この記事を書き始めてからとてもつらい。
私にとっては戦災孤児という言葉で浮かぶイメージと、“浮浪児”という言葉で浮かぶイメージの間に乖離があるからだ。
それを客観視できるだけの座標軸を持てずに漂流してきたのがいままでの私だ。漠然と、いつかは整理しなければとは思いつつも、心の底で遠ざけてきたように思う。
今回勉強してわかったのは、“浮浪児”というのは間違いなく戦災孤児だということだ。あたりまえのことだが、浮浪児の殆どは戦災に遭わなければ浮浪児ではなかったはずだ。あらためてそれが確信させられた。
そしてもう一つ、浮浪児というのは戦災孤児の中核であり、その中で一番可哀想な人たちだということだ。それは、漠然と考えていたいくつかの可能性の中で、最も惨めな結論だ。

東京に絞って考えてみよう。
昭和20年の始め、すでに東京に空襲が来ることは誰の目にも明らかだった。気の利いた連中はどんどん田舎に移っていった。移っていかなくてもいざとなれば移れる準備をしていた。仕事のある旦那が残り、ほかは転居した。転居できなければそれなりの心当たりに子供を託した。これが縁故疎開である。
ふつうの稼ぎ人にはそんなことはできない。空襲が迫ろうと東京で一家で暮らすしかない。しかしそうも言っていられなくなった。
そこで集団学童疎開ということになる。学校単位で何処かの田舎に移り住むわけだ。そこには誰も親類縁者はいない。幾ばくかの金を親が出して「お願いします」ということになる。
たとえ子どもといえども、そんな涙金で暮らせるわけはないから、子どもたちはまことにつらい日々を送ることになる。
そうして親子が別れ別れになったところに東京大空襲がやってくる。3月11日の大空襲だけではない。来る日も来る日も空襲だ。みんな焼けてしまって、みんな炎に閉じ込められて死んでしまった。
だから、小学生の戦災孤児が異常に多いのだ。小学生が異常に多いだけではなく、ともばたらきで健気に働いていた貧乏人の子供、労働者の子供が異常に多いのだ。そこには明白な階級性があるのだ。
政府が何にもしてくれなければ親戚縁者に頼るしかない。しかし親戚縁者などいないような階層の子どもたちが狙い撃ちにされたのだから、どう考えてもそこには無理がある。
公共施設で何とかならなかったのか。公共施設の写真を見てみれば一目瞭然だが、それは犬小屋にも劣る監禁施設でしかない。
子どもたちの選択は奴隷になるか犬畜生になるかしかなかった。それが嫌なら野垂れ死にを待つしかなかった。その「野垂れ死に」の道を選択させられたのが“浮浪児”だった。全ての生きるチャンスから見放され、奴隷にも犬畜生にもなれなかった人々だ。数字は断固として示している。彼らは「狼となる」選択をしたのではない。「死ね!」という選択を迫られたにすぎないのだ。
同世代(と言っても私より10歳位上の世代だが)の人たちのこのような生き様に、ただただ私としては頭を垂れるしかない。
安倍晋三さん、石破茂さん、ありがとう!
あなた達がいなかったら、私はこんな辛いことまで突き詰めて考えることなど無かったろう。