鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

13年4月、ぷらら・Broachより移行しました。 中身が雑多なので、カテゴリー(サイドバー)から入ることをおすめします。 過去記事の一覧表はhttp://www10.plala.or.jp/shosuzki/blogtable001.htm ホームページは http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」です。

2011年09月

昨日は圧倒的な量の事実に圧倒されて、飲み込むのが精一杯で咀嚼できませんでした。
肝心なことは現在の税体制、そしてこれからやろうとしている「一体改革」の評価です。

A.シャウプ勧告をどう見るか

シャウプ税制は良くも悪しくも戦後日本の原点の一つです。ニューディーラーの影響を受けた制度という意味で は憲法をはじめとする戦後改革と並ぶ性格を持つものですが、他の制度とは異なり、日本が戦後民主化の時代を終え、いわゆる「逆コース」に入りつつある時代 に導入された制度であるという点では、一線を画して見ていかなければならない側面をもっています。

もう一つ、他のシステムはアメリカが戦時中から すでに準備し、占領初期に実施され少なくとも一度はシステムとして定着したのに対し、租税制度は施行の時期に講和条約を迎え、日本支配層の抵抗により、発 足当初から歪められた形で導入されていることです。その点ではシャウプ勧告と、それを受けて発足した戦後租税制度(シャウプ税制)は、一定分けて考えなけ ればならない側面があります。

シャウプ勧告は次のような側面を持っているといえるでしょう。
A.その残滓ではあるが、平和と民主主義の日本を築こうとする反ファシズム闘争の流れ。とくに反財閥・反独占の立場。
B.日本に理想を実現しようとするニューディーラーの流れ。批判的に見れば「所得税原理主義」ともいえる。
C.税収の安定を図り、経済成長を促す財政政策として位置づけ、資本主義育成に貢献するという目標。これはドッジプランとペアーになっている。

これらの側面を持つシャウプ税制ですが、全体としてみるならば戦前・戦中の日本の税制に比して進歩的なものであったことは疑いありません。
戦前世界に冠たるものであった日本の所得格差は、欧米諸国と肩を並べるまでに縮小しました。これはたんに税制の問題だけではなく、戦後諸改革や高度経済成長が寄与して総合的効果として実現したのですが、税制改革の貢献も無視するわけにはいかないでしょう。

B.直接税原理主義の内包する矛盾

1.直接民主主義の優位性と限界

シャウプ勧告に通底する思想は、一言でいえば直接民主主義の思想だと思います。自立した意識的な諸個人が社会を形成し、社会の公益のために応分の負担をするということが前提になっています。その上にある意味では外在的なものとして州なり連邦政府があるという構造です。
これはピューリタニズムであると同時に、君主制や大土地所有制を経験していないアメリカ独特の発想でもあります。国の政策がモロに国民生活に影響する日本にとっては、必ずしも適合した政治モデルとは言い切れないかもしれません。
税金に対する一種のオプティミズムにも違和感を覚えます。税金は神社の御祭の奉加帳ではありません。日本では明治の地租改正以来、重税に苦しめられてきました。税金は独占資本主義の強蓄積のための大衆収奪の手段にほかなりませんでした。税の持つはずの所得再配分機能はまったく働かず、飢えに苦しむ民衆の上に底知れぬ資産を持つ大金持ちが君臨していました。
「収奪者を収奪せよ!」が税制改革の合言葉にならなければなりません。その上ではじめて直接民主主義の理念が現実的意味をもつことになります。

2.包括的所得概念

概念的にはまさしくその通りだが、給与所得以外の所得評価はかなり難しい。捕捉率を100%にまで上げない限り包括的所得概念は画に描いた餅になります。個人経営でも「マルサの女」張りの格闘が展開されるのですが、これが法人経営となるとさらに困難を極めます。パチンコ屋のレベルではありません。したがって所得源泉としての法人利益を法人税として前取りした上で、給与外所得にはその分を割り引いて課税するという形にならざるをえないでしょう。
資産課税はさらに難しい。テレビの「おたから探偵団」のスタッフにお出まし願わないとならない。要するに包括的所得概念には、その理念以前に適正徴税能力という技術的な壁が立ちふさがっているのです。

ただし、包括的所得概念の理念がそれで死ぬわけではありません。さまざまな技法上のテクニックを用いたとしても、「取れるものは何としても取るぞ」という気構えと迫力はシャウプ勧告の真髄であり、それはしっかりと受け継がなければならないと思います。

3.法人税

法人は擬人であり人格を持たない。したがって本来は課税の対象とならないというのがシャウプ税制の「原理」です。これは現実を考えれば、あまりにもユートピア的考えでしょう。いまもなお企業には200兆円を越える内部留保が積みあがっています。そのお金は結局誰のものでしょう。法律的には会社を構成している社員、すなわち株主の財産です。株主総会の議を経ればどう使おうと勝手、ということになります。
もし企業が将来の拡大のためにそれを使おうという目的で留保しているのであれば、それは目的を限定して自己資本、あるいは何らかの基金に組み込まなくてはなりません。そうでなければただの死に金であり、日本経済のためになりません。法人税が所得税の前取りであるとするならば、内部留保の野放図な増大をコントロールできる税率が課されるべきでしょう。

C.いまシャウプ税制を考える

いくら骨抜きになっても、形骸化したとしても、税法の骨格はなおシャウプ税制に由来するものです。富裕税は施行されるまでもなく消えてしまいました。企業活動や個人のやる気を維持するために下げられた累進課税率や法人税率は、その後の高度成長政策の中で引き上げられました。

それが80年代後半からの新自由主義の浸透の中で、法人税率が下がり、その代わりに消費税が導入されました。いまや法人税収入と消費税収入はほぼ肩を並べるに至っています。所得税の累進性は維持されていますが、証券優遇税制により包括的所得に対する税率は大幅に引き下げられています。

さらにいま議論されている一体改革(恥ずかしげもなく復興税を隠れ蓑にしようとしている)が実現すれば、シャウプ税制は完全に息の根を止められることになります。

シャウプ税制というのは、ひらったく言えば、所得税を柱に金持ちからしっかり金を取ろうというのが基本です。その際、累進性を強化するよりは、定率性に近く曲線を寝かせて、金持ちのやる気も維持しましょう。そのほうが結局収納率は良くなるでしょう(水平面の公平性)、という理屈になっています。

もう一つは金持ちになればなるほど給与外所得が増えてくるから、それもしっかり捕捉しましょうということです。そのために法人税を所得の源泉を押さえるという視点から確保しましょう。これも企業のやる気をスポイルしないために最大35%程度の税率にして、それ以上については別途に課税の方法を考えましょう、ということになります。

