鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2011年08月

(19)思い出 (Recuerdo)
この曲は、演奏によって好きか嫌いかがかなりはっきり分かれる曲です。オラシオ・サルガン楽団で聞いたとき、あまりの素晴らしさに「えっ」とびっくりしたことを覚えています。
HPではオラシオ・サルガンがラジオタンゴになかったこともあってコロール・タンゴの演奏を選びました。

Bandoneon Tango "Recuerdo" Pugliese - Color Tango

これはライブ版です。正直言って、音盤でコロール・タンゴを聴いたときの印象とはだいぶ違います。もちろんこれはこれで素晴らしいのですが。

COLOR TANGO al Rio - Recuerdo" Pugliese

苦労してこの演奏を突き止めました。素晴らしい演奏で、これで決まりといってよいでしょう。

Recuerdo - Tango

本家プグリエセの演奏で歌手はホルヘ・マシェルです。1968年の録音と記されています。これだけ音が良いとこちらを本命盤にしたくなります。

"Recuerdo" - Osvaldo Pugliese

普通プグリエセのレクエルドというとこの録音が頭に浮かびます。この音だとやはり推薦しかねます。

Sexteto Mayor - Recuerdo

どういわけかレクエルドで検索して200番目を超えてからこの演奏が出てきます。演奏、音質ともに立派なものです。

Orquesta Típica Fulvio Salamanca - A. Guerrico - L. Correa - Recuerdo

編曲が異なるとまったく別の曲のように聞こえます。しかし男声のデュオはそれなりに心地よいものです。

Sexteto Julio De Caro - Recuerdo

フリオ・で・カロも録音しているんだ、という程度のものです。

Ismael Serrano - Recuerdo

同じ題名でまったく別の曲ですが、実にしみじみと来る素晴らしい曲です。イスマエル・セラーノという人、要注意です。

Tamara Castro - Recuerdo

これも同じ題名の異曲です。タマラ・カストロという歌手、初めて聞きましたが、なかなかのものです。

Te Recuerdo Amanda
レクエルドで検索しているとこんな曲まで引っかかってきます。チリのビクトル・ハラの名曲です。

(20)フェリシア (Felicia)

フェリシアというのはカッタルイ曲だと思っていましたが、Cuidadanos Del Tango の演奏で聞くともっと軽やかで生き生きとしています。どちらが良いかと一概には言えませんが、演奏次第でさまざまな顔を見せてくれる可能性があるという意味では、ニュアンスに富んだ曲といえるでしょう。

と書きましたが、Cuidadanos Del Tango の演奏はYOUTUBEでは聴けません。

TANGO入門(13) フェリシア FELICIA(E.Saborido) Quinteto Pirincho, ...

さんという方がうpしてくれた音源で、なんと「ピリンチョ五重奏団、フアン・ダリエンソ楽団­、キンテート・レアルの3楽団の演奏を収録」というお徳版。

Felicia - Tango - por la Orquesta "La Mínima Mina"

ピアノにバンドネオン2丁というまさにミニマルな編成だが、意外に面白い。

FELICIA

デ・アンヘリスの演奏はとてもフェリシアには聞こえない。

felicia - djdom.mp4

カラベリの演奏。かったるい演奏の代表である。

というわけで、いまは百選からはずしたいくらいの思いです。いつかは良い演奏が出てくれることを期待します。

恥ずかしながら、長崎市長の平和宣言を読み損ねていた。
「俳壇」欄の引用で初めて知った。良い一節である。

どうして再び放射線の恐怖におびえることになってしまったのか

自然への畏れを忘れていなかったか

人間の制御力を過信していなかったか

未来への責任から目をそらしてはいなかったか

「非正規切り」裁判闘争のいま というインタビュー記事が載っている。本日が連載の1回目。
鷲見さんという弁護士が語っているが、そのなかに大事な指摘がある。
鷲見さんは「非正規」の本質は間接雇用にあるとして、間接雇用の本質を以下のように語っている。

派遣社員は、直接雇用される期間社員と比べても不安定・低賃金雇用です。製造業務派遣ですと、残業や夜勤などを一生懸命やっても、年収で300万円になるかならないかです。

戦前の人貸し、口入れ稼業とか、たこ部屋とかいわれる悲惨な労働実態がすべて、この間接雇用から生まれています。
ですから、戦後の日本国憲法にもとづく労働民主化のなかで、人貸し業のような労働者供給事業は全面禁止され、職業安定法に明記されたのです。
それが財界の要求で、1985年に労働者派遣法が作られ、間接雇用が復活したわけです。

ということで、すでに25年前に、私たちは渡ってはいけない橋を渡ってしまっていたということが、いまさらながらに悔やまれる。
しかし当時と状況はまったく変わっている。派遣法は社会の隅々に定着し、あらゆる悪の根源となっている。この変化を捉えて、派遣法の改正を目指す自らの構えを形成し、世論を作り上げていかなければならないだろう。

喜田さんというかたが「阪神・淡路大震災を振り返る」と題して赤旗に寄稿しています。
短い文章の中に Facts がぎっしり詰まっています。いくつかの数字を拾っておきたいと思います。

“復興”事業に関して
*震災後10年間で国・自治体が投じた復興事業費は16兆円。その6割10兆円が大型開発事業に注ぎ込まれた。
*“復興”の目玉、神戸空港で2千億の借金が残った。09年から償還が始まったが、まったく財源はない。新たな借金と別会計資金の流用でしのいでいるが、運営そのものも赤字が続いており、いずれ破綻するのは明らかである。
*長田区の再開発には3千億円がつぎ込まれた。いまや軒並みシャッター通りとなっている。

