鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

AALA関連記事は「aala_newsの編集日記」http://blog.livedoor.jp/aala_news/ に移りました(6Nov.2023) 中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 「ラテンアメリカの政治」(http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ )がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2011年08月

その1でシルビオのCDに触れたが、シルビオ・ロドリゲスはキューバを代表する歌手で、国際的にも高い評価を受けている。その最初のコンピレーション・アルバムが日本で発売されたのがその頃だった。
なかで圧倒的によかったのが「プラヤ・ヒロン号を知っていますか」という歌だ。http://www.youtube.com/watch?v=pqkd9aIubY0 には歌詞もギターコードも全部載っているので、腕に自身のある方はお試しいただきたい。
この曲を93年の秋、サンチアゴ・デクーバで聞いた。今でもあると思うが、プラサの一角に外人観光客相手の民謡酒場がある。専属バンドはマタモロスの歌を中心にやるのだが、「何かリクエストはないか」と聞くのでこの曲をたのんでみた。とたんにリーダーは渋い顔をした。そのときバンドの一員で後ろでギター伴奏をしていた若者が、「何とか弾ける」といってくれた。
リーダーに遠慮してのセリフだったのだろう、演奏し始めたらべらぼうにうまい。開け放たれた窓の外には子供や若者が群がってきた。
当時は物資欠乏の時期、酒場と広場の街頭以外は停電で真っ暗だ。そんな暗闇に向かってこの歌が流れて行ったらどんな感じか、想像してほしい。私にとっては一生の思い出のひとつだ。

ついでにパブロ・ミラネスのEl Breve Espacio の元歌も紹介しておく。なおパブロの最高の歌 Yo pisare las calles nuevamente というチリのクーに抗議する歌。このサイトでは英語の訳詩がついている。

メルセデス・ソーサの「開かれた血管」でバック・コーラスを勤めるクアルテート・スーパイは、フォルクローレに留まらない高い水準のグループだ。5年ほど前にアマゾンでCDを注文したが品切れだった。しかたがないのでyoutubeで音源を集めている。Te Queiro  El Viejo Matias  などがよい。

まったく無思想だがOjos de brujo の Todos Mortalesは気持ちよい。シャキーラ以来だ。ホアキン・サビナのCORRE DIJO LA TORTUGA も良い。

ウォールストリート・ジャーナルの10日付社説は「米国債格下げで目を覚ます米国民」と題する社説を掲載している。結論から先に言うと、経済混乱をもたらしたのはオバマ政権の責任であり、財政支出の抑制が求められているというものである。「火災警報器を解除しようとするのはやめて火を消す努力を始めたほうがいい」と表現している。

まず、オバマの登場をもたらしたものは何かという点から触れている。

誰もが終わってほしくないと思っていた数年間にわたる信用拡大は2008年に突然、金融危機に発展した。当時、政権の座にあった共和党は何の説明もしなかったため、有権者は危機にあって一番冷静に見えた大統領候補を支持した。

つまり、08年に金融が危機状況にあったことは認める。そして共和党(すなわちWSJの党)が金融危機の発生に責任があること、そして拱手傍観したことも間接的に認めている。
しかし危機打開のためオバマが打った手についてはすべて否認している。

民間の信用バブルの影響からようやく脱しつつあった経済に対し、民主党は何兆ドルもの財政出動を行ない、債務を膨らませた。金融システムが混乱をきたすなか、民主党は金融パニックを引き起こしたとして銀行を厳しく非難し、2000ページにもわたる新たな規則を課した。

ようするに、経済は自らの力で「民間の信用バブルの影響」から抜け出しつつあったのに、オバマは余計なことをしてくれたというのが、議論の根本的な出発点である。

細かいことだが、ここでは論点のちょっとしたすり替えがなされている。前段でははっきりと危機、あるいは金融危機という言葉でリーマン・ショックを捉えている。しかし後段になると、危機という言葉は注意深く避けられている。

このことで株屋たちは自らの責任を糊塗し、茶会党の尻馬に乗って投機資本への規制や金持ち減税の廃止をつぶそうとしているのではないか。危機であれば財政出動は当然だ。銀行屋や株屋を助けたいわけではないが、波及効果を食い止めるためにはやむをえない。そうやって助けてもらったのは誰なのか、挙句に被告人の身で、「余分なことをしてくれた」と嘯くのか。
医療改革や雇用の問題は、それはそれでいろいろあるが、とりあえず関係はない。国債発行額が巨額に達したのは金融危機回避のためなのだから。それが危機だったのか、ちょっとした混乱に過ぎなかったのかの判断が一番のキーポイントだ。

なおことのついでに、日本にも触れている。

債務負担が増え続けても国民が何も言わず、政治家の決まり文句を受け入れている方がはるかに心配だ。日本はそんなふうに20年にもわたる停滞を甘受してきた。

これはまったく原因と結果を取り違えている。こう言うべきだ。
日本は財界と政治家の決まり文句を受け入れて、そんなふうに20年にもわたる停滞を何も言わずに甘受してきた。そのために債務負担が増え続けてきた。

