フレイも暗殺されたのだ

このニュースには驚愕した。最初は「まさか」と思い、ついで「そこまでやったのか」という衝撃に襲われた。

ニュースはこうだ。

チリ法廷は、エドゥアルド・フレイ元大統領(任期1964~70)はピノチェー軍政に暗殺された、との最終判断を確認した。

フレイは1982年1月22日、サンティアゴ市内のサンタマリーア病院で毒物を注入され、死亡した。

この事件で医師5人と元軍政秘密警察要員の計6人が起訴された。医師3人が実行、2人が証拠を隠滅した。同要員は共犯だった。

とりあえず他資料をあたってみる。

「フレイはヘルニアのため手術を受けたが、術後の腹膜炎によりショック死した」とされる。

遺族や民主勢力の調査活動の結果、毒殺された疑いが濃いことが分かり、2009年に軍関係者が逮捕された。

逮捕されたのは、軍の医療部の指導者で手術を担当したパトリシオ・シルバ、軍の民間要員であるラウル・リジョ、運転手であったルイス・ベセラは、秘密警察に雇用され、元大統領の情報を提供していた。警察部隊に所属する医師のペドロ・バル ディビアは、共犯者であった。エルマル・ロンセンベルグとセルヒオ・ゴンサレスは、医師であったが、フレイ大統領の検死をおこない、証拠隠滅の罪に問われることになった。(ラテンアメリカの政治経済より)

一旦は証拠不十分で釈放されたが、今年1月に、これらの被告が別に複数の囚人を毒殺していたことが明らかになり、再逮捕された。


チリ人民連帯運動に携わった者にとって、フレイはまごうことなき“敵”であった。

64年、フレイはキリ民党から大統領選に立候補し、保守政党の支援も受けて勝利した。彼はケネディを信奉するほどの「進歩派」ではあったが、彼が当選したのはそのためではない。

その前で人民連合のアジェンデ候補が善戦し、このままでは選挙は勝てないと見た保守派が、候補をおろしてフレイに票を集めたのだ。

つまりフレイ政権は顔はリベラル、首から下は保守派の政権だったのである。

しかし70年の選挙では保守派は独自候補を立てた。その結果三つ巴の戦いとなった。いわば漁夫の利を占めたアジェンデが4割にも満たない得票で大統領に当選してしまったのである。

フレイの率いるキリ民党はアジェンデ政権に是々非々で臨むことになった。そのうちに徐々に反アジェンデの旗幟を明白にし、クーデターを支持するにまで至っていくのであるが、それを推し進めたのがフレイであった。

ところがクーデターが行われ、人民連合派が徹底的に弾圧されると、今度はキリ民党が標的となった。キリ民党も政治の場から排除され、弾圧の対象となっていく。

最後には保守派の代表すら失脚され、ピノチェト独裁が完成していくことになる。

ここまでは私にも分かっていた。しかしまさか暗殺までしていたとは…

詳しくはチリ歴史年表 その3をご参照ください。