昨晩は辺野古の現地レポートをいやというほど見せられた。「森の映画」社がろくに編集もせずに、ドンドコ作った映画を4,5本続けざまに見せられると、年寄りには相当応える。
とにかく体当たり撮影だから、目の前に警察官や機動隊、海保の隊員がいて、にらんだり、ニヤ笑いしたり、聞こえぬふりしたりしながら体を押し付けてくる。その背後に目付きの悪い指揮官がいて、ケータイで対応を問い合わせている。
こちらも状況を見てピケラインを敷いたり、引っ込んだりしながら、シュプレヒコールというか怒号を繰り返す。
納得させられたのは一つ、日本は辺野古を回転軸にして転回しているのだということ。辺野古からの視点で見ると見えてくることがたくさんあるということだ.

休みなしに第二部。こんどは「沖縄で散った北海道の若者たち」と「沖縄戦の少女たち」というインタビュー記録だ。
私はひめゆり部隊の映画とか、米軍の撮影した記録でしか沖縄戦を知らなかったから、10万人の死者の実相を掴んでいたとはいえない。そのことを痛感した。

沖縄県平和祈念資料館

Q2 沖縄戦による死亡者数は?
A2 200,656人〔沖縄県援護課発表 1976年(昭和51)年3月〕
   日本 188,136人(沖縄県出身者122,228人(一般人94,000人、軍人・軍属28,228人)

             (他都道府県出身兵 65,908人)
   米 12,520人


とくに一般人9万4千人の死に様については、もっと情報を収集すべきだと思う。
原爆の被害についてはずいぶん学習してきたが、それはある意味でいきなりの死であった。終わりとしての死でもあったが、始まりとしての死でもあった。
沖縄の死は、筆舌に尽くしがたい恐怖と、苦しみと、悲しみとの末にやってきた死であった。それは広島で一瞬にして殺したのと同じ数の人間を2ヶ月でなぶり殺しにしていった死であった。

お問い合せは「森の映画」社へ
http://america-banzai.blogspot.jp/