森浩一という先生がなんとなく気になって、他の文献も探してみた。

TOP>活動記録>講演会>第298回

というページがあって、第298回特別講演会「倭人伝と魏鏡」の記録が掲載されている。

そこで下記の講話が行われている。

魏鏡と倭人伝への認識をぼくが深めていった遍歴   森浩一先生

以下は抄録というよりつまみ食い。

1.「三角縁神獣鏡」に関して

「三角縁神獣鏡」は森さんのオハコらしく、詳しく述べられているが、省略。

ちょっと大事なポイントと思うのは以下の一節。

考古学で大事なのは、発掘の瞬間にどれだけ観察し記録を残すかである。発掘の状況をきちんと記録して、その状況から遺物に対する歴史的判断をすべきである。

これは京大アカデミズムとの論争を通じての教訓のようである。

事物を「過程の断面」と見る私から見れば、当然のこと思うが、考古学者の多くは、骨董屋さんの親類みたいなことをやっているようだ。

2.倭人は無文字社会だったのか

4世紀の倭人は無文字社会ではなかった。倭人は漢文を読めたのである。

私も同感である。倭人は漢文を読めたし、書けもしたと思う。ただし大和朝廷でもそうだったか、ここは疑問である。彼らにとって中国は九州王朝を介した伝聞であった。漢文を読めなくても暮らしていけたのである。

3.銅鐸が三角縁神獣鏡に

銅鏡は弥生時代に九州で大量生産されている。その技術が近畿に持ち込まれたのが三角縁神獣鏡だ。同じような技術は銅鐸生産にも共通しているが、分布はまったく異なる。

ところが三角縁神獣鏡の分布は銅鐸とほぼ一致する。しかも三角縁神獣鏡は銅鐸が社会から消失し古墳時代となるに及んで出現している。これは「ヤマトに移ってきた九州勢力が新たに作り出した」のではないのか。

これはつまり、銅鐸を鋳潰して三角縁神獣鏡を生産したということだ。あたかもスペインの征服者がインカの宝物を鋳潰してキリスト像を作ったのと同じことではないか。

話はこれで終わり、そのあとは安本美典さんとの対談に移行する。ひとこと、安本さんの神武東征4世紀初頭説は、私の古代史観のランドマークになっている。

対談での森さんの発言は相当過激で、テープ起こしした人も「(^^)」の絵文字を入れている。

* 纒向遺跡から日本各地の土器が出土していることで、纒向が都だといっているが、各地の土器が出るということは、纒向の特殊性を説明する材料としては通じない。それをまた持ち出しているから、これはあかん。

* 銅鐸の破壊に宗教的な意味は無い。熱く熱した銅鐸にバケツで水をかけるとばらばらに壊れることがわかっている。銅鐸の破片を材料にして何か作っていた可能性がある。


ということで、明示はされていないが、九州勢力の近畿銅鐸圏征服というストーリーについては安本さんとも共通しているようだ。

ただ私の言う出雲→九州の二段階征服説については論究がない。