終戦記念日が終わろうとしているが、本日の1日だけでかなり考えさせられた。
「終戦記念日というのは間違いだ」と左翼は言ってきた。たしかにそれは日本帝国主義の敗北の日であり、敗戦記念日というにふさわしい日である。
しかし未来志向で言うと、戦争というものが終わった、日本人が戦争というものを終わりにした記念日としては、まさに「終戦記念日」であるべきなのかもしれない。
原爆記念碑の「二度と過ちは繰り返しませぬから」の碑文も、「原爆を投下したアメリカの責任をあいまいにしている」という批判があった。しかし人類の誓いとなるべき碑文として、それはもっと深い意味をもって読み取るべきなのかと思う。
日本国憲法は世界の憲法となるべき運命をもって生まれた憲法なのだろうと思う。「押し付け憲法」というがそれは世界中の無数の犠牲者が後世に押し付けた憲法であり、未来が押し付けようとしてる憲法なのだろうと思う。

戦争は政治の延長であるというクラウゼビッツの格言を、左翼は何のためらいもなく受け入れてきた。
戦争は政治の延長ではないし、政治の延長であってはならない。
政治家と軍人と戦争屋にとっては、戦争は政治の延長でしかないかもしれないが、庶民にとっては殺しあい殺されあうことは決して政治の延長であってはならないのだ。
生活のリアリズムは、政治の超現実的リアリズムを拒否しなければならない。