東アジアの平和の実現に至る過程で、平和憲法の意義は非常に大きかったと思う。


一般に外交は軍事抜きには考えられない。

政治的選択肢、経済的選択肢とともに軍事的選択肢は必ず念頭に置かなければならない。

しかし東アジアにおいては、最大の強国である日本が戦争を放棄しているために、特異な展開を遂げてきた。

“平和大国”の日本に対して中国も東南アジアも軍事的圧力を感じることなく、国内外の政策を選択できた。反共・反中国の敵対国であったとしても、日本を仮想敵国として設定する必要はなかった。

対日ビジネスはつねに非軍事的に、ゆえに対等で行われてきた。したがって日本の進出はそのまま各国の発展につながってきた。あくまでも支配層間に限定しての話だが、そこにはウィン・ウィンの関係が築かれてきた。

このような海外進出のやり方をとった国家は、人類の歴史で初めてであり、しかもそれが成功しうることを証明したのも初めてである。

アジアにこのような垂直関係が強まる中で、過去の侵略の問題も実践的にはかなり解決されてきた。北朝鮮を除いて各国との間の賠償問題は解決済みであり、歴史認識の問題でも何回かの声明を通じて、謝罪の意志は示されている。

それらの反省はきわめて不十分であり、しかも逆流現象も見られるが、軍事的選択を伴わない進出が強化されれば、今後さらに否応なしに解決されざるをえなくなる問題だろうと思う。

ベトナムの再統一以来、アメリカによる東アジア干渉は著明に減退している。さらにソ連・東欧諸国の崩壊により、北からの脅威も消失した。北朝鮮をめぐる問題は、基本的には前世紀の遺物と考えられる。

東アジアにこのような平和がもたらされた背景には、日本のはたした役割が大きい。域内最大国であった日本が戦争を放棄し、すべての国(北朝鮮を除く)と友好関係を結び、内政に干渉せず、軍事的進出を図ろうとしなかったことがきわめて重要な意義を持っている。

このことを出発点として、議論を開始することが重要なのではないか。歴史認識の問題は重要ではあるが主要ではない。

東アジアの諸国民が平和の枠組みを模索するにあたっては、日本の平和憲法の意義を深く認識し、議論の重要な出発点として確認していくことが大事だろうと思う。

(ここまでの話はあまりにも楽観的だとか、日米安保を軽視していると批判を受けるかもしれない。しかし未来志向で考えると、東アジアが平和の世界として発展していけば、日米安保は博物館行きとならざるをえないのである)