前項の書物に
邪馬台国の時代とはいつか。考古学では弥生終末、古墳時代初頭と考えられてきました。
という文章があった。
まずこれに噛みつきたい。
“古墳時代初頭と考えられてきました”というのが気に食わない。誰が考えてきたのか、あんたでしょ。どう考えたって近畿でしか使えない物差しだ。どっちが 本家だと争っている時に、近畿でしか使えない物差しで争うといんだから、むちゃくちゃだ。トラキチだってここまで贔屓の引き倒しはしない。
弥生終末とはなんだ。もし弥生時代の特徴を水田・稲作文化だとすれば、我々の住む現代社会も弥生時代だろう。どこに終末があるのだ。

これは前方後円墳を至高のものとする「古墳主義」の過ちという他ない。大体、仁徳天皇の墓が世界最大とすれば、大和はその時世界最強だったのか。その後古墳は前方後円墳スタイルを脱し、どんどん小さく地味になっていくが、それは国力の衰退を表すのか。
世界史では、石器時代、青銅器時代、鉄器時代と区分される。たとえどのような土器を使おうと、金属が使用されていなければそれは石器時代だ。土器の種類の違いは「美術史」の世界だ。
弥生というのは土器だ。土器の形態で縄文との時空的境界をなしている。これは「美術史」としてはきわめて妥当だ。それが妥当であればあるほど、弥生時代と古墳時代に区分する発想のおかしさが際立つ。もし弥生時代のあとの時代を特徴づけるのなら、陶器・磁器の時代だろう。もし生産・生活手段というふうに広げるのなら、鉄の時代だろう。