こうやって見ると、連中の論理のトリックがよく分かる。

むかしオイルショックのとき、ゼネラル石油が「千載一遇のチャンス」との内部文書を発し、便乗値上げに努めた。これが国会で共産党により暴露され、赤恥をかいた。
最近、円高にもかかわらずまったく原油価格低下の動きが見えない。元売各社は空前の利益を出しているという報道もあれば、消費低下とあいまって苦境に立たされているという報道もある。
そこで原油価格のドル建て、円建て価格の経過を探してみた。
垣見油化インターネットHPでも、二番目に人気のある輸入原油価格ページ」というサイトがあって、豪語するだけあってのヒット数だ。内容もSSオーナーとしての誇りが伺われ面白い。


左が円価格、中がドル価格、右が為替レートだ。
元年度 14,453 16.71 142.22
6年度 10,855 17.32 99.63
9年度 14,504 18.82 122.52
16年度 26,158 38.77 107.26
20年度 58,541 90.52 102.82
22年度 45,369 84.15 85.72

数字は二面性を示している。平成元年からの長期変動を見れば、20年度は日本円で4倍になっている。ドルで言えば6倍近くに高騰している。
ガソリン価格は1.5倍程度だから、国内市場で値上げ分は吸収されていると見なければならない。
しかしそれはそれとして、この2年間では原油価格の低下と円高により、購入価格は1/4も下落している。この差益はどこに消えているのか。

原油価格高騰価格転嫁動態的分析/ '08 Oct / 戒能一成によれば、まったく異なる数字が示されている。


近年の石油製品への原油価格高騰分の価格転嫁については約96%程度
であり、重質油種を中心に4%程度が経営努力により吸収されている。

ということであるが、ガソリン店頭価格が(税抜きだが)50円から140円に上がったという実感はない。「奇跡の1ヶ月」で有名になったリッター53.8円のガソリン税を加えると100円あまりから200円近くにあがったことになるが…。
ということで謎はむしろ深まった。

地味な記事ながら、赤旗スポーツ面の「プロ野球 誰のもの?」という連載がめっぽう面白い。
上田龍さんというライターの執筆で週一度の掲載だが、二つのプロ野球リーグ構想の衝突と妥協、初耳のチーム名とその由来など目から鱗の気分だ。こんなところに「なんと申しましょうか」の小西得郎さんが大東京軍の監督として登場してくる。水曜が待ち遠しい。
これはたぶんネットでは読めないだろう。悔しかったら取ってみろ。

上田龍さんのブログがありました。http://blog.goo.ne.jp/holycow1998 です。やはり面白いです。ファイターズの5連勝並みにスカッとします。

以下に掲げる文章は、2000年の北海道AALA総会に向け作成した情勢報告の一節です。投機資本がどういう運命をたどるかを鮮やかに示したケースだと思います。
こういう資本を国家が支え続けてていけばどうなるか、おのずから明らかでしょう。

 グローバリゼーションの中身を以上のように整理した上で,国際金融をめぐる問題についてもう少し分析したいと思います.投機資本がどういうものかを知る上で,LTCM破産事件は参考になります.

 LTCMは1994年創設されました.ロングターム・キャピタル・マネジメントというのが正式の名称です.この会社の商売はジャンク債と連邦債の利率変動を利用して,わずかな値動きを膨大な量で掻き集め,利益に結び付けようとする方法です.

 細かいやり方は省きますが(興味のある方は脚注を参照してください),これまでのヘッジファンドと違う特徴が二つあります.ひとつは,乗っ取りを図ったり仕手戦を挑んだりというまねはしないこと,もうひとつは「絶対に勝つ計算式」を持っていという点です.この「勝利の方程式」を生み出した人物はノーベル賞を獲得したそうです.

  この会社は株などを公開せず,ほんの一握りの大金持ちから預かった金を運用しました.そうすれば,大衆資金を扱う証券銀行とは違って,政府機関の監督を免れることができます.

 この密やかな金融機関は,創業以来2年続きで年利50%近い驚異的な運用配当を生み出しました.俄然この機関に注目が集まりました.多くの金融機関が資金の預託を行いました.資本金50億ドルのLTCMに,その20倍の資金が流れ込んだといわれます.

  しかしその栄華は長くは続きませんでした.投機が投機を呼んだ結果,98年には世界多発金融危機が発生しました.考えてみれば当たり前の話で,債券が売買 されるたびにお金が吸い取られ,一つ一つの額は小さくても年間5兆円も吸い取られてしまうのですから,経済が貧血症状を起こしてもおかしくありません.

 これに伴いアメリカの市場では,二つの事態が進行しました.一つは国際金融危機に伴い,世界中のお金がアメリカに集まり始めたことです.もう一つは,ジャンク債が値下がりを続けたことです.安全をもとめてアメリカに還流してきたドルは,ジャンク債や住宅ローン債など、比較的リスクの高い債券には見向きもしませんでした.

 LTCMが自明の前提としていた,国債とジャンク債の市場における均衡関係など,どこかに吹っ飛んでしまいました.その結果,LTCMは1千億ドルという巨額の負債を抱え破綻しました.

