県立「群馬の森」公園にある朝鮮人強制連行犠牲者の追悼碑が撤去される可能性がある。
経過はきわめて醜悪だ。「はだしのゲン」事件と同じで、ヘイトスピーチを繰り返している団体が撤去せよとねじ込んだ。これに対して県の側が折れてしまった。
細かい経過はいろいろあるが、事態の本質は変わらない。今後色々右翼が難癖をつけてきたら、全部飲んでしまおうということだ。それは脅迫への屈服であり、最悪の「事なかれ」主義である。
埼玉では「憲法守れ」という叫びを読み込んだ俳句が掲載不許可になった。
「いろいろ議論のある政治的課題については慎重を期したい」ということだそうだが、撤去や掲載不許可をもとめる動きは明らかに政治的キャンペーンである。それに屈するというのは、民主主義からの逸脱であり、それ自体がまごうことなきネガティブな政治行動なのだ。これでは法治国家の体をなさない。
依るべき民主主義の原則はどこにあるのか、役人としての矜持が問われるのではないだろうか。
それとも「民主主義」そのものさえも「政治的課題」になってしまうのか。「民主主義」と言ったら「御用!」なのか

「憲法を守れ!」はたんなるシュプレヒコールではない。役人に対する命令でもあるのだ。役人の行動規範の原点なのだ。その命令を受けて立つ気がないのなら、役人をやめるべきだろう。