自助努力の押付け
村山内閣は「個人補償は私有財産制の下では認められない。生活再建は自助努力で」との方針をとった。
 被災者には資金貸し出し以外の補償はなかった。したがって資金を受給した人たちの多くが、二重債務者となった。
*災害援護資金は5万6千人に貸し出された。06年に完済予定であったが、現在も1万件以上が返済中である。最高限度350万円という涙金だが、それでも返す側には重くのしかかっていることが伺われる。
*業者向け緊急災害復旧資金は4万7千件が利用。そのうち7千件が返済不能に陥っている。

二重ローンに関して
*持ち家を失った被災者の1/3が自宅再建を断念した。
*残りの2/3は住宅金融公庫などの被災者向けローンで自宅を再建した。このうち2500件が返済不能となり、家を手放した。
*他の人は順調か?
被災者ネットワーク事務局長の石田さんの談話が載っている。

最初は、少しは国からお金が出るやろと思っていましたが、えらい間違いでした。私たちには何もありませんでした。私も再建住宅のローンを月10万円返していて、97歳まで続きます。生命保険も解約し、国保料を払えないときもありました。

ちなみに石田さんは現在75歳だ。2400万を年利2%40年返済で借りると大体倍になる。これを月割りすると10万という見当だ。世間一般ならそんなものだと思うが、これではまったく被災者支援になっていない。
端的に言ってあれだけ集めた義捐金は何に使われたのかと思う。自助・共助・公助というが、公助が結果としてゼロだったことに最大の問題がありそうだ。

いっそ神戸空港や長田区のシャッター通りを、ユネスコに申請して「負の遺産」に登録してもらったらどうだろう。まんなかに15年前の神戸市長の銅像を立てて、石つぶてを置いておいて「ご自由にぶつけてください」と看板を立てるとか…


26日のバーナンキ演説について山田俊英記者が解説している。
英語の略称が目白押しで、えらくむずかしいので、分かったなりに紹介する。他紙の解説も勉強して紹介したい。

記者によると、バーナンキ演説の要点は「金融政策では長期的な経済成長を回復させることはできない」ということだ。

バーナンキは「しっかりした経済成長に必要な政策の大半は中央銀行の範囲外にある」と語っている。これはある意味で当然だ。たとえば日本で日銀が経済成長の回復の役割を担うといえば、「何を馬鹿な」ということになる。
それがことアメリカに関しては成り立ってきたということがむしろ不思議な話だ。
これは金交換の停止・プラザ合意・東西対立の終焉から以降、数十年のあいだに「ドル本位制」という架空の王国が築かれ、その基軸通貨・ドルの発行権がアメリカの日銀にあたるFRB(連邦準備制度理事会)の手に握られてきたからである。

話しは元に戻るが、今回の演説は世界中が注目していた。それはバーナンキが追加的な量的緩和を発表するのではないかという期待からだった。

量的緩和というのはFRBの持つ伝家の宝刀で、連邦債を買うという形をとって、ドルを発行し市場にばら撒く措置である。Quantitative Easing の頭文字をとってQEと呼ばれる。

リーマンショック以来、二度の量的緩和が行われ、とくに去年末から半年をかけ実施された量的緩和がQE2と呼ばれる(私たちが子供の頃、世界最大の客船がクイーン・エリザベス二世号、QE2だった)。

によれば、

FOMC(連邦公開市場委員会)が決定し、FRBは6,000億ドルの米国債の買い入れを行って大量のドルを市場に供給している。世界経済に未曾有の流動性をもたらすインフレ政策は「世紀の大実験」とも言われ、各国の為替、債券、株式の市場に大きな影響が出ている。


円でいえば50兆円ものドル札を何の裏づけもなしに印刷してばら撒いたわけだ。一種の政策インフレである。

結果はどうなったか、少なくとも当初の目標だった経済成長や雇用の改善に関しては効果ゼロだった。副作用はどうなったか、余剰マネーが投機に回り、商品市況が高騰し、新興国でバブルを招くなどの弊害が広がった。

結局ばら撒かれたドルは生産にも輸出にも向けられず、すべて金融界に回ってしまったことになる。有効だったとはとてもいえない。しかし無効だったかといわれるとなんとも応えかねる。しかし3回目をやりたいかと問われれば、とてもそうは思えない。


バーナンキ議長の主張はこうである。
*税制改革、予算編成を通じた景気刺激策、投資の促進策、研究開発の重視、インフラ整備などが基本だ。
*より生産的な経済は、“われわれが直面する二律背反”を和らげるだろう。

“われわれが直面する二律背反”というのが何か、いまひとつ不明だが、「もしQE2をやらなかったとしたら、アメリカと世界はどうなっていただろうか」、という答えのない問いかけが呪縛となっているのかもしれない。

それが「QE3はありません」と言い切れない弱さと、「世界恐慌の引き金を引いた男」にはなりたくないという意地との交錯をしているのではないか。

英フィナンシャル・タイムズはバーナンキ演説を受けて次のように述べている。
「要するに、米経済に必要なのは政治家の助けだということだ」

差し迫る危機はまさにそこにあるわけで、目前には議会共和党、とくに「茶会派」との対決がある。オバマへの好き嫌いではなく、良識派が結集する場面が出てこないと、先行ききわめて危険だと思う。

厚労省の雇用実態調査。なんと「就業形態の多様化に関する総合実態調査」と題されている。
就業形態の多様化などではない。雇用条件の劣悪化そのものだ。良い方向での多様化など一つもない。