  はっきりしているのは,投機資本はその「最良の形態」においても,世界経済の寄生虫でしかないということです.もっとたちの悪いソロスのような寄生虫は, 宿主を食いちぎって殺してしまっても利益を求めます.LTCMのような運用会社は,見たところは大人しいものですが,静かに血を吸いつづけ,やがては宿主を死に至らしめるという点では,何ら変わりありません.

 アメリカで盛んに開発されている金融商品は,いずれを見ても,このようなヘッジファンドと似たり寄ったりです.このような投機資本に大手を振って歩かせるような「金融自由化」は許すわけには行きません.

リーマンショックと比べて今回の危機がどうなのか。
とりあえずはそれほど深刻ではない。アメリカ発の金融危機ではないので、連鎖・波及を恐れなくてもすむからである。
しかしEUは厳しいだろう。ユーロは未だ国際通貨として熟していないから、システム崩壊に至る危険がある。
そうすると逆説的にドルの世界支配が強化されることになる。さまようマネーは結局ドルに回帰せざるを得ない。日本と中国が同時に米国債に見切りをつければたちまちにしてドルの価値は紙切れになるが、日本も中国もそれはできないだろう。

長期的に見れば問題ははるかに深刻である。金融機関失敗のツケを国家がしょって、しょいきれなくなったのが今回の同時危機だからである。
金融機関は自らの失敗を国家に押しつけ、まったく反省の気配はない。むしろ国家というオプションを組み込むことに成功したと思っているのではないか。

モラル・ハザードという言葉が変に独り歩きしている。自己資本強化という名目で企業が利潤率の増加に狂奔し、さらに収奪と溜め込みを強化している。一番肝心だったはずのマネーゲームへの狂奔ぶりはなんら抑制されないどころか、米相場の開設などむしろ拍車がかかっている。

ようするに地獄に向かって驀進する自動車に乗って、ブレーキと間違えてアクセルを踏んでいる状態である。それを見た経済団体も不安に駆られて、それぞれの本業を忘れ、金融機関に“右にならえ”をしている。個別の企業は必死に生き残りをかけているが、その努力が結局、国家全体の死を加速している。

世界中で民衆の「生活保護水準化」が進んでいる。日本でも年間所得が400万円から300万円に低下した。アメリカでは7人に1人が生活保護水準以下に沈んでいる。
国家財政といっても所詮は大衆収奪だ。財政危機ということは、突き詰めれば国民の懐が空っぽに近くなっていることを示している。

国民は痛みを感じ、叩かれていることを自覚しているが、誰がなぜ自分をたたいているのかがわかっていない。しかしいずれ分かるだろう。原発に対する国民の認識の急激な変化を見るとそれが実感される。
世界の巨大な金融機関と投機資本が世界の人民を教育している。巨大な生産力をいかに用いるべきか、そのためにはどのように管理したらよいのか、苦痛のなかから人民は学び取りつつある。すでにラテンアメリカの人民は学び確信した。

マルクスの予言とは少々形態は異なるが、「資本主義の墓堀人」が登場する日は遠くない。


フードスタンプというのはSupplemental Nutrition Assistance Program (SNAP)のこと。
低所得者が食料品を購入するさいに、その一部が補助される制度である。
対象者は4人家族で月収2400ドル以下となっている。ほぼ日本の生保基準に近い。
農務省の発表で、受給者数が4600万人に達した。これは国民の約15%=7人に一人に相当する。
リーマンショックの08年で2800万人だったから、3年間で1.6倍に増えたことになる。まさに貧困大国だ。

先日、UNASUR諸国で貧困率が減少していると書いたが、ラテンアメリカのなかでもアメリカ追随、ネオリベまっしぐらの路線を走っている国がある。それがメキシコだ。
メキシコに関してはメキシコ麻薬戦争 列伝の中で、戦争の真の敵は貧困だと書いたが、今もなお事態は深刻化しつつある。
メキシコの政府機関「全国社会開発政策評価会議」が7月末に発表した報告が赤旗で報道されている。
貧困層(独特の定義で、国際統計との比較はできない)が、5年にわたるカルデロン政権の下で4470万から5770万に増えたとしている。人口比で見ると43%から51%への増加である。
とくに深刻なのは65歳以上の高齢者で、低所得者の割合が77%に達しているということだ。
弱肉強食の論理は社会的弱者により厳しい条件を突きつけることになる。しかしその数字はあまりにも厳しい。国中が姥捨て山になっているということだ。
これでは長生きする意味がないから、みんなギャング団に入って花と散るのだろう。

ついにECの危機がイタリア・スペインにも波及した。ユーロ導入に伴い、ドイツとフランスの金融資本が大量の貸し込みを行ったのが焦げ付き、ついに燃え上がり始めたという感がある。

このなかでイギリスの金融資本の荒業が報道された。さすがはサッチャリズムの本家、やることが半端ではない。
①欧州最大手のHSBCが2年間で3万人を削減すると発表。これは全従業員の1割に当たる。
②このリストラで20億ユーロを削減する予定。
③HSBCがリストラ計画を発表した日、株価は4.5%上昇した。
④このほかバークレイ銀行は1400人をすでに解雇、年内に3000人を削減する計画。ロイズTSBは3年間で1万5千人を削減する方針。これは全従業員の14%に相当。
⑤さらに欧州各国の金融機関の人員削減を合計すると6万人を超える規模となっている。

