まだブログを始める前、私のホームページに「更新記録」というコーナーを設けて、そこで今のブログに相当する記事を書いていました。その頃に伊藤ふじ子のことを初めて本格的に知りました。

それより10年以上も前に小樽に住んでいて、多喜二の権威とも接する機会がありましたが、ついぞそのような話は聞いたことはありませんでした。もっぱらお母さんの話題とか三吾さんの話ばかりでした。タキさんが横浜からこっそりと現れたことがあって、墓参りやらにお付き合いしたなどという話も聞きました。

だから、ふじ子の存在がにわかにクローズアップされたのはこの数年のことと言えます。それまでは「隠されていた」と言っても間違いではないと思います。

今ではもう「更新記録」を訪れる人もいないと思いますので、ここに再掲しておきます。


2009.07.07

 テレビの話ばかりで、いかに怠惰な生活を送っているかということでしょうが、北海道放送の製作した「小林多喜二」という番組を見ました。
  10年ちょっと前に小樽で二年間暮らしました。そのときは周りに多喜二を知っている人もいましたし、お母さんや三吾さんのほうはみんな知っているという環境でした。タキさんが横浜から多喜二忌に来たという話も聞いています。「療養権の考察」のあとがきに「多喜二のイメージは私の中で不思議に伸び縮みする」 と書いたのはそういう事情があったからです。
 ただ東京で同棲したという女性については、「党生活者」に出てくるいわゆるハウスキーパーの関連が あって、あまり触れたくないエピソードとして見ていました。たしか平野謙はこのことを取り上げて多喜二を切り捨てていたと憶えています。その背景には党分 裂の時期に武闘派が多喜二を天まで持ち上げたことに対する「新日本文学」派の反発があったと思いますが、6全協から8大会を経ても、なんとなくよそよそし い雰囲気は残っていました。宮本百合子の立派な全集は出ても、多喜二は相変わらず青木文庫のみという感じです。
 番組は製作者の独特な思い入れが 強く、いささか胃もたれのする内容でしたが、「妻」の伊藤ふじ子が写真とともに紹介されたのは驚きました。なかなかの美人だったのにも驚きました。ふじ子 の書いた未完の覚え書きというのがあって、何でも都内での伝単貼り行動で知り合ったということで、そのあと多喜二が新宿角筈のすき焼き屋に連れて行って 「食べれ、食べれ」とせかしたそうです。字も書けないような女性ばかり見てきた多喜二にとって、さぞかし目のくらむ思いだったことでしょう。
 こ のふじ子の覚え書きの文章がとても知的で快活で魅力的なのに驚きました。情景の掬い方がとてもうまいのです。この2、3行だけで、多喜二がふじ子に一目ぼ れして、金もないのに気前良くおごった上に、方言丸出しで押しまくっていった情景が目に浮かびます。ふじ子が「あら、この人、気があるのかしら」と腹の中 でクスクス笑いしている思いも、そこはかとなく伝わってきます。美彌子から見た三四郎でしょうか。とにかくこちらのほうがよほど小説らしい。澤地久恵がこ の女性のことを詳しく書いているとのこと、読んでみたいものです。