いま、イラクのアメルリ(Amerli)での戦闘が焦点となっている。

*この事件が起きるまで、この街はまったく無名の街だった。今でも、Amerli なのかAmirli なのか分からない。ただ、こういう時はアルジャジーラかBBCにしたがうものと相場が決まっている。両方ともAmerliなのでそちらに統一する。

アメルリは6月以来「イスラム国」軍の包囲下にあり、住民虐殺が憂慮されていた。昨日8月31日にイラク政府軍が包囲網を突破し、市内に突入した。これに前後してアメリカ軍が空から援護を行った。

ところが、アミルリのニュースはゴマンとあるのにアメルリについて解説した記事はひとつもない。

英語版Wikipediaですら、ニュースの後追いだけだ(WikipediaはAmirli派)。

一応拾っておくと下記の通り。

人口1万5千人 シーア派少数民族トゥルクメン人(Shia Turkmen)の街, 6月以来 イスラム国家」軍に包囲されている.

国連代表者は、「状況は絶望的だ。市民の虐殺を防ぐため緊急行動が必要だ」と述べている。

8月31日に、イラク軍が市内に入り市民の歓迎を受けた。

amrirumap

グーグルマップに加えましたが、アメルリを間違えました。もっともメディアに比べれば可愛い。


アミルリ全景

アメルリの街の全景です。山際のオアシスの町だということが分かる。


アミリル

6月、「イスラム国」軍の包囲


アミリル防衛

A small town Amirli has a Turkmen majority, 400 locals men & women are defending themselves

この町が有名になったのは、住民が自衛団を組織し、2ヶ月にわたり籠城戦を戦い抜いたことだ。政府軍やアメリカ軍の援助は市民たちの闘いの後に始まった。なにか「7人の侍」を思い起こす。

それにしてもおばさんたちにカラシニコフは似合わない。


一応、不十分ながら包囲戦の経過を記しておく。

2月 アルカイダ内の超過激派が、ISISを結成。

6月 ISISがモスルを占領。イスラム国家の樹立を宣言。

アメルリはバグダッドから北に150キロ、サラハディン州の町。人口は約1万7400人。うち約1万人が女性と子ども。シーア派が多いがスンニ派も混住する。(5千人との記事があるが、5千世帯の間違い)

6月 ISがアメルリを攻撃。包囲戦に入る。イスラム国はトルクメン人を異教徒とみなし、シーア派を背教者とみなす。

電気や水道が遮断され、医薬品が底をつき、食料も不足(24日CNN)

国連のニコライ・ムラデノフ特別代表、「アメルリの住民は絶望的状況に追い込まれている。虐殺が起きないよう直ちに行動すべきだ」とする声明を発表

8月26日 イラク政府、軍のアメルリ派遣を決定。

8月27日 米政府当局者が、空爆と人道支援物質の投下を検討していると語る。アルビル、センジャール、モスル・ダムに続き4地域目。

8月30日 米政府、イラク政府の要請を受け人道支援物資を投下したと発表。活動を援護するため過激派組織への空爆を実施。

8月31日未明、米軍がイラク北部アメルリでイスラム教スンニ派の過激派組織「イスラム国」に包囲されている住民に人道支援物資を投下するとともに、アメルリ周辺のイスラム国の戦闘部隊に対して、3波にわたる空爆を実施。物資投下には、英仏豪3か国も参加。

31日、イラク軍がアメルリに進撃。シーア派民兵も加わる。クルド人の民兵組織も

09月01日 イラク軍は地上作戦を展開し、アメルリをイスラム国から奪還。周辺の町村も解放し、軍の制圧下に置く。


感想としては、アメリカの決断は容認しうるものだということ。ただ、イラク政府の要請に基づくものであること、ISの蛮行を阻止する目的であること、救援を主目標とする限定されたものであること、イラクに混乱をもたらした過去の行動について深く配慮したものであることが要求される。