この本で一番説得力のある考古学データがこれだ。
「弥生時代後期および邪馬台国の時代における列島各地の鉄器出土数」というグラフ。
これを見ると、弥生時代というのがもし終末を迎えたとするのなら、それに代わったのは鉄器時代だということがしみじみ分かる。
鉄器というのは農耕にももちろん使われるし、平和な時代にはそれが主流になるだろう。しかし倭国大乱の時代、まだまだ鉄が貴重品であった時代、鉄はまず何よりも武器だったはずだ。
へなちょこの青銅器で大量の人は殺せない。殺傷力の強い鉄は、鏃としてあるいは槍の穂先として使われただろう。
余談が長くなった。とにかく、九州が圧倒的な出土数を誇ることが分かる。注目すべきは九州に次いで多いのが北陸・北近畿地方だということである。但馬・丹後・若狭・越前という辺であろう。このあたりは三韓地域ではなく、新羅経由で鉄製品が入ってきたかもしれない。あるいは出雲を追われた天孫族の新たな根拠地であったかもしれない。彼らが南下し大和盆地に入ってきた時、在来の銅鐸人(唐古・鍵)には為す術がなかっただろうと思う。
逆に言うと瀬戸内一帯から難波津にかけてのコリドールは、卑弥呼の時代まではメインではなかったということになる。おそらく海賊が横行し治安が悪かったのだろう。
出雲族が大和入りしてまもなく、九州では卑弥呼の時代が始まる。大和が九州と闘って勝てるだろうか。例えば小人になってこの図の中に飛び込んで近畿の目の高さから九州を仰ぎ見た時、その壁は絶望的なまでに高かったのではないだろうか。
卑弥呼の時代、大和が鉄製武器もなしに闘い続く九州を武力制圧して、倭国を代表する政権を樹立するなど到底考えられないのである。