日本書紀の作者は魏志倭人伝を読んでいた。
当時からそのくらい有名で人口に膾炙していたのだ。
日本書紀の作者の右手には、神武以来の歴代の天皇の系図がある。ただし彼らが何年頃の人なのかは分からない。そこで魏志倭人伝を見ながら適当な名前を見繕ったのだ。それが神功皇后だ。これは間違いない。日本書紀の神功皇后紀に魏志倭人伝が重ねて引用されている。
ここから壮大なでまかせが始まって、少なくとも継体まで続く。割り算すると一人あたり100年位在位しなければならないことになる。挙句の果てが皇紀2600年ということになる。しかしそれは別の話だ。
神武東征はおそらく纏向遺跡の消滅とほぼ一致するはずだ。考古学者の話では、それはおそらく紀元300年前後のことだ。そこから継体まで並べ直すと、神功皇后は(もし実在したとすれば)紀元400年から450年頃の人だろうと思われる。