政池仁という人がいた。

戦前、キリスト教の立場から非戦論を唱えた人である。

松下芳男の「三代反戦運動史」の中で紹介されている。こういう読み方をしているから、読書がいつまでたっても進まない。

略歴を見ておこう。

1900年の生まれ。東大理学部科学科を卒業。在学中に内村鑑三の聖書研究会に参加。28年に静岡高校化学科教授に就任。

33年に「子どもたちに平和問題を語った」ことから職を失う。その後東京で独立伝道を開始。

33年に出版した「キリスト教平和論」は、まもなく発禁処分となり罰金刑を受ける。

44年6月には憲兵隊に連行され取り調べを受けたが、当日深夜に帰宅を許されている。

戦後の活動については省略する。


京大の雑誌で菊川美代子さんという方が「政池仁の非戦論」という論文を書いている。以下はその読書ノートである。

1.非戦論と反戦論

政池仁(1900-1985)は、無教会主義の創始者である内村鑑三の直接の弟子である。政池は、アジア・太平洋戦争に際して、信念に基づいた「信仰一本槍」の絶対非戦論を貫き通した。

政池は1935年に『愛国者の平和論』、36年に『基督教平和論』を発表し、非戦論を明らかにしている。

非戦論とは「戦争を道徳的又は宗教的又は経済的に否定するもの」で、国法を重んじ、たとえ自らの主張に反することであっても、国家の命令であればそれに服従して開戦の際には徴兵にも応召する

とする。だから実践的には応召を拒否する反戦論とは決定的に異なる。

安藤肇はこのような考えを

「開戦となれば、政府に協力するという含みを持った平和運動は、戦争を強行しようとするものには、何の脅威にもならない平和運動」であり、「賢明な軍国主義者たちであれば、かえってこうした平和運動の存在を喜ぶであろう」

と切り捨てている。(安藤肇『深き淵より―キリスト教の戦争経験』1959 長崎キ平)

つまりこのような非戦論は、強力な反戦運動の存在を前提として、いわば「折衷論」として成立したものといえる。しかしそれが反戦運動が消滅したあとどういう運命をたどるかは、理論ではなく論者の“誠実性”に関わっていくことになる。

2.十戒の現実への直接導入

政池の非戦論を貫く論理は、殺人は良心に反するから道徳的に悪であり、したがって殺人を必然的に伴う戦争もまた道徳的に悪である、という単純明快なものである。

戦争は先づ第一、人を殺す事を許します。「汝殺す勿れ」と聖書に書いてありますが、之は聖書に書いてあらうとなからうと・・・・・・何人の良心にも聴える天の声であります。

殺す事は何故悪いか、その理由は倫理学者の暇つぶしに考へて貰へばよい事であります。

…たとひ戦争が国家にとつて利益であつても、又世界の人類を幸福にするものであつても、してはならぬと言ふのであります。

政池はキリストの再臨によってのみ「永遠の平和」が到来すると考えていた。しかし再臨の時まで何もせず過ごすのではなく、「主の再臨を早める」ために全力を尽くして非戦論を唱えるべきだとした。

ここから先は、ちょっとスピリチュアルな話になるが、

神は「人間が自分で発達し、自分で神を発見する様に、ご自身は匿れてゐて教育」している。したがって、非戦論を唱えるのは、人間が神を発見することを助ける行為となるのである。

3.絶対無抵抗主義

絶対無抵抗主義は政池の思想の弱点を表している。

政池は、「『愛する者よ、自ら復讐すな、たゞ神の怒りに任せまつれ』(ロマ書)を根拠に絶対無抵抗主義を唱えるが、自分の責任の範囲内の不義に対する力の行使は除外される。

例えば子供に対するしつけなどに相当する。したがって支配者がふるう暴力は容認されることになる、という矛盾を持つ。

若し私が一国の治安をゆだねられた者であるならば、私はその国内の不義を許してはなりません。不義を討伐するためには剣をぬくもやむを得ません。

戦後の政池は、労働運動やストライキを、まさにこの「無抵抗主義」の論理から認めなかった。


ということで、理論的には弱点は見いだされるが、政池の存在意義はそんなところにあるわけではない。同時代を生きた人々には、「そんな程度で偉そうな顔をされても困る」くらいの気持ちであろうが、左翼運動が死に絶えた中で、かすかな平和の灯を守った勇気と信念には敬意を払うべきであろう。一時拘束が1回あったきりで、終戦まで逮捕されなかったという身のかわしの旨さも特筆モノだ。


政池の限界を厳しく指摘している安藤肇さんという方の文献を探したが、ネットでは見つからない。長年千葉で教会幹部を勤め、民主勢力の重鎮としても活躍、最近亡くなられたようだ。