そこがきっちり押さえられれば、給与外所得については多少のお目こぼしはあってもいいかな、という姿勢も見え隠れしています。

この課税制度がうまくいかなくなった最大の理由は、法人がひたすら内部留保を積み上げるようになったからです。だからシャウプ税制の直接税原理主義が抜本的な改革を迫られているのは、事実ではあるのです。ただし改革の方向はまったく違います。内部留保への課税、資産課税の強化がもっとも大事な課題でしょう。

少なくとも法人税減税は問題解決の方向には向いていません。


税大ジャーナル 2008.10

「シャウプ勧告の再考」 神川和久

シャウプ勧告について歴史的背景、階級的性格、現時点での意義など非常に総合的に分析された文章で、参考になりました。さまざまな租税特別措置がいかに税制を阻害しているかもよくわかりました。また税制はいやおうなしに経済政策とのかかわりを持つが、根本的には時々の経済政策ではなく、国民生活の向上のためのものだという「原点」に立ち返らなくてはならない、という視点は大事なポイントだと思います。

A シャウプ勧告の歴史的背景

1.招聘の経緯

戦後復興にあたり緊急拡大型経済政策を取ったが、主たる財源を復興債に頼り、その大半を日銀が引き受けたため、通貨の供給過多を招きインフレ圧力が強まった。

アメリカは48年12月に「経済安定9原則」を発表し引き締め政策を打ち出した(ドッジ・プラン)。

その中で支出削減と並んで税収の増収をもとめた。これにもとづき米国内で適任者を募ったところシャウプを長とすることで一致した。

シャウプは「租税の経済的効果」に関する専門家で、大統領経済諮問委員会の委員、全国税務協会理事長などを歴任していた。メンバーのほとんどは法律専門家ではなく経済・財政専門家であった。

シャウプは就任に当たり、「細部にわたる具体的な租税法規の立案の責任を負わない」ことを条件とした。その目標は全体的な財政上の制度設計にあったとされる。

2.使節団の活動

49年5月から約2ヶ月、農業・商工業の納税者と直接面談し聞き取りを行った。また税務署の最前線を監察し行政の現状把握に努めた。

3.一次勧告(49年9月)

来日後わずか4ヶ月で、全4巻の勧告書を完成した。団員の一人は感想に「ある程度の税制の理想のようなものを掲げた点もある」と述べている。

B.勧告の概観

1.目標

①経済安定への貢献、②安定した税制の確立、③現行制度の不公平の除去、④地方自治強化への財政的支持、⑤政務行政の改善、徴税執行の強力化

序文は“一体改革”を強調。「勧告事項は相互に関連を持っている。その一部が排除されれば、場合によっては有害なものとなろう」

2.直接税中心主義

「直間比率は国民の納税に対する自覚の程度を示す」

直接税は納税意識を高め、応能負担の原則にもとづく公平に合致し、富の再配分機能を有する。

2.所得税

現行制度は公平性の視点からいくつかの問題がある。これを改革する。

①所帯課税制度を廃止する。

②貧困層を各種控除で保護する。

③最高税率を85%から55%へ低減。高税率による納税意識の低下に対処する。

④富裕層の税金逃れを防ぐため、譲渡所得の1/2課税を全額課税にする。利子所得の分離課税を廃止する。

3.富裕税

累進性を緩和する代わりに、所得税を補完する税として富裕税を提案。富裕層の純資産に毎年定率の課税を行う。

4.法人税

本来法人は擬人であり納税義務はない。しかし法人所得は個人所得の源泉であり。法人税はその前取りと考えられる。

多くの法人は内部留保すれば税金を逃れることができ不公平である。これを回避するため35%の単一税率を課する。(これはかなりの引き下げになった)

法人所得は最終的には株主の所得となるのであるから、キャピタルゲインの完全な捕捉により公平性が保障される。ただし法人税としての前取り分については割引が必要。

5.所得税の理念

「所得とは、一定期間中における純資産の増加である」ととらえる。現在の包括的所得概念に一致する。

包括的所得概念のよいところ

①公平負担の要請に一致する

②所得税の再分配機能を高める。

③所得税制度の持つ景気調整機能が増大する

ただシャウプ勧告が、戦後の悪性インフレに対処する租税政策として打ち出されたという背景は見ておかなければならない。現在のデフレ基調に対してシャウプ勧告がどういう意味を持つのかは慎重に検討されなければならない。


C. シャウプ税制の崩壊

51年法人税率の引き上げ。35%から42%に。

51年 法人の留保所得に対する利子付加税の廃止

53年 所得税からの利子所得の分離。銀行など金融機関の預金優遇のためとされる。

53年 有価証券の譲渡所得課税の廃止。低率の有価証券取引税の新設。

53年 富裕税の廃止。資産把握の困難さ、手続きの煩雑さ、執行上の困難。これに伴い所得税の最高税率を55%から65%に引き上げ。

シャウプ勧告における個人の所得を基準とした、公平を理念とする税制が、高度経済成長を支える資本蓄積というもう一つの大義名分により骨抜きにされ、法人税・所得税・資産課税という個別の体系を形成することになった。

「所得」を包括的所得概念により定義することは理論的には最も優れていいるが、実現主義の原則とは背馳する事があり、執行上の困難性も発生する。

設定税率の議論以前に、課税ベースの適正化という観点から租税特別措置法を全面的に見直す必要がある。とくに法人税の実効税率の議論において、租税特別措置等による課税ベースへの影響を考慮せずして、税率のみの国際比較をしてもまったく意味を成さない。

ともあれ、わが国の税制論議が経済政策に偏重することは好ましくない。

シャウプ博士は「税制は、国民のもっとも貴重な資源の一つです。納税者自身が納得して、全体としても筋が通っていてこそ、公平な税制といえるのです。そこで私は、公平さということを経済成長の前に位置づけようと考えます」

シャウプ税制骨抜きの歴史

1.占領軍の「逆コース」
*税制改革の骨抜きに最初に関わったのはほかならぬ占領軍。
*講和条約の締結後、最初に行ったのが富裕税の廃止。また金融所得が分離課税となる。

2.日本租税研究協会
*池田勇人蔵相を先頭とする大蔵省が財界人などを結集して組織。シャウプ税制の骨抜きを推進。
*山田勧銀会長(元大蔵次官)「とにかく外来的の思想、シャウプ勧告によってできた税はご破算に。一つは富裕税」
*松隈中央酒類社長(元大蔵次官)「直接税の比率を高めたのは馬鹿なこと、取引税を残せばよかった」
*原安三郎日本化薬社長「欧州諸国の売上税が一番取れる。一番公平だ」

