「連合」と組まないという選択

これは昨日の酒飲み話の続きだ。

小選挙区制と二大政党制を柱とする支配システムが、民主党の凋落により崩れ去った。現在の右翼片肺政権に対しては保守派もふくめ多くの人たちが危機感を持っている。

そのなかで大阪が反維新の立場で思い切って戦術をシフトして成功した。基本的には維新つぶしに成功したと言っていいだろう。

じゃぁ東京の敗北をどう見るかだ。「情勢は勝てる選挙だった。なのにどうして敗けたのか」あたりから話は始まったんだが、それはそれですぐ収まった。あの時の東京ではあれ以外の戦い方は出来なかったし、よくやったと見る以外にない。悔しいが。

ただこの一勝一敗を三試合目にどう活かすかだ。それが沖縄だろう。

もうひとつは、共闘の形態ではなく、どんなスローガンで共闘するかだということだ。東京では小泉に原発で鼻面引き回された。あれは小泉の独特の感性だろうが、「郵政」で大勝したおごりがあったのではないか。

東京都知事選では、見逃せないもう一つの動きがあった。連合東京が舛添支持に回ったのだ。民主党都連も直前まで舛添支持の方向で動いていたが、最後には細川支持を打ち出した。つまり民主党・連合は細川の登場により股裂き状況に立たされたのだ。

とにかく「連合」は悪の権化だ。経団連の手先であるばかりでなく、みずからが反動の主柱となっている。現実は明らかだ。

民主党が変質に変質を重ねた揚げ句自壊していったのは、「連合」のためである。国民が民主党を見限ったのは、「連合」を見限ったのである。

我々は二つの呪縛に囚われていた。ひとつは労働者階級こそが歴史変革の担い手であり、右翼のダラ幹に仕切られていたとしても、「連合」も労働者の一員だという呪縛である。

もう一つは、60年安保を闘った総評の末裔だという神話である。もはやとうの昔にそのような神話は潰えていたにせよ、「連合」を明確に敵だと言うまでには至らなかった。(原発に対する認識と似ていますね。加藤さんなら労働者=原発論まで行くかもしれません)

それでは連合を無視して新たな共闘を組む際に、「革新三目標」ではダメなのか、自主・民主・平和は旧来の「革新」勢力しか担えないのか、まったくそんなことはないんですね。

それは「革新三目標」ではなく、「国民三目標」なんですよね。革新だから三目標を掲げるんじゃなくて、国民三目標を実現するために国政を「革新」しなければならないのであって、それを「刷新」と言おうと「維新」と言おうと、それはどうでもいいんです。

例えば保守の立場でいうと、「戦争をするな、法治国家を守れ、国家をハイエナの餌食にするな」ということです。

「連合」はどの点を見ても落第です。大企業のためになることなら武器輸出も原発再開も大賛成です。

話が飛んで飛んで、まるっきり見えなくなってきました。

とにかく今度の沖縄選挙は辺野古じゃないんです。大阪の闘いがあって、東京の闘いがあって、その中から教訓を学び取って、これでやって行こうという闘いなのです。