この人員削減は金融市場の先行き不透明感や、自己資本強化などの金融規制を口実としている。
しかし
⑥HSBCの上半期利益は前年同期から16億増えて62億ユーロとなっている。
⑦ロンドン金融街で昨年度158億ユーロが重役+トレーダーに支払われた。これはリーマンショック直前の水準と比べ23億ユーロの増加に当たる。

であり、まったくの便乗首切り。ソニーの会長はこのやり方を学んでいるのであろう。しかし切る相手はまったく異なる。片やこれまで肩で風切って歩いてきた銀行員であり、もう一方はため息が出るほどの低賃金と引き換えに、身も心も会社に捧げ尽くしてきた臨時工である。

妻の病気が進行してきて、車椅子が必要になってきた。いろいろカタログを見せられるが、どうも乗る人の立場に立った発想で作られているものが多いようだ。
最近はパラリンピックとかいろいろあって、障害者が車椅子を乗り回してハンディを克服していくことが美しく語られるようだ。電動車いすで颯爽と町を行く障害者の姿も見かけるようになった。
しかし私たちは老老介護であり、そんなイメージで車椅子を語られても戸惑うばかりだ。妻は宣伝文句にうっとりとして、車椅子さえあれば自分もあのようになれるような幻想に駆られている。むろん、夢を見ることはいいことだとレーニンも言っている。
ここは二段階論で説得するしかない。まずは介護者に優しい軽量小型の車椅子を購入する。そして「これはつなぎだ」といって、妻が望む車椅子の購入をできるだけ遅らせる。その分妻は長く夢を見られる。買えばたちまちにして幻滅することは疑いないからだ。
これは二段階論というより二枚舌だ。だんだん菅首相の発想に似てきた自分が恐ろしい。しかし間違っても米倉経団連会長の発想にはならないぞ。

61年8月10日が、アメリカが枯葉剤の散布を開始した日だそうです。それから50年ということで赤旗が特集を組みました。
ベトナム政府によると枯葉剤を浴びたベトナム人は480万人、本人と子孫合わせて約300万人に健康被害があるとされる。とくに悲惨なのは第二世代、第三世代に移っても障害者が減らないことだ。
ハノイの医療施設の所長は「第三世代の被害者がどんどん増えている。この小さい施設ではとても対応しきれない。手の届かない被害者も大勢いるはずだ」と訴えている。
現地では血液検査などはできず、問診に頼る診断ということになっている。枯葉剤の影響ということに異論を唱える向きもあるかもしれない。以前フィリピンで公害だと騒がれた皮膚病が、実は疥癬だったという事件もあった。
しかしそういう人に訴えたい。疫学的には枯葉剤の被害は証明されている。根本的には土壌の浄化以外にないが、当面必要なのは遺伝子診断もふくめた正確な診断のための技術であり、財政的な支援であろう。
ぜひ投げ捨てないでほしい。

5月20日に政府の「一体改革推進会議」が「改革の論点に関する研究報告書」を発表した。これはなかなか面白いもので、消費税増税反対論の二つの柱、逆進性批判と景気後退論に対する「言い訳」をまとめたものだ。
すなわち
1.消費税の逆進性: 貧乏人ほど負担が重くなる、という主張に対する反論。
2.景気後退誘発論: 消費税で景気が後退し、かえって財政が悪化するという主張に対する反論
からなっている。

1.生涯納税一律論
まず最初は消費税の逆進性を否定するための「生涯納税一律論」という「理論」。ややこしいが論立ては次のようになる。
①若年層では収入に対する消費の割合が高所得者ほど低くなる。したがって消費税には逆進性がある。
②高齢層では高所得者も所得がなくなる。だから貯蓄を取り崩すので、生涯所得に対する消費の割合は変わらなくなる。
③したがって所得税の逆進性は解消される。
ほとんど詭弁。まるで一休さんのトンチ話を聞いているみたいな話しです。
「じゃぁあんた貧乏人になってみなよ」と言いたくなります。

2.景気後退否定論
これは97年リセッションの分析に絡んだ議論である。エコノミストの大半がリセッションの原因は消費税増税などの9兆円負担増だったとしているが、彼らはこれを否定する。
アジア通貨危機と金融システムの不安定化が97年リセッションの主因だとしている。そのことで、景気後退の危険性を否定しようとするのである。
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もちろん分析だからいろいろな見方はありうる。しかし政策当事者だった橋本首相も、堺屋経企庁長官も9兆円増税が不況を招いたことをはっきりと認めているのである。個人であればともかく、公的機関である「一体改革推進会議」の見解としてはあまりに独りよがりであり、とうてい受け入れられるものではない。

追補: アメリカにカーネギーという鉄鋼王がいて、彼は若いときに稼いだ全資産を文化興隆のために全額寄付したと聞いたことがある。金持ちがみんなそういう人ばかりなら、この理屈は成り立つかもしれない。
しかし日本でそんな話はトンと聞いたことがない。ぜひ実例を挙げてみてほしい。それも一つや二つの美談ではない。提清二(辻井喬)さんならやっているかな?


