お盆で柄にもなく、というか、いやいやお付き合いでお墓に行くことがある。
市営の共同墓地に妻の実家の墓があるのだが、途中の一角にとんでもない墓があって、ひとつの墓で10区画分くらい使って、高さ5メートルはあろうかという立派な墓を立てている。それが1つ2つではない。
朝鮮系の名前だ。パチンコ王らしい。
妻の実家の墓でさえわずか1坪で数百万円くらいするらしいから、あの墓は間違いなく数億のものだ。

こんな話を、邪馬台国の大和派の主張を聞いていて思い出した。墓の大きさで人を判断するバカらしさに、考古学者たちは嵌っているのではないか。後世の考古学者は、この墓の主であるどこかのパチンコ屋が、札幌の支配者だったと主張するに違いない。
もちろん同一文化圏であれば、覇者は一番大きい物を作りたがるであろう。それは否定しない。ヤクザがベンツに乗りたがるのと同じだ。そういうことを行っているのではない。一番大きい墓の持ち主は一番力を持っていたと考える考古学者の発想を、バカにしているのだよ。

むしろ私は、こういう馬鹿でかい墓を作る動機は、彼らが外来の征服者だからだと思う。ニューカマーであった彼らには、みずからのうちに備わる威厳はない。だから外形的なもので威勢を張ること、三下に「うちの親分は強いんだぜ」と思わせることが支配の条件だったと思う。我々庶民にしてみればBMWやアウディのヤクザよりベンツ(Sクラス)のヤクザのほうが強いと思う。ヤクザのことなど知らないからだ。
「卑弥呼が中国の皇帝からもらった銅鏡」なるものをまじめに議論する学者については、ほとんどお笑い草である。ウルトラマンや仮面ライダーのお宝カードを何枚持っているかは、その人の強さの直接的表現ではない。

「仁義無き戦い」の世界で、強さを決めるものは二つある。ひとつは言うまでもなく武器である。鉄が世界を制するのである。たくさん鉄を持っているものが強者である。
もう一つは闘争心である。殺し殺され、殺しあうことをいとわない鈍感さと残虐さである。九州の墳墓からは殺されたあと埋葬されたものが多数発見されているという。部族同士の血を血で争う戦闘が繰り返されていた九州が一番の強国であったことは、このことだけでも分かろうというものだ。

大体が、前方後円墳なんてものはぼた山じゃないか。湿地帯を水田にするには排水口を掘らなくてはならない。残土をどこに捨てるか、いっそのこと墓にしてしまえば一石二鳥ではないか、なんてことはないだろうか。