国府遺跡と書いて“こういせき”と読む。河内・大和の成り立ちを知る鍵となる遺跡だ。(しかし保存状態は最悪のようだ)

大和川が生駒の南麓を抜けて大阪に出てきたところ。むかしはここから進路を北に変え河内湖に向かって注いでいた。背後は丘陵地帯で古市古墳群という古墳銀座。

この遺跡は約2万年前の旧石器時代から、縄文・弥生・古墳とまたがる重層遺跡である。これまでに各時代の人骨90体以上が出土している。
1916年(大正5年)、縄文時代より古い旧石器時代の可能性のある石器と人骨3体が発見された。
1958年の再調査で、「国府型ナイフ形石器」と呼ばれる特徴的な旧石器が確認された。これは付近の二上山という死火山の火成岩を材料としている。
また、縄文土器、鹿や猪の骨も発見されており、旧石器時代をになった集団と縄文人の連続性を示唆している。

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縄文人の人骨だそうだ。土葬されたのであろう、その完璧さに驚かされる。女性でしょうな、いいケツしている。

なお国府の名は、河内国府が置かれたことに由来する。大和朝廷の「国」となるまでは、志貴県主という独自勢力が存在していたが雄略に滅ぼされた。


突然、国府遺跡を持ちだしたが、どうも古墳時代という言葉に引っかかるのであって、もっと生活遺跡を分析したほうが生産的ではないかと思うのだ。

例えばこんな時完全な骨格があるならDNAでもRNAでもゲノムでもなんでも出来るのではないか。