調査方法の問題
まず調査の信頼度であるが、総合実態調査とは言うものの、抽出調査であり、しかも回答率は低い。対象事業所は従業員5人以上の1万7千件、対象従業員は5万1千人である。有効回答率はそれぞれ62%、65%に留まっている。
実態を正確には反映していない可能性があり、実態はさらに悪いと思われる。

調査結果
*全労働者のうち、パートタイムや契約社員など非正社員の割合は39%だった。
*非正社員の割合は87年の調査開始以来、一貫して上昇を続けている。
*非正社員の内訳は、パートタイムが23%、契約社員が4%、嘱託社員が2%、派遣労働者が3%となっている。
*派遣労働者は前年度から1.7%減少した。これはリーマンショック後の雇い止めの影響と考えられる。

考察
1.「就業形態の多様化」の実態は、結局非正社員の増加である。それは調査そのものが明らかにしている。「非正社員を雇う理由」の圧倒的トップは「賃金の節約」である(44%)。これが雇用条件の劣悪化でなくして何というのか。
2.派遣労働者が1.7%も減っている。3人に1人が首を切られたことになる。
派遣労働者が他の就業形態に移行した可能性は低い。移行可能な就業形態はパートタイムだが、その増加率は派遣労働者の減少率を吸収していない。
従業員4人以下の零細に流れたか、失業者の群れに加わった可能性が高い。
すなわちこの調査の枠外で、巨大な雇用の変化が生まれていることになる。
3.派遣労働者の著名な減少にもかかわらず、非正社員全体の数はそれを上回って増加している。
あらたに膨大な数の非正労働者が誕生したことになる。この国はどこに向かって漂流していくのだろうか。


経団連が巻き返しに成功した。これが潮目となるのか。逆流が押し寄せるのか。

最初は5月12日 復興国債に関する文章で

野田財務相は「大企業に内部留保がたくさんあるなら、官民でファンドを作り、投資を通じて貢献するのもひとつのアイデアだ」と応えた。これで復興国債のアイデアが復興構想会議まで登ってくれるとよいが。

次は8月18日 GDP減少に関する文章で

被災地企業が倒産の危機にあえぐなか、復興資金を狙って禿げ鷹が群がろうとしているが、どのくらい地元本位を貫けるかが分かれ目であろう。
その点から見ると、自民党も推す次期首相候補の野田財相が「復興需要をどう満たしていくかという観点からすると、まさに千載一遇のチャンス」と述べているのは、財界の狙いが透けて見えるようで、まことに気になる発言である。

三つ目は8月24日

総裁選がいろいろ噂になっているようだが、親米反中・極右の前原で本当に良いのか、米倉の新アイドルで前原を上回る極右の野田財務相で本当に良いのか。

どちらにしても右転換は必至と見ていたが、やはり来るべきものが来た。憲法9条を守る闘い、消費税を阻止する闘いがこれから正念場を迎えることになるだろう。

(17)我が悩み (Mi Dolor)

石川さんの解説に従い「我が悩み」としましたが、ドロールというのは医学用語では「痛み」を指します。名曲百選というと、「ちょっと待って」という感じもしますが、演奏が名演ぞろいで評価を押し上げています。

Julio De Caro - Mi Dolor

この曲のスタンダードとなっている演奏です。Orlando Verri という歌手が歌っています。

MI DOLOR,JUAN D'ARIENZO - OSVALDO RAMOS

しかしこちらのほうが断然素敵です。やや速めのテンポでダリエンソ節炸裂です。

ANGEL VARGAS - Mi dolor

歌で採るならこちらです。港にかかる夜霧に街灯がかすむようにアンヘル・バルガスがさえています。

http://www.youtube.com/watch?v=GkvC0A63x10

アルフレド・デ・アンヘリスの演奏で、流れるような旋律が特徴です。歌抜きです。

" TANGO DE ORO SUMMIT " JULY 9th tto 17th - song : ( MI ...

Jorge Maciel con el Sexteto Mayor の演奏で、音質は最高ですが、ちょっと癖のある演奏です。

(18)我が愛へのミロンガ (Milonga de mis amores)

HPではコロールタンゴを一推ししています。

まさしくコロールタンゴの快演です。録音もすばらしい。今までは、あまり面白い曲だとは思いませんでしたが、コロール・タンゴの演奏で一気に評価が上がりました。

Cuarteto NUEVO ENCUENTRO -- Milonga de mis Amores

これはダンスのほうでもステップの複雑さでかなり受ける曲らしく、動画は踊りばかりです。この絵もそういうひとつですが、たんなる踊りの伴奏の域を超えてうまい。

Pedro Laurenz - Milonga De Mis Amores

これが作曲者ペドロ・ラウレンスのオリジナル演奏。これも悪くはないが、やはりなんとなく物足りない感じはします。次々と素晴らしいカバーが出てくると影が薄い。もうちょっとあくが強く下品な感じがよいと思うのですが。

Milonga De Mis Amores Juan D'Arienzo & Su Orquesta Tipica The Tango

グラン・オルケスタではこの曲の魅力は出ないのかな。さすがのダリエンソもてこずっている感じです。

Charlo - Milonga de mis amores

歌もあるんですね。初めて知りました。しかし歌はないほうが良い。我が愛へのミロンガ (Milonga De Mis Amores)