静岡大学名誉教授の安藤さんが「税金から見えてくる民主主義」と題して戦後税制について語っています。
私たち「団塊の世代」は戦後民主主義の教育を受けて成長してきました。
学校時代に習った戦後民主化の柱は、①新憲法・軍備解体、②財閥解体、③農地解放 でした。これにより戦前の日本を支えた三本柱が弱体化し、民主主義発展への実質的な保障となったのです。
これに比べると税制改革はそれほど重大な課題ではありませんが、新政府を財政的に支える柱をどこに置くかという点では大きな意味を持つ改革だったと思います。
しかし税制改革について講義を受けた憶えはあまりないのです。恥ずかしながら今回の記事は初耳が結構多かったです。
たぶんネットには掲載されないと思うので紹介します。

1.シャウプ使節団
*1949年、占領軍司令官マッカーサー元帥は、税制面において天皇制から民主制への転換をはかるため、本国に調査団派遣を要請した。
*この要請を受けカール・シャウプ(コロンビア大学教授)を団長とする税制使節団が派遣された。
*シャウプ使節団は日本の民主化を目的とする税制改革案を提出した。

2.シャウプ勧告の基本思想
*使節団は、財閥による経済支配が、日本軍国主義の土台になったと見た。
*財閥を復活させない、特定のグループに膨大な富を蓄積させない。

3.シャウプ勧告の柱
*所得税など直接税中心の税制の確立
*取引高税という大型間接税を廃止
*地方自治を支えるため自治体の独自財源を確保

4.所得税のあり方
*個人所得税は利子や配当などの金融所得も総合して課税
*定率課税ではなく、所得が高いほど税率も上がる累進課税制度
*資産に対しても課税する富裕税の新設

5.直接税中心主義
*直接税は意識して支払う税金だから、国民は税金の使い道にまで関心を抱くようになる。
*間接税は、税金を払うという意識が薄いから、政府は国民から遠い存在になる。
*直接税は応能負担の公平な税なのに対し、間接税は大衆負担の税である。


G20会議に向けOECDとILOもアピールを出した。昨日載せた労働運動団体の訴えに次ぐもの。
とくに両者が連名でアピールを発表したことに、この問題の緊急性がうかがえる。

アピールではまず失業者の状況を報告している。
*主要20カ国では08年金融危機以降、2千万人があらたに失業した。
*現在の雇用情勢が続けば、来年までにさらに2千万人が職を失う。
*世界の失業者は世界で2億人。これは戦前の大恐慌に匹敵する数だ。

次いで失業対策を提示している。
*雇用の質を高める。非正規雇用を減らすことが決定的に重要だ。
*失業と結びついた貧困層の増加に対しては、社会保障制度が大きな役割を果たす。

厚労省が被災地求職者に対し失業手当の給付日数を90日間延長すると発表した。
とりあえず、正月は越せるということだ。
しかし厚労省としてはこうやって尻拭いをさせられるのは面白くなかろう。速やかに補正予算を執行させ、仕事起を急がなくてはならない。とくに漁業ではインフラの整備が不可欠だ。
冷凍設備がないとさんまの水揚げもできないということが、花咲漁港のニュースでわかった。このあいだのサメの話といい、漁業は流通インフラを含め裾野あっての漁業だ。

政府の原子力委員会が国民の意見の集計結果を発表した。
これによると原子力発電を廃止すべきだという意見が98%を占めた。このうち直ちに廃止が67%、段階的廃止が31%というから驚き。
…と思ったら、これは国民から寄せられた意見の集約だ。原子力委員会に送られた意見書約1万件のうちから抽出調査したものなので、相当バイアスがかかっていることは間違いない。組織的な投書が行われた可能性もある。

すっかり風邪を引いたようだ。
何をする気も起きない。
「淡き光に」のヨウツベあさりをして一日過ごした。「淡き光に」というのは名訳であるが、本当は上品過ぎる題名だ。コリエンテス通りという高級マンションが並ぶ町の二階に居を構える超高級娼婦の歌だ。大正末から昭和はじめの時代だ。昭和元年全国の電話加入数が50万台を突破したという記録がある。電話があって高級電気蓄音機があって(それもビクトローラだ)という家など、たぶん静岡でも両手で足りるくらいではなかったろうか。
メディア・ルスというのは電球を半分消して、仄明かりの状態にすること。「夜目遠目傘のうち」といって、これなら年もしわも隠せる。後はシンネンムッチリ、という次第。
当然、本来なら女性が歌う歌だが、どう歌うかとなると難しい。上品過ぎてもだめだし、港町の女のように下品になっても困る。どのくらいならよいかというと、それは殿方のお好みで変わってくる。
ということで、結局男性が歌う歌になってしまった。





24日の赤旗に「国際労働団体の共同声明」が報道されている。
国際労働組合総連合(ITUC)、国際金属労働組合連盟(IMF)などが、G20雇用担当相会合に向けて発表したもの。

声明の趣旨

声明の趣旨は、雇用創出を政策の基本に据えるようもとめているところにある。

08年の世界金融危機はG20だけで1億人以上の雇用を奪った。雇用水準を危機以前の水準に回復させることが必要だ。

現下の経済情勢は民需の減少に起因するものだ。民需振興のためには雇用の拡大を政策の中心に据えければならない。

提案の要旨

以下要旨を箇条書きにする。

1.財政赤字と緊縮政策について
*「財政赤字は弱い民間需要の結果である。原因ではない」
*緊縮財政は景気を冷え込ませ、さらに財政を悪化させる。
*積極財政をとり、「雇用と生産の拡大によって財政赤字を削減すべきだ」

2.構造政策について
*構造的危機の原因は経済格差の拡大だ。
*「雇用の質を向上させ、所得の不平等を縮める」構造政策への転換。
*当面、「雇用創出をマクロ経済政策の中心に据える」方向にG20諸国が立つこと。

3.具体的な対策について
*税制改革による所得格差の圧縮
*最低賃金の引き上げ
*社会保障の拡充

4.財源について
*タックス・ヘイヴン(租税回避地)を野放しにせず、必要な規制を加えること。
*金融取引税など投機的な資金移動への規制を強めること。

新自由主義について
「今回の危機を最後に規制緩和、“柔軟な労働市場”のモデルを促進するようなイデオロギーを終わらせなければならない」

まずはIMFの発表。
ユーロ危機は欧州全体に波及し、銀行は2千億ユーロ(20兆円)の国際関連損失を計上することになる。さらに危機国との取引に伴う損失を含めれば3千億 ユーロに達する可能性があるとしている。ただしIMFはアメリカの立場を代弁しており、危機感をあおる傾向があるので、少し割引してみておくべきだろう。
IMFは危機回避のためには資本増強しかない。自力調達ができなければ公的資金の注入を、と訴えています。

よく分からないのですが、国債の格付けが下がると、国債のリスクが高まり、リスクが高まれば利率は上がります。欧州の銀行は国債を購入するというかたちで、それらの国に貸し込んでいましたが、利率が上がれば、額面に対する実質価格は割り引かれることになります。この差額が銀行にとっては損失処理の対象となります。
…ということだと思います。


