物質が生命となり、動物になるための神経の役割

人間の特異性は、言葉、文化、環境操作などである。これらは高度に知的な精神機能のなせる技である。

かといって、言葉、文化、環境操作の有り様を分析すれば精神機能が自ずから明らかになるというわけではない。人間は精神・身体複合体であって、その全身を通して外側の世界と相対している。

精神作用は、その結果として、身体を動かして外側の世界に働きかけることで発現する。この問題を解決するには、人間・ヒトの外界との関係、その成り立ちという原点に立ち返らないといけない。

1.人間はまず「物質的存在」である

人間は動物であり、生物である。しかしその前に、非生物もふくめた物質的存在である。個別の存在は偶然であるが、存在というのは万物の必然である。

必然というのは、物質を成り立たせている混沌の中の秩序である。秩序は混沌というベタなエネルギーから生まれ、最後はふたたび混沌へと消滅していく。

2.生命は物質的存在にとどまらない持続的な存在である

物質とは自然の流れの中の個別的定在であるが、それは一時の偶然がもたらした秩序であり、存在の消滅は必然である。

しかし生命は存在の特殊的継続であり、秩序の再生産である。それは物質代謝によりエネルギーを内実化し、生き延び、種の保存により個体の限界を超えて生き延びる。

3.ある種の生物は動物の道を選んだ

生物は2つの道を選んだ。動かずに環境に適応するか、動いて適応できる環境を選ぶかである。

「動く」とはどういうことか。我々は動くというと歩いたり走ったり空を飛んだり…というふうな形態を想像してしまうが、植物と比べて考えれば、「動く」ことの本質は「移動」であることが分かる。

植物は体の中に光合成装置を背負い込むことにより環境の中で自活できるようになった。しかしその装置を装備しつつ移動の可能性を確保することは不可能である。

植物は根を伸ばしたり枝を伸ばしたりして懸命に生活範囲を変えようとするが、現在位置を放棄して好きな場所を選択することはできない。環境への「適応」には限界がある。しかし環境の激変を生き延びるには移動するというオプションが有る。

4.動物の本質は「失楽園」だ

動物は自己栄養を放棄することでみずからの位置を変えることを可能にした。そして植物を捕食して生き延びる道を選んだ。すなわち光合成装置の放棄と、移動のための神経・筋系統、それを支える呼吸・循環系統の装備である。

擬人化して考えれば、移動とは現在地への拒絶をも辞さない強い欲望が現実化されたものなのである。動物はアダムとイブよりはるかに前に、エデンの園を放棄したのである。

動物という生物は、永遠の「移動」を自らに課している。動き始めたら停まることはできない。自転車ではないが「止まれば終わり」なのである。

ただこれは生物から植物、植物から動物という流れを仮定した話であり、単細胞生物が集合し発展するにあたり、光合成装置を選ぶか、移動装置を選ぶかという選択をした可能性もある。いずれにしてもそれは決断である。

5.諸動物によって作られる“コスモス

手を伸ばせば届く範囲に有り余る栄養があれば、動物は幸せである。しかし幸せな時代は長くは続かない。手の届く範囲の植物資源はますます減少し、ライバルはますます増加する。そしてお互いに死ぬか生きるかのギリギリでバランスが出来上がることになる。

さらにそこまで動物が繁殖すれば、その動物を狙う肉食動物も誕生する。こういうギリギリの食物連鎖の中で動物は生きていくしかない。

こうやって考えてくると、動物の運動は、環境の中に組み込まれた一連の自然現象の一部であると考えるしかないことが分かる。それは“移動”を選択したことがもたらした宿命であり、“原罪”である。

6.電線ではなく電話線を

生物が「行動」するためには必ずしも神経系が必要なわけではない。植物には神経はないが、芽が生え、根が張り、枝が伸び、花が咲き、実を結ぶという一連の「行動」は、きわめてシステム的に行われている。それどころかオジギソウなどのように、筋肉にもできないほどの素早い動きさえ行う。

これらは体液循環と細胞膜の電解質交換を通じて行われていると考えられる。つまり体液がメッセンジャーであり、血管のネットワークが神経のネットワークも兼ねていることになる。

これは人間にも神経・内分泌系として存在する。それどころか、神経そのものが内分泌装置を含んでいる。

神経と神経をつなぐシナプスではアセチルコリンやセロトニンの分泌が繰り返されている。これは人間が依然として植物であることの証とも考えられる。

ただ、「移動」にはそれをはるかに超えるスピードが要求される。そのためには独自の神経系の形成が絶対条件である。神経内分泌系を排除することなく、そのうえに、情報伝達に特化した大規模なシステム、すなわち電線でなく電話線が構築される。それが動物を植物から生理学的に区別している。

それは指令を実際の運動に変えるための筋骨格系とセットになっている。

神経内分泌がキロの世界とすれば、移動を行うためにはメガのレベルが必要となる。しかし動物が弱肉強食の世界を生き延びるためにはギガ、あるいはテラのスピードが要求されることになる。

7.補食し、かつ捕食されないための装置としての感覚器・神経系

動物は補食し、かつ捕食されないために筋肉と反射神経を極限まで発達させた。ハエや蚊の反射神経は人間の到底及ぶところではない。

さらに動物は、情報を捉えるための感覚器官も集中化し高度化している。触覚という一次信号系に加え、触覚の高級化した嗅覚、味覚、さらに純粋な二次信号である聴覚と視覚を特別に発達させた。それは眼と耳という特殊な感覚器を生み出した。

8.神経システムの三層構造

高度に発達し専門化した感覚器と、俊敏で力強い筋肉を手に入れたいま、求められるのはそれを統合する高次のシステム、すなわち中枢神経系である。

かくして

A.植物神経系、すなわち神経内分泌系と自律神経系に、

B.反射神経と深部知覚、圧受容体などの体性神経系、

C.さらに感覚器をフル活用し、情報を総合し、分析評価する

という3つの階層構造からなる中枢神経系が完成されていくのである。

いずれの場合にも神経系の在りようが革命的に変化することが、動物の進化において決定的な役割を演じている。そして人間の場合は、感覚器と神経の結合のあり方が、感覚情報のシンボル化(言語化)という形で高度化することに決定的な特徴がある。このへんは稿を改めて展開したいと思う。

講談社ブルーバックス「脳研究の最前線」の「知性の起源」(入来篤史)を参考とした。