YouTubeをあさっていると、思わぬ掘り出し物にあたることがある。
ワルターのブルックナー7番はその最たるものだろう。
音源としては54年のニューヨーク・フィルとの演奏、そして61年のコロンビア交響楽団との演奏がある。
いずれも感動的だ。
まずニューヨーク・フィルとの演奏であるが、3つびっくりする。まずは素晴らしい音質だ。モノーラルだろうが音の分離がよくステレオを聞いているような気分になる。以前55年前後のジャズの録音を聞いてあまりの音質の素晴らしさにびっくりした記憶があるが、この演奏もそういう印象だ。我慢している感覚がなく素直に感動できる。
第二はニューヨーク・フィルの素晴らしさだ。昔はベルリン・フィル、ウィーン・フィルと並んで世界の三大オーケストラと呼ばれたが、むべなるかなという思いだ。今でこそニューヨーク・フィルというとそれだけで顔をしかめるくらいひどい。弦は硬く汚く艶がない。何よりやる気がないと三拍子も四拍子も揃っているが、昔はそうではなかった。
そして3つ目はワルターの柔らかさだ。ワルターの柔らかさがブルックナーの持つ柔らかさを引き出している。どんな強奏部でも(正確にはほとんど全てで)管と弦が分離することはなく、一塊になった響きを紡ぎだしている。音楽は歌うことをやめない。強弱のダイナミックではなく前に進もうとすつダイナミックが全体を支配している。
ティーレマンのような、激しさがとりえのブルックナーではない。ところどころに悲しげな頬笑みが顔を覗かせさえするのである。一言で言えば、ブルックナーをあの気弱なシューベルトの延長の上に捉えている。
ついで61年、死の直前の演奏。
こちらは録音の素晴らしさに、ただただ感激する。現在でも一流の録音ではないだろうか。こちらはFLAC音源で聞くことができる。
ただし弦と管のバランスは相当いじってある。ありえないバランスだ。弦は室内楽団のようだ。低音源は不自然なほどに強調されている。
演奏はニューヨーク・フィルとの録音で見られた傾向が一層強調されている。角がなく丸みを持った音が飛び出してくる。旋律の美しさがいやが上にも強調される。「こんなもの旋律カイな」と思っていたフレーズが哀愁さえ帯びて飛び出してくる。以前、ブルックナーの弦楽四重奏曲を聞いてその優しさに驚いた記憶があるが、ワルターはそこをブルックナーの襟首としてとらえたようだ。
ワルターは晩年になるまでブルックナーを演奏しなかったらしい。ブルックナーの襟首を捕まえられなかったのであろう。それだけにワルターのブルックナー像は納得できる。それだけの説得力を持っている。
とにかくワルターを聞いたら、“意志の男”にして“ワグナー崇拝者”というブルックナーのイメージが変わることだけはうけあいだ。
なお、ワルターのブルックナー9番もFLACで聞ける。こちらの音質も極上だ。

Walter NYP recorded in 1954

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Blue Sky Label

ブルックナー:交響曲第7番 ホ長調

ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調