原水禁世界大会が開かれ、各国平和組織の代表が演説した。
中国からは人民平和軍縮協会の陳氏が演説している。不思議なことに核の一言もない。「私たちは原水協など平和組織 が毎年原水爆禁止世界大会を行うことを高く評価します」という非常に冷めた表現だけだ。

2004年、中国は原水禁大会に外務省の高官を送り込んだ。外郭団体の副書記長レベルではない。発言の内容も惚れ惚れとするほどの格調である。

その牛強発言を再録する。

一国だけが自己中心的に自国の安全を保障することはできない.多国間協力なしには不可能となっている.


米国が自己の利益のみを徹底的に主張するため,国際軍縮の諸条約は効果を失いつつある.アメリカは核の相互検証を拒否している.相互検証を含む二国間軍備管理条約の締結は一切認めない.このため核軍縮は暗礁に乗り上げている

核保有国は①核兵器の完全で包括的な廃棄の約束を明確に実行する.②新型の核兵器の開発を行わない.③包括的核実験禁止条約を批准する,④核の先制不使用を明言する,などの措置をとるべきである.

どうも何かいやな方向に動いている気がする。それが湖錦湯政権の故になのか、それとも湖錦湯に逆らう動きの故になのかは不分明である。

追補

牛強で検索してみたら、下記のファイルがヒットしました。ニュウ・チャンと読むようです。彼は01年には人民平和軍縮協会の書記長だったようです。

世界から核兵器を完全に廃絶し、完全に破棄するため手をつないでがんばろう


エネルギー省の上級政策アドバイザーを勤めたロバート・アルバレスさんが、赤旗に「原子力幻想の終わり」と題して発言している。この中からアメリカの原発事情に関する情報を抜書きしておく。

米国には現在104の原子炉が稼動しています。これは世界最多ですが、その米国ですでに自前で原子炉を建造する能力が失われている。ウェスチングハウス社は東芝、GEの原子力部門は日立の傘下に入っています。他の企業もすでに建造能力はない。さらに原発技術者のなり手がいないことから欠乏状態です。
ウォール街は原発事業から手を引き始めています。多くの投資者が損失を出しました。民間融資の枯渇で、米国の原発産業は成長が止まっています。
米国の原発は政府の補助でようやく生き残っているだけだといえます。

経団連はドイツの動向には真剣とは思えないが、ご本尊のアメリカのこういう事情に対しては少し真剣に考え直したほうがよいのではないか。

暑くて考え事はできません。 今日はラテンアメリカ音楽を紹介してお茶を濁します。

 最初は Nostalgia Cubana - Carlos Embale - Echale salsita

Descarga del Carlos Embale con Aymee Nuviola, Omara Portuondo, Panche Amat, y los musicos de Sierra Maestra というクレジットが入っている。
やはり文句なし、グルポ・シェラマエストラは良い。

キューバものをもうひとつ。ブロウエルの「Un Dia de Noviembre」、今月の名曲でも紹介した。映画のテーマ曲らしい。ギタリストにとっては定番曲のようでたくさんアップロードされているが、音だけなら文句なしCecilio Perera

次は、前に「今月の名曲」(Origem Da Feclicidade)でも紹介したセルソ・フォンセカ。ボサノバ歌手でジョアン・ジルベルトよりもうまいと思う。
Queda Sem Resposta

次は Vânia Bastos いつも「今月の名曲」に入れようとして入れそびれた曲が
Vania Bastos - Cidade Oculta で聞けるが、CDに比べると少し崩れている。ほかにジョビンの Canta, Canta Mais も良い。

タニア・リベルターがパブロ・ミラネスの El Breve Espacio を歌っている。無知な私はこの曲が「トダビア」というのだと思っていた。パブロのコンサートのエンディングの曲で、みんなで歌う。
タニアは最近は聞きたいとは思わないが、昔の録音がないかなと思ってYOUTUBEをあたっている。アルフォンシーナと海があったが、むかし聴いた演奏とはだいぶ違う。崩しがひどい、ギターも凡庸。こちらが「正統」版。

フォルクローレはボリビアとアルゼンチンではぜんぜん違ってて、片や先住民系で、アルゼンチンは白人牧童の歌である。どちらかというとベネスエラ民謡に近い。

こちらは有名曲で もう30年も前のメルセデス・ソーサの演奏。 懐かしいCDを誰かさんがアップしてくれた。
コンフント・スーパイとの共演で「開かれた血管」、美しいタンゴ「南への心」 軍事独裁を逃れ亡命中のソーサが切々と歌う。ただし「生きる理由」はビクトル・エレディアのほうが良い。

20年ほど前になるか、那覇にフォルクローレの飲み屋があって、亡命してきたポルテーニョのおじさんがやっていた。あまり客も来なくて、マテ茶を啜りながら分厚い詩集を読んでいて、たまに気が向くとギターを弾いて歌も歌った。あまりうまくはなかった。
学会で行ったのだが、3日間通いつめた。11月の初めで、毎日雨だった。乗り合いバスの冷房が2日目から切れた。雨宿りに入ったレコード屋でシルビオ・ロドリゲスのCDを買ったのだが、欲しそうにしていたので、あげたら喜んだ。
そのときにビクトル・エレディアを勧められた。彼の友達で、アルゼンチンを代表する抵抗の歌手だといっていた。