Milonga de mis amores - Coco Nelegatti y su Quinteto Arrabal

もうやめようと思った300番目にこんな演奏が出てくる。アラバルというのは場末のことですが、まさにそういう感じの後ろ乗り。

Como es un momento romántico les dejo la MILONGA DE MIS AMORE

カナロの演奏。ミュートをつけたトランペット、クラリネットにアコーディオンまで登場する。しかしやはり語尾をはっきりさせるカナロ節で気持ちよい。

"Milonga de mis amores" (P. Laurens) Ensemble La Chimera

なんと古楽器による演奏。これがメリハリが利いて迫力ある。

Pablo Delvalle Milonga de mis amores


ギター伴奏つきのバンドネオン・ソロ。うまい。

Cuarteto NUEVO ENCUENTRO -- Milonga de mis Amores


小味な演奏だが悪くない。

Milonga de mis amores

Leo Sujatovich Trio の演奏。スハトビッチは現代版サルガンだろう。こういう曲ならそれなりに乗れる。

Gotan Project - Milonga De Mi Amor

おなじみゴタン・プロジェクトの演奏。さすがに少々鼻につく。

Milonga De Mis Amores

なかなかいい演奏だと思うが、残念なことに誰の演奏なのかわからない。

ORQUESTA JUAN D'ARIENZO - ALBERTO REYNAL -- ALMANAQUE DE

すみません。全然関係ない曲なのですが、忘れると困るので、とりあえずここにおいておきます。


ものすごい量の動画があり、探すだけで1時間かかりましたが、結局コロール・タンゴの演奏は見つかりませんでした。しかたなしにコロール・タンゴで検索をかけたら、またいやなものを見てしまいました。金でバンドを買ってカラオケ代わりに唸って、それをYOUTUBEに載せる北島三郎風の日本人歌手、こちらは男性です。
もう今日は止めて寝よう。


「経済学批判要綱」1-298ページ

貿易の発生

余剰を交換することは、交換価値を措定する活動である。これが交易と呼ばれる。
この交易は余剰の交換を範囲とするのみである。

貿易の持続

交換を促す商人が繰り返し出現するようになると、一つの持続的な商業に発展する。
しかし交易=交換価値を措定する活動の刺激は、その生産の内部から生じるのではなく、外部からもたらされるに過ぎない。したがって生産する民族はいわば受動的な商業しか営んではいない。

生産の変容

やがて国内生産そのものが、流通を目指すようになると、生産は交換価値の措定を目指す傾向を持つようになる。
新たな欲求が生まれ、その範囲が広げられる。それは生産をより大規模で規則的なものとする。そして国内生産の組織そのものを、流通と交換価値により変容させる。

変容の程度を規定するもの

この場合、交易がどの程度まで生産の全体を捉えるかは、ひとつは外部からの作用の強さに、一つは国内生産の発展の度合い、分業の発展など、にかかっている。

イギリスにおける羊毛産業の例


解説(私なりの)

文明化というのは資本主義化ということです。
交換価値の措定というのは、あらゆる生産物に値がつけられるということです。値段がなければ交換できませんから、交換は、モノに値段をつけることから始まるのです。バザーなんかやると実感しますね。
むかし山下某という知恵遅れの画家がいて、「それでそれは兵隊で言うとどのくらいの階級なのか」というのが口癖でした。なんでも軍隊に還元する言い方にみんな笑ったものですが、案外みんなそういう還元を、お金というかたちでやっているんですね。
家事・育児・介護などもむかしは値段などつけなかったものですが、いまはしっかりとお金で評価されるようになっています。「万事世知辛くなった」と嘆く向きもあるでしょうが、やはりこれは主婦の一方的犠牲の上に成り立っていた世界が、社会的に評価されるようになったと喜ぶべきことなのでしょう。
こういう仕事が、きちっと評価されるようになったのは、女性が社会進出して男性と肩を並べて仕事をするようになったからです。「国内生産の発展の度合い、分業の発展など、にかかっている」というのは、そのことを表現しています。だからあらゆるものに値段がつくというのは歴史的な進歩なのです。

という風に、この一節を介護労働の解説に使えないかと考えているところです。



ペルーにオジャンタ・ウマラ革新政権が誕生して1ヶ月、早くも画期的な成果が現れた。
鉱山会社との交渉の末、今後5年間に55億ドルの新税を課すことで合意したというのです。
現在鉱山各社は税率35%の法人税を課せられているが、新政権は、これに加えて過剰利益にふさわしい納税を求めた。業界側は「国際競争力を失う」として難色を示してきたが、新政権の高い支持率と強い態度をまえに、提案を受け入れざるを得なくなった。
鉱山会社の会長は「競争力に配慮しながら可能性に応じて納税して行く用意がある」と発言しており、新税の実施はほぼ確実と見られる。

この間の経過を日本と比べて見ると、三つのことが言える。
一つは、国民所得が5千ドル/年足らず、貧困層が国民の4割を占める国でも、資本家は国際競争力を口実に、国民に犠牲を迫るということだ。これは、日本がペルー並みの生活水準に落ち込んでも、財界は「国際競争力」を口にし続けるだろうということを示唆している。
一つは、「国際競争力」は財界の最後のよりどころではないということだ。国際競争力がなくなれば日本は崩壊するかのように騒ぎ立てるが、実際のところはそこまで決定的な分岐点ではなく、国民との力関係が変われば妥協しうる、「便利なスローガン」に過ぎないということだ。
そしてもう一つは、国民生活と「国際競争力」の維持とを両立しうる適正・妥当な領域というものが存在しうるということだ。
交渉過程では、直近の国際価格と各企業の利益水準、今後5年間の業績見通しを勘案し新税の規模を算出したとされている。日本はモノカルチャー国家ではないから積算ははるかに複雑なものとなるだろうが、その構えさえあれば原理的には可能であろう。

企業税35%というのは、奇しくも日本のそれと一致する。まず税金を誰が出すか、誰から取るのかの議論を始めなければならない。その過程で初めて「国際競争力を疎外しない程度」についての議論が意義を持つことになる。「国際競争力」論が議論を拒否するための道具になってはいけない。