欧州中銀は「EUの金融システムのリスクは著しく高まった」と発表した。とくにユーロ導入後EU内金融システムの相互関連性が高まったことが、深刻な結果をもたらしていることを強調した。その上で銀行資本増強の必要性を訴えた。
まさにギリシャやアイルランドではなく、EU本体の動揺が始まったのである。

2010-06-01 13:25:57
牧田吉明が死亡しました。
これをご覧になったお知り合いの方、牧田と縁のあった方にお知らせします。
もう1年以上もたつんだ。岐阜に居たんだね。最後は生活保護を受けて、心筋梗塞になって入院して、入院先から脱走して家に帰って、死んでいるところを発見されたらしい。

ブログ改題 チャタレー夫人の居ない庭番というブログを開設していて、そこに経過が詳しい。

わたしは、小樽診療所の所長時代に、飲み屋で2,3回席を並べただけである。その店は花園通りのだらだら坂を半分ほど登って、ふいと右に曲がった、嵐山通りの奥の、居酒屋なのになぜかチーズパイにはまった亭主の店だった。9時半を過ぎると、居酒屋の客は大抵いなくなる。そこでセザリア・エボラを聞きながらグレンヴィルのロックで一杯やるというのが日課だった。そこに時たま彼もいた。塩谷の山の中で鶏を飼っていると聞いた。
おそらく彼は極度の躁病で、しかも年齢とともに重症化して行ったのではないか。ただ欝というほどではないにしても多少落ち着いていた時期はあったと思う。小樽期の後半がそうだったのかもしれない。
とにかく私のようなごりごりの日共・民青ともまともに話が通じた。私のほうが半年ほど上だが、同じ学年。同じ静岡の生まれだったから、おのずから話は無難にそういう話で始まった。
行動半径はかなり重なっていた。昭和町のちょっと入ったところに浮月という料亭があって、ここは隠居した徳川慶喜が暮らしたところだが、そこの息子と彼はつるんでいたらしい。そこへ行くと私は貧民だから、浮月といえばセミ取りで忍び込んで追い出された記憶しかない。
しかし酔いが回ればそれで終わるはずもなく、爆弾の話から、立命館での“単身殴りこみ”の武勇伝と一通りは聞かされる羽目になった。
実は立命館の攻防戦については民青の側の当事者からも聞いていたので、「飛んで火に入る夏の虫」の弁は面白かった。
彼の記憶力には舌を巻いたが、しかしそれが何になるという冷めた感情も捨て切れなかった。「俺は今でもがんばっているぞ」という自負が素直にさせなかったのかもしれない。
三回目には、養鶏場がうまく行っていないと愚痴もこぼした。そして本をくれた。「わが闘争・スニーカーミドルの爆裂弾」という勇ましい題名の本である。
それ以来音沙汰はなくなった。飲み屋の亭主も最近は顔を見せていないという。1996年の初春、未だ残雪うず高きころの思い出だ。


最近では、コロンビアの前大統領アルバロ・ウリベが右翼勢力の極となり、チリ、ペルー、コロンビアの統合を図っているようである。10年12月、サンチァゴで彼らの会議がもたれた。ノーベル賞受賞者マリオ・バルガス・リョサ、スペインのホセ・マリーア・アスナール前首相が会議の成功に尽力したといわれる。

前進しているのか、後退しているのか?

進歩的政党と社会運動が前進していることは疑いのない真実である。しかし 長期にわたる変異の繰り返しが彼らを後退させ、変革をさらに推進する力を弱める可能性はある。“進歩主義”が停滞の段階に入り、やがて退歩へと向かう可能性もある。

この20年間、地域の多くで左翼運動はさまざまな形で現れ、政府機能の重要な一部を遂行した。国家というものの論理が、そのための役割を果たしている。進歩派は政府の持つさまざまな側面を修正することができた。いっぽう、国家装置を管理するということは、管理する側の人間も変えていく可能性がある。

それは倫理の問題ではない。フライ・ベットが「青いハエ」のなかで指摘したように、たしかに倫理の問題も存在するが。

真の問題は、国家がその本質からして保守的な存在だということであり、とりわけ国家自らの既存構造を保持する傾向を持っているということである。この理由のために、もし外部勢力(政党や運動)に変革を促す圧力がなければ、政府はかならず保守的傾向を持つ勢力の支配に終わる。

チリの場合は、20年のあいだ続いた協調戦線政府(コンセルタシオン)が右翼にその席を譲った。右翼政権の登場はピノチェト独裁が終わって以来最初の出来事である。それは私たち自身を写す鏡となるべき実例である。

政府を支えたさまざまな運動は、自らのリーダーシップ・チームを固定化し、実行する人より指導する人、それに特化した人々のグループを作り上げた。そこにはヒエラルキーが出現した。指導者たちと立派なオフィスを維持するための予算が組まれるようになった。

これらの“発展”をどう評価するかは問題ではない。しかしそのことをどう理解するかは重要な課題である。生命はサイクルを持つ。成長の期間、安定した期間、そして低下していく期間。そこから逃れることは不可能である。

20年から30年前に生まれたそれらの運動は、社会変革のインキュベーターかつプロモーターとしての段階を完了したのかもしれない。そして非常に異なった現実への道、安定をもとめる傾向のために道をゆずったのかもしれない。

21世紀の第二の10年間が始まった。この時代は、先進国世界の財政・経済的危機が政治的危機につながる恐れがある時代である。この10年に、南米地域にはより多くの変化が生まれるだろう。キューバでは何かが起ころうとしている。それはキューバの政治体制に根本的変化をもたらすかもしれない。米国でも大きな変化が起こるかもしれない。それは地球上のすべてに衝撃を与えるだろう。

南米の若干の国でも何かが起こるだろう。それは現在の南米地域の政治的・経済的バランスを変更することになるだろう。その候補はたぶん、まずベネズエラ、そしてアルゼンチンであろう。間違いなくそこには混沌とした状況がある。そしてクーの試み、さまざまな形の不安定化工作をふくむ安全への脅威が存在する。」

そこには新たなものは何一つとしてない。新しいこと、エクアドルで示されたことといえば、それは左翼内の分裂であり、草の根組織の動員力の減退である。誰もそれをもとめていなかったけれども、両方ともまた、進歩的な10年の政府の結果である。


この節に関しては相当異論がある。論者の基調はペシミズムであり、そのベースにはアナーキーな運動至上主義がある。論者はこれからの十年を「敗北の十年」と予言する。しかし「21世紀の社会主義」の実験は未だ始まったばかりである。

付け加えるならば、エクアドルのクー未遂事件については事実の評価が間違っている。拙文 エクアドル・クーデター未遂事件 報道と真実 を参照されたい。

南米を変えたこの十年 完

時代が変わるのだろうか?

