酒井啓子さんの岩波ジュニア新書「中東から世界が見える イラク戦争から“アラブの春”へ」を買ってきて読んだ。
おっしゃることはいちいちごもっともで、大変参考になる本だ。
しかし、やはりすかっと胸に落ちるわけではない。それは酒井さんの責任というより、世の中がそうなっているからだろう。
政治状況の分析だけではダメで、やはり経済構造の分析に踏み込まないとダメなのかなぁという感じもする。それも一般的な分析ではなく、国内ブルジョアジーの経済的支配を構造的視点から見ていかないと、見た目の近似に振り回されてしまう。
同じように都会の学生やインテリに毛嫌いされたベネズエラのチャベスと、タイのタクシンと、トルコのエルドアンと、エジプトのムバラクは同一視出来ないだろうし、そもそも権力基盤が全く異なる。

イスラミズムについては、それを支持する社会階層の具体的な分析に基づいて評価しなければならないことは言うまでもない。場面場面で共同して闘う必要もあろうかと思う。
とは言いつつも、「世界観」というか、もっともエッセンシャルなレベルでは、やはりそれは否定されるべきものだと思う。西欧的な民主主義の概念を器械的に対置すれば良いという問題ではないが、それが前世紀の遺物であることも間違いない。
イスラミズムは社会の犯した罪に対する罰として提示されているにすぎない。せいぜいが「真正社会主義」にしか過ぎない。少なくともイスラミズムそのものに世界と歴史を前進させる力はない。

左翼勢力が民衆に寄り添うことを忘れてしまったために凋落したという指摘は、ある程度あたっていると言わざるをえない。ただ、民族派政権や軍との癒着の問題はそれとはちょっと異なると思う。むしろそれはソ連への盲従の結果であった。

然るがゆえに、彼らは都合の良い時は重用されたが、要所要所ではしっかり弾圧されている。なぜなら彼らは民衆に寄り添うことを忘れはしなかったし、放棄もしなかったからだ。

彼らが外国勢力に対し自主的な態度をとり続けているならば、いまからでも決して遅くはない。望み無きにあらずと思う。