減負荷療法
というのがむかしは流行りだった。いま考えるとあまり意味があったとは思えない。ただ心臓のポンプ機能を考える上では非常に有意義であった。
まず、心不全には後方不全と前方不全というのがあって、前方不全というのは心臓の拍出量が不足するためにあちこちに出てくる血流不足の症状。これはわかりやすい。もう一つが後方不全でこれは血液が進まないために肺や肝臓に血がたまってしまううっ血症状。まぁ、これもわかる。
肝心なのは、心筋の収縮パーフォーマンスはうっ血が強くなるほど強化されるが、ある程度以上になるとかえって落ちてくるのだという仮説。もう一つは拍出量が減ると末梢血管が閉まって、さらに拍出量が減るという悪循環を形成するという仮説。
そこで血管拡張剤を使って前負荷や後負荷を減らしてやると心筋パーフォーマンスが良くなり、心拍出量が増えるということなのだが、結果的にはカテコールアミンの効果を血行力学的に立証したにすぎないと思う。ていのいい人体実験だった。
いま減負荷ということを考えてみると、そもそも心臓に掛かる負荷とはなんなのかを整理する必要がある。
それは先ほど来述べている酸素の供給義務、栄養の補給義務、体温の維持義務の3つだろうと思う。酸素の供給義務は高濃度の酸素を吸わせれば解決できる。栄養の補給義務は今はよく知らないが、むかしはGIK療法と言って高濃度のブドウ糖を送りこみ、インシュリンで細胞内に押し込むという理屈だった。カリウムがなんだったかはよく覚えていない。Na-K-ATPase みたいな話だったかな。
体温は、深部体温計というのをつけて、「おぉ温まったぞ」などとやっていたが、いっぽうでは熱希釈法で心拍出量を測るのに凍らせた生食をガンガン突っ込んでいたから態にならない。

問題はトータルな持続可能なサルベーションだ。あの頃はどちらかと言えば冷やすのが主流だった。冬眠療法である。
いまは温める治療が主流のようだ。「押してもダメなら引いて見な」の世界である。経済で言えば内需拡大策だ。
私から言わせると、どちらもありると思う。問題は恒温性の維持というドグマからの脱却である。それは心臓をセントラルドグマとする呪縛からの脱却であり、哲学的治療の範疇に属する治療法である。

病は欠陥状態の象徴である
というのがヒルデガルトの思想の中心だ。今や医療はヒルデガルト・フォン・ビンゲンの時代に回帰しつつある。