 

これからの10年、南米地域はどの方向に進まなければならないのだろうか? それを考えるということは、この10年を推し進めてきたプッシュ要因をあらためて分析することを意味する。そして、10年かけてここまでしか進めなかった原因を分析することを意味する。

90年代最後の10年間に、様々なタペストリーが織られた。その織り糸は草の根運動家が提供され、左翼組織から提供された。その織り糸は徐々により合わさって、変革の主要な推進者となった。

古い労働組合運動は、新たな運動の波が彼らと並び立つのを見た。しばしば激しい競争が展開された。それはシステムから疎外された敗北者たち、「持たざる者」、職を失い、家を失い、権利を失った者たちの集団であった。

それぞれが自己の立場に立ち、決定的な瞬間には共同し、力強い流れを作り出した。ネオリベラリズム・モデルは拒否され、政府は統治能力を試され、極端な場合は堕落した無能な支配者を飛行機に乗せて追い出した。

エクアドルでは三人の大統領が、ボリビアでは2人の大統領が民衆の動員に直面して打倒された。彼らは、民衆には政府を放逐する力があることの証明となった。民衆は反国民的政府を権力の座から追い落とす力がある。その力が証明されたことが、南米地域変革への新しい方向性を解き放った要因のひとつである。

その他の国の流れは、より平和的であるが、同じように民衆のパワーを受けての変化である。それは定められた合憲的な手順を踏んで、進歩的政治勢力が勝利して、国政の機関を引き継ぐ形で進んだ。

この変化は最初は地域レベルで発生した。それが地方レベルに拡大し、最終的は全国的レベルにまで拡大した。それは同時に民衆の動きが政党や大衆運動に影響を与え、「古い」左翼と「新しい」左翼の共同を生み出してきたともいえる。

エクアドルでの祖国同盟Alianza Pais、ボリビアでの社会主義運動Movimiento al Socialismo、ベネズエラでの統一社会党は、政党システムの破産状態が続いていた国での政治勢力のあり方を示している。

一方で、ブラジルの労働者党(PT)、ウルグアイの拡大戦線、パラグアイでのTekojoja は伝統的政治システムの中で生き延びてきた。そして政治革新の主要な要素として発展した。

すべては、我々がサイクルの終わりにいることを示す。国家装置としての政権を引き受ける政党は民衆運動のパワーによって作り直された。民衆運動は一定時間の後、最も戦闘的な人々を柔軟にさせることでひとつの組織にまとめ上げられた。実際、今日、変革過程の分析は、そもそも変革の戦いを始め、指導した勢力の内部にどんな変化が起こったのか、その内容を理解することに集中している。

ブラジルでは、「新時代」に関する議論がもっとも広範にかつ深く進行している。たとえば社会学者オリヴェイラは、「逆ヘゲモニー」 reverse hegemony という概念を提示している。これは労働党政府が金融資本や多国籍企業を統治するという現象を説明するために用いた概念である。

彼の編集した著書「ルーリスモ」の中で、社会学者ルダ・リッチは労働党の草の根的基盤における変化の基礎にせまっている。そして新中間層の興隆をルーラの人気を理解する鍵として捉えている。

さらに最近では、社会的な運動でありかつ政権でもあることの複雑さを、社会学的に捉えることも含め、「ポスト・ネオリベラリスム体制」という言葉が出現してきている。

アメリカの再位置づけについての議論も付け加えておく必要がある。アティリオ・ボロンはアメリカの政策の基本を「この地域の政権を崩壊に至らしめるさまざまな攻勢」として捉えている。そしてそれはコロンビアとパナマでの軍事基地、ホンジュラスでのクーデター、関係国との関係における軍事突出として特徴付けられている。その典型が第4艦隊の活動再開とハイチへの一方的干渉である。

政治的変革の前線

経済の変化はマクロ・レベルにとどまるものではない。南米地域はマクロの変化に加えて持続的な経済成長を行ってきた。この経済成長を支えたのは、生活必需品の輸出増加であり、貧困率の低下であり、若干の国での国内市場の拡大である。

これらの指標が新しいサイクルの始まりを意味するのか、それともたんなる一時的現象なのか、その評価をするのは時期尚早であろう。これらの国の輸出産品が世界市場でいっせいに価格上昇したため一種のブーム(bonanza)をもたらしているからである。

しかしはっきりしていることはある。それは商取引の流れが劇的に変わったということである。

いまやブラジルの一番の取引パートナーは中国である。1930年以降、首位の位置を保ってきた米国はその座を譲った。アジアの巨人・中国の存在は、いまや南米地域に定着した。中国はすでにラテンアメリカ全体としても、アメリカに次ぐ第二の取引パートナーである。

しかし取引の多角化には、いろいろな側面がある。一方では、それは地域のすべての国のためになる。なぜならそれは新しい市場の開拓であり、地域の生産活動の要求に応えることになるからである。

しかし短期的には、もし必要な対策がとられなければ、その影響はextractive modelに打ち勝つ能力の喪失へと導く可能性もある(意味不明)。世界第7の工業国ブラジルでさえ工業生産物の輸出は低下した。

中国の大豆や鉄鉱石などに対する需要は絶え間なく、すさまじいものがある。生産の基盤は世界的な危機から変わるだけではない。アジア諸国の上昇は第一次産品の生産への復帰の原動力となっている。

これらが複合して、力強い経済成長が妨げられる可能性がある。それどころか、南米地域全体に根付いた社会政策の補完をもってしても経済が後退する可能性すらある。

 


この部分は、論旨が不明瞭でわかりにくいが、おそらく言いたいことはこうだろう。つまりアメリカからの脱却は成功したが、それに代わって中国が進出してきた。ブラジルは産業大国ではあるが、まともにぶつかれば到底中国にはかなわない。そうするとこれまで成長してきた産業は衰退し、中国への原料供給国として特化(いわゆる周辺化)せざるを得なくなる危険性がある。


 

もう一つ、進歩派の経済手法は、構造改革や所得再分配抜きの成長政策や貧困抑制政策と批判される可能性がある。不平等を判断するインデックスはわずかな改良を示してはいるが、ワシントン・コンセンサスの前の状況からは程遠い。

さらに悪いことには、富の集中は巨大鉱業や、単一作物栽培のアグリビジネスでさらに増大し続けている。その経済モデルの影響は二倍になって跳ね返ってくる。

まず第一に、これら産物の生産増大は威厳のある仕事を生成しない。むしろ新しい貧しい人々のグループを形成する。ブエノスアイレスでの大規模スラムの急速な拡大は、まさにこの現実の氷山の一角である。

