「イスラム国」を調べる。
かなりの大仕事になりそうなのを覚悟で、「イスラム国」について調べてみる。
グーグル検索の上から順に行く。
最初はハフィントン・ポストの8月22日付記事 「イスラム国」が警戒すべきイスラム過激派だとわかる「驚愕のデータ」
「イスラム国」(IS)は、アルカイーダの分派で、以前はISISと称していた。3万から5万の戦闘員を擁していると推定される。その多くが元イラク陸軍兵だが、海外から来た者も多い。ある報道では1500人はイギリス国籍だという。彼らはシリア陸軍を奇襲し、大量の物資や武器弾薬を奪った。ついでモスルを占領して、複数の銀行から数億ドルの現金を強奪した。またイラク陸軍からも数億ドル相当の軍事物資を手に入れた。
「イスラム国」は複数の油田やガス田を支配下に置き、闇市場で石油とガス資源を売り、1日あたり300万ドルの収入を得ている。次もハフィントン・ポストで8月30日付の記事 イスラム国の恐怖支配が終わりそうにないことがわかる「仰天データ」
8月19日、「イスラム国」はアメリカ人ジャーナリストを処刑し、その動画を公開した。首を切り落とした男はロンドン出身者とされる。難民の数は相当ばらつきがあり、国連(人権理事会)が120万、UNHCR が50万人と推計している。
次が8月29日付の記事 「イスラム国」とはどんな過激派組織か? 宮田律氏「日本も無関係ではない」
「イラクの聖戦アルカイダ組織」(懐かしのザルカーウィ)出身者らで構成される。最高指導者はアブ・バクル・バグダディ。かつては「イラク・イスラム国」を名乗ったが、11年以降、シリア内戦に介入して「イラク・シリアのイスラム国」に改名。
2014年2月、シリアからの撤退命令を拒絶しアルカイダとの関係を断絶。シリア東部を制圧した後、同年6月、イラク西部や北部へ一気に侵攻した。イラク第2の都市モスルを制圧後、イスラム国家の樹立を宣言して、名称を「イスラム国」とした。
8月に入って、クルド人自治区の主要都市アルビルに迫った。これに対しアメリカ軍が介入し、空爆を開始した。これでハフィントンポストを終わり、次はウィキペディア
歴史がかなり詳しい。
2000年にザルカーウィがヨルダンで結成したのが「タウヒードとジハード集団」で、2003年にイラク戦争が始まるとイラクに潜入し、「イラクの聖戦アルカイダ組織」を名乗った。
2006年にイラク人民兵の主流派と対立し、他組織と統合。「イラク・スラム国」を名乗る。これは組織の主体が外国人義勇兵であったためとされる。
以降、イラク各地で爆弾テロを繰り返してきた。
2013年にシリアのアル・ヌスラ戦線と合併し「イラクとシャームのイスラーム国」に改称、シリア内戦への関与(とくに自由シリア軍への攻撃)を強める。
アルカイダのザワヒリは、シリア干渉を認めず解散を命令したが、「イスラム国」はこれを無視して活動を続けている。
2014年2月、アルカイダは「イスラム国」とは無関係であるとの声明を発表している。シリア反体制活動家は、「アサド大統領よりも酷い悪事を働いている」と語っている。
とりあえず、このくらい分かればよいか。
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