霊長類はたしかに生物の中で一番かしこい。
しかし鳥のかしこさは、人間のかしこさとは違う成り立ちのかしこさのようだ。
ミツバチやアリの集団としてのかしこさも、本能だけでは説明できない。
アリに脳みそがあるとしても、せいぜい1ミリ以下だろう。しかし人間にもできないような巨大な社会を作り構造物を作り、一人の女王のもとに生活している。
たしかに人間には一個体の脳みその中に精神的能力がぎっしり詰まっている。しかしその基礎となる神経細胞は直径0.01ミリほどのものだ。
人間の知力は一個体の力としては高い。しかし一個体の力として人間は、たとえば象ほどの力があるだろうか。
象から見れば、人間はアリのようなものだ。しかし集団としての力、ノウハウとしての知識力で、人間の力は象をはるかに上回っている。だからこそ、我々は象を支配できるのだ。
あたりを見渡せばアリにも劣るような人間(人はそれをネトウヨという)がゴロゴロしている。

要するに、言いたいことは、知性の優劣を云々する前に、知性のありようがそもそも異なっているということだ。
我々は鳥を見て知性の発生学的、構造学的な意味を知らなければならない。アリや蜂を見て、知性の社会的構築を知らなくてはならない。
そこで私が言いたいのは、世が世なれば、彼らの知性の構築法の方が世界で優勢を占めていたかもしれない可能性を踏まえておいたほうが良いということだ。
人類は生き物が発達・進化していく王道をたどって、必然の結果として世界に君臨しているわけではない。そのような神は存在しないのだということを肝に銘じておく必要がある。