「データで見る東日本大震災」の連載が4回目。

信用金庫の中央金融機関である信金中央金庫の6月特別調査の結果を報道している。これは全国の信金取引先1万6千社を対象にしたもので、回答率8%。

震災によって何らかの被害を受けた中小企業が全国で68%、実に2/3だ。地域別では東北地方90%、関東79%、首都圏71%となっている。
これは震災の二次被害(物流、原材料、受注)が予想以上の深刻さをもたらしていることの現われだ。

これを救済するには、「補償」だけでは足りない。中小企業、とりわけ製造業への振興策が必要であり、身近な金融機関である信用金庫への支援が鍵となるだろう。

太陽光発電協会が第二四半期の出荷統計を発表した。総出荷が26%増。産業用の伸びがとくに著明で前年比31%に達した。また輸出も好調で、メガソーラー需要を中心に23%伸びている。

だめになる産業もあれば、これから成長する産業もある。経済政策の根幹には、技術革新とその普及の見通しが必要だということだ。
大企業の既得権益を守るだけの政策では、この先やっていけないことははっきりしている。ものづくりと技術の重視に立脚した新たな産業政策が必要だ。そして何よりも、大企業と対決してでも産業構造の転換を断行していく政府の姿勢がもとめられている。

今回は二つともガルデルの十八番で、ほかに選択の余地はないから短く行きます

(15)我々が悲しみの夜 (Mi noche triste)

ガルデルが世に出た出世作です。ガルデルは男っぽい歌い手ですが、それはマッチョとしての男らしさではなく、もっと素直に自然ににじみ出た人間臭さだと思います。だから女性が歌っても全然違和感がないし、外国人が歌っても素直に曲の良さがしみじみと伝わってくるのです。

Mi Noche Triste - Carlos Gardel - Tango

初めて聞きましたが、旧盤です。すごい音です。

The tango I love (1): "Mi Noche Triste", Carlos ...

こちらが世間に流布する定番です。

mi noche triste - julio sosa

フリオ・ソーサはポスト・ガルデル世代の代表の一人で。ほとんどの曲をカバーしています。決してたんなるコピーではなく、独自の世界を築き上げています。(エドムンド・リベロの歌もありましたが、ひどいのでリンクしません)

Buenas Noches Bs.As. 2 ANIBAL TROILO HUGO DEL CARRIL

映画の演奏をアップロードしています。映像が見られることもさることながら、緊張感のある素晴らしい演奏です。トロイロ自身がバンドネオンの名手だということもわかるし、バンドマスターとしてはけっこう怖い人だということも感じられます。

VIRGINIA LUQUE - MI NOCHE TRISTE

これはすごい演奏です。テレビの録画映像で、すでにカラーの時代です。年は50歳前後でしょうか、完全にはまっています。この人はおそらく人格乖離(ヒステリー)で歌うときにはヒョウエ(憑き物つき)しているようです。それが当たればすごいし、外れてもすごくなりそうです。

Bandoneon Tango "Mi Noche Triste" V.Luque/orq.Firpo

前項の記載がこの映像でも確認されます。音はひどいが迫力はあります。

ZITARROSA-MI NOCHE TRISTE (TANGO)

まさかここにシタローサがあるとは思いませんでした。シタローサはウルグアイのフォルクローレ運動の旗頭で、軍事政権に国を追われ、メキシコで病死しました。この演奏けっこう味があります。

ORQUESTA JOSE BASSO - FIORENTINO - MI NOCHE TRISTE - TANG

フィオレンティーノは好きではないが、ホセ・バッソ楽団に敬意をはらって記載。

そのほか、リストに載せるほどではないが、サビナ・オルモスという馬面の歌手がいて、この曲はひどいが、「三つの思い出」という曲はうまく歌っている。

(16)帰郷 (Volver)

もうひとつガルデルの歌です。短いけどとても印象的な曲です。ちょっとハリウッド的な匂いがしますが、考えてみると、この時期ハリウッドはとても良かったのです。1930年代の後半に「ハリウッド的だ」というのは、ある意味で最高のほめ言葉かもしれません。

CARLOS GARDEL VOLVER

これが標準の演奏です。

CARLOS GARDEL VOLVER

これが映画のほうのファイルです。

hECTOR iSLAS - vOLVER / tANGO

YOUTUBEで名演奏を探すのは大変です。聞き逃しはつきものです。この演奏も検索順位は100番以下でした。

PORTOTANGO - Sin esquinas 2010 - Volver

現代的な演奏の代表です。これを聴くとあらためて、ガルデルを乗り越える難しさを感じずにはいられません。

Volver - Estrella Morente [Soundtrack "Volver" Pedro Almodovar]

なかには勇敢な人もいます。しかし…

Eliades Ochoa - Volver

これは「やったぜ」という感じ。見事にボレロに変身しました。冒涜ともいえますが。

Chano Lobato - Cancion por Bulerias - Volver

これも見事にフラメンコに変身。




(13)下り坂 (Cuesta Abajo)

HP: 私の記憶では、「下り坂」はスサーナ・リナルディのほうが良いのですが、とりあえずそれがラジオタンゴでとった音源の中にはないので、ガルデルにしておきます。

YOUTUBEでも、やはりなかった。スサーナ・リナルディはすべてに贅肉がついて醜くなった。一番悪いのは前頭葉の贅肉だ。

Carlos Gardel - Cuesta Abajo

こちらは映画からのアップ。画面にそこはかとなく色がついています。まさか1枚1枚色を塗ったわけではないのでしょうが、テクニカラーというんでしょうか。音も音盤と比べそん色ないものです。

