを増すことに成功した。これをよりシンフォニックかつ大編成にしたものは,後に「コンチネンタル・タンゴ」として分かれていくことになるが,あくまで もカナロの音楽は,歯切れの良い鋭さを失わなかった(石川さんの解説より)。

Adiós, pampa mía (Francisco Canaro y su orquesta típica)

これがその演奏です。歌はアルベルト・アレナス。45年の録音といいますが、すばらしい音です。この頃は日本の数歩先を行っています。

adios pampa mia

同じカナロですが、こちらはネリ・オマールが歌っています。録音はちょっと古いかもしれませんが、演奏は甲乙つけがたいものがあります。

Libertad Lamarque "Adiós pampa mía"

これは名唱です。その声の伸びはパンパをわたる風のようです。映画のサウンドトラックからのものですが、音質も良好です。

年取ってからの歌もウpされていますが、「風とともに去りぬ」です。同じような映像で、アルベルト・カスティージョのものもありますが、絶対に見ないように。耳が腐ります。

ADIOS PAMPA MIA VIRGINIA LUQUE

歌のタンゴですから、いろんな歌手が取り上げています。中では音が良い分、この演奏でしょうか。しかし少々味付け過剰でもたれます。日本人向けではないでしょう

ADIOS PAMPA MIA

YOUTUBEの怖いのは、上から300番目くらいの順番でとんでもない演奏が出てくることです。これもそのひとつ。GRACIELA REYという歌手がピアノの伴奏で歌っていますが、美声です。最後にチョッと乱れますが、ライブ録音のようです。

Carlos Di Sarli & Mercedes Simone INÉDITO Adiós Pampa Mía


これも顔ぶれからいえば外せません。ただメルセデス・シモーネの声は朗々とした歌唱には向いていないようです。

この曲はヨーロッパ系の楽団がずいぶん取り上げています。アルフレッド・ハウゼ、スタンリー・ブラック、マランドなどいずれも水準以上のものですが、違う曲のようです。


「要綱」1-409ページ
富(ブルジョア的富)は交換価値である。それは交換価値と使用価値とを媒介する特殊な交換価値である。(この時点では未だ「価値」という概念は形成されていない)
資本の内部では資本のある形態 がふたたび使用価値の地位を占め、交換価値としてのほかの形態 に対峙する。たとえば産業資本は、流通として現れる商人に対しては、生産者として対峙する。こうして産業資本は素材面を表し、商人は富の形態面(価値)を表す。
その際、商業の内部では卸売商人、さらに商品仲買人など高次の媒介者が出現するが、それらと現場の商人との関係も、使用価値対価値の対峙関係が適用される。
高次の対峙関係となればなるほど、価値は「明確かつ広範に、自分を表す」ようになる。商業界の最高の地位にいる手形仲買人や銀行家にとっては、資本とは価値の一部を投下して、もろもろの産業から剰余価値を創出する手段に過ぎなくなる。

ブラジル労働党の大会が開かれた。ブラジル労働党はルーラ→ルセフ政権与党で、UNASURの中核を形成している。
大会決議は「欧米政府が新自由主義の危機に対して新自由主義的な治療策を選択した」ことが今日の危機の原因だと指摘している。
これは二つのことを意味している。一つは今日の欧米政府の危機が、08年のリーマン・ショックと直接つながっているものだとの認識である。ひとつは新自由主義以外の政策の実施が世界で求められているということである。
私たちは、この視点をしっかり持たなければならない。日本の経済危機を円高や、国際競争力の低下などにもとめるのは視野が狭すぎる。国際的な経済危機の一環として受け止めなければならない。
労働党決議は、新自由主義に代わる代替策としていくつかの点を指摘している。
*経済の発展を市場任せにしない
*経済発展を推進させることを最重要課題とする
*そのために国民生活の向上と国内市場の拡大を最優先課題とする
*その推進役としての政府の役割を重視する
*危機の影響を最小限に抑える
もっともドラスティックな手段としては為替取引の停止、不動産売買の停止があるが、もちろんこれは最後の手段で、その前にも投機資本に対する規制、資本収支の総枠監視、通貨切り上げ、金利の切り下げ、外貨移動の制限などさまざまな方法がある。これらはいずれも新自由主義政策の根幹に触れるものである。

