アーサー・ピナードさんという人が、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を英訳したそうだ。

下記のページで、その出だしの部分が読める。

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雨ニモマケズ Rain Won’t

Rain won’t stop me.
Wind won’t stop me.
雨ニモマケズ 風ニモマケズ

Neither will driving snow.
雪ニモ

Sweltering summer heat will only
raise my determination.
夏ノ暑サニモマケヌ

With a body built for endurance,
a heart free of greed,
丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク

I’ll never lose my temper,
trying always to keep
a quiet smile on my face.
決シテ瞋ラズ イツモシヅカ二ワラッテヰル

この英語を直訳すると

雨は私を止めない、風は私を止めない。

吹きすさぶ雪もだ。

うだるような夏の暑さも、ただ私の確信を強めるだけだ。

辛抱できる体と欲張らない心を持って、

私は冷静さを失わない。いつも静かな笑みを顔に浮かべ続けようとする。

という感じで、宮沢賢治の原文に比べると、主体的、能動的、かなりごつい感じだ。むかし「うたごえ」で憶えた「雪や風、星も飛べば、我が心は彼方を目指す」という歌と重なる。

“determination”は「確信」よりもっと強く響く。“try to keep a quiet smile on my face” は、「真昼の決闘」のゲーリー・クーパーになったような気分だ。

宮沢の詩はもう少し“なよやか”で、一抹の道教的諦観を秘めたものではないだろうか。多分、宮沢が過去に会ったひとびとの中に、“頑丈な体をして物静かで、いつも笑っているような表情を浮かべている農民”がいて、“そういう人に私はなりたい”というイメージなんだろう。そこには仄かにトルストイ的エリート意識が香る。


なお、「瞋ラズ」については、Yahoo 知恵袋でこう書かれている

『イカらず』と読みます。
大修館書店刊の『大漢語林』などによると、「イカる」と読む字で、
「恚る」は「うらみいかる」、
「怒る」は「腹をたてる。外にあらわしていかる」、
「嗔る」は「目をむきだしていかる。はげしくいかる」、
「憤る」は「いきりたつ、いきどおる」
等々といった区別があるようです。
仏典に親しんでいた賢治はこれらの区別をかなり正確にわきまえていたと考えられます。

ということで、眦を決した修羅の怒りですかねぇ。あるいは「怒らず」に居ることで、「わたしは左翼じゃないよ」という立場にも取れる。