政府構想では、原子力安全・保安院を経産省から分離し、環境省の外局に「原子力安全庁」として移行するようだ。
「院」というのは官庁用語で庁より下だが、一定の自立性を持つ部局を指すようである。人事院などがおなじみである。ほかにも「府」があるが、どちらもやや古風な響きを持つ。
現在は経産省の資源エネルギー庁の下にあるから、院から庁へ格上げになることになる。
省庁改編に対する官僚組織の抵抗はなかなか強硬であり、現在の弱体内閣ではできないだろうと踏んでいたが、何せ世論がバックにいると強い。
原発共同体の五角形のうち、東電・9電力と官僚組織・東大を先頭とする学に切れ込みが入った。残る最大の大物がメディアである。
NHKの事故発生直後の異常な安全キャンペーンを検証し、自己批判を迫ることが中心課題となるだろう。ちょっと古いが、朝日新聞の東電広告掲載にいたる経過がもう少し追求されてもよい。

それにしても、安全・保安院はよい戒名だ。百万円くらいの値がある。

ペルーでオジャンタ・ウマラの大統領就任式が行われ、UNASUR首脳が会した。首脳会議ではドル危機にたいして強い警戒感が示された。
なかでも南米唯一の親米国となったコロンビアのサントス大統領が、「米国の自体に傍観者であり続けることはできない。反帝国主義でもなく、反米主義でもなく、実際的な結論として」米国の行動は無責任だと発言し、周囲を驚かせた。
コロンビアの態度変更を受けたエクアドルのコレア大統領は、南米独自で資金を融通しあう地域準備基金や、独自通貨で貿易決済を行う地域決済システムの確立などを提案した。

ラテンの連中だから、言うだけはいろいろ言うけど…というのが今までの通念だったが、これだけコンセンサスが出来上がるとひょっとしてという気もしてくる。
ただ彼らがモデルとしてきたEUも台所事情の厳しさは変わらない。

正義の科学者 児玉龍彦」が素晴らしいというのでYOUTUBEで拝見した。これまでの東大教授よりはるかにまともである。実際彼は発言のなかで震災直後にTV出演した東大教授を非難している。
元々は内科医師で、肝臓が専門だったらしい。こちらも医者の端くれなので、言っていることはあらかた分かる。濃度ではなく放射能の総量が問題だという指摘はきわめて重要な視点だ。莫大な放射能の線源が存在する以上、たまたまの濃度が低かろうとそれは何の慰めにもならない。
除染に数十兆円を要するというのは、原発から吐き出され福島を中心にフォールアウトした放射能量の巨大さに由来する。日本を破産させるに足る汚染なのだ。ここをまず認識せよ、覚悟せよというのが一番の主張だろう。
 
 しかし「原爆20個」は言わずもがな、電卓をはじいて「おぉ20個分だぞ!」という言い方はしないほうがよい。インパクトはきわめて強いが、それだけに言葉が一人歩きする危険がある。
核兵器の恐ろしさは、放射能の量によって規定されるものではない。核兵器の恐ろしさは、何よりもそれに込められた「人間の悪意」にある。
それに児玉氏自身も述べているように、被曝モデルが異なるから簡単な比較はできない。発生熱量による試算は仮定が多すぎていささか無理がある。ただ漏出放射能の総量に関するデータを明らかにしない東電の態度は批判しなければならない。

印象論なので、これ以上の言及はとりあえず避ける。しかし彼のポストからすればすごい勇気の要求される発言であり、賞賛に値することは間違いない。もうひとつ、東大という権力に近いところからも、公然と反対論が出始めたというところは、抑えておかなければならないポイントだろう。

水産特区についてイマイチすっきりしていなかったのが、赤旗ですっきりした。
東北学院大学の片山教授の談話である。

特区で「漁業の新生を」「もうかる漁業に」と議論されているが、沿岸漁業にはおのずから限界があり民間企業が参画するだけの魅力はない筈だ。だからこそ零細漁民が漁協を作って細々と商いしてきた。

東北の養殖で、低いながらも収益が上がっているのはマガキ、ホヤ、ワカメ、ノリであるが、これに「参入したい」という声は聞こえてこない。

では民間参入で何を狙っているか。それは海岸線の土地である。埋め立て、工場立地などに当たっては、漁業権補償が発生する。開発したい側にとってはこれが目障りでしょうがない。
特区で漁業権をつぶしてもらい、海岸を自分のものにしたいのだ。

なるほどそういうことだったのか。漁業をやるふりをして、漁民に海岸を手放させることが狙いなのだな。だったら特区に転売禁止条項と漁業以外の目的での使用禁止条項を加えればすむのではないかな。その辺の駆け引きがもう少し知りたいところ。