ブラジル労働党大会を報じた赤旗の裏の紙面にはシリーズ「乱調 世界経済」という記事がある。静岡大学の鳥畑教授が、以下のようにまとめている。

投機の暴走が生み出した損失を引き受けた国家財政が、今度は投機の標的となった。
財政再建という名の下に損失の国民転嫁が進められている。そしてそれが経済停滞を深刻化させるという皮肉な結果となっています。
現在の危機の様相は、各国の財政・金融政策という対症療法で解決できないことを示しています。巨大な企業・金融機関の短期的利益最優先の投機的企業活動の放任が危機の原因です。市場原理にもとづくグローバル化こそが危機の根源にあります。

巨大金融機関は、恩をアダで返したことになる。寄生虫は宿主が死ぬまで食い尽くす。生かさず殺さずという知恵を持たない。

ただ私たちが肝に銘じておかなければならないのは、1929年大恐慌の後、ドルやポンドによる囲い込みで世界が分割され、それが第二次世界大戦へとつながっていった過去の経験である。
ガット・IMF 体制の確立は、たんにアメリカが世界の盟主になったことの証明だけではない。万国の民が対等平等に貿易を行うことで相互の繁栄を図ろうという願いもそこには託されていた。
グローバリゼーションは、民主的な形でのグローバリゼーションは、「もう一つの世界」への扉でもある。非同盟諸国首脳会議ではそれを「新国際経済秩序」と呼んでいる。


財界は国際競争力を錦の御旗に、国民からの税収奪を強化し、労働者の収入を減らし、端的に言えば国民生活を破壊してまで、利益の確保に躍起となっている。
しかしそうやって積み立てたお金はそのまま使われずに、内部留保として空しく積み上がっていく。
途中の理屈を全部飛ばすと、日本経済は大企業の内部留保を増やすために機能していることになる。それはまったくの一方通行であり、稼げば稼ぐほど国民はますます貧しくなることになる。

企業は国際化の中にあって、厳しい試練に晒されている。為替も原油も穀物もきわめて不安定で、先の見えない時代になった。国際的な投機資本の手にかかればライオンに襲われたガゼルのごとく、一発アウトである。だから内部留保をこれまで以上に積み上げて、体力の強化を図るのは当然のことである。

個別企業にとってはその額に制限などない。多ければ多いほど良いのである。しかし一国の経済全体を考えれば、その額はおのずから決まってくる。景気を失速させないようなレベル、経済を貧血状態に陥らせないようなレベルが相対的に決まってくる。

内部留保に向かう水道の蛇口を閉めたり緩めたりするのは、政治の役割である。具体的には徴税制度のありかたである。これは左翼の考えではない。日銀の総裁も、最近では連銀のバーナンキも「政治の役割だ」と口をそろえている。


国際競争力とて、これだけがんばってこれだけ競争力が上がれば、国民生活が良くなるという話ではない。ただひたすら「負けたら生活がもっとひどくなるからがんばれ」というだけだ。
「がんばったのに良くならないではないか」とか「これだけ国民の所得が減ったのに競争力が回復しないのはどうしてだ」とねじ込めば、「これだけがんばったから、この程度の生活悪化で済んだのだ」と反論するだろう。

つまり「あぁいえばこういう」の世界で、このままでは二つの事態が永遠に続くことになる。内部留保の蓄積と、国民の「貧困の蓄積」である。「それでその先はどうなるのだ」ということに対する答えはない。

経団連や政府のさまざまな発言をどう見ても、出口に対する答えはない。これでは国民は何時まで、何を目指してがんばれば良いのかという目標を持つことはできない。戦争のときは「ほしがりません、勝つまでは」といって、ウソでもよいが一つのゴールがあった。いまの国際競争力論には、それすらない。

だが、実は短期にはゴールはあるのである。それが円高だ。国民生活の困窮はデフレをもたらし円の価値の相対的上昇をもたらす。これが構造的円高だ。もうひとつ内部留保という資産の積み上げは国際投機資金の流入をもたらし、円を押し上げる。

政府は円高だからデフレだといって介入するが、原因と結果が逆だ。いまは確かにアメリカとヨーロッパの景気動向が外圧となって円高を規定しているが、本質的には積み上げた内部留保と相対的低賃金が円高要因を形成している。

円高が何をもたらすかは省略するが、ようするに国民収奪強化が円高を生み、それから逃れるためにさらに国民収奪が強化されるという悪循環が形成されていることになる。これからの脱却が必要だ。