2006年時点での推計で、首都とブエノスアイレス首都圏の間には819のスラム街が形成され、100万人の住民が暮らしているとされた。今日では約200万人の人々がスラムでの生活を余儀なくされている。そのうち23万人が首都に集中している。これはブエノスアイレスの人口の7%に相当する。しかもスラムの人口は全国平均の10倍の速度で増加している。

「静かな津波」、アルゼンチンの右翼はそういって非難している。毎日毎日、アルゼンチン北部地方だけでなくパラグアイから、そしてボリビアから食い詰めた人々が流れ込んでくる。

理由は明らかだ。国の耕地の半分を占める大豆畑が彼らを追い出したのだ。

農産物価格の高騰が止まない限り、あるいは構造的変化が起こらない限り、社会政策のみでは、都市に押し寄せるこの貧しい人々の「津波」を食い止めることはできない。

しかし、これは議論のレベルにとどまる。解決は相当先の話になる。ブラジルを除く多くの国はそれどころではない。政府の優先課題は、まずは月々の財政収支の帳尻を合わせことだからである。

南アメリカの新たな枠組み

米州自由貿易地域協定(FTAA)はブッシュ政権の地域方針の枢軸をなすものだった。これらの変化なしでFTAAを拒否するのは不可能だっただろう。

2005年11月の米州サミットは、統合主義にもとづくワシントンからの提案を葬り去った。そして南アメリカ全体ににメルコスールを広げる戸口を開いた。ブラジルの位置は、アルゼンチンとともに、転換の鍵となった。それは一貫して堅固な姿勢を貫いたことによる。そして自立的発展の道筋を創造するという論点を曲げなかったためである。

サミットは地域統合のプロセスを「前」と「後」に分ける分水嶺となった。南米諸国連合・UNASURの創設は、この最初のステップなしには不可能だった。

日付を思い出してみよう。

2004年12月に、南米諸国の大統領は「クスコ宣言」に署名した。それは南米諸国共同体(South American Community of Nations)の創設を宣言するものだった。その後一連の会合が持たれ、2007年4月に、南米地域はUNASURの名称を採用した。

その後もプロセスは、前進し続けた。

2008年3月1日、コロンビアの空爆作戦が起きた。エクアドル領内のFARC(コロンビア革命武装勢力)の根拠地が襲われ、ラウル・レジェスが殺された。それはアンデス山脈の地域で重大な対立に火をつける恐れがあった。そして、UNASURは南米防衛会議をつくることを決めた。地域内の軍事力を協調させるためである。

その後、南米地域で経験されたいくつかの最重要な危機に際してUNASURの役割は決定的だった。

2008年8月から9月、ボリビア極右がエボ・モラレス政府に対して攻勢に着手したときがそうだった。そして2010年9月、エクアドルでの警察反乱がクーデターに発展しそうになったときがそうである。

この新たな地域同盟は、政治的舞台の中心を占めるようになった。そして民主主義を守るため全ての政府を列につかせた。過去数十年にわたり外交の中心を占めてきた米州機構(OAS)は、ホワイトハウスの支配の下に置かれてきた。しかしそれはいまや支配の座から遠ざけられた。

ここに至る過程でブラジルの果たした役割は明らかである。とくに外務省の役割は決定的だった。その影響下で、地政学的な力関係の方向転換が促進された。この間ブラジル外相を務めてきたセルソ・アモリンは、2009年に雑誌「外交政策」によって「世界最高の外務大臣」との評価を得た。彼はブラジリアに構築されたルーラ新政権のなかで、もっとも著名な人物となった。

21世紀最初の10年間の終わりにあたり、政治的な統合はこれまでないほどの高い水準に到着した。経済的事情においては未だ克服すべきいくつかの重要な相違が残されているが、これは寛容と長期的視野の上に相互の補完関係が形成されるべきだろう。

確かなことは、これらの変換は、エネルギー統合がふくまれていれば、もっと希望に満ちたものとなっただろうということである。たとえば「南の石油の道」計画がもっと具体的に進展していれば、統合は飛躍的に進んでいただろう。

たとえば「南の銀行」の憲章が生命を吹き込まれていたなら、まったく新しい財政的アーキテクチャーが実現していたかもしれない。それらの議論はすべて尻切れトンボに終わっている。

そういった意味では、「われらがアメリカの諸国人民のためのボリーバル同盟」(ALBA)の息吹は、UNASURに属している全ての国によって受け入れられているとは、到底言い難いのが現状である。

以上挙げたのが、前進面と限界面である。これが「進歩の時代」(progressive era)の最初の10年が終わろうとする現在の状況である。

2011年1月

Raul Zibechi

「大陸を変えた10年」

The Decade that Transformed a Continent

© 2011 Upside Down World

 

はじめに

いろいろな意味で、南アメリカにとって、21世紀の最初の10年間は20世紀の最後の10年間の裏返しであった。多くの目覚しい変化があった。我々は未だこれが一連の蹉跌であるのか新たな時代の始まりであるのかを確言はできない。いずれにせよ間違いなく、この地域は20年前と同じものではない。

90年代は民営化と規制緩和の時代であった。前例のない国家沈没の時代であった。富の強度の集中と多国籍企業の存在感の劇的な強化の時代だった。経済の全部門が民営化されたブラジルでは、国民総生産の30%がその担い手を変えたと見積もられている。

ブラジルの社会学者オリベイラは「それは大震災だった」と語る。ワシントン・コンセンサスは、すべての石をひっくり返した。場合によっては、アルゼンチンの場合のように、ネオリベラリズム・モデルは国家全体の数世代にわたる将来を脅かした。

この変換はより危険なものとなった。なぜなら民営化の嵐は軍事独裁の年月が過ぎ去った直後に襲ったからである。人によってはネオリベラリズムは独裁政権の不可欠な一部であったと主張している。

しかしその恐怖の年月は、また社会の目ざめ、新旧の社会運動の活性化の年月でもあった。サンパウロのフォーラムで大陸の左翼の共同行動が開始された。世界社会フォーラムで世界的な共同行動が開始された。

巨大が民衆蜂起が1989年の「カラカソ」から始まり、ボリビアの二度の「ガス戦争」、2001年のアルゼンチンの反乱へと続いた。反応はきわめて強烈であり、与えられた筋書きは完全に書き換えられた。

70年代以来、この地域から途絶えていた社会主義の波が再び出現した。それはネオリベラリズム政府の退陣のための巨大なカーペットを広げた。それに代わる新世代の政府は、徐々に、しかし持続的に左翼化し、あるいは進歩的な容貌を帯びるようになった。いずれにせよ、彼らはワシントン・コンセンサスに反対の立場に立った。

(31)エル・チョクロ (El Choclo)

HP: もちろんラ・クンパルシータと並ぶ超有名曲で、演奏もピンからキリまでごまんとあります。私はソブラール(Jorge Sobral)という人の歌を初めて聞いたのですが、余りにもうまいので、ついほかの定番演奏を全部捨ててこちらにしてしまいました。

Jorge Sobralで検索をかけたら、それはない。その代わり下り坂(Cuesta Abajo)が大変良い。曲名検索でどうしてこの演奏が引っかからなかったのでしょう?

