昨日のれんだいこさんの記事は、

「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙

というサイトの

多喜二最期の像―多喜二の妻 というページからの部分転載である。元のページはまともで、引用が誤っているようだ。

手塚英孝の記述となっているのは、手塚の本を引用しながら書いた新聞記事からの引用である。昭和42年6月9日の『朝日新聞』夕刊「標的」欄に(眠)の署名記事「多喜二の妻」がそれである。

(眠)氏は手塚の『小林多喜二』という伝記本を参照しながら記事を書いているようであるが、どこまでが手塚の引用で、どこから(眠)氏の文章なのかはわからない。

しかしこの文章全体を手塚の話とするのは明らかに無理である。伝記の著者でありその死に至るまで忠実な党員であった手塚が絶対に口にしないようなセリフが混じっている。これは明らかに(眠)氏の感想である。

党活動に参加していなかったから、多喜二の友人や崇拝者によって無視されてしまったのだろうか。


江口渙の発言は、(眠)氏の記事に答えてのもののようである。「夫の遺体に悲痛な声/いまは幸福な生活送る」と題された新聞記事のようである。前後の経過からすると、これもまた朝日新聞に載せられたもののように推察されるが、委細不明だ。

記事のはじめに、れんだいこさんが省略した部分がある。

私も小林多喜二が地下活動中に結婚したことは全然知らなかった。合法的に動いていた私たちと非合法の彼とのあいだには何の連絡がなかったのは、当時の社会状況としては当然のことである。それをはじめて知ったのは、昭和八年二月二十一日の夜、拷問でざん死した多喜二の遺体を築地署から受け取り、阿佐ヶ谷の彼 の家に持ち込んだ時である

記事の終わりにもれんだいこさんの省略した部分がある。

その後、彼女は私たちの視界から全然姿を消してしまった。うわさによるといまはある男性と幸福で平和な生活を送っているという。私たちが彼女のその後についてふれないのは、そういう現在に彼女の生活にめいわくをかけたくないからである

ということで、手塚英孝と江口渙が矛盾したことを考えているとはいえないようだ。


特に戦後、平野謙というゴロツキが「ふじ子はハウスキーパー」などとデマを飛ばしたこともあって、ふじ子のプライバシーを守りたいという思いは二人に共通していたと思われる。(タキさんについても同じ)


このページには、小坂多喜子の「通夜の場所で…」という談話も引用されている。映画『小林多喜二』のパンフレットに掲載されたものとされる。

小坂はちょいと多喜二と紛らわしい名前だが、戦旗社出版部に勤め、『太陽のない街』や『蟹工船』の出版に関わった人。高橋輝次さんのブログに詳しい。

ちょいと引用というには長いが、ご容赦を。

「その多喜二の死の場所へ、全く突如として一人の和服を着た若い女性が現れたのだ。灰色っぽい長い袖の節織りの防寒コートを着たその面長な、かたい表情の女 性はコートもとらず、いきなり多喜二の枕元に座りこむと、その手を自分の膝にもっていき、人目もはばからず愛撫しはじめた。髪や頬、拷問のあとなど、せわ しなくなでさすり、頬を押しつける。私はその異様とさえ見える愛撫のさまをただあっけにとられて見ていた。その場をおしつつんでいた悲愴な空気を、その若い女性が一人でさらっていった感じだった。人目をはばからずこれほどの愛の表現をするからには、多喜二にとってそれはただのひとではないことだけはわかっ たが、それが、だれであるかはわからなかった。その場にいあわせただれもがわからなかったのではないかと思う。いかに愛人に死なれても、あれほどの愛の表現は私にはできないと思った。多喜二の死は涙をさそうという死ではない。はげしい憎悪か、はげしい嫌悪かーそういう種類のものである。それがその場に行き 合わせた私の実感である。その即物的とも思われる彼女の行動が、かえってこの女性の受けた衝撃の深さを物語っているように思われた。その女性はそうして自分だけの愛撫を終えると、いつのまにか姿を消していた。私はそのすばやさにまた驚いた」

「私はその彼女と、そのような事件のあと偶然知り合い、私の洋服 を二、三枚縫ってもらった。(中略)その時、私たちの間いだには小林多喜二の話は一言も出なかった。私たちの交際はなんとなくそれだけで切れてしまっ た」。

「最近、多喜二の死の場所にあらわれた彼女が、思いもかけず私の身近にいることを知った。私の親しい知人を介してならいつでも彼女の消息がわかる。 彼女が幸福な家庭の主婦で、あいかわらず行動的に動き回っていることを知り、私は安心した気分にひたっている」

細部では江口の文章とやや異なるところがある。とくに“すばやく帰った”というあたりは食い違う。それだけに余計リアリティーがある。小坂多喜子という当時の最先端みたいなモダンガールをして驚愕させたのだから相当のものであったのは間違いない。


以上で明らかになったことが二つある。

ひとつは、どう考えても二人は熱愛関係にあり、ハウスキーパーごときものではないということである。

もうひとつは、直接には組織防衛のためではあるが、後には彼女のプライバシーを守ろうという関係者の暗黙の了解があったことである。

人違いの言いがかりで手塚と江口を対立させたり、手塚の事実隠しを宮本顕治の陰謀だと持っていくのは、下衆の勘繰りとまでは言わないが、あまり趣味の良くない推論だろう。変な記事に出会ってしまって、とんだ一手間になってしまった。

手塚の「小林多喜二」はむかし買って読んだ記憶がある。たしかにふじ子のことはあまり触れてなかったように思う。とりあえず本棚をかき回してみるとするか。