民医連の医師として過ごしてきたから、転勤は数え切れない。すべて単身赴任だったから、住居に未練はない。部屋はシンプルを旨としてきた。それなりの音が出るステレオがあって、近くに良い居酒屋があればよい。
しかしこういう人ばかりでは日本経済は成り立たない。物欲が豊富で、我が家とかご近所・親族が何よりも大切という人がいないと世間は成り立たない。そういう人たちのために経済はある。
そのために必要なのは定職と持ち家だ。今の若者にはこの二つがない。定職がないから家が持てないのだから、定職を与えることがまず第一だが、そうもいっていられない。定職があっても家を持てない膨大な層がそのさきに存在している。
若者の多くがパラサイト化しているが、宿主である団塊の世代が疲弊してくれば、どうなるのか分からない。職の不透明さと、住の不透明さがオーバーラップしてくる。
定職があれば家を持てる、定職がなくてもそれなりに家に住めるようにしなければ、いずれ1億総ホームレスになってしまう。

とはいっても、人口減少と高齢化が進む現状のもとで、住宅の新規建設一本やりでは立ち行かないことも事実である。
既存住宅を活用して一つは高齢者向け、一つは若者向けにリフォーム・リサイクルする方向が求められる。これは小口融資と無償援助を組み合わせた金融制度の改善により、十分対処可能な分野である。すみやかに手を打つべきだろう。
とくにこれは中小建築業者を潤す効果があり、裾野が広く経済活性効果は大きい。

共産党が各地自治体で住宅改修費の補助のキャンペーンを行い、効果を上げているようである。これを政府レベルで行うことが大事である。大企業向けの施策よりはるかに高い経済効果を生むだろう。

とくに震災復興に関しては、神戸大震災後の復興という「負の教訓」がある。仮設住宅から本住宅の建設へという大方向を示しつつ、必要な資金対策(おそらく数千億円の規模)を打ち出してもらいたい。

タンゴ名曲百選 その8で Volver を歌う hECTOR iSLAS を紹介した。
気になるので少し検索してみた。
 http://www.aztlan.be/islas.htm

Héctor Islas (México DF, 1963) estudió economía y fue profesor en el CIDE (Centro de Investigación y Docencia Económica), pero pronto la literatura y la música se harían más importantes para él.

要するに名のある経済学者だが、それ以上に文学や音楽のほうで有名らしい。

Ha grabado varios exitosos CD’s y en Europa es uno de los artistas latinos más famosos por lo cual le invitan cada año a participar en festivales internacionales. Los Hits: “Margarita” y “Mi Corazón” de estos álbumes son de Héctor Islas.

けっこうな掘り出し物をしたようだ。それではその“島先生”のマルガリータとミ・コラソンを探してみるとするか。

そろそろ皆さん、「しつこい」とか「もううんざり」とか言われるかもしれません。堪忍してください。未だ1/5です。

(21)台風 (El Huracan)

HP: エドガルト・ドナートは何回かこの曲を録音しているようですが、中でも一番わざとらしい演奏です。擬音から歌まで入っています。この曲にはそのほうがあっているようです。

EDGARDO DONATO - EL HURACAN

というわけで、これがその音源です。

EL HURACAN - Los Reyes del Tango.wmv

YOUTUBEには踊りの映像がたくさんありますが、意外と使われているのがこちらの音源。それほど良いとは思わないが、リズムの刻みがはっきりしていて踊るには良いのかもしれない。

El Huracan Donato Raciatti.wmv

これも悪くない。奇をてらわず、曲本来の良さを引き出している。…とも言えるかな。

そもそも、選んだ自分で言うのもなんだが、こんな曲、ベスト100に入るのかいな。

(22)リベルタンゴ (Libertango)

テレビ・コマーシャルではヨーヨー・マの演奏が流れ、人気を博しました。この曲の良さは「疾走感」につきます。多くの演奏がピアノのリズム、弦のメロディーと仕事分けするのに対し、フォアレバー・タンゴは逆を行って「疾走感」を表すのに成功しました。

しかしYOUTUBEにはこの演奏はない。(ひとつだけダンスの伴奏に使われていた)
セステート・マヨールのライブ録音はいくつかあるが、衰えを感じるのみである。

Astor Piazzolla-Libertango

ピアソラ自身の演奏である。Álbum: Libertango (1974)とある。たぶんいくつも音源があると思うが、これはあまりさえない部類。

Astor Piazzolla Libertango (versión original)