アメリカのデフォルト危機はいくつかの要因の結果である。双子の赤字といわれる貿易赤字と財政赤字だが、これをGDPの上昇と資本収支の黒字(連邦債の発行)で補ってきた。リーマン・ショック後のGDP増加率の停滞が、財政赤字に火をつけた。それが連邦債の返済を困難にさせている。
ここまでは常識。
米政府の行政管理・予算局は財政赤字の直接的な原因を次の三つに求めている。すなわち、①富裕層減税による税収低下、②失業者の増加に伴う失業給付の増加、③アフガン戦争による戦費増大。
ということで、これらはすべてブッシュ共和党政府の責任。こういう点では原発事故と似ている。

アメリカはオバマ改革になお抵抗している。金持ち優遇税制は昨年10月で失効するはずだった。しかし中間選挙での共和党の躍進によりそれは不可能となった。
しかしオバマが好きか嫌いかを問わず、いやおうなしに、アメリカはアフガンから手を引かざるを得なくなるし、金持ち減税も廃止せざるを得なくなるだろう。三つの要因のうち二つが片付けば、未だアメリカはやれると思う。オバマにとっては花見劫だ。
しかし失業問題はオバマの足を引っ張るかもしれない。
再選を勝ち取るためには金持ち階級との対決姿勢を強める以外に手はないが、メディアを使った総攻撃に果たして耐えられるだろうか。
9.11後のアメリカ国民の狂気のような愛国心を経験した私たちからすれば、たしかに見通しはかなりきついと思う。アメリカの再生は、オバマを当選させた民衆がふたたび決起するか否かにかかってくるだろう。


私たちは戦後の焼け野原から努力と技術を信じて復興を遂げてきた。二宮金次郎と野口英世が偉人だった。松下幸之助もそうだったし、豊田佐吉、井深大、本田宗一郎…激しい国内競争を戦い抜いた勝者はみんな尊敬されていた。
日本は国土が狭く資源も乏しい。だから貿易で生きるしかない。平和で中等度に発達した国で、万国に伍してけなげに生きていこうというのが国家モデルだった。
それがいつしか貪るようになってしまった。世界の一等国を目指すようになってしまった。そのためにアメリカ一辺倒の国になってしまった。おそらく昭和40年代後半のことであろう。第二次石油ショック、その後の集中豪雨型輸出、そしてプラザ合意と変動相場制への移行あたりが転換点になっているのではないか。
あとはバブル景気で、すっかりおごり高ぶってしまった。若者(いまの40歳代)は働かなくなった。中年(いまの50歳代)はすっかり傲慢になった。
それではその下はどうか、30歳代は右往左往し、20代は絶望している。そしてみんなアメリカべったり経済で良い目を見たりひどい目にあったりした世代だから、それ以外の経済システムがあるということすら想像できない。
もう一回昭和40年に戻ろうではないか。18歳の昔に…

政府が復興基本方針で復興財源確保のために10兆円増税を打ち出した。
当面は復興債を発行して総額23兆円の支出をまかなう。その償還のために10兆円が必要というもの。ここまでは誰が考えてもそれほどの相違はない。

問題は10兆円を誰がどう負担するかだ。
原則としては、①国民すべてが痛みを分かち合う、②能力に応じて負担を担う、②租税制度のあり方をゆがめない、ということだろう。その前提として、いまや民衆の懐はすっからかんだという疑いのない事実がある。

政府案には具体的な税目や引き上げ幅は明記されていない。しかし基幹税として所得税・法人税・消費税をあげ、「多角的に検討する」とされていることから、消費税も排除されていないということになる。
平野復興担当相は所得税と法人税の税率を一定の割合で上乗せする「定率増税」案を明らかにした。しかし現在の内閣で、一大臣が言った言葉にさほどの重みがあるとは思えない。

この構想に対していち早く対応したのが日本商工会議所である。日商は意見書を発表して「所得税・法人税=No 消費税=OK」との態度を明らかにした。「俺たちはビタ一文も出さないぞ。10兆円すべて消費税にかぶせろ」というあきれた意見である。
第一、あなた方が主張してきた「福祉との一体改革」論との整合性はどうなっているのか。10兆円といえば消費税10%、これを今までの5%引き上げ計画にさらに上乗せするつもりなのか?

経団連は変化球を投げてきた。震災直後から米倉会長は法人税減税は凍結しても良いと言ってきたが、その中身が明らかになった。
要するに実効税率の5%引き下げを決定した上で、その実施を一定期間を遅らせることを認めるというもの。もうひとつの提案としては引き下げを実施した上で、その総額に相当する税を付加税として徴収するというもの。これで「増税の痛み」を分かち合ったことにしてほしいというムシのよい話だ。

どういうわけか最近の財界には景気をよくするためにどうするかという姿勢が伺われない。たとえ景気をさらに悪化させても利益率を上げ、内部留保を積み増しすることが一番と考えているようにしか受け取れない。これでは金貸しと選ぶところはない。そこに資本家としての魂が感じられないのである。
確かに住専ショック以来、金融の先行きは不透明さを増している。一定の自己資本の積み増しは必要である。しかしいまやそれが自己目的化しているのではないか。「角を矯めて牛を殺す」ようでは何のための自己資本強化なのか。




