鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

2011年05月

気仙沼医師会の状況が報告されている。七つの病院と37の診療所があったが、内29ヶ所が津波に飲み込まれた。ほかに一部損壊が7ヶ所。要するにすべて だ。ただ不幸中の幸いだったことは、残された1ヶ所が高台にあった中核病院である気仙沼市立病院だったことだ。 この地方は元々医師不足が深刻なところだ。医師の平均年齢は60歳を超えている。医師会が最も心配しているのは、高齢化した医師がこれから銀行から数 千万円の借金を抱えて医療を再開するだろうか、ということだ。ただちに対策が必要となっている。

東北大学の河相名誉教授が、ここをうまくまとめている。 復旧・復興の基本は、絆を地域に再建し、自治を作り上げていくこと、それを基礎にグランドデザインを作ることだ。被災者・被災地が復興プランを練り、作り上げ 、主体的に実行する、それを国と自治体が支援することだ。 自然は地域ごとに循環のあり方が違っており、自然が相手の生業では、地域ごとの復興計画作りが必要だ。農業では「大字」の単位、戸数で言えば数百戸単 位で復興計画を作る。膨大な瓦礫の撤去、水田の淡水化、そのためのあぜ道と水路の再建が先決問題となる。これらの計画を共同体単位で作ることが必要だ 。 壊滅的な漁業地域では協同組合が漁港などの再建プランを作ることが現実的だ。都市部では小学校区または中学校区単位で地域の商店の復活をふくむ地元 商業の活性化計画が必要だ。

7日から始まった赤旗の「在宅被災者は今」という連載は衝撃的だ。岩手県山田町の役場の前には毎日午後三時になると約千人の行列ができる。早い人は午 前11時半から並んでいるという。3時半から一日分の食料が配られる。カップラーメン2個、パンとおにぎりと缶詰が1個づつ。これが千人の被災者の1日の食 事になる。 食料をもらうのは緊急避難のためではない。金がないからだ。一家全員が無職となった。「車も現金もないので震災から一度も買い物をしていません。残ったの は家と車のローンだけ」 被災者には10万円の緊急小口資金が貸与されるが、「再就職の見通しがなく、返済するあてがない」のでは借りることもできません。 もはや被災地の様相は変貌している。「貧困」という災難が最後にやってきて、居座り続けることになりそうだ。財政出動が待ったなしの課題になってきている。

Yuri Bashmet- Glinka Viola Sonata in d minor というのを聴いているが、心地よい。グリンカは前から聴きたかったが、YOUTUBEではなかなか手に入らず、入っても音質がひどすぎた。このバシュメットの演奏は高音質で安心して聴ける。

さらにもうひとつ転載 2011.4.25 「想定外」という言葉への検討が行われている。何の想定だったのか、それは「安全性」のラインだ。原発というものは原理的にはきわめて単純な構造で、したがって極めて安上がりな設備である。 原発の建設に関して技術というものがあるとすれば、それはほとんどが安全性に関する技術となる。安全性のラインはいかようにでも引ける。これを厳密に引けばコストは上昇する。最低ラインにすれ ばほとんどただに近いものになる。だからどのようにでも値段は決められるものなのだ。 もしも原発賛成論に立ったとして、それではいくらのコストを甘受するか、ここで立ち場の違いを超えた人間性が問われてくる。なぜならそこにはスリーマイルやチェルノブイリの(そしてこれからは福島 原発の)先例があるからだ。つまり事故の起きた際の破壊的影響を鑑みて、原発の安全性に関する技術はいまだ完成していないという認識の共有がある。 したがって一般的コスト論(安ければ安いほど良い)のではなく、一種の"必要悪"として、代替エネルギー源として、たとえば火発並みの、あるいは水力発電並みのコストを想定して、それを「安全性」の ラインの最低線とする。それで安全性が担保できなければ断念する、という「逆立ちした」発想も必要になるだろう。これはあくまで原発賛成論に立ったうえでの議論であるが。 安全性の議論というのはフェイル・セーフ装置の構造化である。今回の事故はそもそもフェイル・セーフ論が存在していなかったことを明らかにしている。地震が来ても安全、津波が来ても安全、停電に なっても安全ということではない(実際にはそれすらも守れなかったのであるが)。炉心溶解があったらこうする、水素爆発があったらこうする、放射性物質の漏洩があったらこうするという論理的バリア が存在して、初めて安全性が議論できるのである。 きわめて単純なことだが、今回のような大規模な地震と津波は想定外だったかもしれない。しかしスリーマイルやチェルノブイリは想定できないはずはなかったのである。

更新記録(5月2日)からの転載 連休前半でたまった赤旗のまとめ読み。メーデー集会の報告で、民医連の派遣した医療従事者が延べ1万1千人に達したという。すごい数だ。現場からの集約意見として「助かった命を政治が切り捨てるのは許せない」として闘いを呼びかけている。ここが目下の最大のポイントだろう。  志位さんの挨拶では、「自己責任を基調とする構造改革路線ではやっていけない」ことが強調された。そして「災害に強い国づくり、社会作り」の方向が打ち出された。ポイントは三つ。ひとつは人としての尊厳の尊重、もうひとつが権利を守るルール、そしてそれを支えるネットワークである。私流に言えば「自治と共同と博愛」ということになるだろうか。いずれも自己責任原理に対する対抗軸だ。  もうひとつ農協の全国連合「全中」会長のメッセージが紹介された。震災の教訓として①身近に食糧基地を持つことの大切さ、②地域で自立した産業・雇用を作ることの重要性、の二点を強調しているが、共感を覚える。ただもう少し国内外の経済情勢を見つつ普遍化する必要があると考える。 俳優の加藤剛が語っている。「亡くなった方たちは、裏切ることはない。生きているものたちが、裏切ってはいけない」 なかなか味のあるせりふだ。 4月末に、大震災の経済への影響を知る3月度の各種統計がいっせいに発表された。経済産業省の鉱工業生産指数速報では前月比15.3%減となった。自動車工業会の国内生産・輸出実績では前年同月比57.3%減となっている。総務省の家計調査では、一世帯あたり消費支出は8.5%減、とくに東北・関東地域では10.6%の減少となっている。 ただこれをどう読むのかはむずかしい。自粛もあるし、東北現地の数字が正確には反映されていない可能性がある。さらに原発被害は現在進行形のままだが、少なくとも経済活動の10%近くの落ち込みがあったことは間違いない。

とりあえず「更新記録」からの転載
 2011.5.06 財源問題が避けて通れない問題となってきている。というより、財界が「痛みを分かち合う」立場に立つことが迫られてきた。膨大な復興のための経費を考えれば、そこにしか財源はないことが誰の目 にも明らかとなってきている。
経済同友会の長谷川代表幹事は、いまだに社会保障削減と消費税増税を叫んでいる。同時に大企業減税を狙っているのだろうが、さすがにそこまでは言えなくなった。
「一体改革」の旗振り役である「 集中検討会議」の論調も変わってきたようだ。赤旗によれば「税は消費税だけではない。あるところから出してもらうのが税の基本だ」という意見が出ているという。 当面の解決策は無利子・十年据え置きの復興債である。
としてもいずれ償還が必要になるわけだから償還計画が必要であり、税収の増加が見込まれなければならない。それには経済成長が前提と なるが、経済成長の成果をきちんと税収として取り込む手立てがなければ、「大企業栄えて国滅ぶ」の図式が一段と進行するだけである。


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