こちらが初演時のヴァージョンで、こちらのほうが良い。

Astor Piazzolla - Libertango

なんだかんだといいつつ、ヨーヨーマの演奏はすごい。彼だけでなくほかのメンバーもいい音を出しているから、ハーモニーが分厚くて迫力がある。「葉加瀬太郎氏と小松亮太氏による共演」という演奏もアップロードされているが、小松はさすがと思うが、葉加瀬はもう少しタンゴの語法を勉強するべきだ。これではジプシーバイオリンだ。

Libertango - Astor Piazzolla : Ryota Komatsu

と書いたらその下に小松のバンドによる演奏があって、こちらのバイオリン(女性)はめっぽううまい。この曲は名演奏が多いが、その中でも屈指の演奏だと思う。

Libertango - Carlos Buono y Orquesta

これは良い。オルケスタという割りにバンドネオン、エレキギター、ピアノ、ウッドベースという地味な編成だが迫力はある。狭いスタジオでの録音で、ガラスの向こうの調整室では何と技師がタバコを吸っている。ふざけた野郎だが、録音の腕はさすが一流だ。

ASTOR PIAZZOLLA LIBERTANGO QUINTETO SUAREZ PAZ

いまやタンゴ・バイオリンの第一人者スアレス・パスがオルケスタを編成したライブ録音。少々ゲテモノだが、歌まで飛び出すサプライズ。見ていた人には楽しかっただろう。

以下は番外という感じ

"Libertango", Las Rositas


きれいな姉ちゃん方のビジュアル系演奏と思ったら、なんのなんの。しっかり、ねっとり、タンゴの乗りだ。

Anderson & Roe Piano Duo play "LIBERTANGO" (Piazzolla)

なんか分からないが、めちゃくちゃ楽しい映像だ。

Libertango

Bond というニューヨークのバンドだそうだが、なかなかいけてる。 Bond have continued to perfect their fusion of pop, worldbeat, and classical instrumentation と紹介されている。

The Swingle Singers Music Video Piazzolla 'Libertango'

スィングル・シンガーズが未だ健在とは知らなかった。相変わらずの腕前だが、アレンジはピントが狂っている。

中央銀行の金融政策をめぐってはずいぶんと議論があるようだ。
うかつなことはいえないが、とりあえずこんな感じかなという印象論を書いておく。

そもそもデフレに対してどういう政策を取るべきかということだが、これはバブル後の日本の長期経済低迷をめぐって、どうすべきか、あるいはどうすべきだったかという議論が出発点になっている。

日本はゼロ金利政策を採って、景気浮揚を図ったが、結局、景気は回復しないまま現在に至っている。これをめぐって二人の経済学者が登場する。一人はポール・クルーグマンという人で、彼はこれを「流動性のわな」と呼んだ。

以下は「流動性のわなに陥った米経済、有効な救済策はあるのか」というレビューの抜粋。


流動性のわなとは、金利が極めて低い水準に達し、消費者や企業、投資家にとって資金を現金で保有しようが、利付き投資で保有しようがコストに違いのない状態を意味する。

こうした状況をケインズが「わな」と呼んだ理由は2つある。

 1つは、消費者や企業が投資を控えて現金を保有しようとすれば、経済はさらに弱体化するからだ。

 2つ目は、米連邦準備理事会(FRB)の通常の金融政策の効力を無効化してしまうためだ。低金利が限界に達すると、いくらFRBが紙幣を増刷して債券を購入しても、利子を生まない銀行準備金が増えるだけで、新たな融資や投資には資金がほとんど回らなくなる。


したがって、投資を促進し経済成長を実現するためには金融政策以外の方法、端的に言えば財政出動によらなければならないということになる。

この「流動性のわな」という現象は大恐慌の後なくなったと考えられてきたが、1988年にケインズ経済学者のクルーグマンという人がふたたび主張し始めて、かなりの説得力を持つようになっている。

しかし日銀当局は「流動性のわな」という考えを採らなかった。そしてゼロ金利政策に加えさらに量的緩和措置(Quantative Easing)という政策を採用した。

これがえらくむずかしいのだが、結論から言うと、日銀が国債発行を引き受けるということだ。これは金融モラル上相当問題がある。政府は実質、無制限に国債を発行できることになるからだ。国債が円に化け市中に溢れることになる。

これがある程度有効だったことは、2000年に緩和措置を止めたときに、猛烈な不況が襲ったことから、逆の形で証明されたことになる。(…らしいのだが、これ以上は分かりません)