Carlos Gardel - Cuesta Abajo

こちらが音盤からのもの。

Elio Roca cuesta abajo.wmv

これは思わぬ拾い物。美声で声に色気があり、張上げず(多少は張上げていますが、まぁタンゴですから)、癖がなく、聞きやすい。聞いた範囲では最高だと思う。

CUESTA ABAJO por Claudio Rojas Tango y Rolando Garcia Gomez.wmv

テレビのチェックだが、最近のものでハイビジョン。音もハイファイだ。演奏はガルデル時代を踏襲してギター1本のシンプルなバックで、語りかけるように歌う。これは良い。表情がきめ細やかな分、流れにやや欠けるが、立派なもの。

HUGO MARCEL - CUESTA ABAJO

カラーテレビの番組をビデオに落としたものだが、意外に音はよい。バックはピアノでもちろんモノ。ウーゴ・マルセルという人初耳だが、表情に過不足ない。

JERONIMO - Cuesta Abajo

ちょっとオーバーだが、色気のある声だ。ギターがバック、音はよい。

Libertad Lamarque "Cuesta abajo"

こちらも映画から落としたもの。熱演ですが、もう少し淋しい歌なのでは?

Roberto ''Polaco'' Goyeneche - Cuesta Abajo

「私にも歌えますよ」という程度。歌う必然性が感じられない。

ここまでやってきて思うのだが、良い女性歌手がいないですね。最近は…

(14)我がなつかしのブエノスアイレス (Mi Buenos Aires Querido)

HP: まさに名曲・名演。極めつけというのはこういうのを指して言うのでしょう。この歌を歌うのに、ガルデル以外の余人をもっては代えがたいという実感がつくづくします。「余人」が手を出さないという事情もたしかにありますが。

Carlos Gardel - Mi Buenos Aires querido - Tango

これが音盤からのアップです。映画からのものもありますが、リンクは省略します。

SEXTETO MAYOR " Mi Buenos Aires Querido" - "Onda 9"

セステート・タンゴの演奏です。曲そのものを聴くにはこちらのほうが良いかもしれません。

Omar Torres - Mi Buenos Aires querido

これは掘り出し物の演奏です。歌なしですが、ホンワカとしていい雰囲気です。Omar Torres y su Gran Orquesta de Cuerdas.の1982年の録音ということですが、ずいぶん古臭い音です。

MI BUENOS AIRES QUERIDO

こちらはMIGUEL CALO楽団に、MARGA FONTANAという歌手。古い録音ですが、悪くありません。

MI BUENOS AIRES QUERIDO

新しい録音で、ということになると、このくらいしか見当たりません。SEXTETO TANGOの伴奏で RAUL FUNES という歌手が歌っています。可もなく不可もなし。

Lucía D'Agostino canta Mi Buenos Aires querido (Gardel - Le Pera)

ルシア・ダゴスティーノという若手女性歌手が挑戦しています。結果は?

mi buenos aires querido Por Roberto Goyeneche

ゴジェネチェも当然カバーしていますが…

cantora SIMONE MI BUENOS AIRES QUERIDO

かえってシモーネのほうが良かったりして…


(11)黄昏のオルガニート (Organito De La Tarde)

HP: これもディサルリ楽団の十八番です。ディサルリでなければならないわけではないが、たしかにほかにこれといった演奏があるわけではありません。このマロ~ンとした雰囲気は(歌詞の中身は結構切羽詰っているが)、次の世代が受け継ぎにくいものなのでしょう。

CARLOS DI SARLI Y SU ORQ. TIPICA - ORGANITO DE LA TARDE

他に対抗馬もなく、ガチガチの本命です。音もディサルリとしては最上の部類に入ります。

Organito de la Tarde Francisco Canaro.wmv

カナロとしてもかなり古い録音ですが、それだけにカナロのひなたい音楽が心を和ませます。

ORGANITO DE LA TARDE (CATULO CASTILLO - Arreglo musical RUDY

メロディーラインをいじることなく、見事にマンボの名演奏に仕立てています。むかしレクォーナ・キューバン・ボーイズがこの曲を編曲したときは相当いじられていました。

ORGANITO DE LA TARDE

ガルデルの歌唱です。かなり古いものです。あえて聞くほどのものではありません。

Rodolfo Biagi - Organito de la Tarde

名演奏といっていいのでしょうが、いまひとつ迫力がありません。

Mercedes Sosa - El día que me quieras

すみません。この曲は後で採りあげる予定ですが、上記の演奏があまりにすごかったので、予定外にあげておきます。(ただし音は最悪)

(12)カミニート (Caminito)

HPでは一応、ホルヘ・マシェルを推していますが、消去法です。民主党の党首選びと同じです。

ホルヘ・マシェルは声の良さからすればタンゴ界最高ですが、その下品さには「どうして?」と戸惑います。

CARLOS GARDEL - CAMINITO

普通に選ぶならこっちでしょうね。たぶんホルヘ・マシェルを選んだときは気が動転していたのでしょう。彼のカミニートはYOUTUBEにはアップされていないようです。

Orquesta Miguel Caló - Lucho Gatica - Caminito - Tango

ミゲル・カロはいまどき一番の楽団だと思います。歌手はいまいちですが、この曲のトップといっても良さそうです。良い音で聞いてはいけないということもないでしょう。

Caminito (Tango) - Coro Polifónico de José C. Paz

混声合唱だが、残響が半端でない。どこかの教会で採ったのだろうか。複雑なことはせず、生地の良さで勝負している。

ESTELA URIARTE-Tango "Caminito"

ついに見つけた、という感じ。HPで「むしろフォルクローレ畑の歌手のほうが雰囲気が出るかもしれません」と書いたが、なかなかそのような音源には出会えずに来た。
これがそれだ。