Su majestad el tango. "El choclo" - 07/09/11
一応これが定盤でしょう。Tita Mercello という歌手のある種の“臭み”がこの曲にぴったりはまって痛快です。


TITA MERELLO - EL CHOCLO
おなじ顔ぶれで、テレビ番組の録画音源のようです。あばずれ女の雰囲気が出ています。

el choclo - juan d'arienzo
しかしこちらも棄てがたい。ただしこちらは歌抜き。

LIBERTAD LAMARQUE " EL CHOCLO "
さすがリベルタ・ラマルケ、見事な歌唱です。しかし Tita Mercello を聴いてしまうと…

El Choclo - Orchestra Ensemble Lalo Schifrin
音は最高です。演奏も水準以上です。


EL CHOCLO
これはピアノ独奏で、MITI DEL TANGOというグループのピアニストが演奏している。クラシック風で気持ちのよい演奏だ。

MARIA GRAÑA- DOMINGO CURA- EL CHOCLO.wmv
マリア・グラーニャの歌で、伴奏は打楽器のみという変わった演奏。けっこう迫力あります。

Violentango - El Choclo (con intro)
バンドネオンとギター二丁の演奏だが、味わい深く聞き応えがある

Tango Project: El Choclo (Villoldo, 1903) - Recorded in 1981
名前からするとアメリカのグループのようだが、端正な演奏だ。


Bandoneon Tango "El Choclo" Raul Jaurena y su orquesta en Montevide
バンドネオンとピアノのデュオ。いい演奏だが、残念ながらライブ版で音が割れている。

Sexteto Mayor - El Choclo
大変立派な演奏ですが、この曲はそんな立派な曲ではありません。料理のしかたを間違えたのでは?


Carlos Di Sarli - El Choclo
ディサルリも悪くありません。しかしどうしてみんなバイア・ブランカに聞こえてしまうのでしょうか。

Tango Argentino - El Choclo, 1929
オルケスタ・ティピカ・ビクトルのおっとりとした上品な演奏です。それ以上のものではありません。

ROBERTO FIRPO - EL CHOCLO
これも似たような演奏です。
結局この曲はティタ・メルセロ以降、性格が変わってしまったのかもしれません。

TANGO入門(2) 4楽団によるエル・チョクロ EL CHOCLO(A ...
例によってISHIZAKI さんのてんこ盛りサービス。ディ・サルリ楽団、ダリエンソ楽団、ピリンチ­ョ五重奏団、サッソーネ楽団の4楽団の演奏が一度に聴けるファイル。


Angel Vargas - Angel D'agostino - El Choclo
チョッと冴えない演奏です。アンヘル・バルガスはちょっと都会的な歌のほうが良いみたいです。自分の楽団をバックにした演奏もありますが、こちらはスカ。

Tango "El Choclo" , por la Orquesta Típica LOS REYES DEL TANGO
この楽団はタンゴからエスプリを抜いた搾りかすみたいな演奏をします。音は良いのですが。

El choclo. Astor Piazzolla.
これも面白くもなんともない演奏です。




EL CHOCLO - VIRGINIA LUQUE
クサい曲ならあうかと思ったが、だめでした。スサナ・リナルディもこの歌にはあいません。

El Choclo
エルチョクロをテーマにしたデスカルガといったところですが、なかなか面白い。ただし音は貧しい。ほかにエル・アランケの演奏もあって期待してみたのですが、会場での盗み撮りで音質は評価以前のものです。

素晴らしい歌手を見つけました。Graciela Figari という名です。今や日本でも珍しいほどの反っ歯。エルチョクロも良いが、音は最悪。名前で検索してひとつだけまともな音源を見つけました。Una làgrima - Graciela Figari ぜひ聞いてやってください。


(32)ナイフで一突き (La Punalada)

HP: もっとも危険な題名のミロンガ。トロイロ楽団のオリジナルだが、どういうわけかダリエンソの十八番。この演奏はホセシート・パセという名前がクレジットされている。ピアノ・バイオリン・バンドネオンの三重奏。ピアノがなかなか良い音を出している。ステレオ初期の録音か、意外に音が悪い。リマスターして欲しい演奏。

La puñalada Sexteto Mayor

セステート・マヨール会心の演奏ではないか。オーソドックスではないが、重くならず、臭くならず、この曲の良さを見事に引き出している。

Tango Uruguayo "la Puñalada" interpreta Carlos lázzari

これも甲乙つけがたい。

Bandoneon Tango "La puñalada" version Uruguaya


ヨウツベではお馴染みのorquesta Matos Rodriguezの演奏。さほど迫力があるわけではないが安心して聞ける。音も良い。

la puñalada - juan d'arienzo

ダリエンソ楽団の演奏。この曲の演奏のスタンダードといえる。

La Punalada - Milonga on EMG gramophone

これはダリエンソを聞くというよりはEMGグラモフォンを聞く音源。高音の伸びには舌を巻く。アナログ録音は無限の可能性を秘めているということがわかる。

La puñalada - C. Angeleri / G. Beytelmann

こいつはすごい。Gustavo Beytelmann : Piano César Angeleri : Guitarra Studio de l´Ermitage, Paris 2010 という説明が着いている。ジャズのインプロヴィゼーションだ。

La Trampera ( Anibal Troilo) - La Puñalada


Tangos Montevideoというトリオの演奏。音は良いがそれなりの演奏。バンドネオンとギターにウッドベースの組み合わせではこんなものでしょう。

Las Guitarras de Oro - La Puñalada (tango milonga)

ギタートリオの演奏。それなりに面白い。






気仙沼のサメがそんなに有名とは知らなかった。ムラタの社長さんのインタビューが赤旗に掲載されている。
全国で年間1万トンのサメ漁のうち、気仙沼はその8,9割を占めていた。
たとえば、最大業者「ムラタ」の冷凍施設には、日本の年間漁獲量に相当する8千トンのサメが貯蔵されていたという。処理のノウハウのレベルが違うようだ。

…サメ処理業は裾野が広い。身は肉屋に、ヒレはヒレ屋に、皮は皮屋に行きます。残った骨を扱う骨屋まであります。社長は「私の関係先でも、皮屋や骨屋ら200人以上の仕事・生活に関わる」と話します。
…漁協幹部も「水産加工の復興の遅れは人口の流出だけではなく、サメの加工という気仙沼の水産加工技術の消失につながる」と述べている。

ところでサメは絶滅危惧種だっけ?