このときもう一人のサプライサイド経済学者バーナンキが登場し、日銀の政策を痛烈に批判する。ただ彼の批判というのは根本的な批判ではない。「不十分だ、もっとやれ」というのがその内容である。

つまり、紙幣をばら撒くだけでは不十分で、ご馳走さまといっているその口に札を押し込めというのだ。そうすれば必ず世間は堪らず金を吐き出し始めるはずだということになる。究極のマネタリズムである。これを世間では「バーナンキの背理法」というらしい。

Diamond Online というサイトに次の一文があった
http://diamond.jp/articles/-/5251

「世界一の借金王」と自らを揶揄した小渕首相は、YKK(山崎拓、加藤紘一、小泉純一郎氏)と飲んだときに、こんな風に言ったと伝えられる。

『大変なことをしたと思っている。おれは死刑になってもおかしくないなあ』


2000年といえばこういう年だったのだ。
しかし今や日銀は、量的緩和の道をまっしぐらといってよい。
白川総裁は口ではきれいなことを言っているが、実際の行いはバーナンキも真っ青というくらいのQEにまい進している。たぶん酒に酔えば、故小渕首相と同じセリフを口にしているのではないだろうか。

週末に釧路に行く予定が台風でキャンセルになりました。
ネットで台風情報を探していたら、こんな川柳がありました。

「台風よ 君には進路が あるんだね」――就活川柳2011

世の中には、泣ける川柳というのもあるんですね。

以前、アルゼンチンの経験から見て、このままではギリシャはデフォールトとユーロ圏からの脱落しかないと書いた。(7月24日、7月26日)
その後、欧州共同債を提唱するスティグリッツの意見を紹介した。(8月18日)
問題は、ギリシャのデフォールトを容認するかどうか、その波及効果にEUが耐えられるかどうかということだ。逆にもしギリシャを守るのなら、ギリシャを守りきれるのかどうかということもはっきりさせなければならない。
もちろんEUの理想としての各国の連帯という思想も大事な視点であるし、ギリシャを見放したことでユーロへの評価が上がるのか下がるのかの見極めもある。
さらに根本的な問題は、ことはギリシャ問題なのではなく、EUとユーロ・システムの破壊に攻撃の真の狙いがあるということである。ギリシャはそのための前哨戦にしか過ぎない。

ところがここに来て、EUの盟主たるべきドイツが揺れている。欧州中銀(ECB)はギリシャよりもイタリアとスペインを重視し、220億ユーロをつぎ込んだ。考えようによってはここだけは守ろうという判断にもとれる。
しかしドイツのウルフ大統領がこれに噛み付いた。「(欧州中銀の対応は)欧州連合の機能に関する条約に違反し、欧州中銀の独立性を損なう」ものだと批判したのである。これはドイツ国民のあいだに根強い被害者意識の現われだろう。
これに対してポーランドがEU議長国の立場から批判を加えた。「ドイツのような主要国が危機への対応を間違えれば、欧州は崩壊する」と批判というより悲鳴に近い発言だ。

片岡記者によれば、欧州財政危機は、いまやEU対投機資本の一騎打ちの様相を呈している。これまでEU、IMF、ECBが相当のてこ入れをしてきたが、投機資本の売り浴びせ攻撃は収まっていないという。
結局、アメリカの量的緩和(QE2)でジャブジャブになったドルが押し寄せているわけだから、ただならぬ闘いになることは間違いない。

もしEUがこの闘いに勝つことができるとするなら、それは欧州共同債しかない。
現在は欧州金融安定基金(EFSF)が組織され、各国の拠出額が5千億ユーロ近くまで積み上げられているが、未だ額が少ないことと、国債買い取り機能がないことから十分に役割を発揮しているとはいいがたい。
当面はこの安定基金の役割の拡充を目指すことになるが、それでも情勢打開の可能性は低いと見られる。
となれば、残された道は各国債のユーロ債への一本化しかない、というのが共同債の発想である。

いま一度、スティグリッツの言葉を引用しておこう。
「思うにEUは公平な経済成長を回復するためには連帯基金を創設すべきだ。もし現状で連帯基金の創設が不可能なら、ヨーロッパが考えるべきオプションのひとつは諸国家をまたがる債務再構築だ」

各国首脳にはこのような共通認識が形成されつつあるが、未だ国民全体の認識には温度差がある。
いずれにしても時間勝負であるから、毎日の動きには眼が離せない。



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