鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

という記事で「朝の風」の大谷門主の発言を紹介した。とりあえず、全文再掲する。
西本願寺(真宗本願寺派)の大谷門主が、非公式な発言としたうえで、以下のように述べている。(29日付)

原発は人間の処理能力を超えたものである。
使用済み核燃料の処理方法がないものをどうして許したのか。
廃棄物だけ残していくのは、倫理的・宗教的に問題がある。

これだけで発言の真意を窺うのはいささか軽率かもしれないが、安全性でも、エネルギー論でもなく、使用済み核燃料というこの一点に「原発と人の道」の関係の本質をとらえる眼は確かだ。
大谷門主は、原発の核となる概念として廃棄物を取り出し、人間としての業も見据えながら、未来への視座を打ち出した。
きわめて説得力の高い主張だ。

経済、経済というが、要するにお金のことである。しかしそうやって手に入れるお金は、結局子孫にツケを回して得るお金である。お金回りが苦しいからといって、子孫のお金に手をつけていいのだろうか。娘を身売りする親と選ぶところはないのではないか。

この一点において、原発は没義道そのものであり、仏の道、人の道に反するのである。

「どうして許したのか」という問いかけは、自らへの責めもふくんで、厳しい。
それはいまなお「許そう」としてる人々にとっては、さらに厳しい。

その大谷門主の発言がふたたび本日の「朝の風」に登場した。

今度は公式の文書での発言である。

大谷門主、大谷光真師は6月に退任されているので、正確には前門主ということになる。門主在任中は発言を控えていたということのようだ。

主な内容は以下のとおり

現代の原子力発電所には、未解決の問題がいくつかある。

第一は、現代の科学技術では、放射性廃棄物の無害化ができないこと。

第二は、一度大きな事故があれば、対処できなくなる可能性があること、

第三は、原子力発電所を運転するためには、平常時でも一定数の労働者の被曝が避けられないこと、

したがって、原発は「検討するとき」だ。

ということで、指摘はより包括的になっている。

出処は著書「いまを生かされて」(文藝春秋)の「あとがき」

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