たとえばどこかの窓口で本人確認をもとめられたりする。
ID番号でたとえば「S16.12.08さんですね」と問われたら、「はい、そうです」と応える。しかし心の中では「俺はそんなものじゃない。俺は俺だ!」とつぶやくだろう。
少なくとも動いていて、生きていて、心を持っている。
囚人番号をつけられた受刑者がよくこんな感情を抱くと聞いたことがある。フランクルの「夜と霧」にもこんなことが書いてあった気がする。
それでは「私」の定義の中に“行動”を取り入れたらどうなるだろう。そこには無数の連立方程式が並ぶことになるだろう。それを一本の式に統一しようとすると、確率論になってしまう。そこには無数の“動き”だけがあって、「私」という直感的実在が消え去ってしまう。
今度は、「よせよ、俺はここにちゃんといるんだぜ!」
少なくとも、条件や環境に規定されて動いているだけではなく、自分の頭で考え、行動し、その限りでは周囲を変えられる力を持っている。たんなる迷路に入れられたオペラントねずみではない。

この「私」という直感的実在を、哲学的には「自我」という。
デカルトが「われ思う、ゆえにわれあり」といったのに対し、パスカルは「人間は考える葦である」と批判した。この批判には二つの意味があると思う。
ひとつは人間は神と同一の存在ではなく、神の一部でもなく、葦のひと草でしかない。そもそも神により葦として「規定された存在」でしかないということである。運が良ければ「葦 S16.12.08」というIDタグがつくかもしれない。
したがって“思う”とか“考える”とかいうことは、リンゴの実を食べるアダムの行為なのであり、それ自体が「被規定性の打破」である。神という言葉は「共同体の意思」と考えても良い。
もうひとつは葦という存在が本質的に集合的存在であるということである。一面の葦原の中で、ともに光を浴び、風にそよぎ、伸び、そして老いて枯れてゆく存在である。その中の一本の葦の考えは根源的に共同性を帯びているということである。(これらの思想はすでにヒルデガルト・フォン・ビンゲンのなかに示唆されている)
一見したところパスカルのほうがゆたかで弁証法的である。しかしデカルトの宣言なしにパスカルの批判が存在し得なかったことも間違いない。だからデカルトは近代哲学の嚆矢となりえたし、パスカルの理論は保守派の「引かれ者の小唄」に終わった。
「俺は俺だ!」という中世キリスト教世界への挑戦状が、そもそも議論の出発点であることを肝に銘じなければならない。

ソニーの首切りに対して臨時社員が立ち上がった。一本の葦に過ぎない臨時社員は考え始めた。会社という共同体の意思はやめることをもとめている。しかし「その意思は変だぞ」と考え始めた臨時社員は、そう考えている自分、昨日までの自分とは違う自分を発見する。
「われ思う。ゆえに(そう思っている)我あり」ということである。「昨日までの自分は何も考えていなかった、会社の意思が自分の意思だった。ということは存在しないも同然だった」という反省と、それは結びついている。
そうなれば1本のか細い葦であっても、「考える葦」集団の一員として、意地を示さなければならない、と考えが発展して行くのである。

(デカルトとパスカルは勝手読みです。専門家的評価はご勘弁を)

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ネットでライフのページを見ていたらこんな写真があった。
映画「日のあたる場所」の有名な1シーンである。映画の筋は覚えていないが、このシーンだけは忘れられない。リズが絶世の美人だったのは後にも先にもこの映画1本だけなのではないか。

これまで等閑視されてきたアルファ線や内部被曝の問題がにわかに取り上げられて来た。
意外と内部被曝に対する文献は少ない。ネットではほんの4、5年前まで「物理学の研究者」を自称する人が「低線量被曝は怖くない」とのたまわっていたのである。

劣化ウランを擁護するわけではありませんが、まあ低線量被爆については、まだまだわからないことだらけであるという事です…劣化ウラン反対キャンペーンの言う事は、因果関係が完全に立証される迄は、話半分程度に考えた方が良いのではと思います。ということは、ずっと話半分程度に考えた方が良いことになります。


私は劣化ウラン弾の被害を説明するために、パンフレットを作成しネット上で発表した。「DU」という題名からすると、内部被曝で検索してもヒットする可能性は低いと思うので、とりあえずリンクしておく。
自慢ではないが、原発事故以前のネット文献(通俗的な)では一番詳しい文章のひとつと思う。

DU 分っていること,分っていないこと,そして明らかなウソ

「劣化ウラン弾無害論」の批判的解説

http://www10.plala.or.jp/shosuzki/edit/ippnw/controv.htm

このうちとくに、文章の末尾に加えた 追加Ⅰ 知りたがり屋のための8章 を参照していただきたい。この文章は当時はかなあり専門的な知識であり、付録としたが、いまならたいていの人が読みこなすだけの予備知識を持っていると思う。

ついでに劣化ウラン関係の文章を紹介しておく。未来破壊性という言葉は原発においてもキーワードとなると思う。

未来破壊兵器=劣化ウラン弾   その歴史を探る

劣化ウラン弾:その人体への影響

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