一度に二曲づつではとうてい終わらない。少しがんばろう。

(09)夜明け(El Amanecer)

HPではディサルリを推した。
アマネセ-ルをどうしてロベルト・フィルポの自演盤にしないか、それはこのディサルリ盤を
聞いてもらえば分かってもらえるでしょう。まったく別の曲のようにも聞こえます。タンゴはこう
でなくっちゃというディサルリの強情さが伝わってきます。

と書いたが、YOUTUBEではディサルリ盤は聞けない。

Roberto Firpo - EL AMANECER

これが針音もゆかしい、ロベルト・フィルポの正調盤。

Juan D'arienzo - El amanecer.
聞いてみたらディサルリよりこちらのほうがよい。音質はきわめて良好、演奏も力強い。

El Amanecer Neotango Tango Passion

セステート・ネオタンゴの颯爽とした演奏。おそらくもとの音質は素晴らしいのだろうが、Up時に音割れしてしまったのが残念。と思ったら、別の人が同じ音源をあげてくれていた。この曲の最上の演奏といえる。

El Amanecer Alberti Teatro Maccio Octubre 2008

大編成の豪華なサウンドだが、へたくそでいやみ。 Orquesta Típica "Nelson Alberti"a lo D'Arienzo.5 de Octubre de 2008 とのクレジットあり。

El Amanecer.wmv
プグリエセの演奏。初めて聞いた。基本的にはスカ。

Tango Grill Live - El Amanecer
Pablo Agri, violin; Nicolas Ledesma, pianoと書いてある。あのアグリの息子なのだろうか。乗りはよいとはいえない。

Florindo Sassone y su orquesta típica (El Amanecer)
テレビのエアチェック。バンドネオン3つに対しバイオリンが6丁もある。これがサッソーネ・サウンドなのだろう。

Vale Tango En El Palais Chaillot - (París) - El Amanecer

シャイヨー宮殿のライブ。ドラマチックな演奏で、迫力満点。ただし音質はいまいち。

Juan Sánchez Gorio - El Amanecer

いやみのない素直できれいな演奏。それ以上を求める人には不向き。

(10)君を待つあいだ (Fumando Espero)

この曲は実はスペイン生まれの歌なんだそうです。訳には入っていませんが、“Fumando”という言葉がだいじです。ただ待っているのではなく、タバコを吸いながら待っていることがこの情景には必須なのです。

HPではディサルリ楽団を選びました。デアンヘリスの演奏もなかなか良いのですが、はかなさの感じられるところが他にない魅力です。

fumando espero-carlos di sarli

あまり音質が良くなくて、この録音だったかな? と思ってしまいます。

CARLOS DANTE ''FUMANDO ESPERO''.wmv

これは次点にしたデ・アンヘリス楽団の演奏です。歌手がカルロス・ダンテという人のようです。これでも十分と思いますが。

Fumando Espero ~ Tango

エクトル・バレラの歌で、録音が新しい点では、こちらのほうが良いかもしれません。

ARGENTINO LEDEZMA - FUMANDO ESPERO

どんな人か分かりません。歌手の名前なのか楽団の名前なのかも分かりません。しかしなかなか良いです。

ORQUESTA DONATO RACCIATTI - NINA MIRANDA - FUMANDO ESPER

早目のテンポで颯爽と歌いきっています。

SARITA MONTIEL ''FUMANDO ESPERO'' by J. Viladomat-Masanas. ...
ウームと唸ってしまいます。やはり男歌ではないでしょうか。それと、それなりに品格が必要ではないでしょうか。チンピラやあばずれではなく、貧しくともけなげに働く労働者という感じが欲しいです。

Fumando espero - Carlos Gardel.

さすがにガルデルは品がありますが、そこまでドラマチックに歌う歌なのでしょうか。

LIBERTAD LAMARQUE - FUMANDO ESPERO

ラマルケも歌っています。この人にしては珍しく素直に歌っていて、けっこう沁みてきます。

FUMANDO ESPERO IGNACIO CORSINI

この人はアディオス・ムチャーチョスの人でしょう。

Tango: Fumando espero por Dalva de Oliveira ("a Rainha da Voz" ...

カナロはここでは女性を起用していますが、凡庸です。音もさすがに古過ぎます。

Tango español: „Fumando espero" - Francisco Lomuto, 1927 !

良い演奏ですが、歌なしです。やはりこの曲は歌が欲しい。

ORQUESTA SUPER COLOSAL Fumando Espero.wmv
キューバのチャランガ・バージョンで、ゲテモノと言えばゲテモノですが、意外に面白い。エンリケ・ホリンの曲だといっても通用します。



(07)大きな人形 (A La Gran Muneca)

ホームページではカルロス・ディサルリ楽団を推しています。以下はその説明。

ディサルリというのは「泣かせ」の芸を会得した手練れという感じです。弦を叩くようなスタッカートと、思いっきりレガートを利かせたポルタメントを交互に繰り返し、たたみ掛けていきます。あざといといえばあざといのですが、それだけではない何かプラスアルファがあるのでしょう。

A LA GRAN MUNECA/carlos dis sarli

YOUTUBEでもディサルリ楽団の音源が手に入ります。

A la gran muñeca-Juan D'Arienzo

さすがダリエンソという感じ。しかし最初から勝負はあきらめた感じの演奏。

Orquesta JUAN D'ARIENZO . 78 Video CLUB - " A LA GRAN MUÑECA ...
と思ったら、さにあらず。すごい演奏があった。テレビ放送のエアチェック。当然モノだが意外に音はよい。擬似ステ化しているのか? grabacion del 17 de Diciembre de 1963 -とのコメントがある。全盛期は過ぎているのかもしれないが熱演だ。

