ASEAN年表の中にアジア通貨危機関連の事項がかなり膨大にに紛れ込んでいた。97年―98年分を抜き出しておく。ただしASEANを考える上で通貨危機は避けて通れない課題ではあるので、興味のある方はご覧頂きたい。


1997年

1月 橋本首相がASEAN諸国を歴訪.関係修復を図る.対話緊密化と多角的な文化協力を謳うが,東アジア共同体構想への言及なし.

7月 タイで金融危機が始まる.米国の投機資金がタイから急激に逃避したことから,短期的なバーツの流動性危機を引き起こす.域内諸国と国際機関は,タイに対し総額 172 億ドルの金融支援を決定.

8月 インドネシアでルピアの暴落が始まる.

8月末 日本が中心となりアジア通貨基金(AMF)構想.大蔵省の榊原英資財務官が各国を回り根回し.

榊原のAMF構想 日 本の円を中心にアジア版基金を作り、通貨危機に見舞われた国には優先的に通貨準備を融通することを提唱.中国・香港・日本・韓国・オーストラリア・インド ネシア・タイ・シンガポール・マレーシア・フィリピンで1000億ドル規模の基金を作り、IMFを補完する役割を持たせることになっていた。

8月 米財務省はIMFの権限を侵食するものとして猛反発(サマーズ副長官とのやり取りなど緊迫した雰囲気は榊原氏の回想録参照のこと).

9月 香港でIMF・世銀の年次総会.マハティール首相は,「実需を伴わない為替取引は不必要、不道徳で非生産的だ」と強く非難.国際投資家のジョージ・ソロスは、為替取引きの制限は「破滅的な結果につながる」と反論.

9月 香港でIMF年次総会に引き続き先進七か国蔵相・中央銀行総裁会議(G7).三塚蔵相とルービン米財務省長官の個別会議.ルービンはAMF構想への強い反対を改めて表明する.説得を受けた中国が保留に回ったため流産.

10月 アジア為替・金融危機の第二波、台湾とシンガポールにも波及.台湾は経常収支黒字を継続してきたために為替相場が安定しており、シンガポールは東南アジアで最もファンダメンタルズが強固だったため,攻略は成功せず.第三波は香港へと向かう.

11月 韓国,香港株式市場暴落の影響を受けウォン相場が急落.短期融資の比率が高かった韓国は,債務借り換えに失敗し実質デフォ―ルト状態となる.IMFに緊急支援を要請.

11月 APEC非公式首脳会議.「市場参加者の役割についてIMFが行っている研究の結論を期待する」とし,通貨取引の在り方全般をIMFに丸投げ.

12月 アジア金融危機のただなか,クアラルンプールで,ASEAN30周年を記念する第二回非公式ASEAN首脳会談.「2020年 ASEANビジョン」を発表.「2020年までにASEAN共同体となることを目指す」とする.社会的弱者を放置すれば,格差が広がり,社会が分裂して社 会の強靭さが損なわれるとし,「思いやりある社会の共同体」の考えを打ち出す.

思いやりある社会の共同体: 当時の国際金融危機を背景に打ち出された.①思いやりある社会の建設,②経済統合の社会的影響の克服,③環境の持続性の促進,④ASEANとしてのアイデンティティーの創出などが掲げられている.

12月 日・中・韓国の首脳が招待され,ASEAN首脳会談に引き続き東アジア首脳会議.ASEAN+3の始まりとなる.当初ASEANは,日本抜きで開催する方向を明らかにし,この動向を見て急遽日本政府も参加を決断.

12月16日 ASEAN9カ国首脳が中国の江沢民国家主席と会談.21世紀に向けた親善相互信頼パートナーシップを謳う「中国・ ASEAN共同声明」を採択.中国はASEANの平和・自由・中立地帯構想を支持し東南アジア非核兵器地帯条約の発効を歓迎.ASEANは「一つの中国」 政策を順守.南沙諸島問題では「武力に訴えることなく,平和的手段で意見の相違や紛争を解決する」ことを誓約.

12月 マハティール首相,国民経済行動評議会を組織.ダイム特別相、ノルディン・ソピー戦略国際問題研究所長らに通貨危機への総合的対応策の検討を命じる.

97年 インドネシアでスハルト独裁体制に対する政治危機が深刻化.米国は金融危機に対して一切の支援を拒否し,IMF基準の押し付けに終始した.米国とAPECへの失望が広がる.

1998年

5月 スハルト大統領が辞任.ハビビ副大統領が大統領に就任.

6月 米フィナンシャル・タイムズ紙,日本の金融市場が麻痺して円が対外責任能力を喪失した状況にあるとし,「日本株式会社は死にかかっている」と表現する.いっぽう元の防衛に成功した中国は,「世界の金融政策形成に対する影響力を持つものとして登場した」と述べる.

7月 中国,ASEAN拡大外相会議に参加.「東南アジア友好協力条約」への加入に前向きな姿勢を表明.

7月 マハティール,IMF路線で財政再建を図るアンワル副首相を更迭.短期資本を規制し,独自の為替管理で危機に対応.この年マレーシアの成長率はマイナス7%.

9月 マハティール,IMF派のアンワル副首相を解任.日本はマレーシア支持の姿勢を明確にする.

10月 宮沢蔵相,先進7カ国蔵相・中央銀行総裁会議(G7)で発展途上国などの通貨危機対策として、ヘッジファンドなどによる短期的な資 本取引の規制案を提案.危機に陥ったアジア諸国を対象に 300 億ドルを資金供与する新宮澤構想を発表.東アジアにおける地域協力を先導する役割を果たしたと自称.

11月 米国防総省,東アジア戦略報告を発表.日米同盟を「21世紀においても米アジア安保政策のかなめ」と位置付ける.またARFの役割を積極的に評価.

12月15日 ハノイで第6回ASEAN首脳会議.経済回復を目指す特別対策「大胆な措置に関する声明」を発表.CEPT実施率の努力目標 を1年間前倒しする.2020年ビジョンを実現する行動計画として,2004年を期限とする6ヵ年行動計画(ハノイ行動計画99~04)を採択.マクロ経 済と金融に関する協力の強化を主柱とし,経済統合の強化,ASEANの機構とメカニズムの改善などに取り組む.

12月16日 ASEAN首脳会議に引き続いて第二回ASEAN+3首脳会議.並行して日中韓三国首脳会議も開催。以後,ASEAN首脳会議とASEAN+3首脳会議はセット となる.

各国の提案合戦: 金大中の提唱で,協力のための検討機構として,東アジア・ビジョン・グループ(EAVG)を設置.中国の胡錦濤副主席は,金融危機打開のため東ア ジア蔵相会議の開催を提案.小渕首相は新宮沢構想を発表する一方.蔵相会議への米国の参加をもとめ,顰蹙を買ったといわれる(外務省のホームページには記載なし)

98年 この年のASEAN経済成長率はマイナス7%,インドネシアでは13%の落ち込み.対米不信はロシア危機の際に米財務省がヘッジファンドの救済に乗り出したことからさらに増幅される.


増補版を掲載していますのでそちらもご覧ください。