松岡完「地域介入の論理 ケネディ政権と東南アジア」(97年)という論文がある。

「誰がどういった」という事実が書き連ねられている論文で、やや散漫なのだが、いくつかの発言を引用しておく。

1.はじめに

米国は共産中国封じ込めの必要から、東南アジアを一つの地域としてつくりあげる必要を痛感するにいたった。それが1954年、東南アジア条約機構(SEATO)が設立されたときである。

そこには同時に、地域の諸国が経済面の集団化によって繁栄を達成すること、人種的・文化的な共通点を軸に緊密な関係を樹立することも期待された。

こうした多面的な地域統合の発展は遠い将来、東南アジアに日本・韓国・台湾・インドなども加え、「米国の影響力と力に結びついた一つの地域」を生みだすはずであった。

2.東南アジア中立化構想

ケネディ政権の幹部の一人ガルブレイズ(当時インド駐在大使)らは、「急速に悪化する東南アジアでの力の均衡を食い止めるためには、ラオス・ベトナムにとどまらず、東南アジア全域で中立の帯を実現するしかないと主張した。

ケネディ自身は、中立の東南アジアという壮大な構想が「我々の探求すべき究極の目標」であることは認めながらも、「未だその時期ではない」と結論していたという。

3.地域一体化を目指す戦略

この時期の米政府の現場幹部は以下の認識で一致していた。この地域は歴史も文化も置かれた立場もまったく異なる諸国の集まりにすぎない。ベトナム人、タイ人、カンボジア人の間にはまったく共通の感情がない。

東南アジアの人々をひとつにまとめ上げ、自分たちが運命共同体だという感覚をもたせるのは至難のことであった。

3.SEATOと英仏 

SEATOの軍事行動についてオーストラリア・ニュージーランドの態度はせいぜい懐疑的、イギリスは「いかなる軍事介入への参加にもまったく消極的」であった。フランスは「きっぱりと介入を拒否」していた。

アジアの加盟国は英仏両国への不信感を強め、英仏の除外もしくは全会一致制の破棄をもとめた。

SEATO戦略はジョンソン大統領の時代に最終的に放棄された。


というような流れで、個人の発言を拾っていくと歴史はどうにでも塗り替えられていくので、例えばJ.F.ダレスを善意の塊であるかのように描き出すこともできるのである。

SEATOは反共軍事同盟そのものであり、その本質を糊塗しても仕方ないのではあるが、SEATOが認めざるを得なかったいくつかの事実は、ASEANを考える上で念頭に置いておいて良いのかもしれない。

すなわち

1.この地域は歴史も文化も置かれた立場もまったく異なる諸国の集まりである。

2.東南アジアを一つの地域としてつくりあげることは、東南アジアにとってだけでなく周辺諸国の平和のためにも決定的に重要である。

3.中立の東南アジアという壮大な構想が「我々の探求すべき究極の目標」である。

4.この統合は地域の諸国が経済面の集団化によって繁栄を達成すること、共通点を軸に多面的な信頼・協力関係を築くことで実現される。