A LA GRAN MUÑECA

デ・アンヘリス楽団の演奏。これも音に厚みがあって、良い演奏だ。もうひとつこれは昔のラジオ番組のエアチェックらしい。これが意外に良い。ただしかなり音飛びしている。

A la gran muñeca, tango, Florindo Sassone y su orquestra típica

この演奏は最近のもので、音は一番よい。弦を重視したコンチネンタル風に仕上げている。きれい過ぎるともいえる。しかし間違いなく一流だ。

Orquesta Héctor Varela - A La Gran Muñeca - Tango

あざとさが売りのエクトル・バレラ楽団の演奏。お勧めはしない。

Recordando a Libertad Lamarque... A LA GRAN MUÑECA

よくこんな音源を捜してきたね、というくらいひどい音だ。「耐えがたきを耐え…」レベルだ。

(08)バイア・ブランカ ( Bahia Blanca)

おそらく誰がタンゴの名曲を選んでも5本の指に入るディサルリの名曲です。

TANGO(17)入門 バイア・ブランカ BAHIA BLANCA(Di Sarli) Carlos ...

欲深ですが、この演奏のままで、もう少し良い録音で聴きたいものです。と書いたあと、これを見つけました。音源は同じはずですが、高音が補償され、ビビリが減少するなど音質が改善しています。ありがとうございます。

TANGOS Carlos Di Sarli Bahia Blanca

クレジットで見る限りはっきりしないのですが、ディサルリの新盤のようです。確かに音は良いのですが旧盤の下品なほどのすすり泣きはなくなっています。

それにしても、これほどの名曲、YOUTUBEでは誰もカバーしていない!

「要綱」の「貨幣の成立と本質」で一見未来社会論みたいなものが語られているが、読み通してみるとたいしたことは語っていない。彼が言いたかったのは、「ここから出発するしかないんだ」ということであり、そのためには「ここがどこなのか、どういうところなのかを分析し批判するしかないんだ」という主張である。

共同体が滅亡し個人が切り離されたという側面が一つ、交換、その物象としての貨幣が共同体を滅ぼし自らの共同性に包摂したという側面がもう一つ。
「貨幣それ自体が共同制度(ゲマインヴェーゼン)なのであって、自分の上に他のものが位することを許さない」
「それは交換価値=貨幣制度の完全な発展を想定し、それに照応する社会組織(ゲゼルシャフト)の完全な発展を想定している」

しかし交換は対立であり、対立であるがゆえに止揚されなければならない運命にある。さらにその元となる資本主義的領有の否定にある。とすれば、交換の代わりに結合が生まれなければならないだろう。
これは「貨幣を廃止すれば資本主義が克服できる」とするプルードン主義者との論争である。貨幣ではなくその基礎にある交換という対立を止揚するというのがマルクスの主張である。
しかしその「自立した諸個人の結合」のありようは、「みんなで考えようぜ」ということだ。交換が止揚されれば「自立した諸個人の結合」が自然に生まれ出て来るようにも思われる。ここはやはりマルクスの理論の未達点だろう。
「交換」が最終的に消滅するまでには相当の時間がかかるだろう。一つつぶしてもまた出てくる。そうなると「永続革命」ということになる。このままでは社会主義は「クレド」に過ぎない。

のちに「労働者階級の役割」への言及が出てくるが、それは別のコンテキストだろう。

「要綱」65ページ
すべての神話は、想像を通じて自然力に打ち勝ち、自然を支配する形を描くのである。したがってそれらは自然力に対する現実的な支配とともに消えうせる。

政府・発電会社は「安全神話」をふりまいたが、もっと大きな意味で、私たちは原子力に対する神話の時代に生きているといえるだろう。

本日の赤旗に表題のごとき記事が掲載された。
「ごとき」というのは記事が整理されていないから不分明だということで、もう少し独自調査を踏まえて、的を絞って、ことの重大性を明らかにすべきだと思う。

事実としては以下のようになる。
*東電は津波の試算を3年前に行っていた。これだけで想定外はウソだったことがはっきりした。
*東電は試算結果を受け、経営陣も了承した上で、土木学会に評価基準の見直しを要請した。
*東電は今年3月7日(大震災の4日前)に試算の結果を保安院に報告した。
これらのことを、東電の原子力担当責任者が明らかにした。

つまり、①地震・津波は「想定外」だったのではなく、想定されていたにもかかわらず対策を怠ったということであり、②幹部は十分に想定していたにもかかわらず、公の場でウソをつき続けたということである。

①についてはいろいろ言い訳もあるだろうが、②については許しがたいことであり、断罪が必要である。

もうひとつ大事なことは、「未曾有かつ想定外の災害であった」ことを前提にして議論を組み立ててきた多くの論者は、このたび明らかになった事実に眼をつむったままでいてはならないということである。原発の是非をめぐる論争はこれからも続くと思われるが、電力会社のモラルへの信頼性はその根幹に横たわる問題である。

電力会社のトップが嘘をついて恥じない状況の下で、それに抗議しようともしない人々に、原発について語る資格があるだろうか。
議論の前に、「それであなたは東電に抗議しましたか? 幹部の断罪を求めましたか? 少なくとも幹部糾弾の姿勢を明らかにしましたか?」と問いかけなければならない。


この発表を受けた東電の西沢社長は「津波の源が分からなかったので、影響が把握できなかった」と述べているが、これでは答えになっていない。そもそも何を言っているのかわからない。記者会見に居合わせた人たちは、もう少しましな答弁を引き出すべきだったろう。

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