ゲルストマン症候群

ゲルストマン症候群という脳神経障害がある。オーストリア出身のアメリカの神経学者ヨーゼフ・ゲルストマン(Gerstmann)が提唱したものである。

優位側の頭頂葉の角回および縁上回という部分の病変と関係しているとされる。ここは側頭葉境界に近く、同時に後頭葉との移行部でもある。

ゲルストマン症候群は次の4つの主な症候で定義される。

   1. 失書 : 文字が書けず、錯書もみられる。写字は比較的良好である。しかし、自分の名前や住所など自ら考えて書字することに困難を示す。重症例では字を書くことも書き取りもできない。

   2. 失算 : 暗算も筆算もできない。演算自体ができないという障害のほかに、数字が読めない、書けないという障害も出現する。

   3. 手指失認 : 指の操作に困難を示す。手指とその名称が結びつかない。

   4. 左右失認 : 自己及び他人の身体の左右の区別ができない。右手で左耳を指すというような左右の理解ができなくなる。

脳内の場所柄、失語症と併存する確率が高いといわれる。

提唱者であるゲルストマンは4点セットではじめて疾患エンタイティーを持つと強調しているようだが、失書・失算と失認は明らかにレベルが違う。

失書・失算は高次脳障害の中核概念に属する。一方、「失認」はより低位の、もしくはより広範な障害の表現である。臨床的にも4点を満たさない不全型が多く存在しているという。

ゲルストマンが重視しているのは失認の方だが、私としては「失書・失算」のほうが気になる。この不全型ゲルストマンと括られている「失書・失算」症候群を一つのエンタイティーとして抜き出す必要があるのではないだろうか。

失語症と「失書・失算」症候群の比較

面白いのは高次脳機能のうち言語に係る機能とは、「近いが違う」機能だということだ。ここで言う言語機能とは聞き取りしゃべる機能である。それがブローカ失語であり、ウェルニッケ失語だ。

言語にはもうひとつの形態がある。読み、書く機能である。これは側頭葉ではなく頭頂葉に属する機能の可能性がある。ゲルストマン徴候の意味するものは、実は、読む機能と書く機能はどうも別物のようだということである。

つまり、失書・失算にも書く機能だけが脱落するブローカ型と、読む機能もやられるウェルニッケ型があるかもしれないということだ。ただシンプルな言語機能に比べてより高次の機能であるがゆえに、クリアカットには違いが浮かび上がってこないかもしれない。

失書・失算の患者には書字は苦手だが、キーボード入力なら造作なくやってしまう人がいる。失書にもレベルがあるのかもしれない。

「失書・失算」症候群は知識人固有の疾患

率直に言えば、文章も書けず、計算も出来ないような人には無縁の病気である。さらに率直に言えば、芸術系の文化人なら「失書・失算」でもけっこうやっていけるかもしれない。

「失書・失算」というのは、突き詰めると情報のデジタル化・デジタル情報の処理・デジタル情報のアナログ化の能力の障害である。

文科系で言うなら、概念形成・概念操作による演繹・論理展開の過程である。一言で言えば科学的過程である。

したがって「失書・失算」はなんら基礎疾患がなくても、どんな人にも出現しうる疾患である。あえて言えば創作的疾患である可能性が否定出来ない。

科学と空想の境界にあるこのような状態は、相当広範に世の中に存在する。その原因は脳血管障害ではない。圧倒的に多いのは廃用症候群、つまり“ぐうたら”のためではないだろうか。

とはいえ、「失書・失算」を中心症状とする高次機能障害の一群は明らかに存在する。それは「喪失症候群」である。それは高次の連合機能であるがゆえに代替可能であり、維持回復は訓練しだいともいえよう。

小児の「失書・失算」症候群

小児でもこの症候群の報告があるという。発達性ゲルストマン症候群と呼ばれる。ウィキペディアではこう書かれている。

書字やつづりがうまくいかない、四則演算ができないという症状を示す。左右の違いがわからなかったり、個々の指を識別できなかったりというゲルストマン徴候が明らかにわかる例もある。

以前にも書いたが、小児科の医者の書いた文章は、相当バイアスがかかっていると見たほうが良い。大学時代に言っていたが、精神科の医者は半分精神科、小児科の医者は半分小児科だ。とかく教祖になりたがる。
主治医を作るのなら循環器(ただしカテ屋は別)か、呼吸器か、代謝内分泌の内科にかかるのが一番良いと思う。