途上国の「開発」の失敗はケインズのせいではない。

前節ですでに、「開発」政策の評価をめぐり、中山さんとの食い違いが生じたのだが、それは次の節で拡大する。

中山さんはブレトンウッヅに始まり、先進国での戦後の復興・発展が60年代後半に壁に突き当たったこと、途上国で開発が貧困化と独裁の強化とをもたらしたこと、社会主義国における計画経済が失敗したことなどから、フリードマンの経済学が評価されるようになった、という流れで説明している。

そのうえで、ショックドクトリンが間違っているという主張を開始することになる。ただ先進国の問題と途上国問題が分離して論じられないために、議論ががぼやけてしまう。

これではネオリベ主義者と同じで、政府の介入・統治が引き起こす問題が大きくなりすぎたというのが結論になってしまう。

私は、ブレトン・ウッズ体制(GATT・世銀)はそれなりに機能したと思う。それは通貨(決済通貨)の統一と、貿易の自由だ。世界の経済は奇跡的な復興を遂げた。貧富の差は劇的に縮小し、曲がりなりにも「福祉国家」と呼ばれるものが登場した。また植民地という経済外的強制も無力化し、崩壊した。 

ただ、それ以上の発展のためには国際労働政策に依る所得の底上げが必須だったが、それがないままに物質的富の消費増大だけが発展の起動力となってしまった。これが「ブレトン・ウッヅ精神」を無視したことの報いであった。

途上国の開発問題は、60年のUNCTAD創設にさかのぼって議論しなければならない。「国連の開発の10年」計画は、結果的に見て大失敗だった。強調しておきたいのは、「途上国で開発が貧困化と独裁の強化とをもたらした」のは60年代に入ってからだということである。

なぜ「開発の10年」が失敗したのか、その総括抜きにチリの自由化も、80年代の「失われた10年」も語れないだろう。

逆に講和条約からオリンピックまで総額8億ドル以上の世銀借款を受けて、日本が超スピードの成長を遂げたのも、そのためだと思う。

東アジアの国は日本の進出を受けこの時期に「離陸」に成功した。またアフリカは旧宗主国と現地白人の強収奪により「暗黒大陸」に逆戻りしてしまった。これらも60年~70年代に秘密がある。

と言っても私にはその秘密は解き明かせていないが…