共産党の政策委員会の垣内さんがバフェットの税金をいろいろ計算してくれた。
これだけの苦心はもっと広げないといけない。
以下引用する。

*バフェット氏の税負担を1ドル80円で計算すると、32億円の年間所得に対して5.5億円の連邦税を払った計算になる。

*連邦所得税の最高税率は35%だが、証券取引は最高15%に抑えられているため、税率が下がった。推計では所得の88%が証券取引によるものということになる。

*この収入構成を日本の税体系に当てはめると、税率は11%にまで低下する。所得税の最高税率は40%だが、証券取引への課税は7%(国税)に過ぎないからである。

*地方税を合わせれば日米間の格差はさらに広がる。トータルの負担率を試算すると、ネブラスカ州で25.7%、ニューヨークだと30.2%。これに対し日本では14.8%にしか達しない。

試算にはいろいろな仮定が入っているが、算定の根拠はしっかりしています。よく調べてくれました。ご苦労様でした。

ジェトロ世界貿易投資報告(各国編)より

ベネズエラの経済・貿易・直接投資動向 2011年版

 

 

2008 年  

2009 年

2010 年

実質GDP 成長率(%)

5.3

△3.2

△1.5

貿易収支(米ドル)  

456 億5,600 万

191 億5,300 万

271 億7,300 万

外貨準備高(米ドル)  

330 億9,800 万

217 億300 万

131 億3,700 万

対外債務残高(米ドル)

606 億8,200 万

738 億4,700 万

848 億8,400 万

為替レート(1 米ドルにつき)

BsF,期末値

2.147

 

2.147

 

2.600

4.300

1.経済成長

2010 年にGDP 全体の約7割を占める個人消費はマイナス1.9%となった。部門別では石油部門が0.1%増とほぼゼロ成長,非石油部門は全体が1.6%減となっている。

2009 年第2 四半期からマイナス成長に陥った後,2010 年第4 四半期にプラスに転じ,2011 年第1四半期は4.5%増となった。

数年前までとは異なり政府支出の景気拡大への貢献度は相対的に低下している。

リーマンショックの影響や、原油安もあるが、03年以降の急成長に対し一服気分が出現しているものと思われる。

公共投資により下層階級の生活が向上し、需要が亢進した。生産が追いつけないことと、輸入に厳しい制限が加えられていることから、インフレが出現した。

公共投資の効果はインフレにより相殺されている。

2010 年通年の消費者物価上昇率が27.2%を記録する一方,労働者賃金指数の上昇率は22.2%にとどまった。

この結果、GDP 全体の約7 割を占める個人消費は前年比1.9%減となった。

ただしこの国の諸指標は階級的に見なければならない。就労者の4割がインフォーマル・セクター部門という状況で、「労働者」の概念はあいまいである。

 

2.各分野の成長

GDPの停滞にはかなり政策的な要素が強い。さらにインフラの遅れが足を引っ張る傾向がある。

ベネズエラでは発電の約7 割を水力に依存しており,適切な投資やメンテナンス不足による構造的な問題がある。電力問題は引き続き経済成長の押し下げ要因になるだろう。

基幹産業である金属鉱業の生産量指数は37.1%減となった。これは節電の一環で強制的な減産を余議なくされたためである。

2010 年の自動車販売台数は12 万台で、国産車10 万9,240 台,輸入車1 万5,962 台であった。

2007 年には49 万台を売り上げているから実に74.5%減少である。外車については95.3%減と事実上輸入禁止に近い扱いとなっていることが分かる。

原油価格の上昇により外貨収入は増えたが,企業の外貨割当は前年比8.5%増にとどまった。

今後の成長分野は住宅関連であろう。ベネズエラでは200 万戸以上の住宅が不足している。さらに2010 年末からの大雨洪水で多くの国民(特に貧困層)が住居を失った。チャベス大統領は,今後7年間で200 万戸を建設するプロジェクトを打ち出している。

 

2.対外収支

10年の輸出総額(FOB) は670億ドルで、前年比14.2%の伸びを示した。輸出金額の94.7%を石油部門が占める、極端なモノカルチャー構造を示している。一方輸入総額は0.4%の伸びに留まっている。結果として貿易黒字は前年比42%の伸びを示している。

原油価格は08年前半に120ドルまで高騰した後、リーマンショックで50ドルまで下落し、その後75ドル前後で推移している。この関係で輸入を相当制限したものと思われる。結果的にはこれがインフレの亢進と生産停滞を招いていると見るべきであろう。

輸入総額が前年並みに留まる一方、政府による輸入の割合は輸入総額の24%から34%へ急増している。逆に言えば非政府輸入はその分だけ減っていることになる。貿易への政府の統制が強まっていることを表している。

ベネズエラは「21 世紀型社会主義化」を進めている。大土地所有制に基づく農地や一部民間企業の国有化・接収が行われている。銀行,保険,証券など金融業界でも法制度の見直しが行われた。

これらの施策は民間企業の投資意欲を削ぐ結果となり,対内直接投資額は2年連続でマイナス(資本の流出)となった。

外貨準備高はしばしば適正水準である280 億ドルを割り込む事態が生じ,近年では最も低いレベルで推移している。

これにはからくりがあり、国家開発基金(FONDEN)という会計に外貨を集中させているからである。日本で言えば財政投融資会計である。

ただ財政民主主義の立場から言うと、第二会計の肥大化はあまり健全とはいえないと思うが。


私の感想

アジ研のレポートと論調は共通するが、それよりだいぶ品は良い。データも基本的には揃えてある。

まずはチャベスというより、こういう石油オンリーの国では政府の強い経済介入が必須であることを認識しなければならない。

http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/7/3/732c8a68.jpg

ベネズエラは30年前の石油ブーム(日本から見ればオイルショック)のときに大々的な設備投資をやって、その借金が貯まり大変な思いをしたことがある。

リーマンショックの後、ほかのラテンアメリカ諸国の景気は回復したのに、ベネズエラだけが立ち直れない、と鬼の首でもとったように言うが、この図を見れば、2010年に強い歳出抑制策をとったのは当たり前の話で、やらないほうがおかしい。

ラテンアメリカ諸国で国民一人当たり所得を見てもあまり意味がない。貧富の差がべらぼうだからである。

資源輸出国だから、基本的には仕事がない。失業が当たり前である。富を配分し、仕事をつくり、国民全体を豊かにするためには公共投資しかない。したがって政府支出が景気と経済成長をもろに規定する。

こういう国と政府をどのように運営すべきだろうか、そういう問いかけを常に自らに課しながら、経済分析をしないと意味がない。

たんなる投資先としてはおよそ魅力のない国だから、その向きの方はご遠慮願ったほうが良いだろう。

 

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